
「営業アウトソーシング」に関する裁判例(17)平成29年 6月29日 東京地裁 平27(ワ)22228号 損害賠償請求事件
「営業アウトソーシング」に関する裁判例(17)平成29年 6月29日 東京地裁 平27(ワ)22228号 損害賠償請求事件
裁判年月日 平成29年 6月29日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平27(ワ)22228号
事件名 損害賠償請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2017WLJPCA06298008
要旨
◆被告Y1社の従業員であり、被告Y2社の本件工場に派遣されていた原告が、本件工場の自身の作業スペースから移動する際に、原告の足が畳まれていた段ボールに当たり、その足が同段ボールの上に乗った瞬間に転倒し、膝を床で強打したことにより負傷した本件事故について、被告会社らに対し、床が滑りやすい状態になっていたことへの対策を怠った安全配慮義務違反があると主張して、債務不履行又は不法行為に基づき、損害金合計3925万1708円及び遅延損害金の支払を求めた事案において、本件工場内のワックスの塗布状況及びその範囲並びに本件事故の状況を認定した上で、被告会社らが原告に対して安全配慮義務を負い、床に塗布されたワックスについて転倒防止措置を講ずるべき義務を負っているとしても、本件事故が同義務違反の結果として生じたとは認められないから、本件事故と因果関係ある被告会社らの安全配慮義務違反は認められないとして、請求を棄却した事例
参照条文
民法415条
民法709条
民法710条
民法722条2項
労働契約法5条
裁判年月日 平成29年 6月29日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平27(ワ)22228号
事件名 損害賠償請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2017WLJPCA06298008
静岡県菊川市〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 松本隆
同 前田八郎
静岡県沼津市〈以下省略〉
被告 Y1株式会社
同代表者代表取締役 A
東京都中央区〈以下省略〉
被告 Y2株式会社
同代表者代表取締役 B
上記両名訴訟代理人弁護士 杉浦孝輔
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告らは,原告に対し,連帯して3925万1708円及びこれに対する平成23年3月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
第2 事案の概要
1 事案の要旨
本件は,被告Y1株式会社(以下「被告Y1社」という。)の従業員であり,被告Y2株式会社(以下「被告Y2社」という。)のaセンター(以下「本件工場」という。)に派遣されていた原告が,本件工場の自身の作業スペースから移動する際に,原告の足が畳まれていた段ボールに当たり,その足が当該段ボールの上に乗った瞬間に転倒し,膝を床で強打したことにより負傷した(以下「本件事故」という。)ことについて,被告Y1社及び被告Y2社に,床が滑りやすい状態になっていたことへの対策を怠った安全配慮義務違反があると主張して,被告らに対し,債務不履行又は不法行為に基づき,損害合計3925万1708円及びこれに対する本件事故の日である平成23年3月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2 前提事実(当事者間に争いがないか,掲記した証拠等により容易に認められる事実。なお,枝番のある書証は,特に断らない限り,その全てを含む。以下同じ。)
(1) 当事者
ア 被告Y1社は,人材派遣業,アウトソーシング,有料職業紹介を業とする会社である。(争いがない)
イ 被告Y2社は,女性用下着の製造・販売を業とする会社である。(争いがない)
ウ 原告は,被告Y1社の社員であり,被告Y2社の工場であるaセンター(所在地:静岡県掛川市〈以下省略〉)で働いていた。(争いがないほか乙2,3〔aセンターの所在地関係〕)
(2) 原告の作業内容及び本件工場の状況並びに本件事故の発生
ア 原告は,平成23年3月9日,本件工場の作業スペースにおいて,被告Y2社の製品であるインナーウェアを仕分けして段ボール箱に詰める作業を行っていた。(争いがない)
イ 原告の作業場所の状況は,別紙1「本件工場見取り図(解説付き)」(以下「本件図面1」という。)記載のとおりであり,原告は,本件図面1中「原告」と記載のある丸印のあたりにいた。(争いがない)
ウ 原告は,同日,作業時間中に集合の合図を受け,本件図面1の「朝礼をした場所」まで行こうとしたところ,段ボールに躓き転倒した。ただし,転倒の詳細な状況やその責任原因は争いがある。(甲20,21)
(3) 原告の通院経過
原告は,平成23年3月9日以降,以下の医療機関に以下のとおり入通院した。
ア みやぎ整形外科・内科クリニック(以下「みやぎ整形」という。)(乙4)
平成23年3月10日から平成23年6月9日(複数回通院)
イ 菊川市立総合病院(乙5)
平成23年3月22日(みやぎ整形からの検査依頼を受けてのもの)
平成23年6月7日から同月10日(入院) 入院日数4日
同年5月17日から平成25年8月6日(複数回通院)
ウ 医療法人社団栄親会 横浜整形外科クリニック(以下「横浜整形」という。)(乙6)
平成24年5月22日から平成24年9月27日(複数回通院)
エ 医療法人社団 松弘会 三愛病院(以下「三愛病院」という。)(乙7)
平成24年6月6日(通院)
平成24年6月16日から同月27日(入院)入院日数12日
オ 愛知医科大学病院(乙8)
平成24年12月6日から平成25年1月21日(複数回通院)
(4) 原告の労災認定及び労災給付
ア 原告は,平成25年12月11日,磐田労働基準監督署から労働者災害補償保険の後遺障害等級併合8級の認定を受けた。(甲2)
イ 原告は,同日,労災保険給付として一時金232万9896円,特別支給金として65万円の支給を受けた。(甲2)
ウ また,原告は,労災保険給付として以下の支給を受けた。(甲8,9のほか,弁論の全趣旨)
(ア) 治療費 307万4947円
(イ) 休業損害 349万5600円
(ウ) 療養費 13万1737円
3 争点
(1) 本件事故の態様及び被告Y1社の安全配慮義務違反の有無
(2) 被告Y2社の安全配慮義務違反の有無
(3) 過失相殺(抗弁)
(4) 原告の後遺障害
(5) 原告の損害
第3 争点に対する当事者の主張
1 争点(1)(本件事故の態様及び被告Y1社の安全配慮義務違反の有無)について
(原告の主張)
(1) 本件事故の態様
ア 本件工場内では,毎日,原告ら作業員によって仕分けされた製品の入った段ボール箱が大量に作出され,これらを本件工場外に搬出しなければならなかった。そのため,そのような作業を容易にするために,本件工場内では,被告らの社員によって,毎日,就業時間外に一度作業台を移動させた上で,床に大量のワックス塗布し,その床の上を滑らせて段ボール箱を移動させていた。そのため,本件工場の床全体が滑りやすい状態となっていた。ワックスを塗布していた範囲は,別紙2「ワックスが塗布されていた部分について2」(以下「本件図面2」という。)の斜線部分のとおりである。
イ 原告は,平成23年3月9日,本件工場の作業スペースにおいて,被告Y2社の商品の製品であるインナーウェアの箱詰め作業をしていたところ,被告Y1社のリーダーであるC(以下「C」という。)から集合の号令がかかり,原告が,自身の作業スペースから急いで通路に出ようとした。
ところが,作業スペース出入口には,畳まれた段ボールが立てかけてあり,それが原告の位置からは死角であったために,原告の右足が立てかけてあった段ボールを蹴るような形で当たり,段ボールが原告の足元に敷かれた状態となった。そして,原告は,次に左足を段ボールの上に乗せたところ,段ボールごと滑り,膝を床で強打した(本件事故)。
(2) 被告Y1社の責任原因
ア 被告Y1社は,社員である原告に対し,その従事させる業務を定めてこれを管理するに際し,その生命,身体等の安全を確保しつつ労働ができるように,必要な配慮をすべき安全配慮義務を負うところ,被告Y1社は,同社社員が本件工場の床で滑って転倒しないよう,現場監督責任者に対し,大量のワックスを塗布することを止めさせる義務又は転倒防止のための措置を講ずる義務があった。
それにもかかわらず,被告Y1社はこれらの措置を怠り,本件工場内に大量のワックスが塗布されている中で作業を行わせ,転倒防止措置を講ずることもなかったのであり,このような被告Y1社の不作為は安全配慮義務に違反し,民法415条に基づく責任を負う。
イ また,被告Y1社の上記安全配慮義務違反は,故意または過失に基づくことが明らかであることから,被告Y1社は,原告に対して,不法行為に基づく損害賠償責任を負う。
(被告Y1社の主張)
原告の主張は否認し,争う。
(1) 本件工場内に毎日大量のワックスが塗布されていた事実はない。本件工場では,別紙3(以下「本件図面3」という。)の廊下にある黒塗り部分について,1か月に1回程度の割合でワックスを塗布していた事実はあるものの,作業台付近にはワックスは塗布されておらず,滑りやすいという状況にもなかったのであり,床に大量のワックスが塗布されていたことを前提とする原告の安全配慮義務違反は前提を欠く。
本件事故は,原告が自ら畳んで作業台の横に立て掛けてあった段ボールに躓き転倒したものであり,単なる原告の過失に基づくものにすぎない。
すなわち,事故当日,作業時間中に伝達事項があったため,被告Y1社の社員であるCは,原告を含めた作業員に集まるよう指示し,それを聞いた原告は,振り返りCの近くに移動した際に,自らが足元に立てかけていた段ボールに躓き転倒したのである。
(2) 原告の主張に対する反論
段ボールは本件図面1の★印の位置から段ボール置き場(車輪のついたカーゴである。)に集められ,そのカーゴで運ばれるのであり,段ボールを運搬するためにワックスを塗布する必要はない。
2 争点(2)(被告Y2社の安全配慮義務違反の有無)について
(原告の主張)
(1) 原告は,被告Y1社から被告Y2社に派遣され,同社所有の本件工場で,その設備を使用して作業を行っており,被告Y2社は,同社の設備を使用する被告Y1社の従業員に対して,安全配慮義務を負い,同社社員が本件工場の床で滑って転倒しないよう,現場監督責任者に対し,大量のワックスを塗布することを止めさせる義務又は転倒防止のための措置を講ずる義務があった。
(2) それにもかかわらず,被告Y2社は上記注意義務を怠り,本件工場内に大量のワックスが塗布されている中で作業を行わせ,転倒防止措置を講ずることもなかったのであり,このような被告Y1社の不作為は安全配慮義務に違反し,民法415条に基づく責任を負う。
また,被告Y2社の上記義務違反は,原告に対する不法行為を構成する。
(被告らの主張)
被告Y2社は,原告と直接の契約関係になく,指揮命令をする立場にないことから,原告が主張する安全配慮義務は前提を欠くものであるし,原告が主張するような事実もないのは,前記1(被告らの主張)のとおりである。
3 争点(3)(過失相殺)について
(被告らの主張)
仮に,被告らに安全配慮義務違反が認められるとしても,原告の転倒状況からすれば,本件事故は,原告の作業スペースに原告が自ら立て掛けた段ボールに躓いたことが原因である。そのため,本件事故は,原告が,自分の作業スペースにおいて段ボールの位置などを把握し,慎重に対応していれば容易に回避できた事故であるといえ,本件事故の原因の大半は原告にあるものといえる。
そのため,本件事故における原告の過失割合は8割を下らない。
(原告の主張)
被告らの主張は争う。
4 争点(4)(原告の後遺障害)について
(原告の主張)
(1) 原告は,本件事故により左膝拘縮・左膝関節滑膜炎,CRPS(複合性局所疼痛症候群のことをいう。以下「CRPS」という。)の傷害を負った。
そして,原告は,2回の手術を受け,リハビリのために通院を継続したが,平成25年8月6日,立位歩行不能となり,装具を付けなければ歩けないという左膝関節に著しい機能障害を残し,症状固定に至ったところ,これは,「1下肢の3大関節中の1関節の機能に著しい障害を残すもの」に該当し,労働者災害補償保険法施行規則別表第1の障害等級表の10級10号(以下,同別表の障害等級に言及する場合には,「後遺障害等級」という。)に該当する。
(2) また,原告のCRPSは,「通常の労務に服することができるが,疼痛により時には労働に従事することができなくなるため,就労可能な職種の範囲が相当な程度に制限されるもの」として,後遺障害等級9級の7の2に該当し,併合8級となる。
(3) なお,被告らは,CRPSと本件事故との因果関係を争うが,仮に原告のCRPSが1回目の手術によって引き起こされたものだとしても,病院と被告らとの共同不法行為が成立するにすぎない。
(被告らの主張)
原告の主張は否認する。
菊川市立総合病院の治療経過をみると,原告の左膝には,半月板の損傷があったとの記載はなく,軽度の滑膜の増生がみられるほかは特に異常はなく,手術後にCRPS様の症状がみられるようになった。
そして,平成24年6月16日に行われた2回目の手術でも軽度の滑膜炎以外は臨床症状を裏付ける所見はカルテ上ない。
さらに,愛知医科大学病院痛みセンターの診断でも,CRPS様の症状の原因は,1回目の手術ではないかとの記載がある。
これらに加えて,原告の医療記録には,①受傷後最初の手術の前後には,原告主張の痛みを伴う状態ではなく,②手術後にCRPS様の症状が発生しており,③愛知医科大学病院痛みセンターのD医師の所見では,「OpeInduced(手術によって引き起こされた)」との記載もある。
これらの事情を総合すれば,原告の左膝の痛みは,最初の手術の影響が大きく,手術により引き起こされた可能性が高いとみるべきである。
5 争点(5)(原告の損害)について
(原告の主張)
本件事故により原告は以下の損害を被った。
(1) 治療費 307万4947円
ア みやぎ整形 11万9296円
イ 菊川市立総合病院 257万3181円
ウ 南山堂薬局 2万5230円
エ みのり薬局 35万5230円
(2) 入院雑費 2万4000円(1500円×16日〔入院日数〕)
(3) 通院交通費 1万5045円
ア みやぎ整形
片道1.3km×15円/km×17日×2=663円
イ 菊川市立総合病院
片道5.1km×15円/km×94日×2=1万4382円
(4) 休業損害 404万9850円
ア 平均賃金 4655円
イ 休業期間 870日
(計算式)
4655円×870日=404万9850円
(5) 傷害慰謝料 203万5000円
入院0.5か月,通院29か月
(6) 後遺障害慰謝料 830万円(後遺障害等級8級)
(7) 後遺障害逸失利益 2721万6692円
ア 基礎収入 361万9200円(賃金センサス平成23年女性学歴計)
イ 労働能力喪失率 45%
ウ 労働能力喪失期間 37年間(ライプニッツ係数16.7113)
(計算式)
361万9200円×0.45×16.7113=2721万6692円
(8) 小計 4471万5534円
(9) 既払金 903万2180円
ア 治療費 307万4947円
イ 休業損害 349万5600円
ウ 療養費 13万1737円
エ 一時金 232万9896円
(10) 小計 3568万3354円
(11) 弁護士費用 356万8354円
(12) 合計 3925万1708円
(被告らの主張)
原告の主張は争う。
第4 当裁判所の判断(争点に対する判断)
1 争点(1)(本件事故の態様及び被告Y1社の安全配慮義務違反の有無)について
(1) 判断の前提となる事実関係
前記前提事実,証拠(各項末尾に掲記する。)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。なお,被告らは,甲22号証以下の書証について,時機に後れた攻撃防御方法の提出であるとして,その却下を求めるが,その検討結果は後記に記載する。
ア 原告の作業していた場所の状況
(ア) 原告が勤務していた本件工場の作業スペースの状況は,概ね本件図面1のとおりであり,本件工場の原告作業スペースを含む本件工場の概観は,本件図面3のとおりである。また,原告ら作業員の作業スペースの床は緑色のビニールやタイル又はこれらに類似する素材が用いられている。(甲10,11,22,弁論の全趣旨)
(イ) 原告ら作業員の一般的な作業の手順は,以下のとおりである。
① 仕分け作業に用いられる下着類が入った段ボールは,本件図面3の「トラック」と記載される場所から運び込まれ,工場内の各作業スペースに至る廊下のうち,黒塗り部分等を通って,各作業スペースに運び込まれる。(甲22,証人E〔18,19丁〕)
② 作業スペースに運び込まれた段ボールは,本件図面1の「段ボール置き場」と記載された場所辺りに置かれる。作業員は,本件図面1の丸印の部分に位置し,同図面の「棚」とされる場所の横に設置された「PC」と記載された場所にある作業用のパソコンを用いて作業を行う。(原告本人〔1,2丁〕,証人C〔3丁〕)。
③ 仕分け作業が終了した段ボールは,本件図面1の右上の場所では,「台」と記載された場所と「段ボール置き場」と記載されたという場所の間に置かれ,他の場所では,4つ連なった台とやや間隔のある「台」と記載された場所との間に置かれ,段ボールが複数積み上げられると,F(以下「F」という。)やCらが,これを回収していた。(原告本人〔4,5,22,23丁〕)
(イ) 原告は,平成23年3月9日当時も,本件図面1の右上の「原告」と記載された場所において作業をしており,その際,空になった段ボールを本件図面1右上の「段ボール置き場」と記載された場所と「台」と記載された場所の間のスペースに置くなどしていた。なお,本件工場に搬送される段ボールは,いずれも横に赤いラインが入ったものであり,その大きさは,高さ1m,横1.2m程度であった。(甲10,11,原告本人〔4,5,22,23丁〕)
イ 本件事故の現場におけるワックスの塗布について(後記の事実は,少なくとも掲記の証拠により認められる。)
本件工場では,荷物の入った段ボールを運搬しやすいよう,作業スペースのうち,本件図面3の作業スペースの外部にある廊下のうち,黒色で塗られた部分及び作業スペース内のうち本件図面1の「台」と記載された部分の中央部付近の床にワックスを塗布し,搬入場所からそれぞれの作業場所まで,3段ほどに重ねた段ボールを滑らせるようにして運搬していた。床にワックスを塗る方法は,霧吹き様の容器に入ったワックスを,床に散布し,モップを利用してこれを広げていた。(甲21,証人F〔6,7,9丁〕)
なお,Fは,①ワックスを塗布する頻度は,1か月に4,5回程度であり,その使用方法も水溶性のワックスを塗布した後,段ボールを移動させる際には,床は乾燥していた,②作業スペース内において,ワックスを塗布する場所は,原告の立ち位置からすれば,本件図面1の「台」と記載された部分の左横部分であるなどと証言する。(証人F〔10~12丁〕)
ウ 本件事故の態様の概略(ただし,その詳細な態様については,後記(2)で検討するが,以下の事実については,掲記の証拠上十分に認められる。)
(ア) 原告は,平成23年3月9日朝,本件図面1の右上の「原告」とある地点において,箱詰め作業をしていたところ,Cが集合の号令をかけた。(甲21,証人C〔18丁〕)
(イ) 原告は,本件図面1及び3の★印の地点を通って,作業場の中央部分に行こうとしたところ,★印の箇所にあった段ボールに接触するようにし,左膝を強打するような態様で転倒した。(乙4,5〔5頁【同書証右上のページ番号のことをいう。以下同じ。】〕,証人F〔13,14丁〕),原告本人〔7,8丁〕)
エ 本件工場では,本件事故が発生したことを受けて,本件工場の作業部分の床にワックスを塗布することはなくなった。(証人F〔10,11丁〕,証人C〔22丁〕)
(2) 本件事故の態様に関する原告の供述及びその信用性
ア 原告は,本件事故は,本件の工場の床に塗布されていたワックスの範囲やその分量及び本件事故の態様について,陳述書及び本人尋問において,要旨以下のとおり供述する。
(ア) 本件工場の状況について
a 本件工場では,毎日,多いときで1日につき2,3回の割合で運ばれる段ボールを引きずりやすくするためにワックスを塗布しており,ワックスが塗られていない日はなかった。
本件事故当日は,ワックスが多く塗られ,床が濡れているような状態になっており,作業スペースはとても滑りやすくなっていた。
b ワックスは,本件図面2の斜線部分の範囲,すなわち,作業スペースの床のほぼ全面に塗られており,自分たちの靴には大量のワックスが付着してしまう危険な状態であった。
(イ) 本件事故の状況について
a 本件事故当日の平成23年3月9日は,原告が出勤した際には,ワックスがいつもより多く塗られ,床が濡れている状態であったため,原告が,Cに,ワックスを塗りすぎていると抗議した。
b 原告が作業をしていると,Cから集合の号令がかかり,本件図面1の「原告」という位置から,同図面の★印の場所を通り,同図面の「朝礼をした場所」まで行こうとしたところ,同図面の★印部分に段ボールが立てかけられており,この段ボールは原告から死角になっていた。
c 原告は,右足で段ボールを蹴るような状態で接触したところ,段ボールが倒れて,それに左足を乗せたところ,段ボールが前に滑り,その後,左足を段ボールに乗せたまま後ろにさらに段ボールが滑り,左ひざを強打した。
イ 原告の供述の信用性について
(ア) 本件事故の態様を客観的に認定する証拠はないことから,本件事故の態様は,上記の原告供述の信用性如何となるところ,原告の上記供述は,少なくとも段ボールの移動を簡易にするために,作業スペースの床等にワックスを塗布していたという本件事故の現場の客観的状況や本件事故後ワックスの塗布が中止されたことなどの被告側の対応との合致も見られる。
(イ) しかしながら,他方,原告供述には以下の点が指摘できる。
a まず,上記の原告供述は,ワックスが靴に付着するほど大量に,とりわけ,本件事故当日については,床が濡れているような状態になるほどワックスを塗布していた理由について,合理的な説明がなされているとは言い難い。
すなわち,本件工場に搬入される段ボールは,高さ1m,幅1.2m前後という相当に大型なものも多数あるところ,これらの段ボールは,作業終了後,回収されることからすれば,再利用されることも十分に考えられるのであり,原告が供述するようにワックスが濡れるほど大量に塗布されていた場合,それらの段ボールを再利用することができなくなるなどの問題が生じることが考えられる。
また,そもそも床が濡れるほど,あるいは,靴にワックスが付着するほど大量のワックスを塗布する場合と,Fが証言するような1か月に4,5回程度ワックスを塗布する場合と比較して,どの程度抵抗力の低減が見られ,段ボールの移動作業の負担が軽減されるのかということも明確ではない。しかも,いかに業務に使用するためとはいえ,それほどのワックスを使用した場合には,その費用を無視することもできないと思われるところ,上記のとおり,原告が供述するようなワックスの使用方法により,顕著な業務改善が見られない限り,その合理性も肯定し難い。
しかも,ワックスを塗布する範囲について,原告や証人F,証人Cが共通して供述・証言するように,ワックスを塗布する趣旨は,搬入された段ボールを移動しやすくするためであり,その段ボールの移動経路は,本件図面3の通路部分を通って,本件図面1の作業スペースのうち,「ダンボール置き場」と記載された場所付近に置かれるのは前記認定のとおりなのであるから,そのような移動経路からしても,作業場全面にワックスを塗布する必要性,合理性を認めることは困難である。
このように,原告が供述するようなワックスの塗布方法は,その効能や経済的合理性に疑問があるものといえる。
b また,原告の過去の言動において,上記の事故態様を裏付けるような言動が認められないことも,原告供述の信用性に疑問を差し挟むべき点といえる。
すなわち,証拠(甲20)によれば,原告は,労災申請の際に,本件事故の状況について,「空いたダンボールをたたんで左後側に置き,作業手順の指導の為移動した所,ダンボールにつまづき前に転倒した」と記載された労働者災害補償保険障害補償給付支給請求書(甲20〔11枚目〕)に署名していることが認められるところ,当該書面には,床のワックスに関する記載はなく,労災の認定に関する書証において,本件事故の原因に関し,ワックスの存在に言及するものが提出されていないこと(弁論の全趣旨)や,本件事故から相当期間が経過した後に作成された愛知医科大学病院受診時の痛みセンター問診票(乙8〔10枚目〕)においても,本件事故の原因として,ワックスがこぼれ,その上に段ボールを置き,荷物作業を行っていたところ,朝礼に呼ばれ振り返り進んだとき,前のワックスを隠すために置かれた荷物(その文脈からすると,段ボールを意味するものと思われる。)に引っかかり,勢いよく転倒し,手をつく間もなく,膝を一番に打ったと記載していることが認められ,この中にも,日常的に大量のワックスが塗られていたことを示すような記載はないなど,原告として本件事故の原因として床に大量に塗布されたワックスについて言及する機会があるにもかかわらず,そのような記載がないことは,本件事故の原因に係る原告供述の信用性に疑問を差し挟む点といえる。
c さらに,上記bで認定した事実に加え,証拠(乙12)によれば,原告訴訟代理人作成の平成26年11月26日付けの回答書において,原告が,本件事故の原因が,持ち場から移動した際に,段ボールが通路の死角に固定しておいてあり,ワックスで床が滑ることとあいまって,この段ボールに躓いたというものであり,かつ,段ボールは原告が置いたものでないと記載されており,原告の本人尋問における供述は,上記b認定に係る原告の本件事故に関する供述内容や上記の回答書の記載内容からさらに変遷又は詳細化するものであって,その変遷等について合理的な理由が説明されているとも認められない。
(ウ) このように原告の本件事故の状況に関する主張や,本人尋問における供述には,十分に合理性を認めがたい点が複数あり,これらのことに加え,原告の供述を裏付ける客観的な証拠がないことからしても,原告の転倒状況に関する供述は採用することができない。
ウ 他の従業員の陳述書の記載内容について
(ア) 原告は上記の点に関し,本件工場で稼働していた他の従業員も,本件工場では大量にワックスが塗布されており,過去に度々事故が生じていたと主張し,これに沿う,G,H及びIなど複数人の陳述書(甲12~16,18,22)を提出する。
(イ) しかしながら,これらの陳述書の記載内容を客観的に裏付ける証拠はない上に,上記の者らの供述についても,原告供述の信用性に関して検討した疑問点(特にワックス塗布の規模及びその合理性)がそのまま当てはまることからしても,これらの陳述書の記載について信用性を認めることは困難である。
なお,上記の陳述書のうち,Iの陳述書(甲22)については,被告らが時機に後れた攻撃防御方法の提出である旨の主張をしているものの,上記のとおり,その陳述書の記載内容の信用性を肯定することができない以上,これを採用したとしても訴訟の完結を遅滞させることにはならず,被告らの主張は採用することができない。
また,被告らは,原告提出に係る原告とJとの会話の反訳書や録音データ(甲23~25)についても,時機に後れた攻撃防御方法の提出であると主張するところ,これらについても,これを採用したとしても訴訟の完結を遅滞させることにならないことから,被告らの主張は採用することができない。
(ウ) 以上のとおり,本件工場に関するワックスの塗布状況に関する原告及び本件工場の他の従業員作成に係る陳述書の記載を採用することはできず,本件工場内のワックスの塗布状況及びその範囲並びに原告の事故の状況は,前記(1)認定の限度で認められるにとどまる。
また,前記(1)認定に係るワックスの塗布状況については,主に証人Fの証言によるところ,同人の証言は,ワックス塗布の趣旨にも合致するものであり,その供述内容も,被告らにとって相応に不利益な事実の供述を含むものであることからしても,概ね信用することができるというべきである(そのため,ワックスの塗布の回数やその使用方法,塗布していた場所についても,前記(1)イのFの証言を採用することができ,同人の供述に沿う事実が認められる。)。
(3) 被告Y1社の安全配慮義務違反の有無
ア そして,上記(1)認定に係る事実を前提に,本件事故について被告Y1社の責任原因について検討するところ,原告は,被告Y1社の従業員であることから,雇用者である被告Y1社は,原告等労働者の生命,身体等の安全を確保しつつ,労働することができるよう,必要な配慮をすべき義務(労働契約法5条参照)を負う。
イ そして,本件について被告Y1社に安全配慮義務違反が認められるか検討するに,前記認定のとおり,本件工場内では段ボールの移動を円滑にするためのワックスが塗布されていたのであるから,被告Y1社としては,このような措置を講ずることにより,床が一部とはいえ,通常と比較して滑りやすい状況になり,そのため原告等労働者が転倒することにより事故が発生する危険があることからすれば,滑りにくい靴を使用するよう注意を喚起するなどの転倒防止措置を講ずる必要があったことは否定し難い。
もっとも,上記の安全配慮義務の内容と,本件事故との因果関係,すなわち,被告Y1社が上記の措置を講じなかった結果として本件事故が発生したかということについてさらに検討すると,前記(1)で認定したとおり,本件事故が起きた現場のうち,ワックスが塗布されていたと認められるのは,本件図面1のうち,「台」とされている部分の中央側(原告の立ち位置からすると左側面)程度であり,原告が転倒したとされる本件図面1の★印とされる作業台の内側にはワックスが塗布されていたとは認められないことからしても,原告が,段ボールの上に乗った際に,本件事故が床に塗布されたワックスの効果と相まって段ボールが滑り左膝を強打したとは認められないのであって,本件事故と床に塗布されたワックスとの間に事実的な因果関係があるとも認められない。
また,前記認定のとおり,本件工場内では多くて1か月に4,5回程度ワックスが塗布され,その使用方法も,乾燥させた後に段ボールを移動させていたという限度で認められるにすぎないものであり,このようなワックスの使用頻度や使用方法からしても,仮に,原告が段ボールの上に乗ったとして,それによりワックスの効果として段ボールが移動したために転倒したか否かについては判然とせず,原告の転倒にワックスが寄与したか否かは明らかではないと言わざるを得ない。
ウ そのため,被告Y1社が原告に対し,安全配慮義務を負い,床に塗布されたワックスについて,転倒防止措置を講ずるべき義務を負っているとしても,本件事故が上記義務違反の結果として生じたとは認められないことからすれば,本件事故と因果関係ある被告Y1社の安全配慮義務違反は認められないというべきである。
(4) 小括
そのため,その余の争点について検討するまでもなく,原告の被告Y1社に対する請求(債務不履行,不法行為のいずれも含む。)については理由がない。
2 争点(2)(被告Y2社の安全配慮義務違反の有無)について
(1) また,原告は,被告Y2社も原告に対して安全配慮義務を負い,その義務違反の結果として,本件事故が発生したと主張する。
(2) しかしながら,前記1(1)及び同(3)で検討したとおり,床に塗布されたワックスと本件事故との因果関係が認められない以上,仮に,被告Y2社が原告に対する関係で安全配慮義務を負い,本件工場のワックスの塗布状況やそれによる転倒防止措置が十分とは言い難いものであったとしても,それらの義務違反と本件事故との間には因果関係が認められないことから,その余の争点について検討するまでもなく,原告の被告Y2社に対する請求(債務不履行及び不法行為)には理由がないことになる。
3 まとめ
以上のとおり,原告の被告らに対する被告らの安全配慮義務違反を理由とする請求(債務不履行及び不法行為)は,いずれも理由がない。
第5 結論
よって,原告の請求をいずれも棄却することとし,訴訟費用の負担について民訴法61条を適用し,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第10部
(裁判官 山口雅裕)
〈以下省略〉
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