「営業支援」に関する裁判例(63)平成25年10月23日 東京地裁 平24(行ウ)269号 遺族補償給付及び葬祭費不支給決定取消等請求事件
「営業支援」に関する裁判例(63)平成25年10月23日 東京地裁 平24(行ウ)269号 遺族補償給付及び葬祭費不支給決定取消等請求事件
裁判年月日 平成25年10月23日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平24(行ウ)269号
事件名 遺族補償給付及び葬祭費不支給決定取消等請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2013WLJPCA10238005
要旨
◆本件会社に勤務していた亡Bの妻である原告が、亡Bが自殺したのは本件会社における業務上の心理的負荷により精神障害を発病したことによるものであると主張して、本件労働基準監督署長に対して遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求したところ、同署長からこれらを支給しないとの各処分を受けたことから、被告国に対し、本件各不支給処分の取消しを求めた事案において、亡Bにおいてはうつ病エピソードを発病したとは認められず、仮に発病したものであったとしても、当該発病前概ね6か月間において業務による強い心理的負荷の存在を認めることはできないから、本件自殺につき業務起因性は認められないとして、請求を棄却した事例
参照条文
労働基準法75条
労働基準法79条
労働基準法80条
労働基準法施行規則35条
労働者災害補償保険法7条
労働者災害補償保険法12条の8
行政事件訴訟法3条2項
裁判年月日 平成25年10月23日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平24(行ウ)269号
事件名 遺族補償給付及び葬祭費不支給決定取消等請求事件
裁判結果 請求棄却 文献番号 2013WLJPCA10238005
東京都新宿区〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 山内一浩
圷由美子
被告 国
同代表者法務大臣 A
処分行政庁 立川労働基準監督署長
被告指定代理人 関根英恵
佐藤昌永
渡邊素美
藤井正子
坂本真一
煙山悟
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求の趣旨
立川労働基準監督署長が原告に対して平成22年6月10日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。
第2 事案の概要
本件は,亡B(以下「亡B」という。)の妻である原告が,亡Bが自殺したのは,勤務先であるa株式会社(以下「本件会社」という。)における業務上の心理的負荷により精神障害を発病したことによるものであると主張して,立川労働基準監督署長(以下「労基署長」という。)に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料の各支給を請求したところ,労基署長がこれらをいずれも支給しない旨の処分(以下「本件各不支給処分」という。)をしたことから,本件各不支給処分の取消しを求める事案である。
1 前提となる事実
以下の事実は,後掲各証拠等により認めることができる。
(1) 当事者等
亡Bは,昭和33年○月○日に我が国において出生し,我が国において育った大韓民国(以下「韓国」という。)国籍を有する男性であり,昭和56年3月に朝鮮大学校理学部生物科を卒業した後,上智大学生命科学研究所遺伝学教室在籍を経て,昭和62年3月10日,本件会社に入社し,以後,本件会社に雇用されて就労していたが,平成21年8月23日頃に死亡した。
原告は,昭和33年○月○日生の韓国国籍を有する女性であり,亡Bの妻である。亡Bと原告との間には,長男(昭和62年○月○日生)及び二男(平成元年○月○日生)の二人の子がいる。
本件会社は,焼肉のたれを始めとする調味料等を中心とした食品の製造・販売等を業とする株式会社である。なお,本件会社の商号に用いられている「○○」は,北朝鮮の平壌にある丘の名称(○○)でもある。
(甲11,乙7〔73頁,143頁から165頁まで〕,8〔148頁から155頁まで,970頁から976頁まで〕,弁論の全趣旨)
(2) 本件会社における亡Bの勤務状況等
ア 亡Bは,昭和62年3月10日,本件会社に入社し,生産部研究開発課長,営業開発課マネージャー,営業部特販開発課長,仕入部外注課長及び生産本部開発担当課長を経て,平成17年10月1日から,ソウル事務所部長として,韓国のソウル事務所(平成15年開設)に単身赴任により常駐勤務していた。その後,平成21年1月1日,本件会社内の組織の変更により,ソウル事務所が市場開発部に編入されたことに伴い,市場開発部ソウル事務所部長となったが,同年4月,その勤務形態が,韓国常駐勤務から日本勤務(ただし,1年間のうち183日間の範囲内での韓国出張を伴う。)に変更された。
(乙7〔166頁から179頁まで,225頁,257頁〕,8〔147頁〕,12の1・2)
イ 本件会社におけるソウル事務所の勤務者は,亡Bのみであり,その業務内容は,おおむね下記(ア)から(ウ)までのとおり,主として,韓国現地法人のb株式会社(2004年(平成16年)に設立された本件会社の関連会社。以下「現地法人」という。)が企業として確立し,営業活動を行っていくための管理・支援業務や,本件会社と現地法人との間の連携を図る業務であった。
なお,亡Bの勤務時間については,タイムカード等による管理がされていなかった。
(ア) 現地法人が韓国企業として確立するための支援
a 本件会社と現地法人とのつなぎ役(商品輸入や韓国限定開発商品について,本件会社と現地法人との間の連動を図る。)
b 現地法人の経営基盤強化・改善のための管理業務(現地法人の経理面におけるチェックと改善の取組)
(イ) 本件会社の韓国事務所としての役割
a 本件会社の従業員が韓国を訪問した際の接遇等の支援
b 現地法人の取引先が日本を訪問した際の接遇等の支援
(ウ) 現地法人の営業支援(現地法人の従業員が営業活動をする際の応援であり,韓国限定開発商品の説明等,技術面での説明を主体に行う。)
(乙7〔166頁から179頁まで,225頁〕,8〔147頁,970頁から976頁まで〕)
ウ 亡Bは,平成20年3月頃から同年11月頃までの間,現地法人の最大の取引先であったc社(韓国の大手流通企業)に対して,同社が求める業務用の焼肉のたれを本件会社において新規に開発して売り込むことを企図し,本件会社内において新商品開発を進めるとともに,c社の仕入担当者との間で価格や品質等について交渉を重ねた。その間,c社の仕入担当者から大幅な値下げ要求や,品質に関する細かな要求等を受け,これらの要求に応えるべく,本件会社の関係各部門との間で調整を行うなどした。しかし,最終的には受注に至らず,その過程で,亡Bの依頼に基づき本件会社において開発・製造された製品(「△△」20キログラム×283ケース,価格にして466万9500円相当)を廃棄することを余儀なくされた。亡Bは,c社の受注を得られず,上記製品を廃棄するに至った経緯について,本件会社からの指示により,「『△△』について」と題する平成20年11月27日付け報告書を作成・提出し,その中で,上記製品の廃棄により本件会社に損失を与えたことにつき自らに全面的な責任があるとして,反省・謝罪の意思を示した。
(乙7〔202頁から220頁まで,223頁〕)
(3) 亡Bの受診歴
亡Bは,平成16年12月から平成21年7月までの間において,多型滲出性紅斑,梅毒,帯状疱疹,感染症性皮膚炎,口内炎,炎症性粉瘤(左大腿),胃炎,舌炎,外陰部ヘルペス,クラミジア感染症の疑い,尿道炎の疑い,尖圭コンジローマ(亀頭),急性皮膚炎(口腔内,陰茎),口腔ガンジダ症等の傷病名により,多数の医療機関における受診歴を有していたが,精神障害に関する受診歴は,確認されていない。
(乙7〔233頁から243頁まで〕,8〔787頁から967頁まで〕)
(4) 亡Bの自殺
亡Bは,平成21年8月19日,自家用車で自宅を出た後,行方不明となり,同月23日頃,山梨県南都留郡山中湖村内に駐車した同車内において,練炭を燃焼させる方法により自殺した(死因は一酸化炭素中毒。以下「本件自殺」という。)。
(甲11,乙7〔108頁,143頁から163頁まで,231頁〕,8〔46頁から48頁まで〕)
(5) 本件訴訟に至る経緯
原告は,労基署長に対し,平成21年11月16日,労災保険法に基づく遺族補償給付(遺族補償年金)及び葬祭料の各支給を請求したが,労基署長は,いずれも平成22年6月10日付けで,亡Bの死亡は業務上の事由によるものとは認められないとの理由により,本件各不支給処分をした。
原告は,東京労働者災害補償保険審査官に対し,同月14日付けで審査請求をしたが,同審査官は,平成23年3月14日付けで上記審査請求を棄却する旨の決定をした。
原告は,労働保険審査会に対し,同年4月11日付けで再審査請求をしたが,同審査会は,同年10月21日付けで上記再審査請求を棄却する旨の裁決をした(原告が裁決書謄本の送付を受け,上記裁決があったことを知った日は,同月24日であった。)。
原告は,平成24年4月23日,本件各不支給処分の取消しを求める本件訴えを提起した。
(甲1,乙7〔1頁,59頁から66頁まで,264頁,266頁から350頁まで〕,弁論の全趣旨,当裁判所に顕著な事実)
2 精神障害の業務起因性に関する行政通達等
(1) 労働省は,精神障害の業務起因性に関する判断指針として,精神医学,心理学及び法律学の専門家らで構成された「精神障害等の労災認定に係る専門検討会」が取りまとめた「精神障害等の労災認定に係る専門検討会報告書」(乙2)の見解に基づき,「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(以下「判断指針」という。)を策定し,平成11年9月14日付けで,労働省労働基準局長通達「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(基発第544号)(乙3)を都道府県労働基準局長あてに発出した。その後,厚生労働省(以下「厚労省」という。)は,精神医学及び心理学の専門家らで構成された「職場における心理的負荷評価表の見直し等に関する検討会」が,厚労省の委託研究の結果等に基づき,判断指針において業務による心理的負荷の強度を評価する際に用いられる「職場における心理的負荷評価表」(判断指針別表1)の見直し等について取りまとめた「職場における心理的負荷評価表の見直し等に関する検討会報告書」(乙5)の内容を踏まえ,平成21年4月6日付けで,判断指針の内容を一部改正する旨の厚労省労働基準局長通達「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針の一部改正について」(基発第0406001号)(乙6)を都道府県労働局長あてに発出した。
判断指針策定後は,心理的負荷による精神障害に係る労働者災害補償保険給付の請求については,判断指針に基づいて,その業務上外の判断が行われていたが,厚労省は,精神医学,法律学等の専門家らで構成された「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会」が,審査の迅速化や効率化を図るための判断の在り方について取りまとめた「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書」(乙9)の内容を踏まえ,「心理的負荷による精神障害の認定基準」(以下「認定基準」という。)を策定し,平成23年12月26日付けで,厚労省労働基準局長通達「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(基発1226第1号)(乙1)を都道府県労働局長あてに発出し,判断指針を廃止した。
(2) 認定基準の内容
認定基準は,別紙心理的負荷による精神障害の認定基準のとおりであり,その概要は次のとおりである。
ア 対象疾病
認定基準は,対象疾病について,国際疾病分類第10回修正版(以下「ICD-10」という。)第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類される精神障害(その大分類は,別紙ICD-10第Ⅴ章「精神および行動の障害」分類記載のとおりである。)であって,器質性のもの及び有害物質に起因するものを除くもの(すなわち,主として同別紙記載F2からF4までに分類される精神障害)としている。
対象疾病については,判断指針と実質的に異なるところはない。
イ 認定要件
認定基準は,認定要件について,①対象疾病を発病していること,②対象疾病の発病前おおむね6か月の間に業務による強い心理的負荷が認められること,③業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと,という3要件を掲げ,そのいずれをも満たした場合に,当該対象疾病に該当する精神障害につき,労働基準法施行規則(以下「労基法施行規則」という。)別表第1の2第9号に該当する業務上の疾病として取り扱うとしている。
認定要件についても,判断指針と実質的に異なるところはない。
なお,認定基準は,対象疾病の発病前おおむね6か月の間に業務による強い心理的負荷が認められることを認定要件としたことの理由として,対象疾病の発病に至る原因の考え方につき,「ストレス―脆弱性理論」(環境由来の心理的負荷(ストレス)と,個体側の反応性,脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まり,心理的負荷が非常に強ければ,個体側の脆弱性が小さくても精神的破綻が起こるし,逆に脆弱性が大きければ,心理的負荷が小さくても破綻が生じるとする考え方)に依拠したとしている。
ウ 対象疾病発病の有無等の判断
認定基準は,上記認定要件①の対象疾病の発病の有無,発病時期及び疾患名について,「ICD-10 精神および行動の障害 臨床記述と診断ガイドライン」(乙4。以下「診断ガイドライン」という。)に基づき,主治医の意見書や診療録等の関係資料,請求人や関係者からの聴取内容,その他の情報から得られた認定事実により,医学的に判断されるものとしている。
認定基準の上記見解については,判断指針における内容と実質的に異なるところはない。
診断ガイドラインは,認定基準における対象疾病の一つであるうつ病エピソード(ICD-10 F3の中分類F32)について,最も典型的な症状として,① 抑うつ気分,② 興味と喜びの喪失,③ 活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少が見られ,他の一般的な症状として,(a)集中力と注意力の減退,(b)自己評価と自信の低下,(c)罪責感と無価値観,(d)将来に対する希望のない悲観的な見方,(e)自傷あるいは自殺の観念や行為,(f)睡眠障害,(g)食欲不振が見られるとした上,軽症うつ病エピソードの診断を確定させるためには,上記①から③までの各症状のうち少なくとも二つ,上記(a)から(g)までの各症状のうち少なくとも二つが存在し,かつ,これらが少なくとも約2週間持続することが必要であるとする。
エ 業務による心理的負荷の強度の判断
認定基準においては,上記認定要件②に関し,業務による心理的負荷の強度を判断する際に用いる認定基準別表1「業務による心理的負荷評価表」(以下「認定基準別表1」という。)が新たに定められた。
そこでは,特別な出来事と特別な出来事以外に分けてその類型を示し,特別な出来事以外については,業務による出来事と出来事後の状況を一括して心理的負荷を判断することとして具体例が示されたほか,対象疾病の発病に関与する業務による出来事が複数ある場合の心理的負荷の程度については,それぞれの出来事について,心理的負荷についての総合評価を行って,「強」,「中」又は「弱」に評価したうえ,そのいずれかの出来事が「強」の評価となる場合には,業務による心理的負荷を「強」と全体評価し,いずれの出来事も単独では「強」の評価にならない場合には,出来事が関連して生じているときは,全体を一つの出来事として評価し,原則として,最初の出来事を認定基準別表1に当てはめ,関連して生じた出来事については出来事後の状況とみなす方法により全体評価を行い,出来事に関連性がないときは,出来事の数,各出来事の内容(心理的負荷の強弱),各出来事の時間的な近接の程度を元に,全体的な心理的負荷を評価することとされている。
また,認定基準別表1には,時間外労働時間数を指標とする基準も示されており,発病日から起算した直前の1か月間におおむね160時間を超える時間外労働を行った場合等には,心理的負荷の総合評価を「強」とし,長時間労働以外に特段の出来事が存在しない場合には,長時間労働それ自体を出来事とし,新たに設けられた「1か月に80時間以上の時間外労働を行った」という具体的出来事に当てはめて心理的負荷を評価することとされた。
3 専門部会意見書の概要
本件自殺の業務起因性に関する東京労働局地方労災医員協議会精神障害等専門部会作成の平成22年6月3日付け意見書(乙7〔244頁から249頁まで〕)の概要は,次のとおりである。
精神障害の発病の有無について,亡Bの様子の変化等を診断ガイドラインに照らして判断するに,平成20年末頃以降における「疲れた。」との発言,食欲減退及び不眠症状の存在については,原告の申述があるものの,亡Bの心身の変調に関する職場関係者からの申述は確認されておらず,また,職場での就労状況にも問題は確認されていない。したがって,日常生活・社会生活に支障があったとは認められず,亡Bが精神障害に罹患していたと判断することはできない。
本件自殺以前のおおむね6か月間における業務関連の出来事を判断指針に従って評価するに,韓国常駐勤務から日本勤務への勤務形態の変更に係る心理的負荷の総合評価は,「弱」である。他方,業務以外の心理的負荷としては,本件自殺の直前時期に至るまでの受診状況が存在する。過去における精神障害の既往歴や性格偏向等の特段の個体側要因は,確認されていない。
結論として,本件自殺については,判断指針に基づく業務要因の検討を要すべき精神障害の発病自体を推認できないので,業務外として処理するのが相当である。
4 争点及び当事者の主張
本件の争点は,本件自殺の業務起因性であり,これに関する当事者の主張は,以下のとおりである。
(1) 原告の主張
ア 亡Bの精神障害の発病について
亡Bの体調や言動については,次の(ア)から(サ)までの事実経過が存在し,これらの事実経過に照らすと,亡Bには当初,うつ病エピソードによくみられる自律神経症状等の身体症状が断続的に出現し,次いで,平成20年9月ころ,前述の身体症状が継続的に出現するようになり,そして,平成21年1月ころ,易疲労感,倦怠感,喪失感等のうつ病エピソードの精神症状が出現したものと解される。したがって,亡Bは,前述の精神症状が出現した平成21年1月頃,うつ病エピソードを発病したというべきである。
亡Bのうつ病エピソードの発病を否定する被告の主張は,医療機関を受診せず,職場や家族に対して精神の変調を隠すという中高年層の会社員のうつ病エピソード患者によく見られる傾向を考慮しないまま,本件会社によって緘口令が敷かれた状態での職場関係者(本件会社における亡Bの上司や現地法人の従業員)からの聴取結果を不当に偏重するものであり,誤りである。
(ア) 平成20年5月頃
亡Bは,以前より多汗になるとともに,午前4時や5時ころの早朝に覚醒するようになった。
多汗は,自律神経症状の一種であり,自律神経症状は,うつ病エピソードの前段階又はうつ病エピソードと併発する症状として,極めてよく見られるものである。また,早朝覚醒は,うつ病エピソードの初期から中期の段階でよく見られるものである。
(イ) 平成20年9月頃
亡Bは,口内炎を発症するとともに,舌の痛み等を訴えていた。
舌痛症は,心身医学的な疾患で,中枢神経系の関与が指摘され,抗うつ剤の一種であるミルナシプランが治療に用いられることが多い。
(ウ) 平成20年10月頃
亡Bは,原告と二人で通りを歩いているとき,「フワフワする。」と言って,隣の歩行者にぶつかりそうになることが多くなった。
この浮動性めまいは,うつ病エピソードあるいは自律神経失調症のよくある自律神経症状である。
(エ) 平成20年末及び平成21年年始頃
亡Bは,以前と異なり「疲れた。」とよく言い,目を閉じて溜息をついていた。
易疲労感,倦怠感は,うつ病エピソードで一般的に認められる典型的な症状である。
(オ) 平成21年1月頃
亡Bは,以前に週1回以上は通っていたプールに通わなくなり,自宅でダンベルによる筋力トレーニングをすることもなくなった。これらは,易疲労感,倦怠感の現れである。
原告の弟であるC(以下「C」という。)が,本件会社における亡Bの勤務形態の変更を聞きつけ,亡Bに電話をかけて「日本に帰ることができてよかったですね。」と切り出すと,亡Bは,「そういうもんじゃない。栄転なんかじゃない。」,「会社は日本では工場に行けと言うが,自分に与えられた仕事は無い,行ってもすることが無い,韓国にも日本にも居場所が無いんだよ。」,「もう韓国に行きたくない。」などと発言した。また,亡B及び原告の知人であった韓国在住の韓国人D(以下「D」という。)が韓国で亡Bと会った際,亡Bは,以前と違って力の無い様子であり,自ら進んで飲酒をしつつ,「本当はもっと韓国でやりたかったが,日本に帰ることになった。これからは行ったり来たりの生活になる。」と苦しそうに話し,Dが「栄転なんですか。」と尋ねても何も答えず,「韓国で自分が最善を尽くして一生懸命働いたのに,日本勤務になってとても残念だ。」などと多くの愚痴を言っていた。
これらの亡Bの発言は,亡Bの喪失感を表しているが,喪失感はうつ病エピソードの重要な原因の一つである。
(カ) 平成21年2月頃
亡Bは,早朝に覚醒して午後8時や9時頃には居眠りをするという状態が続くようになり,食事量及び体重が減少し,帯状疱疹や胃炎等も患っていた。亡Bが「疲れた。」と言って目を閉じていたので,原告は,「せめて会社に言って10日くらい休んだり入院したらどうか。」と勧めたが,亡Bは,「ここまで頑張ってきて韓国事務所は軌道に乗り始めている。これからというときに自分だけ手を引くのはあまりにも悔しい。」と言い,原告の勧めを断った。また,亡Bは,以前と異なり起床後の自分の布団をそのまま放置するようになり,自らの衣類の購入についても以前のようなこだわりがなくなり,底のはがれた靴を履いてそのまま引きずって歩くなどしていたほか,従前保有していた勤務先用の携帯電話2個及び私用の携帯電話1個のうち,私用の携帯電話1個を解約した。
食欲低下は,うつ病エピソード罹患や心理的ストレスがかかった際に一般的に認められるもので,典型的な自律神経症状である。
胃炎は,代表的な自律神経症状の一つである消化器症状であり,うつ病エピソード罹患者には頻発する症状である。帯状疱疹は,過労やストレス負荷による免疫力の顕著な低下により発症する。
布団の放置や買い物におけるこだわりの喪失は,倦怠感,易疲労感,意欲低下,興味低下を表している。
私用携帯電話の解約は,亡Bが,メールや電話の連絡が非常に億劫になっていたため,携帯電話の数を減らしたかったことによるものと推測される。
(キ) 平成21年3月
同月11日,原告が,亡Bに対し「お疲れさまです。ゆっくり休んでっていう思いはあります。けど,今まで苦労して,ここまで築き上げたのですから,まさに,今,戻るのはあまりにもったいない!入院,一時帰宅は歓迎。あと10年です,深呼吸して,ちょっとだけ休んで,頑張りましょう。」との電子メールを送信したところ,亡Bは,原告に対し,「あの後寝てしまったようです。力を抜きながら頑張ります。(できるのかなあ)心配しないで…ありがとう。」との電子メールを返信した。
また,○月○日,亡Bは,原告に対し「ホワイトデイすみませんでした。あまりにも疲れていたので,連絡するのもと思い電話できませんでした。今日はEの誕生日ですね。いつもありがとうございます。感謝しております。」との電子メールを送信した(なお,上記「E」とは,亡Bと原告の長男のことである。)。
原告が「入院」という言葉を使っていることからも,当時,亡Bが,落胆し,かつ,非常に疲れている状況にあったことが明らかである。また,ホワイトデーに連絡すらできなかったことは,当時,亡Bが相当深刻なうつ病エピソードの症状を発症していたことを裏付けるものである。
(ク) 平成21年5月20日頃
亡Bが生前使用していた手帳には,従前,本件会社の業務予定や新商品開発等に関する細かなメモが多数記載されていたが,同日頃以降の記載欄における記載量は,従前と比べて著しく減少していた。
亡Bは,几帳面な性格から手帳に詳細な業務上のメモを残していたが,この頃には,それまでできていたことが億劫となりできなくなっていることが顕著に表れている。すなわち,このことは,亡Bが日本に異動となった後の仕事量の大幅な減少を意味するとともに,うつ病エピソード発症に伴う日常行動の意欲の著しい低下・減退,倦怠感,易疲労感,さらには閑職のような業務への左遷による喪失感,虚無感にとらわれていたことを示すものである。
(ケ) 平成21年6月頃
亡Bは,原告に対して余り話さなくなり,Cとの電話による会話でも余り言葉が続かず,会話をするのも億劫な様子であった。また,亡Bは,Dとの電話による会話で「日本勤務になったが自分の仕事がかなり無くなって大変だ。」と言い,疲れた様子を示していたほか,Dが「休暇を取って韓国に遊びに来てください。」,「中国に一緒に旅行しましょう。」などと誘っても,「面倒くさい。」と言って,その誘いを断っていた。
この発語減少は,客観的に現れたうつ病エピソードの精神症状として極めて重要であり,この頃の亡Bのうつ病エピソードの症状が深刻な状態に至っていることを示すものである。また,Dのような極めて親しい人物からの旅行の誘いについてさえ,億劫でやりたがらなくなってきたことが顕著であり,これも亡Bが日本に異動となった後の仕事量の大幅な減少を意味するとともに,うつ病エピソード発症に伴う日常行動の意欲の著しい低下・減退,倦怠感,易疲労感,さらには閑職のような業務への左遷による喪失感,虚無感にとらわれていたことを示すものである。
(コ) 平成21年7月頃
亡Bは,本件会社において,ほとんど発言をしなくなった。
うつ病エピソードの精神症状は,一般的に家族など近しい者が最初に変調を感じ取るが,発語減少が職場でも見られるようになるということは,亡Bのうつ病エピソードの症状が深刻化していることを示すものである。
(サ) 平成21年8月
亡Bは,これまで毎年8月,原告ら家族とともに亡Bの名古屋の実家及び原告の神戸の実家に帰省していたが,平成21年8月は,疲労のため体を休めるべく自宅に残り,原告のみが自らの神戸の実家に帰省した。
亡Bは,例年の慣例となっており,楽しみにもしていた帰省を,あえてやめて自宅で休養していたのであり,亡Bの疲労感,倦怠感がピークに達しており,それ以前にうつ病エピソードを発症していたことは明らかというべきである。
イ 亡Bの精神障害の業務起因性について
認定基準別表1に則して,本件会社における亡Bの業務による出来事及びその心理的負荷の強度を検討すれば,亡Bにおいては,以下のとおり,平成21年1月頃のうつ病エピソードの発病前おおむね6か月の間に,心理的負荷の強度が「強」に該当する業務上の出来事が多数存在するなど,本件会社の業務による強い心理的負荷が認められる。
これに対し,亡Bは,平成16年12月以降,本件自殺の直前時期である平成21年7月に至るまでの間,性病や皮膚疾患等による一連の通院歴を有しているが,これらの疾患はいずれも治療により完治したか,あるいは完治し得るものであるなど,重度のものでないことは明らかであって,特段の心理的負荷を有するものではなく,その他,亡Bにおいて,業務以外の心理的負荷等は存在しない。
したがって,亡Bのうつ病エピソードについて,業務起因性が認められる。
(ア) 新商品開発等の失敗について
亡Bは,平成20年3月頃から同年11月頃までの間,c社からの受注を目指して,本件会社内での新商品開発及びc社の仕入担当者との交渉を重ね,その間,c社の仕入担当者からの大幅な値下げ要求や,品質に関する細かな要求等に応えるべく,本件会社の関係各部門との間で調整を行うなどの努力を行ったが,最終的には受注することができず,その過程で,製品の廃棄を要するに至り,これにより,本件会社に対して466万9500円相当の損失を発生させた。
亡Bは,上記損失の発生について始末書を提出しているところ,平成21年1月1日,本件会社のソウル事務所が市場開発部に編入され,これにより,亡Bは,ソウル事務所及び現地法人の統括業務や営業等に関する従前の責任者的地位を実質的に奪われた。
上記一連の出来事は,認定基準別表1の「特別な出来事以外」の具体的出来事における具体例のうち,①「経営に重大な影響のある新規事業等(失敗した場合に倒産を招きかねないもの,大幅な業績悪化につながるもの,会社の信用を著しく傷つけるもの,成功した場合に会社の新たな主要事業になるもの等)の担当であって,事業の成否に重大な責任のある立場に就き,当該業務に当たった」(項目10,心理的負荷の強度「強」),②「通常なら拒むことが明らかな注文(業績の著しい悪化が予想される注文,違法行為を内包する注文等)ではあるが,重要な顧客や取引先からのものであるためこれを受け,他部門や別の取引先との困難な調整に当たった」(項目11,心理的負荷の強度「強」),③「会社の経営に影響するなどの重大な仕事上のミスをし,事後対応にも当たった」(項目4,心理的負荷の強度「強」)にそれぞれ該当する。
(イ) 本件会社内の組織の変更及び亡Bの勤務形態の変更について
平成21年1月1日,ソウル事務所が市場開発部に編入されたことに伴い,同年4月以降の亡Bの勤務形態は,従前の韓国常駐勤務から日本勤務となったが,これにより,亡Bは,ソウル事務所及び現地法人の統括業務や営業等に関する従前の責任者的地位を実質的に奪われ,部下もいない状況となり,十分な仕事を与えられなくなった。
上記一連の出来事は,認定基準別表1の「特別な出来事以外」の具体的出来事における具体例のうち,①「左遷された(明らかな降格であって配置転換としては異例なものであり,職場内で孤立した状況になった)」(項目21,心理的負荷の強度「強」),②「転勤をした」(項目22,心理的負荷の強度「中」),③「仕事のペース,活動の変化があった」(項目19,心理的負荷の強度「弱」),④「部下が減った」(項目26,心理的負荷の強度「弱」)にそれぞれ該当するほか,認定基準別表1の「特別な出来事以外」の総合評価における共通事項1①に示された出来事後の状況である「仕事が孤独で単調となった」,「自分で仕事の順番・やり方を決めることができなくなった」にも該当する。
(ウ) 長時間労働について
亡Bのうつ病エピソードの発病前おおむね6か月間である平成20年7月から同年12月までの間の亡Bの時間外労働時間は,下記のとおりである。
なお,亡Bの勤務時間については,タイムカード等による管理がされていなかったことから,下記の時間外労働時間は,職場関係者からの聴取結果,出勤簿,メール記録,交際費・会議費稟議書,領収書,亡Bが生前使用していた手帳等に記載された情報に基づき,①通常の勤務日における出勤時刻は午前8時50分,退勤時刻は午後6時30分とする,②勤務日の休憩時間は1時間とする,③出勤簿に記載された所定休日についても,亡Bの手帳記載や領収書等が存在する日は,上記①の時間労働したものとみなす,④出勤時刻について,タクシーの領収書等により上記①の時刻よりも早い時刻に始業していると認められる日は,その時刻による,⑤夜に接待をした日の退勤時刻について,タクシーや飲食店等の領収書等により時刻が確認できる場合はその時刻,同時刻が確認できない場合は上記①の終業時刻に2時間を上乗せした時刻,1次会の終了時刻しか判明せずその後2次会が行われた場合は1次会終了時刻に2時間を上乗せした時刻によるとの算定方法に従って各月の実労働時間を推計し,これら各月の実労働時間から,亡Bの各月の所定労働時間(1日当たりの所定労働時間を8時間として,これに本件会社の出勤簿に基づく各月の所定労働日を乗じて算定したもの。)を控除して算出したものである。
記
平成20年7月 63時間30分
同年8月 30時間27分
同年9月 56時間31分
同年10月 83時間5分
同年11月 100時間45分
同年12月 64時間23分
また,亡Bは,うつ病エピソードの発病直前の時期である同年12月15日から同月27日までの13日間,連続して勤務を行っている。
上記一連の出来事は,認定基準別表1の「特別な出来事以外」の具体的出来事における具体例のうち,少なくとも①「1か月に80時間以上の時間外労働を行った」(項目16,心理的負荷の強度「中」),②「2週間(12日)以上にわたって連続勤務を行った」(項目17,心理的負荷の強度「中」)にそれぞれ該当するところ,亡Bが,同年12月においても64時間23分の時間外労働を行っており,同月15日から同月27日までの間,日本と韓国を往復しつつ,4日間の深夜にわたる取引先や現地法人の従業員らとの気を遣う飲食・接待を行っていたことを考慮すれば,心理的負荷の強度は「強」と評価されるべきである。
(エ) 日常的な心理的負荷について
亡Bは,本件会社において,元来研究開発関係の業務を担当しており,ほとんど飲酒もしないところ,ソウル事務所勤務となった後は,営業担当者として受注のために深夜や明け方までにも及ぶ韓国式の接待を余儀なくされ,その際,接待の相手方からは売春や賄賂の要求もあり,時には女性による性的接待の付き合いもせざるを得なかった。また,亡Bは,ソウル事務所の業務に関して一定のノルマを課されており,この達成に向けて頻繁な営業接待を行い,新商品開発等にも積極的に取り組むなどしていた。そのほか,日本で生まれ育った亡Bは,異境である韓国において,プライバシーが十分保障されない空間での単身赴任生活を強いられ,その間,日本と韓国の間の頻繁な往復も要した。
これらの出来事は,認定基準別表1の「特別な出来事以外」の具体的出来事における具体例のうち,①「業務に関連し,商慣習としてはまれに行われるような違法行為を命じられ,これに従った」(項目7,心理的負荷の強度「中」),②「達成は容易ではないものの,客観的にみて,努力すれば達成も可能であるノルマが課され,この達成に向けた業務を行った」(項目8,心理的負荷の強度「中」)又は「客観的に,相当な努力があっても達成困難なノルマが課され,達成できない場合には重いペナルティがあると予告された」(項目8,心理的負荷の強度「強」)にそれぞれ該当するほか,認定基準別表1における具体的出来事の該当項目が存在しない場合でも,一定程度の心理的負荷の要因として評価すべきものである。
(2) 被告の主張
ア 亡Bの精神障害の発病について
亡Bについては,精神障害に関する受診歴が確認されていないところ,このような場合に精神障害の発病の有無を判断するについては,判断指針及び認定基準に従い,診断ガイドラインに示された診断基準に基づいて,関係者からの聴取内容等を慎重に検討する必要がある。そして,以下で述べるとおり,亡Bには,診断ガイドラインに示されたうつ病エピソードの診断基準を満たす事実の存在を認めることはできず,亡Bが精神障害を発病したとは認められない。したがって,本件自殺は,精神障害によって正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で行われたものとはいえず,業務による心理的負荷の強度を考慮するまでもなく,業務起因性は認められない。
(ア) 立川労働基準監督署(以下「労基署」という。)における原告からの聴取結果や,原告の本人尋問における供述等には,原告主張の平成20年5月頃以降の亡Bの体調変化,同年末ころ以降の「疲れた。」との発言,筋力トレーニング等の中断,落ち込んだ様子,食欲減退,睡眠障害等,診断ガイドラインにおけるうつ病エピソードの典型的な症状や他の一般的な症状を窺わせる事情が含まれている。
しかし,原告主張の同年中における亡Bの体調変化は,亡Bの単身赴任による韓国常駐勤務という状況下において,亡Bの帰国時及び原告の訪韓時という限られた期間内に原告によって把握されたものにすぎず,亡Bの継続的な体調変化をとらえたものではない。加えて,労基署における亡Bの職場関係者(本件会社における亡Bの上司や現地法人の従業員等)からの聴取結果等によれば,亡Bが平成21年4月前頃,本件会社の上司に対して一時的に眠気を訴えていたことがあるという事実を除けば,亡Bについて心身の変調に気付いた者はおらず,亡Bの就労状況についても特段の問題は確認されていない。この点,原告は,前記の亡Bの職場関係者からの聴取結果について,本件会社により緘口令が敷かれた状態で聴取がなされたもので信用性を欠くと主張するが,本件会社によって緘口令が敷かれていたという事実はなく,原告の上記主張は,根拠のない憶測にすぎない。
(イ) 平成21年2月頃の亡Bの帯状疱疹や胃炎等については,従前からの亡Bの受診歴等に照らして,必ずしも当該時点における亡Bの疲労状態等を示すものとはいえない。
(ウ) 平成21年3月の電子メールについては,当該時点における亡Bの疲労状態及び同状態についての原告の認識を示すものではあるが,原告において,亡Bの精神障害の発病を基礎づけるべき具体的な症状を把握していたものとは認められない。
(エ) 原告主張の平成21年5月20日頃以降の手帳の記載欄における記載量の減少は,原告主張の精神障害の発病時期(同年1月頃)とは異なる時期に関する事情であるし,手帳の記載量はその時々の業務の繁忙度によって影響され得るものであるから,亡Bのうつ病エピソードの症状を示すものとはいえない。
(オ) 平成21年7月頃,亡Bが,本件会社においてほとんど発言をしなくなった旨の事実を示す証拠はない。
イ 亡Bの精神障害の業務起因性について
仮に,亡Bが平成21年1月頃うつ病エピソードを発病していたとしても,以下のとおり,亡Bには,上記発病時期の前おおむね6か月の間に,認定基準別表1における心理的負荷の強度が「強」に該当する業務上の出来事は存在しない。したがって,本件会社の業務による亡Bの強い心理的負荷の存在は認められない。
(ア) 新商品開発等の失敗について
亡Bが担当した新商品開発等は,それが失敗した場合に本件会社の倒産や大幅な業績悪化を招き,信用を著しく傷つけるなどの重大な事業に該当するとはいえず,成功に対する高い評価が期待される新規の研究開発やプロジェクトに該当し得るにすぎない。したがって,上記出来事は,認定基準別表1の「特別な出来事以外」の具体的出来事における具体例のうち,原告主張の「経営に重大な影響のある新規事業等(失敗した場合に倒産を招きかねないもの,大幅な業績悪化につながるもの,会社の信用を著しく傷つけるもの,成功した場合に会社の新たな主要事業になるもの等)の担当であって,事業の成否に重大な責任のある立場に就き,当該業務に当たった」(項目10,心理的負荷の強度「強」)には該当せず,「新規事業等(新規プロジェクト,新規の研究開発,会社全体や不採算部門の建て直し等,成功に対する高い評価が期待されやりがいも大きいが責任も大きい業務)の担当になった」(項目10,心理的負荷の強度「中」)に該当し得るにすぎない。
また,亡Bが担当した新商品開発等においては,価格交渉の過程でc社から大幅な値下げ要求があった事実が認められるが,c社の当該要求内容自体は,本件会社の業績の著しい悪化を予想させるものではなく,違法行為を内包するものでもない。したがって,上記出来事は,認定基準別表1の「特別な出来事以外」の具体的出来事における具体例のうち,原告主張の「通常なら拒むことが明らかな注文(業績の著しい悪化が予想される注文,違法行為を内包する注文等)ではあるが,重要な顧客や取引先からのものであるためこれを受け,他部門や別の取引先との困難な調整に当たった」(項目11,心理的負荷の強度「強」)には該当せず,「業務に関連して,顧客や取引先から無理な注文(大幅な値下げや納期の繰上げ,度重なる設計変更等)を受け,何らかの事後対応を行った」(項目11,心理的負荷の強度「中」)に該当し得るにすぎない。
さらに,亡Bがc社からの新商品の受注に失敗したことについては,これによる損害額は466万9500円と少なくなかったものの,本件会社の倒産や大幅な業績悪化,信用低下を招くほどの重大なものではなく,亡Bに対して懲戒処分や降格等のペナルティが課されたという事実もない。したがって,上記出来事は,認定基準別表1の「特別な出来事以外」の具体的出来事のうち,原告が前提としている「会社の経営に影響するなどの重大な仕事上のミスをした」との具体的出来事(項目4)にそもそも該当しない。
(イ) 本件会社内の組織の変更及び亡Bの勤務形態の変更について
平成21年1月1日,ソウル事務所が市場開発部に編入されたことに伴い,同年4月以降の亡Bの勤務形態は,従前の韓国常駐勤務から日本勤務(ただし,一定日数の範囲内での韓国出張を伴う。)となったが,亡Bの勤務形態が上記のとおり変更される前後において,その役職,給与,業務内容,権限等に変更はなく,上記勤務形態の変更は,いわゆる左遷ではない。また,上記勤務形態の変更後,亡Bの業務は,質及び量共に軽減されていた。したがって,上記出来事は,認定基準別表1の「特別な出来事以外」の具体的出来事のうち,「転勤をした」(項目22)に近いものと類推することができ,当該具体的出来事において示された具体例のうち「以前に経験した場所である等,転勤後の業務が容易に対応できるものであり,変化後の業務の負荷が軽微であった」(項目22,心理的負荷の強度「弱」)に該当するにすぎない。
(ウ) 長時間労働について
原告主張の実労働時間の算定方法は,独自の見解に基づき,業務とは無関係の飲食等に係る時間を実労働時間として算入し,出勤の事実が認められない日を出勤日して扱うものであり,合理性を欠く。したがって,原告主張の時間外労働時間数については根拠がない。
また,亡Bが出勤簿に記載された所定休日である平成20年12月21日に出勤した事実はなく,亡Bが同月15日から同月27日までの13日間,連続して勤務を行ったという事実は存在しない。したがって,長時間労働による心理的負荷に関する原告の主張は,理由がない。
(エ) 日常的な心理的負荷について
亡Bは,ソウル事務所部長として,取引先の接待に関する判断について十分な裁量権を有していたものであり,亡Bが接待の相手方から売春や賄賂を要求され,あるいは深夜や明け方の時間帯まで飲酒を伴う接待や女性による性的接待を強要されていたとの事実は存在しない。また,亡Bがソウル事務所の業務について一定のノルマを課されていたという事実も存在しない。これらの点に関する原告の主張は,いずれも根拠のない憶測にすぎず,これに基づく心理的負荷に関する原告の主張は,理由がない。
第3 当裁判所の判断
1 自殺の業務起因性に関する法的判断の枠組み
(1) 労災保険法に基づく遺族補償給付(同法12条の8第1項4号)及び葬祭料(同項5号)は,「労働者が業務上死亡した場合」に,当該労働者の遺族又は葬祭を行う者に対して支給される(同法7条1項1号,12条の8第2項,労働基準法(以下「労基法」という。)79条,80条)。上記にいう「労働者が業務上死亡した場合」とは,労働者が業務上の負傷又は疾病に起因して死亡した場合を含むものであるが,精神障害を発病したと認められる者が自殺を図った場合には,精神障害によって正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,あるいは自殺行為を思いとどまる精神的抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定されるから,労働者災害保険給付の制限事由である労働者の故意による死亡(労災保険法12条の2の2第1項)には該当せず,当該精神障害が「業務上の疾病」(労災保険法12条の8第2項,労基法75条2項,労基法施行規則35条,同別表第1の2第9号)に該当し,当該精神障害の発病自体に業務起因性が認められれば,当該自殺についても,原則として業務起因性が認められるものというべきである。
(2) 被災労働者の疾病に業務起因性が認められるためには,業務と当該疾病との間に相当因果関係があることが必要である(最高裁判所昭和50年(行ツ)第111号昭和51年11月12日第二小法廷判決・裁判集民事119号189頁参照)。そして,労働者災害補償保険制度が労基法上の災害補償責任を担保する制度であり,災害補償責任が使用者の過失の有無を問わずに被災労働者の損失をてん補する制度であって,いわゆる危険責任の法理に由来するものであることにかんがみれば,上記の業務と当該疾病との相当因果関係を認めるためには,当該疾病が被災労働者の従事していた業務に内在する危険性が現実化したことによるものと評価されることが必要であるというべきである(最高裁判所平成6年(行ツ)第24号平成8年1月23日第三小法廷判決・裁判集民事178号83頁,最高裁判所平成4年(行ツ)第70号平成8年3月5日第三小法廷判決・裁判集民事178号621頁参照)。
(3) ところで,精神障害の発病に至る原因については,環境由来の心理的負荷(ストレス)と,個体側の反応性,脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まり,心理的負荷が非常に強ければ,個体側の脆弱性が小さくても精神的破綻が起こるし,逆に脆弱性が大きければ,心理的負荷が小さくても破綻が生じるとする「ストレス―脆弱性理論」が,精神医学等における知見として今日広く受け入れられている。
上記「ストレス―脆弱性理論」に従えば,当該労働者と同種の平均的労働者(日常業務を支障なく遂行できる者)を基準として,業務の具体的状況における心理的負荷が一般に精神障害を発病させる危険性を有し,当該業務による心理的負荷が業務以外の要因に比して相対的に有力な要因となって当該精神障害を発病させたと認められる場合に,業務に内在する危険性が現実化したことによるものとして,業務と精神障害の発病との間に相当因果関係が認められるものと解するのが相当である。
(4) この点,認定基準は,前記第2の2(1)及び(2)の作成経緯及び内容に照らせば,前記の「ストレス―脆弱性理論」を含めた精神医学等の科学的知見に基づき,従前の判断指針の基本的な考え方を踏襲しつつ,業務による心理的負荷の評価基準等を改訂するものであり,前判示の精神障害の業務起因性に関する法的判断枠組みとも整合するものであって,十分な合理性を有するものと認められる。認定基準は,本件各不支給処分時には存在しておらず,また,判断指針と同様に,行政処分の違法性に関する裁判所の判断を直接拘束する性質のものではないが,前記の認定基準の合理性にかんがみれば,精神障害の業務起因性については,基本的には,認定基準に従って判断するのが相当である。
2 亡Bの精神障害の発病の有無
(1) 原告は,前記第2の4(1)アのとおり,亡Bが平成21年1月頃,うつ病エピソードを発病したと主張することから,認定基準に従い,診断ガイドラインにおけるうつ病エピソードの診断基準を満たすべき事実が認められるか否かを検討する。
なお,この原告の主張は,F医師(以下「F医師」という。)作成の平成23年1月15日付け意見書(①平成20年5月の多汗,早朝覚醒,②同年9月の口内炎発症,舌が荒れる(後に「舌痛症」と診断継続),③同年10月の「歩いているときにフワフワする」,④同年年末から平成21年の年始にかけての休みにおける「疲れた」との発言,⑤平成21年1月の習慣的運動をやめたこと,⑥同年2月の食欲低下,体重減少,早朝覚醒,易疲労感,⑦同月の帯状疱疹,胃炎,頻尿,⑧同年6月の原告に対する発語減少,⑨本件会社内における発語減少等,原告が主張する一連の亡Bの症状や言動を診断根拠として,亡Bが,平成21年1月ころ,うつ病エピソードを発病した旨の見解を表明するもの。乙7〔25頁から40頁まで〕。)に依拠しているものと認められる。
(2) 原告作成の平成21年11月26日付け労基署長あて報告書(甲11別紙1,乙7〔110頁〕),労基署事務官作成の平成22年1月26日付け聴取書(原告から聴取したもの。甲11別紙3,乙7〔143頁から163頁まで〕),原告作成の陳述書(甲11)及び原告の本人尋問における供述には,平成20年5月頃から平成21年8月までの間における原告が直接認識した亡Bの体調や言動に関する原告主張の事実関係が述べられており,また,平成21年3月における原告主張の亡Bと原告との間の電子メールの存在についても認められるところ(乙7〔118頁から120頁まで〕),これらの内容には,断片的ではあるが,平成20年末頃以降において,「疲れた。」との発言,従前継続していたプールや筋力トレーニングの中断,睡眠障害,食欲不振等,診断ガイドラインにおけるうつ病エピソードの典型的な症状や他の一般的な症状の存在を窺わせる事情が含まれている。
また,C作成の陳述書(甲3の1,乙7〔12頁から14頁まで〕)並びにD作成の陳述書(甲10)及び同人の証人尋問における供述には,平成21年1月頃及び同年6月頃の原告主張に係る亡BのC及びDに対する言動があった旨の記載又は供述がある。
(3) 他方,労基署事務官作成の平成22年2月16日付け聴取書(Gから聴取したもの。乙7〔166頁から179頁まで〕)及び現地法人の従業員6名作成の労基署長あて各報告書(乙7〔183頁から200頁まで〕,8〔78頁から95頁まで〕)においては,亡Bが平成21年4月前ころ,ソウル事務所において,G(本件会社の市場開発部長として亡Bと共に現地法人に関する業務を担当し,平成21年1月以降は,亡Bの直属の上司であった者。)に対し,「最近,いくら寝ても眠いんだよね。」と話したことがある旨の事実を除き,診断ガイドラインにおけるうつ病エピソードの典型的な症状や他の一般的な症状の存在を多少なりとも窺わせる事情は報告されておらず,これらの聴取書及び各報告書によれば,これらの職場関係者において亡Bの心身の変調に気付いた者はなく,亡Bの就労状況についても特段の問題は指摘されていないものと認められる。
この点,原告は,労基署事務官によるこれらの職場関係者からの事情聴取が,本件会社によって緘口令が敷かれた状態で行われたとして,前記の職場関係者からの聴取結果は信用性がない旨主張するが,H(本件会社の代表者であり,平成21年1月以降,現地法人の代表者を兼務する者。以下「H」という。)作成の陳述書(乙10)及びI(本件自殺当時,本件会社の人事総務部に在籍していた者。以下「I」という。)作成の陳述書(乙11)には,いずれも原告主張の緘口令の存在を明確に否定する旨の記載があり,また,Iの陳述書(乙11)には,前記の現地法人の従業員6名作成の各報告書について,Iがその記載内容を見ることなく,各従業員から封がされた状態で各報告書を受け取り,そのまま労基署に提出した旨の記載があるのに対し,本件会社による緘口令の存在をいう原告の上記主張を裏付ける的確な証拠は見当たらない。したがって,原告の上記主張は,採用することができない。
(4) 原告は,亡Bにみられた平成20年9月頃の口内炎(平成20年9月1日の森川耳鼻咽喉科における受診歴あり。乙7〔243頁〕,8〔825頁,959頁,960頁〕)や,平成21年2月頃の帯状疱疹,胃炎等(同月25日のまちこ皮膚科クリニックにおける受診歴あり。甲9の3,乙7〔236頁〕,8〔832頁,932頁から935頁まで〕)の存在を指摘するが,亡Bにおけるこれらの疾病の存在が,うつ病エピソードの症状との間に関連性を有するものと認めるべき根拠は見当たらない。
また,亡Bが生前使用していた手帳(甲2の1・2)によれば,上記手帳の平成21年5月20日頃から同年6月28日頃までの間の記載欄における記載量が,その前の時期の記載欄における記載量と比較してかなり減少していることは認められるものの,当該事実は,原告主張のうつ病エピソードの発病時期(同年1月頃)とは異なる時期に関するものであり,証拠(甲2の1・2)によれば,原告主張のうつ病エピソードの発病時期である同年1月頃の前後における上記手帳の記載量に特段の変化はなく,また,上記手帳の同年6月29日以降の記載欄における記載量が,同日以前の記載量に比べて,再度増加していることが認められるのであるから,原告が指摘する上記手帳における記載量の減少が診断ガイドラインにおけるうつ病エピソードの症状の存在を示すものということはできない。
(5) 原告は,平成21年7月頃,亡Bが,本件会社においてほとんど発言をしなくなったと主張する。確かに,C作成の陳述書(甲3の1,乙7〔12頁から14頁まで〕)には,同年8月に行われた亡Bの葬儀に出席していた現地法人の従業員であるJ(以下「J」という。)が,Cに対し,ソウルでの亡Bの様子について,「韓国での仕事もうまくいかず,最後に韓国を離れる何日間かは,ほとんど会話をするのも辛いくらい,精神的にかなり落ち込んでいた」と話した旨の事実が記載されている。しかし,H作成の陳述書(乙10)に添付されたJ作成の「B部長の義理の弟と話した内容」と題する書面及びI作成の報告書(乙15)によれば,Jは,上記事実を否定しており,前記C作成の陳述書の内容(甲3の1,乙7〔12頁から14頁まで〕)については,他に,これを裏付ける証拠が存在しない。したがって,前記C作成の陳述書(甲3の1,乙7〔12頁から14頁まで〕)のみによって,原告が主張する平成21年7月ころの本件会社における亡Bの発言の減少の事実が存在したと認めることはできず,他に,その事実が存在したことを認めるに足りる証拠はない。
(6) 以上の検討を総合すれば,亡Bについては,上記(2)の事情は窺われるものの,これらの亡Bの言動は,いずれも断片的なものであり,上記(3)の点に照らせば,診断ガイドラインにおけるうつ病エピソードの診断基準を満たすべき事実の存在を推認させるものとはいえず,他に,診断ガイドラインに示されたうつ病エピソードの診断基準を満たすべき心身状態や言動状況に係る明確な具体的事実も認められないのであるから,亡Bが,うつ病エピソードを発病していたものと認めることはできないというべきである。
なお,F医師作成の平成23年1月15日付け意見書(乙7〔25頁から40頁まで〕)は,診断ガイドラインにおける診断基準に従った判断をするものではなく,原告主張の上記一連の事実経過に対して独自の評価を加えるものであり,上記の検討結果に照らし,採用することはできない。
3 亡Bの精神障害の業務起因性について
前述のとおり,亡Bが,平成21年1月頃,うつ病エピソードを発病していた事実を認めることはできないが,仮に,同事実が認められたとしても,認定基準別表1に従って判断すれば,以下のとおり,当該発病前おおむね6か月の間に,本件会社の業務による亡Bの強い心理的負荷の存在を認めることはできない。
(1) 新商品開発等の失敗について
ア 亡Bが,平成20年3月頃から同年11月頃までの間において,c社向けの新商品開発等の担当になったことについては,具体的出来事として,「新規事業の担当になった,会社の建て直しの担当になった」(認定基準別表1項目10,平均的な心理的負荷の強度「Ⅱ」)に該当し得るところ,当該商品開発等は,それが失敗した場合に本件会社の倒産や大幅な業績悪化を招き,信用を著しく傷つけ,あるいは,成功した場合に会社の新たな主要事業となるなどの重大な事業とまではいえず,成功に対する高い評価が期待される新規の研究開発やプロジェクトに該当し得るにすぎないものというべきであるから,心理的負荷の総合評価としては,「新規事業等(新規プロジェクト,新規の研究開発,会社全体や不採算部門の建て直し等,成功に対する高い評価が期待されやりがいも大きいが責任も大きい業務)の担当になった」(心理的負荷の強度「中」)に該当し得るにすぎない。
イ また,当該新商品開発等の過程で,交渉相手のc社から大幅な値下げ要求や品質に関する細かな要求があり,これらの要求に対する対応を迫られたという事実については,具体的出来事として,「顧客や取引先から無理な注文を受けた」(認定基準別表1項目11,平均的な心理的負荷の強度「Ⅱ」)に該当し得るところ,c社の当該要求内容は,本件会社の業績の著しい悪化を予想させ,あるいは違法行為を内包するものとはいえず,心理的負荷の総合評価としては,「業務に関連して,顧客や取引先から無理な注文(大幅な値下げや納期の繰上げ,度重なる設計変更等)を受け,何らかの事後対応を行った」(心理的負荷の強度「中」)に該当し得るにすぎない。
ウ さらに,亡Bが,最終的にc社からの受注に至らず,その過程で本件会社に損害(466万9500円相当)を発生させたことについては,損害額自体は少なくないものの,会社の経営に影響するほどの金額とは認められず,亡Bに対して報告書(乙7〔223頁〕)の提出が求められた事実はあるが,懲戒処分や降格等のペナルティが課されたという事実は認められず,新規受注に向けた交渉が,最終的に双方の条件の折り合いがつかず妥結に至らなかったことによる面もあると考えられることから,具体的出来事としては,原告が前提とする「会社の経営に影響するなどの重大な仕事上のミスをした」(認定基準別表1項目4,平均的な心理的負荷の強度「Ⅲ」)にそもそも該当しない。
エ そして,上記ア及びイの出来事は,前後に関連して生じたものであるから,後から生じた上記イの出来事を上記アの出来事後の事情として全体評価を行うと,c社の仕入担当者との事後的な交渉内容が,c社向けの新商品開発等の担当としての本来的な業務困難性の程度を増加させるなど,元来の心理的負荷の程度を更に増加させるものと認めるまでの事情は認められないことから,全体評価の結果としての心理的負荷の強度は「中」に該当し得るものと認めるのが相当である。
(2) 本件会社内の組織の変更及び亡Bの勤務形態の変更について
平成21年1月1日,ソウル事務所が市場開発部に編入されたことに伴い,同年4月以降の亡Bの勤務形態が,従前の韓国常駐勤務から日本勤務(ただし,一定日数の範囲内での韓国出張を伴う。)に変更となったことについては,亡Bの勤務形態が上記のとおり変更される前後において,亡Bの役職,給与,業務内容,権限等に変更があったという事実は認められず,上記勤務形態の変更はいわゆる左遷等によるものとはいえない。また,上記勤務形態の変更に伴い,亡Bの業務は,変更前に比べ,質及び量ともに軽減されたものと推認することができる。そうすると,上記出来事は,認定基準別表1の「特別な出来事以外」の具体的出来事のうち,「転勤をした」(項目22,平均的な心理的負荷の強度「Ⅱ」)に近いものということができ,当該具体的出来事において示された具体例のうち「以前に経験した場所である等,転勤後の業務が容易に対応できるものであり,変化後の業務の負荷が軽微であった」(項目22,心理的負荷の強度「弱」)に該当するにすぎないと解される。
(3) 長時間労働について
亡Bの勤務時間については,タイムカード等による管理がされていなかったことから,実労働時間の算定に当たっては,合理的方法による推計を必要とするところ,原告主張に係る平成20年7月から同年12月までの間の原告による実労働時間の算定方法は,業務との関連性が不明な時間等についても実労働時間として算入するなど,原告独自の見解に基づくものであり,そもそも合理性を有するとは言い難い。なお,仮に,亡Bにおいて,原告主張のとおりの時間外労働時間が認められるとしても,同年10月における83時間5分,同年11月における100時間45分の時間外労働時間の存在が,具体的出来事のうち「1か月に80時間以上の時間外労働を行った」(認定基準別表1項目16,平均的な心理的負荷の強度「Ⅱ」)に該当し,心理的負荷の総合評価としては「中」に該当し得るものと認められるにすぎない(このように仮定した場合には,当該時間外労働と,上記(1)の新商品開発等における一連の出来事との関連は明らかではないことから,認定基準別表1への当てはめにおいては,各自別個の具体的出来事として評価するのが相当である。)。
なお,亡Bが,本件会社の出勤簿(乙8〔113頁〕)において所定休日とされた平成20年12月21日に,実際は出勤したとの事実を認めるまでの証拠はない。したがって,亡Bが,同月15日から同月27日までの間,連続して13日間の勤務を行ったという事実は認められない。
(4) 日常的な心理的負荷について
我が国において生まれ育ち,朝鮮大学校を卒業している亡Bにとって,韓国国籍を有するといっても,なじみのない韓国の地に単身赴任し,北朝鮮の丘の名を名称とする本件会社の営業を行うことには,一定程度の困難が伴ったものと推認することができる。
原告は,亡Bが,そのような状況のもとで,飲酒を伴う接待や性的な接待を強要され,達成困難なノルマを課されたとして,具体的出来事「業務に関連し,違法行為を強要された」(認定基準別表1項目7。平均的な心理的負荷の強度「Ⅱ」)の具体例「業務に関し,商慣習としてはまれに行われるような違法行為を命じられ,これに従った」(心理的負荷の強度「中」),具体的出来事「達成困難なノルマが課された」(認定基準別表1項目8。平均的な心理的負荷の強度「Ⅱ」)の具体例「達成は容易でないものの,客観的にみて,努力すれば達成も可能であるノルマが課され,この達成に向けた業務を行った」(心理的負荷の強度「中」)又は「客観的に,相当な努力があっても達成困難なノルマが課され,達成できない場合には重いペナルティがあると予告された」(心理的負荷の強度「強」)に該当することを前提とした主張をしているが,上記各事実を認めるべき的確な証拠はなく,上記のとおり韓国での営業活動に一定の困難が伴っていたと推認されることを考慮しても,亡Bにおいて,業務上の心理的負荷の要因となり得るその他の出来事の存在を認めることはできないというべきである。
(5) 総合評価
以上によれば,亡Bについては,認定基準別表1における心理的負荷の強度「強」に該当する業務上の出来事は存在せず,せいぜい「中」に該当し得る出来事が二つ,「弱」に該当し得る出来事が一つ存在するのみであって,業務による強い心理的負荷の存在を認めることはできない。
4 まとめ
以上のとおり,亡Bにおいては,平成21年1月頃,うつ病エピソードを発病したとは認められず,仮に,上記時期においてうつ病エピソードを発病したものとしても,当該発病前おおむね6か月間において,業務による強い心理的負荷の存在を認めることはできないから,本件自殺については,業務起因性を認めることはできない。
第4 結論
以上の次第であるから,本件自殺について業務起因性を認めることはできないとしてされた本件各不支給処分に違法事由は存しないというべきである。
よって,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 團藤丈士 裁判官 中吉徹郎 裁判官 戸畑賢太)
〈以下省略〉
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