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「営業ノルマ」に関する裁判例(3)平成30年 5月30日 東京地裁 平26(行ウ)390号 遺族補償給付等不支給処分取消等請求事件

「営業ノルマ」に関する裁判例(3)平成30年 5月30日 東京地裁 平26(行ウ)390号 遺族補償給付等不支給処分取消等請求事件

裁判年月日  平成30年 5月30日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平26(行ウ)390号
事件名  遺族補償給付等不支給処分取消等請求事件
文献番号  2018WLJPCA05308027

裁判年月日  平成30年 5月30日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平26(行ウ)390号
事件名  遺族補償給付等不支給処分取消等請求事件
文献番号  2018WLJPCA05308027

横浜市〈以下省略〉
原告 X
同訴訟代理人弁護士 尾林芳匡
同 篠原靖征
東京都千代田区〈以下省略〉
被告 国
同代表者法務大臣 A
処分行政庁 三田労働基準監督署長
同訴訟代理人弁護士 和田希志子
同指定代理人 W1
同 W2
同 W3
同 W4
同 W5

 

 

主文

1  原告の請求を棄却する。
2  訴訟費用は原告の負担とする。

 

事実及び理由

第1  請求
三田労働基準監督署長が平成23年7月7日付けで原告に対してした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分をいずれも取り消す。
第2  事案の概要
本件は,株式会社a(以下「a社」という。)に勤務していたB(以下「被災者」という。)の妻である原告が,被災者が自死に至ったのは業務上の心理的負荷を原因とした精神障害に基づくものであると主張して,三田労働基準監督署長が行った労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償及び葬祭料を不支給とする旨の処分(以下,これらの処分を併せて「原処分」という。)の取消しを求めた事案である。
1  前提事実(当事者間に争いがないか,後掲各証拠等により容易に認定できる事実。証拠の掲記のない事実は,当事者間に争いがない。)
(1)  当事者及び関係者
被災者は,昭和27年○月○日生まれの男性である。原告は,被災者の妻であり,被災者の収入によって生計を維持していた。
a社は,化粧品の開発,製造,販売等を営む会社であり,平成16年5月に産業再生機構の支援を受けてb株式会社から分離独立し,平成18年1月31日にc株式会社(以下「c社」という。)の100%完全子会社となった(乙1〔180頁〕)。
(2)  事実経過
ア 被災者は,昭和51年4月,a社に入社し,平成14年3月から平成16年9月30日までa社教育センターの統括マネージャーの職を務めた(乙1〔181頁〕)。
イ 被災者は,平成16年10月1日にインターナショナル商品開発グループの統括マネージャーに異動となり,平成17年6月まで同統括マネージャー職を務めた(乙1〔181頁,232頁以下,434頁〕)。
ウ 被災者は,平成17年7月から平成21年5月まで,国際事業本部(平成19年4月時点での名称は「国際マーケティング本部」,平成21年4月時点での名称は「欧米事業本部」。以下,特に断りのない限り,名称変更の前後を問わず「国際事業本部」という。)の欧米マーケティング室長兼欧米商品開発グループ統括マネージャー職を務めた。
国際事業本部は,ヨーロッパにある関係子会社と業務連携をして,ヨーロッパやロシアでのマーケティングや,現地のニーズに合わせた商品開発を行う部署である。欧米マーケティング室は,主にa社の新たな海外ブランドである「○○」の市場調査,市場分析,販売促進等のマーケティングや商品開発を行う部署であり,欧米商品開発グループは主に○○ブランドの商品開発を行う部署である。
(乙1〔180ないし182頁,230頁,232頁以下,247頁以下,1058頁〕)
エ 被災者は,平成20年11月18日,横浜クリニックを受診し,「うつ病性障害の再発」との診断を受けた。被災者は,平成20年12月4日,風の木クリニックを受診し,「軽症うつ病エピソード」と診断され,平成21年1月15日まで通院加療を行い,同月22日に東邦大学医療センター大森病院(以下「大森病院」という。)を受診し,「反復性うつ病性障害」との診断を受けた。(乙1〔192頁,194頁,196頁,302頁ないし307頁,313頁ないし316頁〕,乙2〔17頁,25頁ないし29頁,33頁ないし36頁〕)
オ 被災者は,平成21年1月28日から休職となり,自宅療養に入った。
カ 被災者は,主治医から職場復帰可能であるとの診断を受け,平成21年4月16日,試験的に職場復帰をしたが,勤務を続けることはできず,同月27日,大森病院に医療保護入院した(乙1〔184頁,230頁〕,乙2〔36頁ないし51頁,66頁,67頁〕)。
キ 被災者は,平成21年5月27日大森病院を無断で外出し,同月28日,横浜市内の公園で左内頸動脈を切断し,これによる失血を原因として死亡した(以下「本件自死」という。乙1〔184頁〕,乙2〔95頁ないし97頁,235頁ないし241頁〕)。
ク 原告は,喪主として,平成21年5月31日に被災者の通夜を,同年6月1日に被災者の告別式を行い,葬儀費用を全額支払った(乙1〔226頁〕)。
(3)  労災認定に関する事実経過
原告は,平成22年12月21日,三田労働基準監督署長に対し,被災者の死亡につき,労災保険法による遺族補償給付及び葬祭料の請求をした。これに対し,三田労働基準監督署長は,平成23年7月7日,いずれも不支給とする旨の処分(原処分)を行った。
原告は,平成23年8月8日,東京労働者災害補償保険審査官に対し,原処分について審査請求を行った。これに対し,東京労働者災害補償保険審査官は,平成25年9月9日,審査請求を棄却する旨の決定をした。
原告は,平成25年9月25日,労働保険審査会に対して再審査請求を行った。これに対し,労働保険審査会は,平成26年4月28日,再審査請求を棄却する旨の決定をした。
原告は,平成26年8月14日,本件訴訟を提起した。
(4)  判断指針及び認定基準について
厚生労働省は,心理的負荷による精神障害等に係る労災請求事案が増加傾向にあったことから,同事案の迅速,適正な業務上外の認定を図るため,平成10年2月以降「精神障害等の労災認定に係る専門検討会」において検討を行い,その検討結果をとりまとめた報告書に基づき,「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」(以下「旧判断指針」という。)を策定した(平成11年9月14日基発第544号。乙5の1)。
その後,厚生労働省は,職場状況の変化等を原因とする新たな心理的負荷が生じ,旧判断指針への当てはめが困難な事案が生じてきたことから,委託研究や検討会を行い,その検討結果を踏まえ,旧判断指針の一部改訂を行った(平成21年4月6日基発第0406001号。以下,改訂後の判断指針を「新判断指針」という。乙5の2)。
さらに厚生労働省は,増加傾向にある精神障害事案に対する労災手続の審理の迅速化,効率化を図るため,平成22年10月以降,精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会において,医学的知見,過去の認定事例,裁判例の状況等を踏まえ,業務による心理的負荷の評価方法に関する事項,審査の手順等の運用体制に関する事項等についての検討を行い,その検討結果をとりまとめた報告書(乙6)に基づき,「心理的負荷による精神障害の認定基準」(以下「認定基準」という。)を策定した(平成23年12月26日基発1226第1号。乙7)。認定基準の内容は,別紙のとおりである。
2  争点及び争点に関する当事者の主張
(1)  業務起因性の判断枠組み
(原告の主張)
ア 労働者の従事した業務が,自然経過を超えて労働者の素因又は基礎疾患を増悪させて傷病等を発病させたと認められるか否かは,当該業務が傷病等の発病に対して他の原因と比較して相対的に有力な原因となっている関係が認められる必要はなく,医学的知見も一つの資料とし,発病に関連する一切の事情を考慮して,一般経験則上,当該業務が自然経過を超えて当該労働者に傷病等を発病させる危険が高いか否かを総合的に判断すべきである。
そして,精神障害の場合,当該業務と精神障害発病との相当因果関係を判断するに当たっては,①労働者に個体側要因があり,これが原因となって精神障害を発病,増悪させた場合,同要因が,当該業務に従事する以前に,確たる因子がなくても自然経過により精神障害を発病または増悪させる寸前にまで進行していたとは認められないこと,②労働者が従事した当該業務による心理的負荷が,同人の個体側要因をその自然経過を超えて,精神障害を発病・増悪させる要因となり得るものと認められること,③労働者の従事した当該業務以外に,同人の個体側要因をその自然経過を超えて,精神障害を発病,増悪させる要因となる確たる因子が認められないことの3要件を充足するか否かで判断すべきである。
イ 労働者が従事した当該業務による心理的負荷を判断するに当たっては,判例及び下級審裁判例の到達点,旧判断指針策定以降の新たな医学的知見を踏まえ,新判断指針及び認定基準を一応の参考にしつつもこれを絶対視することなく,精神疾患発病の前後を問わず労働者について生じた現実の事実経過に即し,具体的に心理的負荷の強度が判断されるべきである。また,その基準は,同種労働者(職種,職場における地位や年齢,経験等が類似する者で,業務の軽減措置を受けることなく日常業務を遂行できる健康状態にある者)の中でその性格傾向が最も脆弱である者(ただし,同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の者)とすべきであり,被災労働者の性格傾向が同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り,当該被災労働者を基準とすべきである。
(被告の主張)
ア 労災保険法上,労働者の疾病等が業務上のものであるというためには,当該労働者が当該業務に従事しなければ当該結果が発病しなかったという条件関係が認められるだけでは足りず,当該業務と当該疾病等の間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係,すなわち相当因果関係が存在することを要する。そして,使用者の災害補償責任の性質が危険責任を根拠とするところからすれば,当該業務と当該疾病等の間の相当因果関係の有無は,当該疾病等が当該業務に内在する危険の現実化として発病したと認められるかどうかによって判断されるべきである。
イ 精神障害の場合においても,その発病が業務上のものであるというためには,精神障害の発病と当該業務との間に,次のような条件関係及び相当因果関係が肯定されることが必要である。
(ア) 労災保険法における業務起因性の認定において問題となる条件関係は,ストレスの中でも業務上のストレスと精神障害との条件関係であるところ,人間は業務に従事するか否かを問わず日常生活によるストレスを必ず受けるものであるから,上記のような条件関係が認められるためには,当該「業務上のストレス」が,一定以上の大きさを伴う客観的に意味のあるものでなければならず,業務と精神障害の間に条件関係が認められるためには,業務上の一定以上の大きさを伴う客観的に意味のあるストレスが発病に寄与しており(少なくとも一原因となっており),当該ストレスがなければ精神障害は発病していなかったとの関係が高度の蓋然性をもって認められる必要がある。
(イ) また,相当因果関係が認められるためには,当該精神障害が業務に内在する危険の現実化といえなければならないから,①当該業務による負荷が,日常業務を支障なく遂行できる労働者にとって,業務によるストレスが客観的に精神障害を発病させるに足りる程度のものであると認められること(危険性の要件),②当該業務における負荷が,その他の業務外の要因に比して相対的に有力な原因となって,当該精神障害を発病させたと認められること(現実化の要件)が必要である。
そして,これらの要件該当性の判断基準としては,精神障害の発病の業務起因性の判断において依拠することが広く受け入れられている「ストレス―脆弱性」理論に依拠し,最新の精神医学,心理学等の専門的知見に基づく専門検討会報告書を踏まえて策定された新判断指針及び認定基準に依拠するのがもっとも科学的経験則に照らし合理的であって適当である。
(2)  業務上の心理的負荷を伴う出来事の有無及びその評価
(原告の主張)
ア 被災者が達成困難なノルマを課されていたこと(業務上の心理的負荷を伴う出来事①。以下,業務上の心理的負荷を伴う出来事については,丸数字と組み合せて,単に「出来事①」などという。)
(ア) 事実関係
a(a) 被災者は,欧米マーケティング室長として,欧米子会社の売上目標の達成や,主力商品である○○の売上拡大に対して責任を負っていた。マーケティング戦略会議で発表する過大な売上目標は,被災者にとって達成しなければならないノルマであった。国際事業は過去増収が続いており,国際事業本部で売上げの現状維持すらできず,前年割れを出した場合,被災者は社内で相当責められる立場にあった。平成20年2月に欧米事業本部から国際事業本部へと配置転換された後は,国際業績検討会に出席し,前年比,計画比に関する数字を示され,売上目標の達成について,営業戦略室と連携して,より直接的に責任を負うようになった。
被災者が高い成長率の売上計画を達成できなければ,被災者の人事考課に影響が及んだ。平成20年2月の配置転換後は,営業戦略室との連帯責任を取らされる立場にもあった。その上,国際事業本部長であったC(以下「C」という。)は,マーケティングに精通しておらず,被災者が欧米マーケティング室を代表して責任を取らされる立場にあった。
(b) 被災者は,管轄商品の販売実績等だけでなく,マーケティング戦略提案そのものの内容等も評価の対象とされていた。被災者は,マーケティング戦略提案として,売上の進捗と見込み,子会社ごとの課題等について対策を提示することが求められた。もっとも,国際事業では,マーケットが化粧文化や化粧習慣の異なる遠方にあるため,情報が十分に入手できないままマーケティング戦略を提案,遂行していかなければならず,宣伝方法等の効果的なマーケティング戦略を立てづらく,不十分なデータから売上全体を予測していかなければならないといった困難さがあった。加えて,マーケティング戦略会議は,役員を相手に,国際事業の困難さを理解されないまま,企画や提案を説明しなければならず,被災者には精神的に大きな重圧がかかるものであった。さらに,マーケティング戦略会議で発表した企画や提案は,被災者が中心となって責任をもって実行する必要があり,達成の度合いや成果は後日会社からの検証対象となった。
(c) さらに,商品開発担当であった被災者は,新商品の売上数字についても責任を負う立場にあった。
このように,被災者は,欧米マーケティング室長という重責のみならず,社内で責められやすい商品開発担当を兼務しており,このことがノルマ達成に向けた被災者の精神的ストレスを増幅させた。
b(a) また,a社は,c社に買収された際,c社から,売上高を平成22年度に2600億円超にまで伸ばすという高い目標を課せられていた。この高い目標を達成するために,社内では,既に成熟して大きな成長が見込めない国内市場ではなく,海外事業を強化する方針が打ち出されていた。
国際事業本部の欧米部門は,赤字続きで高い成長の見込めないアメリカ市場等の問題を抱えており,ロシアや東欧などの成長余地の大きい新興国へ進出して,国際事業本部に課せられた高いノルマを達成する必要があった。
(b) a社は,平成22年までに海外の売上高を平成19年の2倍の400億円に引き上げる計画を立て,平成19年当時100億円程度であった欧米での売上高を,高級品に特化することで増加させる計画を立てていた。しかし,リニューアル作業を通じて年間8%の売上げ成長を目指すことや,4年間で売上げ倍増を目指すことは,実現不可能な目標設定であった。
(c) さらに被災者は,担当していた○○事業について,ブランド名を統一し,高級ブランドとして定着させた上で,欧米での売上高で年間8%の成長率を目指すこと,平成22年には平成18年比2倍の200億円の販売を目指すという高いノルマが課せられていた。しかし,平成22年までの4年間に売上げを2倍にするためには,年間売上げを平均で毎年25%ずつ増加させる必要があり,被災者の負っていたノルマは非常にハードルが高かった。
c 被災者を含む室長クラスは,a社の社長であるD(以下「D社長」という。)が設定した高い売上目標を絶えず意識していかなければならず,目標達成に向けた社内の締め付け,強制の程度は非常に強かった。
d(a) 被災者が担当していた○○ブランドは,a社の中でも数少ない100億円ブランドであり,目標が1%でも達成できないと1億円の損失となり,達成できなかった場合の会社の業務への影響は非常に大きい。また,目標を達成できないと,総責任者であった被災者の個人評価が下がり,賞与が減額され,契約更新にも影響した。
ところが,平成19年夏ころにアメリカで発生したサブプライム住宅ローン危機,平成20年9月に発生したリーマンショックによる世界同時不況の影響により,欧米における○○ブランドの売上げは減少していった。
(b) ○○の最高級品シリーズであるkラインの強化は,○○グローバル化戦略の当面の方針として,D社長との間で確認されていた事項であった。しかし,kラインは,平成20年頃,販売不振に陥っていた。○○の販売不振は,被災者の責任であり,営業戦略室と連携しながら事態の打開に向けた対策を指示しなければならなかった。
被災者は,自身が企画に関わっていない商品のトラブルが原因で○○ kラインが販売不振に陥り,商品開発担当者であるという理由で社内から理不尽に責められていた。
e 被災者は,アメリカ,フランス及びドイツの子会社が抱える課題についても対策を講じなければならなかった。
(a) アメリカ市場への参入は平成12年であったが,アメリカでは,平成20年3月以降,複数の問題が生じ,ブランドイメージが定着せず,撤退を余儀なくされていた。このような中で,被災者は,現状に対し,現在の事態を重く受け止めざるを得ない状況へと心理的に追い込まれた。
(b) 被災者は,フランスでは販売不振が目立つフランス子会社の再生に向けて対策を講じていたが,十分な成果を挙げることができず,自責の念にかられるようになった。
(c) ドイツでは,それまで順調に成長し,欧米を牽引していたにもかかわらず,平成20年から平成21年にかけて全例のない売上げの落ち込みが生じた。これについて,被災者は,自らの能力不足について反省の弁を述べている。
(d) このように,被災者は,売上げ目標の達成に向けた子会社ごとの課題についても十分な成果を残せず,欧米マーケティング室長としての被災者のノルマ達成は更に困難となっており,これにより被災者の心理的負荷は更に強まっていった。
f このように,被災者は,達成困難なノルマを課せられ,その責任を問われることになった。リーマンショックによる世界不況の中で,ノルマを達成できなかった被災者は,睡眠障害に陥り,出社しても頭が働かない状態になり,会社での自分の立場,能力に対する自信を失っていった。
(イ) 心理的負荷の強度
このように,被災者は売上実績に対してノルマを課されており,平成20年2月の配置転換以降,より直接的に責任が問われるようになった。設定された売上目標は,およそ現実性の乏しい実現不可能な内容であったが,被災者を含む室長クラスは,役員から目標達成を強く求められており,強制の程度は非常に強く,マーケティング戦略会議の席等において,被災者は多大なプレッシャーを受けていた。そして,ノルマが達成できない場合,人事考課に影響し,賞与の減額というペナルティを課されるほか,雇用契約の更新拒絶もあり得る状況にあった。
加えて,平成20年当時は売上げが悪化しており,その原因の一つが,被災者が開発に直接関わっていない商品の不具合にあったにもかかわらず,商品開発担当者である被災者が責められていた。被災者は,このような理不尽な扱いを受けながらも,売上回復に向けて,新商品の緊急発売や,営業戦略室と連携して様々な業務を担う必要があった。
これらのことからすると,被災者が課せられたノルマは,「達成困難なノルマを課された」の出来事に該当し,その心理的負荷の強度は「強」である。
イ ノルマ未達成と会社に与えた多額の損失(出来事②)
(ア) 事実関係
a社は,平成20年度,前年利益である191億円を上回る年間200億円の利益計画を立てた。しかし,平成20年度上期で数十億円の予算未達の公算と報告され,同年6月に至ると,売上は危機的状況と報告される状態であった。平成20年7月には売上不振の現状をc社に報告したが,c社からは年間200億円の利益計画を守るようにとの指示が出された。国際事業本部においても,欧米での売上不振等から予算未達の状況にあったが,幹部会議では,利益計画を遵守するよう指示が出された。平成20年5月には,同年1月から5月までの累計実績の計画達成率が92.6%,前年伸長率が99.6%であり,子会社,代理店とも計画未達という状況であった。
前記のとおり,被災者は,欧米マーケティング室長として,○○ブランド商品の開発,育成に対する責任を負っていたほか,欧米商品開発グループ統轄マネージャーとしても商品開発に責任を負っていた。日本にいながら海外事情に通じて最適なマーケティングを追及しなければならない欧米事業には,国内事業にはない困難さを伴うが,このことが国内事業の部署には理解されず,被災者の精神的ストレスはいっそう増幅されていった。
平成20年9月,リーマンショックの発生により,急激な為替変動が生じたうえ,同年10月には世界的な金融恐慌が発生し,海外事業の業績は,平成20年度下期の予算達成が困難な状況に追い込まれた。
リーマンショックによる景気低迷は,何十年に一度の大不況であり,とりわけ海外との取引に従事する者にとって,誰もが強い心理的負荷を受ける出来事である。
平成20年上期は,計画比,前年比とも目標を達成しているように見えるが,これは下期に出荷を予定していた新商品を一部前倒しにすることにより辻褄を合わせた結果にすぎず,実質的には平成20年上期,下期とも売上目標未達であった。
被災者は,営業戦略室と連携して,新中期計画を立案し,○○の売上目標を20年後に約10倍の10億ドル(約1000億円)と発表していた。これが,中長期的に被災者が果たすべき売上目標であった。また,a社は,欧米の売上高として年間8%の成長率を目指すこととしており,この目標は,平成20年度に被災者が達成すべき最低限のノルマであったが,平成20年は売上高が前年割れという期待外れの結果に終わり,未達の程度は著しかった。海外部門は,過去増収が続いており,欧米で売上の現状維持すらできず,初めて前年割れを出したことで,被災者の心労はますますひどくなり,精神疾患を発病,増悪し,病休に追い込まれた。
(イ) 心理的負荷の強度
売上目標が1%達成できなくとも,億単位の大幅な業績悪化につながる損失が発生する。被災者は,○○・kラインの販売不振や,アメリカ,ドイツ,フランス等子会社及び代理店の経営不振,アメリカからの事業撤退等,多方面にわたって対応を余儀なくされていたが,平成20年度の実績が売上目標に届く見通しはなかった。アメリカ等では取引中止や撤退などの大幅な業績悪化につながったことからも経営上の影響の程度は大きかった。被災者の個人評価も平均を下回る状況が続き,賞与の減額等のペナルティを受けている。
したがって,「ノルマが達成できなかった」の出来事に該当し,その心理的負荷の強度は「強」である。
また,会社は,会社業績の悪化についても被災者に責任を負わせており,当該出来事は,「自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」にも該当する。被災者は,世界的な景気低迷等の本人に責任なく売上目標が低下した場合であっても,会社から低く評価され,賞与が減額され,組織変更に伴って上司を4期下の人間に変更された。認定基準によれば,被災者に責任がない損失等であっても心理的負荷として評価されるのであり,また,純然たる損失以外にも類推適用することが許容されているから,予算未達は,「自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」の出来事に該当し,被災者の受けた心理的負荷の強度は「強」である。
ウ ○○ブランド問題を巡るトラブル(出来事③)
(ア) 事実関係
欧米マーケティング室において,販売実績と並ぶ業務内容の大きな柱の一つが,○○ブランド中長期販売戦略の構築,○○ブランドイメージの構築,及びブランドマネジメントの推進であった。
a社は,○○グローバル化戦略のため,海外で販売する商品ブランド名を,●●から○○へ変更することを決定した。ブランド名の変更により,70アイテム,300弱の商品数があるとも言われる全ての商品のデザインやパッケージ等について提案,検討が行われ,被災者の業務量が増加していった。また,マーケティング戦略としての名称変更の目的は,諸外国における○○の知名度を上昇させてブランドイメージの向上及び定着を図ること,そして○○をグローバルブランドへ育てあげることにあった。諸外国における○○の知名度が上昇し,売上の伸長という明白な成果につなげない限り,欧米マーケティング室のマーケティング戦略が成功したとは評価されない状況にあり,マーケティング戦略の成功は,被災者に課せられたもう一つの責任であった。
他方で,商品ブランド名を○○へ変更することには社内外に異論があり,○○ブランドの方向性についても意見が対立していた。被災者は,欧米マーケティング室長としてリーダーシップを発揮し,多様な意見の集約,調整を行い,事業の方向性を定めて自分の担当部署を牽引する立場にあったが,a社からブランド名変更の方向性や予算等について十分な支援を受けられず,そのため,○○のブランド問題を巡る意見対立を一向に解決できず,今後の見通しが不安定なまま仕事を続けなければならなかった。
さらに,欧米関係者等との間に軋轢が生じ,部下が被災者を素通りして仕事を進めていくようになり,被災者は孤立感,疎外感を抱くようにもなり,日に日に追い込まれていった。
平成20年時点で,○○の知名率は上昇しておらず,●●の知名率の方が高かったスペインやスウェーデン等の子会社や代理店の不満を抑えるだけの結果を残せていなかった。アメリカでは,○○ブランドのイメージがなかなか確立せず,平成20年半ばから店舗閉鎖へと追い込まれ,○○をグローバルブランドとして育成する為に不可欠なアメリカでの市場及び過去の信頼を失っただけでなく,よりハードルの高い再上陸,再展開をしなければならない状況となってしまった。このように,○○へのブランド名変更は成功しているとは到底言い難い状況にあった。
このような中,被災者は,次第に仕事に対する自信を失っていき,○○ブランド問題を巡る意見対立について,自分の職責を果たせていないことを深く悩むようになった。
(イ) 心理的負荷の強度
○○をグローバルブランドに育てることは被災者が背負っていた最重要の業務課題であったところ,海外との意見調整をしながら,予算のない中で○○ブランド名変更を進めることは,極めて難易度の高い業務であって,○○ブランド問題は,売上目標や損失,労働時間といった数字によって評価するのが必ずしも適当でない心理的負荷であって,「ノルマが達成できなかった」の出来事に該当し,心理的負荷の強度は「強」である。また,マーケティング戦略会議において,社長や会長の承認を得ることに心理的負荷を受けていた事実を捉えれば,「仕事内容・仕事量の変化を生じさせる」出来事であるといえる上,海外子会社や代理店との解決困難な意見対立を抱えていた点などを重視すれば,「顧客や取引先からクレームを受けた」あるいは「上司とのトラブルがあった」「同僚とのトラブルがあった」の出来事に該当するといえ,この点においても,心理的負荷の強度は「強」であるといえる。
エ 新規事業であるスパ事業の立ち上げ(出来事④)
(ア) 事実関係
欧米マーケティング室では,平成20年ころ,欧州におけるサロンのてこ入れ策としてスパ事業を開始する計画があった。被災者は欧米マーケティング室長として前面に立ってこの新プロジェクトを指揮し,成功に導かなければならなかった。
市場と接触する機会が限られ,情報量も少ない海外において,会社からはコスト削減と短期間での結果を求められる中で新たな事業展開を行うため,被災者は,最適の商品開発と最良のマーケティング戦略を立案しなければならず,大変な困難を伴う事業推進であった。
被災者は,スパ事業に関しては全く知識も経験もなく,社内にも適切な相談相手がないまま事業を立ち上げなければならなかった。被災者は,スパ事業の推進に向けて会社上層部の了解を得るため,スパ事業が○○ブランドのイメージ向上と利用者拡大にどの程度寄与するか説得的な提案をしなければならないなど,被災者の能力と仕事内容のギャップの程度も非常に大きかった。
(イ) 心理的負荷の強度
被災者は,部門長として事業の進捗及び結果に対する責任を負っていたところ,a社は平成26年までに欧州主要国の40箇所の主要ホテルで,スパ事業を展開する計画であり,平成20年当時,開設準備を進めていた1号店は巨額な投資が必要であって,社内に反対意見もある中,失敗の許されない事業であった。
被災者は,スパ事業に関して全く知識も経験もなく,社内にも適切な相談相手がないまま事業を立ち上げなければならないなど,この新規事業は,非常に大変な負荷の高い仕事であった。
以上のとおり,このスパ事業については「新規事業の担当になった」の出来事に該当し,その心理的負荷の強度は「強」である。
オ 東欧,ロシアの新規市場開拓という新規事業(出来事⑤)
(ア) 事実関係
a社は,成熟して大きな成長が見込めない国内市場ではなく,海外での成長を見込み,平成21年2月にはチェコ及びハンガリーへ,同年8月にはロシアへ販路を拡大,強化する方針を打ち出した。これに先立ち,平成20年には新規市場開拓に向けた準備が進められていた。被災者は,新規市場開拓業務全般を担っており,進出が決まった時点で,マーケティング戦略の立案,具体的には,当該国の文化,言葉,化粧習慣,薬事の規制などを調査の上,市場にあった商品の選定や販売計画,利益計画の策定等を行っていた。
(イ) 心理的負荷の強度
a社は,平成21年にチェコ,ハンガリーに20店を新規開設し,販売計画(現地卸売りベース)として50万ユーロを目標として掲げていた。平成22年までの4年間に海外の売上高を倍増させるという計画を達成するため,絶対に成功させなければならない重要なプロジェクトの一つであった。しかし,海外での新たな事業展開を成功に導くには,まず当該国ごとに文化,伝統,価値観,嗜好の違いを一から調査しなければならず,国内とは異なり市場と接触する機会が限られ,情報量も断然少ない中で,被災者は,最適の商品開発と最良のマーケティング戦略を立案しなければならなかった。この新規市場の開拓も非常に心理的負荷の強い出来事である。同新規市場開拓業務は「新規事業の担当になった」の出来事に該当し,その心理的負荷の強度は「強」である。
カ 新規事業であるエステスクール教材開発(出来事⑥)
(ア) 事実関係
被災者は,「○○」ブランド販売計画立案と実績管理等の本来の業務に加えて,平成20年当時,平成21年4月に開校したdスクールで使用する教材である化粧品の開発担当もしていた。この国内向けエステスクール用教材の開発には,他の欧米マーケティング室の開発メンバーは関わっておらず,被災者が一人で担当しなければならなかった。被災者は,エステスクール用商品として25品程度の選定作業を行うこととなったほか,通常は2年程度要する商品開発を,5品程度,1年以内に完成させなければならず,作業スケジュールは極めて厳しかった。
(イ) 心理的負荷の強度
被災者は,本来業務である○○の商品開発だけでも多忙であったにもかかわらず,国内担当ではないのに新規のエステスクールの教材としての化粧品開発の全過程に関わり,商品化まで漕ぎつけた。本来業務と並行して進めるには,その負担は非常に大きかったことは明らかである。この商品開発は,開発期間が短いことによる困難性がある上,マーケティング戦略会議での上層部の承認の取得等,被災者は,重大な責任を負わされていた。したがって,「新規事業の担当になった」もしくは「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」の出来事に該当し,その心理的負荷は「中」以上である。
キ TCR活動(出来事⑦)
(ア) 事実関係
c社は経費削減のため昭和61年からTCR(トータル・コスト・リダクション)活動に取り組んでおり,各部署は毎年数値目標の達成を求められていた。a社は,c社の子会社となったことにより,TCR活動への取組みを厳しく要求されることとなった。被災者は,本来業務の他に,商品開発を中心に経験を積んできた被災者が過去経験したことのない担当部署のTCR活動に取り組み,経費削減に関しても目標達成が要求されていた。被災者は,平成20年9月29日の国際事業本部幹部会において,欧米部門でのTCRリーダーに指名され,同年10月15日に発表をさせられたり,平成21年1月19日のTCRリーダー会議に出席させられたりするなど,他の社員と比較しても,同業務の負担が重かった。また,被災者は,遅くとも平成20年7月頃より,自身の部署内にとどまらず,海外の子会社と連携して行うスケールの大きなTCR活動に取り組んでおり,日本にいながら海外の倉庫の管理をしなければならず,他の社員のTCR活動と質的な困難さが全く異なる。
(イ) 心理的負荷の強度
TCR活動は,被災者が「重点取り組みテーマ」に挙げる重要な業務の一つであり,ドイツにある倉庫の管理,無駄な助成物を削減するという数千万円単位のスケールの大きな業務である。海外の子会社との間でコミュニケーション面での課題を抱えた状態でコスト削減への理解と協力を求めることは,相当困難な作業である。被災者は,本来のテーマである助成物の削減に関しては妙案が全く思い浮かばず,カラーコピーを減らす等小手先の対応に終始せざるを得ず,これに対し会社は,標準にはやや満たない成果・貢献であったと評価している。目標を達成できておらず,被災者は個人評価の低下,賞与の減額という形でペナルティを受けることとなった。
TCR活動は,「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」あるいは「ノルマが達成できなかった」の出来事に該当し,その心理的負荷の強度は「中」である。
ク 配置転換(出来事⑧)
(ア) 事実関係
a社では,従前,マーケティング本部の中に国際マーケティング本部(中国,アジア,欧米の各マーケティング室)があり,国内の各マーケティング室と同じ23階にあったが,平成20年2月の組織変更で,国際部門が中国事業本部と国際事業本部となり,アジアと欧米のマーケティング室が国際事業本部に組み込まれた。Eが中国事業本部長を兼任していたこと,アジアマーケティング室は国内の商品を販売していたことからいずれもマーケティング部門がある23階のフロアに残ったが,欧米マーケティング室だけが,営業部門である19階へ降りた。これに伴い,被災者は,23階のマーケティング本部から19階の国際事業本部に配置転換(組織変更)となった。
23階のマーケティング本部にいた時期は,被災者は10程度ある室の室長だったが,19階の国際事業本部への配置転換の後は,営業とマーケティングの2つしか室がなく,この中で責任を執るため,責任を問われた時の重みは非常に大きいものとなった。また,マーケティングと営業は相容れない関係にあり,営業と一緒になることで被災者へのプレッシャーが増幅された。
配置転換後は,欧米マーケティング室と欧米営業戦略室合同の連絡会を毎週定例で行うこととなり,被災者の仕事の負担が増えた。また,被災者は,新たに国際業績検討会等に出席し,今までは営業がメインで責任を負っていた連結売上等の数値に対しても,営業戦略室と連携して対応を求められることなり,質的にも量的にも仕事に対する負担が増すこととなった。
(イ) 心理的負荷の強度
配置転換後,被災者は,国際事業本部の中で結果を出すこと,室長も2人に減る中で,売上や業績に対してより直接的に責任が問われるようになり,負担も格段に重くなった。
また,国際業績検討会への出席等,職務内容も増え,様々な場面で方向性が異なる営業と連携することが要求されていた。他部門との調整は,会社も認める難易度が高い,困難な業務であった。
国際事業本部への配置転換の心理的負荷の強度は,業務内容の変化や業務の困難性を踏まえれば,「中」以上である。
ケ 海外出張のメンバーから外されたこと(出来事⑨)
(ア) 事実関係
被災者は,平成20年7月17日,18日に開催される「子会社2009年間/上期計画編成会議(7/17/17)於e社」に出席する予定であったが,直前になってメンバーから外された。
国際事業本部に所属する被災者にとって,海外出張は,実際の現場を直に見ることができる数少ない機会であり,今後のマーケティング戦略を練る上で,極めて重要である。また,被災者は,欧米マーケティング室長として,マーケティング戦略において日本を代表する立場にあった。責任者である被災者が計画編成会議という重要な会議に出席することは当然のことである。しかも,統括マネージャー3名のうち,会議への出席を拒否されたのは被災者のみであった。重要な会議から外されるという事態に被災者は,自分の力量が評価されておらず,存在が疎んじられていると感じ悩むようになった。また,被災者が関与しないところでマーケティング戦略の方向性が定められ,責任を問われることになった。
平成20年7月の出張は,同年9月に実施される欧米マーケティング会議の準備としても非常に重要であり,被災者は自分がその人選から漏れたことに非常に不本意であった。マーケティング戦略,とりわけ○○ブランド問題で海外の子会社や代理店と意見が衝突していたことも絡んで,海外子会社や代理店と被災者の関係はこじれていた。
このように,被災者は,○○ブランドに関するマーケティング戦略が社内でも海外でも評価されず,必要な会議からも外されるという仕打ちを受け,社内で自分が必要とされていないのではないかと不安を強めていたが,今後のマーケティング戦略を立てる重要な会議に,自分ではなく部下の方が海外から必要とされ,物事が進んでいく状況を目の当たりにした。
(イ) 心理的負荷の強度
海外出張のメンバーから外されたことは,海外子会社とのトラブルであるから,「同僚とのトラブルがあった」,「顧客や取引先からクレームを受けた」の出来事に該当するし,上司との対立の顕在化したものでもあるから「上司とのトラブルがあった」にも該当する。
被災者は,自らのマーケティング戦略が社内でも海外でも評価されず,ついには必要な会議からも外されるという仕打ちを受けたものであって,この出来事の心理的負荷の強度は,「強」である。
コ 上司とのトラブル(出来事⑩)
(ア) 事実関係
a 配置転換に伴い,被災者の直接の上司である国際事業本部長がEからCに交替した。しかし,Cは営業を専門としており,マーケティングに関しては詳しくなかったため,被災者はマーケティングの相談相手を失い,責任が加重された。そればかりでなく,営業を専門としていたCは,被災者の担っていたマーケティング業務の難易度の高さを理解できず,被災者が欧州の子会社らと意見が衝突しているという表面的な事象のみを捉えて,被災者が同僚等からコミュニケーション能力に特に問題はなかったと認識されているにもかかわらず,被災者は管理者としての能力に欠けるとの一方的な評価を下している。Cは,本来,上司として海外とのコミュニケーションに課題を抱えて悩んでいた被災者を支援すべき立場にあるが,海外の子会社の言い分を一方的に支持し,前記のとおり,被災者を海外出張のメンバーから外すという罰を与え,被災者の仕事を妨害した。被災者は,マーケティング業務の困難さと,この会議が被災者にとって如何に重要なものであるかを理解できないCから,海外出張のメンバーから外すことを通告されたことを不満に感じ,強い心理的負荷を受けた。
b 被災者は,Eから,日常的にパワーハラスメントといいうる言動でプレッシャーをかけられていた。Eは,社内の実力者である一方,仕事への要求度が高く,人格を否定する暴言を吐く等,部下に対する接し方も非常に厳しく,被災者もEからプレッシャーをかけられていた。
また,被災者は,配置転換以降,国際事業本部へと組み込まれたことによって,E傘下から外されたと見られ,周囲から遠ざけられ,情報が入ってこないようになった。Eは,欧米のことに詳しくないため,配置転換によって,マーケティング本部から欧米のみを切り離して,欧米マーケティングの実績に関して,自身は責任をとらなくなったものである。その為,被災者は,配置転換後,周囲からE傘下から外された存在と見られて,周囲から軽んじられる扱いを受けるようになった。
(イ) 心理的負荷の強度
C,Eと被災者の関係は,それぞれ「上司とのトラブルがあった」の出来事に該当し,心理的負荷の強度は,「中」以上である。
サ 仕事上のミスの発生(出来事⑪)
(ア) 事実関係
被災者は,平成20年7月,海外出張のメンバーから外され東京に居残りしていたところ,部下のF(以下「F」という。)のミスが発覚し,その対処に追われた。
Fは,○○・kラインのクリスマスセットの内容の不備に気付かぬまま,同商品を既に船便でドイツ(中央倉庫)へ輸出してしまった。被災者は,ドイツでの全商品の詰め替え作業を計画,指示し,日本からも人を派遣し,現地でもアルバイトを雇い,数日間かけて詰め替え作業を行った。詰め替え作業は平成20年8月まで続いた。このトラブルにより,会社に多額の損失が発生した。
○○・kラインの不振が問われる中での○○・kラインでのミスで実際に大きな損失を出してしまっただけでなく,○○グローバル戦略において,D社長との確認事項である○○・kラインの強化に取り組む中での,このミスは,欧米の責任者として相当の痛手である。
(イ) 心理的負荷の強度
被災者は,Fのミスに対して監督責任を負う立場にあった。このミスにより,500万円程度の損害が主としてアルバイトを多数雇用した現地法人に発生した。不備のある商品の出荷は,「会社で起きた事故,事件について,責任を問われた」または「自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」の出来事に該当し,心理的負荷の強度は「中」以上である。
シ 海外出張(出来事⑫)
(ア) 事実関係
被災者は,平成20年9月7日から同月16日まで,欧州へ出張した。その主たる目的は,ミラノ近郊のストレーザで行われる欧米マーケティング会議への出席であったが,出張機会が減らされている折,被災者の命題である欧米市場における○○の売上拡大及びマーケティング戦略立案や,利益確保のためのTCR活動のため,被災者はフランクフルト,ロンドン,プラハにも足を運び,倉庫や現地の市場調査等を行った。そのため,被災者の出張日程は,10日間で4か国をまわるという過密スケジュールとなった。被災者は,過密スケジュールであったにもかかわらず会議に出席するだけでなく,会議準備から後片付けまで手伝った。
海外出張は,国や土地,言葉から食事まで未知の体験であり,一定の緊張感を絶えず維持することになる。食事もビジネスパートナーや海外赴任中の社員とともにし,仕事の情報交換やコミュニケーションの場として活用される。食事時間も業務であり,被災者が精神的な緊張感から解放されることはない。7,8時間ある時差への対応,気候の変化への対処,騒音に曝される飛行機での移動時間及び移動回数の多さ,機内での不自然な体勢での就寝,重い荷物の運搬等肉体的負担も大きく,疲労が蓄積されやすい。
しかも,被災者は,欧米マーケティング室長として,あつれきが生じている人達の中へ入り,取引相手に戦略を発表するだけでなく,新規市場として展開を考えていたチェコの代理店の代表と2人で市場を調査するという大きな任務も遂行した。
(イ) 心理的負荷の強度
被災者は,平成20年9月7日から同月19日までの13日間,海外への出張によって終始緊張した時間を過ごし時差を調整するための休日もないまま働いた。これは,「2週間(12日)以上にわたって連続勤務を行った」の出来事に該当(類推適用)する。
しかも,海外では,日本時間では深夜労働となる時間にも仕事に従事するという事実上昼夜が逆転した生活を強いられていたのであるから,その心理的負荷の強度は「強」である。
ス 仕事の量及び質の変化と長時間労働(出来事⑬)
(ア) 事実関係
被災者は,○○ブランド問題やリニューアル作業等多大な業務を抱えており,エステスクール教材化粧品開発,TCR活動,スパ事業,新規市場の開拓,米国OTC対応問題,EUのサンケアリコメンデーション対応等新たな業務が毎月のように発生していたため,その時間外労働時間は恒常的に月45時間を超えていた。
被災者の労働時間は,平成20年9月には,海外出張もあったため労働時間が著しく増加している。
被災者の勤務状況は,平成20年8月21日から同年9月19日までの間が「1ヶ月80時間以上の時間外労働を行った」の出来事に該当しているうえ,「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」の出来事として「仕事量が著しく増加して時間外労働も大幅に増える(倍以上に増加し,1月あたりおおむね100時間以上となる)」という状況にあった。このような仕事の量・質の変化に伴い,被災者は長時間労働を強いられ,心身ともに疲弊し強く蝕まれていった。
(イ) 心理的負荷の強度
被災者は,○○の売上目標の達成や○○ブランドの確立といったメインの業務課題を抱えながら,エステスクール教材化粧品開発,TCR活動,スパ事業,新規市場の開拓,EUサンケアリコメンデーション対応といった新たな業務にも取り組みつつ,Fのクリスマスセットのミス,米国△△商標問題,□□クリーム品質問題,米国OTC対応問題,◇◇クリーム品質問題,f社クレーム問題といったトラブルにも対応を余儀なくされた。海外出張もこなしていた。そのため,被災者の時間外労働時間は恒常的に月45時間を超えていた。これは,「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」の出来事のうち「仕事内容・仕事量の大きな変化(時間外労働時間数としてはおおむね20時間以上増加し1月あたりおおむね45時間以上となる)」に該当し,心理的負荷の強度は「中」である。
また,被災者の時間外労働時間数が最大になる平成20年8月21日から同年9月19日までの間は,「1ヶ月80時間以上の時間外労働を行った」の出来事に該当し,そして「仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」の出来事として「仕事量が著しく増加して時間外労働も大幅に増える(倍以上に増加し,1月あたりおおむね100時間以上となる)」という状況にもあたり,被災者は同出来事によって強い心理的負荷を受けたと評価すべきである。
セ リストラに対する不安(出来事⑭)
(ア) 事実関係
深刻な経営不振に陥った会社内では,幹部会等で構造改革の必要性,人件費の削減が叫ばれていた。1年契約の嘱託社員であった被災者は,幹部会議等で経営不振の話題が出るたびに会社がリストラを断行したならば,結果を残せていない自分がその対象となると考え,不安を募らせていた。a社では,平成21年当時,体調不良になっても休むことを許されない,合理的理由なく従業員を大幅に降格させるなど,裁量権の逸脱に該当し得る人事権の行使が行われており,このことが被災者を苦しめていた。
(イ) 心理的負荷の強度
1年契約である被災者は,部下とは異なり,毎年結果を出すことを会社から強く求められていた。ここ数年,人事考課が平均に達成していなかった被災者は,自身が会社に居場所がなくなることへの恐怖心を感じていた。リストラに対する不安は,「非正規社員であるとの理由等により,仕事上の差別,不利益取扱いを受けた」の各出来事に最も近く,心理的負荷の強度は「中」である。
ソ 米国△△商標問題(出来事⑮)
(ア) 事実関係
a社は,アメリカにおいて「△△」という名称の商品(○○・lラインのファンデーション)を販売したところ,既に他社が同名称で商標登録をしていたため,商標権侵害問題が発生し,商品名を「▲▲」に変更することになった。被災者は,平成19年から平成20年12月頃まで,この問題の解決に従事していた。赤字続きのアメリカで起きてしまったこのトラブルは,終結に向けて和解金や商品名変更に伴う費用,労力が発生する等,被災者に多大な負荷がかかった。
(イ) 心理的負荷の強度
米国△△商標問題は,裁判に発展した事実からも,大きな出来事であることは明白であり,裁判費用のみならず,他社の商標権を侵害している商品や販促物を全て回収,廃棄する費用,新商品の開発費用,逸失利益等,会社に莫大な損害を与えた。また,被災者は,対策会議に出席した上で,新商品の開発を行うという事後対応の苦労を負った。これは,「顧客や取引先からクレームを受けた」の出来事(類推適用)に該当し,心理的負荷の強度は「中」以上である。
タ □□クリーム品質問題(出来事⑯)
(ア) 事実関係
平成20年1月ころ,アメリカに輸出したクリーム商品に分離現象が発生したことから,他の商品でも分離現象が発生していないか国内外の倉庫等を調査し,対策を講じることとなった。被災者も,この問題の解決に関与した。この問題解決のため,原因究明と再発防止のための研究に相当額を費やしただけでなく,商品の廃棄・回収,代替品の空輸,国内倉庫の在庫の調査等,多額の損失を出した。
(イ) 心理的負荷の強度
前記のとおり,この出来事によって,懸案事項を抱えていたアメリカ市場において多額の損失が発生した。被災者は,営業企画グループと連携して,原因究明及び再発防止業務に関わり,事後対応の苦労が生じた。これは,「自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」の出来事に該当し,心理的負荷の強度は「中」以上である。
チ 米国OTC対応問題(出来事⑰)
(ア) 事実関係
アメリカにおいて,日焼け止め効果をうたう化粧品等は,OTC医薬品(薬局・薬品・ドラッグストアなどで市販される市販薬,大衆薬のこと)として医薬品としての扱いを受けるため,FDA(アメリカ食品医薬品局)の登録を受ける等,我が国にはない米国独自の規制や制約を受けることとなり,その過程で様々な対応問題が発生していた。a社は,平成20年,OTCとして登録していない商品をアメリカに輸出したため通関で差し止めを受け,長期間にわたって新商品の販売ができず,赤字続きのアメリカ市場で莫大な損失を出しただけでなく,現場や百貨店からのクレームを受け,事後対応に追われた。
被災者は,会社からこの責任を問われ,心理的負荷を負った。また,この出来事の影響により,新たに「欧米薬事定例会」が設置されることになった。被災者は,海外の薬事法関連規制の見落としを防止するために,諸外国の薬事を学ばなければならないという新たな仕事上の負担が加わった。
(イ) 心理的負荷の強度
被災者は,会社から米国OTC対応問題発生に対する責任を問われた。
この出来事の顛末として,会社は予定どおり商品を販売開始できなくなり損害が生じたものであり,取引先からのクレームも寄せられた。被災者は,事後対応の苦労として,様々な国の薬事法関連規制への習熟を求められるようになり,出席すべき会議も追加され,被災者の業務上の負担が更に増加した。これは,「自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」,あるいは,「顧客や取引先からクレームを受けた」の出来事に該当し,心理的負荷の強度は「中」以上である。
ツ ◇◇クリーム品質問題(出来事⑱)
(ア) 事実関係
◇◇クリーム品質問題とは,欧州全土で販売していた○○のクリームに変色が発生したため,倉庫の在庫の処分,客の求めに応じた粗悪品の交換,客や取引先からのクレーム対応等の業務に追われた出来事である。被災者は,平成20年12月17日には研究所のスタッフと協議をもち,APPS(ビタミンC誘導体)の酸化が変色の原因として考えられるとの結論に至り,変色を抑える処方の変更がされることとなった。○○グローバル化戦略に関して○○・kラインの不振が問われている中でのこの出来事は,単に多額の損失を発生させただけでなく,ブランドや商品への信用問題にもなり,戦略の推進にも大きく関わるため,被災者は精神的に一層追い詰められた。
(イ) 心理的負荷の強度
この出来事は,○○・kラインが販売不振に陥る中,さらにブランドの信用を失墜させる重大なトラブルである。最高級品であるkラインは非常に高額な商品であり,変色を生じた商品の在庫を処分することで,会社に莫大な損害が生じた。被災者は,変色の原因究明,処方の変更の協議を行ったほか,顧客や取引先からのクレーム対応にも追われる等,事後対応も困難であった。「自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」あるいは「顧客や取引先からクレームを受けた」の出来事に該当し,心理的負荷の強度は「中」以上である。
テ f社クレーム問題(出来事⑲)
(ア) 事実関係
f社クレーム問題とは,f社から,○○・mシリーズの広告ビジュアル,世界観が「◎◎」に似ているとのクレームを受け,知的財産権問題が発生した出来事である。この出来事は,○○ブランドがオリジナルではなく他社の模倣であるという,ブランドイメージの根幹に関わる重大なクレームである。業績不振のフランスで発生したこの出来事は,業績不振に対する責任を追及されていた被災者にとって,業績悪化に拍車をかけるトラブルとして非常に心理的負荷の掛かる大問題であった。
(イ) 心理的負荷の強度
この出来事は,訴訟に発展しかねない重大なクレームである。被災者が最終承認している販促物が使用不能,回収という事態に追い込まれる事態が生じかねなかったことから,被災者は,他部門と連携して対応に当たり,事実確認書の作成送付に向けた準備に取り組まなければならず,事後対応の負担や困難性が大きかった。したがって,「顧客や取引先からクレームを受けた」の出来事(類推適用)に該当し,心理的負荷の強度は「中」以上である。
ト EUサンケアリコメンデーション対応(出来事⑳)
(ア) 事実関係
化粧品産業では,化学成分の人体に対する安全性に加えて環境影響も考慮して商品を製造販売しなければならず,各国ごとに,独自の規制が課せられている。とりわけ,化粧品産業における最大のマーケットであるEUの規制は,全世界に影響を与えるもので,新たな規制が示された場合,化粧品会社は迅速に対応していく必要がある。
EUサンケアリコメンデーション対応とは,サンスクリーン製品の効能と効能表現について,EUから新たな勧告が出されたことを契機に,競合他社が平成20年夏頃から新たな勧告に対応した商品を販売するようになり,a社も急遽対応に乗り出したという問題である。EUの新たな勧告に合致する製品はUVAロゴマークを使用した販売が可能となり,良い日焼け止め商品として消費者に宣伝できるメリットが生じる。
a社においても,EUの新たな勧告への対応の遅れにより競合他社にシェアを奪われるとの危機感を覚え,平成21年に販売される商品以降,EUの新たな勧告に対応する商品へと切り換える作業が開始されることになった。
表記変更の対象となる商品はメイクアップ商品だけでも60品種と多数あり,数ある在庫品も全部入れ替えなくてはならなかった。商品開発グループ統括マネージャーも兼務していた被災者は,マーケットで受ける不利益や在庫商品の廃棄損等を最小限に抑えるため,どの商品からEUの新たな勧告に対応した商品に切り換えるか,判断する作業等を担っていた。そのため,まず,薬事について理解を深めながら,それまで行われていなかったメイクアップ商品の販売動向データの収集から始め,残すべき商品を分析し,作業へと入っていった。
また,表記変更のみならず,平成20年11月生産開始の○○・nラインに関しては処方も変更する等対応に迫られた。この出来事によって,被災者は,海外の薬事を勉強するところから始まり,データを収集した上で,最も廃棄処分が少なく損失も少ない順番でEUの新たな勧告に対応した商品へ切り換える作業を担わされた。また平成21年発売で,平成20年11月生産予定であった商品も,ほとんど決まっていた処方を変更し,新たな勧告へ対応する作業を担うこととなった。
(イ) 心理的負荷の強度
EUの新たな勧告への対応の遅れから競合他社にシェアを奪われる事態であった上,本件業務は,各製品の表記を切り換える等の措置のため費用を要し,会社へ多額の損失を与えるものであった。被災者は,この出来事への事後対応として,データを収集した上で,最も損失が少ない順番で新たな勧告へ対応した商品へ切り換える作業及び平成21年販売予定であった商品も,新たな勧告へ対応する作業を担わされた。
これは,「自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」の出来事に該当し,心理的負荷の強度は「中」以上である。
ナ 下からの数々のハラスメント(出来事〈21〉)
(ア) 事実関係
被災者は,被災者が責任を負うべき業務について,部下が被災者に相談することなく,時には被災者の意見に反する形で進められ,室長として部下を監督することが困難な状況に陥った。他方で,業務に関して社内で話を通す際には室長案件となるため,責任のみが被災者にのしかかってきた。国際事業本部では,部下がチームを作って思うままに物事を進めている状況であり,被災者は部下からもパワーハラスメント,いじめを受けている状況にあった。
(イ) 心理的負荷の強度
被災者は,19階に配置転換されて以降,部下から自らの立場や存在を無視される等,部下からも軽んじられる態度を受けるようになり,意思疎通に悩みを抱えていた。
本件は,「部下とのトラブルがあった」あるいは「嫌がらせ,いじめを受けた」の出来事に該当し,心理的負荷の強度は,「中」以上である。
ニ 総合的にみて,被災者に強い心理的負荷が掛かっていたこと
被災者は,精神疾患発病前後を通じて,毎月のように,相互に関連性のない新たな出来事に連続的に直面したため,ストレスの相乗効果により心身の健康を一層損なうことになった。業務上の心理的負荷を伴う出来事が複数存在する場合,その強度は原則として修正されるべきである。
また,管理職は,個々の業務に多くの時間を割くことができない反面,結果に対する責任は部下よりも比較にならない程重く,幅広いという特徴がある。管理職の心理的負荷を正確に把握するためには,どれだけ多方面で重圧を強いられていたかを明確にすることが不可欠である。数多くの業務に対して重圧を背負わされることで精神的にも疲弊し,被災者のキャパシティを超えてしまったことが,被災者の精神疾患発病の本質である。
被災者が,複数の心理的負荷を伴う業務上の出来事を体験したことによるストレスの相乗効果を考慮した心理的負荷の強度の総合評価は,明白に「強」である。
(被告の主張)
ア 被災者が達成困難なノルマを課されていたこと(出来事①)について
(ア) 大手企業が経営戦略,事業計画を策定し,さらに中長期計画,短期計画を策定して会社としての業績目標等を設定することは当然のことで,会社の将来戦略として,右肩上がりの数字を計画において示すのも普通のことである。ここでいう目標や戦略は,個人の営業ノルマではなく部門としての目標であり,これらを踏まえて,経営陣,各職位の者がそれぞれの立場に応じた業績目標等を課される。しかし,業績目標等の意味合いは各部門や職位により異なり,必ずしもノルマと同義ではない。精神的負荷として評価されるノルマか否かは,その内容,困難性,強制の程度,達成できなかった場合の影響,ペナルティの有無などによって判断されるべきものである。
本件で原告がノルマとして主張する内容は,会社全体や部門としての目標であって,被災者がマーケティング室長として達成を強制されるような内容のものではない。被災者の職位である室長は,会社全体や部門の業績目標の責任を負うような立場ではなく,このことは,上司が業務に精通しているか否かに関わらない。
したがって,本件では,会社全体や部門として業績目標等が設定されていたということはできても,被災者に達成困難なノルマが課されていたとみることはできない。
(イ) 人事考課上,被災者は役職クラス相当(期待どおり)と評価されており,休職期間があった平成20年度下期のみ,長期の休職を理由とする調整の結果C評価とされたに過ぎず,被災者が売上ノルマ未達成等を理由に,責任を負わされたり,ペナルティを科されたという事情はうかがわれない。賞与のうち会社業績連動部分は,連結売上予算達成率及び連結経常利益予算達成率から算出され,他の幹部嘱託者にも適用されるものであり,被災者だけを不当に低く査定したものではない。
労働基準法第91条の減給の制裁とは,「職場規律に違反した労働者に対する制裁として,本来ならばその労働者が受けるべき賃金のなかから一定額を差し引くこと」をいい,「定期的又は臨時に,原則として労働者の勤務成績に応じて支給されるものであって,その支給額が予め確定されていない」賞与とは区別されなければならない。
(ウ) 週報や個人評価表の記載からは,被災者が海外子会社の業績に関して具体的に達成目標を課されていたとの事実は認められない。
(エ) 室長以上の経営陣は1年契約の嘱託社員であるが,雇止めや降格等の前例はなく,基本的に処遇を維持するというのが原則になっていた。また,逆転人事は異例なことではなく,業績目標の達成度合によって逆転人事が生じるような関係にはない。
(オ) 以上より,本件では,認定基準の「8 達成困難なノルマが課された」に当てはまる事情は認められない。仮に,本項目に該当すると考えたとしても,ノルマではない業績目標が示されたに過ぎず,その心理的負荷の強度は「弱」にとどまる。
イ ノルマ未達成と会社に与えた多額の損失(出来事②)について
(ア) 前記アのとおり,被災者にノルマが課せられていたとは認められず,仮にノルマが課せられ,それが未達成であったとしても,予算未達は「多額の損失」とは別概念である。
(イ) 平成19年から生じていたサブプライムローン問題に端を発し,平成20年9月に発生したリーマンショックによる世界的な同時不況は,世界中の多くの企業に影響を与えた出来事であり,一個人の力で対処できるものでないことは自明である。したがって,このような事情によって売上が減少したとしても,その責任は被災者個人にあるものではなく,会社全体として受け止められるべきものである。週報の記載からも,会社の経営に影響するような多額の損失が発生したとか,被災者がその事後処理,倒産回避等のために金融機関や取引先への対応等の事後対応に多大な労力を費やしたといった事実は認められない。
(ウ) 海外子会社及び代理店等の経営管理等を行うのは欧米営業戦略室で,上位責任者は国際事業本部長である。さらに,大局的な海外子会社の経営上の判断を行うのは,取締役会である。
(エ) a社では,平成20年以前3~5年程度の間に,室長,本部長クラスで精神疾患を発病した者はいない。
(オ) 以上より,本件では,認定基準の「6 自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」という項目に当てはまる出来事は認められない。
ウ 「○○」ブランド問題を巡るトラブル(出来事③)について
(ア) ブランド名の変更という重要な事項は,一室長が決定したり責任を負ったりするような問題ではなく,上層部の決定に伴って,下位の職位のものがそれぞれの立場で職務を行っていくのが実情である。
(イ) 欧州向けの●●から○○へのブランド名の移行に際し,被災者の仕事の佳境の時期は平成18年夏頃で,平成20年頃には,その作業量は大幅に減少していた。被災者の発病前おおむね6か月の時間外労働時間を見ても大きな変化は認められず,仕事量の大きな変化があったとは認められない。
また,被災者が○○へのブランド名の移行に関する業務を担当していた間,関連子会社や代理店との間で大きな問題が生じていた事実もない。
(ウ) 被災者の人事考課上,平成18年以降でC評価がされたのは平成20年度下期のみであり,前記のとおりこれは長期の休職期間に入ったことが影響したものであって,時期的にも,ブランド名変更に伴う責任をとらされた結果とはいえない。平成20年度下期における「○○新中期計画(2011~2015)の作成開始」の一次評価は,「標準どおりの成果・貢献を果たした(100%達成)」の「2.0」とされている。実際に,○○新中期計画(2011~2015)の作業は,作業スケジュールに従って進められており,将来ビジョンも作成されている。
(エ) 被災者がマーケティング戦略会議の後で自らを卑下する言葉を漏らしたのは平成21年1月のことであり,既に被災者が精神疾患を発病した後のことであるから,その影響下でされた言動であって,会社から過度な要求があったことを推知させるものではない。
(オ) 以上より,「9 ノルマが達成できなかった」,「15 仕事内容・仕事量の変化を生じさせる」,「12 顧客や取引先からクレームを受けた」あるいは「30 上司とのトラブルがあった」,「31 同僚とのトラブルがあった」のいずれの出来事にも該当しない。
エ 新規事業であるスパ事業の立ち上げ(出来事④)について
(ア) a社は,販売促進のため,平成14年頃より,○○サロンをヨーロッパの百貨店内や化粧品店内で展開していたところ,さらなるブランドイメージの向上のため,高級ホテルのスパ事業により積極的に取り組むこととなった。この新規事業の直接の担当者は平成20年4月下旬にフランスから帰国したG(以下「G」という。)で,同人の帰国とともに欧米マーケティング室に○○サロン企画開発グループが新たに創設され,同人がこのグループの統括マネージャーとなり,グループに配属された5名のメンバーで○○セレクトスパ事業に取り組むこととなった。スイスのリゾートホテル内に○○セレクトスパをオープンさせる準備作業が本格化したのは,被災者が精神疾患に罹患した後の平成21年4月以降で,現地への出張を行っていたのは被災者の部下らであり,各種資料作り,戦略立案,ヨーロッパ子会社とのやり取りなどの実務を全て被災者の部下らが行っており,被災者が具体的に担当していた業務はなかった。
(イ) 以上より,「新規事業の担当者になった」として業務上の負荷を受けたとは評価し難い。仮に,「10 新規事業の担当者になった」あるいは,部下が増えたことにより,「15 仕事内容・仕事量の大きな変化を生じさせる出来事があった」に該当するとみた場合であっても,その精神的負荷の強度は「弱」にとどまる。
オ 東欧,ロシアの新規市場開拓という新規事業(出来事⑤)について
(ア) 東欧進出計画は,平成19年9月11日の会議において,国際営業本部欧米営業推進室に対して進出検討の指示があり同年10月に営業推進室から欧米マーケティング室にプレゼンテーションが行われた。このように,チェコやハンガリーなどに販路を拡大する取組みは欧米マーケティング室ではなく,同じ国際事業本部の欧米営業戦略室が所管していた。
(イ) 平成20年4月28日の国際事業本部幹部会では,社長・本部長が欧州代理店を訪問し,プラハのDouglassハイプレステージ型店舗にコーナーを獲得したことが報告されている。
被災者はチェコに一度視察に行ったことがあるが,視察内容を欧米営業戦略室合同連絡会で報告した後は,特段の活動をしていない。また,被災者が行ったチェコ視察は,a社が要請したものではなく,被災者が自ら希望してスケジュールに組み込んだものである。その時期も,上記のとおりプラハに店舗を獲得した後の平成20年9月15日のことであり,被災者の報告内容には現地に行かなければ得られないような情報がなかったことから,いわゆる表敬訪問と評価すべきものであった。
(ウ) 以上より,新規市場開拓に関して欧米マーケティング室が欧米営業戦略室に助力することはあったとしても,被災者が「10 新規事業の担当者になった」と評価することはできない。
カ 新規事業であるエステスクール教材開発(出来事⑥)について
(ア) a社は,平成19年始め,dスクール開設のためのプロジェクトを立ち上げた。当初は平成20年4月に開校する予定であったが,実際の開校は平成21年4月となった。この開設のためのプロジェクトは,コーポレートコミュニケーション室等が中心となって進められ,被災者はプロジェクトメンバーには入っていなかった。被災者は,商品開発の知識と経験があったことから,プロジェクトメンバーより相談を受けた際に,大局的なアドバイスをしていたに過ぎず,実務的な相談は,アジアマーケティンググループ統括マネージャーがサポートメンバーとして受けていた。被災者について,上記アドバイスを行うようになったことにより本来業務に支障が出るほど業務量が大幅に増加した状況も見られない。
(イ) 以上より,上記事業が被災者の「10 新規事業の担当者になった」,「15 仕事内容・仕事量の変化を生じさせる出来事があった」ものではない。
キ TCR活動(出来事⑦)について
(ア) TCR活動は,c社が昭和61年以降継続して行っているコスト削減に関する取組みであるが,全社的にコスト削減の意識を喚起するという活動にすぎず,一個人が,何か重大な責任を負うような特別な活動ではないし,特段の数値目標もない。各部門の担当者は,半年に1度,結果と目標を所定の用紙に記入することは求められるが,通常このことにより業務量が大幅に増加するものでもなく,被災者の業務量が大幅に増加したとも認められない。また,被災者が,TCR活動の目標未達について責任を負ったというような事情はうかがえない。
(イ) 被災者の平成20年度下期における重点取り組みテーマであるTCR活動の「ウェイト」は10パーセントである。そして,中間レビューでは,「現地担当者との認識を共有を行い,具体策を2月上旬e社と打ち合わせる」となっているが,この打合せの前に被災者は休業に入っているため,進捗率は20パーセントとされている。「一次評価者」の評価は,「標準にはやや満たない成果・貢献であった」であるが,進捗率が20パーセントであることからすれば,特段厳しい評価とはいえない。
(ウ) 以上より,本項目は,「15 仕事内容・仕事量の変化を生じさせる出来事があった」,「9 ノルマが達成できなかった」とは認められない。
ク 配置転換(出来事⑧)について
(ア) 平成20年2月頃,被災者が室長を務めていた欧米マーケティング室は,23階に所在した国際マーケティング本部の廃止に伴い,新設される国際事業本部が入居する19階に移動となった。しかし,被災者は,単に所属組織が変更となり,仕事場所が移動しただけで,人員や取り扱う業務内容にも変化はなく,責任が重大になったとはいえない。
(イ) 配置転換が行われたのは,発病よりも10か月近く前の出来事であるし,前記のとおり,そもそも認定基準上の配置転換と評すべき事象ではない。仮に,この仕事場所の移動を「21 配置転換」として考慮に入れるとしても,心理的負荷の強度は「弱」である。
ケ 海外出張のメンバーから外されたこと(出来事⑨)について
(ア) 平成20年7月17及び18日にe社本社で開催された「2009年間/上期計画編成会議~2009AW子会社マーケティング会議」は,同年9月に行われる欧米マーケティング会議の事前確認と現地のマーケティング担当者との打合せが主たる目的の実務者レベルの会議であり,被災者のような上位職のものは,むしろ出張メンバーに入っていないのが当然と受け止められていた。
被災者だけでなく,上司のCも上記会議への参加を見合わせており,また,両名は,出張に参加しなくとも,同会議の結果に対して,注文や否定できる権限を有しており,メンバーから外されたとの評価は当たらない。
また,被災者は,平成20年9月10日から同月12日にかけてイタリアで行われた欧米マーケティング会議に出席し,会議の初日でスピーチも行っている。
(イ) 被災者のような上位の管理職には,実務を部下に任せ,部下を育てることも求められる。実際に,平成19年11月5日から同年17日にかけて,担当者のみで,新商品開発調査,打合せのための欧州出張に赴いている。実務者レベルの会議に被災者が参加しないことは,特異なことではない。
(ウ) 以上より,出来事⑨に関する事実を客観的に,同種労働者の一般的な受け止め方として捉えれば,「12 顧客や取引先からクレームを受けた」,「30 上司とのトラブルがあった」,「31 同僚とのトラブルがあった」に該当するとは認められない。
コ 上司とのトラブル(出来事⑩)について
(ア) 会社等組織内の人材の能力・資質は様々で,人事異動が多くある中,相性の良し悪しは誰もが日常的に感じることであり,こうした主観的なとらえ方で,業務上の精神的負荷の有無を判断するのは不適当である。
Cが被災者を海外出張のメンバーから外したとされる件については,前記ケのとおり,職制上特段の問題はない。また,Cがマーケティングに詳しくないといった上司の能力にかかる問題は,「上司とのトラブル」と評されるべきことではない。その他に,Cと被災者との間に具体的な業務における方針の相違,具体的な意見対立が存在したとは認められない。
(イ) 原告は,被災者とEとの間にトラブルや考え方の相違があったと主張するが,いつ,どのようなトラブルがあったのか,海外戦略や部下の人事等について,具体的にどのような出来事があって,どのような考え方の相違が生じたのかについては明らかとされていない。
原告が問題視するdスクール,配置転換及び海外出張に関する事情は前記カ,ク及びケのとおりであり,これらの事象において,直接的にも間接的にも,Eによるいじめ,嫌がらせやトラブルと評価できる具体的事実は認められない。むしろ,被災者とEとの関係は良好であった。
その上,Eが被災者の上司であったのは,平成20年2月の配置転換までの時期である。これは,発病の10か月近く前までの期間であり,認定基準の検討期間以前のことにすぎない。
(ウ) 以上より,「30 上司とのトラブルがあった」とは評価できない。
サ 仕事上のミスの発生(出来事⑪)について
(ア) 平成20年7月22日頃,部下のFのミスで,ヨーロッパでクリスマス時期に販売する予定であった顔用クリームの商品に,誤ってボディ用クリームの説明書を入れてドイツへ出荷してしまうという事態が発覚したが,被災者は,事態発覚後,対応策が決定するまでの1週間程度,初期対応を行ったにすぎず,その後の事務的作業はFが行い,被災者は管理職として経過を把握するのみであった。
このミスによって生じた損害は,誤出荷した商品の個数は5094個,新たな説明書作成費1枚あたり10円から20円,ドイツでの梱包作業のための作業員3名分の総旅費が60万円から70万円であり,多く見積もってもその損害額は約80万円であった。半年ごとに示達される開発予算が約4000万円であることからすれば,この損害額は多額とは評されない。また,関係者がペナルティを受けたということもない。
(イ) 以上より,「5 会社で起きた事故,事件について,責任を問われた」には該当しないし,「6 自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」にも該当しないか,仮に該当すると考えるとしても,その心理的負荷の強度は「弱」である。
シ 海外出張(出来事⑫)について
(ア) 平成20年9月10日から同月12日までの3日間,イタリアにおいて欧米マーケティング会議が行われることに伴い,同月7日から欧米マーケティンググループと欧米商品開発グループに所属する被災者ほか13名が欧州への海外出張に赴いた。
(イ) 被災者は,欧米マーケティング会議に必要とされる行程以外の予定について,自分の判断で決定できる立場にあり,ロンドン及びプラハを訪問することを自ら決定しているところ,Cからプラハへ行く必要性について問われた際には,今後の市場として是非東欧を見たいと希望し,承認を得ている。
出張スケジュール上,視察以外の自由時間も十分にあり,客観的にみて,過密なスケジュールであったとはいえない。
(ウ) 被災者は,平成元年5月21日から平成7年9月30日まで,パリ及びスイスに海外駐在の経験があり,平成20年1月には欧米マーケティング会議の会場となったイタリアのミラノのホテルにも出張しており,同年4月にもフランスへ出張しているので,海外出張及び現地に不慣れであったとはいえない。むしろ,前記ケのとおり,事務レベルの下準備である平成20年7月の出張にも参加を希望し,参加できなかったことを外されたと受け止めるほど,出張に意欲的であった。
(エ) 労働基準法32条の労働時間に該当するか否かは,労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まる。また,心理的負荷の強度を測る「2週間以上にわたって連続勤務を行った」は,業務の困難性,能力・経験と業務内容のギャップ等に関し,業務密度の変化の程度,業務の内容,責任の変化の程度で図られるべきであり,使用者の指揮命令下に置かれたものとはいえない交通機関による移動時間は,労働時間として捉えるのではなく,特段の事情がある場合に限って,「労働時間」に準じて取り扱うべきものである。本件出張における移動時間について,会社から移動中に行うべき特段の業務の指示もなく,使用者の指揮命令下にあるとはいえない。被災者は,他の同行者と違いビジネスクラスを使用しており,エコノミークラスを使用している者と比べて疲労度も格段に異なるものといえる。
したがって,平成20年9月7日と9月16日は移動日であって,労働時間に含まれず,連続勤務は8日にとどまる。
(オ) 以上より,「16 1か月に80時間以上の時間外労働を行った」,「17 2週間以上にわたって連続勤務を行った」という出来事には該当しない。
ス 仕事の量及び質の変化と長時間労働(出来事⑬)について
(ア) a社では,パソコンのログイン,ログオフの記録で労働時間を把握している。事務室への入室時刻とパソコンのログイン時刻に大きな乖離があり,会社としての労働時間把握方法に疑問を差し挟む余地がある場合ならともかく,本件の場合,ほぼその差は数分程度であり,入室してから自分の座席へ移動し,パソコンが立ち上がるまでの時間を考慮すると,合理的なものといえる。また,平成20年9月10日,11日に行われた海外出張中の「ディナー」など,会社として予定されていた公式行事については「労働時間」として評価する。
(イ) 上記のような観点で,被告が計算した被災者の労働時間は別表1のとおりである。「1か月に80時間以上の時間外労働を行った」に該当する月はなく,「仕事量が著しく増加して時間外労働も大幅に増える(倍以上に増加し,1月あたりおおむね100時間以上となる)」に該当する月もない。
以上より,「15 仕事内容・仕事量の変化を生じさせる出来事があった」,「16 1か月に80時間以上の時間外労働を行った」とは評価できない。
セ リストラに対する不安(出来事⑭)について
(ア) a社が,平成20年ころ,被災者のような地位(室長,本部長クラス)にある者をリストラしていた,またはリストラの対象にしていた事実を認めるに足りる的確な証拠はない。また,被災者が平成20年当時,リストラに対する不安を述べていた事実についても認めるに足りる的確な証拠はない。
a社は,被災者の休職中も,同人を欧米マーケティング室長の地位のままとし,同職位での復職を予定していた。したがって,被災者が主観的にリストラに対する不安を抱いていたとしても,客観的にみれば,リストラの対象となることが懸念されるような状態にはなかった。
(イ) 以上より,リストラの客観的な事実は一切認められず,「リストラに対する不安」に類する出来事はないというべきである。
ソ 米国△△商標問題(出来事⑮)について
本件は知財権センターが窓口となり,国際事業本部の関係部署による協議により対処しており,最終的な和解契約書の署名者は,欧米営業戦略室欧米営業企画グループ傘下のg社社長である。そして,平成21年12月15日に,米国における商標権を持つh社との間で,和解契約の締結が確認されている。
被災者は,関係部署として会議や協議に参加していたに過ぎず,「12 顧客や取引先からクレームを受けた」には該当しない。
タ □□クリーム品質問題(出来事⑯)について
□□クリーム品質問題について,多額の損失が出たことを示す証拠はない。
したがって,出来事⑯は,認定基準の「6 自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」の出来事には該当しない。
チ 米国OTC対応問題(出来事⑰)について
米国OTC対応問題は,研究本部の薬事・技術戦略室が打合せを主催し,生産・技術本部と国際事業本部が参加して協議を行い,以後,定期的に情報交換を行っているものであり,被災者は,関係部署として会議や協議に参加していたに過ぎない。
したがって,出来事⑰を認定基準の「6 自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」と評することはできない。
ツ ◇◇クリーム品質問題(出来事⑱)について
商品の改良が行われることは日常的なことであり,会議メモにおいては,有効性及び安全性について,年内もしくは年明けに化研で試験を行うとされているに過ぎない。そして,週報においても,クレームのことについては触れられていない。
したがって,出来事⑱は認定基準の各出来事には当てはまらない。
テ f社クレーム問題(出来事⑲)について
f社クレーム問題は,知財権センター及び法務グループが対応策を協議の上,会社に侵害性がないことを確認し,現地弁護士が対応を行っているものである。
そして,被災者は,平成21年1月29日以降,会社を休んでおり,本件の対応は行っていない。
したがって,出来事⑲は,認定基準の「12 顧客や取引先からクレームを受けた」に当てはまらない。
ト EUサンケアリコメンデーション対応(出来事⑳)について
EUの新たな勧告は,他律的なものであり,競合他社にとっても同様である。したがって,既存商品を廃止し,その切替えを行ったとしても,会社の一担当者が責任を負うような事柄ではない。
また,具体的な対応が必要となったとしても,国際テクノセンターが主催する説明会や薬事・技術戦略室が行う薬事定例会に出席して情報提供を受ける程度であり,被災者が特別な負担をしたり,責任を負ったりするものではない。
したがって,出来事⑳は,認定基準に該当するような出来事ではない。
ナ 下からの数々のハラスメント(出来事〈21〉)について
(ア) 原告の主張は,客観的な証拠による裏付けのない主張である。
(イ) 平成20年12月4日の風の木クリニックの診療録に記載された被災者の発言内容は,被災者が初期の精神疾患の影響下で述べた主観的な認識に過ぎず,むしろ大森病院の主治医は,被災者が4月上旬からの職場復帰が可能であると診断した平成21年3月9日の診療録には,被災者が人間関係に問題がなかったことや,被災者がコミュニケーションをとらなかったことでパスされていたことがある旨の発言をしたとの記載があり,この記載からは,職場における客観的ないじめ,嫌がらせその他のトラブルの存在はうかがわれない。
また,被災者の休職前後に行われた被災者と人事総務部門人材開発マネージャーであるH(以下「H」という。)との面談の際,被災者から発病の原因となるような人間関係上の問題について具体的な話はなかった。原告からHに対して,部下からのハラスメントに関して尋ねたこともない。被災者の死亡後に行われた複数関係者からのヒアリングの際も,部下からのハラスメントなど人事上問題視すべき事情は確認されていない。
(ウ) 以上より,本件では,「部下とのトラブルがあった」あるいは「嫌がらせ,いじめを受けた」の出来事に該当する事実は認められない。
ニ 既往歴について
本件では,上述のとおり,発病前おおむね6か月の間に業務による強い心理的負荷は認められず,このような場合,業務以外の心理的負荷や個体側要因に特に問題が認められないときでも,「ストレス―脆弱性」理論によって形に現れない脆弱性という個体側要因が原因であると理解される。
したがって,本来,本件では業務以外の心理的負荷及び個体側要因についての検討を要しないが,念のため既往歴について付言するに,被災者は平成15年にうつ病性障害との診断を受けているものであるから,仮に,本件で業務上の心理的負荷が「強」と判断された場合には,認定基準の認定要件である「業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと」について,慎重な検討がなされるべきである。
第3  争点に対する判断
1  認定事実
前提事実,証拠(証人C,証人I,証人J,証人H及び原告本人のほか,後掲のもの)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(1)  被災者の経歴及び担当業務の概要
ア 被災者は,平成元年から平成7年までフランスやスイスに駐在していたこともあり,a社教育センターの統括マネージャーをしていた頃から海外での仕事を強く希望していたところ,平成16年10月1日,インターナショナル商品開発グループの統括マネージャーに異動となり,平成17年6月まで同統括マネージャー職を務めた(乙1〔181頁,232頁以下,434頁〕)。
イ 被災者は,上記期間中の平成14年3月頃,職場が替わったことをきっかけとして,気分が落ち込む,脳の機能が低下する,睡眠の質が低下するなどの症状を自覚するようになり,平成15年5月26日,横浜クリニックを受診したところ,うつ病性障害と診断された。被災者は,平成15年5月から同年12月まで同クリニックに通院して抗うつ薬の服用等の治療を行い,うつ病性障害は改善,寛解した。(乙1〔178頁,192頁,194頁,197頁,298頁ないし302頁〕)
ウ 被災者は,平成17年7月から平成21年5月まで国際事業本部の欧米マーケティング室長兼欧米商品開発グループ統括マネージャー職を務めた。
国際事業本部は,ヨーロッパにある関係子会社と業務連携をして,ヨーロッパやロシアでのマーケティングや,現地のニーズに合わせた商品開発を行う部署である。
欧米マーケティング室は,平成20年2月以降は国際事業本部の下部組織の位置付けで,主に○○ブランドに関する市場調査,市場分析,販売促進等のマーケティングや商品開発を行う部署であり,その下部組織として,欧米マーケティンググループ,欧米商品開発グループ及び○○サロン企画開発グループがある。欧米マーケティンググループは,○○ブランドの販売計画立案やそのブランドイメージの構築等を,欧米商品開発グループは,○○ブランドの商品開発等を,○○サロン企画開発グループは,○○サロンの事業計画の策定やそのブランドイメージの構築等を担う部署である。各グループにはそれぞれ,長としての統括マネージャーが配置されていたところ,平成20年時点の欧米マーケティンググループの統括マネージャーはK(以下「K」という。),欧米商品開発グループの統括マネージャーは被災者が兼任,○○サロン企画開発グループの統括マネージャーはGであった。また,欧米商品開発グループにおいて統括マネージャーである被災者を補佐するマネージャーはJ(以下「J」という。)が配置されていた。
被災者の上司は,平成20年2月以前は国際マーケティング本部長であったE,平成20年2月以降同年12月20日までは,国際事業本部長であったC,同月21日以降はI(以下「I」という。)であった。また,被災者の部下は,K,G,Jを含め,欧米マーケティング室全体で18名程度であった。
(乙1〔180頁ないし182頁,230頁,232頁以下,247頁以下,1052頁ないし1056頁,1058頁〕)
エ a社では,通常,マネージャー以下が実務を行い,統括マネージャー以上は業務,予算,人事などの管理を行うこととされていた。室長は,統括マネージャー以上に管理の領域が広がる一方で,実務への関与の幅は狭いというのが実情であった。(甲5,乙1〔247頁以下,1297頁以下,1335頁以下〕)
前記のとおり,被災者は,欧米マーケティング室長兼欧米商品開発グループ統括マネージャーの職にあったが,欧米商品開発グループについても,実質的にはマネージャーのJが実務の大半を取り仕切っており,被災者も,上層部に対し,実態に合うようJを統括マネージャーにするよう求めていた。被災者は,3つの部署を統括しており,全ての業務を把握することが難しかったこともあり,実務をJ,K,Gらの部下に任せ,管理業務を中心に担っていた。(乙1〔230頁,232頁以下,247頁以下,272頁以下,1335頁以下,〕)
(2)  当時のa社をめぐる情勢及び○○ブランドに関する動向等について
ア a社は,平成17年に,平成18年から平成22年までの5年計画を策定した(乙1〔283頁以下〕)。
イ a社では,欧州向けの●●というブランド名を○○へと変更することとし,平成17年8月1日に第1号商品を発売した(乙1〔247頁以下,457頁〕。
ウ 平成19年6月28日の日経産業新聞に,a社が欧米向け化粧品を平成21年までに刷新し,商品名である○○を強調した外装に変えること,○○ブランドを高級ブランドとして定着させ,欧米の売上で年間8%の成長を目指す計画であること,平成22年までに海外の売上高を現在の約2倍の400億円に引き上げる計画であり,欧米での売上高100億円について高級品に特化して売上増加につなげる計画であること等を内容とする記事が掲載された。
また,平成19年11月10日の日本経済新聞に,a社を含む大手化粧品メーカーが世界共通ブランドを育成していること,このうち,a社は,欧州など25か国で販売するブランドを○○に統一し,平成22年には出荷額ベースで対平成18年比約2倍の200億円の販売を目指すこと等を内容とする記事が掲載された。
(乙1〔448頁,449頁〕)
エ 平成20年6月19日の日本産業新聞には,a社について,c社の傘下に入って2年が経過するが,現在の成長ベースではc社が買収時に掲げた2010年度に2600億円超という目標に届かないとして,今後の課題をD社長に対するインタビューの形式で聞くという内容の記事が掲載された。同記事において,D社長は,海外を含めてコスト削減の余地が残されていると考えていること,海外事業について,欧州,アジアの収益を高め,稼いだキャッシュを中国に注ぐこと,平成20年は1店あたりの売上げを優先し,ブランド認知の向上と品揃え拡充により平成19年度の売上伸び率50%を上回りたいと考えていること,代理店経由で商品を販売しているロシアや東欧などの新興国も成長余地が大きいため何らかの対応を検討すること等について述べ,末尾に,記者の見解としてa社の最大の課題が海外のテコ入れであるとの意見が掲載された。(乙1〔450頁〕)
オ 国際事業本部では,○○の売上目標を掲げているが,平成20年は,リーマンショックの影響もあり,○○の売上げは芳しくなかった。もっとも,平成20年当時,国内の販売が不調であったことから,国際事業本部だけが問題視されることはなかった。(乙1〔247頁以下〕)
カ 平成20年当時,○○ブランドの商品の7割以上を占めるスキンケア及びファンデーションのブランド移行が完了しており,残り約3割を占めるポイントメイクに関する商品の移行を残している状態であった(乙1〔247頁以下,457頁〕)。
キ 欧米マーケティング室は,○○の新中期計画(2011-2015年)打合せスケジュールに従い,○○ブランドの確立に向けて,複数回打合せを重ねている(乙1〔497頁,690頁ないし703頁,1109頁,1112頁,1116頁,1119頁〕)。
(3)  a社における幹部職員の処遇制度及び被災者の人事評価等について
ア a社では,室長以上の管理職に就任すると,嘱託契約社員となる。被災者は,平成16年12月に室長へ昇格し,嘱託契約社員となった(乙1〔230頁〕)。
イ 平成19年7月に改訂された,a社における幹部嘱託者等の処遇制度は,概ね,次のとおりである(甲5)。
(ア) 従前,職位に応じて幹部嘱託AからCまでの3段階の役職クラスに区分していたのを,各人が担う職務(役割)の大きさに応じた,役割等級として,EP1からEP5の5段階に等級付けする。
(イ) 月額報酬は役割等級に応じた定額とする。
(ウ) 賞与は個人評価に連動する部分と会社業績に連動する部分の両建てとする。
個人評価連動部分は,半期ごとの個人評価の評価結果により役割等級に応じて定められた金額を支給する。個人評価は,A1からC2までとし,A1(トップ成績)とC2(最下位成績)は絶対評価,それ以外(A2,B1~3,C1)は相対分布とする。
会社業績連動部分は,半期ごとの会社業績に基づき,予め定められた算式により標準支給額に対する0%から200%の割合で支給する。会社業績連動部分の支給率算定は,半期ごとの連結売上予算達成率と連結計上利益予算達成率に基づき支給額を算出することとし,連結税後利益がマイナスの場合,100%を上限に支給率を調整する。
ウ 欧米マーケティング室では,○○2009年間計画として,①○○ブランドの確立に向けた新たな商品戦略によるブランドの再構築を図ること,②年間卸売計画216億円(対前年比108%)を達成することを命題とし,上期重点方針として,①新規顧客獲得商品戦略の抜本的見直しを図ること,②ポイントメイクアップについて●●から○○へのブランドへの移行を図ること,③○○・nラインの継続的強化を図ること,下期重点方針として,①○○・kラインの継続強化方策としてのトラベルキット導入を行うこと,②中核ラインである○○・pラインに市場ニーズの高い抗シワ訴求シリーズを導入すること,③メイクアップについて●●から○○へのブランド移行を完了することを掲げていた(甲7)。
エ 欧米マーケティング室では,○○平成20年下期売上計画について,同年7月から10月までは対計画102.4%を達成していたが,同年11月の未達により11月までの実績で達成率82.5%となった(甲7)。
オ 被災者の平成19年度下期,平成20年度1-3月期及び平成20年度上期の個人総合評価はいずれもB3(役員クラス相当の期待に対して,やや不十分な成果・貢献だった)であり,平成20年度下期の個人総合評価はC1(役員クラス相当の期待を大きく下回る成果・貢献だった)である。もっとも,平成20年度下期の個人評価一次評価は,被災者が平成21年2月から同年3月の間欠勤したことから全体評価B2(役員クラス相当の期待に対して,標準的な成果・貢献だった)の6分の4として算出してB3とされており,また,調整され確定した個人総合評価がC1とされたのは,平成21年1月27日から欠勤していることが理由とされているもので,欠勤以前の業績が影響したものではない。(甲7,乙1〔1140頁〕)
(4)  欧米マーケティング室に関する組織改編等について
ア 被災者が所属していた欧米マーケティング室については,従前,国際マーケティング本部の下部組織という位置付けであったが,平成20年2月頃のa社の組織改編に伴い,国際事業本部の下部組織へとその位置付けが変更された。これに伴い,被災者の勤務場所が本社23階から19階へと移り,被災者の上司が前記のとおりEからCに替わったが,欧米マーケティング室の人員構成,取扱業務等に変更はなかった。(乙1〔185頁,247頁以下,261頁以下,1134頁,1136頁〕)
イ 被災者は,組織改編前から,週1回程度開催されていたマーケティング室長ミーティングに参加しており,組織改編後も同ミーティングに参加していた(乙1〔247頁以下〕)。
(5)  被災者と上司及び部下との人間関係等について
ア Eと被災者は,過去に同じ支店に配属された先輩,後輩として勤務をした経験があり,Eは被災者のことを「Bちゃん」と呼ぶなど,両者は親しい間柄にあった。Eは,a社社内においては非常に厳しい上司という評判で通っており,部下になると精神的につらく感じる者がいるとされる一方で,信義に厚いという声もあった。実際,組織再編により上司がEからCに交代した後の会議において,被災者が,上層部からの質問に対しコメントに窮したことがあったが,その際,Eが援護射撃をして被災者を助けるなどの場面もあった。(乙1〔247頁以下,261頁以下,848頁以下〕)
イ 前記認定のとおり,平成20年2月の組織再編により,被災者の上司がEからCに交代した。Cは,営業を専門としており,マーケティング部門の経験がなく,自身もマーケティングのことについては被災者に任せている旨述べるなど,被災者からすると,従前の上司であるEと比較して,マーケティングのことを相談できる存在ではなかったものの,当時,被災者とCとの関係が険悪であったことを窺わせる具体的なエピソードはなかった。(乙1〔247頁以下,261頁以下,272頁以下〕)
ウ 被災者は,真面目で几帳面な性格であり,部下に対し優しく接する上司であると評されており,平成21年に休職に入るまでの間を通じて,部下との間で目立ったトラブルはなかった。また,被災者は,プレゼンテーションが上手いという定評があった。(乙1〔247頁以下,261頁以下,272頁以下,783頁以下,1032頁以下〕)
(6)  東欧,ロシアの新規市場開拓について(出来事⑤関係)
ア チェコ,ハンガリー,ロシア等への販路拡大の取組みは,欧米マーケティング室ではなく,国際営業本部の欧米営業推進室が所管していた。欧米マーケティング室は,同取組みの計画段階から,欧米営業推進室を支援する形で,商品別販売計画や販促策の立案等を行っていた。
イ 平成19年9月11日の欧米営業推進室定例ミーティングにおいては,チェコ,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリアの東欧4か国進出検討の指示を受けて,マーケティング面の検討事項などの確認をすることが申し合わされた。
ウ 被災者は,平成19年10月3日の2008年上期海外関係会社計画検討会において認識した課題の一つとして,チェコ,ハンガリー進出の具体的プランがある旨週報に記載している。
エ 欧米マーケティング室は,平成19年12月4日,欧米営業推進室から,東欧等の新規市場への進出に関する考え方の説明を受け,意見交換を行った。
(以上,アないしエにつき,乙1〔112頁,272頁以下,968頁以下,1058頁,1065頁,1068頁,1071頁,1077頁,1132頁,1133頁〕)
(7)  dスクールの教材開発について(出来事⑥関係)
ア a社は,平成21年4月,美容学校であるdスクールを開校した。dスクールは,a社の対外的なPR活動の一環として設立され,その設立に当たっては,社外の外部講師を招いてのプロジェクトチームが組織された。この開校の準備作業については,コーポレートコミュニケーション室や■■ラボラトリーが中心となって進められたもので,欧米マーケティング室が関与したことはなく,被災者もプロジェクトメンバーではなかった。
イ もっとも,被災者は,前記アのdスクールのプロジェクトチームに相談員という形で関与し,同スクールで使用する教材としての化粧品開発に対するアドバイス等を行っていた。被災者の週報には,平成19年9月19日から平成20年10月22日までの間,のべ12日にわたり,かかる教材としての化粧品の開発に関する打合せ等を実施した旨の記載がある。もっとも,教材開発の実務的な細々としたことについては,被災者とともに相談員として関与したアジアマーケティンググループの統括マネージャーが相談を受け,被災者は,大局的な部分の相談に乗るに止まっていた。
ウ なお,dスクールで使用される化粧品等30品目のうち,全くの新規開発は1,2品程度であり,それ以外は,製品を転用するかアレンジして使用していた。
(以上,アないしウにつき,乙1〔232頁以下,272頁以下,460頁,1066頁ないし1115頁,1353頁以下〕)
(8)  ○○セレクトスパ事業の立ち上げの経緯について(出来事④関係)
ア a社は,平成20年2月頃,○○サロン企画開発グループを欧米マーケティング室内に立ち上げ,平成20年4月末にフランスから帰国した直後のGが統括マネージャーに就任した。○○サロン企画開発グループの主導により,平成20年12月ころから○○セレクトスパ企画が始動し,サロン開設の候補となるホテル探し等を行われた。現地のホテルの了解を得ることができた平成21年4月以降,準備作業が本格化した。
イ サロン企画開発グループが創設されたことにより,欧米マーケティング室長である被災者の責任の範囲は増えたが,○○セレクトスパ企画の実務はGが行っており,被災者は,Gらから報告を受け,欧米マーケティング室長として上層部に定期的な報告を行っていただけであって,現地へ出張していたのは,Gらであり,被災者が出張することはなかった。
ウ a社は,平成21年12月,スイスのインターラーケンにあるiホテル内にエステティックサロン(○○セレクトスパ)をオープンした。
(以上,アないしウにつき,乙1〔247頁以下,272頁以下,282頁,471頁ないし475頁,1101頁,1107頁,1109頁,1112頁,1114頁,1116頁〕)
(9)  クリスマスセットに関する業務上のトラブルについて(出来事⑪関係)
ア 被災者の部下であったFは,平成20年7月,同年12月に発売予定であった○○・kラインのクリスマスセットをドイツの中央倉庫に船便で発送する手続を行った。ところが,クリスマスセットがドイツに到着し,内容物の確認がされた際に,異なる商品の説明書を入れていたことが判明した。
イ 被災者を含むメンバーは,平成20年7月27日に緊急ミーティングを行い,クリスマスセットの包材の関係上,実際に梱包作業に関わった工場の従業員をドイツに派遣して対応することが決定された。被災者,J及びFは,派遣に先立ち,ドイツに派遣する工場の従業員3名及び生産管理のマネージャーと面談し,事前説明等を行った。
ウ 工場の従業員3名は,平成20年8月,ドイツ中央倉庫に派遣され,現地で雇用した作業員とともに説明書の入替え作業を行った。入替え作業は3日間で終了した。被災者は,工場の従業員をドイツに派遣する手配を行っていた頃からは実際の作業等を行うことはなく,管理職として部下から経過の報告を受けて状況を把握し,適宜指示を与えるなどしていた。
エ このFのミスによって発生した損失は,3名の出張旅費,新たな説明書の納入代金及びドイツで雇用した作業員の人件費であった。この当時,欧米商品開発グループに半期ごとに示達される開発予算は約4000万円であった。
オ 被災者は,この出来事について週報での報告を行っていない。
(以上,アないしオにつき,乙1〔244頁以下,247頁以下,261頁以下〕)
(10)  被災者が平成20年7月の欧州出張に参加しなかった経緯(出来事⑨関係)
ア a社においては,例年9月に欧州子会社(e社)との間でマーケティング会議を実施しており,新商品,マーケティング戦略等についての協議等が行われていたところ,その前の7月頃に9月の本会議での発表事項を事前に確認する目的で現地のマーケティング担当者と打合せのための予備会議を行っていた。この予備会議には,通例,欧米マーケティング室長であった被災者も出席していた。
イ 被災者は,平成19年7月17日から同月23日まで,かかる予備会議に出席する目的で,欧州に出張した。
ウ 平成20年7月17日及び18日,前記アの予備会議として,a社の海外子会社であるe社において「2009年間/上期計画編成会議~2009AW子会社マーケティング会議」が実施された。
Cは,上記会議に先立ち,欧州子会社及び被災者の部下だった担当スタッフから,予備会議では実務者レベルで十分に時間をかけて自由な議論をしたいことから,室長以上の方の参加は遠慮してもらいたい旨の打診を受けたとして,被災者に対し,予備会議への出席を見合わせてもらうよう伝え,被災者もこれを受け入れた。結局,同予備会議には,Cや被災者は出席せず,J,G,Kら被災者の部下が出席した。
エ 被災者は,前記ウの会議への出席を見合わせるよう告げられたことを海外出張メンバーから外されたとして不本意に思い,原告に対し落胆した態度を示していた。
(以上,アないしエについて,甲9,乙1〔272頁以下,1104頁,1264頁,1343頁〕,乙8,証人C)
(11)  平成20年9月の欧州出張について(出来事⑫関係)
ア 前記のとおり,例年9月に欧米マーケティングミーティングが開催されていたところ,同ミーティングには,欧米マーケティング室の多くの従業員が参加し,同室の重要な業務と位置付けられていた。被災者は,半年に1度,このミーティングに参加するため海外出張をしていた。(乙1〔229頁以下〕)
イ 被災者は,平成20年9月7日から同年16日まで,概要以下の行程で欧米マーケティングミーティング等の目的で欧州に出張した(なお,出張行程に記載された時間は,いずれも現地時刻である。)。この上記ミーティングに参加したのは,被災者の他,J,Kら約10名であった。旅程のうち,イギリスのハロッズの視察及びチェコの視察は,被災者の希望で組み込まれた。(乙1〔247頁以下,261頁以下,272頁以下,480頁以下,1110頁,1322頁ないし1326頁,1342頁以下,1357頁以下〕,乙10)
(ア) 被災者は,平成20年9月7日に日本を出発し,空路で約12時間かけてドイツのフランクフルトに到着し,同所で一泊後,翌8日午後から同市内の店舗を視察した後,夕刻のフランクフルト発の航空機で約1時間をかけてイタリアのミラノに向かい,ミラノ郊外の保養地で欧米マーケティングミーティング開催場所であるストレーザに到着し,以後,同ミーティングの終了する同月12日まで同所に滞在した。
(イ) 被災者は,平成20年9月9日,他の出張者とともに,e社との会議及び翌日の準備等を行い,翌10日午前から他の出張者とともに欧米マーケティング会議の準備作業を行うなどした。同マーケティング会議は,同日16時から開催され,被災者は,同日の会議において,○○の平成21年後半のマーケティングの戦略や方針につき約20分程度をかけてプレゼンテーションを行った。この説明原稿については被災者が準備し,プレゼンテーションのためのパワーポイントは欧米マーケティング室の部下職員が作成した。なお,欧米マーケティング会議終了後,公式行事の歓迎会が催され,被災者もこれに出席した。
欧米マーケティング会議は,平成20年9月11日は午前中から夕刻まで,翌12日は午前中にかけて実施された。なお,同月11日については,会議終了後ディナーが催され,被災者もこれに出席した。
(ウ) 被災者は,平成20年9月12日午後の欧米マーケティング会議終了後,数名の部下職員とともにロンドン行きの航空機に搭乗して同所に向かい,翌13日,他の出張者とともにロンドンのハロッズ内にあるa社の販売カウンターを視察した。このときのロンドンにおける視察はこの1件のみで,同視察は短時間で終了した。
(エ) 被災者は,平成20年9月14日,部下職員と別れて単身でプラハ行きの航空機に搭乗し,約2時間の飛行時間を経て同所に到着した。被災者は,プラハ市内の代理店の視察及び市場調査を行った。市場調査は,一般的には,a社の商品が販売されている取引店の訪問,代理店の幹部との面談,主要な流通現場の視察等を行うものである。
(オ) 被災者は,平成20年9月15日午前から更に市場調査を行った後,同日夕刻のプラハ発フランクフルト行きの航空機に搭乗してフランクフルトに向かい,同日夜の成田行きの航空機に乗り継いで,約11時間の飛行時間を経て日本に帰国した。
(カ) 被災者は,帰国翌日である平成20年9月17日(水)から通常どおり勤務し,同月19日(金)まで休暇を取ることなく勤務した。
(12)  TCR活動について(出来事⑦関係)
ア TCR活動は,知恵と工夫により業務の効率化を図り,その結果としてコスト削減を目指す全社的取組みであり,c社では昭和61年頃から実施されていたが,平成20年当時,a社ではまだTCR活動が始まったばかりであった。
TCR活動は,各部署が全員で話し合い,話し合った結果を半年に一度,所定の用紙に記載した上,室長がその報告を行うこととされていた。
イ 被災者の平成20年下期の個人評価表に記載されたTCR活動の具体的内容は,e社と連携した小会社発注助成物数量精査システムの確立であり,中間レビューでは,現地担当者との認識を共有し,具体策を2月上旬に打ち合わせることとされていた。
(以上,ア,イにつき,甲7,乙1〔246頁,247頁以下,261頁以下,272頁以下,286頁,476頁,1350頁以下〕)
(13)  米国△△商標問題について(出来事⑮関係)
ア a社のアメリカ子会社であるg社(以下「g社」という。)は,「△△」という名称の商品(○○・lラインのファンデーション)を販売したところ,既に他社(h社)が同名称で商標登録をしていたため,商標権侵害問題が発生した。
イ 被災者は,平成19年10月10日,g社とh社との間で生じた米国△△商標問題について,a社の窓口である知財権センター及び関係部署と,h社代理人からの和解契約案に対する正式回答案の最終協議を行い,その後,g社とh社は,平成20年12月,同商標問題に関する和解契約を締結した。
ウ 同和解契約を受けて,a社は,アメリカで販売を継続する○○・pラインベースメイクの商品名を「▲▲」に変更する等の対応を行った。
(以上,アないしウにつき,乙1〔1053頁,1068頁,1069頁,1086頁,1122頁〕)
(14)  □□クリーム品質問題について(出来事⑯関係)
ア 被災者は,平成20年3月10日の週報で,a社が米国子会社であるg社に輸送したクリーム商品(□□クリーム)に分離現象が生じた問題について,製造全ロットを試験した結果,同分離現象は,凍結を原因とするものと推定されるとの研究所からの一次報告が届いていること,同問題発生後直ちに研究所の保存サンプル,欧州中央倉庫の在庫及び国内倉庫の在庫を調査したところ異常はみられなかったため出荷を継続し,アメリカには代替良品を空輸したこと,原因究明及び再発防止のため,試験結果の正式回答を待って営業企画グループと再度打合せを行う予定であることを報告した。
イ これ以降,被災者が週報でこの出来事を報告したことはない。
(以上,ア,イにつき乙1〔1087頁〕,弁論の全趣旨)
(15)  米国OTC対応問題について(出来事⑰関係)
ア 米国においては,日焼け止め効果などをうたう化粧品等がOTC医薬品(Over the Counterの略。「カウンター越しに」という意味であり,転じて,薬局やドラッグストアなどで販売される医薬品という意味)と呼ばれて医薬品としての扱いを受け,FDA(アメリカ食品医薬品局)の登録を受けることを要するなど,日本とは異なる規制が存する。
イ a社においては,平成20年頃,OTC医薬品として登録を要する商品につきFDAの登録を受けることなく米国(g社)に輸出してしまい,通関で差止めを受けるという事態が生じた。
ウ 上記の事態を受け,研究本部,生産技術本部及び国際事業本部は,平成20年6月13日,薬事・技術戦略室の主催で,国際薬事に関する基本業務フローの協議を行った。また,米国OTC申請作業に関しては,g社に確認することとなった。
エ 薬事技術戦略室と欧米事業関連部署は,定期的な情報交換によって薬事対応の見落としや遅れを防止する目的で,欧米薬事定例会を行うこととし,平成20年6月19日に第1回定例会が行われ,米国OTC登録と欧州,米国それぞれのパッケージ表示義務内容について打合せが行われた。
オ 研究本部,生産技術本部及び国際事業本部は,平成20年7月1日,研究本部長,生産技術本部長主催の下,g社社長も出席し,包括的な打合せを実施し,今回の問題について真摯に反省し,今後の作業の漏れがないように業務対応フローをa社,g社の双方で確認した。
カ 被災者は前記ウないしオの事実経過を週報に記載していたが,それ以降の週報には,このOTC医薬品の問題について記載することはほとんどなく,わずかに,平成21年12月22日に,「欧米薬事定例会⑦」として,「米国OTC Toll Free Nunber(皮膚トラブル等の際のフリーダイアル)情報 当社商品が該当するか現地弁護士事務所が確認中」との記載が存する程度である。
(以上,アないしカにつき,乙1〔596頁,597頁,611頁,642頁,1099頁ないし1102頁,1123頁〕,弁論の全趣旨)
(16)  ◇◇クリーム品質問題について(出来事⑱関係)
ア a社においては,平成20年頃,当時欧州全土で販売していた○○ブランドの商品である◇◇クリームに変色が生じるというトラブルが発生した。
イ 被災者は,平成20年12月17日,前記の◇◇クリームの変色問題について,研究所の従業員から,変色の原因はAPPS(ビタミンC誘導体)の酸化と考えられること,有効性,安全性については年内もしくは年明けに研究所で試験を行うこと,変色を抑える方向で処方の変更を考えていること等の説明を受けた。また,平成21年1月頃に行われた打合せでは,e社への連絡を代替処方決定時に行うこととされた。
ウ 被災者は,◇◇クリーム品質問題について,週報に格別の記載をしていない。
(以上,アないしウにつき,乙1〔640頁,645頁〕)
(17)  f社クレーム問題について(出来事⑲関係)
ア a社のフランス子会社であるj社は,平成20年12月頃,フランスのf社から,○○・mシリーズの広告ビジュアル,世界観がf社の「◎◎」に似ているとのクレームを受けた。
イ 欧米マーケティング室は,前記クレームを受けて,平成20年12月26日,知財権センター及び法務グループと協議を行い,f社の知的財産権を確認した上で,○○・mシリーズの広告等の制作は独自に行ったものであり,明らかに別物で市場での混乱はあり得ないとして,要求に応じることはできない旨の書面を作成して送付するなどの方針を取り決めるなどした。
ウ 欧米マーケティング室は,平成21年1月16日,知財権センター及び法務グループと打合せを行い,a社には権利侵害行為がないことを再確認し,f社へ送る事実確認書の内容の確認を行うとともに,現地弁護士に対応を依頼した。
(以上,アないしウにつき,乙1〔642頁,645頁,1123頁,1125頁〕)
(18)  EUサンケアリコメンデーション対応について(出来事⑳関係)
ア 欧米マーケティング室は,EUのサンケア規制に関する打合せをしばしば行っていたところ,被災者は,平成20年3月17日の週報において,「欧州サンケア市場動向」として,e社から寄せられた欧州サンケア商品に関する新規制につき,まだ勧告の段階であり義務化されていないが,平成20年夏から新しいガイドラインに沿った表示に切り替える会社が現れており,予想以上に競合他社の対応が早く,対応の遅れは市場評価において不利に働くことが予想されることから,a社としての対応策を協議すべく,商品開発,研究所,生産技術の三者による打合せを早急に設定する旨の報告をした。
イ 欧米マーケティング室は,平成20年3月25日,研究本部(製品開発研究所,製品保証研究所,薬事・技術戦略室)と打合せを行い,欧州サンケア商品に関する勧告に対する対応として,○○・nラインのうち可能なアイテムから同勧告に沿った表記に変更するための措置を講ずるとの合意をした。
ウ 欧米マーケティング室は,平成20年5月8日,国際テクノセンターとの間で,同年9月に行われる欧米マーケティング会議での欧州サンケア勧告に係る情報提供や今後の継続的情報提供等の合意を行い,同年7月15日,8月26日に欧州サンケア勧告や欧州及び米国のサンケア化粧品に関する薬事情報の提供を行った。
(以上,アないしウにつき,乙1〔579頁,597頁,620頁,635頁,1079頁,1088頁,1090頁,1094頁〕)
(19)  被災者の精神障害発病前後の言動及び関連事情
ア 被災者は,平成20年夏ないし秋頃から部下等から見て少々様子がおかしいと認識されるようになり,家庭でも怒りっぽくなるなど,原告に対し,以前と違う様子を示すようになった。さらに,被災者は,普段食欲旺盛であったにもかかわらず,同年11月頃から,部下と食事をする際,著しく食欲が落ちた様子を示すなど,明らかに元気がなくなっていった。(甲9,乙1〔247頁以下,744頁以下〕)
イ 被災者は,平成21年1月に開催されたマーケティング戦略会議の終了後,同じく出席したJに対し,同会議で自らが行ったプレゼンテーションに関して,不甲斐ないとかこんな上司ですまないなどと述べるなどした。しかし,Jは,そのときの被災者のプレゼンテーションは,普段と変わらず上手であると感じていた。(乙1〔247頁以下〕)
ウ 被災者は,平成20年12月4日に横浜クリニックを受診した際,医師に対し,現在の体調になったきっかけは仕事の環境にある,仕事を部下に任せることによって自分の仕事への関与が減り,自分がいる意味がないと感じる,情報が入ってこなかったりするなど,自分の関わる世界が小さくなってきており,部下が優秀で被災者を素通りしていく,海外関係の仕事をしているが,相手からも疎まれているのではないかと思う,部下が力をつけているのに自分が伸びておらず,お飾りの責任者みたいである,きっかけとなったのが部署統合された平成20年春ころで,それ以前は自分が部署を引っ張っていたのが,今は部下3人が力をつけて一緒にやっているなどと話した。
その後,被災者は,平成21年3月9日,大森病院において,医師に対し,特に人間関係には問題はないが,職場にいる意味がないと考えている,部下と上司は非常に優秀であり,自分がコミュニケーションをとらなかったことで素通りされていた,室長としてリーダーシップを発揮しなければならないと感じる,配置換えになる可能性があると考えているなどと話した。(乙2〔25頁,63頁〕)
エ 前提事実のとおり,被災者は,平成21年1月28日以降,休職となったが,同日に行われた人事総務部門人材開発マネージャーであるHとの面談において,精神に関する症状が現れた理由について問われた際,部下が仕事を全てやってくれるので急に不安になった,自分は過分なる状態で仕事をさせてもらっている旨述べた(乙1〔232頁以下〕)。
オ 被災者は,休職期間中も,定期的にHに対し回復状況を電話報告しており,連絡を怠ることはなかった。被災者は,平成21年4月2日,Hと当時の被災者の上司であったIと復職のための面談を行ったところ,両名は,被災者が職場復帰を希望していたものの,休職前よりも元気がない様子であったことから,復職は難しいのではないかと感じた。(乙1〔232頁以下〕,乙2〔66頁〕)
カ a社は,被災者が職場復帰した際には,欧米マーケティング室長を続けてもらう予定をしており,被災者の休職期間中,欧米マーケティング室長の席を空席にしていた。
(乙1〔230頁,1357頁以下〕,乙11,証人H)
(20)  a社における労働時間管理等について
ア a社における従業員の所定労働時間は,午前9時から午後5時40分までであり,そのうち正午から午後1時までが休憩時間とされているため,実労働時間は7時間40分である。a社では,従業員の労働時間についてパソコンのログイン,ログオブ記録で把握,管理している。a社の所定休日は,土日祝日である。(乙1〔244頁以下,247頁以下〕)。
イ 前記アのログイン,ログオフ記録によれば,認定基準に基づいて算出した被災者の時間外労働時間は,平成20年10月19日から同年11月17日までの間が43時間39分,同年9月19日から同年10月18日までの間が33時間37分,同年8月20日から同年9月18日までの間が59時間24分,同年7月21日から同年8月19日までの間が41時間45分,同年6月21日から同年7月20日までの間が50時間52分,同年5月22日から同年6月20日までの間が59時間45分である。被災者は,この間,海外出張時(平成20年9月7日から同月16日まで)を除き,土日は休みをとっていた。(乙1〔212頁ないし219頁,1141頁ないし1260頁〕)
(21)  本件自死に関する精神障害専門部会の意見
本件自死に関して検討した東京労働局地方労災医員協議会精神障害等専門部会の意見書によれば,被災者の精神障害の発病及びその時期について,以下のとおりの意見が述べられている。すなわち,ICD-10の診断ガイドラインに照らして分類すれば,平成15年に治療した1回目のうつ病エピソードについて,主治医は完全寛解したと診断しており,被災者は平成20年夏頃から疲労感,不眠,活力や食欲の減退を自覚するようになり,同年11月頃には周囲も変調に気付くようになり,最終的には,抑うつ気分,思考抑制,集中力と決断力の低下等のうつ病像を主治医が確認している。よって,新たに,平成20年11月頃にF33の「反復性うつ病性障害」を発病したものと考えるのが妥当である。そして,本件自死は,当該精神障害によって正常な認識,行為選択能力が著しく阻害された病的心理の下でなされた自殺であった可能性が高いとされている。(乙1〔290頁以下〕)
2  争点(1)(業務起因性の判断枠組み)について
(1)  労災保険法に基づく保険給付は,労働者の業務上の負傷,疾病,障害又は死亡について行われるところ(同7条1項1号),労働者の傷病等を業務上のものと認めるためには,業務と当該傷病等との間に相当因果関係が認められる必要があるところ(最高裁昭和50年(行ツ)第111号同51年11月12日第二小法廷判決・裁判集民事119号189頁参照),労災保険制度が,労基法上の使用者の災害補償責任を担保する制度であり,同制度が使用者の過失の有無を問わず被災者の損失を填補する危険責任の法理を基礎とするものであることからすれば,上記の相当因果関係を認めるためには,当該傷病等の結果が,当該業務に内在する危険の現実化であると認められることが必要であると解される(最高裁平成6年(行ツ)第24号同8年1月23日第三小法廷判決・裁判集民事178号83頁,最高裁平成4年(行ツ)第70号同8年3月5日第三小法廷判決・裁判集民事178号621頁)。
さらに,精神障害を発病したと認められる者が自殺を図った場合には,精神障害によって正常な認識能力,行為選択能力が著しく阻害された状態で自殺行為が行われたものと推定されるから,労働者災害補償保険の給付制限事由である労働者の故意による死亡(労災保険法12条の2の2第1項)には該当しないというべきであり,当該精神障害が「業務上の疾病」(労災保険法12条の8第2項,労基法75条2項,労基法施行規則35条,同別表第1の2第9号)に該当し,当該精神障害の発病が業務に起因するものであると認められれば,その後の自殺についても,原則として業務起因性が認められるものというべきである。
(2)  次に,証拠(乙4)によれば,今日の精神医学においては,精神障害の発病の原因に関し,環境由来の心理的負荷(ストレス)と個体側の反応性,脆弱性との関係で決まり,ストレスが非常に強ければ個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,逆に脆弱性が大きければストレスが小さくても精神障害が生じるという「ストレス―脆弱性」理論が広く受け入れられていることが認められる。そして,今日の社会において,何らかの個体側の脆弱性要因を有しながら業務に従事する労働者が少なくない実情があり,労災保険制度が危険責任の法理にその根拠を有することを併せ考慮すれば,業務の危険性の判断は,当該労働者と同種の平均的な労働者,すなわち,何らかの個体側の脆弱性を有しながらも,当該労働者と職種,職場における立場,経験等の点で同種の者であって,特段の勤務軽減まで必要とせずに通常業務を遂行することができる者を基準とすべきである。本件についていえば,上記の意で被災者と同種の者,すなわち,十分な経験年数を経た管理職で特段の勤務軽減まで必要とせずに通常業務を遂行できる平均的労働者を基準として,当該労働者の置かれた具体的状況における心理的負荷が,一般に精神障害を発病させるに足りる程度のものであるといえる場合には,業務と当該精神障害発病との相当因果関係を認めるのが相当である。
(3)  そして,証拠(乙6)によれば,平成23年11月8日にとりまとめられた「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書」は,専門家によって構成された専門検討会が,近時の医学的知見,それまでの労災認定事例,裁判例の状況等を踏まえて,旧判断指針が依拠する「ストレス―脆弱性」理論を相当であるとして,これに引き続き依拠し,従来の考え方を維持しつつ,業務による心理的負荷の評価基準の改善と審査方法等の改善を提言したものであるところ,厚生労働省は,上記報告書を踏まえて,平成23年12月26日に認定基準を定めて,新判断指針等を廃止し,新たに「業務による心理的負荷評価表」を定め,「出来事」と「出来事後の状況」を一括して心理的負荷を判断することとして具体例を示したほか,「出来事の類型」を見直し,対象疾病の発病に関与する業務による出来事が複数ある場合の心理的負荷の程度は全体的に評価することとし,既に発病していた業務外の精神障害が業務による出来事によって悪化した場合の認定要件を明示するなどし,旧判断指針や新判断指針と比較すれば,労災認定を申請する労働者にとって労災認定を受けることができる場合が広げられたことが認められる。
認定基準は,その法的性質からすれば,裁判所による行政処分の違法性判断を直接拘束するものではないが,その作成経緯や内容に照らせば相応の合理性を有しており,労災保険制度が根拠とする危険責任の法理にかなうものである。
したがって,業務と当該精神障害発病との相当因果関係を判断するに当たっては,基本的には認定基準を踏まえつつ,これを参考としながら,当該労働者に関する精神障害の発病に至るまでの具体的事情を総合的に斟酌して判断するのが相当である。
3  争点(2)(業務上の心理的負荷を伴う出来事の有無及びその評価)について
(1)  各出来事の評価
前記認定事実によれば,被災者は,平成20年11月18日の横浜クリニックの受診に近接した時期にICD-10の「F33 反復性うつ病性障害」を発病したと認めるのが相当である。そこで,以下,認定基準の内容に則して,原告主張に係る出来事の有無及びその心理的負荷の強度について,検討することとする。
ア 出来事①(被災者が達成困難なノルマを課されていたこと)について
(ア) 認定基準上,「達成困難なノルマが課されたこと」という出来事についての心理的負荷の総合評価に当たっては,ノルマの内容,困難性のほかに,強制の程度,達成できなかった場合の影響,ペナルティの有無等を検討すべきとされる。しかるところ,前記認定1(2)ウないしオの各事実によれば,原告がノルマと主張する内容は,a社が全社的にあるいは国際事業本部等の各部門として達成すべき業績目標であると認められる。したがって,被災者が管理職である以上,担当部門の部門長としてかかる業績目標達成を目指して各部門を指揮すべき立場にはあるとはいえるものの,被災者個人がかかる業績目標の未達について直ちに責任を負わなければならない性質のものであるとはいえないから,原告主張に係る内容については,認定基準にいうところのノルマには当たらないというべきである。また,海外マーケティング部門についての最高責任者は被災者ではなく,本部長であるCであり,この点でも,被災者が上記目標に関して全責任を負っていたとする原告の主張は採用することができない。原告は,週報等に記載された業績目標としての数値につき(乙1〔1059頁以下〕),被災者の達成すべきノルマであるという前提で主張を展開するが,上記の点に照らし,いずれも採用することができない。Iが,審査請求における事情聴取において,マーケティング部門は管轄商品の販売実績等が評価基準になるなどと述べているのは(同〔1357頁以下〕),このような管理職の部門長としての責任について言及したにすぎないものと認められ,それが人事評価に影響を与えるからといって,直ちに上記の意味でのノルマに当たるということはできない。
また,被災者の人事考課の内容からすると,実際に目標を達成していた時期もあるのであるから(前記1(3)エ),その設定された目標が必ずしも達成困難なものであるとも認められない。前記認定1(3)イのとおり,被災者の賞与の算定方法中には,会社業績に連動する部分が存在するものの,賞与の性質に照らせば,そのような算出方法をとることが,直ちに従業員に対するペナルティであると解することはできず,その評価が原則として相対評価であることや,月額報酬部分は役割等級に応じた定額とされていることからすれば,幹部嘱託者等の処遇制度の内容が目標未達の場合の従業員に対するペナルティであると解することはできない。
(イ) この点に関して,原告は,被災者が○○ブランドの責任者であり,その売上げについてもノルマが課されていたと主張する。しかしながら,これについても,前記同様,部門長としての責任とノルマとは区別されるべきであって,○○ブランドの売上目標の達成を求められていたことをもって,直ちに前記の意味でのノルマが課されていたということはできない。
(ウ) また,被災者の業務メモ(乙1〔553頁以下〕)や,前記週報を精査しても,被災者が,会議等の場を含め以上のような数値目標を求められる以上に,目標を達成できないことを殊更に問題視されたり,非難されたような形跡は窺われない。この点,被災者の同僚であったL(以下「L」という。)は,その陳述書(乙1〔106頁以下〕)において,売上重視のa社と利益重視のc社の体質の違いから商品開発に向けたスタンスの違いなどがあり,マーケティングの責任者であり,売上目標に対し責任を負わされていた被災者は多大なプレッシャーを受けていた旨供述するところ,当時のa社の立場からすれば,被災者がこのような中で相応のプレッシャーを受けつつ勤務していたことは理解できないではない。しかしながら,管理職,それも被災者のようなかなりの上級管理職であれば,部門の責任者として業績目標の達成を求められるのはある程度やむを得ないというべきであるし,前記の各証拠を精査しても,被災者がペナルティ等をもって目標達成を強制されていたと認めるには足りないから,前記Lの供述内容をもって,前記の説示を覆すには至らない。
(エ) そうすると,同出来事については,ノルマではない業績目標が示されたものであって,ペナルティ等があるとは認められないことからすると,認定基準の「8 達成困難なノルマが課された」に該当せず,仮にこの業務に関して,被災者に何らかの心理的負荷がかかっていたと認められるとしても,既に説示した内容に照らすと,その程度は「弱」に止まるというべきである。
イ 出来事②(ノルマ未達成と会社に与えた多額の損失)について
前記アのとおり,被災者がノルマを負っていたとは認められず,ノルマとはいえない業績目標が示されていたものであることからすれば,会社としても業績目標が達成されない可能性を当然に想定しているものと解される。そうすると,a社や社内の各部門に設定された達成目的を達成することができなかったとしても,そのことによって被災者が責任を負うべき多額の損失が会社に発生したものとは評価できない。
したがって,同出来事については,認定基準の「6 自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」には該当せず,仮にこの業務に関して,被災者に何らかの心理的負荷がかかっていたと認められるとしても,既に説示した内容に照らすと,その程度は「弱」に止まるというべきである。
ウ 出来事③(○○ブランドを巡るトラブル)について
前記アと同様,○○ブランドについての業績目標が設定されていたとしても,そのことをもって,直ちに被災者のノルマと評価することはできない。また,前記認定1(2)イ,カの各事実によれば,●●から○○へのブランド変更は平成17年から継続的に行われてきており,事業年度ごとに変更内容を特定して作業に当たっている上,平成20年には○○ブランドへの移行の過半が完了していたものと認められることに照らすと,同ブランドへの移行をめぐって大きなトラブルが生じていたと認めることはできない。
これらのことからすれば,同出来事は,認定基準の「9 ノルマが達成できなかった」,「15 仕事内容・仕事量の変化を生じさせる」,「12 顧客や取引先からクレームを受けた」,「30 上司とのトラブルがあった」,「31 同僚とのトラブルがあった」のいずれの出来事にも該当しないというべきであって,仮にこの業務に関して,被災者に何らかの心理的負荷がかかっていたと認められるとしても,既に説示した内容に照らすと,その程度は「弱」に止まるというべきである。
エ 出来事④(新規事業であるスパ事業の立ち上げ)について
前記認定1(8)の各事実によれば,平成20年5月に,当時被災者が室長を務めていた欧米マーケティング室の内部部署として○○サロン企画開発グループが立ち上げられて,Gが同グループの統括マネージャーに就任し,同グループにおいて○○セレクトスパ企画が進められたところ,同企画の実務については,Gらが担当しており,被災者が現地に出張するなどの実務を担うことはなかったもので,被災者は,同企画の進捗等につきGらから説明を受けて,上層部に報告を行うなどしていたにすぎなかったと認められる。また,前記認定のとおり,同企画が本格的に始動したのは,前記のとおり被災者が精神疾患を発病したと認められる平成20年11月ころよりも遅い同年12月ころであった。このような点に照らすと,同出来事は,認定基準の「10 新規事業の担当になった」に該当する出来事とは認められない。
オ 出来事⑤(東欧,ロシアの新規事業開拓という新規事業)について
前記認定1(6)の各事実のとおり,東欧,ロシア等の新規市場開拓業務を主に担当していたのは,国際事業本部内の別の部署である欧米営業戦略室であり,被災者が属する欧米マーケティング室がそれを担当していたとは認められない。
この点,原告は,同僚ら(M,J)の供述(乙1〔112頁以下,968頁以下〕)を根拠に,新規市場に出店する際には,商品別販売計画の立案,具体的な販促策の計画等,マーケティング部門が計画段階から全てに関わる必要がある旨主張し,前記認定のとおりマーケティング部門の関与も存在した事実は認められるが,そうであったとしても,当該事業の責任者としての主たる担当者と,その支援業務を担うのとではその心理的負荷の強度が自ずから異なるというべきであって,この点に関する原告の主張については採用の限りではない。また,原告は,被災者が平成20年9月の欧州出張時にプラハを訪問して市場調査等の視察を行ったこと(前記1(11))を指摘して,被災者がかかる新規開拓業務の担当者としての立場にあった旨主張するが,前記認定のとおり,被災者は,欧米マーケティング会議のための欧州出張の旅行日程に,自発的にチェコ視察を組み込んだものであって,会社からの業務命令等に基づいて視察を行ったものではないから,この点に関する原告の主張は前提を欠く。
以上のとおり,同出来事については,認定基準の「10 新規事業の担当者になった」に当たるとはいえず,かかる新規市場開拓業務に関して被災者に何らかの心理的負荷がかかっていたとしても,被災者が行っていた業務は,マーケティング部門の管理職としての通常業務の域を出ないものというべきであるから,その心理的負荷の強度は,「弱」に止まるというべきである。
カ 出来事⑥(新規事業であるエステスクール教材開発)について
前記認定1(7)の各事実によれば,被災者は,dスクールのプロジェクトメンバーではなかったものの,商品開発等の知識を有していたことから,同スクールで使用する教材の開発に対するアドバイス等を行っていたもので,それに関して,かなりの長期間,10回以上の回数にわたって関係部署と打合せ等を持っていたことが認められる。しかしながら,前記認定のとおり,被災者は,大局的な見地からの相談に乗るに止まり,実務的な点について相談に乗っていたのではない上,室長クラスの上級管理職であれば,組織横断的にプロジェクトに関与することはままあると認められるものであるから,このような関与があったことをもって,直ちに多大な心理的負荷をもたらす出来事があったと認めるのは相当ではない。この点については,原告と同僚ないし関係者との会話記録(乙1〔1021頁以下,1030頁以下〕)の内容に照らしても,変わるところはない。
以上を総合すると,同出来事については,認定基準の「15 仕事内容・仕事量の(大きな)変化を生じさせる出来事があった」に該当すると認められるものの,その心理的負荷の強度は「弱」に止まるというべきである。
キ 出来事⑦(TCR活動)について
前記認定1(12)の各事実のとおり,TCR活動は,コスト削減を目指す全社的な取組みにすぎず,具体的な取組みも各部門全体で進めていくべきものであるから,室長である被災者がそれを取りまとめる役割を担うとしても,それ自体ノルマといえるような性質の業務ではない。また,前記認定事実によれば,欧米マーケティング室は,欧州の子会社であるe社との間でそれぞれの業務について日常的に連携をとっていたと推認されるから,被災者がTCR活動として,上記連携に関連させてコスト削減案を実施することは合理的であると評価できるし,その内容も,現地担当者との認識共有及び具体策の打合せといった程度のものであるから,さほど困難な業務であったということもできない。
したがって,同出来事は,「15 仕事内容・仕事量の変化を生じさせる出来事があった」,「9 ノルマが達成できなかった」の出来事には該当しない。
ク 出来事⑧(配置転換)について
前記認定1(4)アの事実のとおり,被災者の所属する欧米マーケティング室が国際マーケティング本部の下部組織から国際事業本部の下部組織へと変更されたのは,a社の組織改編を理由とするものにすぎず,欧米マーケティング室の人員構成に基本的に変更はなく,また,担当する業務についても基本的に変更はないから,欧米マーケティング室が負う責任及びその室長として被災者が負う責任も基本的には変わらないものと認められる。
したがって,同出来事は,そもそも配置転換とは評価できないが,仮に「21 配置転換があった」に該当するとしても,その前後において上司がEからCに変更されたこと以外に目立った変更がないことからすれば,配置転換後の業務が容易に対応できるものであり,配置転換後の業務の負荷が軽微であるといえるから,その心理的負荷の強度については「弱」に止まるというべきである。
ケ 出来事⑨(海外出張のメンバーから外されたこと)について
前記認定1(10)の各事実のとおり,a社においては例年9月に行われる欧州子会社との間で実施するマーケティング会議の予備会議を例年7月頃に行っており,被災者は,欧州マーケティング室長として,平成19年7月も同会議に出席したが,平成20年7月の同会議については子会社側からの要望があったとするCからの要請に応じて出席を見合わせ,これについて不本意に感じ,落胆したことが認められる。確かに,上記予備会議については,例年被災者も欧州マーケティング室長として参加,出席してきたことからすれば,平成20年に限り出席を見合わせるよう求められたことが,子会社側の被災者に対する否定的評価と受け止めることも理解できないではなく,これにより,被災者が心理的負荷を受けたとすることも理解できないわけではない。
しかしながら,前記認定1(11)の各事実のとおり,この予備会議に対する本会議として行われた平成20年9月の欧米マーケティング会議には,他の欧米マーケティング室の構成員とともに被災者も海外出張をしており,同出張中に欧州子会社の従業員らとの間で何らかのトラブルがあったことがうかがわれるわけでもないことに照らすと,被災者が,主観的に同年7月の海外出張ないし予備会議への出席見合わせを求められたことについて強く不本意に思ったとしても,客観的にみて,この点が強い心理的負荷をもたらす出来事であるとまでは認められない。
以上の内容に照らすと,同出来事が「同僚とのトラブルがあった」あるいは「上司とのトラブルがあった」のいずれかに該当するとしても,前記説示の点に照らすと,その心理的負荷の強度は,「弱」に止まるというべきである。
コ 出来事⑩(上司とのトラブル)について
(ア) Cとの関係について
前記認定1(5)イの事実によれば,被災者とCとの関係については,Cにマーケティング部門の経験がなく,被災者としてはマーケティングのことを相談できる存在ではなかったということ以上に,両者間にトラブルがあったことを認めるに足りる的確な証拠は存在しない。原告は,この点について,会話記録における同僚の供述(乙1〔832頁,855頁など〕)を指摘して,被災者とCとの折り合いが悪かった旨主張するが,前記認定のとおり,両者の折り合いが悪かったことを窺わせる具体的なエピソードは証拠上認められず,原告が主張の根拠とする会話記録における同僚等の供述も,抽象的かつ不明確な内容にとどまるもので,前記のとおりCにマーケティングに関する相談が十分にできなかったという内容以上のものは認められない。
(イ) Eとの関係について
原告は,Eが継続的に被災者に対しパワーハラスメントやいじめを行っていたとか,海外,国際分野について理解できないEが,被災者ないし欧米マーケティング室を疎ましく思い,組織再編により欧米マーケティング室を23階から19階に遠ざけるなどした旨主張し,陳述書においてそれに沿う内容の供述をする。
しかしながら,前記1(5)ア認定のとおり,Eは,a社社内において非常に厳しい上司という評判で通っていたものであるが,本件全証拠に照らしても,被災者に対しパワーハラスメントやいじめを行っていたと認めるには足りないし,かえって,前記認定事実によれば,被災者とは非常に親しい間柄であって,組織再編によって上司と部下の関係を離れた後も,会議の場において被災者を援護しようとするなどの行動もみせていたものである。原告の供述等によれば,被災者がその生前において,終始Eの存在を強く意識し,Eの部下としての関係を離れたことを,左遷と受け止めていたふしがあるとしても,そのことをもって,直ちに客観的に強い心理的負荷をもたらす出来事であったと評価することはできないし,ましてや,そのことをもって,直ちにEによるパワーハラスメントや嫌がらせなどと認められるものではない。
(ウ) 小括
以上のとおりであるから,被災者とCとの関係,及び被災者とEとの関係について,認定基準の「30 上司とのトラブルがあった」の出来事に該当する事実の存在を認めることはできない。
サ 出来事⑪(仕事上のミス)について
前記認定1(9)の各事実のとおり,被災者の部下であるFのミスにより,クリスマスセットの商品と異なる商品の説明書を梱包してしまうというトラブルが生じているものの,工場の従業員3名をドイツに派遣したことによって早期に問題解決に至っている上,これによって生じた損害の額も多額に及んでいない。この件が重大な問題でなかったことは,被災者が同出来事について週報による報告を行っていないことからに裏付けられているというべきである。また,被災者は,問題解決過程の途中からは管理職として部下から報告を受けて経過の把握に努めていたものであって,それ以上に精神的,肉体的負荷がかかっていたと認めるに足りる的確な証拠はないし,同出来事に関して被災者がペナルティを受けたことを認めるに足りる的確な証拠もない。
そうすると,同出来事は,「5 会社で起きた事故,事件について,責任を問われた」には該当しないし,「6 自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」にも該当しないというべきであって,仮にこれによって被災者に何らかの心理的負荷がかかっていたとしても,既に説示した内容に照らすと,その程度は「弱」に止まるというべきである。
シ 出来事⑫(海外出張)について
前記認定1(11)の各事実のとおり,被災者は,平成20年9月に欧米マーケティングミーティングに出席する目的で欧州への海外出張に行っているところ,同出張は,同月7日から同月16日までの10日間に及ぶものである上,イタリアのストレーザでの欧米マーケティングミーティングの終了後,引き続きロンドンやプラハに移動して市場調査や視察を行っていること,帰国後も,その翌日である同月17日から同月19日まで通常どおり出勤していること,欧米マーケティングミーティングは,欧米マーケティング室における重要な業務の一つと位置付けられており,歓迎会,ディナーが深夜の時間帯まで開催されることや,被災者が同会議においてプレゼンテーションを行ったことなどが認められ,相応に緊張感等の精神的負荷をも伴う側面もあったと推認される。しかしながら,被災者の行程を子細に見ると,ミーティング会場のあるストレーザに3泊していることからすると,移動に伴う肉体的負荷はさほどのものではなかったと推認されるし,フランクフルト,ロンドン,プラハでの視察等も過密なスケジュールであるとはいい難い上,プラハでの視察等は自らの意思で行程に組み込んだものでもある。その他,被災者には過去に海外赴任の経験があること,被災者がプレゼンテーションを得意としていたこと,海外出張期間の大半は他の出張者と行動を共にしていたこと,その労働密度が格別高かったとは認められない上,業務内容自体に特に困難な内容が含まれていたわけではなく,同行程中,突発的な出来事が起こったわけでもないことなどの事情も認められる。
そうすると,同出来事は,認定基準の「17 2週間(12日)以上にわたって連続勤務を行った」に該当するものの,既に説示した内容に照らすと,それによる心理的負荷の強度は,「弱」に止まるというべきである。
ス 出来事⑬(仕事の量及び質の変化と長時間労働)について
前記認定1(20)アの事実のとおり,a社では労務時間管理をパソコンのログイン,ログオフの記録で管理をしていることからすれば,労働時間の認定に当たっては,特段の事情のない限り,同様の方法によるのが相当である。原告は,自宅に帰宅する旨知らせる被災者のメール(乙1〔509頁以下〕)の送受信時刻をもって労働時間を認定すべきである旨主張するが,被災者が送信したメールの内容からは,それが真に業務終了直後に送信されたものか否かが必ずしも明らかではないから,同送信時刻をもって終業時刻と認定するのは相当でないというべきである。
そして,前記認定1(20)イの事実によれば,「16 1か月に80時間以上の時間外労働を行った」に該当する月はないものの,平成20年5月から同年11月までの間に時間外労働時間数が20時間以上増加し,かつ,1月当たり概ね45時間を超えているから,「仕事内容,仕事量の大きな変化(時間外労働時間数としてはおおむね20時間以上増加し,1月当たりおおむね45時間以上となるなど)が生じた。」といえ,その心理的負荷の強度は「中」と評価するのが相当である。
セ 出来事⑭(リストラに対する不安)について
被災者がリストラをされる不安を抱くような事情を認めるに足りる証拠はない。かえって,前記認定1(19)カの事実のとおり,a社は,被災者の復職のために欧米マーケティング室長の席を空席にしていた事実が認められ,このことからすれば,a社が被災者をリストラの対象と考えていたものとは認められない。
したがって,「24 非正規社員であるとの理由等により,仕事上の差別,不利益取扱いを受けた」の出来事に該当する事実は認められない。
ソ 出来事⑮(米国△△商標問題)について
前記認定1(13)の各事実によれば,米国△△商標問題の直接の当事者はg社であって,欧米マーケティング室が直接所管する案件ではなく,被災者は,関係部署として関与していたにすぎないと認められる。また,この問題によってa社にいかなる損害が生じたかは必ずしも明らかではなく,同損害について被災者が責任を負わなければならない立場にあったことを認めるに足りる的確な証拠もない。
したがって,同出来事が「12 顧客や取引先からクレームを受けた」に当たるとはいえない。
タ 出来事⑯(□□クリーム品質問題)について
前記認定1(14)の各事実のとおり,被災者が□□クリーム品質問題について週報で報告した内容は,問題の発生,現在の調査,対応状況及び今後の対処方針のみであり,この問題によってどの程度の損失等が生じたかは証拠上明らかでなく,むしろ,それ以降,被災者がこの問題について週報による報告を行っていないことからすると,この問題によって生じた損害はさほどのものでなかったか,それ以降,同問題が被災者の手を離れたところで処理され,被災者において同処理に関し格別の関与がなかったものと推認される。
そうすると,同出来事が認定基準の「6 自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」の出来事に当たるとはいえない。
チ 出来事⑰(米国OTC対応問題)について
前記認定1(15)の各事実によれば,米国OTC対応問題に関する打合せは,薬事・技術戦略室の主催により研究本部,生産技術本部及び国際事業本部の三者で実施されており,同問題の内容に照らしても,少なくとも,国際事業本部の主導的な関与の下に進められたものではないと認められる。そして,このような点に鑑みると,週報に「今回の問題を真摯に反省し,今後の作業の漏れが無いように業務対応フローを本社・現地双方で確認致しました。」との記載があることについては,今後の糧とすべく対応策を策定したことに重点があると理解するのが相当であり,真摯に反省する旨の文言があることをもって,国際事業本部や被災者が,会社から責任を問われていたと推認するのは相当でないというべきである。
また,この問題によってどの程度の損失等が生じたかは証拠上明らかでなく,むしろ,その後,被災者がこの問題について週報による報告を行っていないことからすると,少なくとも,この問題によって生じた損害が,さほど大きなものでなかったという可能性を否定することができない。
そうすると,同出来事が認定基準の「6 自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」の出来事に該当するとはいえない。
ツ 出来事⑱(◇◇クリーム品質問題)について
前記認定1(16)の各事実のとおり,◇◇クリームに関する変色がAPPSの酸化という技術的な原因により生じたものであり,そのAPPSの酸化がいかなる経緯で生じたものであるかは明らかでない上,これに対し研究所による原因調査等の他にどのような対応がとられたのかも明らかではないことからすると,少なくとも,この問題については,被災者が責任を問われるべき筋合いのものということはできない。かえって,被災者がこの問題について週報による報告を一切行っていないことからすると,この問題がさほど深刻な問題ではなかった可能性を否定することができない。
そうすると,同出来事が,認定基準の「6 自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」,あるいは,「12 顧客や取引先からクレームを受けた」の出来事に該当するとはいえない。
テ 出来事⑲(f社クレーム問題)について
前記認定1(17)の各事実のとおり,f社クレーム問題については,欧米マーケティング室だけではなく知財権センター及び法務グループが共同して検討を行っている上,a社は,f社クレーム問題について,f社の権利を侵害している事実はないとの認識の下,現地弁護士に対応を依頼しているものである。そもそも,かかるクレームの内容が妥当なものであるかどうか自体に疑義がある上,当該クレームに対し,被災者がそれ以上の対応を求められたことを認めるに足りる的確な証拠がないことに照らすと,同出来事については,認定基準の「12 顧客や取引先からクレームを受けた」に当たらない。
ト 出来事⑳(EUサンケアリコメンデーション対応問題)について
前記認定1(18)の各事実によれば,a社は,EUにおけるサンケア商品に関する規制の変更に伴い,それに関する情報収集と,規制を受け得る製品の仕様変更による対応を行ったといえるところ,化粧品という商品の特性に照らすと,薬事関係法令や健康保健行政の変更等に伴い商品の仕様を変更する必要性が生じることは当然に予定されているものといえる。そうすると,EUのサンケアへの対応によって何らかの支出やコスト増が生じたとしても,それはそもそも損失と評価できるものではない。また,そのような観点に照らすと,被災者がこの問題に関して行った対応についても,通常の業務から逸脱したものということはできないから,これによって強い心理的負荷を生じたと認めることはできない。
そうすると,同出来事は,認定基準の「6 自分の関係する仕事で多額の損失等が生じた」の出来事に該当しない。
ナ 出来事〈21〉(下からの数々のハラスメント)について
原告は,国際事業本部において,被災者の部下達がチームを作って物事を勝手に進めており,被災者がその責任を取らされる形で部下からパワーハラスメント,いじめを受けてきた旨主張するが,前記1(5)ウ認定のとおり,被災者と部下との間での目立ったトラブルの存在は認められない上,その他,本件全証拠に照らしても,国際事業本部において原告主張に係る状況があったことを認めるには足りない。
前記1(19)認定に係る被災者が精神疾患に罹患した後に医療関係者等に話した内容は,病気の影響を受けている可能性を否定できない上,その言動を前提としても,被災者は,部下達の能力を終始高く評価していたものといえるから,被災者の部下達が物事を勝手に進め,その責任だけを被災者に取らせていたという原告の主張が実態にそぐわないのは明らかである。被災者の言動からは,被災者が,部下達の能力の高いことをプレッシャーと感じ,自己の存在価値がなくなることを強く恐れていたことが窺われるものの,そのことをもって,いじめや嫌がらせなどと評価できるものでないことは当然であるし,客観的にみて,そのような状況をもって,直ちに強い心理的負荷をもたらす出来事と評価できるものでもない。
したがって,この点に関して,認定基準の「部下とのトラブルがあった」「嫌がらせ,いじめを受けた」に該当する出来事があったと認めることはできない。
(2)  総合評価
以上のとおり,心理的負荷の強度が「中」と評価される出来事として出来事⑬が認められるものの,その他の事情につき,心理的負荷をもたらす出来事であると評価できるものがあるとしても,その強度はいずれも「弱」に止まるものであるから,これらの全てを原告に最大限有利に斟酌するとしても,その全体的な心理的負荷の強度は,「中」を超えるものではないと認めるのが相当である。このことに加え,程なくその症状は改善,寛解しているものの,前記1(1)イ認定のとおり,被災者が過去にうつ病性障害に罹患した経験を有しており,個体側の要因の存在も窺われることを併せて考慮すると,客観的にみて,被災者の業務による心理的負荷は,反復性うつ病性障害を発病させるに足りる程度に強度なものであったとは認められず,当該発病が,当該業務に内在又は通常随伴する危険の現実化であると評価することはできないものであるから,被災者の反復性うつ病性障害と業務との間に,相当因果関係があるとはいえない。
原告は,被災者が精神疾患発病前後を通じて,毎月のように相互に関連性のない新たな出来事に連続的に直面したとし,業務上の心理的負荷を伴う出来事が複数存在する場合,その強度は原則として修正されるべきであると主張し,心理的負荷が「中」ないし「弱」の出来事が複数存在する場合でも,全体評価として直ちに「強」にならないとする認定基準のあり方に疑義を呈する。しかしながら,認定基準において,心理的負荷が「弱」とされる出来事は,日常的に経験するものであって一般的に弱い心理的負荷しか認められないものとされている上,被災者のような管理職それもかなりの上級管理職というべき立場にある者が,連続的ないし断続的に複数の課題を抱えるということは通常あり得べきことであるから,被災者について原告主張のような状況があったとしても,そのことをもって,直ちに心理的負荷の全体評価が「強」になるというものではない。したがって,原告の前記主張については,採用することができない。
4  結論
以上によれば,遺族補償及び葬祭料を不支給とした原処分は相当であり,原告の請求には理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。
東京地方裁判所民事第19部
(裁判長裁判官 西村康一郎 裁判官 藤倉徹也 裁判官若松光晴は,転勤のため,署名押印することができない。裁判長裁判官 西村康一郎)

 

〈以下省略〉

 

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