「営業アウトソーシング」に関する裁判例(89)平成22年 8月10日 札幌高裁 平21(行コ)20号 遺族補償年金等不支給処分取消請求控訴事件 〔国・旭川労基署長(NTT東日本北海道支店)事件・控訴審〕
裁判年月日 平成22年 8月10日 裁判所名 札幌高裁 裁判区分 判決
事件番号 平21(行コ)20号
事件名 遺族補償年金等不支給処分取消請求控訴事件 〔国・旭川労基署長(NTT東日本北海道支店)事件・控訴審〕
裁判結果 控訴棄却 上訴等 確定 文献番号 2010WLJPCA08106001
要旨
◆陳旧性心筋梗塞等の既往症を有する夫が、勤務先の雇用形態・処遇体系選択に伴う職種転換研修期間中の休日に、急性心筋虚血により死亡したことにつき、妻である被控訴人が、処分行政庁から遺族補償給付及び葬祭料の不支給処分を受けたため、その取消しを求めたところ、原審が請求を全部認容したため、控訴人国が控訴した事案において、亡夫の雇用形態選択及び本件研修のストレスの検討の際、専門検討会報告書の他、厚生労働省労働衛生課編集の「過重労働による健康障害防止のための産業医研修テキスト」を参照した上、本件では、研修への参加、雇用形態選択から研修中も継続していた異動の可能性等への不安による肉体的、精神的ストレスが、亡夫の陳旧性心筋梗塞をその自然の経過を超えて増悪させ、急性の虚血性心臓疾患を発症させたといえ、業務と死亡との間には相当因果関係が認められるなどとして業務起因性を認め、原判決を維持して控訴を棄却した事例
裁判経過
第一審 平成21年11月12日 札幌地裁 判決 平20(行ウ)18号 遺族補償年金等不支給処分取消請求事件 〔国・旭川労基署長(NTT東日本北海道支店)事件・第一審〕
出典
労判 1012号5頁
参照条文
労働者災害補償保険法7条1項1号
労働者災害補償保険法12条の8第1項4号
労働者災害補償保険法12条の8第1項5号
労働者災害補償保険法16条の2
行政事件訴訟法3条2項
裁判年月日 平成22年 8月10日 裁判所名 札幌高裁 裁判区分 判決
事件番号 平21(行コ)20号
事件名 遺族補償年金等不支給処分取消請求控訴事件 〔国・旭川労基署長(NTT東日本北海道支店)事件・控訴審〕
裁判結果 控訴棄却 上訴等 確定 文献番号 2010WLJPCA08106001
控訴人 国
同代表者法務大臣 A
処分行政庁 旭川労働基準監督署長 B
控訴人指定代理人 C他7名
被控訴人 X
同訴訟代理人弁護士 高崎暢
同 大賀浩一
同 大友淳子
同 齋藤耕
同 佐々木潤
同 佐藤哲之
同 佐藤博文
同 島田度
同 菅原仁人
同 竹田美由紀
同 竹中雅史
同 竹之内洋人
同 綱森史泰
同 中村憲昭
同 日笠倫子
同 邨山達哉
同 山内崇史
同 渡辺達生
主文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は第1,2審とも被控訴人の負担とする。
第2 事案の概要
次のとおり訂正するほかは,原判決の「事実」欄の「第2 当事者の主張」に記載のとおりであるから,これを引用する。
1 原判決3頁16行目の「平成14年6月9日当時」を「上記旭川116センタにおいては,」に改める。
2 同9頁22行目の「身も知らぬ」を「見も知らぬ」に改める。
3 同16頁21行目の「喫煙」を「禁煙」に改める。
第3 当裁判所の判断
当裁判所も,被控訴人の請求は理由があるものと判断する。その理由は,次のとおり訂正するほかは,原判決の「理由」欄の「第1 事実関係について」及び「第2 業務起因性について」に記載のとおりであるから,これを引用する。
1 原判決22頁3行目の冒頭から同頁14行目の末尾までを以下のとおり改める。
「(5) Dは,平成13年1月1日から平成14年4月23日までの間(〈証拠省略〉),電話の新規加入,移転,増設及び名義変更並びに各種通信機器の設置について,利用者からの注文内容が正確に処理されているか否かを確認し,電話工事等の注文処理を完了させる業務(結了業務)のうち日締め作業及びバックオーダー処理業務を担当していた。
日締め作業とは,電話等の工事約束をした1日分の注文伝票の工事進ちょく状況を点検し,完了検査を行い,未完了となったものはその原因調査・分析を行うというものであり,バックオーダー処理業務とは,利用者やa社の都合で工事日時等に変更が生じ,工事が持ち帰りになったものの後処理を行うというものであった。
(6) Dは,雇用形態・処遇体系の選択に際して60歳満了型を選択した(〈証拠省略〉)が,同選択をするに際しては,転勤の可能性等の将来の生活設計,心疾患の状況,妻がパニック障害であるために単身赴任が困難と思われたことなどを含め,深刻に悩んでいた。
結局,Dは,60歳満了型を選択してa社に残留することになり,平成14年4月24日で北海道支店旭川営業支店に配置換えとなったが,a社の基幹業務であった固定電話等の業務を新会社に外注委託するとの方針が実行されたことにより,Dが従前担当していた日締め作業やバックオーダー作業のような業務は存在しなくなった。そのため,Dは,新たにソリューション業務(提案型業務)と呼ばれ,法人に対してそれぞれにあった情報システムを提案し販売することを主とする業務を担当することとなった。そして,その業務(法人業務)に必要な技能等を習得することを目的として,Dは,本件研修への参加を命じられた。
なお,同研修終了後の同年7月以降,Dらは新たな業務に就くことが予定されていたものの,研修参加者に対し事前通知があったのは同年6月20日のことであった。(以上につき〈証拠省略〉,弁論の全趣旨)」
2 同頁15行目の「(6)」を「(7)」に改める。
3 同25頁3行目の末尾に改行して以下のとおり加える。
「4 Dの死亡
Dは,平成14年6月9日,北海道樺戸郡〈以下省略〉に所在する先祖の墓の前で死亡しているのが発見された。
Dの死亡は,急性心筋虚血の発症による。
5 虚血性心疾患のリスクファクター
(1) 専門検討会報告書には,心筋虚血(虚血性心疾患)のリスクファクターとして,年齢(心臓性突然死の年齢分布では,45歳から75歳までにピークがある。),家族歴(遺伝),高血圧,喫煙,高脂血症,ストレス等が挙げられている(〈証拠省略〉)。
(2) 厚生労働省労働衛生課が平成15年6月に編集した「過重労働による健康障害防止のための産業医研修テキスト」(以下「厚生労働省テキスト」という。)には,日本循環器学会の虚血性心疾患の一次予防ガイドラインでのリスクファクターとして,加齢(男性45歳以上),冠動脈疾患の家族歴,喫煙習慣,高血圧(収縮期血圧140mmHg以上又は拡張期血圧90mmHg以上),高コレステロール血症(総コレステロール値220mg/dl以上又はLDLコレステロール値140mg/dl以上),精神的・肉体的ストレス等が挙げられている。
なお,厚生労働省テキストには,ストレス因子として把握すべき就業態様として,労働時間,不規則な勤務,拘束時間の長い勤務のほか,出張の多い業務等が挙げられている上,仕事のストレスの原因となる可能性のある主な要因として,作業内容及び方法について,仕事上の役割や責任がはっきりしていないこと,労働者の技術や技能が活用されていないこと等が,職場組織について,職場の意思決定に参加する機会がないこと,昇進や将来の技術や知識の獲得について情報がないこと等がそれぞれ挙げられ,また,ストレス対策のために事業場から提供を受けるべき組織レベルの情報として,事業場で進行しつつあるか又は将来予想される組織の変化について,終身雇用制の中止,早期退職勧奨や人員削減,大幅なアウトソーシング,その他経営方針の大きな変更等が,事業場や職場の組織・作業上の特徴や問題点について,技術の変化が激しいこと,リストラや雇用不安,単身赴任等がそれぞれ挙げられている。(以上につき〈証拠省略〉)」
4 同頁19行目の冒頭から同26頁3行目の末尾までを以下のとおり改める。
「2 本件研修前の業務について
前記認定のとおり,Dは,平成13年1月1日から平成14年4月23日までの間,電話の新規加入,移転,増設及び名義変更並びに各種通信機器の設置について,利用者からの注文内容が正確に処理されているか否かを確認し,電話工事等の注文処理を完了させる結了業務のうち日締め作業及びバックオーダー処理業務を担当していた。
しかし,Dが上記各業務において時間外労働及び休日労働により長時間労働を行っていたことを認めるに足りる証拠はなく,本件研修前の業務は,Dにとって過重な業務負荷があったとは認められない。」
5 同28頁21行目の冒頭から同29頁9行目の末尾までを以下のとおり改める。
「7 雇用形態選択及び本件研修のストレスについて
前記認定の事実によれば,Dは,平成5年12月2日から同月14日までの間,市立旭川病院に3回目の入院をしたが,その後の職場の定期健診等での心電図所見は,平成8年5月14日が「要経過観察」,平成9年5月15日が「下壁梗塞」,平成10年5月26日が「下壁梗塞疑い」,平成11年6月16日が「下壁梗塞」,平成12年6月22日が「高位後壁梗塞」であったこと,平成13年1月26日に市立旭川病院で行われた心臓超音波検査の結果では,左室駆出分画(EF)は47パーセント(50ないし80パーセントが正常値)であったこと,同病院で同月31日に行われた心電図検査の検査記録紙には,Dの心電図の波形の記録とともに,「3633 陳旧性(?)の下壁心筋梗塞〔II.AVFでQ巾40ms以上,ST.T異常のいずれか〕」,「4012中程度のST低下〔0.05mV以上のST低下〕」,「9150**abnormalECG**」,「医師の確認が必要です。」などというコメントが自動で印字され,同時に行われた胸部レントゲン写真では,心胸郭比(CTR)は43パーセント(50パーセント以下が正常値)であったことが認められ,これらの事実に照らすと,Dの心臓は,平成5年12月の3回目の入院後,平成13年1月ころまでにかけて,次第に安定した状態に落ち着きつつあったことが認められる。
ところが,前記認定のとおり,Dは,市立旭川病院のE医師に対し,平成13年6月15日には「脈がときおりゆっくりになるが早いときもある。」旨を,同年8月10日には「体調良い。不整脈は出ているが(欠滞)気にしないようにしている(せいぜい1分間に1~2回)。家では脈拍は50から60の間で,血圧は110くらい」である旨を,同年11月6日には「途中で目ざめることが多い(入眠して2,3時間経つと目ざめる)。」旨を,平成14年1月25日には「毎日ではないが,脈がとぶ。」,「1分間に2個くらい。」,「夜に発汗して目覚めることがある。」旨を,同月31日には前日の嘔吐,下痢のため受診し,「夜,脈が速かった。」旨を,同年4月19日には「ときに脈が100くらいまでふえることがある。」旨をそれぞれ訴えていた。また,前記認定のとおり,Dは,平成13年秋ころからは,「そうか。」,「やっぱりな。」,「そうだよな。」,「そうしないとだめか。」,「俺が我慢すればいいのか。」といった独り言を言ったり,「遠くになんか行きたくない。」,「東京には行きたくない。」などという寝言まで言うようになり,眠りが浅く,睡眠途中に目ざめることがあったほか,平成14年2月初旬から中旬ころにかけて,「肩が凝る,眠れない,胃が動かない,食欲がない,食べ物が消化しない。」などの症状を訴えることもあった。これらの事実を総合すれば,平成13年6月以降,Dには自律神経に関わると思われる種々の症状が現れていたと評価することができる。
折から,平成13年4月に,a社の事業構造改革が発表され,固定電話の保全,管理,営業等の業務を新会社に外注委託することが予定され,これにより,同年12月3日には,Dを含む50歳以上の従業員に対し,平成14年1月18日までに,繰延型,一時金型及び60歳満了型のいずれかの雇用形態を選択することが命ぜられたところ,Dは,雇用形態・処遇体系の選択に際して60歳満了型を選択したが,同選択をするに際しては,転勤の可能性等の将来の生活設計,心疾患の状況,妻がパニック障害であるために単身赴任が困難と思われたことなどを含め,深刻に悩んでいたことは前記認定のとおりであり,これらの事実に照らすと,平成13年6月以降にDに現れていた自律神経に関わると思われる種々の症状は,Dが雇用形態の選択に当たって抱いていた様々な精神的ストレスに一因があったと推認することができる。
また,前記認定の事実によれば,Dは,60歳満了型を選択した結果,新たに担当することになったソリューション業務(提案型業務)に必要な技能等を習得することを目的として,本件研修への参加を命じられたことが認められるが,前記認定にかかる本件研修中の状況等に照らすと,Dは,本件研修を通じて,新たに担当する仕事の具体的な内容が次第に明らかになり,それに伴って,従前担当していた業務とは異なる新しい業務に対する適応上の不安が増大したり,本件研修の終了後に発令されるかもしれない遠距離の異動により単身赴任を余儀なくされることへの不安が拡大したりしたものであり,本件研修が終了に近づくにつれて,精神的ストレスが更に増大していったものと推認される。
そして,前記認定のとおり,専門検討会報告書には,心筋虚血(虚血性心疾患)のリスクファクターとして,ストレス等が挙げられ,厚生労働省テキストにも,日本循環器学会の虚血性心疾患の一次予防ガイドラインでのリスクファクターとして,精神的ストレス等が挙げられていること,厚生労働省テキストには,仕事のストレスの原因となる可能性のある主な要因として,仕事上の役割や責任がはっきりしていないこと等が挙げられ,ストレス対策のために事業場から提供を受けるべき組織レベルの情報として,事業場で進行しつつあるか又は将来予想される組織の変化について,終身雇用制の中止,早期退職勧奨や人員削減,大幅なアウトソーシング等が,事業場や職場の組織・作業上の特徴や問題点について,リストラや雇用不安,単身赴任等がそれぞれ挙げられており,これらのストレスの原因及びその背景事情等については,a社の事業構造改革に伴う雇用形態・処遇体系の選択をめぐってDが置かれていた状況等と,共通ないし類似した点がみられることなどを併せ考えると,雇用形態選択に端を発し本件研修中にも増大したDの精神的ストレスは,その心臓疾患を自然的経過を超えて増悪させたことに相当程度悪影響を及ぼしたものというべきである。
8 Dの危険因子について
前記のとおり,Dは,家族性高コレステロール血症(ヘテロ型)に罹患し,30年近い喫煙歴がある58歳の男性であったことが認められる。控訴人は,こうした危険因子が業務とは関係なく心疾患の急激な悪化を招いたと主張する。
確かに,前記認定のとおり,専門検討会報告書には,心筋虚血(虚血性心疾患)のリスクファクターとして,年齢(心臓性突然死の年齢分布では,45歳から75歳までにピークがある。),家族歴(遺伝),高血圧,喫煙,高脂血症,ストレス等が挙げられており,また,厚生労働省テキストには,日本循環器学会の虚血性心疾患の一次予防ガイドラインでのリスクファクターとして,加齢(男性45歳以上),冠動脈疾患の家族歴,喫煙習慣,高血圧(収縮期血圧140mmHg以上又は拡張期血圧90mmHg以上),高コレステロール血症(総コレステロール値220mg/dl以上又はLDLコレステロール値140mg/dl以上),精神的・肉体的ストレス等が挙げられているのであって,Dは,上記のとおり,家族性高コレステロール血症(ヘテロ型)に罹患し,30年近い喫煙歴がある58歳の男性であったなど,虚血性心疾患のリスクファクターを有していたということができる。
しかしながら,前記認定のとおり,Dは,平成5年12月2日から同月14日までの間に市立旭川病院に3回目の入院をしたのを契機に,禁煙を実行しており,平成14年6月9日の死亡当時には8年半を超えて禁煙していたのであるから,喫煙によるリスクは相当程度減少していたといえる。また,Dは,平成13年春以降も平成14年4月19日まで市立旭川病院に月約1回の割合で通院していたが,同病院のE医師に対し,狭心症を訴えることなく,死亡前約1年間に行われた心臓関係の検査としては,平成13年6月6日の心電図(所見は「下壁梗塞」)並びに平成14年1月31日の心電図及び胸部レントゲンのみであったことは前記認定のとおりであり,Dの心臓は比較的安定していたということができる。さらに,前記認定のとおり,Dが市立旭川病院に3回目の入院をした後も,Dの総コレステロール値(管理目標値は180未満)は,平成9年5月15日に252を,平成12年9月29日に263をそれぞれ記録したが,平成13年1月26日には197にまで低下し,LDLコレステロール値(管理目標値は100未満)も,平成9年5月15日には185(計算によって求めた値),平成12年9月29日には176であったが,平成13年1月26日には130(計算によって求めた値)まで低下したのであって,コレステロール値は,管理目標値を超えていたとはいえ,一定程度コントロールされていたと評価することが可能である。
このようにしてみてみると,上記の家族性高コレステロール血症(ヘテロ型)等のDの危険因子は,業務とは関係なく虚血性心疾患を突然悪化させたとまでは認められないというべきである。
9 まとめ
以上の検討結果によれば,Dにとっては身体への負担が大きかった本件研修に参加したこと,雇用形態の選択を求められたことから始まり本件研修中も続いていた異動の可能性等への不安が,Dにとって大きな肉体的及び精神的ストレスとなり,これらがDの陳旧性心筋梗塞をその自然の経過を超えて増悪させる要因となり得たものというべきである。他方,Dは,家族性高コレステロール血症(ヘテロ型)に罹患していたが,Dのコレステロール値は一定程度コントロールされていたと評価することが可能であるから,家族性高コレステロール血症(ヘテロ型)に罹患していたというだけでは急性心筋虚血の確たる発症因子ということはできないし,また,Dは,30年近い喫煙歴があったものの,死亡当時には喫煙によるリスクは相当程度減少していたといえるから,喫煙習慣も急性心筋虚血の確たる発症因子ということはできず,他に急性心筋虚血の確たる発症因子の存在がうかがわれないところである。そして,Dの陳旧性心筋梗塞が,確たる発症因子がなくてもその自然の経過により急性心筋虚血を発症させる寸前にまで増悪していたことをうかがわせる事情は見出し難い(この点につき,控訴人は,Dの急性心筋虚血はDの基礎疾患の自然経過により発症したものと認められる旨主張するが,控訴人の主張が採用できないことは後述のとおりである。)以上,本件研修への参加,雇用形態の選択から本件研修中も継続していた異動の可能性等への不安による肉体的及び精神的ストレスがDの陳旧性心筋梗塞をその自然の経過を超えて増悪させ,急性の虚血性心臓疾患を発症させたものとみるのが相当であって,その間に相当因果関係の存在を肯定することができるというべきである。
したがって,Dの死亡は,労災保険法にいう業務上の死亡に当たるというべきである。
10 控訴人の主張について
控訴人は,次のとおり,Dの急性心筋虚血の発症はDの従事していた業務に起因するものではない旨主張するので,以下,控訴人の主張について検討する。
(1) 控訴人は,新認定基準等に照らせば,Dには急性心筋虚血の発症前6か月間をみても時間外労働時間はほとんどなく,また,本件研修に着目するにしても,時間外研修もないなど,本件研修を含むDの従事していた業務が疲労の蓄積を伴うほど過重であったとはいえない旨主張する。
そこで,検討するに,厚生労働省は,脳・心臓疾患の業務起因性の判定について,平成13年当時の最新の医学的知見を踏まえた専門検討会報告書(〈証拠省略〉)に基づき,新認定基準を定めており(〈証拠省略〉),この基準は,その作成経緯及び検討過程等に照らし,十分参考とされるべきものではあるが,新認定基準は,厚生労働省が処分を行う下級行政機関に対して運用基準を示した通達であって,労災保険不支給決定取消訴訟においては,当該事案に即した個別的な検討が必要となることはいうまでもない。
そこで,検討を加えるに,前記で説示したとおり,労働者が従事した業務が過重であったため,基礎となる血管病変等をその自然の経過を超えて増悪させ,急性心筋虚血を発症させた場合には,業務に内在する危険が現実化したものとして,業務と急性心筋虚血との相当因果関係を認めることができるところ,確かに,本件においては,本件研修前の業務は,Dにとって過重な業務負荷があったとは認められない(前記2)上,本件研修の内容自体は,Dにとって過重なストレスであったとは認められず(同3),本件研修の場所,移動手段及び移動時間も,自然的経過を超えてDの心疾患を悪化させるほど負担が大きいものであったとは認められない(同4)。また,本件研修中の宿泊状況も,Dの死亡につながるほど大きなストレスを与えるものであったとは認められない(同5)。
しかしながら,本件研修は,宿泊を伴う長期の研修と頻繁な移動を伴うものであり,これによって,普段であれば生じない(特に注意して避けていた)疲労がDの身体に蓄積し,これが休養によって回復しない状態が約1か月にわたって続き,Dの循環器にとって過大な負担が生じていたものと認められる(同6)上,雇用形態選択に端を発し本件研修中にも増大した精神的ストレスは,Dの心臓疾患を自然的経過を超えて増悪させたことに相当程度悪影響を及ぼしたものと認められる(同7)ことなどに照らすと,Dの本件研修への参加,雇用形態の選択から本件研修中も継続していた異動の可能性等への不安による肉体的及び精神的ストレスがDの陳旧性心筋梗塞をその自然の経過を超えて増悪させ,急性の虚血性心臓疾患を発症させたものとみるのが相当であって,その間に相当因果関係の存在を肯定することができるというべきである。
したがって,控訴人の主張は採用できない。
(2) 控訴人は,Dの既往歴や基礎疾患等からすると,Dの場合,遺伝的要因をも背景に異常に高くなっていたLDLコレステロール値と長期間かつ相当数にのぼる喫煙などによって,冠状動脈内にプラーク(血管の内側にできる限局性の肥厚)が形成され,プラークの脂質化が進行し,プラークがいつ破綻してもおかしくない状態にまで至っていたというべきであるところ,Dは,その自然的な経過によりプラークが破綻して,血栓が形成されたことにより冠血流が低下し,それに伴い発現した致死的不整脈によって死亡した旨主張し,これに沿う医師作成の意見書(〈証拠省略〉)を提出する。
そこで,検討を加えるに,Dが急性心筋虚血の発症により死亡したことは前記認定のとおりであるところ,前記認定にかかるDの過去の既往歴及びその治療経過,コレステロール値並びに喫煙歴等に照らすと,Dの冠状動脈内にプラークが形成されその脂質化が相当程度進行していたことは推認されるけれども,他方,前記認定の事実によれば,Dは,平成5年12月2日から同月14日までの間に市立旭川病院に3回目の入院をした後,平成14年6月9日に死亡するまでの約8年半以上にわたり,定期的に診察及び投薬を受け,医師の指示に従って健康に留意した生活を送っていたこと,この間,Dは,禁煙を継続し,Dの心臓は比較的安定していた上,Dのコレステロール値も一定程度コントロールされていたことが認められるのであり,これらの事実に照らしてみると,Dの冠状動脈内に形成されていたプラークが確たる発症因子がなくても,その自然的な経過により破綻する寸前にまで至っていたと断ずることはできないというべきである(前記のとおり,Dは,急性心筋虚血を発症して死亡したものであるが,急性心筋虚血を引き起こした直接的な原因(トリガー)については,Dの本件研修への参加,雇用形態の選択から本件研修中も継続していた異動の可能性等への不安による肉体的及び精神的ストレスのほかに,これを見出すことが困難というべきであるところ,上記意見書においては,かかるトリガーが何であるのかについても首肯できる説明がされていないといわざるを得ない。)。
したがって,控訴人の主張は採用することができない。」
第4 結論
以上によれば,原判決は相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井上哲男 裁判官 中島栄 裁判官 中川博文)
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