「営業支援」に関する裁判例(113)平成20年 2月29日 東京地裁 平17(ワ)11433号 損害賠償請求事件
「営業支援」に関する裁判例(113)平成20年 2月29日 東京地裁 平17(ワ)11433号 損害賠償請求事件
裁判年月日 平成20年 2月29日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平17(ワ)11433号
事件名 損害賠償請求事件
裁判結果 一部認容 文献番号 2008WLJPCA02298005
要旨
◆同業他社への転職に伴い、同僚従業員を多数引き抜いて転職させるとともに、原告の顧客に対し虚偽の事実を告げるなどの営業妨害活動を行ったとして損害賠償請求がされた事案について、職業選択の自由があることなどに照らし、引抜行為が違法となるのは、その手段、態様、方法からみて、これが社会的相当性を逸脱する場合に限定されるべきとして、被告が原告のサイトに不正アクセスをするなどして情報を収集した結果行われた引抜行為に限定して不法行為の成立を認め、引抜行為による損害額につき民事訴訟法二四八条を適用して判断するとともに、顧客に対する営業妨害活動の事実を認め、原告の請求を一部認容した事例
参照条文
民法709条
民法715条
民事訴訟法248条
裁判年月日 平成20年 2月29日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平17(ワ)11433号
事件名 損害賠償請求事件
裁判結果 一部認容 文献番号 2008WLJPCA02298005
静岡県浜松市〈以下省川>
原告 丙原株式会社
代表者代表取締役 甲山A夫
訴訟代理人弁護士 太田宗男
同 千田賢
東京都新宿区〈以下省略〉
被告 株式会社木下工務店
代表者代表取締役 乙川B雄
訴訟代理人弁護士 垣鍔公良
神奈川県相模原市〈以下省略〉
被告 丙谷C郎
東京都町田市〈以下省略〉
被告 丁沢D介
上記2名訴訟代理人弁護士 河本毅
同 尾畑亜紀子
主文
1 被告株式会社木下工務店及び被告丙谷C郎は,連帯して700万円及びこれに対する平成18年3月31日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告株式会社木下工務店及び被告丁沢D介は,連帯して12万7380円及びこれに対する平成17年3月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,原告と被告株式会社木下工務店との間においては,5分の3を原告の,5分の2を被告株式会社木下工務店の各負担とし,原告と被告丙谷C郎との間においては,5分の3を原告の,5分の2を被告丙谷C郎の各負担とし,原告と被告丁沢D介との間においては,20分の19を原告の,20分の1を被告丁沢D介の各負担とする。
5 この判決は,第1項及び第2項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
被告らは,原告に対し,連帯して1800万円及びこれに対する平成17年1月20日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は,ハウスメーカー(住宅メーカー)である原告が,原告から同業の被告株式会社木下工務店(以下「被告会社」という。)に転職した被告丙谷C郎が同丁沢D介その他の原告元従業員と共謀して,別紙転職者リストNo.欄記載2~43に該当する42名もの従業員を違法かつ組織的に原告から引き抜いて被告会社に転職させ(以下「本件引抜行為」という。),また,既に原告と契約済みの顧客に対し虚偽の事実を告げるなどして不当に契約を破棄させる営業妨害行為(以下「本件営業妨害行為」という。)をしたことにより損害を被ったと主張して,被告丙谷及び同丁沢に対しては共同不法行為に基づき,被告会社に対しては使用者責任に基づき,損害賠償(本件引抜行為分が1000万円,本件営業妨害行為分が800万円)を求める事案である。
2 前提事実(証拠を掲記しない事実は争いがない。)
(1)ア 原告は,土木建築の設計及び請負等を業とする株式会社である。
イ(ア) 被告会社は,建築工事の請負等を業とする株式会社である。
(イ) 被告丙谷は,原告の元従業員(平成7年5月6日入社,平成17年1月20日退職)であり,現在は被告会社従業員である。
原告在籍中,被告丙谷は,平成7年5月6日相模原南支店(営業担当),平成9年4月1日相模原南支店長,平成11年4月1日町田支店長,平成15年4月1日関東事業部長,平成16年1月1日経営企画部長,平成16年7月1日つくば支店長を歴任した。
(ウ) 被告丁沢は,原告の元従業員(平成11年9月16日入社,平成17年1月20日退職)であり,現在は被告会社従業員である。
原告在籍中,被告丁沢は,平成11年9月16日町田支店(営業担当),平成14年4月1日瀬谷支店長,平成15年4月1日町田支店長,平成16年4月1日横浜港北支店長,同年10月1日町田支店(営業担当)を歴任した。
(2) 別紙転職者リスト記載のとおり,被告丙谷及び同丁沢を含む43名の者(以下,これらの者をまとめて「本件転職者」という場合がある。)が,平成17年1月20日から平成18年3月31日までの間に原告を退職し,平成17年2月1日から平成18年4月16日までの間に被告会社に入社した(各人の丙原社退職年月日,退職当時の所属部署及び職位,被告会社への入社年月日,入社当時の所属部署及び職群は,それぞれ別紙転職者リスト該当欄記載のとおり。)。
なお,本件転職者43名以外にも,平成17年4月21日から平成19年2月1日までの間に,20名の者が,原告退職後,被告会社に入社している。
(3) 原告は,平成17年3月19日,訴外丁原W作(以下,単に「丁原」という場合は同人を指す。)及び同丁原A子(丁原W作と丁原A子両名を合わせて「丁原夫妻」という。)と,工事請負契約(以下「本件契約」という。)を締結したが(甲1),丁原夫妻は,同月24日ころまでに(甲15,証人丁原),原告に対し,本件契約を解約する旨告げた(以下「本件契約破棄」という。)。
(4) 原告は,業務合理化を目的に携帯電話からインターネットを通じて閲覧することができる携帯電話サイト(以下「原告サイト」という。)を運営し,従業員の営業及び建築活動に役立てているが,原告サイトは,原告の役員及び従業員のうちでも原告が閲覧権限(ID及びパスワード)を付与した者のみが閲覧できるように管理運営されている。IDは,8桁の社員番号であり,パスワードは当該従業員に貸与している携帯電話の下8桁の数字であるところ(ただし,変更は可能。),原告の社員番号と貸与している携帯電話の番号は,原告のLAN上に全従業員のものが掲載されているため,原告従業員であれば,誰でも閲覧可能である。
原告サイトには,「FAN」,「マル決売上情報(契約に関する情報)」,「連絡先一覧」,「日報確認」という情報項目がある。このうち「FAN」では,建築工事物件ごとの工事日程や配送工程を,支店長及び支店の建築業務を管轄する責任者である建築キャップらが確認できるが,支店長は自支店の物件に関する情報のみを,建築キャップは自分が担当する物件の情報のみを閲覧することができる。「マル決売上情報」では,原告の支店別の売上本数・金額,顧客名等が表記されており,閲覧権限を有するのは,社長その他の役員,事業本部付,販売企画部,建築推進部,事業部長らである。なお,閲覧権限を有しない者が原告サイトにアクセスした場合には,そもそも「マル決売上情報」の項目自体が表示されないようになっている。
(5) 被告丙谷は,平成19年2月27日,平成18年9月上旬から10月上旬にかけて,28回にわたり(乙7),携帯電話からインターネットを通じて,原告取締役のIDとパスワードを同人の承諾なく使用して,原告サイトに不正に接続した(以下,このような行為を「本件不正アクセス」という。)として,不正アクセス行為の禁止等に関する法律違反の疑いで,浜松中央警察署に逮捕され,引き続き勾留された。被告丙谷は,上記被疑事実を認めていた。その後,被告丙谷は,同年3月9日付で,起訴猶予となった。
3 争点
(1) 被告丙谷及び同丁沢による本件引抜行為の有無(争点1)
(2) 本件引抜行為の違法性の有無(争点2)
(3) 本件営業妨害行為とその違法性の有無(争点3)
(4) 損害の発生及びその額(争点4)
(5) 被告ら各自の責任(争点5)
4 争点に対する当事者の主張
(1) 争点1(被告丙谷及び同丁沢による本件引抜行為の有無)について
(原告)
ア 被告丙谷は,被告丁沢その他の原告元従業員を統括し,それらの者と共謀の上,自らの手で,あるいは被告丁沢その他の者(原告元従業員又は原告従業員)を利用して,平成17年1月20日以前から平成18年4月16日までの間,別紙転職者リストNo.2~43(以下,単に「No.2」などという場合は,同リストのNo.欄の記載を指す。)に該当する42名もの従業員を組織的に原告から引き抜いた(本件引抜行為)。
イ 本件引抜行為は,被告丙谷(被告会社入社後の地位は町田支店長)が,原告の支店長レベルの者を中心とする原告在籍当時の部下(被告丁沢(同新百合ヶ丘営業所長,No.2),戊沢(同相模原営業所長,No.18),戊野(同八王子営業所長,No.3),己原(同厚木営業所長,No.4),午下(No.14),未山(No.15),乙谷(No.21),卯波M平(No.11))を勧誘して被告会社に転職させ,その後これらの転職者(その中心的役割を果たしているのは被告丁沢と戊沢である。)が自分の元部下や同僚に対する勧誘行為をするというように組織的に行われており,それを統括しているのが被告丙谷である(なお,静岡エリアにおいては,戊原C平(No.24)が引抜行為の統括者の地位にあるようである。)。
(ア) 被告丙谷が直接引き抜いたことが判明しているのは,寅葉(No.10),午下(No.14)未山(No.15),戊沢(No.18),卯口(No.32)である。
(イ) 被告丁沢が直接引き抜いたことが判明しているのは,庚崎(No.5)である。
(ウ) 戊沢(No.18)が引き抜いたことが判明しているのは,巳上O夫(No.13),申川(No.16),酉谷(No.17),甲川(No.20)である。
(エ) 戊原C平(No.24)が引き抜いたことが判明しているのは,辰上(No.33)である。
(オ) 戊崎B平が引き抜いたことが判明しているのは,壬岡I雄(No.7)である。
(カ) 被告丙谷は被告会社の実質的な採用権限を有し,本件引抜行為においても引抜対象者に対する条件面の説明は被告丙谷が行っていたようであるから,上記(ア)以外の転職者についても被告丙谷がその引抜きに関与していたものである。
なお,戊野(No.3),己原(No.4),午下(No.14)及び未山(No.15)は被告丙谷が原告町田支店長であった当時の部下,辛田(No.6)は被告が経営企画部長であった当時の部下,卯波M平(No.11)及び乙谷(No.21)は被告丙谷が関東事業部長であった当時の部下,戊沢(No.18)は被告丙谷が相模原南支店に所属していた当時の同僚であって後に同支店長と部下の関係となっており,亥野(No.19)は,被告丙谷がつくば支店長であった当時,共に東関東事業部に所属する近隣支店の同僚であった。
また,庚崎(No.5)は,被告丁沢が横浜港北支店長であった当時に採用した者である。
ウ 被告丙谷らは,これら以外の原告従業員に対しても,被告会社に引き抜こうと試みていた。
(ア) 被告丙谷が引抜行為を行ったことが判明しているのは,己田R吉,庚岡D夫,辛井E雄,壬木F美,癸葉G郎,丑波H介である。
(イ) 被告丁沢が引抜行為を行ったことが判明しているのは,寅口I作,卯上J平,辰下K吉,巳山L夫,午川M雄である。
(ウ) 申川(No.16)が引抜行為を行ったことが判明しているのは,未谷N郎である。
(エ) 戊沢(No.18)及び亥野(No.19)が引抜行為を行ったことが判明しているのは,癸葉G郎である。
(オ) 丑葉(No.30)が引抜行為を行ったことが判明しているのは,申沢O作である。
エ 被告丙谷は,被告会社に転職した者は,被告丙谷ないしは既に被告会社に転職していた者を慕って被告会社に移ったなどと述べるが,40人もの多数の原告従業員が,転職者を慕って転職するということ自体不自然である。
多数の原告従業員が被告会社に転職するようになったのは,被告丙谷が被告会社に入社した後のことであり,転職者がいずれも被告丙谷その他既に被告会社に転職した者が原告従業員であった当時の部下や同僚などであること,上記ウのとおり,多くの引抜行為を行っていることなどからすれば,約40名の転職者が,被告丙谷の統括する本件引抜行為によって被告会社に転職したものであることは明らかである。
(被告ら)
ア 被告らが,原告従業員の引抜きを行った事実はない。
原告は,大量の退職者が出たのは本件引抜行為による旨主張するが,これは,原告が従業員に対して行っている年2回の人事昇格停止などの不当な処遇があり,これに不満を持つ従業員が多かったことを看過した責任転嫁に他ならない。
イ 原告は,被告丙谷が5名の者を直接引き抜いたなどと主張するが,事実無根である。むしろ,被告丙谷は,原告在籍当時,原告を退職したいと相談する部下の慰留に努めていたのであり,これらの者は自ら希望して転職したものである。また,被告丙谷は,直接引き抜いたとされる卯口(No.32)の他,癸木H介(No.29),寅波J平(No.31),辰上(No.33),巳下(No.34),午山(No.35),未川O介(No.36),甲谷T雄(No.41)及び乙沢(No.42)とは面識すらなかった。
被告丁沢については,庚崎(No.5)は,被告丁沢に付いて転職したい旨の希望を述べたが,被告丁沢は転職の保障はできないとしてこれを断っており,庚崎を勧誘した事実は存しない。
転職者リストに記載されている者は,被告丙谷など元上司が被告会社に転職した事実を知って,これを慕うなどして自らの意思で被告会社に転職することを選択したのである。被告丙谷らは,既に退職の意思を有していた原告従業員の相談に乗っていたに過ぎないのであって,本件引抜行為など存在しない。
なお,他の原告従業員に対し,被告丙谷や同丁沢が被告会社に引き抜こうとしたという事実もない。
(2) 争点2(本件引抜行為の違法性の有無)について
(原告)
ア 被告丙谷が同丁沢その他の原告元従業員を統括し,それらの者と共謀の上行った本件引抜行為と本件営業妨害行為は,別個独立の行為ではなく,原告に対する害意という共通の目的によって結合された一連の組織的な行為である。被告らは,原告の営業社員を大量かつ一斉に引き抜くことによって原告に打撃を与えるだけでなく,原告の営業社員が有する顧客関係を被告会社の営業活動に利用することによって,競業関係にある原告に更なる打撃を与える意図を有していたのである。
このような意図の下になされた本件引抜行為は,被告会社と同一地域内の競業企業である原告を狙い撃ちして約40名もの原告従業員を引き抜いたものであること,本件引抜行為により原告が多大な打撃を受ける一方で,被告会社が大いに利益を得ること,本件引抜行為が虚偽の事実を流布して行われていること,引抜きについての成功報酬や引き抜かれた者への歩合給の補償というインセンティブを付与して計画的かつ秘密裏に行われたものであること,原告の中枢にいた被告丙谷が得た内部情報や影響力を利用して行われたものであること,原告の従業員を利用して行われたこと,被告丙谷や被告会社に原告に対する積極的害意があることなどからすれば,単なる転職の勧誘行為を超え,社会的相当性を逸脱した違法なものである。
イ(ア) 原告狙い撃ちによる大量引抜き
1年3か月ほどの間に約40名もの者が,1つの企業から同じ業界に属する他の企業に転職するなどということは,類例のないことであり,こうした特定の同業者を狙い撃ちした本件引抜行為は,それ自体違法というべきである。
(イ) 原告が受ける打撃と被告会社の取得する利益
原告や被告会社のようなハウスメーカーの場合,商品が高額な住宅であるから,契約の受注は容易ではなく,営業社員が一人前になるまでには相当な時間をかけて訓練と経験を積む必要があるが,その場合でも一人前の営業社員となれるのはそのうちの一部でしかない。したがって,時間と費用をかけて一定の訓練と経験を積んだ営業社員は,企業にとって,①訓練と経験更には個人的な資質に裏付けられた営業社員の能力という要素に加え,②営業社員が営業活動によって獲得した顧客(契約者,契約予定者,契約見込客など)との人間関係という要素からなる財産的価値を持つ(これは,営業社員以外の従業員についても妥当する。)。企業が持つこのような利益は,不当な侵害から法的に保護されるべきものであるが,本件引抜行為によって,これらの利益が侵害された。
また,平成17年1月当時に原告町田支店に所属していた従業員14名中3名,同じく相模原支店に所属していた従業員13名中3名,同じく厚木支店に所属していた従業員16名中6名が引き抜かれるなどして,原告の営業には重大な支障が及んでいる。
したがって,原告は,本件引抜行為によって,多大な打撃を受けた。
一方,平成15年12月ころ以降,新規出店を重ねて企業規模を急速かつ大規模に拡大させてきた被告会社は,同業者である原告で一定の経験を積んだ者を採用し,原告在籍中に活動していたのと同一又は近隣の地域に配属させることで,未経験者を採用することに伴う時間と費用の無駄を省き,営業社員が保有する顧客も獲得し,営業を拡大させるという著しく大きな利益を取得している。
とりわけ,被告丙谷の後に被告会社に入社した原告の元従業員は,いずれも被告丙谷の部下や同僚であって,被告丙谷が人間性や能力などをよく知っている者たちであり,こうした人間関係を利用して本件引抜行為を行うことで,被告会社は引抜きの対象を有能な人材に絞り,新規採用に伴うリスクを回避することができ,より大きな利益を取得することができる反面,原告が被る痛手も大きなものとなる。
このように,本件引抜行為は,時間と費用をかけて従業員を育成し,顧客を拡大するという原告の法的保護を受けるべき企業努力の結果にただ乗りをし,原告の従業員(とりわけ営業社員)を多数引き抜くことによって,時間と費用をかけずに自己の企業規模の拡大を図ると共に,顧客を奪取し,これによって競争上有利な地位に立とうとするものであるから,公正な競争行為とはいえず,自由競争の範囲を逸脱したものとして違法行為というべきである。
(ウ) 虚偽の事実流布
被告丙谷は,本件引抜行為に当たり,原告の不正がメディアに取り上げられて社会的制裁を受け,原告の売上げが減退し,従業員の退職にも歯止めがかからなくなり,原告は閉鎖に追い込まれるなどという虚偽の事実を流布し,原告の全従業員に対して原告を辞めるよう呼びかけている。このような手法も本件引抜行為の違法性を基礎づけるものである。
(エ) インセンティブの付与
被告会社は,引抜きに成功した者に報酬を与え,引抜きに応じる者に歩合給の補償や支度金の支給をするなどのインセンティブを付与して,本件引抜行為を積極的に推進している。このようなやり方も,公正な競争とはいいがたく,本件引抜行為の違法性を基礎づける。
(オ) 内部情報等の利用
被告丙谷は,原告を退職するに当たり,原告貸与の携帯電話に登録されていた従業員の登録データをわざわざ自分の携帯電話にコピーするなどした上,原告従業員を通じて原告の内部情報を積極的に入手し,本件引抜行為やこれに関連する行為に利用していた。とりわけ,被告丙谷は,平成17年7月から平成18年10月にかけて,毎日1回程度以上の頻度で,原告取締役酉野P吉のIDとパスワードを使用して,原告の支店長以上の地位にある者しか閲覧することのできない原告の携帯電話サイトのマル決売上情報を閲覧するという不正アクセス行為を行っていたのであり,しかも,被告会社において被告丙谷が担当している地域と同一のエリアを管轄する原告の関東事業部(町田,八王子,相模原,厚木等)の情報を閲覧していたというのであるから,被告丙谷が本件不正アクセスによって入手した情報を,本件引抜行為や日常の業務に役立てていたことは容易に推測できる。被告丙谷が,本件不正アクセス行為という犯罪行為にまで及んでいたことは,本件引抜行為及び本件営業妨害行為の違法性を基礎づけるものである。
また,被告丙谷は,平成17年3月下旬ころ,原告関東事業部従業員の壬木F美を引き抜こうとした際,壬木に対し,本件引抜行為につき,「丙原社の将来性のことも説明している。私は,丙原社の経営企画部の時に,社長・経理部長しか閲覧権限がなかった重要な文書を閲覧することができた。だからこそ,丙原社の将来性が見えたから,声をかけている。社長と経理部長しか知らない。事業部長も多分これらの将来性を分かっていない状況なのに,どこまで本気になれるか分からない。しかし,木下工務店は,そういうところがオープンだから大丈夫だ。」などと述べて,自己が原告の中枢部署である経営企画部長の地位にあったときに知り得た情報で引抜きの対象者が知らない情報及びこれに裏付けられた影響力を利用して,会社の将来性といった本来不確実な事項についてこれを否定する断定的判断を示すだけでなく,会社の経営方針を批判するという説得方法を用いて,本件引抜行為を行っていた。このようなやり方も公正なものとはいえないことが明らかである。
(カ) 原告の従業員を利用
被告らは,平成17年8月ころから同年11月ころにかけて,当時原告に在籍していた丑葉I作(No.30)を利用して原告従業員の情報を収集し,引抜きの対象を絞り引抜行為を行うなど,本件引抜行為の中には,後に被告会社に転職する者がまだ原告に在籍している間に引抜行為を行ったものが含まれており,被告会社及び被告丙谷は,原告従業員をスパイとして利用して,引抜行為を行わせていた。
(キ) 積極的害意
被告会社は,原告の従業員を多数引き抜くことによって,被告会社が上記(イ)のような利益を取得することを目的としており,それによって,原告がそうした利益を喪失することを当然認識していたのであるから,被告会社には,原告に対する積極的な害意があるというべきである。
被告丙谷は,原告在籍中,町田支店長から関東事業部長,更に経営企画部長と破格の昇進をしたが,経営企画部長としては実績を残せなかったため,つくば支店長に二段階の降格となった。本件引抜行為は,原告の処遇に不満を持った被告丙谷が,原告に復讐する目的で行ったものである。また,被告丙谷は,本訴提起(平成17年6月8日)後に本件不正アクセスを行っていたのであって,このことからも被告丙谷の原告に対する強い害意がうかがえる。
(被告ら)
ア 原告は,被告らにいかなる害意があるというのか,また,「一連の組織的な行為」,被告丙谷が「統括者」であること,被告丙谷の被告丁沢や他の原告元従業員との「共謀」について,何ら具体的な主張立証をしておらず,原告の主張は失当というほかない。
そもそも労働者には職業選択の自由,転職の自由があることから,元の勤務先の従業員の引抜きについては,「経済活動」の一環として元の勤務先に「壊滅的な打撃」を与えない限り,あるいは単なる転職の勧誘にとどまる限り,違法とはいえないと考えられているのであり,本件においても,原告や被告会社のように建築請負業を主たる業務とする企業においては,退職者が多く,同業種間の転職も頻繁に行われているところ,被告丙谷及び被告丁沢は,元の部下らに対し,あくまでも原告を退職していたいと考えていた者に対してのみ,その相談に乗り,転職を容易にしただけであったから,違法な引抜行為があったと評価することはできないというべきである。
イ(ア) 原告には年間約400名が入社しているが,やはり年間同様の人数の者が退職しているのであって,被告会社への転職に限らず,他にも多数の転職者が出ているのであるから,それを看過して,その中の一部に過ぎない被告会社への転職だけを論難するのは失当である。従業員千数百名を擁する原告において,約1年の間に,40名ほどの従業員が退社しても,何ら影響はないというべきである。
また,転職者が,前職の経験を活かすべく,前職と同様の職種に就くことはむしろ一般的であり,これを違法視することには理由がない。
(イ) 原告は,時間と費用をかけて一定の訓練と経験を積んだ営業社員が財産的価値を持つ旨主張するが,原告の主張は従業員を会社の所有物とみなすものに他ならず,その転職の自由を否定し,基本的人権を不当に無視する議論であって失当である。なお,被告丙谷や被告丁沢を含め,原告営業社員であった者が原告から特別に営業社員としての教育訓練を受けたことはない。
また,平成17年1月当時の原告町田支店及び同厚木支店の在籍従業員数は各19名であった。
被告会社が新規出店をしていることは事実であるが,原告から転職してきた者らは,新規店舗ではなく既存の店舗に勤務しているのであるから,被告会社の事業拡大のために引き抜かれたとの原告の主張には理由がない。そして,これらの者らが勤務している営業所が,原告在籍時に勤務していた営業所と近接しているのは,単にこれらの者たちがその住所地に近い店舗に勤務しているためであるに過ぎない。また,被告丙谷を始め,原告から被告会社に転職した者が原告在籍時に担当していた顧客を被告会社に紹介したことはない。
原告は,元上司の評価を介在させることで能力の高い従業員を採用できるなどと主張するが,本件においては,被告丙谷らが選定した原告従業員を被告会社へ入社させたのではなく,あくまでも退職の意思を有する者に本人の希望により被告会社を紹介したに過ぎず,当該従業員の能力が高いかどうかは不明であったのであり,被告会社はその都度面接して,採用するに値するかどうかを見極めていたのであるから,原告の上記主張は理由がない。
(ウ) 被告丙谷が,本件引抜行為に当たり,虚偽の事実を流布したとの原告主張は否認する。
(エ) 被告丙谷その他の者に対し,原告の従業員を引き抜くことに対して被告会社から報奨金が支払われたといった事実はないし,原告で得られなかった歩合給相当額の補償をするといった事実もない。被告会社では,営業職の中途採用を行う場合に,前職での業績・経験を踏まえ,4万円を営業支援手当として支給しているに過ぎない。また,被告会社において支給される所長代理手当や特別手当なども,原告を退社した者にだけ支給されるわけではなく,被告に入社する本人の力量に応じて支給が決定されるものであって,他社からの転職者についても同様に支給されるものである。原告の主張は根拠のない憶測に基づくものに過ぎない。
(オ) 原告が被告丙谷により不正にアクセスされたと主張する「マル決売上情報」には,既に契約済みの案件が掲載されているに過ぎず,原告がそれを閲覧されたからといって何らの支障も来さないものであったし,被告丙谷が閲覧した情報を利用して原告従業員を引き抜いたとか,原告の営業を妨害したなどという事実は一切存在しない。原告が原告サイトへの不正アクセスに対して問題意識を持っていたのであれば,パスワードの変更等の方策を採ることが可能であったのに,何らそうしていないことは,原告サイトに掲載する情報を保護すべきとの認識を全く持っていなかったからであって,原告サイトを閲覧されたことによって原告に何らの損害も生じていない。結局,被告丙谷の最終処分は起訴猶予で終了しているが,これは,原告のずさんな情報管理態勢と,掲載されている情報が,社外に漏れたからといって特段原告が損害を被る類のものでなかったことから,厳正な対処は不要と判断されたためである。なお,警察は,被告会社の関与についても捜査を展開したようであるが,被告会社の関与を示す証拠は一切挙がらなかった。このように,本件と,被告丙谷の本件不正アクセスとは,何らの関係もない。
(カ) 本件引抜行為の中には,後に被告会社に転職する者がまだ原告に在籍している間に引抜行為を行ったものが含まれているとの原告主張は否認する。被告丙谷は丑葉(No.30)と直接の面識はなかったが,同人から名古屋方面で相談に乗ってもらいたい人物がいるとの連絡を受けて,申沢O作の紹介を受けたに過ぎない。そもそも申沢は,当初から転職する意思もないのに,あえて被告丙谷に接触し,同被告の発言を歪曲,ねつ造した上,被告丙谷が違法な引抜行為に従事しているとの原告主張に加担しているものと考えられる。
(キ) 原告は,被告会社が原告への害意を持って本件引抜行為を行ったなどとするが,前述のとおりいかなる害意があるというのか不明というほかない。
また,被告丙谷は,経営企画部長からつくば支店長への異動は,自ら常務取締役兼事業本部長に直訴して認められたものであるし,降格の辞令を受けたこともなく,給与水準もほぼ同様であったから,降格されたとの認識はなく,したがって,かかる処遇に不満や恨みを持つことはあり得ない。
(3) 争点3(本件営業妨害行為と違法性の有無)について
(原告)
庚崎(No.5)は,原告横浜港北支店の営業として在籍していた当時(平成16年5月20日~平成17年2月13日)の平成16年7月19日(当時の原告横浜港北支店長は被告丁沢であった。)に丁原が原告の横浜港北展示場を訪れたことを契機として,丁原夫妻と商談を進めていたが,成約に至る前の平成17年2月17日,原告を退職した。庚崎は,その後被告会社に入社し,被告丁沢が営業所長を務める被告会社新百合ヶ丘営業所に配属された。
庚崎の退職後,原告の営業担当辰下K吉が丁原夫妻との商談を進め,平成17年3月19日に本件契約が締結され,同月25日に丁原夫妻が原告に対して契約金240万円を支払うこととなった。
一方,被告丁沢と庚崎は,一連の組織的な行為である本件引抜行為及び本件営業妨害行為の統括者である被告丙谷と共謀の上,被告会社転職後,丁原夫妻に被告会社と契約をしてもらうべく営業活動を開始した。同月19日か翌20日ころ,原告が丁原夫妻と契約したとの情報を入手した被告丁沢らは,同月20日に丁原夫妻宅を訪れ,「丙原社の中のことは全部私たちには分かっているんです。」,「丙原社はいくらでも安い見積を取っておいて,後から追加,追加で大変だ。当初の金額で収まることはない。丙原社のようなヤクザ会社と契約するとえらい目に合うので即刻解約をした方がいい。」などと述べて,丁原夫妻に本件契約破棄を促した。
そこで,丁原は,同月22日,原告横浜港北支店に対し,電話で「丙原社の平米単価がおかしい。内訳について納得できない。」と告げ,同月24日,原告横浜港北支店長亥崎R雄が丁原の自宅を訪問して平米単価の内訳について説明したが,丁原は,亥崎に対して,「平米単価の内訳の記載が契約書にないから詐欺だ。」などと主張して,本件契約の白紙撤回を通告した(本件契約破棄)。
本件契約破棄に至った事情につき,丁原A子から聴取したところによると,辰下が9か月間売上げのない社員であることや,被告会社の上層部の者らが原告で建築した家に住んでいることを被告会社の者から聞いた,被告会社の横槍が入ったため丁原夫妻は本件契約を白紙撤回することにしたが,一方,家造りを依頼する会社について,被告会社は断ったとのことであった。このように,原告横浜港北支店の従業員でなければ知り得ない情報が丁原夫妻に告げられていることに加え,庚崎が丁原の営業担当であったこと,丁原A子が「被告会社は断った」と述べていたことからすると,被告丁沢や庚崎が,原告在籍中に知った原告の内部情報を丁原夫妻に漏洩すると共に,「丙原社は平米単価がおかしい。」などと告げて,丁原夫妻に本件契約破棄を決意させたものと推測される。
同業者との間で契約が成立した後にその契約者に働きかけて契約を破棄させる行為は,自由競争の範囲を逸脱する違法な行為というべきである。
(被告ら)
丁原は,庚崎が原告から転職する前の顧客であったが,庚崎の転職の事実を知らずに原告展示場を訪問し,そこで庚崎が被告会社に転職した旨を告げられたため,庚崎を訪ねて被告会社展示場へ自ら赴いたものである。したがって,被告丁沢と庚崎が,既に丁原夫妻が原告と契約済みであるとの認識を有していなかったことは明らかである。また,丁原自身,本件契約破棄の理由について,被告丁沢らが原告の悪口をいったことも一つにあるとしながらも,原告の見積書がしっかりしたものでなく原告を信用できなかったからである旨明言しているところである。さらに,丁原夫妻は,結局,被告会社と契約していないから,被告丁沢らが無理矢理原告との本件契約を解除させて被告会社と契約させたなどという事情もない。したがって,被告丁沢と庚崎が丁原夫妻宅を訪問したのは,単なる営業活動であり,原告に対する営業妨害とは評価できないというべきである。
なお,原告は,本件営業妨害行為についても被告丁沢と被告丙谷との間で共謀があったとするが,何らの具体的な根拠もなく,失当である。
(4) 争点4(損害の発生及びその額)について
(原告)
ア 本件引抜行為による損害
原告の関東エリア(平成15年度まで関東事業部が管轄していた範囲を指す。)全支店の平成15年度の売上額は,82億8663万3380円であったが,これと比べると,本件引抜行為が行われるようになった平成16年度は6億5638万7853円,平成17年度は17億2599万1555円,合計23億8239万9408円,売上高が減少している。そして,原告の売上総利益率は24.45パーセント,営業利益率は0.54パーセントであることからすると,本件引抜行為によって原告が喪失した売上総利益は5億8250万8029円,営業利益は1294万8041円となる。
また,平成6年8月から平成17年1月までの10年6か月間に本件転職者が営業として上げた売上総額は66億2427万3965円,利益総額は16億2029万7412円であって,1か月当たりの利益は1285万9503円であるところ,本件引抜行為から企業を立て直すためには少なくとも1年間は必要であるから,1年分の利益1億5431万4039円が本件引抜行為のうち営業社員の引抜きによる原告の逸失利益と見ることができる。
したがって,本件引抜行為による原告の損害額が1000万円を下ることがないことは明らかである。
イ 本件営業妨害行為による損害
原告は,丁原夫妻との間の本件契約により,請負代金2358万8963円を得るはずであったが,本件営業妨害行為を原因とする本件契約破棄により,この支払を受けられなくなった。一方で,原告は,本件契約を履行するための費用1518万3460円の支払を免れたから,結局,原告が,被告らの営業妨害行為により被った損害は,差額の840万5503円となるため,その内金として800万円の支払を求める。
(被告ら)
ア 原告は,本件引抜行為前の平成15年度の売上高と比較するとそれ以降の売上高が減少したなどとするが,仮に売上高が減少したとしても,売上高にはそのときどきの経済状況が反映するのであるから,本件転職者の存在のみにその減少の原因を求めるのは牽強付会も甚だしい。
また,原告は,本件転職者が平成6年8月から平成17年1月までの10年6か月の間に売り上げた金額の1か月当たりの平均を取り,その1年分が本件における損害である旨主張するが,上記計算は事実に基づかないばかりか,本件転職者が上記期間中に売り上げた実績を維持することができることが前提とされている点で既に破綻しているのみならず,本件転職者に代わる営業職の売上分も看過されていて不当である。転職と利益減少との間の相当因果関係は不明であって,失当というほかない。
イ 原告は,本件営業妨害行為により800万円の損害が生じたと主張するが,仮に同額の損害が発生したのだとしても,そもそも被告らが行った本件営業妨害行為の内容自体明確ではなく,違法行為と損害との間の因果関係も不明であるから,失当である。
(5) 争点5(被告ら各自の責任)について
(原告)
ア 被告丙谷は,自ら引抜行為を行っていないケースもあり,本件営業妨害行為につき直接行為を行っていないようであるが,一連の組織的な行為である本件引抜行為及び本件営業妨害行為の統括者であり,被告丁沢その他の原告元従業員と共謀の上,その一部を直接行ったのであるから,本件引抜行為及び本件営業妨害行為の全体について,民法719条1項による責任を負う。
イ 被告丁沢は,庚崎(No.5)とともに本件営業妨害行為を行っており,自ら引抜行為を行っていないケースはあるものの,本件引抜行為についても,被告丙谷その他の原告元従業員と共謀の上,その一部を直接行ったのであるから,本件営業妨害行為はもちろん,本件引抜行為の全体についても,民法719条1項による責任を負う。
ウ 被告会社は,本件引抜行為及び本件営業妨害行為を行った被告丙谷,被告丁沢,庚崎(No.5),戊原C平(No.24),戊沢(No.18),戊崎B平,申川(No.16),亥野(No.19)の使用者である。また,本件引抜行為は,被告会社の採用行為であり,本件営業妨害行為は被告会社の営業活動であるから,いずれも被告会社の事業の執行につきなされたものである。したがって,被告会社は,本件引抜行為及び本件営業妨害行為について,民法715条1項による責任を負う。
(被告ら)
前述のとおり,被告丙谷及び被告丁沢に不法行為は成立しないから,被告会社も使用者責任を負うものではない。
第3 争点に対する当裁判所の判断
1 認定事実
前記前提事実,証拠(甲1,2の1~3,3の1~43,4,8の1・2,9~15,17~20,21の1~3,22,23,25,乙1,2,6,7,丙1,証人己田R吉,同未谷N郎,同丁原W作,被告丙谷本人,同丁沢本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実を認めることができる(括弧内には主要な証拠を示す。なお,役職については,丑木則としてその当時のものを示す。)。
(1) 建築工事の請負等(木造軸組注文住宅の販売・設計・施工)を業とする株式会社である原告は,資本金1億5000万円,平成18年3月末現在の従業員数は1517名,同年10月1日時点での支店数は77店であり,北関東,東関東,関東,静岡,三河,中京の各事業部制を敷いている。原告においては,毎年数百人ずつが,入社し(その多くは中途採用者である。),また退職している。(以上につき甲23,乙1,被告丙谷本人)。
(2) 株式会社エム・シー・コーポレーション(以下「エムシー社」という。)は,平成16年9月30日,被告会社の発行済株式全部を譲り受けて被告会社を子会社とした。その後,平成18年4月1日,持株会社である株式会社木下ホールディングスが設立され,同社がエムシー社から被告会社の全株式を譲り受けた。
建築工事の請負等を業とする株式会社である被告会社の売上高は,平成16年度(4月1日から翌年3月1日まで)が148億7500万円,平成17年度が209億0800万円であった。
被告会社には,平成16年10月1日時点で404名の従業員がいたが,次のとおり従業員数は変動しており,平成18年12月31日時点での従業員数は535名(うち営業職324名)である。
平成16年10月1日~平成17年3月31日
入社 95名(全て中途採用者)
退職 134名
平成17年4月1日~平成18年3月31日
入社 281名(中途採用者265名,新卒採用者16名)
退職 186名
平成18年4月1日~平成18年12月31日
入社 251名(中途採用者127名,新卒採用者124名)
退職 176名
被告会社において個人の顧客からツーバイフォー工法,木造軸組工法での注文住宅を受注する部門である注文営業部は,10支店(東京,町田,横浜,埼玉,首都圏中央,千葉,柏,静岡,名古屋,福岡)を有し,平成18年12月31日時点での従業員数は376名である。そして,関東地域においては,南関東(東京都及び神奈川県)と北関東(埼玉県及び千葉県)のブロックに分けられ,各ブロックに支店(南関東は東京・町田・横浜・首都圏中央の各支店,北関東は埼玉・千葉・柏の各支店)を統括するエリアマネージャーが1名ずつ置かれている。
なお,町田支店は,被告丙谷が被告会社に転職するころに新規に設置されたものであり,静岡支店は平成17年9月1日に,町田支店平塚営業所,町田支店秦野営業所,静岡支店富士第1営業所はその後に開設されている。(以上につき甲4,18,丙1,被告丁沢本人)
(3) 被告丙谷は,平成7年5月6日,原告に入社した。原告在籍中,被告丙谷は,同日相模原南支店(営業担当),平成9年4月1日相模原南支店長,平成11年4月1日町田支店長,平成15年4月1日関東事業部長,平成16年1月1日経営企画部長を歴任したが,平成16年7月1日つくば支店長に降格した。
被告丁沢は,平成11年9月16日,原告に入社した。原告在籍中,被告丁沢は,同日町田支店(営業担当),平成14年4月1日瀬谷支店長,平成15年4月1日町田支店長,平成16年4月1日横浜港北支店長を歴任したが,成績不振を理由に同年10月1日町田支店(営業担当)に降格した。
上記のとおり,平成11年9月16日から平成14年3月31日までの間,原告町田支店において,被告丙谷が被告丁沢の直属の上司であり,平成15年4月1日には,被告丙谷の後任として,被告丁沢が町田支店長に着任した。
(4) 別紙転職者リスト記載のとおり,被告丙谷及び同丁沢を含む43名の者(本件転職者)が,平成17年1月20日から平成18年3月31日までの間に原告を退職し,平成17年2月1日から平成18年4月16日までの間に被告会社に入社した(各人の丙原社退職年月日,退職当時の所属部署及び職位,被告会社への入社年月日,入社当時の所属部署及び職群は,それぞれ別紙転職者リスト該当欄記載のとおり。)。
本件転職者が原告を退職した月について見ると,平成17年1月が4名,2月が10名,3月が7名,4月~6月が0名,7月が4名,8月が0名,9月が3名,10月が1名,11月が1名,12月が7名,平成18年1月が2名,2月が0名,3月が4名となっている。
なお,本件転職者43名以外にも,平成17年4月21日から平成19年2月1日までの間に,20名の者が,原告退職後,被告会社に入社している。
ア 被告丙谷と同丁沢は平成17年1月20日に,また,被告丙谷が原告町田支店長だったときの部下である戊野(No.3)と己原(No.4)は同月24日に,いずれも原告を退職して同年2月1日に被告会社に入社し,被告丙谷は町田支店長に,被告丁沢は同支店新百合ヶ丘営業所長に,戊野は同支店八王子営業所長に,己原は同支店厚木営業所長に就任した。
被告丁沢,戊野及び己原は,被告丙谷が被告会社に紹介をし,推薦文を作成するなどして採用されたものであった(被告丙谷本人)。
なお,被告丙谷は,原告を退社する以前に,被告丁沢,戊野及び己原のほか,戊原C平(No.24)と辛田(No.6)には原告を退職して被告会社に入社する旨を話していた。また,被告丙谷は,本件転職者のうち癸木H介(No.29),寅波J平(No.31),卯口(No.32),辰上(No.33),巳下(No.34),午山(No.35),未川O介(No.36),甲谷T雄(No.41),乙沢(No.42)以外の者とは面識を有していた。
イ 少なくとも,庚崎(No.5),壬岡I雄(No.7),癸井(No.8),丑木(No.9),辰口(No.12),巳上O夫(No.13),午下(No.14),未山(No.15),申川R介(No.16),酉谷(No.17),戊沢(No.18),亥野(No.19),甲川(No.20),丁野(No.23),丑葉(No.30),丙野(No.43)は,被告丙谷が面接を行って本社の人事に推薦した結果,被告会社に入社したものであった。なお,こうした面接の際,被告丙谷は,転職希望者が営業社員であれば同人がどのくらいの売上げを上げることができるのか判断するなどして,転職希望者に関する採用条件を明らかにして推薦をしており,上記の者たちを含め,被告丙谷が推薦を上げた者は全て被告会社に採用されている。
また,寅葉(No.10),卯波M平(No.11),乙谷(No.21)及び戊原C平(No.24)も,少なくとも被告丙谷が被告会社に紹介することによって被告会社に入社したものであった。
(以上につき被告丙谷本人)
ウ 被告丙谷は,平成17年6月ころ,戊原C平(No.24)から被告会社に興味を持つ者が何人か来るから被告会社の説明をするよう依頼を受けて,静岡のファミリーレストランで丙沢(No.22)や卯口(No.32)と会い,被告会社の説明をしたり採用条件の話をするなどした。なお,卯口の同年ころの年収は460万円程度であったが,被告会社での給与は,年俸制で540万円程度ということであった。(以上につき甲22,被告丙谷本人)
エ なお,本件転職者のうち,壬岡I雄(No.7),丑木(No.9),辰口(No.12),午下(No.14),未山(No.15),申川(No.16),己崎D吉(No.25),未谷(No.26),辛岡(No.27),丑葉(No.30),寅波J平(No.31),卯口(No.32),辰上(No.33),巳下(No.34),午山(No.35),未川O介(No.36)の16名は,原告を退職するに際し,転職先が被告会社であることを申告していた(甲3の1~16)。
(5) 被告丙谷は,平成17年2月9日ころ,被告丙谷がかつて原告相模原南支店長及び町田支店長時代に部下であった原告相模原支店長の辛井E雄に電話をかけて,「辛井君にも助けてもらいたいんだよね。」などと述べて被告会社への入社を勧誘したが,辛井が断ると,それ以上の勧誘はしなかった(甲10)。
(6) 被告丙谷は,平成17年2月10日ころ以降,かねて顔見知りであった原告幕張支店長の己田R吉に何度か電話をかけ,「悪いね。結果的に寅葉を引き抜いてしまって。」などと述べたほか,寅葉が原告から退職金を受領して退職できるようにうまく取り計らうよう依頼するなどし,その結果,己田は,寅葉の父親が勤務するJTに転職する旨を退職稟議書に記載した。また,被告丙谷は,己田に対し,被告会社に転職するよう勧誘し,その際,己田の場合年収840万円だが,年間24棟販売すれば1000万円を超えるなどと具体的な条件についても話をした。(以上につき甲3の24,14,証人己田)
(7) 被告丙谷は,平成17年2月23日ころ,被告丙谷がかつて原告関東事業部長時代に部下であった藤沢支店長の庚岡D夫に対し,「ところで,木下工務店に来ない。」,「エム・シー社の社長は考え方がでっかい社長なので,その下で仕事をしているので助けてくれないか。」などと述べて被告会社への入社を勧誘したが,庚岡が断ると,「給与は俺がエム・シー社の社長から一任されているんだ。木下工務店の横浜もしくは港南台の所長として来ないか。」などと述べた。
同年3月16~18日ころ,被告丙谷は,庚岡に対し,同人が八王子支店に異動になるのかと尋ねたり,もし八王子支店に異動するよういわれたら家庭の事情等を原告に告げ,それでも同支店に異動するよういわれたら,被告会社に来ればいいなどと述べた。
被告丙谷は,同月25日ころ,庚岡に対し,「万一,やる気の方向を失ったら五月末までに連絡を下さい。椅子を空けます。」などとメールをし,同年4月3日ころには,庚岡に電話をかけて食事に誘ったが,同人は断った。
庚岡が,同月中旬ころ,被告丙谷からその後の様子を尋ねるメールを受けて,充実した日々を過ごしているなどと返信したところ,それに対して被告丙谷は,「強がりはよせ,早くらくになりなさい。」と返信した。
被告丙谷は,同年5月15日ころ,庚岡に電話をかけて,「6月1日から横浜で所長の椅子を空けるので木下工務店へ来ないか。詳しい話を夜にしたい。」などと述べたが,庚岡に断られると,また何かあったら連絡するよう告げた。(以上につき甲11)
(8) 被告丙谷は,平成17年2月末ころ,かねて顔見知りであった原告関東事業部従業員の壬木F美をレストランに誘い出し,被告会社への転職を勧誘した。また,被告丙谷は,同年3月下旬ころにも壬木に電話をかけ,再度,「木下工務店の席を空けている。」などと述べて被告会社への転職を勧誘したが,壬木はこれに応じなかった。(以上につき甲13)
(9) 被告丙谷は,平成17年3月2日,原告代表者に対し,被告丙谷や同人を慕って原告を退社する社員に対して原告が退職金を支払わない等の不誠実な対応をしたり,そうした者たちを誹謗中傷するのを止めるべきこと,さもないと,今回の退職金の大量停止や欠陥工事等の原告の不祥事をマスコミを通して告発することなどを内容とするメールを送信した(甲8の1)。もっとも,同日夜になって,被告丙谷は,原告代表者に対し,失礼なメールを送ったとして謝罪するとともに,数名の者が被告丙谷を追って原告を辞めていること等がはっきりするまでいったん退職金の支給を停止するのだということを原告の甲沢部長から説明を受けて理解したが,従業員に原告の正しい説明内容が伝わるようにして欲しい旨記載したメールを送信した(甲8の2)。
(10) 被告丙谷は,平成17年3月初旬ころ,庚崎(No.5)が勤務していた原告横浜港北支店の支店長亥崎R雄に対して電話をかけたりメールを送信したりして,亥崎が退職した庚崎の給与で同支店の備品でも買うかなどと言っていたことを責めるとともに,被告丙谷が庚崎とともに上記給与を取りに行くなどと告げた(甲15,乙1)。
(11) 原告は,平成17年3月19日,丁原夫妻と,請負代金2358万8963円で本件契約を締結した。丁原夫妻と原告は,翌20日,契約金240万円の入金日を同月25日とすることで合意した。
一方,同日ころ,同年2月13日に原告を退職するまでは原告横浜港北支店で丁原夫妻の営業担当であった庚崎(No.5,被告会社入社後は町田支店新百合ヶ丘営業所営業スタッフ)とその上司である被告丁沢は,丁原夫妻に対し,同人らが原告と契約を締結したことを知っている旨告げ,本件契約につき,安く見積りをとっておいて後からどんどん追加が来る,こんなところ(原告)に頼んだらえらいことになるなどと述べて原告との契約を解約するよう勧めるとともに,原告よりも安くするから被告会社と契約をするよう勧誘するなどした。
そこで,丁原夫妻は,同月24日ころまでに,原告に対し,本件契約を解約する旨告げた(本件契約破棄)。もっとも,丁原夫妻は,被告会社とも契約をせず,結局別のハウスメーカーと契約して自宅を建築した。
なお,原告は,平成18年になってから,丁原夫妻に対し,横浜地方裁判所に損害賠償請求訴訟を提起した。(以上につき甲15,20,証人丁原)
(12) 被告丙谷は,平成17年7月9日ころ,かつて被告丙谷が原告町田支店長時代の部下であった原告厚木支店建築キャップの癸葉G郎に自ら電話をかけたりメールを送信し,また,同日,戊沢(No.18)や亥野(No.19)を通じて連絡を乞うたため,癸葉が亥野に電話をかけると,亥野は癸葉を被告会社に勧誘するような言辞を述べたが,癸葉は断った(甲19,乙1)。
(13) 申川(No.16)は,被告会社入社後の平成17年7月13日ころ,原告平塚支店長の未谷N郎に対して電話をかけて,「未谷ちゃん,来ないよね。」などと述べて,被告会社への入社を勧誘したが,未谷は断った(甲4)。
(14) 原告八事支店長の申沢O作は,同じ三河事業部に属する岡崎南支店長の丑葉(No.30)に転職の相談などをしていたが,丑葉や,平成17年8月8日に被告会社に入社していた戊原C平(No.24)の取り計らい等もあって,平成17年10月~11月ころ,原告岡崎南支店の営業社員2名とともに神奈川県内の被告会社展示場を見学し,同所で被告丙谷と会ったり,また,履歴書を被告丙谷が支店長をしていた被告会社町田支店に送付するなどしたが,結局,被告会社には入社しなかった(甲18,乙1,被告丙谷本人)。
(15) 被告丙谷は,平成18年4月1日,被告会社南関東エリアマネージャーに昇進した。
(16) 被告丙谷は,本訴が提起された平成17年6月8日よりも後である同年7月ないし8月ころから,原告サイトの全ての項目が閲覧できる権限を有する原告常務取締役事業本部長酉野P吉のIDとパスワードを同人の承諾なく使用して,概ね1日1回程度の頻度で,原告サイトの「マル決売上情報」を閲覧していた(本件不正アクセス)。
携帯電話からインターネットを通じて閲覧することができる原告サイトは,原告の役員及び従業員のうちでも原告が閲覧権限(ID及びパスワード)を付与した者のみが閲覧できるように管理運営されている。IDは,8桁の社員番号であり,パスワードは当該社員に貸与している携帯電話の下8桁の数字であるところ(ただし,変更は可能。),原告の社員番号と貸与している携帯電話の番号は,原告のLAN上に全従業員のものが掲載されているため,原告従業員であれば,誰でも閲覧可能である。
原告サイトには,「FAN」,「マル決売上情報(契約に関する情報)」,「連絡先一覧」,「日報確認」という情報項目がある。このうち「FAN」では,建築工事物件ごとの工事日程や配送工程を,支店長及び支店の建築業務を管轄する責任者である建築キャップらが確認できるが,支店長は自支店の物件に関する情報のみを,建築キャップは自分が担当する物件の情報のみを閲覧することができる。
社長その他の役員,事業本部付,販売企画部,建築推進部,事業部長らが閲覧権限を有する「マル決売上情報」では,原告の支店別の売上本数・金額,顧客名,営業社員ごとの売上高等が表記される。したがって,これを閲覧することで,支店や営業社員ごとの営業成績の優劣が判明する。なお,閲覧権限を有しない者が原告サイトにアクセスした場合には,そもそも「マル決売上情報」の項目自体が表示されないようになっている。
その後,被告丙谷は,平成19年2月27日,平成18年9月上旬から10月上旬にかけて,28回にわたり,上記のようにして原告サイトに不正に接続したとして,不正アクセス行為の禁止等に関する法律違反の疑いで,浜松中央警察署に逮捕され,引き続き勾留された。被告丙谷は,上記被疑事実を認めており,同年3月9日付で,起訴猶予となった。
(17) 被告丙谷は,本件不正アクセスによって逮捕・勾留されたこと等によって,平成19年4月1日付で,横浜支店長に降格した(被告丙谷本人)。
(18) 原告の,平成12年度~16年度までの関東エリア(年度により13~18支店)の年間の売上高及び営業社員1人当たりの売上高の推移は,次のとおりとなる(甲17)(上段に売上高を,下段に営業社員1人当たりの売上高を示す。円未満切り捨て。)。
平成12年度 69億8399万5789円(営業社員78人)
8953万8407円
平成13年度 73億0669万5348円(営業社員102人)
7163万4268円
平成14年度 80億9898万9714円(営業社員96人)
8436万4476円
平成15年度 82億8663万3380円(営業社員144人)
5754万6065円
平成16年度 76億3024万5527円(営業社員146人)
5226万1955円
また,原告の平成16年度の総売上高は445億8953万5791円,営業利益は2億4234万0543円,売上総利益は109億0244万5891円,売上総利益率は24.45パーセント,営業利益率は0.54パーセントであった(甲9)。
(算式)
売上総利益率=売上総利益/売上高
=10,902,445,891円/44,589,535,791円
≒0.2445
営業利益率=営業利益/売上高=242,340,543円/44,589,535,791円≒0.0054
2 被告らは,被告丙谷が,辛井,己田,庚岡,壬木及び癸葉などの原告従業員に対して引抜行為を行ったことはない旨主張しており,上記のような者たちに対して一切の勧誘行為があったことすら否認しているようであり,被告丙谷も,辛井,己田,庚岡,壬木及び癸葉に対する前記のような勧誘行為はなかった旨を述べる(乙1,被告丙谷本人)。
しかしながら,前記認定部分に係る辛井らの供述等(甲10,11,13,14,19,証人己田)は,いずれも,時期や被告丙谷が取った連絡方法やその際にしたとされる発言の内容について具体的なものであって,被告丙谷も,原告退職後に上記の者たちに連絡を取ったことなどについては認める供述をしていること等からすれば,前記のとおり認定することができるものというべきである。
その他,前記認定を覆すに足りる証拠はない。
3 争点1(被告丙谷及び同丁沢による本件引抜行為の有無)について
(1) 前記認定事実に基づき検討するに,被告丙谷と同丁沢が平成17年1月20日に,戊野(No.3)及び己原(No.4)が同月24日に,原告を退職して同年2月1日に被告会社に入社し,被告丙谷が町田支店長に,被告丁沢らがその傘下の営業所長に就任しているが,かつて被告丙谷の部下であった被告丁沢ら3名は,いずれも被告丙谷が被告会社に推薦をした結果,採用されたものである。
したがって,被告丙谷の勧誘があって被告丁沢ら3名が原告を退職し,被告会社に入社するに至ったものであることは容易に推認される。
また,被告丙谷は,元の部下ないし同僚である被告丁沢,戊野,己原,辛田(No.6),戊原C平(No.24),寅葉(No.10),卯波M平(No.11),午下(No.14),未山(No.15),戊沢(No.18),亥野(No.19),乙谷(No.21)からは被告丙谷の後に付いて,壬岡I雄(No.7)からは先に原告を退職した元の上司である戊崎B平の後に付いて,丑木(No.9)と辰口(No.12)からは元の上司である己原の後に付いて,酉谷(No.17)と甲川(No.20)からは元の上司である戊沢の後に付いて,いずれも原告を退職して被告会社に入社したいとの要望を受けたなどと供述し(乙1,被告丙谷本人),被告丁沢は,庚崎(No.5)が被告丁沢の後に付いて被告会社に入社したいと望んでいたなどと供述しているところ(被告丁沢本人),これらの者たちは,その上司ないしは同僚が原告を退職して被告会社に入社した後に,実際に被告会社に入社している。さらに,被告丙谷は,上記以外の者も,既に原告から被告会社に転職した者とのつながりで被告会社に転職したものである旨供述しているところである(被告丙谷本人)。
これらからすれば,被告丙谷が被告丁沢,戊野,己原や戊沢らを被告会社に勧誘して入社させ,次いでこうした者たちが元の部下などを勧誘した結果,それらの者たちも被告会社に入社するに至ったのであろうことがうかがわれる。
そして,本件転職者43名が被告丙谷らの入社を皮切りに約1年3か月のうちに原告から被告会社に転職していること,被告丙谷がそのうちの9名を除く者と面識を有していたこと,本件転職者の多くの者が,被告丙谷の推薦を受けるなどした結果被告会社に入社しているところ,そのなかには寅葉(No.10)や卯波M平(No.11)など被告丙谷が支店長を務める町田支店の管轄外の支店に配属された者も含まれていること,被告丙谷と面識のなかった卯口(No.32)の入社に際しても,平成17年6月ころに後に被告会社静岡支店長となる戊原C平(No.24)からの依頼でわざわざ被告丙谷が被告会社の説明や採用条件等の話をしに行っていること,卯口以外で被告丙谷と面識がなかった者は,乙沢U郎(No.42)を除きいずれも被告会社静岡支店傘下に配属されていること(乙沢も原告での所属部署は静岡県内である浜松西支店であった。)が認められることに加え,さらに,被告丙谷が,原告従業員らに対し具体的なポストを提示したり給与は一任されていると述べるなどして被告会社への入社を勧誘しており,被告丙谷が一応の採用条件を定めていたこと,被告丙谷が推薦した者は全て被告会社に採用されていることからすれば,本件転職者が被告会社に入社するに関し,被告丙谷は,その全てに関与しており,少なくとも原告から被告会社に入社する者に関しては,全て被告丙谷がその採否を事実上・実質的に決定する権限を有していたものと推認するのが相当である。
その他,寅葉や庚崎が円滑に原告を退職して被告会社に入社できるよう,原告代表者等に対しても働きかけをしていることなども含め,上記の諸事情を総合考慮すると,被告丙谷は,自らが勧誘して被告会社に入社させた者たちと意を通じ,そうした者たちにも別の原告従業員を勧誘させるといった方法で,No.2~42の者たちにつき,本件引抜行為を行っていたものと認められるものというべきである。もっとも,丙野(No.43)については,原告を平成17年9月4日に退職しながら平成18年4月1日に被告会社に入社していることからして,その間,他に就職していたものとうかがわれるから,原告から引き抜かれたものと直ちには認めがたいというべきである。
(2) 被告らは,被告丙谷を除く本件転職者らは,いずれも被告丙谷もしくは既に被告会社に入社していた者を慕って被告会社に入社したに過ぎず,何らの勧誘行為もなかったかの主張をし,被告丙谷も,もっぱら原告を退職しないよう慰留に努めていたなどと供述する。
しかしながら,被告らの上記主張は転職の動機につき云々するに過ぎないものであり,仮に被告丙谷や先に被告会社に入社していた者を慕って転職するといった場合であっても,そこに何らの勧誘行為もないということは考えがたい上,被告丙谷やその他の者も実際に勧誘行為を行っていたことは前記認定から明らかであることからしても,被告らのこの点の主張は採用できない。
4 争点2(本件引抜行為の違法性の有無)について
(1) そもそも会社に雇用された従業員には職業選択の自由があるから自由に転職することができ,そうした従業員に対し転職の勧誘を行い引抜行為を行うことも原則として自由に許されるというべきであるが,それが,在籍する従業員との間の雇用契約に基づく債権等,従業員が引き抜かれる会社の利益を侵害しうるものでもあることからすると,引抜行為の手段,態様,方法等において社会的相当性を逸脱したものと評しうる場合には,当該引抜行為が違法性を帯び,不法行為を構成することもありうるものと解するのが相当である。
(2) そこで,原告が主張する諸事情につき,順次検討する。
ア まず,原告狙い撃ちによる大量引抜きだとの点については,確かに約1年3か月のうちに,原告から被告会社に43名が転職しているところではあるが,原告においても年間に数百人単位の退職者と中途採用者があることからすれば人数的に殊更多いとまではいいがたい。本件転職者の原告退職時期については,当初平成17年1月20日から同年3月31日までの2か月余りの間に計21名の者が原告から被告会社に転職してはいるものの,比較的分散しているといえ,月別の退職者数も平成17年2月が10人であるのが最多であり,その他は各月せいぜい数名程度ずつにとどまっているものである。
イ 本件引抜行為がなされることによって原告が受ける打撃と被告会社の取得する利益については,原告は,顧客との人間関係も有する原告が育成した人材を転職させること自体が不当であるかの主張をするが,そうした人材を在職させ続けられるかどうかは本来原告の企業努力に係らしむるべきものであって,同業への転職自体を否定するような上記主張には与し得ない。また,原告からの転職者が出れば原告に一定の損失を生じ得るとは考えられるものの,原告の営業に重大な支障が生じたとする点については,その具体的内容は証拠上判然としない。
ウ 虚偽の事実流布があったとの点については,これを認めるに足りる証拠がない(なお,原告は,インターネットの匿名掲示板に被告丙谷が投稿しているとして甲7を提出するが,そこに記載の書き込みが被告丙谷のものであるとまで断ずべき根拠は認めがたい。)。
エ インセンティブの付与があったとの点については,引抜きに成功した者に報酬を与えたり,引抜きに応じる者に歩合給の補償等をおこなうといった行為がたとえあったとしても,それが自由競争の範囲を逸脱することになるとは必ずしもいいがたいところであるが,証拠(丙2,4の1~8など)に照らすと,そもそもそうした行為があったとは認めるに足りないというべきである。
また,原告は,本件引抜行為が計画的かつ秘密裏に行われたものである旨主張しているところ,確かに,まず新設の町田支店長に就任する被告丙谷やその傘下の営業所長となる被告丁沢,戊野(No.3),己原(No.4)が,次いで,多くは町田支店傘下の営業所に勤務すべき者たちが原告を退職しており,しかも,当初2か月余りのうちに21名の者が原告から被告会社に転職しているものであることなどからすれば,ある程度の計画性がうかがわれるところではあるし,引抜行為というものの性質上も,ある程度の秘密性を持って実行されていたものと考えられる。しかしながら,壬岡I雄(No.7)や丑木(No.9)など比較的早期に原告を退職した者たちの中にも転職先が被告会社であることを原告に申告していた者もいることや,同年2月9日ころ以降も被告丙谷が漸次原告従業員に対し被告会社への勧誘を行っているがその態様は前記1(5)~(8)のようなものにとどまっていたことなどからすれば,周到かつ綿密に計画され密行されたものとまではいえないと解される。
オ 内部情報等の利用があったとの点については,まず,原告貸与の携帯電話に登録されていた従業員の登録データを被告丙谷が自分の携帯電話にコピーしたことは,証拠上,これが原告の就業規則等により禁止されていたとも認められないことなどからしても,直ちに不当であるとはいいがたい。
また,被告丙谷が経営企画部長の地位にあったときに知り得た情報で引抜きの対象者が知らない情報等を利用したとする点については,壬木や己田が述べるところ(甲13,証人己田)は非常に漠然としたものにとどまっており,仮にそうした被告丙谷の発言があったのだとしても,それをして特に原告の一般従業員では知り得ない具体的なデータを挙げて本件引抜行為を行ったものといえるわけではないから,原告の内部情報を利用した社会的に不相当なものとまでは認めがたい。
一方,本件不正アクセスについては,犯罪行為であるから,これを利用した引抜行為は社会的相当性を著しく逸脱するものというべきであるが,被告丙谷は,自身を除く本件転職者の営業能力などを元にして一応の採用条件を定めていたところ,平成17年7月ないし8月ころから概ね1日1回程度という高い頻度で,支店や営業社員ごとの営業成績の優劣が分かる原告サイトの「マル決売上情報」を閲覧していたこと,被告丙谷と面識のない本件転職者がいずれも平成17年12月以降に被告会社に入社していること等からすれば,少なくとも本件不正アクセスの主たる目的は,本件引抜行為のために利用することにあったものと推認するのが相当である。
これに対し,被告丙谷は,興味本位で見ていたに過ぎないといった趣旨の供述をするが,上記のとおり長期間にわたり高頻度で閲覧していたことに照らしても到底信用できない。
カ 原告の従業員を利用したとの点については,前記認定事実によれば,戊原C平(No.24)が原告在籍中である平成17年6月ころ,被告丙谷に丙沢(No.22)や卯口(No.32)を引き合わせたり,丑葉(No.30)が原告在籍中に,被告会社への転職を希望した申沢らに対し,その転職の実現のためにしかるべく取り計らったりした事実が認められるが,戊原らのこうした行為は,原告の就業規則等で禁じられているような場合であれば格別,そのような事情が認められない本件においては,必ずしも不当と断ずべき理由はないというべきである。
キ 積極的害意があったとの点について,原告は,被告丙谷が,原告在籍中に経営企画部長からつくば支店長に降格されたことを不満に思って原告に復讐するために本件引抜行為を行ったものだと主張する。しかしながら,被告丙谷が原告を潰すつもりであると戊原(No.7)から聞いた旨の庚岡の供述(甲11)や被告丙谷の復讐劇が始まると被告丁沢から聞いた旨の辰下の供述(甲26)はいずれも伝聞に過ぎず,被告丙谷が「亥崎君に意地悪をしているんではない。丙原社に意地悪をしているんだ。」と述べたとする亥崎の供述(甲15)は,仮にそのような発言があったのだとしても,そもそもいかなる文脈でそのような発言がなされたのかすら不明である。原告千葉北支店長であった乙野S郎が,平成17年1月17日に,不動産会社に転職する旨述べていた被告丙谷に対して「人をいっぱい連れて行かないですよね。」と尋ねると,被告丙谷が「俺にそんな甲斐性はないよ。俺はヤクザもんだから,やられたらやり返す。」旨述べたとする供述(甲12)についても,被告丙谷の供述部分は相矛盾するような内容であるし,漠然としたものに過ぎない。
かえって,証人己田の供述では,つくば支店への降格後,不満等を漏らすことはなく,せいぜい平成16年12月ころから,多少,事業部長や社長に対する愚痴や不満が聞かれるようになった程度であったというのであり,亥崎を被告会社に誘わなかったのは,亥崎が原告横浜港北支店長で順調だからと被告丙谷が述べていたとか(甲15),食事をともにする程度の間柄であった乙野F郎に対しては被告会社への勧誘をしていない(甲12参照)など,闇雲に原告の従業員を勧誘しているというわけでもない。さらに,被告丙谷は,こうした復讐の意図があることを否定していること,被告丙谷のした勧誘方法も,何が何でも原告を退職させて被告会社に入社させようと行った態様によるものではなく,むしろ,よければ被告会社に来ないかといった程度のものにとどまっていることなども併せ考えると,被告丙谷に上記のような復讐の意図があったと認めるには足りないというべきである。
また,原告は,被告丙谷が本訴提起後に本件不正アクセスを行っていたことからも同被告の強い害意がうかがえるとするが,被告丙谷がそうした行為を行った事実が必ずしも同被告の害意に直結するといえるものでもない。
さらに,被告丙谷が,たとえ本件引抜行為によって被告会社が利益を得る反面,原告が損害を被ることを認識していたからといって,それのみで被告丙谷が積極的な害意を有することを基礎付けるということもできない。
そして,こうした諸事情を併せ考慮しても,やはり,被告丙谷に原告に対する積極的な害意があったと認めるに足りないものというべきである。
(3) このように,本件引抜行為が一斉かつ大量の引抜行為であるとまではいいがたく,これにより原告の営業に重大な支障が出たとか,被告丙谷に原告に対する積極的な害意があったとまでは認められないこと,本件引抜行為の手段,態様,方法等が前記の程度にとどまっていたことからすると,本件不正アクセスが行われるより前の本件引抜行為については,不法行為を構成するとまでは断じがたい。
しかしながら,本件不正アクセスが開始された遅くとも平成17年8月以降の本件引抜行為(対象者はNo.26~42)については,社会的相当性を著しく逸脱したものとして違法性を帯び,本件不正アクセスを行った当人である被告丙谷については不法行為が成立するものというべきである。
一方,被告丁沢ら被告丙谷以外の者が,被告丙谷の本件不正アクセスを認識していた,ないしは認識し得たと認めるに足りる証拠はないから,被告丁沢ら被告丙谷以外の者に不法行為が成立するということはできないと解される。
5 争点3(本件営業妨害行為とその違法性の有無)について
前記認定のとおり,被告丁沢と庚崎(No.5)(以下,両名のことを「被告丁沢ら」という。)は,既に丁原夫妻が原告と本件契約を締結済みであることを知りながら,丁原夫妻に対し,原告に頼んだらえらいことになるなどと告げて,丁原夫妻をして本件契約を一方的に解約せしめている。したがって,被告丁沢らは,原告と丁原夫妻との契約関係に違法に介入して本件契約破棄に至らしめた(原告の営業を妨害した)ものというべきであるから,被告丁沢らに不法行為が成立することは明らかである。
一方,原告は,被告丙谷が一連の組織的な行為である本件引抜行為及び本件営業妨害行為の統括者であるとして,被告丙谷も上記行為につき被告丁沢らと共謀をしている旨の主張をする。しかしながら,前述のとおり,本件引抜行為についてすら被告丙谷に積極的な害意があるとまでは認められないことに照らしても,本件引抜行為と本件営業妨害行為が一連の組織的な行為であるとは認められないし,他に被告丙谷と被告丁沢らが本件営業妨害行為につき共謀していたと認めるに足りる証拠はないから,この点の原告の主張は失当である。
6 争点4(損害の発生及びその額)について
(1) まず,本件不正アクセス開始後の前記17名(No.26~42)についての本件引抜行為により,原告に損害が生じたことは明らかというべきであるが,かかる損害は,その性質上,その額を立証することが極めて困難であると認められる。
そこで,民訴法248条により,弁論の全趣旨及び本件における全証拠調べの結果とこれにより認定できる事実に基づき,700万円を相当な損害額と認める。
(2) 次に,被告丁沢らが行った本件営業妨害行為による損害については,原告は,被告丁沢らに対し,本件契約による得べかりし利益に,本件契約破棄までの間に原告が支出した費用を加えたものを損害として賠償請求することができるものと解するのが相当である。
そこで検討するに,上記得べかりし利益の額については,これを直接証する証拠が提出されていない以上(甲27は売上総利益に関するものであるから,上記得べかりし利益の根拠としては相当でないと解する。),営業利益率を用いて算出するほかないが,平成16年度の原告の営業利益率は,前記認定のとおり0.54パーセントとなるから,これを本件契約における請負金額(2358万8963円)に乗じると,12万7380円(円未満切り捨て)となる。
(算式)
本件契約の営業利益額=請負金額×営業利益率=23,588,963円×0.54%≒127,380円
一方,上記原告が支出した費用については,これを認めるに足りる的確な証拠がない。
したがって,本件営業妨害行為による損害額としては,12万7380円を認めるのが相当である。
7 争点5(被告ら各自の責任)について
(1) 被告丙谷は,本件不正アクセス開始後の前記17名(No.26~42)についての本件引抜行為につき不法行為が成立するから,前記6(1)のとおり700万円の損害賠償義務を負う。
なお,遅延損害金の起算日については,上記17名の者に対する本件引抜行為については一連の不法行為と解し得るところ,上記17名の者のうち最後に原告を退職した者である午山(No.35)らが退職した平成18年3月31日までには上記全損害が発生したものと認められるから,遅延損害金の起算日は同日とするのが相当である。
(2) 被告丁沢は,本件営業妨害行為につき不法行為が成立するから,前記6(2)のとおり12万7380円の損害賠償義務を負う。遅延損害金の起算日については,遅くとも平成17年3月24日までには丁原夫妻は本件契約を解除し,本件営業妨害行為による損害が発生したものと認められるから,同日とするのが相当である。
(3) 被告会社は,被告丙谷及び同丁沢の使用者であり,上記(1)(2)の各行為が被告会社の事業の執行につきなされたものであることは明らかであるから,民法715条1項により,上記(1)の行為については被告丙谷と連帯して700万円の,上記(2)の行為については被告丁沢と連帯して12万7380円の,それぞれ損害賠償義務を負う。各遅延損害金については,上記(1)(2)のとおりとなる。
第4 結論
以上のとおり,原告の本件引抜行為に関する不法行為に基づく請求は,被告丙谷及び被告会社に対して,連帯して損害賠償金700万円及びこれに対する不法行為の日である平成18年3月31日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
また,原告の本件営業妨害行為に関する不法行為に基づく請求は,被告丁沢及び被告会社に対して,連帯して損害賠償金12万7380円及びこれに対する不法行為の日である平成17年3月24日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判官 三井大有)
〈以下省略〉
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