「営業 スタッフ」に関する裁判例(4)平成29年11月20日 東京地裁 平28(行ウ)100号 休業補償給付不支給決定取消等請求事件
「営業 スタッフ」に関する裁判例(4)平成29年11月20日 東京地裁 平28(行ウ)100号 休業補償給付不支給決定取消等請求事件
裁判年月日 平成29年11月20日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平28(行ウ)100号
事件名 休業補償給付不支給決定取消等請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2017WLJPCA11208003
要旨
◆ネットワークやサーバ機器等のインフラ関係構築に関する業務に従事していた原告が、業務上の原因によってうつ病を発病したとして休業補償給付を請求したところ、労働基準監督署長からこれを支給しない旨の本件処分を受けたため、審査請求をしたが棄却され、再審査請求も棄却されたことから、本件処分の取消しを求めた事案において、原告は平成24年1月頃に国際疾病分類第10回修正版のF3に分類される精神障害である「気分(感情)障害」(本件疾病)を発病したと認めた上で、業務起因性の判断に当たっては、平成23年12月26日付け基発1226第1号の「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(認定基準)における考え方を参考にしつつ、精神障害の発病に至るまでの具体的事情を総合して相当因果関係を検討するのが相当であるところ、本件疾病の発病前概ね6か月の間の各事実をもって認定基準別表1の「強」と評価されるような業務による強い心理的負荷があったとは認められないなどとして、本件疾病の業務起因性を否定し、請求を棄却した事例
参照条文
労働者災害補償保険法7条1項1号
労働者災害補償保険法12条の8第1項2号
行政事件訴訟法3条2項
裁判年月日 平成29年11月20日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平28(行ウ)100号
事件名 休業補償給付不支給決定取消等請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2017WLJPCA11208003
千葉県流山市〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 白鳥玲子
同 湯山花苗
同 宮里民平
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者法務大臣 A
処分行政庁 三田労働基準監督署長
被告訴訟代理人弁護士 樋渡利美
被告指定代理人 W1
同 W2
同 W3
同 W4
同 W5
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
三田労働基準監督署長が原告に対して平成26年8月19日付けでした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
第2 事案の概要
本件は,株式会社aの従業員であった原告が,業務上の原因によってうつ病を発病したとして,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき休業補償給付を請求したのに対し,三田労働基準監督署長から平成26年8月19日付けでこれを支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を受けたことから,その取消しを求めた事案である。
1 前提事実(当事者間に争いのない事実並びに後掲の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
(1) 原告の勤務状況等
ア 原告(昭和42年生)は,工業高等学校卒業後,昭和60年3月に株式会社bに入社した。
原告は,株式会社b(平成13年4月1日に株式会社b1に社名変更)が平成21年10月1日にc株式会社に吸収合併されたことに伴って同社に転籍となり,平成23年10月1日に同社と株式会社dとの合併によって株式会社aが設立されたことに伴って同社に転籍となったが,転籍によって職種や業務内容等が変更になることはなく,いずれにおいてもシステムエンジニアとして勤務していた(以下,時期にかかわらず,原告が一定の時点で勤務していた上記各会社を「本件会社」という。)。
(乙1・90頁,91頁,108頁,109頁,122頁,123頁,263頁)
イ 原告は,ソフトウェアの開発,情報関連機器の販売及び情報システムの運用,保守等を業とする本件会社において,ネットワークやサーバ機器等のインフラ関係構築に関する業務に従事していた。
原告は,平成20年1月頃から,主任相当職である技師の職位として,e株式会社(以下「本件顧客」という。)から受注した不動産売買に関わる○○システム(以下「本件システム」とう。)開発を行うプロジェクト(以下「本件プロジェクト」という。)に従事し,同システムが平成22年1月に本稼働し,その後に不具合が発生した後も他の従業員とともに対応していた。原告は,本件システムが保守期間に移行した平成22年4月頃以降も同システムの保守業務に従事するとともに,平成23年4月頃から同年11月頃までは,中央労働金庫へ新しいサーバを導入するプロジェクトにも携わっていた。
原告は,平成24年4月頃から,本件システムの保守業務に代わり,保険関係のインフラシステム構築等のプロジェクト業務に従事していたが,同年10月26日以降,療養のために休職し,その後,休職期間満了により本件会社を退職扱いとなった。
(甲12,乙1・90頁,91頁,92頁,95ないし99頁,110頁,124頁,263頁)
(2) 本件処分
原告は,平成26年2月20日,中央労働基準監督署長に対し,平成24年11月1日から平成26年1月31日までの間,療養のため労働できなかったことについて,労災保険法に基づく休業補償給付の請求をした。
中央労働基準監督署長から上記請求の回送を受けた三田労働基準監督署長は,同年8月19日,原告に対し,これを支給しない旨の本件処分をした。
(3) 審査請求
原告は,平成26年8月22日,東京労働者災害補償保険審査官に対し,本件処分を不服として審査請求をしたが,同審査官は,同年12月3日,同請求を棄却する旨の決定をした。(甲2,乙1・507頁)
(4) 再審査請求
原告は,平成27年1月8日,労働保険審査会に対し,再審査請求をしたが,同会は,同年9月11日,同請求を棄却する旨の裁決をした。(甲1,乙1・1頁)
(5) 行政通達
精神障害の業務起因性の判断については,厚生労働省労働基準局長による各都道府県労働基準局長宛ての通達として,別紙の「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(平成23年12月26日付け基発1226第1号。以下「認定基準」という。)が発出されている。
認定基準は,精神医学,心理学及び法律学の専門家によって構成される精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会作成の平成23年11月8日付け「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書」に基づくものであり,精神障害の成因については,「ストレス―脆弱性理論」(環境由来のストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まり,ストレスが非常に強ければ,個体側の脆弱性が小さくても精神的破綻が生じ,逆に脆弱性が大きければ,ストレスが小さくても破綻が生ずるとの考え方)を前提とした上,国際疾病分類第10回修正版(以下「ICD-10」という。)第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類される精神障害(ただし,器質性のもの及び有害物質に起因するものを除く。)を発病していること,発病前概ね6か月の間に,業務による強い心理的負荷が認められること,業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないことを認定要件とするものである。
(乙3,4)
2 争点及びこれに対する当事者の主張
(1) 原告の精神障害の発病時期
(原告の主張)
ア 以下の事実から明らかなとおり,原告は,平成22年4月頃にうつ病を発病した。
(ア) 原告は,結婚後,茨城県筑西市にある妻の実家を定期的に訪れていたが,平成22年4月以降,体調不良を理由にして行かなくなった。
また,原告は,平成22年4月以降,それまで趣味として楽しんでいた旅行やスキーに行かなくなり,ゴルフは仕事の付き合い上必要な範囲でのみ行うこととし,体調が悪化してからは仕事の付き合いすら対応できなくなったこと,習慣で購読していた週刊誌を読むことすら億劫になり読まなくなったこと,毎週欠かさず見ていたゴルフ番組を全く見なくなったことなど趣味活動に対する興味が減退した。
さらに,原告は,もともと他人に対して寛容であったが,平成22年4月頃を境に怒りやすくなったり,小さいことでも怒りをあらわにしたりと心に余裕がなくなるなど他人に寛容ではなくなった。また,原告は,従前妻の洋服等を妻に相談なく買うことはなかったが,平成22年4月以降,妻へのプレゼントと称して妻の趣味とは異なる服を購入するなど合理的な判断ができなくなったこと,家族の意見を聞かずに目的地までの経路を自分で判断し,結局,道を間違えてしまうことがしばしばあったことなど,それまで当たり前にできていたことや,常識的に判断できていたことができなくなっていた。
(イ) 原告は,平成22年4月頃から,耳鳴り,頭痛,めまい,目の下部のけいれん等の症状が出るようになり,平成23年5月下旬には,頭痛,耳鳴り等の症状がひどくなり,更に意識消失といった症状も出始めたため東京勤労者医療会東葛病院付属診療所(以下「東葛病院付属診療所」という。)を受診し,その後も医療法人社団宏生会クリニック柏の葉診療所(以下「クリニック柏の葉診療所」という。)及び流山中央病院を受診したが,全く改善しなかった。
原告は,平成22年4月頃に精神科を受診していないが,当時はうつ病に対する認知度は未だ低いものであり,精神疾患に気付かずに内科等を受診し,一向に解決しない段階で初めて精神科を受診するといううつ病患者も多かったのであるから,同月頃に精神科を受診していないことは,その頃にうつ病を発病していたことを否定するものではない。
なお,各医療機関の診療録等において,平成22年4月から症状が出現している旨の記載がないものの,原告が各医療機関において説明していた内容は特に顕著になっていた身体的症状の出現時期であり,身体的症状のそもそもの発症時期や心因的原因については深く問診されなかったため,その旨の記載がないにすぎない。
(ウ) 原告の主治医である柏駅前なかやまメンタルクリニック(以下「なかやまクリニック」という。)のB医師(以下「B医師」という。)は,原告のうつ病発病時期が平成22年4月頃であると診断している。B医師は,原告に対する聞き取りの結果,意欲低下や抑うつ気分といったうつ病エピソードが平成22年4月頃から出現し,その頃の原告の勤務状況を確認するなどして発病時期を判断しているから,合理的な診断である。また,B医師は,ハードワークや残業の増加のみを根拠に発病時期を診断したのではなく,原告において,当初は身体的症状の訴えが中心であったが,徐々に気分障害についても自覚し,平成25年10月頃にゆったりと問診に向き合えるようになり,そもそもうつ病になった原因は何であったのか,いつから身体的症状が出ていたのかといったことについての問診が可能となったことから,平成22年4月頃を発病時期と判断したのであり,主治医が患者である原告と何度も話をし,診察していく過程で判断されたものであり,同医師の意見は信用性が高い。
(エ) 平成22年4月2日に実施された労働者の疲労蓄積度自己診断チェックリスト(以下「自己診断チェックリスト」という。)において,原告の自覚症状及び仕事による負担度等が非常に高いと考えられるとの結果が出ており,多大なストレスにより,既にうつ病エピソードを発病していたものである。
その後に実施された産業医の聞き取りでは,うつ病の疑いなしとされているが,原告は,本件システム開発でトラブルが頻発しており,休職するような事態は避けなければならないと考えており,自己の人事評価が低くなることを恐れて正直に答えられる状況ではなかったことから,あえてあいまいな答えをしたところ,内科・消化器科が専門である産業医は,自己診断チェックリストと矛盾するような答えについても踏み込んだ問診を行わず,形式的にうつ病の疑いなしと判断したものである。
平成22年5月18日に実施された自己診断チェックリストにおいて原告に自覚症状の継続が見られないのは,前回の同チェックリストで正直に回答したために産業医面談を受けるよう指示され,それが億劫であったことなどから,原告において,あえて症状が改善したかのように事実と異なる記載をしたためである。
(オ) 原告は,もともと体調不良による遅刻や欠勤はほとんどなかったところ,平成22年4月以降は体調の悪さを感じながらも無理をして出勤を続けていたものの,それにもかかわらず,体調不良による遅刻や欠勤が激増していることに鑑みれば,うつ病を発病していたものといえる。
本件会社の従業員において,平成22年4月頃に原告の心身の変調について気付いていなかったとしても,原告は,うつ病発病時,その自覚がなく,無理をして周囲に迷惑をかけないよう通常どおり振る舞おうとしていたのであるから,原告が既にうつ病を発病していたことと矛盾するものではない。
イ 前記アのとおり,原告は,平成22年4月頃にうつ病を発病しているところ,東葛病院付属診療所を受診した平成23年5月頃に一度悪化し,さらに悪化したのが平成24年1月頃にすぎず,同月頃に発病したものではない。
原告は,平成24年1月に体調不良による休日が10.5日と増加しているが,5日間のリフレッシュ休暇のため増加しているにすぎず,同月を境に急に欠勤が増えたわけではない。
また,被告が依拠する学校法人東邦大学名誉教授C医師(以下「C医師」という。)の意見は,原告から問診することなく,被告にとって都合のいい診療録等のみに依拠した判断である。
(被告の主張)
ア 原告が精神障害を発病したのは平成24年1月頃であり,平成22年4月頃に発病したとは認められない。
(ア) 原告の主張するような平成22年4月以降のうつ症状の典型例たる変化は確認できない。かえって,なかやまクリニックの平成24年2月の問診では,オンラインゲームを楽しんでいると述べており,平成22年4月から趣味活動を行わなくなったとの主張は事実に反する。また,怒りやすくなったり,道を間違えるようになったのであれば,勤務や対人関係に支障が生じ,本件会社の同僚や上司においても原告の変化に気付いたはずであるが,そのような変化に気付いた者は見当たらない。
(イ) 原告は,平成22年4月頃に医療機関を受診しておらず,同時期における症状の存在を裏付ける医療記録は存しない。
(ウ) B医師は,平成22年4月頃に原告を直接診察して症状を確認したものではないばかりか,当時の受診歴等の客観的な資料により確認したものでもなく,専ら原告の申告に基づいて発病時期を判断したものにすぎない。
また,B医師の意見は,めまい症が平成16年頃から認められること,耳鳴りの出現が確認できるのは平成23年5月であり,内耳障害によるものと解されるにもかかわらずこれを見逃していること,うつ病エピソードの診断基準を満たしていることについて根拠を示していないことなどに照らして医学的根拠に欠ける。さらに,精神障害は,さまざまな要因で発病するものであり,精神障害を発病したからには何らかのストレス因子が存在するはずであるとか,一定のストレス因子が認められるのであれば当該時期に精神障害を発病したはずであるとの発想は適切ではなく,あくまで「ICD-10 精神および行動の障害 臨床記述と診断ガイドライン」(以下「診断ガイドライン」という。)等の診断基準を満たす症状の存在をもって判断されるべきであるにもかかわらず,心理的負荷を与え得る時間外労働の増加があったことをもってその時期に発病したであろうと判断しており,医学的に不適切である。
(エ) 原告は,平成22年4月2日の自己診断チェックリストを受けて同月6日に実施された産業医による面接調査において,うつ病の疑いなしと判断されている上,その約1か月後の同年5月18日の同チェックリストでは自覚症状が継続していない。
(オ) 原告は,平成22年4月から体調不良に伴う欠勤が増加している旨主張するけれども,原告の上司によれば,原告の休暇の理由は,原告自身の体調不良のほか,妻の体調不良や,私用による場合もあったのであり,そもそも同月以降の欠勤が全て体調不良によるものとはいえない上,同月から同年6月頃の年休取得回数等が,ことさらそれ以前よりも増加したともいえない。
また,本件会社の原告の同僚や上司は,平成22年4月頃の原告の心身の変調を認識していない。
イ 原告は,平成24年1月以降,頭痛,耳鳴り,睡眠障害等の不調を訴えて複数の医療機関を受診したが改善せず,保健師面談において精神科受診を勧められたことから,同年2月になかやまクリニックを受診し,投薬治療を受けている。
また,原告は,平成24年1月頃から,体調不良による出勤困難により出勤が不安定となり,本件会社の保健師,産業医や上司は,この頃に原告の変調を認識した。
そして,精神科の専門医で構成する東京労働局地方労災医員協議会精神障害専門部会やC医師は,原告の診療経過,各主治医の意見等を検討した上,平成24年1月頃にICD-10のF3の「気分(感情)障害」を発病したものと考えられるとの意見を示していることからすれば,原告は,同月頃,「気分(感情)障害」を発病したものである。
原告は,平成22年4月頃にうつ病を発病し,平成24年1月頃,これが悪化した旨主張するけれども,平成22年4月頃の発病を満たす症状の存在を裏付ける診療録等の客観的資料はなく,ましてその症状が消退,安定することなく,平成24年1月まで継続していたことを裏付ける資料もない。
(2) 原告が発病した精神障害の業務起因性の有無
(原告の主張)
原告が平成22年4月頃にうつ病を発病したことを前提として,以下の業務内容及び業務量並びに時間外労働の時間等を考慮すれば,認定基準別表1「業務による心理的負荷評価表」(以下,単に「認定基準別表1」という。)にいう心理的負荷は「強」と評価されるから,原告のうつ病発病には業務起因性が認められる。
ア 原告は,平成20年1月以降,最新の技術と高い信頼性が要求され,本件会社にとって重要な開発規模約10億円の本件プロジェクトに基盤チームのリーダーとして従事していたが,平成21年1月以降は,不具合の対策が正しいか否かの検証,社内テスト環境への登録,テスト確認後の本番環境資源への登録,本番環境への配備等のほか,不具合修正に関する相談をする修正後プログラム検討会に参加し,プログラムの修正方法,手段,テストの範囲や対象が適正であったか否か検討し,それが終了すると,原告が管理している本番環境と同一のソースプログラムライブラリへの登録書面とソースプログラムが各サブシステムから送付されてくるため,その申請内容を確認し,納品物に該当するかの取捨選択をした上でライブラリ登録を行うなどの品質管理とライブラリアンも担当し,綿密かつ膨大な作業量の業務を行っていた。
本件システムは,平成22年1月19日に本稼働したが,約3か月間で約200件もの不具合が発生したため,原告は,上記業務に加え,事務局,プロジェクトリーダー代行という役割も行わざるを得ず,実質的に5つの役割を担当することとなった。
また,原告は,本件顧客先での会議に参加し,本件顧客に対し,障害原因や再発防止策等の説明や,不具合対策版の納期調整等をした上で謝罪をしなければならず,本件顧客の担当者からは,不具合が頻繁に起きていることなどについてほぼ毎日叱責を受けており,精神的な負荷は著しいものであった。
原告は,平成22年3月中旬以降の保守期間への移行に伴い,品質管理担当,ライブラリアン,プロジェクトリーダー,基盤チームリーダーの4つを担当することになったものの,事務局の仕事が事実上プロジェクトリーダーの仕事に内包される形となったため,負担が軽減されたわけではなく,むしろ約10億円というシステム規模に比して携わる人材が極端に少ない体制となり,実質的にはプロジェクトマネージャーを兼任する形で業務をこなさなくてはならなかったため,業務による負荷は依然として強いままであった。
以上のとおり,原告は,綿密かつ膨大な作業量をこなしながら,本件顧客先での毎日の叱責,長時間にわたる事後対応に追われ,スケジュール調整等が一切できない状態で,24時間体制での対応を余儀なくされ,精神的な負荷は著しいものであった。
イ 平成22年1月に発生した本件システムの不具合の発生により,原告の時間外労働時間は大幅に増加し,少なくとも,同年4月の発病前1か月の時間外労働時間数は96時間15分,発病前2か月の時間外労働時間数は115時間30分,発病前3か月の時間外労働時間数は126時間45分であった。加えて,夜間の不具合が発生すると携帯電話に通知のメールが届いたり,夜間パッチのブログラム修正時にホテルに泊まり込みをして本件顧客からの問合せに24時間対応したりしなければならないなど,実際には上記の時間よりも長時間労働を強いられていた。
原告は,保守期間移行前は本件顧客先での会議に出席しなければならず,保守期間移行後も即時対応が求められる役割を担っており,常に新たな問題の発生を把握して解決に当たらざるを得なかったため,昼休憩をとることはできなかった。また,原告は,本件顧客先から戻っても本件会社内で修正後プログラム検討会の対応等をしなければならず,コンビニエンスストアで購入した軽食を取る程度で夕食の時間もなく,残業時にも休憩時間はなかった。
(被告の主張)
ア 原告が主張する平成22年1月頃から同年3月頃までの業務による負荷について,その後2年近くを経過した平成24年1月頃の発病との関連性を認めることはできないから,上記負荷をもって原告の発病の業務起因性を基礎付けることはできない。
そして,対象疾病の発病である平成24年1月頃の前概ね6か月の間に,業務による強い心理的負荷があったとは認められないから,原告の精神障害の発病につき,業務起因性があったとは認められない。
イ 仮に,原告の主張どおり,平成22年4月頃に精神障害を発病したことを前提としても,以下のとおり,原告の精神障害の発病に業務起因性を認めることはできない。
(ア) 本件システムの不具合等への対応はプロジェクト全体で行っており,修正作業は不具合発生部分の開発を担当したチームが,顧客への説明等はプロジェクトマネージャー,プロジェクトリーダー及び営業スタッフが主に対応していたため,原告が毎日本件顧客先で叱責を受けたり,事後対応を余儀なくされたものではない。
そして,不具合の多くは,原告の担当ではない業務(アプリ)側に発生したため,その不具合に対するプログラム修正作業等は業務(アプリ)チームのメンバーが実施しており,基盤チームのメンバーである原告が行ったものではない。原告が直接担当した不具合の案件は3件にとどまる。
また,本件システムの処理にエラーが発生した際,原告の携帯電話へ通知メールが同報される仕組みであったが,当該通知に対する対応指示はプロジェクトリーダーが主に行っていた。
(イ) 原告が主張する時間外労働時間は,所定の休憩時間が控除されておらず,正しい労働時間を反映したものではない。本件会社において,1日当たり45分の休憩時間のほか,残業時間帯には一定時間経過ごとの休憩時間が定められており,時間をずらしてもきちんと休憩を取得していた。
仮に平成22年4月2日を発病日とし,その前3か月間の時間外労働時間について,所定の休憩時間を控除して算出すると,発病前1か月の時間外労働時間は66時間,発病前2か月の時間外労働時間は99時間30分,発病前3か月の時間外労働時間は88時間15分であり,それ以前の1か月間の時間外労働時間が3時間30分であったことに比べ,時間外労働時間の大幅な増加が認められるものの,プロジェクトにおける原告の立場・役割に特段の変化がなく,上記(ア)のとおり,原告の責任や労働密度がことさら高かったとは評価できないことからすれば,認定基準別表1にいう心理的負荷は「中」と判断すべきである。
(ウ) 以上によれば,業務による強い心理的負荷があったとはいえず,原告の精神障害の発病に業務起因性を認めることはできない。
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(原告の精神障害の発病時期)について
(1) 認定事実
後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告の診療経過等
(ア) 原告は,平成16年7月7日,筋緊張性頭痛や良性発作性頭位めまい症を訴え,クリニック柏の葉診療所を受診し,前庭性偏頭痛の可能性を指摘された。(乙1・138頁)
(イ) 原告は,平成17年7月4日,平成16年から発症している頭痛を訴え,東葛病院付属診療所を受診し,偏頭痛の疑いによりゾーミックを処方された。(乙1・137頁)
(ウ) 原告は,平成22年4月2日,本件会社で実施された自己診断チェックリストにおいて,「イライラする」,「不安だ」,「落ち着かない」,「ゆううつだ」,「やる気が出ない」,「へとへとだ(運動後を除く)」の各質問に対して「よくある」の項目にチェックし,自覚症状が22点と4段階の中で最も高いⅣに該当し,勤務状況の評価と併せて「仕事による負担度」は7点と4段階の中で最も高い「非常に高いと考えられる」と判定された。また,5項目中2つ以上「はい」があれば危険性が高いとされるうつ病等の一次スクリーニングになる質問のうち,「毎日の生活に充実感がない」,「以前は楽にできていたことが,今ではおっくうに感じられる」,「わけもなく疲れたような感じがする」の3つの質問に対して「はい」の項目にチェックし,「これまで楽しんでやれていたことが,楽しめなくなった」,「自分が役に立つ人間だと思えない」の各質問に対しては「いいえ」の項目にチェックした。
そのため,原告は,平成22年4月6日,本件会社の産業医と面談することとなり,産業医に対し,同年1月から3月まで100時間近い時間外労働をしており,上司とは考え方が違うなどと話し,これに対し産業医からは,上司と意思の疎通を図るよう努力し,時間外労働を80時間以内に制限するよう指導を受けた。一方,原告は,「この2週間以上,毎日のように,ほとんど1日中ずっと憂うつであったり沈んだ気持ちでいましたか?」,「この2週間以上,ほとんどのことに興味がなくなっていたり,大抵いつもなら楽しめていたことが楽しめなくなっていましたか?」等うつ病の可能性等を判断する5つの質問全てに対して「いいえ」との趣旨の返答をしたため,産業医は,うつ病の疑いはなく,保健指導や経過観察は不要と判断した。
(乙1・428頁ないし433頁,乙10)
(エ) 原告は,平成22年5月18日,自己診断チェックリストを受け,「イライラする」,「不安だ」,「ゆううつだ」,「へとへとだ(運動後を除く)」等を含む6つの質問に対して「時々ある」の項目にチェックし,「落ち着かない」,「やる気が出ない」の質問に対して「ほとんどない」の項目にチェックし,自覚症状が6点と4段階の中で2番目に低い評価であるⅡに該当し,勤務状況の評価と併せて「仕事による負担度」は3点と4段階の中で2番目に低い「やや高いと考えられる」と判定され,うつ病等の一次スクリーニングになる5つの質問全てに対して「いいえ」の項目にチェックした。
そのため,原告は,平成22年5月18日,本件会社の産業医と面談した際に,うつ病等の可能性等を判断するための質問はされないまま,通常勤務可能との判定がされた。
(乙1・434頁ないし437頁,乙10)
(オ) 原告は,平成23年5月26日,昨日から,じんわりとした頭の痛みがあり,たまに耳鳴りがする,気を抜くと目を閉じてしまうという症状等を訴え,東葛病院付属診療所を受診した。また,原告は,平成23年5月28日,同診療所を受診し,頭痛や耳鳴りが持続し,左側の耳鳴りはキーンと高い音であり,常時ではなく10分から15分で消失すること,同月24日頃からテレビやパソコンを見ているときにフワーと一瞬意識が消失することがあることなどを訴えた。原告は,平成23年6月11日にも同診療所を受診し,同年5月28日以前の1週間が最も症状が強かったものの,頭痛だけはまだ残っていると話し,同診療所のD医師から,頭痛時に服用するケンタンを処方され,今後再度意識消失等あれば受診をするよう勧められたが,以後,同様の症状について同診療所を受診することはなかった。
原告は,同診療所において,頭部MRI撮影やCT撮影等を受けたが,異常所見はみられなかった。
(乙1・137頁,153頁,157頁,159頁,乙2・35頁ないし38頁)
(カ) 原告は,平成24年1月11日,同月9日よりキーンという両側の耳鳴りが常時あり,持続的耳鳴から5秒から10秒ごとに拍動性耳鳴に変化するとともに,同時に出現した鈍い頭痛も急激に増悪して我慢しきれず,集中できず記憶がとぶようになり,36時間も持続したなどと訴え,クリニック柏の葉診療所を受診した。原告は,その後も平成24年1月20日,同年2月3日及び同月10日に同診療所に通院し,通院最終日である同日には頭痛が軽快傾向となったものの,耳鳴り症状が残存して不眠症があることを訴えていたため,精神安定剤であるデパスを処方された。
原告は,同診療所において,聴力検査の結果,両耳に高音域(8KH3)の聴力低下があるとされ,平成24年1月9日に両側内耳性耳鳴症,両側感音難聴と診断された。
(乙1・138頁,乙2・40頁ないし42頁)
(キ) 原告は,平成24年1月21日,同月7日頃から,頭の中でキーンという高音が継続的に鳴っているなどと訴え,流山中央病院を受診した。
原告は,同病院において,MRI検査を受けたが,異常なしとされた。
(乙1・139頁,乙2・44頁,45頁)
(ク) 原告は,平成23年7月の人間ドックの検査の結果,産業医から保健師面談をするよう指示されたため,平成24年2月1日,本件会社の保健師と面談を行った。原告は,その際,平成23年5月又は6月頃から左耳で月1,2回の耳鳴りが出現するようになったこと,平成24年1月5日から頭全体で「キーン」という高音が聞こえるようになり,吐き気を伴うほどの頭痛,めまいがひどく出勤できない状態であること,同月に耳鼻科や脳神経外科の病院を受診するも異常なしとの診断を受けたこと,耳鳴りがあるため浅い眠りであることなどを話したため,保健師は,原告に対し,メンタルクリニックへの受診を勧め,後日,原告は,なかやまクリニックを受診することとなった。
また,原告は,不安定な勤務状況が見られたことから,平成24年2月22日や同月29日にも保健師との間で面談を実施し,その際,起床時にめまいがあり,頭痛を感じること,ひどい症状のときは定時での出勤が困難であることなどを説明し,その後も保健師との面談等は継続された。
(乙1・416頁,418頁,438頁,442頁ないし446頁)
(ケ) 原告は,平成24年2月26日,なかやまクリニックを受診し,B医師に対し,同年1月頃から頭の中でキーンとセミが鳴いているような音(頭鳴り)が続いていること,昨年春頃は仕事多忙であり,本件会社のストレスチェックに引っかかったことがあること,半年又は1年程前から左耳の耳鳴りが月1回程度あったこと,睡眠が前より浅くなったこと,音が気になって寝付きにくかったり中途覚醒がたまにあること,ゴルフは最近金銭的に厳しいので行っていないこと,オンラインゲームは楽しんでいることなどを30分以上にわたって話をした。
原告は,B医師から,初診時,身体表現性障害と診断され,抗不安薬であるメイラックスを処方されたが,平成24年3月4日に受診後の同月11日,耳鳴りが続いていること,気持ちが晴れないこと,頭も重いことなどを訴え,うつ病と診断され,ドグマチールを処方された。
原告は,平成24年3月にさらに2回受診した後,同年4月に5回,同年6月に2回,同年7月に1回,同年10月に1回,同年11月に4回,同クリニックを受診し,ドグマチール等の精神安定剤やジェイゾロフト等の抗うつ剤等の処方を受け,その後も同クリニックを受診している。
なお,原告は,平成25年10月3日,B医師に対し,労災の申請をしようか調べていると話し,その際に平成22年4月から耳鳴りやめまいがあったと話し,平成25年10月24日にも,平成22年1月から残業が増え,同年4月から耳鳴りで休みがちになったと話した。
(甲5,乙1・136頁,173頁,乙2・2頁ないし28頁)
イ 本件会社における原告の休暇取得状況等
本件会社では,勤続1年以上の者については1年当たり24日間付与され,年度末に休暇日数が残った場合,残余日数は翌年度限りで繰り入れられる年次有給休暇制度のほか,一定の勤続年数に達した社員に付与される「リフレッシュ休暇」,時間外労働及び休日労働をした場合に1日単位の休日を取得できる「ストック代休」や,時間単位で休暇を取得できる「タイムリー代休」(なお,平成23年7月以前は「私用外出遅早」との名称であった。),天災事変その他の事故による交通機関の運転休止のため出勤不可能なときに付与される「交通遮断休暇」,同居者又は居住地付近に伝染病患者が発生した場合等で,伝染病予防のため交通が遮断されたとき又は会社が必要と認めて休業させるときに付与される「予防休暇」等の休暇制度が定められていた。
平成21年10月から平成24年10月までの原告の休暇等の取得状況は別紙休暇等取得一覧記載のとおりである。本件会社における所定就業時間は,原則として午前9時から午後5時30分まで(休憩時間は午前12時から午前12時45分まで)であったが,変形労働時間制及びフレックス制が採られており,原告は,平成23年7月まで,コアタイムが午前11時から午後3時30分までのフレックス制が適用されていた。そのため,原告は,平成23年7月まで,午前9時より遅い出勤であっても遅刻の扱いになることはなく,また,フレックス制が適用されなくなった同年8月以降も午前9時までに出勤できない場合には「タイムリー代休」を取得するなどして遅刻の扱いにならないようにしており,それによって特に業務に支障が生じたことはなかった。
原告が休暇等を取得した理由として原告自身の体調不良のほか,妻の体調不良や私用による場合などもあったため,原告の上司は,原告が休暇等を取得していてもそれを問題視することはなく,平成23年12月又は平成24年1月頃に初めて,頭痛やめまい等の体調不良を理由とした原告の休暇が増加していることを認識するようになった。
(乙1・61頁,99頁,111頁,114頁ないし118頁,126頁,129頁ないし131頁,260頁,342頁ないし378頁,乙2・77頁,82頁ないし84頁,94頁,乙13,原告本人45頁)
ウ 医学的知見
(ア) うつ病の診断基準
a ICD-10の診断ガイドラインによれば,うつ病エピソードは,以下のとおり説明される。
(a) 軽症うつ病エピソード(F32.0)は,①抑うつ気分,②興味と喜びの喪失,③活動性の減退による易疲労感の増大や活動性の減少(以下,①から③までを「典型的症状」という。)のうちの少なくとも2つ,さらに④集中力と注意力の減退,⑤自己評価と自信の低下,⑥罪責感と無価値観,⑦将来に対する希望のない悲観的な見方,⑧自傷あるいは自殺の観念や行為,⑨睡眠障害,⑩食欲不振(以下,④から⑩までを「一般的症状」という。)のうちの少なくとも2つが存在しなければならない。いかなる症状も著しい程度であってはならず,エピソード全体の最短の持続時間は約2週間である。同エピソードの患者は,通常,症状に悩まされて日常の仕事や社会的活動を続けるのに幾分困難を感じるが,完全に機能できなくなるまでのことはない。身体性症候群を伴わないもの(F32.00)と身体性症候群を伴うもの(F32.01)に分けられる。
(b) 中等症うつ病エピソード(F32.1)は,典型的症状のうちの少なくとも2つ,さらに一般的症状のうちの少なくとも3つ(4つが望ましい)が存在しなければならない。そのうちの一部の症状は著しい程度にまでなることがあるが,もし全般的で広汎な症状が存在するならば,このことは必須ではない。エピソード全体の最短の持続期間は約2週間である。同エピソードの患者は,通常社会的,職業的あるいは家庭的活動を続けていくのがかなり困難になるであろう。身体性症候群を伴わないもの(F32.10)と身体性症候群を伴うもの(F32.11)に分けられる。
(c) 精神病症状を伴わない重症うつ病エピソード(F32.2)は,典型的症状の全て,さらに少なくとも一般的症状のうちの4つが存在し,そのうちのいくつかが重症でなければならない。しかしながら,もし激越や精神運動抑制などの重要な症状が顕著であれば,患者は多くの症状を詳細に述べることを進んでしようとしないか,あるいはできないかもしれない。このような場合でも一般的には,重症エピソードとするのが妥当であろう。うつ病エピソードは通常,少なくとも約2週間持続しなければならないが,もし症状が極めて重く急激な発症であれば,2週間未満でもこの診断をつけてよい。重症うつ病エピソードの期間中,患者はごく限られた範囲のものを除いて,社会的,職業的あるいは家庭的な活動を続けることがほとんどできない。
なお,精神病症状を伴う重症うつ病エピソード(F32.3)は,典型的症状の全て,さらに少なくとも一般的症状のうちの4つが存在し,そのうちのいくつかが重症でなければならない上,妄想,幻覚あるいはうつ病性昏迷が存在する。
(乙5)
b 米国精神医学会によるDSM-5の診断基準によれば,うつ病は,以下の基準を満たす必要がある。
(a) ①その人自身の言葉(例:悲しみ,空虚感又は絶望を感じる)か,他者の観察(例:涙を流しているように見える)によって示される,ほとんど1日中,ほとんど毎日の抑うつ気分,②ほとんど1日中,ほとんど毎日の,全て,又はほとんど全ての活動における興味又は喜びの著しい減退(その人の説明,又は他者の観察によって示される),③食事療法をしていないのに,有意の体重減少,又は体重増加(例:1か月で体重の5%以上の変化),又はほとんど毎日の食欲の減退又は増加,④ほとんど毎日の不眠又は過眠,⑤ほとんど毎日の精神運動焦燥又は制止(他者によって観察可能で,ただ単に落ち着きがないとか,のろくなったという主観的感覚ではないもの),⑥ほとんど毎日の疲労感,又は気力の減退,⑦ほとんど毎日の無価値観,又は過剰であるか不適切な罪責感(妄想的であることもある。単に自分をとがめること,又は病気になったことに対する罪悪感ではない),⑧思考力や集中力の減退,又は決断困難がほとんど毎日認められる(その人自身の説明による,または他者によって観察される),⑨死についての反復思考(死の恐怖だけではない),特別な計画はないが反復的な自殺念慮,又は自殺企図,又は自殺するためのはっきりとした計画,の①から⑨までの症状のうち5つ(またはそれ以上)が同じ2週間の間に存在し,病前の機能からの変化を起こしていること,これらの症状のうち少なくとも1つは①抑うつ気分,あるいは②興味又は喜びの喪失であることが必要である。
(b) その症状は,臨床的に意味のある苦痛,又は社会的,職業的,又は他の重要な領域における機能の障害を引き起こしている。
(c) そのエピソードは物質の生理学的作用,又は他の医学的疾患によるものではない。
(d) 抑うつエピソードは,統合失調感情障害,統合失調症,統合失調症様障害,妄想性障害,又は他の特定及び特定不能の統合失調症スペクトラム障害及び他の精神病性障害群によってはうまく説明されない。
(e) 躁病エピソード,又は軽躁病エピソードが存在したことがない。(乙15)
(イ) 東京労働局地方労災医員協議会精神障害専門部会の意見
東京労働局地方労災医員協議会精神障害専門部会は,原告について,平成24年1月頃に睡眠障害等の症状が顕著となり,休暇の回数も増加し,内科及び脳外科を受診したものの異常所見はなく,同年2月に精神科の受診に至っている経過等から,同年1月頃に診断ガイドラインの「気分(感情)障害」(F3)を発病したものと考えられるとしている。(乙1・141ないし143頁)
(ウ) C医師の意見
日本うつ病学会等に所属し,精神神経科学が専門である学校法人東邦大学名誉教授のC医師は,原告について,前記(イ)の専門部会の意見と同様の理由から,平成24年1月頃に診断ガイドラインの「気分(感情)障害」(F3)を発病したものと考えられるとしている。(乙6)
(2) 判断
ア まず,原告が,平成22年4月頃にうつ病を発病したと認められるか否かについて検討する。
(ア) 原告は,平成22年4月頃から,耳鳴り,めまい,頭痛,目の下部の痙攣等の身体的症状やイライラ,不安感,憂鬱感,やる気の欠如といった自覚症状が見られた上,妻の実家に行かなくなったこと,趣味活動を行わなくなったこと,いらいらして怒りやすくなったこと,衝動買いをするようになったこと,道を間違えるようになったこと等のうつ病エピソードがあった旨主張し,原告本人はそれに沿う供述をする。
しかし,前記認定事実のとおり,原告が平成16年や平成17年に頭痛やめまいの症状を有していたことは認められるものの,その他の症状やうつ病エピソードについては,平成22年頃に医療機関を受診しておらず,本件会社でも原告の体調不良等を認識していなかったことに照らせば,上記の原告本人の供述は採用することができず,他にこれを認めるに足りる証拠はないから,上記症状やうつ病エピソードを発症していたとは認められない。
原告は,平成22年当時に医療機関を受診しなかった理由として,医療機関を受診する習慣がなく,仕事や医療機関に行くより家で横になって休憩することを優先していた旨供述する(原告本人12頁,21頁,22頁,36頁)。
しかしながら,前判示のとおり,原告は,平成16年や平成17年には頭痛等を理由として医療機関を受診していたのであるから,平成22年当時に断続的に上記のような症状が出ていたのであれば,医療機関を受診する習慣がなかったとの理由で受診しなかったというのは不自然である。そして,原告が平成22年以降で医療機関を受診するようになったのは平成23年5月以降であるところ,その際に各医療機関で訴えていた症状は,左耳の耳鳴りが約1年前の平成23年2月頃に発症したと述べているのを除き,いずれも受診時に近接した時期に発症したと述べていることは先に認定したとおりであり,他に平成22年4月頃に発症していたと訴えていたことをうかがわせるに足りる証拠はない。原告が平成24年2月に本件会社の保健師に対して症状を説明したときにも,平成22年当時に頭痛等の症状が発症していた旨の訴えをしていないことは前判示のとおりである。原告は,あくまで受診した当時の症状の発症時期が診療録等に記載されたにすぎず,それ以前から頭痛や耳鳴り等を発症していたことを各医療機関でも話した旨供述するけれども,各医療機関の診療録等においてそのような話をしたことをうかがわせる記載が一切ないことからすれば,原告の上記供述は採用することはできない。
(イ) 原告は,平成22年4月2日付けの自己診断チェックリストの記載から,原告がうつ病に罹患していたことは明らかである旨主張する。
証拠(甲3,乙9)及び弁論の全趣旨によれば,自己診断チェックリストは,労働者が疲労の蓄積度を簡便に判断でき,自らの健康管理につながるものである一方,同チェックリストの判定結果と疲労の蓄積による現実の健康障害との関係については差異があることから,産業医等に相談することが望ましいとされており,直ちにうつ病の診断基準であるほどの精度を有するとはいえないこと,一般に,健康人も日常生活の中で折にふれて憂うつという言葉を口にし,問診票の抑うつ気分の項目には,誰でもすぐ丸印を付けるため,その訴えをうのみにせず,実際の体験の意味,内容を具体的客観的にとらえねばならないとされていることが認められる。これに加えて,原告は,平成22年4月6日の産業医との面談において,「この2週間以上,毎日のように,ほとんど1日中ずっと憂鬱であったり沈んだ気持ちでいましたか?」,「この2週間以上,ほとんどのことに興味がなくなっていたり,大抵いつもなら楽しめていたことが楽しめなくなっていましたか?」等の5つの質問全てに対して「いいえ」との趣旨の返答をしていることを総合すると,平成22年4月2日付けの自己診断チェックリストの記載内容からは,原告が疲労感を有していたことは認められるものの,それを超えて,原告がうつ病を発病していたと認めることはできないというべきである。
原告は,産業医との面談について,憂うつであったか否かという質問に対して「仕事は忙しくてそのようなことを考えている暇はない」などと答えたところ,それ以上のやり取りなく,単に「いいえ」の項目にチェックされたなどと供述するが,そのようなやり取りがされたことを認めるに足りる的確な証拠はない上,平成22年4月2日付けの自己診断チェックリストにおいても「これまで楽しんでやれていたことが,楽しめなくなった」,「自分が役に立つ人間だと思えない」との質問に対し自ら「いいえ」の項目にチェックしているほか,同年5月18日付けの同チェックリストには,うつ病等の一次スクリーニングになる5つの質問全てに「いいえ」とチェックしたことも考慮すると,同年4月2日付けの同チェックリストの記載をもって,うつ病を発病していたと認めることはできない。
(ウ) 原告は,平成22年4月以降に体調不良による遅刻や欠勤が増加していることは,同月頃にうつ病を発病していたことを裏付けるものである旨主張する。
しかし,前判示のとおり,原告は,体調不良のほか,家族の都合等でも休暇を取っていたのであるから,必ずしも各日ごとの遅刻や欠勤の理由は明らかではない上,平成22年4月以前にも一定の日数の休暇を取得したり午前9時より遅い出勤もしばしばみられたのであるから,同月前後の休暇の取得状況等から同月頃の発病を直ちに推認することはできないというべきである。
(エ) 原告は,平成22年1月から同年3月頃の業務が最も忙しく,平成24年1月頃にうつ病を発病したとするとその原因が考えられないため,平成22年4月頃にうつ病を発病した旨主張する。
しかし,証拠(甲3,乙3,14)及び弁論の全趣旨によれば,精神障害に至る発病のメカニズムは未だ十分に明らかにされていない上,精神障害の成因として一般に依拠することが適当と考えられているストレス―脆弱性理論においては,本人の脆弱性が弱ければ必ずしもストレスが強くなくても発病し,また,業務以外のストレスを理由として発病することもあり得ることが認められるから,業務の負荷の大小と発病時期とが必ずしも対応するとはいえないので,原告の主張は採用することができない。
(オ) 原告は,B医師において,原告が平成22年4月頃にうつ病を発病したとする判断を示しているとも主張する。
しかし,B医師が原告を初めて診察したのは平成24年2月26日であり,同医師がそれ以前の原告の症状について直接確認したものではなく,当該症状の有無や内容等については原告の話した内容に依拠するものであるところ,平成22年4月頃の症状等についての原告の供述が採用できず,同月頃に頭痛等のうつ病をうかがわせる症状があったと認められないことは前判示のとおりであるから,B医師の前記判断は,前提を欠くものであり,採用することができない。
(カ) 原告は,国民年金法及び厚生年金保険法による障害年金を受給するに当たっての診断書では,発病時期が平成22年4月頃と記載されている上,当該診断書をもって受給決定通知がされており,厚生労働省は発病日を同月頃と認定していることから,その頃に原告がうつ病を発病していた旨を主張する。
しかし,仮に,上記障害年金の給付に先立って平成22年4月頃が発病日と判断されたとしても,本件訴訟において同月頃を発病日と認定しなければならないものではなく,原告の主張は,採用することができない。
(キ) 以上のとおり,原告が平成22年4月頃にうつ病を発病したと認めることはできない。
イ そして,平成23年5月時点では耳鳴りの症状については内耳障害の可能性があること,同月以降平成24年1月まで医療機関を受診することはなく,同月に複数の医療機関を受診するようになり,同月頃に耳鳴りの症状や睡眠障害が悪化するようになったことなどの前記認定に係る原告の症状や受診歴に加え,それを前提とした医学的知見等に照らせば,原告は,同月頃にICD-10のF3に分類される精神障害である「気分(感情)障害」(以下「本件疾病」という。)を発病したと認めるのが相当である。
2 争点(2)(原告が発病した精神障害の業務起因性の有無)について
(1) 業務起因性の判断枠組みについて
労災保険法に基づく保険給付は,労働者の疾病等が業務上のものと認められることが要件となる(同法7条1項1号,12条の8第2項,労働基準法75条及び76条)ところ,保険給付の対象となる業務上の疾病の範囲は,労働基準法施行規則別表第1の2に掲げる疾病と定められ(労働基準法75条2項,労働基準法施行規則35条),同表9号は,「人の生命にかかわる事故への遭遇その他心理的に過度の負担を与える事象を伴う業務による精神及び行動の障害又はこれに付随する疾病」を掲げている。
そして,労働者の疾病等を業務上のものと認めるためには,業務と疾病等との間に相当因果関係が認められることが必要であるところ(最高裁昭和51年11月12日第二小法廷判決・裁判集民事119号189頁参照),労災保険制度が,労働基準法上の使用者の災害補償責任を担保する労災補償制度から出発した制度であり,災害補償責任が使用者の過失の有無を問わず被災者の損失を填補する危険責任の法理に基づくものであることからすると,上記の相当因果関係を認めるためには,当該疾病等の結果が,当該業務に内在する危険が現実化したものであると評価することができるものであることが必要である(最高裁平成8年1月23日第三小法廷判決・裁判集民事178号83頁,最高裁平成8年3月5日第三小法廷判決・裁判集民事178号621頁各参照)。
この点に関し,精神障害の業務起因性の判断については,厚生労働省労働基準局長が各都道府県労働局長宛に発出した認定基準が策定されているところ,これは,策定当時における最新の医学的知見を踏まえて策定されたものであり(乙3,4),その内容には合理性があると考えられる。
したがって,業務起因性の判断に当たっては,認定基準における考え方を参考にしつつ,精神障害の発病に至るまでの具体的事情を総合して相当因果関係を検討するのが相当である。
(2) 業務起因性の有無について
ア 認定基準で対象とする疾病は,ICD-10第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類される精神障害であるところ,前判示のとおり,原告は,平成24年1月頃に認定基準の対象疾病である本件疾病を発病したものと認められるから,認定基準を踏まえて本件疾病の業務起因性を検討する。
イ 原告は,平成22年4月頃にうつ病を発病したことを前提として,同年1月頃から同年3月頃までの本件会社における出来事をもって業務起因性がある旨主張する。
しかし,前判示のとおり,本件疾病の発病時期は平成24年1月頃であるので,原告の上記主張は前提を異にするけれども,まずは上記発病時期を前提に認定基準に当てはめると,認定基準は,対象疾病の発病前概ね6か月の間に業務による強い心理的負荷が認められることをもって業務起因性を認めるための要件であるとしており,平成22年1月頃から3月頃までの出来事とその後2年近くを経過した平成24年1月頃の本件疾病の発病との関連性を認めることはできないから,原告主張の上記出来事をもって業務起因性があると判断することはできない。仮に,認定基準を離れて検討しても,証拠(乙3)及び弁論の全趣旨によれば,精神障害の発病と発病の2年近く前の出来事との関連性を認める医学的知見は認められないというべきである。
そして,前提事実,証拠(乙1・84頁ないし89頁,96頁ないし98頁,106頁,363頁ないし369頁)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,平成23年10月1日,在籍会社の合併によって新設会社である本件会社(株式会社a)に転籍となっているが,職種や業務内容等が変更になるものではなかったこと,同年4月頃から同年11月頃にかけて,従前より携わっていた本件システムの保守業務に加え,中央労働金庫のサーバ構築の業務を担当することにより業務量が一定程度増加し,時間外労働時間が45時間以上となったことが認められるものの,これらの事実をもって認定基準別表1の「強」と評価されるような業務による強い心理的負荷があったと認めることはできず,他に上記心理的負荷を認めるに足りる証拠はない。
ウ そうすると,認定基準によれば,業務以外の心理的負荷及び個体側要因の有無について判断するまでもなく,本件疾病の業務起因性を認めることはできない。また,認定基準を離れ,原告の本件疾病の発病に至るまでの具体的な事情及び本件全証拠を総合しても,本件疾病の業務起因性を認めることはできない。
したがって,本件疾病が業務に起因するとは認められない。
3 結論
以上によれば,原告の請求は理由がないから,これを棄却することとして,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第19部
(裁判長裁判官 春名茂 裁判官 西村康一郎 裁判官 戸取謙治)
〈以下省略〉
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