「営業アウトソーシング」に関する裁判例(10)平成30年 2月14日 東京地裁 平27(ワ)33449号 損害賠償請求事件
「営業アウトソーシング」に関する裁判例(10)平成30年 2月14日 東京地裁 平27(ワ)33449号 損害賠償請求事件
裁判年月日 平成30年 2月14日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平27(ワ)33449号
事件名 損害賠償請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2018WLJPCA02148014
要旨
◆被告会社の従業員であった原告が、被告会社に対し、同社が原告に長時間労働をさせたこと等により、うつ病又は適応障害を発症したと主張して、労働契約上の債務不履行(安全配慮義務違反)に基づき、損害賠償を求めた事案において、原告に発症した本件疾病がうつ病又は適応障害であると認めることはできないが、パニック障害である可能性が高いほか、社会不安障害、身体表現性障害及び混合性不安抑うつ障害の可能性は否定できないとし、また、原告の時間外労働時間を認定した上で、認定基準の定めを踏まえて本件疾病は業務に起因して発症したものと認める一方、原告がその健康を害する危険のある長時間労働等をしているという労働実態があり、被告会社がこれを認識し、又は認識し得たということはできないから、同社に本件発症に至ることについて予見可能性があったとは認められないと判断し、同社が適正な人員配置をする義務又は労働時間を適正に管理する義務を怠ったとはいえないとして、請求を棄却した事例
参照条文
民法415条
労働契約法5条
裁判年月日 平成30年 2月14日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平27(ワ)33449号
事件名 損害賠償請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2018WLJPCA02148014
東京都江東区〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 波多野進
同 三浦直子
東京都港区〈以下省略〉
被告 Y株式会社
同代表者代表取締役 A
同訴訟代理人弁護士 宗敏啓
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告に対し,1178万2773円及びうち990万4261円に対する平成27年3月18日(催告の日の翌日)から,うち187万8512円に対する平成29年5月9日(平成29年4月18日付け訂正申立書の送達の日の翌日)から支払済みまで各年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は,被告の従業員であった原告が,被告に対し,被告が原告に長時間労働をさせたこと等により,うつ病又は適応障害を発症したと主張して,労働契約上の債務不履行(安全配慮義務違反)に基づき,損害賠償及びこれに対する民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 争いのない事実等(争いのない事実,掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) 当事者
ア 原告は,平成19年10月1日から被告に雇用され,平成25年8月31日,被告を退職した者である。なお,原告は,平成23年3月に結婚しており,旧姓はBである。
イ 被告は,経営コンサルティング,テクノロジーサービス及びアウトソーシングサービスを主たる事業内容とする株式会社である。
被告においては,依頼事案ごとにプロジェクトが組まれ,被告の従業員は,そのプロジェクトの一員となって仕事を行い,一つのプロジェクトが終了すれば次のプロジェクトに加わることになるが,次のプロジェクトまでに期間がある場合には被告社内での営業部門の業務(提案書作成など)に加わることとされていた。
(2) 原告の担当業務及びその人員配置
原告は,被告のコンサルティング部門である「△△担当」に配属されていたが,平成21年3月から,証券業界における新規事業を立ち上げるプロジェクト(以下「本件プロジェクト」という。)の進行管理,予算管理及び部門間調整等の管理業務(以下「本件業務」という。)に従事することになった。原告は,従前,現行のシステムを拡大したり,その内容を追加したりするというプロジェクトに関与したことはあったが,本件プロジェクトのような新規プロジェクトの立ち上げには関与したことがなかった。また,本件プロジェクトの予算は46億円,管理対象のチームリーダーは30名,管理対象の新規導入システムは5つ,プロジェクトメンバーは100人以上,関連国は日本,シンガポール,アメリカ及びイギリスであり,原告が被告において関与したことのあるプロジェクトの中では最大のものであった。
本件業務は,同年3月から6月までの間は,原告の上司である訴外C(以下「C」という。)と原告によって行われていたが,同年7月には,Cに代わり,訴外D(以下「D」という。)が,同年8月には,Dに代わり,訴外E(以下「E」という。)が,それぞれ原告の上司として本件業務に配属された。なお,C及びEは,従前,被告において通信メディア及びハイテク業の会社の担当をしていた者であり,本件業務に配属されるまで証券業の会社の担当をしたことはなかった。
(3) 原告は,同年5月23日(土曜日),駅の階段を駆け上がって電車に乗ったところ,動悸及び息苦しさが生じ(以下「本件発作」という。),救急車で搬送された(乙11の1)。
(4) 同年3月から同年5月までの勤怠システム上の時間外労働時間
被告においては,「○○」という名称の勤怠システム(以下「本件システム」という。)が用いられており,従業員自身が,本件システムに業務時間を入力し,その入力内容が時間外労働をすることについての承認者である上司に送信されることになっていた(甲12ないし甲14及び弁論の全趣旨)。
同年3月から同年5月までの本件システム上の原告の時間外労働時間は,以下のとおりであった。
ア 同年3月 0時間
イ 同年4月 15時間
ウ 同年5月 30時間
(5) 保健師との面談
原告は,同年12月24日,被告の健康推進室の保健師と任意面談を行い,体調不良を訴えたところ(弁論の全趣旨),同保健師は,そのまま就労を継続させるのは困難であると判断し,原告に対し,上司と相談してなるべく早く休職するよう助言するととともに,被告の人事を担当する部署に対し,原告がなるべく早く休職することができるようにサポートをするよう依頼した。
(6) 原告の1回目の休職
原告は,以下のとおり,休暇を取得し,あるいは休職をした(以下「休職①」という。)。
ア 平成22年1月18日(月曜日)から同年2月18日(木曜日)まで
全日(計17日分)又は半日(計6回。3日分)の私傷病休暇(有給)を合計20日分。
イ 同月19日(金曜日)から同月26日(金曜日)まで
年次有給休暇を合計6日分。
ウ 同年3月1日(月曜日)から同年7月25日(日曜日)まで
傷病休職(無給)を合計120日分。
(7) 産業医による面談
被告の産業医は,同年3月26日,同年4月26日及び同年5月25日に原告と面談を行い,原告に対し,定時内勤務を週5日間安定して就労することができる状態に回復するまで焦らずに治療するように助言した。
また,原告が復職を希望したことから,被告の産業医は,その可否を判断するため,同年7月8日に面談を行ったところ,同日時点における原告の主治医の意見が時短勤務での復職は可能であるというものにとどまったことを踏まえ,原告の復職を認めなかった。
被告の産業医は,同月20日,原告と面談を行い,同日時点における原告の主治医の意見が定時内の勤務であればフルタイムの復職も可能であるというものであったことに加え,原告の休職前の症状がほぼ消失したこと,復職のためのリハビリも順調に実施されていてその間症状の再燃がないこと及び原告の復職の意欲が充分なことを踏まえ,復職を可能と判断した。
(8) 原告の復職
原告は,同月26日,被告に復職したが(以下「本件復職」という。),産業医の指示により,復職後1ヶ月間は,定時内勤務限定とされ,深夜及び休日シフト勤務は禁止とされた。
(9) 本件復職後の産業医による面談と就労制限
ア 本件復職後の産業医による面談
被告の産業医は,同年8月24日,同年10月5日,同年11月2日,同年12月9日,平成23年1月20日及び同年2月24日,原告の本件復職後のフォローアップを目的とする面談を行った。
イ 就労制限
被告の産業医は,原告の健康状態を踏まえながら,以下のような就労制限を指示した。なお,平成23年2月下旬からは,就労制限は,全て解除された。
(ア) 平成22年8月
定時内勤務のみ許可。
(イ) 同年9月から同年11月まで
時間外労働を月間30時間以内に制限(深夜勤務・休日勤務は不可)。
(ウ) 同年12月から平成23年1月下旬まで
時間外労働を月45時間まで許可(深夜勤務・休日勤務は禁止)。
(エ) 同年1月下旬から同年2月下旬
時間外労働に関する時間制限は解除。深夜勤務及び休日勤務は禁止。
(10) 平成22年9月から平成23年7月までの本件システム上の時間外労働時間
平成22年9月から平成23年7月までの原告の本件システム上の時間外労働時間は,以下のとおりであった。
ア 平成22年9月 0時間
イ 同年10月 16.5時間
ウ 同年11月 18時間
エ 同年12月 18.5時間
オ 平成23年1月 17時間
カ 同年2月 24時間
キ 同年3月 17時間
ク 同年4月 18時間
ケ 同年5月 15時間
コ 同年6月 23時間
サ 同年7月 0時間
(11) 原告の体調不良
原告は,同年6月22日,動悸を訴えて内科を受診し,同月29日及び同月30日,心電図等の検査を受けた(同年7月6日に出された診断結果によると,異常は見つからなかった。)。また,原告は,同月1日,動悸,手足の痙攣及び呼吸困難等により,救急車で病院に搬送された。
(12) 産業医による休職指示
被告の産業医は,同月8日,原告と面談をした結果,原告に休養が必要であると判断した。産業医は,原告が仕事の引継ぎをしてから療養に入りたい旨の希望を述べたため,勤務期間を最長2週間とすること及び午前中のみの勤務とすることを条件として,引継ぎのための勤務を許可した。
(13) 原告の2回目の休職
原告は,同月22日(金曜日)までは,年次有給休暇を時間単位で利用しながら仕事の引継ぎを行い,同月25日(月曜日)から被告を退職する平成25年8月31日までの間,以下のとおり,休暇を取得し,あるいは休職をした(以下「休職②」という。)。なお,この間,被告の産業医は,平成23年8月25日,同年12月1日,平成24年2月2日及び同年3月26日に原告と面談をした。
ア 平成23年7月25日(月曜日)から同年8月10日(木曜日)まで
年次有給休暇
イ 同月11日(木曜日),同月12日(金曜日)及び同月15日(月曜日)
結婚休暇(有給)
ウ 同月16日(火曜日)から同年9月30日(金曜日)まで
私傷病休暇
エ 同年10月3日(月曜日)から平成24年5月21日(月曜日)
傷病休職
オ 同年5月22日(火曜日)から同年8月29日(水曜日)まで
産前産後休業(なお,原告は,同年○月○日に子を出産した。)
カ 同年8月30日(木曜日)から平成25年8月31日(土曜日)まで
育児休業
3 争点及びこれに関する当事者の主張
(1) 原告が平成21年5月下旬頃に発症した疾病(以下「本件疾病」といい,本件疾病の発症を「本件発症」という。)が業務に起因して発症したものか否か(争点1)
(原告の主張)
ア 原告がうつ病又は適応障害を発症したこと
(ア) うつ病は,精神的ストレスや身体的ストレスが重なることなど,様々な理由から脳の機能障害が起きている状態であり,抑うつ感,不安感,緊張感,疲労感,動悸及び不眠などの症状を呈するものであるところ,原告は,平成21年5月下旬頃,本件発作を生じ,不安,緊張,抑うつ及び睡眠障害に効能があるとされる薬剤の処方や,不眠状態を改善させるための薬剤の処方を受けていたことから明らかなように,うつ病の一般的症状が出現していたものであるから,その頃,うつ病を発症したものである。
(イ) 適応障害は,ストレスによって引き起こされる情緒面や行動面の症状で,社会的機能が著しく障害されている状態であり,抑うつ気分,不安,怒り,焦り及び緊張などの情緒面の症状や,不安が強く緊張が高まると,どきどきしたり,汗をかいたり,めまいがしたりするなどの身体面の症状を呈するものであるところ,原告には,上記(ア)記載のとおり,抑うつ感,不安感,緊張感,疲労感,動悸及び不眠などの症状が出現していたから,仮に,原告が,うつ病を発症していなかったとしても,少なくとも,発症原因及び症状がうつ病と類似している適応障害を発症していたものというべきである。
イ 本件発症の業務起因性
(ア) 過大な本件業務への配転及び不適切な人員配置
本件業務は,証券業に関する大規模な本件プロジェクトの管理業務であり,要件(本件プロジェクトに必要な業務の内容をまとめたもの)の管理も含まれること等から,その担当者には,顧客の業務及び金融に関する知識が要求される上,被告は本件業務の顧客(以下「本件顧客」という。)に対して,担当者1人当たり数百万円(月額)の報酬を請求しているのであるから,本件業務の担当者には,単なる機械的な管理のみならず,相応のサービスを提供することが求められる。
それにもかかわらず,原告の上司は,本件業務に従事するまで証券業の会社の担当をしたことがなかったため,原告は,未経験の分野である本件業務に従事するに際し,知識経験のある上司から支援を受けられる状況にはなく,自ら金融に関する単語の意味を調べる必要があった。また,Cは,被告を退職する予定であったことから,本件顧客からの業務依頼は,本件業務に継続して従事することが予想された原告に集中した。このように,原告の業務量及び心理的負担は,同年3月17日から未経験の分野の本件業務に従事することによって増大した。
(イ) 長時間労働
原告は,本件発症前の3か月間(同年2月28日から同年5月28日までの間)において,別紙1記載のとおり,長時間労働をしていた。
別紙1記載の時間外労働時間の算定は,以下の方法によって行ったものである。なお,原告は,上司から,経費削減のため,実際の労働時間より短い労働時間を本件システムに入力するように指示されており,過少な労働時間の申告を強いられていたから,本件システム上の労働時間は,実際の労働時間と乖離したものである。
① 始業時刻
原告は,8時50分頃,東京都千代田区大手町に所在する本件顧客のオフィスに出勤し,業務を開始していた。
そこで,始業時刻を8時50分とした。
② 終業時刻
原告は,業務終了後に業務報告をメールで送信するように被告から指示を受けていたが,本件顧客のオフィスにはパソコンを持ち込むことが許可されていなかったため,当時,東京都品川区東品川に所在した原告の自宅に帰宅してから直ちに業務報告を作成して上司にメールで送信していた。
そこで,業務報告のメールの送信時刻の30分(本件顧客のオフィスと当時の原告の自宅との間の通勤時間)前を終業時刻とした(なお,業務報告のメールが存在しない日は,終業時刻を23時30分と推定した。)。
③ 同年3月12日について
原告は,同日,業務を徹夜ですることを余儀なくされたため,終業時刻を「32:20」とした。
(ウ) 本件疾病は,前記(ア)及び(イ)記載の状況の下で発症したものであって,被告における過重業務や業務ストレスによって発症したものであるから,本件疾病は,業務に起因して発症したものである。なお,本件疾病が,うつ病,適応障害,パニック障害,不安障害又は混合性不安抑うつ障害のいずれであったとしても,労働災害の認定基準においては,同一の枠組みで業務起因性の有無が判断されているのであって,いずれの精神障害も過重業務や業務ストレスによって発症し得るものであるから,本件疾病が業務に起因して発症したものであることに変わりはない。
(被告の主張)
原告が,同年5月下旬頃,うつ病又は適応障害を発症したこと,被告が本件顧客に対して担当者1人当たり数百万円(月額)の報酬を請求していること,原告の上司が労働時間を過少申告するように原告に指示したこと及び別紙1記載の時間外労働があったことは否認し,原告が金融に関する単語の意味等を調べざるを得なかったこと及び原告に本件顧客からの業務依頼が集中したことは知らず,主張は争う。
ア 原告が発症した疾病について
(ア) 「ICD-10 精神および行動の障害 臨床記述と診断ガイドライン」における診断基準に照らすと,原告は,うつ病の診断基準を満たしていたとはいえず,同月下旬頃にうつ病を発症した旨の医師の診断書も存在しない。したがって,原告が,当時,うつ病を発症したものとはいえない。
(イ) 原告が,同月下旬頃,適応障害を発症した旨の医師の診断書は存在しない。したがって,原告が,当時,適応障害を発症したものとはいえない。
(ウ) 同月下旬頃の原告の主要な症状は,動悸や息切れであって,不安や抑うつ状態は副次的な症状であったというべきであるし,かかる不安や抑うつ状態は,パニック発作の再発に対する不安及びそれに関する抑うつ状態であったものというべきであり,本件疾病は,パニック障害又は社会不安障害及び心身症であったと考えられる。
イ 本件発症の業務起因性について
(ア) 本件業務への配転及び人員配置について
本件業務は,プロジェクトの管理業務であるところ,管理業務は,顧客の業種がいかなるものであるかによってその業務内容が大きく変わるものではないから,原告の上司がその責任を果たせず,それ故に原告の負担が増大したことはないというべきである。
(イ) 原告の労働時間について
被告は,従業員に対し,本件システムに正確な労働時間を入力するように指示していたこと,本件システムは上司その他の第三者による改ざんができない仕組みになっていること等から,本件システム上の労働時間は,概ね正確に実際の労働時間を反映しているものというべきであり,原告の主張は事実に反するものである。
なお,原告が,帰宅して食事や入浴等をしてから業務報告のメールの送信を行っていた可能性があるから,業務報告のメールの送信時刻を基準に終業時刻を算定することはできないというべきである。
(ウ) したがって,原告の主張は,前提を欠くものというべきであって,本件疾病は,被告の業務に起因して発症したものではない。
なお,精神障害には,長時間労働が原因とされるものや,極端な心的ストレスが原因とされるもの,性別,家庭環境,離別体験及び遺伝等の個体側の要因の影響が大きいとされるものなど,精神障害ごとに発症原因が異なるものというべきであるから,本件疾病が,うつ病,適応障害,パニック障害,不安障害及び混合性不安抑うつ障害のいずれであったとしても,本件発症が業務に起因するものであることに変わりはないという原告の主張は,暴論というべきである(例えば,原告を診察した医師が指摘する「パニック障害」や「社会不安障害及び心身症」が,長時間労働によって生じたものであるとは経験則上考え難い。)。
(2) 被告が,適正な人員配置をする義務又は労働時間を適正に管理する義務(安全配慮義務)を怠ったか否か(争点2)
(原告の主張)
ア 予見可能性があったこと
被告は,原告に対し,労働契約に付随する信義則上の義務として,原告に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し,業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して原告の心身の健康を損なうことがないように配慮する義務(安全配慮義務)を負っている。
そして,その安全配慮義務発生の前提となる予見可能性は,労働者の心身の健康を害する危険のある長時間労働等を当該労働者が行っているという労働実態を認識又は認識し得べきであれば肯定されるものというべきであり,特定の疾患の発症を予見することまでは要求されないものというべきである。
この点,原告は,前記(1)(原告の主張)記載のとおり,平均して概ね月100時間前後の時間外労働を行っていたものであるところ,上司に対し,ほぼ毎日,業務報告のメールを送信しており,上司は原告の過重な業務(長時間労働)を認識又は認識し得たものであるから,被告には,労働者の心身の健康に対する安全配慮義務発生の前提となる予見可能性があったものというべきである。
イ 被告による結果回避義務違反
(ア) 本件業務は,前記(1)(原告の主張)イ(ア)記載のとおり,大規模かつ本件顧客からの要求度が高い本件プロジェクトの管理業務であり,かつ,原告にとっては未経験の分野の業務であったから,被告は,原告を本件業務に従事させるに際し,知識経験のある上司から支援を受けられるように適切に人員の配置をすべき義務があったにもかかわらず,金融業について知識経験のない上司と原告の合計2名を本件業務に配置するのみで,適切な人員配置をせず,その義務を怠った。
(イ) また,被告は,個々の労働者の疲労の蓄積状況及び労働密度等を適切に管理し,健康障害の恐れのある労働者に対しては,その状態に応じて,労働時間の短縮,深夜勤務の制限等の勤務軽減措置及び作業の転換等の措置等,健康保持のための適切な措置を講じなければならず(労働安全衛生法62条,66条,65条の5及び66条の7ないし9),具体的には,原告に対して,以下の①ないし③の措置をとる義務を負っていたにもかかわらず,その義務を怠った。
① 時間外労働を1か月当たり45時間以下とするよう適切な労働時間管理に努めること
② 1か月当たり45時間を超える時間外労働を原告にさせた場合には,原告に関する労働時間や深夜業の回数等の情報を産業医に提供し,その助言指導を受けること
③ 月100時間を超える時間外労働又は2か月ないし6か月の1か月平均の時間外労働を80時間を超えて原告に行わせた場合には,上記②の措置に加え,原告に産業医等の面談による保健指導を受けさせること
(被告の主張)
被告が,従業員に対して安全配慮義務を負うという一般論は認め,原告が別紙1記載の時間外労働をしたことは否認し,主張は争う。
ア 予見可能性がなかったこと
仮に,別紙1記載の時間外労働が存在したとしても,原告が自ら労働時間を入力した本件システム上は,かかる時間外労働が反映されていなかったことから,被告は,かかる原告の時間外労働の存在を認識ができなかったものである。
被告が原告の体調不良を知り得たのは,早くても,原告が保健師と任意面談を行った平成21年12月24日であり,原告の体調に照らして何らかの配慮が必要な状態にあることを知ることができなかった。
したがって,本件においては,結果回避義務発生の前提となる予見可能性が存在しなかったものというべきである。
イ 結果回避義務違反がなかったこと
原告は,本件業務に従事した時点において,被告に入社して1年半しか経過していなかったものであるから,そもそも,原告にとっては,ほとんどの業界及び業務が初めての経験であったというべきであるし,証券業界のプロジェクトの管理業務だからといって,他の業界のプロジェクトの管理業務に従事する場合に比べてその負担が大きいということはない。また,原告の上司は,いずれも入社10年ほどのベテラン社員であって,原告に対して適切な支援をする体勢は整えられていた。
したがって,被告は,原告の本件業務への配転及び人員配置について何ら義務を怠っていない。
(3) 被告による安全配慮義務違反と休職②との間に因果関係があるか否か(争点3)
(原告の主張)
本件復職は,復職できる程度に本件疾病の症状が改善したことを示すにとどまり,本件疾病が完治したことを示すものではない。原告は,本件復職後も本件疾病の治療を継続しており,一時,症状が改善した時期があったものの,平成23年6月22日にその症状が再燃して,本件休職②に至ったものである。
したがって,前記(2)(原告の主張)記載の被告による安全配慮義務違反と休職②との間には,因果関係がある。
(被告の主張)
否認ないし争う。
原告は,定期的に通院していた南青山メンタルクリニックの医師に対し,平成22年11月28日,「少し調子が悪いです。」と述べていたものの,同年12月19日,「『落ち込み』『不安』は在りません。『動悸』『息切れ』も今の所はないです。まあまあ調子が良いです。」,平成23年1月16日,「仕事が安定して,前より気分も安定しています。電車は苦手ですが,気分が悪く成ることは無いです。」及び「まあまあ調子が良いです。」とそれぞれ述べるに至り,その病状が改善して,同日,一旦治療を中断し,同年7月7日までの約半年間,同クリニックに通院していなかったものである。また,原告は,産業医に対して,平成22年12月9日には,「体調は安定している。以前のような動悸や息苦しさは起こらなくなった。睡眠も十分にとれている。7時間 就寝12時,起床7時。スムースな起床である。欠勤もなし。」と,平成23年1月20日には,「調子は良い。安定している。睡眠も問題なくとれている。」とそれぞれ述べていた。さらに,原告は,同年6月に動悸の症状が現れた際,南青山メンタルクリニックではなく,まず,別の病院の内科を受診しており,その症状が本件疾病の再燃であると原告自身が認識していなかったことは明らかである。そうすると,休職②の理由が,本件疾病の再燃であったものとはいえない。
したがって,前記(2)(原告の主張)記載の被告による安全配慮義務違反と休職②との間には,因果関係がない。
(4) 原告に生じた損害の有無及びその金額(争点4)
(原告の主張)
原告は,被告の安全配慮義務違反により,以下の損害を被った。
ア 治療費及び通院のための交通費
原告は,平成21年6月14日から平成24年10月3日までの間,本件疾病の治療のために通院する必要があったため,別紙2記載のとおり,その治療費として3万9000円及び通院のための交通費として2万5546円(合計6万4546円)を要した。
イ 休職①における休業損害
休職①における休業損害は,以下のとおり,473万9328円である。
(計算式)
2万3936円(休職②の直前3か月間の平均賃金を基準にして算出した日額)×125日(平成22年1月18日から同年7月25日まで)=299万2000円
ウ 休職②における休業損害
休職②における休業損害は,以下のとおり,1108万2368円である。
(計算式)
2万3936円(休職②の直前3か月間の平均賃金を基準にして算出した日額)×463日(平成23年7月23日から平成25年6月3日まで)=1108万2368円
エ 控除
原告は,休職①の期間について,192万7611円の傷病手当金を受領したことから,前記イ記載の休業損害からこれを控除する。また,原告は,休職②の期間について,休業補償として318万8646円を,出産手当金として144万0891円を,育児休業給付金として193万1850円をそれぞれ受領したことから(合計656万1387円),前記ウ記載の休業損害からこれらを控除する。
オ 通院慰謝料
上記ア記載の通院期間に照らすと,通院慰謝料としては,220万円が相当である。
カ 慰謝料
原告は,被告における過重な労働によってうつ病を発症したものであり,被告の安全配慮義務違反の違法性が交通事故に比して著しく大きいことに照らすと,被告による安全配慮義務違反によって原告に生じた慰謝料は,200万円を下らない。
なお,本件発症後及び休職②の際の被告の対応の悪さ等は,事後の事情とはいえ,慰謝料の算定において斟酌されるべきものである。
(被告の主張)
否認ないし争う。
原告が主張する治療費は,診断書発行費用(3000円×13回)のようであるが,本件発症との相当因果関係が不明である。
また,原告が平成22年1月18日から同年2月18日までの間に取得した私傷病休暇は,被告の就業規則に基づき,年次有給休暇とは別に付与される有給の休暇であり,原告はその間の給与全額の支給を受けていたものであるし,かかる私傷病休暇は,私傷病による通院又は入院をした場合に,1年間に1か月を上限として被告の承認によって付与されるものであって,本件発症がなければ,別の機会に利用できるという性質の休暇ではないから,少なくともかかる期間における休業損害は発生していない。
さらに,原告は,平成24年5月22日から同年8月29日までは産前産後休業を,同月30日から平成25年8月31日までは育児休業をそれぞれ取得していたものであるところ,かかる休業は,本件疾病ではなく,原告の出産及び育児のために取得されたものというべきであるから,かかる期間における原告の休業は,被告の安全配慮義務と因果関係を欠くものというべきである。
(5) 損益相殺をすべきか否か(争点5)
(被告の主張)
原告は,労災保険から休業特別支給金として94万7826円を受領しているから,これに相当する金額の損益相殺がされるべきである。
なお,休業特別支給金は,被災労働者の療養生活の援護等によりその福祉を増進させるためのものであって,被災労働者の損害を補填する性質のものではないから,その給付をもって,損害からの控除が認められないとされているが,かかる議論が当てはまるのは,被災労働者の傷病が業務に起因した労働災害である場合に限られるものというべきであるところ,本件疾病は,前記(1)(被告の主張)記載のとおり,業務に起因するものではないから,損益相殺がされるべきである。
(原告の主張)
争う。
第3 当裁判所の判断
1 争点1(本件疾病が業務に起因して発症したものか否か)について
(1) 本件疾患の病名について
平成24年10月4日付け南青山メンタルクリニック医師の意見書(乙8。以下「本件意見書」という。)には,原告が平成21年5月31日頃,パニック障害を,それ以前にうつ病を発症しており,その頃,うつ病を発症したと診断するに至った根拠は,抑うつ感,不安感及び不眠の出現と憎悪,発症の数か月前から仕事が多忙で疲労感及び抑うつ感がみられていることである旨の記載がある。
しかし,ICD-10においては,少なくとも軽症うつ病エピソードである旨の確定診断をするには,「抑うつ気分」,「興味と喜びの喪失」及び「易疲労性」のうち少なくとも2つの症状があり,かつ,「集中力と注意力の減退」,「自己評価と自信の低下」,「罪悪感と無価値観」,「将来に対する希望のない悲観的な見方」,「自傷あるいは自殺の観念や行為」,「睡眠障害」及び「食欲不振」のうち少なくとも2つの症状が存在し,それら全体の最短の持続期間が約2週間であることを要するとされているのであって(乙12),本件意見書においてうつ病と診断した根拠として挙げる「抑うつ感」,「不安感」及び「不眠」の出現及び憎悪だけでは,上記軽度うつ病エピソードの診断基準すら満たしていないといわざるを得ない。また,同クリニックの平成21年6月14日のカルテには,原告の症状として「不安」,「緊張感」及び「対人恐怖」との記載があるにとどまっており(乙11の1),その記載からは,同日の時点において,原告が上記軽症うつ病エピソードの診断基準を満たしていたものとは認められない上,同クリニックの医師は,同日には,原告がパニック障害である旨の診断を(乙11の1),平成22年2月12日には,原告が社会不安障害及び心身症である旨の診断を(乙1),それぞれしており,原告がうつ病である旨の診断をしていなかったことが認められる。さらに,平成21年11月30日に原告を診察した銀座山﨑メンタルクリニックの医師は,転職が多いなど原告の資質や進路葛藤に病因があるなどとして,同年6月頃に身体表現性障害を発症した旨の診断をし(乙7),平成22年4月8日に原告を診察したはたの林間クリニックの医師は,うつ病エピソードと診断するほどうつ病の主症状やその他の症状を満たさず,また重症でないなどとして,原告が平成21年4月頃に混合性不安抑うつ障害を発症した旨の診断をしており(乙6),いずれも原告が同年5月下旬頃にうつ病を発症した旨の診断をしていないことが認められる。
また,証拠(乙18の2)によれば,原告にソラナックスが処方されていたことが認められるが,これは,広く心身症における身体症状並びに不安,緊張,抑うつ及び睡眠障害において処方されるものであり(甲29),その他,うつ病にのみ適用のある薬剤が処方されたことを認めるに足りる証拠もない。
したがって,本件意見書をもって,本件疾病がうつ病であったと認めることはできず,その他,本件疾病がうつ病であったことを認めるに足りる証拠はない。むしろ,上記各医師の診断内容に加え,実際に,原告が突然本件発作を生じさせたこと,不安の症状が見られること,電車に乗ることで動悸及び息苦しさが現われること(乙18の2)が認められるところ,これらは,パニック症状のサイン及び症状としてあげられているものであり(甲32),本件疾病がパニック障害である可能性が高いというべきである。ただし,他の診断をしている医師もいることから,社会不安障害,身体表現性障害及び混合性抑うつ障害の可能性は否定できない。
なお,原告は,本件疾病がうつ病でないとしても,適応障害である旨主張するが,原告を診察した医師が,原告が適応障害である旨の診断をしたことはなく,他に本件疾病が適応障害であったことを認めるに足りる証拠はないから,この点に関する原告の主張を採用することはできない。
(2) 時間外労働時間について
ア 始業時刻について
始業時刻が,原告主張の別紙1記載のとおりであることについては,争いがない。
イ 終業時刻について
原告は,本件システム上の労働時間は,労働時間の実態とは乖離しており,実際には別紙1記載の時間外労働があった旨主張する。
確かに,本件システム上における業務終了時刻が,平成21年4月7日,同月8日及び同月14日は,いずれも18時,同月17日は19時,同月21日は20時とされているところ(乙2の3・4),原告が作成した業務報告メールの記載によれば,上記各日の会議の終了時刻は,同月7日,同月14日及び同月17日はいずれも20時,同月8日は19時,同月21日は21時30分と認められること(甲6)に照らすと,本件システム上の上記業務終了時刻は,いずれも実際の労働時間を反映したものとはいえない。したがって,本件システムが実際の労働時間をほぼ正確に反映したものである旨の被告の主張を採用することはできない。
一方で,原告は,上司が当日の業務報告を待っていることから,帰宅してから直ちに業務報告メールの作成を開始して上司に送信していた旨主張し,それに沿う原告の供述(甲40及び原告本人)がある。確かに,証拠(甲45)によれば,原告が同年5月25日23時33分に上司に業務報告メールを送信したことに対し,同月26日1時4分に上司からの返信があったことが認められる。しかし,一般に帰宅してから業務を行う前に着替え,夕食の準備,食事及び入浴などをすることは十分あり得る上,原告は,いずれも金曜日である同年4月24日,同年5月1日,同月8日,同月15日及び同月22日分の業務報告については,帰宅後直ちに業務報告をせず,2日ないし3日後に業務報告のメールを送信していること(甲6),また,原告からの業務報告のメールに必ず上司からの返信があるわけではなく,上司からの返信は月に3,4回程度であったこと(原告本人)に照らすと,業務報告を上司が待っていることから,常に帰宅後直ちに業務報告メールの作成を開始して上司に送信していた旨の上記原告の供述を採用することはできない。この点,原告本人は,翌日が平日の場合の業務報告については,なるべく早く業務報告をしてほしい旨の指示があった一方で,金曜日分の業務報告については,一度も上司からクレームがなかったことから,週明けの月曜日の勤務時間前までに業務報告を送信すれば足りると認識していた旨供述するが,翌日が平日であるときに限り,帰宅後直ちに業務報告をしなければならない合理的理由はうかがわれないから,この点に関する原告の供述を採用することはできない。
そこで,改めて原告の退社時刻について検討するに,原告本人は,本件業務に従事していた期間のうち,忙しくて業務終了時刻がより遅かったのは,Eとともに本件業務に従事していた同年9月又は同年11月頃であった旨供述しているところ,Eは,21時から22時に退社していたが,原告はそれより前に退社していた旨供述していることに照らすと(甲34),原告の退社時刻は,原則として遅くとも22時前後であったと認めるのが相当である。なお,同年7月に原告とともに本件業務に従事していたDは,22時に退社することが多く,原告はそれより遅い時間に退社することが多かった旨供述するが(甲35),Dが本件業務に従事していた期間は約1か月間にとどまる上,上記Dの供述は,Dが退社した後に,原告が22時過ぎ頃に退社していたことを否定するものとはいえないから,この点は上記判断を左右するものではない。
そして,自宅において業務報告メールを作成するのに要する時間は,当日の会議の概要,当日及び翌日の作業内容を記載するという業務報告の内容とその分量に照らすと(甲6),平均して約30分と認めるのが相当である。そうすると,原告の業務終了時刻は,原則として,22時30分と認められる。ただし,22時より前に自宅から業務報告メールを送信している日については,その送信時刻から通勤時間30分を控除した時刻を業務終了時刻と認め,また,同年4月24日,同年5月1日,同月8日,同月15日及び同月22日分の業務報告については,上記のとおり,当日に業務報告のメールをしていなかったことから,各日については,その退社時間である22時を業務終了時刻と認め,各日分の業務報告メールを送信した日である同月3日,同月11日,及び同月17日に業務報告メールを作成するのに要した時間として30分の労働時間を計上するのが相当である。
また,証拠(甲42及び甲48)によれば,同年2月23日から同年3月11日までの各日の別紙3の「終業時刻」欄記載の時刻に原告がメールを送信したことが認められるところ,かかるメールは,被告社内又は業務先から送信したものであることが認められるから(甲40及び原告本人),各日については,そのメールの送信時刻を終業時刻と認めるのが相当である。
さらに,原告は,同月12日は,徹夜で業務をした旨主張し,それに沿う供述をするところ(甲40及び原告本人),原告は,同日,今日は帰ることができないと思う旨のメールを当時同居していた現在の夫に送信していたこと(甲48)に照らすと,この点に関する原告の供述は信用することができる。したがって,別紙3の同月12日の欄記載の時間外労働があったものと認められる。
そうすると,原告の時間外労働時間は,別紙3の「時間外労働時間」欄記載のとおりと認められる。
(3) 本件疾病の業務起因性について
ア 厚生労働省労働基準局長が,平成23年12月26日,都道府県労働局長に対して発出した「心理的負荷による精神障害認定基準について」(以下「認定基準」という。)には,対象疾病(ICD-10第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類される精神障害であって,器質性のもの及び有害物質に起因するものを除く。)を発症していること(以下「要件A」という。),対象疾病の発症前おおむね6か月の間に,業務による強い心理的負荷が認められること(以下「要件B」という。),業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発症したとは認められないこと(以下「要件C」という。)という要件をいずれも満たす場合に,業務上の疾病として取り扱う旨が定められている(甲22)。
そして,認定基準には,要件Bの判断について下記の定めがある(甲22)。
記
「2 業務による心理的負荷の強度の判断
上記第2の認定要件のうち,2の『対象疾病の発症前おおむね6か月の間に,業務による強い心理的負荷が認められること』とは,対象疾病の発病前おおむね6か月の間に業務による出来事があり,当該出来事及びその後の状況による心理的負荷が,客観的に対象疾病を発症させるおそれのある強い心理的負荷であると認められることをいう。
このため,業務による心理的負荷の強度の判断に当たっては,精神障害発病前おおむね6か月の間に,対象疾病の発病に関与したと考えられる業務によるどのような出来事があり,また,その後の状況がどのようなものであったのかを具体的に把握し,それらによる心理的負荷の強度はどの程度であるかについて,別表1『業務による心理的負荷評価表』(以下『別表1』という。)を指標として『強』,『中』,『弱』の三段階に区分する。
なお,別表1においては,業務による強い心理的負荷が認められるものを心理的負荷の総合評価が『強』と表記し,業務による強い心理的負荷が認められないものを『中』又は『弱』と表記している。『弱』は日常的に経験するものであって一般的に弱い心理的負荷しか認められないもの,『中』は経験の頻度は様々であって『弱』よりは心理的負荷があるものの強い心理的負荷とは認められないものをいう。
具体的には次のとおり判断し,総合評価が『強』と判断される場合には,上記第2の2の認定要件を満たすものとする。
(1) 『特別な出来事』に該当する出来事がある場合
発病前おおむね6か月の間に,別表1の『特別な出来事』に該当する業務による出来事が認められた場合には,心理的負荷の総合評価を『強』と判断する。
(2) 『特別な出来事』に該当する出来事がない場合
(略)
(3) 出来事が複数ある場合の全体評価
対象疾病の発病に関与する業務による出来事が複数ある場合の心理的負荷の程度は,次のように全体的に評価する。
ア 上記(1)及び(2)によりそれぞれの出来事について総合評価を行い,いずれかの出来事が『強』の評価となる場合は,業務による心理的負荷を『強』と判断する。
イ いずれの出来事でも単独では『強』の評価とならない場合には,それらの複数の出来事について,関連して生じているのか,関連なく生じているのかを判断した上で,
① 出来事が関連して生じている場合には,その全体を一つの出来事として評価することとし,原則として最初の出来事を『具体的出来事』として別表1に当てはめ,関連して生じた各出来事は出来事後の状況とみなす方法により,その全体評価を行う。
具体的には,『中』である出来事があり,それに関連する別の出来事(それ単独では『中』の評価)が生じた場合には,後発の出来事は先発の出来事の出来事後の状況とみなし,当該後発の出来事の内容,程度により『強』又は『中』として全体を評価する。
② 一つの出来事のほかに,それとは関連しない他の出来事が生じている場合には,主としてそれらの出来事の数,各出来事の内容(心理的負荷の強弱),各出来事の時間的な近接の程度を元に,その全体的な心理的負荷を評価する。
具体的には,単独の出来事の心理的負荷が『中』である出来事が複数生じている場合には,全体評価は『中』又は『強』となる。また,『中』の出来事が一つあるほかには『弱』の出来事しかない場合には原則として全体評価も『中』であり,『弱』の出来事が複数生じている場合には原則として全体評価も『弱』となる。
(4) 時間外労働時間数の評価
別表1には,時間外労働時間数(週40時間を超える労働時間数をいう。以下同じ。)を指標とする基準を次のとおり示しているので,長時間労働が認められる場合にはこれにより判断する。
なお,業務による強い心理的負荷は,長時間労働だけでなく,仕事の失敗,役割・地位の変化や対人関係等,様々な出来事及びその後の状況によっても生じることから,この時間外労働時間数の基準に至らない場合にも,時間数のみにとらわれることなく,上記(1)から(3)により心理的負荷の強度を適切に判断する。
ア 極度の長時間労働による評価
極度の長時間労働は,心身の極度の疲弊,消耗を来し,うつ病等の原因となることから,発病日から起算した直前の1か月間におおむね160時間を超える時間外労働を行った場合等には,当該極度の長時間労働に従事したことのみで心理的負荷の総合評価を『強』とする。
イ 長時間労働の『出来事』としての評価
長時間労働以外に特段の出来事が存在しない場合には,長時間労働それ自体を『出来事』とし,新たに設けた『1か月に80時間以上の時間外労働を行った(項目16)』という『具体的出来事』に当てはめて心理的負荷を評価する。
項目16の平均的な心理的負荷の強度は『Ⅱ』であるが,発病日から起算した直前の2か月間に1月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行い,その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった場合等には,心理的負荷の総合評価を『強』とする。項目16では,『仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった(項目15)』と異なり,労働時間数がそれ以前と比べて増加していることは必要な条件ではない。
なお,他の出来事がある場合には,時間外労働の状況は下記ウによる総合評価において評価されることから,原則として項目16では評価しない。ただし,項目16で『強』と判断できる場合には,他に出来事が存在しても,この項目でも評価し,全体評価を『強』とする。
ウ 恒常的長時間労働が認められる場合の総合評価
出来事に対処するために生じた長時間労働は,心身の疲労を増加させ,ストレス対応能力を低下させる要因となることや,長時間労働が続く中で発生した出来事の心理的負荷はより強くなることから,出来事自体の心理的負荷と恒常的な長時間労働(月100時間程度となる時間外労働)を関連させて総合評価を行う。
具体的には,『中』程度と判断される出来事の後に恒常的な長時間労働が認められる場合等には,心理的負荷の総合評価を『強』とする。
なお,出来事の前の恒常的な長時間労働の評価期間は,発病前おおむね6か月の間とする。
(5) 出来事の評価の留意事項
(略)」
また,認定基準の「別表1」には,以下の内容の定めがある(甲22)。
① 仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった(項目15)
ⅰ 「強」になる例
仕事量が著しく増加して時間外労働も大幅に増える(倍以上に増加し,1月当たりおおむね100時間以上となる)などの状況になり,その後の業務に多大な労力を費した(休憩・休日を確保するのが困難なほどの状態となった等を含む)。
過去に経験したことが無い仕事内容に変更となり,常時緊張を強いられる状態となった。
ⅱ 「中」である例
担当業務内容の変更,取引量の急増等により,仕事内容,仕事量の大きな変化(時間外労働時間量としてはおおむね20時間以上増加し1月当たりおおむね45時間以上となるなど)が生じた。
ⅲ 「弱」になる例
仕事内容の変化が容易に対応できるもの(※会議・研修等の参加の強制,職場のOA化の進展,部下の増加,同一事業場内の所属部署の統廃合,担当外業務としての非正規職員の教育等)であり,変化後の業務の負荷が大きくなかった。
仕事量(時間外労働時間数等)に,「中」に至らない程度の変化があった。
② 1か月に80時間以上の時間外労働を行った(項目16)
ⅰ 「強」になる例
発病直前の連続した2か月間に,1月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行い,その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった。
発病直前の連続した3か月間に,1月当たりおおむね100時間以上の時間外労働を行い,その業務内容が通常その程度の労働時間を要するものであった。
ⅱ 「中」である例
1か月に80時間以上の時間外労働を行った。
ⅲ 「弱」になる例
1か月に80時間未満の時間外労働を行った。
イ 認定基準が,医師が参加して行われた精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会での10回にわたる検討結果を踏まえて定められたものであるという経緯及びその内容に照らすと(甲21及び甲22),合理性があるものと認められ,本件疾病を含む精神障害の業務起因性の判断をするにおいてもその合理性を否定する事情は特にないことから,本件疾病の業務起因性の判断についても認定基準の定めを踏まえて検討するのが相当である。
そこで,以下,認定基準における定めを踏まえて,本件疾病が業務に起因して発症したものであるか否かについて検討する。
(ア) まず,本件疾病の病名の可能性のあるもののうち,パニック障害,社会不安障害,身体表現性障害及び混合性不安抑うつ障害は,いずれも,対象疾病に当たるものと認められる(甲8,乙1,乙6及び乙7)から,要件Aを満たすものというべきである。
(イ) 次に,要件Bについて検討する。
証拠(甲4)によれば,原告が,平成21年3月17日及び同月16日に本件顧客のインタビューをしたところ,そのままそのプロジェクトに行くことになり,プロジェクトが同月18日に開始する予定である旨のメールを送信したことが認められるから,原告が,本件業務に従事し始めたのは,同月17日であると認められる。そして,原告は,前記第2の2(2)記載のとおり,本件プロジェクトのような新規プロジェクトの立ち上げには関与したことがなく,また,証券業の会社の担当をしたことがなかったことに照らすと,担当業務内容の変更があったものというべきである。そして,同年2月17日から同年3月16日までの1月当たりの時間外労働時間は,54時間07分であったところ(なお,別紙3に記載のない同年2月16日から同月22日までの間の時間外労働時間については,原告は,時間外労働をした旨の主張をしておらず,被告においても,その点を争わないものと考えられるから,0時間であったと認めるのが相当である。),本件業務への従事を開始した同年3月17日から同年4月16日までの1月当たりの時間外労働時間は,56時間03分,同年4月17日から同年5月16日までの1月当たりの時間外労働時間は,74時間03分と労働時間が増加し,本件業務を開始した2か月目には,本件業務開始前の時間外労働に比べ,時間外労働時間が,約20時間増加し,1月当たり概ね45時間以上を超えた場合に当たるから,本件業務への配転が認定基準の別表1における項目15に該当する出来事であったものと認められ,その心理的負荷の程度は,「中」であると認められる。
そこで,認定基準2の(3)イ①を踏まえて検討するに,前記(2)記載のとおり,本件発症1か月前の時間外労働時間は,78時間37分,本件発症2か月前の時間外労働時間は,75時間03分であり,その心理的負荷の程度としては,厳密にみれば「中」に至らない程度というべきである。しかし,本件プロジェクトの内容は,前記第2の2(2)記載のとおりであるところ,このような大規模のプロジェクトに初めて関与し,かつ,経験したことのない分野の業種に関するものであり,本件業務への配転は少なくとも原告の主観としては強い負担感を伴うものであった上(原告本人),上記原告の時間外労働時間の増加は,従前担当したことのない業界の管理業務に従事したことが大きく影響しているとみるのが相当であって,原告に生じた業務上の心理的負荷は,総合的にみれば,「強」であると認めるのが相当である。
そうすると,要件Bを満たすものというべきである。
(ウ) そして,本件疾病が業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発症したことをうかがわせる証拠はないから,要件Cを満たすものというべきである。
ウ したがって,本件疾病は業務に起因して発症したものと認められる。
2 争点2(被告が,適正な人員配置をする義務又は労働時間を適正に管理する義務〔安全配慮義務〕を怠ったか否か)について
本件業務への配転は,原告の主観としては強い負担感を伴うものであったとはいえ,本件発症前3か月間の原告の時間外労働時間は月当たり80時間を超えるものではなく,本件業務に従事する以前にも一定の時間外労働をしていたものであり,また,本件発症後であっても,原告の業務の遂行に問題があったことはうかがわれず,むしろ,原告は,平成21年6月から同年8月中の業務の内容が評価され,被告から表彰を受けていたものであって(甲53),原告は,本件業務を適切に遂行していたものと認められる。これに加え,原告が,上司に対して初めて体調不良を訴えたのは,本件発症後である同年5月25日である上(甲40及び原告本人),それまでの間に,原告に体調不良が生じていた旨の主張及びそれをうかがわせる証拠もなく,かえって,同年6月14日における南青山クリニックのカルテには,「(不調のきっかけ)ない」という記載があり(乙11の1),原告自身,本件発作が生じ,本件発症に至るまで健康状態が悪化する予兆すら自覚していなかったことを併せ考えると,原告がその健康を害する危険のある長時間労働等をしているという労働実態があり,被告が,これを認識し,又は認識し得たということはできないから,被告に本件発症に至ることについて予見可能性があったものとは認められない。
したがって,予見可能性があることを前提に,被告の安全配慮義務違反があったという原告の主張は,その前提を欠き,理由がない。
3 以上によれば,その余の争点について判断するまでもなく,原告の請求は理由がない。
なお,原告は,従前,本件発症後の被告の対応についても問題とするかのような主張をしていたが,当裁判所が,第7回弁論準備手続期日において,原告に対し,請求原因を整理した準備書面を提出する旨指示したところ,第8回弁論準備手続期日において,本件発症後の被告の対応については,「事後の事情」である旨整理した平成29年8月23日付け準備書面(7)を陳述し,原告は,同日,本件発症後の被告の対応についても安全配慮義務違反があった旨の主張をしないことを明確にしたものであるから,この点についての判断を要しない。
第4 結論
よって,原告の請求は,理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第24部
(裁判長裁判官 朝倉佳秀 裁判官 奥田大助 裁判官 佐々木康平)
〈以下省略〉
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