「営業支援」に関する裁判例(94)平成22年 9月30日 東京地裁 平22(ヨ)3026号 競業禁止仮処分命令申立事件 〔X生命保険事件〕
「営業支援」に関する裁判例(94)平成22年 9月30日 東京地裁 平22(ヨ)3026号 競業禁止仮処分命令申立事件 〔X生命保険事件〕
裁判年月日 平成22年 9月30日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 決定
事件番号 平22(ヨ)3026号
事件名 競業禁止仮処分命令申立事件 〔X生命保険事件〕
裁判結果 一部認容、一部却下 文献番号 2010WLJPCA09306005
要旨
◆生命保険会社である債権者が、同社を退職予定の執行役員である債務者に対し、競業避止の合意に基づき、2年間、競業する生命保険会社の取締役、執行役及び執行役員の地位への就任並びに同社の営業部門の業務への従事の差止めを申し立てた事案において、本件では、当事者間に本件競業避止条項に係る合意が成立したと一応認められるところ、本件条項に係る合意は、債務者の不利益に対して相当な代償措置が講じられており、競業会社の取締役、執行役及び執行役員の業務並びに同社の営業部門の業務に関する競業行為を債務者が退職した日の翌日から1年間のみ禁止すると解する限りにおいてその合理性が認められ、債務者の職業選択の自由を不当に害するとまではいえないから、公序良俗に反して無効であるとは認められないが、債務者の競業行為により、債権者の営業上の利益を侵害される具体的なおそれがあると一応認められるなどとして、申立てを一部認容した事例
◆退職後の競業避止を定めた条項の有効性について、一般に労働者には職業選択の自由が保障されていることから、使用者と労働者との間に、労働者の退職後の競業につきこれを避止すべき義務を定める合意があったとしても、使用者の正当な利益の保護を目的とすること、労働者の退職前の地位、競業が禁止される業務、期間、地域の範囲、使用者による代償措置の有無等の諸事情を考慮して、その合意が合理性を欠き、労働者の職業選択の自由を不当に害するものであると判断される場合には、公序良俗に反するものとして無効なものになるとされた事例
◆競業行為の差止請求は、職業選択の自由を直接制限するものであり、退職した役員又は労働者に与える不利益が大きいことに加え、損害賠償請求のように現実の損害の発生、義務違反と損害との間の因果関係を要しないため濫用のおそれがあるから、当該競業行為により使用者が営業上の利益を現に侵害され、又は侵害される具体的なおそれがあるときに限り認められるとされた事例
出典
労判 1024号86頁
労経速 2100号26頁
参照条文
民事保全法23条
民法90条
日本国憲法22条1項
裁判年月日 平成22年 9月30日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 決定
事件番号 平22(ヨ)3026号
事件名 競業禁止仮処分命令申立事件 〔X生命保険事件〕
裁判結果 一部認容、一部却下 文献番号 2010WLJPCA09306005
債権者 X生命保険会社
同日本における代表者 A
同代理人弁護士 中原健夫
同 大野美奈
同 大野徹也
同 関秀忠
同 松田健一
同 岡本大毅
債務者 Y
同代理人弁護士 角山一俊
同 木村貴弘
同 神尾有香
上記当事者間の頭書事件について、当裁判所は、債権者に、債務者のため、金2000万円の担保を立てさせて、次のとおり決定する。
主文
1 債務者は、平成23年9月30日までの間、a生命保険株式会社の取締役、執行役及び執行役員の業務並びに同社の営業部門の業務に従事してはならない。
2 債権者のその余の申立てを却下する。
3 申立費用は、これを2分し、その1を債権者の負担とし、その余を債務者の負担とする。
理由
第1 申立ての趣旨
1 債務者は、平成24年9月30日までの間、a生命保険株式会社の取締役、執行役及び執行役員の地位に就任してはならない。
2 債務者は、平成24年9月30日までの間、a生命保険株式会社の営業部門の業務に従事してはならない。
第2 事案の概要
1 本件は、生命保険会社である債権者が、同社を退職する予定の執行役員である債務者に対し、競業避止の合意に基づき、2年間、債権者と競業する生命保険会社の取締役、執行役及び執行役員の地位に就任すること並びに同社の営業部門の業務に従事することの差止めを求めている事案である。
2 債権者は、当初、「債務者は、平成24年9月30日までの間、a生命保険株式会社の業務に従事してはならない。」との裁判を求めていたが、平成22年9月28日付け申立ての趣旨変更申立書により、上記第1記載のとおり、申立ての趣旨を変更した。
3 債権者の主張は、平成22年9月8日付け競業禁止仮処分命令申立書、同月17日付け準備書面(1)、同月24日付け準備書面(2)、同月28日付け準備書面(3)、同月29日付け準備書面(4)及び同月30日付け準備書面(5)のとおりであり、債務者の主張は、同月17日付け答弁書、同月24日付け債務者準備書面(1)、同月28日付け債務者準備書面(2)及び同月29日付け準備書面(3)のとおりであるから、これらを引用する。
4 前提事実
当事者間に争いのない事実、掲記の疎明資料(枝番があるものはこれを含む。以下、同じ。)及び審尋の全趣旨によれば、次の事実が一応認められる。
(1) 債権者は、生命及び疾病保険業を営む生命保険会社であり、アメリカ合衆国に本店を置いている(以下、債権者というときは、債権者の日本支社のことをいう。)。債権者は、特にがん保険及び医療保険については、保険業界内においてトップシェアを占めている。(争いのない事実)
(2) 債務者は、債権者の執行役員であるが、平成22年9月30日付けで債権者を退職し、同年10月1日付けでa生命保険株式会社(以下「a生命」という。)に就職することが予定されている(争いのない事実、審尋の全趣旨)。
(3) 債務者は、昭和58年4月、債権者に入社し、東京、名古屋及び大阪等の主要都市の営業部門に所属した後、平成7年1月から東北営業本部秋田支社の支社長、平成10年1月から首都圏営業本部千葉支社の支社長、平成14年1月から東京第二営業本部の本部長、平成16年1月から営業推進部の部長をそれぞれ務めた上で、平成17年8月1日、執行役員に就任し、以後、中国及び四国、東京並びに近畿の営業各部門を統括する地位に就いている(争いのない事実、書証(省略))。
(4) 債務者に係る執行役員契約書では、契約期間は1年間とされ、競業避止義務として、「債務者は、執行役員の地位及び待遇に鑑み、在職中はもちろん本執行役員契約終了後2年間、債権者の業務と競業又は類似する業務を行う他社の役員、従業員にならないこと、及び、第三者をして競業又は類似する業務を行う他社を支援してはならないことに同意する。」旨の規定(以下「本件競業避止条項」という。)がある。
また、執行役員契約書には、秘密保持義務として、「債務者は、債務者が執行役員として債権者の役員規程に定める秘密情報に接触する機会が多いことに鑑みて、業務上必要ある場合を除き、本執行役員契約の契約期間中であると、本執行役員契約の終了後であるとを問わず、秘密情報を一切第三者に対し開示しないことに同意する。」旨の規定がある。
(以上につき、書証(省略))
5 争点
(1) 本件競業避止条項に係る合意の成否
(2) 本件競業避止条項に係る合意の有効性
(3) 債務者の競業行為によって債権者の営業上の利益が現に侵害され、また具体的に侵害されるおそれがあるか否か
(4) 保全の必要性の有無
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(本件競業避止条項に係る合意の成否)について
(1) 債務者は、本件競業避止条項のある執行役員契約書が債権者から送付されたのは、執行役員の任期が開始された後の毎年1月下旬以降であり、執行役員契約書への署名捺印を拒否できる状況になかった上、債権者から本件競業避止条項の目的、具体的な制限の内容及び範囲、代償措置等について一切説明も受けていないから、本件競業避止条項に係る合意は成立していないと主張する。
(2)ア 書証(省略)及び審尋の全趣旨によれば、債務者は、平成17年8月1日、債権者の執行役員に就任した後、平成18年から平成22年まで、毎年1月1日付けで任期1年間の執行役員として就任し、1年ごとに、本件競業避止条項のある執行役員契約書に署名してきたのであり、新たな任期を開始するに当たっては、当然、本件競業避止条項の存在を承知の上で執行役員としての業務を開始したものと一応認められる。
また、執行役員への就任後であっても、本人が希望する場合には、競業避止義務を負わない地位への降格もあり得るのであり(書証省略)、債務者の経歴やそれまでの債権者へ貢献にかんがみれば、執行役員契約書への署名捺印を拒否したとしても、直ちに債権者における職を失う具体的なおそれがあったとは認められない。
よって、執行役員契約書への署名が任期開始後であったとしても、それをもって本件競業避止条項に係る合意が成立していないということはできない。
イ また、書証(省略)及び審尋の全趣旨によれば、債務者は、平成16年5月28日、営業推進部長に就任した際にも、競業避止契約締結の理由及び背景を記した「競業避止契約書の締結について」と題する書面の交付を受けた上で、「競業避止及び秘密保持に関する契約書」に署名しており、同契約書には競業避止義務に関する条項として、「日本国内で、債権者と同一の第3分野の保険を主として販売する保険会社をはじめとする同業他社(生命保険会社および損害保険会社、その関連会社のうち、当該保険会社を実質的にコントロールするか若しくはその経営に影響を及ぼす会社、今後日本で保険業を行う予定の外国会社の役員になること及び顧問、従業員、その他名称を問わず雇用関係を締結すること」を辞職後2年間行わない旨の規定がある上、上記アのとおり、執行役員就任後も、毎年、執行役員契約書の交付を受け、本件競業避止条項の存在を承知の上で契約書に署名しているのであるから、債務者は本件競業避止条項の内容を理解していたものと一応認められる。
よって、債務者が主張するような事前説明がなかったとしても、それをもって本件競業避止条項に係る合意が成立していないということはできない。
(3) よって、債権者と債務者の間では本件競業避止条項に係る合意が成立したと一応認められる。
2 争点(2)(本件競業避止条項に係る合意の有効性)について
(1) 債務者は、本件競業避止条項に係る合意は、債務者にとって著しく不利益なものであるから、公序良俗(民法90条)に反し、無効であると主張する。
この点、一般に労働者には職業選択の自由が保障されている(憲法22条1項)ことから、使用者と労働者との間に、労働者の退職後の競業につきこれを避止すべき義務を定める合意があったとしても、使用者の正当な利益の保護を目的とすること、労働者の退職前の地位、競業が禁止される業務、期間、地域の範囲、使用者による代償措置の有無等の諸事情を考慮して、その合意が合理性を欠き、労働者の職業選択の自由を不当に害するものであると判断される場合には、公序良俗に反するものとして無効なものになると解される。
そこで、以下、この点について検討する。
(2) 本件競業避止条項の目的
ア 債権者が債務者との間で本件競業避止条項に係る合意をした目的は、以下のとおり、債権者の営業上の秘密及び保険代理店との人的関係の維持を実質的に担保することにあると認められる。
イ 債権者の営業上の秘密について
(ア) 疎明資料(省略)及び審尋の全趣旨によれば、次の事実が一応認められる。
a 債権者の営業上の秘密には、①債権者の中長期的及び年度単位の経営計画及び経営資源の配分方針、その重点テーマ及び推進策、主要経営指標の目標に関する情報のほか、②営業状態、営業課題、営業戦略、営業支援策・営業施策、営業ノウハウ、債権者全体の販売見込や実績、地域ごとの営業特性・傾向、③債権者が収集した保険代理店の詳細な事業特性、沿革、実績、営業方針、経営状況、関係会社・団体との関係、経営者の特性・個性や考え方、内部事情、地域ごとのマーケットの状況等に関する情報がある。
b 上記営業上の秘密には、①保険料収入金額、資産運用収益額、販売実績、保有契約実績、代理店登録数等に関する情報、②新たな保険商品の種類、開発計画、計画の進捗状況及び販売時期等に関する情報、③営業基本戦略の策定とそれに基づく代理店に対する新たな手数料体系及び営業施策費の改定プロジェクト、その計画及び新手数料体系の適用時期、代理店の支援内容(ステージに応じた手数料の上乗せ等)に関わるランク制度の在り方等に関する情報、④債権者の保険商品を扱う保険代理店同士の業務提携の在り方や今後の方針、業務提携を実現させるためのノウハウ、保険代理店間の人的関係など、保険募集のプロセスを構築するための営業施策に関する情報、⑤債権者の保険商品を扱っている保険代理店の名簿、各保険代理店へ支払っている手数料や営業施策費の種類及び額、各保険代理店のランク、特徴、実績及びニーズ、各保険代理店のキーマンや人的関係等に関する情報などが含まれる。
(イ) 上記のとおり、債権者には様々な営業上の秘密があるが、債権者の競業他社は、例えば、債権者の新たな保険商品に関する情報を入手した場合には、新商品販売開始をターゲットとして、自社商品のマーケティング戦略を立てることができ、債権者の新商品と競争できる自社商品の開発を早めに着手したり、既存の自社商品を改めるなど、自らの利益に使って、債権者に対して優位な地位に立つことが可能である。
また、保険代理店の収入は保険会社からの手数料や営業施策費から構成されているため、手数料や営業施策費の在り方は、保険代理店にとって、どの保険会社のどの商品を優先的に販売するかを決める上で重要な要素となる。競業他社が、債権者の既存又は新たな手数料体系及び営業施策費に関する情報を入手した場合には、これに対抗する手数料及び営業施策費を提案することによって、自社商品を優先的に販売してもらうことも可能である。
ウ 債権者の保険代理店との人的関係について
債権者には保険商品を顧客に直接販売するいわゆる営業職員がいないため、債権者の保険商品の販売は、専ら保険代理店及びそれに所属する募集人が担っており、債権者の営業成績(例えば、平成20年度における個人保険の分野における新契約成績は、件数151万8561件、1年分の保険料約1兆0474億4300万円)は、すべて保険代理店による保険商品販売の成果に左右されていると一応認められる(書証(省略)、審尋の全趣旨)。
そして、各地域を統括する営業担当の執行役員と各保険代理店の経営層との人的関係は、債権者の顔として、執行役員という地位にあるからこそ形成できるものも多く、債権者の力や影響力を背景に営業活動をした成果といえるから、単に労働者個人が日常的な業務遂行の過程により獲得した人的関係というにとどまらず、債権者が開拓した各保険代理店との人的関係と評価すべき面が大きい。
このように、保険商品を直接販売せず、専ら保険代理店に依存している債権者のような会社については、保険代理店の経営方針が債権者の収益に直結するものであるから、各保険代理店との関係が極めて重要となるのであり、債権者の執行役員と各保険代理店の経営層との高いレベルでの人的関係は、債権者にとってコストを伴っても維持する必要のある重要な財産であり、保護に値する利益の一つというべきである。
ただし、かかる利益は、営業上の秘密とは異なり、上記のとおり、属人的要素が強いから、これのみを過大評価することには慎重でなければならず、他の要素を考慮の上で、競業避止の合意の有効性を判断する必要がある。
エ 従って、債権者の営業上の秘密及び保険代理店との人的関係の維持を実質的に担保することを目的とする本件競業避止条項に係る合意は、債権者の正当な利益の保護を目的とするものと認めることができる。
(3) 債務者の地位
当事者間に争いのない事実、疎明資料(省略)及び審尋の全趣旨によれば次の事実が一応認められる。
ア 債務者は、平成16年1月から、営業部門全体の企画・立案・統括部門である営業推進部の部長に就任した。その際、債務者は、「競業避止及び秘密保持に関する契約書」に署名した。
営業推進部は、営業支援策の企画・立案・推進・管理、特殊団体募集の推進、営業活動効率化のための企画・立案・推進、営業方針徹底のための諸施策の実施、市場の開発・深耕及び開発深耕策の立案、営業推進に関わる計数管理などを所管し、債権者の営業支援策、営業施策及び営業ノウハウの中枢を把握・立案・発信する部門である。
イ(ア) 債務者は、平成17年8月1日から、四国営業本部(高松支社、松山支社、徳島支社、高知支社を統括)及び中国営業本部(岡山支社、広島支社、山口支社、鳥取支社、島根支社を統括)の担当執行役員に、平成19年1月1日から、東京テリトリー(東京都内の金融機関系列の代理店を担当する金融第一支社から金融第四支社、東京都内の鉄鋼・機械・金属・電機・自動車・精密・食品・医科学・石油その他のメーカー系列の代理店を担当する系列法人第一支社から系列法人第五支社、東京都内における独立法人タイプの代理店を担当する独立法人第一支社から独立法人第四支社の合計13支社で構成)の担当執行役員に、平成21年1月1日から、近畿地区(大阪府、京都府、兵庫県)の全ての企業系列法人代理店を担当する執行役員にそれぞれ就任した。
各地域の担当執行役員は、当該地域の営業部門を統括する地位にある。
(イ) 債務者は、執行役員在任中、債権者におけるがん保険及び医療保険に係る一般代理店について、保有契約実績トップ100社(全社に占める割合は44パーセント)のうち合計43社(全社に占める割合は27パーセント)、新契約実績トップ100社(全社に占める割合は29パーセント)のうち合計37社(全社に占める割合は9パーセント)を担当していた。
(ウ) 債権者の執行役員は、債権者の重要な経営課題を審議する最上位の会議体であるエグゼグティブコミッティ(参加資格は常務執行役員以上)の会議資料や議事録を格納するデータベースへのアクセス権限が付与されており、会議前に会議資料をデータベースに掲載した旨、会議後に議事録を掲載した旨のメールを受け取り、その内容を確認できる地位にある。
上記会議資料等には、新たな保険商品の種類、開発計画、計画の進捗状況及び販売時期等に関する営業上の秘密や、営業基本戦略の策定とそれに基づく代理店に対する新たな手数料体系及び営業施策費の改定プロジェクト、その計画及び新手数料体系の適用時期等に関する営業上の秘密などが含まれていた。
また、執行役員は、経営に係る重要な情報を経営レベルで共有するための会議体である経営委員会に参加する資格があり、新商品のプロモーションや営業に関する重要なプロジェクトの内容及び進捗状況など、経営に係る重要な情報を取得できる地位にある。
さらに、執行役員は、債権者の重要な経営情報(保険料収入金額、資産運用収益額、販売実績、保有契約実績及び代理店登録数等の情報)が格納されたデータベースへのアクセス権限が付与され、毎月、上記経営情報がデータベスへ掲載された旨のメールを受け取り、その内容を確認できる地位にある。
ウ 債務者は、上記ア及びイの地位を通じて、上記(2)イ(ア)に記載した債権者の営業上の秘密を把握してきた。
また、債務者は、これらの地位を通じて、多くの保険代理店の経営層との間で人的関係を構築し、特に、債権者の販売成績上位の代理店の多くを担当し、それらの代理店の経営層との間で密な信頼関係・人的関係を構築してきた。
エ なお、債権者には、平成22年9月15日時点において、合計4066名の役員及び従業員が在籍しているところ、債権者との間で退職後の競業避止義務に関する合意を締結しているのは、社長1名、常務執行役員(上席を含む。)7名、執行役員26名、部長職社員5名、顧問(役員待遇)5名、法律顧問(嘱託社員)の合計49名(全体に対する割合は約1.2パーセント)に限られている。
(4) 禁止される業務、期間、地域
ア a生命は、債権者と同様、日本全国において医療保険やがん保険という第3分野の保険商品を販売している生命保険会社であり、債権者と競業する会社であると一応認められる(書証省略)。
そして、債権者が競業の禁止を求めているのは、a生命の取締役、執行役及び執行役員の業務並びに同社の営業部門の業務に関する競業行為であり、一応限定がなされている。
イ 他方、債権者が求めている競業避止期間は2年間である。
しかし、債権者の執行役員の任期は、更新があり得るものの、1年間と比較的短期間であること(書証省略)、債権者のような生命保険会社の営業上の秘密は、製造企業において長年使用される技術等の秘密と異なり、新商品や手数料体系など、時々刻々と変化するマーケットの中における情報が多く、一定期間を経て公開され又は秘密でなくなるものも多いことが一応認められる(書証省略)。
かかる事情や職業選択の自由の重要性にかんがみると、競業避止期間については、これを1年間と解する限りにおいて、その合理性を認めることができる。
ウ 債権者の申立ては、競業避止の地域的制限を欠いているが、債権者が日本全国において営業を展開しており、債権者と競業するa生命も日本全国において営業を行っていることにかんがみると、地域的制限を設けないこともやむを得ないところであるから、不合理であるとはいえない。
(5) 代償措置
ア 当事者間に争いのない事実、疎明資料(省略)及び審尋の全趣旨によれば、次の事実が一応認められる。
(ア) 債務者の執行役員就任前の年収(報酬及び賞与の合計額。年換算。)は、1922万2226円であったが、執行役員就任後の年収(報酬及び賞与の合計額。年換算。)は、次のとおりであった。
平成17年 2635万6000円
平成18年 2230万円
平成19年 4792万1698円
平成20年 2828万6200円
平成21年 3686万8712円
なお、賞与の最低額は0円(平成18年)、最高額は2522万1698円(平成19年)であった。
(イ) 債務者は、債権者から、東北営業本部秋田支社長に就任した後の平成8年から執行役員に就任した平成17年までの間に、合計3万株のストックオプションの付与を受けた。
他方、債務者は、執行役員就任後の約5年間に、合計4万9500株のストックオプション及び合計8250株の制限付株式の付与を受けた。
(ウ) 債務者は、平成17年8月に執行役員に就任するに際し、同年7月までの退職金として1612万3000円が支払われているところ、今般、平成22年9月30日に債権者を退職する場合、平成17年8月から平成22年9月までの5年2か月にわたって執行役員を務めたことによる退職金は、執行役員契約書の規定に基づく計算によれば、3357万5000円となる(ただし、執行役員契約書上は、本件競業避止義務条項等の規定に違反しないことが前提とされている。)。
イ 上記アによれば、債権者においては、本件競業避止条項に対する明示的な代償措置としての報酬項目が設けられているわけではないが、債務者は、執行役員の地位において相当な厚遇を受けていたものということができる。
そして、かかる厚遇は、そのすべてを純粋に執行役員としての労働の対価であるとみることはできず、本件競業避止条項に対する代償としての性格もあったと一応認められる。
(6) 以上の諸事情を勘案すると、本件競業避止条項に係る合意は、不利益に対しては相当な代償措置が講じられており、a生命の取締役、執行役及び執行役員の業務並びに同社の営業部門の業務に関する競業行為を債務者が退職した日の翌日から1年間のみ禁止するものであると解する限りにおいて、その合理性を否定することはできず、債務者の職業選択の自由を不当に害するものとまではいえないから、公序良俗に反して無効であるとは認められない。
3 争点(3)(債務者の競業行為によって債権者の営業上の利益が現に侵害され、また具体的に侵害されるおそれがあるか否か)について
(1) 競業行為の差止請求は、職業選択の自由を直接制限するものであり、退職した役員又は労働者に与える不利益が大きいことに加え、損害賠償請求のように現実の損害の発生、義務違反と損害との間の因果関係を要しないため、濫用のおそれがある。
よって、競業行為の差止請求は、当該競業行為により使用者が営業上の利益を現に侵害され、又は侵害される具体的なおそれがあるときに限り、認められると解するのが相当である。
(2) 当事者間に争いのない事実、疎明資料(省略)及び審尋の全趣旨によれば、次の事実を一応認めることができる。
ア 債務者は、平成22年7月30日、債権者の執行役員であるBに対し、債権者を退職し、同年10月1日付けでa生命に転職する旨述べた。
イ 債務者は、同年8月13日、上席常務執行役員(全営業・全マーケティング担当)であるCに対し、同年9月30日をもって退職する旨の退職届を提出し、a生命に転職する旨述べた。
ウ その後、債務者は、同年8月20日、債権者の執行役員、統括法律顧問、コンプライアンスオフィサーであるD及び人事部長のEと面談し、a生命への転職は契約違反である旨の説明を受けた。
(3) 上記(2)のとおり、債務者は、平成22年7月30日から、債権者と競業する会社であるa生命に転職する旨繰り返し述べ、前記前提事実のとおり、同年10月1日からa生命に就職することを予定しているところ、債務者の経歴にかんがみると、a生命の経営や営業に直接関わる部門の要職に就く可能性が極めて高いと一応認められる。
しかし、債務者は、上記2(2)及び(3)のとおり、債権者の様々な営業上の秘密を把握している上、債権者の執行役員として、販売成績上位の保険代理店を含む多くの保険代理店の経営層との間で密な信頼関係・人的関係を構築してきた。
それゆえ、債務者が、a生命に就職し、同社の取締役、執行役若しくは執行役員の業務又は同社の営業部門の業務に従事し、債権者の営業上の秘密や保険代理店の経営層との高いレベルでの人的関係を利用して、商品のマーケティング戦略を立て、企業系列の大規模な保険代理店などのマーケットに働きかけ、債権者に対抗し得る商品等の提案を行って営業活動を展開すれば、医療保険やがん保険等の商品について、債権者とa生命間のシェアを塗り替えることも可能となると考えられる。
かかるシェアの奪取は、必ずしも債務者個人が単独で行い得るものではなく、a生命のマーケティング部門、営業管理企画部門及び戦略企画部門等の会社組織が一体となって行い得るものであるが、債務者が保有する債権者の営業上の秘密や保険代理店との高いレベルでの人的関係を利用した場合にはその効果が一段と発揮され、a生命が債権者に対して優位な地位に立つことができる。これは、債務者がa生命に就職した後に新たに開発される保険商品等だけでなく、既存の保険商品等を利用又は改革し、営業活動を展開することによっても可能であるといえる。
(4) よって、債務者の競業行為によって、債権者の営業上の利益を侵害される具体的なおそれがあると一応認められる。
4 以上によれば、債権者には、本件競業避止条項に係る合意により、平成23年9月30日までの間、a生命の取締役、執行役及び執行役員の業務並びに同社の営業部門の業務に従事することについて、債務者に対する差止請求権があると認められる。
5 争点(4)(保全の必要性の有無)について
前記のとおり、債務者は、平成22年10月1日から債権者と競業する会社であるa生命に就職することを予定しているところ、債務者の経歴にかんがみると、a生命の経営や営業に直接関わる部門の要職に就く可能性が極めて高く、その結果、上記3のとおり、債権者の営業上の利益が侵害される具体的なおそれがあるのであり、債権者及びa生命の企業規模にかんがみると、債権者に生じる損害の程度も著しいものとなると一応認められる。
よって、現時点において、債務者がa生命の取締役、執行役及び執行役員の業務並びに同社の営業部門の業務に従事することを差し止める必要性が認められる。
第4 結論
以上によれば、本件申立ては、平成23年9月30日までの間、主文第1項記載の業務の差止めを求める限度で理由があるから、これを一部認容し、その余の点については理由がないから、これを却下することとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 堀内元城)
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