判例リスト「完全成果報酬|完全成功報酬 営業代行会社」(184)平成24年12月28日 東京地裁 平23(ワ)25217号 損害賠償請求事件(本訴)、(反訴) 〔X社事件〕
判例リスト「完全成果報酬|完全成功報酬 営業代行会社」(184)平成24年12月28日 東京地裁 平23(ワ)25217号 損害賠償請求事件(本訴)、(反訴) 〔X社事件〕
裁判年月日 平成24年12月28日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平23(ワ)25217号・平23(ワ)41058号
事件名 損害賠償請求事件(本訴)、(反訴) 〔X社事件〕
裁判結果 棄却 上訴等 控訴 文献番号 2012WLJPCA12288001
要旨
◆黙示の内定取消、内定辞退の強要を理由とする新卒予定者からの損害賠償請求も、内定辞退等を理由とする会社からの損害賠償請求も、ともに否定された例
評釈
榎本英紀・労経速 2175号2頁
裁判年月日 平成24年12月28日 裁判所名 東京地裁 裁判区分 判決
事件番号 平23(ワ)25217号・平23(ワ)41058号
事件名 損害賠償請求事件(本訴)、(反訴) 〔X社事件〕
裁判結果 棄却 上訴等 控訴 文献番号 2012WLJPCA12288001
本訴平成23年(ワ)第25217号損害賠償請求事件,
反訴同年(ワ)第41058号損害賠償請求事件
東京都杉並区〈以下省略〉
原告(反訴被告) X
同訴訟代理人弁護士 津村政男
同 塚本亜里沙
同 尾谷恒治
同訴訟復代理人弁護士 清瀬雄平
東京都中央区〈以下省略〉
被告(反訴原告) 株式会社Y
同代表者代表取締役 A
同訴訟代理人弁護士 岡田康男
同訴訟復代理人弁護士 中野大仁
主文
1 原告(反訴被告)の請求及び被告(反訴原告)の反訴請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は,本訴反訴を通じて,原告(反訴被告)に生じた費用は原告(反訴被告)の負担とし,被告(反訴原告)に生じた費用は被告(反訴原告)の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 本訴請求
被告(反訴原告)は,原告(反訴被告)に対し,461万9120円及びこれに対する平成23年8月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 反訴請求
原告(反訴被告)は,被告(反訴原告)に対し,363万5282円及びこれに対する平成23年12月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要等
以下,原告(反訴被告)Xを「原告」,被告(反訴原告)株式会社Yを「被告会社」という。
1 要旨
本件は,(1)被告会社の採用内定を受けていた原告が,被告会社に対し,被告会社から違法な①黙示の内定取消(主位的主張)又は②内定辞退の強要(予備的主張)を受けたことにより,内定辞退の意思表示を余儀なくされたとして,不法行為に基づく損害賠償金合計461万9120円(特例措置による留年費用,慰謝料,逸失利益,弁護士手数料)及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成23年8月6日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め本訴を提起したのに対し,(2)被告会社が,原告に対し,(ア)原告の上記内定辞退は著しく信義に反するものとして,不法行為又は債務不履行に基づく損害賠償金合計118万1784円(無駄になった新卒採用費用,中途採用費用)及び(イ)上記本訴請求はいわゆる不当訴訟に当たるものとして,不法行為に基づく損害賠償金245万3498円(本訴反訴の弁護士手数料)並びに上記(ア)及び(イ)の合計363万5282円に対する反訴状送達の日の翌日である同年12月28日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め反訴を提起した事案である。
2 前提事実(当事者間に争いがない事実並びに甲1,2,5の1・2,6ないし10,乙9,17,18及び弁論の全趣旨により容易に認定できる事実。以下「前提事実」という。)
(1) 総合広告代理店を営む被告会社は,平成22年4月,同23年4月1日入社予定の者に対する採用活動を開始し,大手求人情報サイト(リクナビ)に広告を掲載したところ,800人程度の就職希望者がエントリーした。
被告会社は,これらの就職希望者に対し,計6回の会社説明会を実施するとともに,約2週間をかけ,約500名~600名の一次面接希望者に対し一次面接を行い,就職希望者を100名程度に絞り込み,さらに,これら一次面接合格者に対し二次面接を実施した。そして,平成22年6月4日,代表取締役社長が自ら,二次面接合格者30名に対し,個別面接を実施した上,15名の者を内定者として選抜し,この15名から,内定辞退者を除いた8名の者を最終内定者(以下「本件新規内定者」という。)として決定した。本件新規内定者は,入社後,営業職に従事することが予定されていた。
(2) 平成23年3月a大学b学部c学科を卒業する見込みであった原告は,平成22年4月20日,被告会社の上記就職説明会に参加した。そして,同年5月6日実施の上記一次面接,同25日実施の上記二次面接にそれぞれ合格し,同年6月4日に行われた上記最終社長面接にパスした。
同月7日,原告は,被告会社から内々定の電話連絡を受け,同月14日,被告会社に対し,承諾書を提出したところ,被告会社は,原告に対し,本件新規内定者の一人として以降の就職活動を禁止し,平成23年3月上記大学b学部c学科を卒業することを条件に,被告会社への入社日を同年4月1日と定めた(以下「本件内定」という。)。
(3) 被告会社は,平成22年7月以降,原告ら内定者8名に対し,定例面談を実施するとともに,同年11月4日実施の面談において,プレゼンテーション研修を実施することを告げ,その課題を発表した。
そして,原告に対しては,同年12月3日に第一回プレゼンテーション研修(以下「本件第1回プレゼン研修」という。)を,平成23年1月27日に第2回プレゼンテーション(以下「本件第2回プレゼン研修」という。)を,そして同年2月17日に第3回プレゼンテーション研修を実施した(以下「本件第3回プレゼン研修」といい,本件第1回プレゼン研修及び同第2回プレゼン研修を一括して「本件各プレゼン研修」という。)。
なお本件各プレゼン研修の指導担当は,平成11年4月から被告会社の社員採用業務を担当していたB営業企画局課長(以下「B課長」という。)である。
(4) 原告は,平成23年3月7日,在籍しているa大学に対し,「採用内定取り消し等に関わる特例措置申請書」(甲1)を提出し,受理された(甲2。同年4月1日から平成24年3月31日までの1年間である。以下「本件就職留年」ないし「本件就職留年手続」という。)。
被告会社は,平成23年3月22日,原告に対し,同月15日付け「御通知」と題する書面を郵送し,原告が他の新規採用内定者と共に同年4月1日から被告会社の「社員として勤務していただく前提で,準備して」いることを伝え(乙5の1・2。以下「本件3・15書面」という。),さらに同月29日付けFAX送付書により(以下「本件3・29書面」という。),採用内定を辞退されるのであれば同月中に所定の手続をとるよう連絡した。
これに対し原告は,被告会社に対し,同月31日付け「ご連絡」と題する書面を送付し,原告としては「4月1日からの入社は考えられない状況」である旨を伝えた上(乙6。以下「本件3・31書面」という。),同年4月1日の入社日に出社しなかった。
なお原告による本件3・31書面の送付は,後記第3の2で詳述するとおり本件内定の黙示の辞退に当たる(以下「本件内定辞退」という。)。
(5) 原告は,平成23年4月1日の上記入社日以降も被告会社に出社しなかった。そして,同月21日付け「ご連絡」と題する書面により,被告会社に対し,被告会社の担当者が行った内定辞退の強要は実質的に採用内定の取消しと評価すべきものであるなどとして,419万円余りの損害賠償を求めたところ(乙7),被告会社から,上記損害賠償請求には応じられない旨の「ご通知」と題する書面が返送された(乙8)。
同年7月29日,原告は,被告会社に対し,本件訴訟(本訴)を提起した。
3 本訴請求に関する争点及びこれに対する当事者の主張
本訴請求の当否を判断するための基礎事実して当事者が主張する事実は,別紙1「原告の主張事実(要旨)」及び別紙2「被告会社の主張事実(要旨)」に記載のとおりである。
(1) 争点1の(1)―責任原因(①本件内定の黙示の取消(以下「本件黙示の内定取消」という。)又は②本件内定辞退の強要行為(以下「本件内定辞退の強要」という。)に基づく損害賠償請求の可否)
ア 原告の主張
(ア) 本件各プレゼン研修は,いわゆる入社前研修に該当するが,被告会社においては,この入社前研修は,採用手続の一環として位置付けられていた(乙8)。そのため被告会社においては,本件各プレゼン研修を通じて,更なる内定者の選別が行われており,かかる入社前研修において出来が悪かった内定者に対しては,「指導」名目下で,内定を辞退するよう圧力をかけ,自発的に内定を辞退させることが行われていた。そして,B課長は,採用人事に関する現場レベルでの責任者であるから,少なくとも被告会社から,上記の意味で研修未了の内定者を事実上選別する裁量ないし権限を付与されていたものというべきである。
(イ) 別紙1「原告の主張事実(要旨)」によれば,B課長が,本件第3回プレゼン研修において,原告に対し,執拗かつ違法に,本件内定辞退の説得を行っていたことは,紛れもない事実であって,これにより原告は,その場で直ちに本件内定を辞退する旨の返答をするか,あるいは後日,本件内定を辞退する旨の返答をするかの二者択一を迫られる状況下に追いやられたものというべきである。そうだとすると原告が本件就職留年手続の申請書を提出するまでの間に行われた被告会社の一連の対応は,実質的に,本件内定の黙示の取消に当たるものと評価することができ(=本件黙示の内定取消。主位的主張),また,仮にそのような評価は成り立たないとしても,本件第3回プレゼン研修においてB課長が行った本件内定辞退の説得は,本件内定辞退の強要行為に該当する(=本件内定辞退の強要。予備的主張)。
そして,B課長が行った本件黙示の内定取消又は本件内定辞退の強要は,上記のとおり圧倒的な地位の違いを背景に,本来は参加の義務がない入社前研修中の不出来を理由として,指導名目の下,30分間以上にもわたって,困惑し押し黙る原告に対し,何度も,同内容の暴言といえる発言を繰り返し浴びせかけるという執拗極まりない,パワーハラスメントにも類する行為であって,社会通念上許容される範囲を超えるものであることは明らかである。
(ウ) よって,本件黙示の内定取消又は本件内定辞退の強要は,いずであっても民法709条所定の不法行為に該当する。
イ 被告会社の主張
別紙2「被告会社の主張事実(要旨)」からも明らかなとおり,B課長が本件黙示の内定取消又は本件内定辞退の強要(以下一括して「本件黙示の内定取消等」という。)を行った事実はない。すなわち,そもそもB課長は,被告会社における人事の決定権者ではなく,本件内定を取消し,または内定辞退を迫る権限を有してはいなかったのであるから,法的にはもとより事実上も本件黙示の内定取消等を行い得る立場にはなかった。また被告会社は,本件第3回プレゼン研修後も,重ねて原告を採用する旨の意思表示を行っている上,B課長においては,本件第3回プレゼン研修において,原告に対し,次の研修を予定していることを明らかにしていたばかりか,「辞めろと言っているわけではないが」と誤解を生まないように確認までしているのに対し,原告は,本件第3回プレゼン研修において,やる気を失くした態度をとり,自ら,もう一度入社を考えるという趣旨の発言までしていたのである。いずれにしても被告会社としては,営業能力等社員としての適格性に問題があるのであれば,内定取消や内定辞退強要などしなくとも試用期間の経過時において原告を解雇することができたはずであり,敢えて本件内定の取消や内定辞退の強要といったリスクの大きな行為に及ぶ動機はない上,新規の内定者に過ぎない原告に対して,高いレベルのプレゼンテーション能力は期待していなかったのであるから,プレゼンテーションのレベルが足りないことを理由に,本件黙示の内定取消等を行うことはあり得ないものと考えられる。以上によれば,B課長によって本件黙示の内定取消等が行われた事実がないことは明らかである。
(2) 争点1の(2)―損害及び因果関係について
ア 原告の主張
(ア) 原告は,本件黙示の内定取消等によって,下記の各損害を被った。
a 特例措置により大学に在籍するために要した費用 10万5000円
b 採用内定取消又は違法な内定辞退の強要にかかる慰謝料 100万円
c 平成23年4月1日以降の収入 309万4200円
d 弁護士費用 41万9920円
(イ) 原告は,本件黙示の内定取消等(不法行為)がなければ,a大学に対し本件就職留年手続により自主留年をする必要など全くなく,また,甚大な精神的苦痛を被ることもなかったばかりか,当然のことながら平成23年4月以降も,被告会社に総合職として勤務し,相応の賃金を得ることができた筈であり,弁護士手数料を支払う必要もなかった。したがって,上記(ア)のaないしdは,全てB課長の上記不法行為が原因となって生じた損害と評価されるべきものであり,本件黙示の内定取消等と上記各損害との間には優に相当因果関係が認められる。
イ 被告会社の主張
(ア) 本件黙示の内定取消等と本件内定辞退及び上記ア(ア)記載の各損害との間に相当因果関係は存在しない。
原告は,本件第3回プレゼン研修の時点では,被告会社への入社を諦めてはおらず,自主留年を決意したのは,本件就職留年手続の申請をする直前であり,その前までは被告への入社の意思はあった。他方,B課長は,二度にわたるa大学就職課とのやり取りでは,本件黙示の内定取消等の事実を否定しており,原告とのやりとりにおいても,辞退を促すような発言をしていない。そればかりか原告は,本件3・15書面によって被告会社への入社要請を受けたにもかかわらず,これを敢えて拒絶していることなどを併せ考慮すると,原告は,被告会社で勤務することへの自信を失ったこと等原告自身の理由に基づくか,あるいは仮にそうでないとしても原告自らの勘違いや早合点により,被告会社における勤務を諦め,本件就職留年手続をとったものとみるべきである。そうだとすると,この手続を前提とする本件内定辞退は,原告が自らの意思に基づき決定した事柄で,本件黙示の内定取消との間に相当因果関係は認められないものというべきである。
(イ) なお原告主張に係る上記ア(ア)記載の各損害の発生及びその金額は争う。
4 反訴請求に関する争点及びこれに対する当事者の主張
本訴請求の当否を判断するための基礎事実して当事者が主張する事実は,別紙1「原告の主張事実(要旨)」及び別紙2「被告会社の主張事実(要旨)」に記載のとおりである。
(1) 争点2の(1)―責任原因(①本件内定辞退(債務不履行又は不法行為)に基づく損害賠償請求の可否,②本件訴えの不当提起(不法行為)に基づく損害賠償請求の可否)
ア 被告会社の主張
(ア) 別紙2「被告会社の主張事実(要旨)」によると原告は,平成23年2月22,23日,a大学就職課(以下「大学就職課」という。)から,B課長が本件黙示の内定取消等をしていないと述べていることを知らされていたにもかかわらず,B課長との電話において,本件黙示の内定取消等をしたか否かを確認していないばかりか,原告は,本件就職留年手続に先立って,被告会社に対し,容易にできたはずの本件黙示の内定取消等の有無についての意向確認を行わなかった。
(イ) また原告は,既に本件第3回プレゼン研修の際の出来事につき弁護士(原告代理人)に対し相談をしており,またa大学就職課から自主留年を勧められていたにもかかわらず,B課長に対し,「もう少し時間が欲しい」と返事を引き延ばした上,本件就職留年手続を申請したことにより,もはや被告会社に入社できないことの報告を怠ったばかりか,被告会社から本件内定を辞退するのであれば手続をとるようにとの通知を受け取っていたにもかかわらず,本件内定辞退の意思を伝えることなく,そのまま入社日にも出社しなかったものである。このように原告は,B課長に対し,返答を引き延ばしつつ,裏では本件就職留年手続による自主留年と訴訟の準備を進め,本件内定辞退の意思すら伝えずに入社を拒否したものであり,その対応は極めて悪質である。
(ウ) そして以上に加え,前記3(2)イ(ア)における指摘を併せ考慮すると原告は,被告会社で勤務することへの自信を失ったことなどの自らの個人的な理由により本件就職留年手続の活用を選択し,被告会社への入社を断念したものであるにもかかわらず,その原因を敢えて本件黙示の内定取消等に転嫁して本件訴訟を提起した。また仮に一歩譲っても,原告は,被告に対し,上記一連の経過の中で容易に被告会社の真意を確認することができたにもかかわらず,その行為を怠ったまま本件訴訟を提起したものであって,いずれにしても,原告は,本訴請求の事実的根拠を欠くことを知り,あるいは,容易に知り得たにもかかわらず,本件訴訟を提起したものということができ,この点において,故意ないし過失責任は免れない。
(エ) 以上によれば,原告が行った本件内定辞退は,著しく信義に反する行為であって,賠償責任を発生させるに足る違法性が認められ,債務不履行行為ないし不法行為に該当する。
また,本件訴えの提起(本訴提起)は,不当訴訟にあたり,やはり原告は不法行為に基づく損害賠償責任を免れない。
イ 原告の主張
原告の本件内定辞退は,B課長による本件黙示の内定取消等の違法行為に起因するものであるからにほかならず,その態様等が著しく信義に反するものであるとは到底いい難い。また,本件訴えの提起(本訴提起)は事実的根拠を有する訴えにほかならず,不当訴訟の提起に当たらないことは明らかである。被告会社の上記主張に,いずれも理由がないことは明らかである。
(2) 争点2の(2)―損害及び因果関係
ア 被告会社の主張
(ア) 原告の本件採用辞退によって発生した損害
a 平成23年新卒採用費用のうち原告相当分 56万3747円
最終的に平成23年新卒採用においては原告を含め8名を採用したが,本件内定辞退によって,下記金額の八分の一の額である56万3747円が無駄になった。本件内定辞退がなければ,上記新規採用費用原告相当分(56万3747円)は無駄とならずに済んだのであるから,両者の間には相当因果関係が認められる。よって,上記平成23年新規採用費用のうち原告相当分(56万3747円)は,本件内定辞退によって被告会社が被った損害に該当する。
記
(a) リクナビ掲載料 52万5000円
(b) 説明会及び一次面接のための会議室使用料 63万円
(c) 人件費 335万4977円
b 平成23年中途採用費用のうち原告相当分 61万8037円
最終的に平成23年中途採用においては原告を含め2名を採用したが,本件内定辞退によって,上記金額の二分の一の額である61万8037円が無駄になった。本件内定辞退がなければ,上記中途採用費用原告相当分(61万8037円)は無駄とならずに済んだのであるから,両者の間には相当因果関係が認められる。よって,上記平成23年中途採用費用のうち原告相当分(61万8037円)は,本件内定辞退によって被告会社が被った損害に該当する。
記
(a) タウンワーク掲載料 7万7700円
(b) マイナビ掲載料 63万円
(c) 人件費 44万5275円
(d) 出張費 8万3100円
c よって,本件内定辞退との間に相当因果関係が認められる被告会社の損害の額は,上記aとbの合計118万1784円である。
(イ) 原告の本件訴訟の提起によって発生した損害
a 原告の本件訴訟の提起によって,被告会社は,弁護士に応訴を委任し,その弁護士手数料として,着手金34万9999円,報酬60万9000円(4,000,000×0.1+180,000円×1.05)の合計95万8999円の支払を余儀なくされた。
b また,被告会社は,本件訴訟に関連して,原告に対し,債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を請求するため,反訴の提起し,その弁護士手数料として,着手金34万9999円,報酬114万4500円(9,181,784×0.1+180,000≒1,090,000,1,090,000×1.05)の合計149万4499円の支払を余儀なくされた。
c よって,本件訴訟との間に相当因果関係が認められる被告会社の損害の額は,上記aとbの合計245万3498円である。
イ 原告の主張
(ア) 上記ア(ア)における被告会社の損害主張について
否認ないし争う。
a 平成23年新卒採用費用のうち原告相当分(56万3747円)について
一般に,企業における新卒採用募集は,新たに採用した人材を育成し,そのマンパワーによって,将来的に企業に利益を還元させることを目的として行われるものであり,そのための必要経費は本来的に企業において負担すべき性質のものである。したがって,企業が新卒採用の募集を行う場合,募集の結果たまたま良い人材が得られず,誰も採用するに至らなければ,当然,そのために要した費用は募集を行った当該企業が負担するのが通常であって,この理は,本件における原告の新卒採用にも当然に妥当する。また,いずれにしても被告会社が主張する上記損害項目は,本件内定辞退の有無にかかわらず,被告が平成23年新卒採用応募を行うと決定した時点で発生することが見込まれていた費用であり,したがって,被告会社主張に係る上記各損害項目と本件内定辞退との間には相当因果関係はない。
b 平成23年中途採用費用のうち原告相当分(61万8037円)
平成22年度大学等卒業予定者の就職内定状況が例年に比して著しく落ち込んでいたこと,被告会社においても,同年度においては800人程度の就職希望者のエントリーがあったとされていること等を踏まえると,被告会社としては,いったんは不採用とした応募者に対し連絡を取る等の方法により,費用をかけることなく平成23年中途採用を実施することも十分に可能であった筈である。また,被告会社が「平成23年中途採用に伴う費用」として主張する上記各損害項目も,本件内定辞退の有無にかかわらず,被告会社が平成23年中途採用応募を行うと決定した時点で発生することが見込まれていた費用であることなどを併せ考慮すると,被告会社が主張する上記損害項目と原告の本件内定辞退との間には相当因果関係はない。
(イ) 上記ア(イ)における被告会社の損害主張について
否認ないし争う。
なお被告会社が主張する上記弁護士手数料は,未定の成功報酬が「報酬」の一部として計上されている上,「被告の企業イメージの維持・回復」を目的として,反訴の経済的利益に800万円を加算するなど算定根拠の妥当性に重大な疑問がある。
第3 当裁判所の判断
1 基礎事実の一括認定
前記前提事実,前記当事者の主張のうち争いのない事実に加え,掲記の証拠(ただし原告本人及び証人Bのうち後記各認定に反する部分は除く。)及び弁論の全趣旨によると以下の事実が認められる。
(1)ア 被告会社は,平成22年6月,平成23年度新卒採用に当たって,営業職として,原告を含め8名の者(本件新規内定者)の採用を内定した(本件内定)。本件新規内定者8名の採用費用は合計で450万円余りであった。被告会社は,本件内定に当たって,本件新規内定者に対し,他社への就職活動を禁じた。
イ そして,被告会社は,本件新規内定者に対し,入社後の業務である営業活動の土台となる心構え等を習得させることを目的として,プレゼンテーション研修の実施を決定した上,同年11月4日に行われた定例面談において,原告に対して,その実施を告げるとともに,「『自社製品をより良く知るために』当社パンフレットを元に,自社製品の理解を深め,母校の広報部に対して売り込む内容を考える」という内容の課題を発表し,その資料として同社のパンフレットを配付した。
[以上につき甲9,10,乙13,17,18,原告本人1~2頁,証人B3~4頁,14~15頁]
(2)ア 平成22年12月3日,本件第1回プレゼン研修が実施された。
原告は,卒業論文の準備(分量は400字詰め原稿用紙50枚合計2万字と指定されていた。)を進める傍ら,本件第1回プレゼン研修の準備として,営業経験のある知人からプレゼンテーションのやり方を教わった上,そのノウハウや母校(a大学)の情報を知るため数冊の文献を調べるなどして,「ホームページを中心とした大学価値向上のご提案」と題する企画書(乙1)を作成,提出した。
イ そして,原告は,本件第1回プレゼン研修当日,B課長ほか1名の担当者らに対し,約30分間程度,母校であるa大学に対する売り込みを想定したプレゼンテーションを実演した。
この実演に対し,B課長は,「話し方が甘ったれている。」「社会人としての意識が低い。」「提案内容が薄い。」などといった問題点を指摘した。
原告は,B課長から「駄目だし」を受けたと感じたが,次回に向け,指摘された点は改善して頑張りますとのコメントを残し,本件第1回プレゼン研修は終了した。
後日,本件第2回プレゼン研修の実施日が「平成23年1月27日」と指定された。
[以上につき甲9,10,乙1,17,18,証人B4頁,原告本人2~3頁]
(3)ア 原告は,本件第1回プレゼン研修における指摘を踏まえ,提案(企画書)の内容を膨らませるとともに,話し方の改善を中心に本件第2回プレゼン研修の準備を開始した。そして,a大学を訪れ,同大学のニーズについての聴き取り調査を行うなどしてプレゼンテーションの内容を一から作り直すこととし,パワーポイント用の資料である企画書のタイトルを「オープンキャンパスを軸とした広告展開の提案」と改めるとともに(乙2),手持ち原稿を作成したほか,話し方を改善するため原稿の音読を繰り返し,大手広告代理店に営業職として勤務していた知人らにプレゼンテーションの実演を見てもらいアドバイスを受けた。
イ 平成23年1月27日,本件第2回プレゼン研修が行われた。
原告は,上記タイトルでもって,B課長ほか1名の担当者に対し,前回と同様約30分間にわたり,母校であるa大学に対する売り込みを想定したプレゼンテーションを実演した。
B課長らの指導は,前回にも増して厳しいものとなり,同課長は,開口一番,「目を見て話していない。なぜそのようなふてくされた態度なのか。やる気がないのか。今までの研修をどういうふうに受けとめているのか。今,どう思って,何を感じているのか。もう嫌になって,頑張るつもりはないのか。」と原告の上記プレゼン研修に臨む姿勢を批判した上(乙18・5項参照),具体的な指導をすることなく,「売り込みが全くできていない。」「これじゃ仕事を取ってこれない。」「たとえば,スーパーに行ってお金を払うのは当然でしょ。この提案内容だとお金をとってくるという意識がないから意味がないでしょ。」「人間として魅力があるのであれば使ってくれるかもしれないが,人間として魅力がないのだから,売込をしっかりしなければアイデアをパクられて終わってしまう。」「会社を全く理解してしない。」などと苦言を述べた。そして,「再検討できるかどうかわからないけど一応次回の日程を言います。」として,本件第3回プレゼン研修の実施日を同年2月17日と指定した。
原告は,前回にも増してB課長から「駄目だし」を受けたように感じ,自分は営業として期待されていないのではないかと思うようになったが,一応,本件第3回プレゼン研修に臨む姿勢を示した。
本件第2回プレゼン研修は終了した。
[以上につき甲9,10,乙2,18,証人B4頁,原告本人3~4頁]
(4)ア 原告は,本件第2回プレゼン研修における指摘(とくに「売り込みが全くできていない。」や「この提案内容だとお金をとってくるという意識がないから意味がないでしょ。」という点)を踏まえ,プレゼンテーションの内容について,前回と同様,営業担当の経験のある知人からアドバイスを受け,改善に努めるとともに,営業担当として商品の売り込みをするという想定の下でコスト意識についてもしっかりとした説明ができるよう,本やインターネットで広告費用の仕組み等について調査した。そして,これらの改善点をプレゼンテーションの内容に盛り込むため,手持ち資料の原稿に手を入れ(甲6),パワーポイント用の資料である,「オープンキャンパスを軸とした広告展開の提案」と題する企画書(乙3)にも修正を加えた。
イ 平成23年2月17日,本件第3回プレゼン研修が行われた。
本研修の準備で2,3日睡眠不足が続いていた原告は,顔色が良くなった。しかしB課長ほか1名の担当者に対し,上記企画書を用いて,プレゼンテーションの実演を開始したところ,B課長は,「具合悪いの。体調悪いなら帰っていいよ。」と待ったをかけた。原告は,「大丈夫です。」と言って,プレゼンテーションの実演を続けたが,B課長の眼には,前回と同様,原告は覇気に欠け,やる気がないよう見えた。
実演終了後,研修担当者の一人から,原告が上記プレゼンテーションにおいて提案したラジオ番組(上記企画書記載の「CMの放映媒体 ラジオTOKYO FM『○○』」という番組)の視聴率や影響力について質問が出たが,原告は,これに満足に答えられなかった。するとB課長は,「もうその質問意味ないからやめなさい。」と言って,上記研修担当者の質問を遮り,原告に対し,「やる気あるの。目を見て喋っていない。」などと述べ,「ダメ出しするレベルでもない。」などと原告の上記実演を酷評した。そして,「辞めろと言っているわけではないが,プレゼンテーションが全くできていないので,今後を考える意味でもあなたは内定を辞退した方が,会社にとってもあなたにとっても幸せだ。」「あなたはきっと4月には辞める。」「今年の内定者には既に辞退した人もいる。」「辞めろと言っているわけではないが,このままやる気がないような態度なら,他の内定者に悪影響だ。」などと苦言を述べた。
原告は,上記のようなB課長のもの言いに頭の中が真っ白になった。B課長は,押し黙ったままの原告に対し,「返事しなさいよ。」と述べる一方,「あなたは会社を理解していない。4月の会社説明会で説明したけれど,当社はCM枠の買い付けをしていないから,プレゼン通りの仕事はできない。」「4月1日からはとりあえず一人で営業出てもらいますけど,あなたは仕事取ってこれないから」「1日で辞めるかも。」などといった発言を繰り返した。
原告は,このままでは,この場で内定辞退に追い込まれるのではないかとの危惧の念にかられ,B課長に対し,「もう一度考えたい。」「両親に相談するので,2,3日時間が欲しい。」などと懇請したところ,B課長は,原告に対し,「どうせ考えても答えは辞めるということで同じでしょう。」と述べた上,「やる気があるなら指導するが,今までよりもっと厳しい駄目だしをするが耐えられるか。」「やるんだったら次の日程を組まなければならない。」「駄目だしだけをする日程を組んで,その後社長プレゼンだから」などと述べ,「時間がないのでなるべく早く。」として,週明けの同月21日までに考えた結果を連絡するよう伝え,本件第3回プレゼン研修は終了した。上記実演終了後約30分間が経過していた。
[以上につき甲9,10,乙3,6,17,18,証人B5~7頁,22~25頁,39~40頁,原告本人5~11頁,18,19頁]
(5)ア 本件第3回プレゼン研修終了後,帰宅した原告は,内定辞退につき両親と相談したところ,両親は,まず大学就職課(正式にはa大学キャリア支援部という。以下においても大学就職課と略記する。)に相談してみてはどうかと助言した。原告は,この助言に従って,約束していた平成23年2月21日までに被告会社に連絡を入れず,同日と翌22日の2日間,被告会社から本件内定辞退を強要されたとして,大学就職課に相談に赴いた。
同月22日,大学就職課の担当者は,原告からの依頼を受け,被告会社に電話をかけ,B課長に対し,本件第3回プレゼン研修の状況を確認した。B課長は,これに応じたが,大学就職課の担当者は,「内容は学生(原告)に伝えるが,あとは学生本人と話しをしてほしい。」とだけ述べ,電話を切った。ところが翌23日にも大学就職課の担当者から電話があり,B課長は,同担当者から,本件第3回プレゼン研修の際,原告に対し「辞めろと言ったわけではないが,このままの状況であれば内定を辞退した方がいいかもしれない。よく考えて2月21日に電話をしてくるように」と話したことはないかと尋ねられた。B課長は,そのようなことは言っていないとして,再度,本件第3回プレゼン研修の状況を説明し,「本人に頑張って貰うため会社として意見した」ものであるが,本人はどう思っているかと聞き返した。しかし,大学就職課の担当者は,「それは本人が決めることなので」と答え,それ以上のやりとりを拒んだ。
同日,大学就職課は,原告に対し,被告会社(B課長)からの上記事情聴取の結果を報告した。
イ 原告は,同日以降も,一切,被告会社に対し連絡をとらなかった。B課長は,同年3月2,3日,原告に対し,携帯電話をかけた。原告は,B課長からの連絡であることは認識していたが,敢えてその電話に出ようとしなかった。B課長は,同月3日,原告の自宅の留守番電話に,「翌日4日の午前10時に連絡して欲しい」との伝言を残した。
一方,原告は,同年3月2日,父親に付き添われ,津村政男弁護士(原告代理人。以下「津村弁護士」ともいう。)の法律事務所を訪れ,従前の経緯等を説明し,被告会社との交渉を依頼した。また同月3日には,大学就職課から本件就職留年手続の存在を教示された。そして,同月4日午前10時過ぎ,自らB課長に対し,携帯電話をかけ,「学校に相談に行ったが被告会社へ電話はしなくていいと言われたので連絡しなかった。今後のことを親と相談しているのでもう少し時間が欲しい。」と要望したところ,B課長は,これを了解し,「3月8日の午前9時から同9時30分までの間に連絡を下さい。」と応じた。
以上の経緯を踏まえ,原告は,今後の対応について,両親や津村弁護士と相談を重ねた。その結果,大学に一年間留年して就職活動を行うことに決め,本件就職留年手続の申請書(甲1)「申請事由」欄に「内定辞退強要により,4月からの就職が困難になったため,特例措置を申請致します。」と記載の上,これを同申請期間の最終日の前日である同月7日,a大学に対し提出した。
B課長は,同月8日,約束の時間帯(午前9時から同9時30分までの間)に連絡を待っていた。しかし原告は,B課長に連絡を入れず,同課長からの携帯電話にも出ようとしなかった。B課長は,やむを得ず,原告の自宅に電話をかけ,留守番電話に「今日中に連絡が欲しい」と伝言を残した。
そうしたところ同日の午後,津村弁護士ほか2名(以下「原告代理人」という。)の作成に係る同月7日付け「通知書」(乙4)が被告会社に届いた。その通知書(以下「本件3・7通知書」という。)には,「現在,当職らにおいて,事案の概要及び法的問題点を検討しているところですので,今しばらくお時間をいただいた後,あらためて当職らよりご連絡させていただきます。なお,今後は当職らが,通知人の窓口をつとめますので,同人及び関係者への連絡はお差し控えいただきますようお願いします。」と記載されていた。
ウ これに対し,被告会社は,同月15日,代理人のC弁護士(以下「被告代理人」という。)から,原告代理人に対し,内容証明郵便で,「通知人(被告会社)は,X(原告)さんが,新規採用内定者の8名の方々と共に,4月1日から通知人(被告会社)の社員として勤務していただく前提で,準備しておりますことを,まず,お伝えしたいと考えています。」との記載がある本件3・15書面を郵送し,同書面は,同月22日,原告代理人の下に届いた。原告は,本件3・15書面を一読したが,既に被告会社に入社する意思を失っており,翻意する気持ちはなく,被告会社に連絡を入れることはなかった。
そこで,被告代理人は,原告代理人に対し,「X氏の株式会社Y採用内定の件」との件名で,「3月15日付けでXさんの株式会社Y採用内定について,代理人津村先生からのご連絡をお待ちする旨,通知させていただきました。現時点で,代理人の津村先生からご連絡をいただいておりませんが,入社予定の4月1日が近づいております。Xさんからも説明されていると思いますが,採用手続としては,研修等未了のものがある状態となっております。通知人としては,Xさんが採用内定を辞退されるなら,今月中に所定の手続をおとり頂きたく,お知らせいたしました。」との記載のあるFAXを送付した(甲8。以下「本件3・29FAX」という。)。
これに対し,原告代理人は,被告会社に対し,同月31日付けでもって,「当方(原告)としては,株式会社Y(被告)のX(原告)への対応は,採用内定・研修に至る過程において,法的責任を生ずるものと認識しており,Xとしては,4月1日からの入社は考えられない状況です。したがって,Xの方から採用内定を辞退するということではありませんので念のためお伝えいたします。」と記載された「ご連絡」と題する書面(本件3・31書面。乙6)を送付した。
エ 原告は,出社日である同年4月1日はもとより,同日以降も被告会社に出社しなかった。
そして,原告代理人は,被告代理人対し,同年4月21日付けで,「株式会社YとX(以下「X」といいます。)との間に,採用内定関係,即ち,始期付解約権留保付労働契約が成立していたことに関しましては,双方争いのないところだと存じます。・・・・株式会社Yは,平成22年12月3日の研修以降,Xに対し,Xのプレゼンテーションに対する厳しい批評を行っており,平成23年2月17日の第3回プレゼンテーション研修の際には,30分程にもわたって内定辞退の説得をした上で,その場で辞退する方向での結論を出させようとしました。確かに,株式会社Yにおいて明確な形での採用内定取消通知を出されたわけではありませんが,すでに採用内定状態にある者に対し,「返事」を求めるということは,内定の辞退を求めていることにほかならず,それは実質的に「採用内定取消」と評価されるべきものであると思料いたします。Xは,株式会社Yによる採用内定取消の前提に,その出身大学であるa大学キャリア支援部に相談の上手採用内定取消等に係る特例措置を申請することとし,大学に留年しさらに1年,就職活動を行うことを余儀なくされました。」との記載の「ご連絡」と題する文書(以下「本件4・21書面」という。)を送付し,被告会社に対し,419万円余りの損害賠償の支払を請求したところ,被告代理人は,原告代理人に対し,同年5月17日付けで,「ご通知」と題する書面(以下「本件5・17書面」という。)を送付し,本件4・21書面による原告の損害賠償には一切応じられない旨を明らかにした。
なお本件5・17書面において,被告代理人は,本件内定の性質について,始期付解約権留保付労働契約であることを否定した上,再度,「・・・平成23年3月29日付けでご連絡したように(=本件3・29FAX),Xさんは,採用手続として必要な研修が未了であり,この採用内定は,始期付ではなく,研修終了が必要な停止条件付きの採用内定であり,平成23年4月1日の到来で労働契約の効力が生じるものではありません。」との法的見解を明記している。
[以上につき甲8~10,乙3~8,17,18,証人B8~12頁,原告本人11~15頁,20~24頁]
2 前提事項―本件内定の性質及び本件内定辞退の有無と時期について
(1) 本件内定の法的性質と本件各プレゼン研修の法的位置付け
ア 本件内定の性質
前記前提事実(1)(2)及び同基礎事実(1)アによると,本件内定においては,その採用内定通知のほかに,労働契約締結のための特段の意思表示をすることが予定されていたとは認められず,そうだとすると平成22年4月に被告会社が行った大手求人サイト(リクナビ)への広告掲載に対し,原告が就職希望者としてエントリーした行為は労働契約の申込に当たり,これに対し被告会社からの同年6月に行われた採用内定通知は,法的には内々定ではなく上記申込に対する承諾に当たるものと認められ,したがって,これにより原告と被告会社との間には解約権留保付労働契約が成立したものというべきである(最高裁昭和54年7月20日第二小法廷判決・民集33巻5号582頁,同昭和55年5月30日第二小法廷判決・民集34巻3号464頁。以下「本件労働契約」という。)。
イ 本件各プレゼン研修の法的位置付け
前記基礎事実(1)に記載のとおり本件労働契約には入社日を「平成23年4月1日」とする旨の「始期」が付されているところ,上記入社日の法的意義については,周知のとおり最高裁の判例上,「就労の始期」と解するもの(前掲最高裁昭和54年7月20日第二小法廷判決)と,「効力発生の始期」と解するもの(前掲最高裁昭和55年5月30日第二小法廷判決)が存在している。この点,本件労働契約の入社日(始期)について当事者がいずれの立場を採用しているかは明らかではなく,事実関係に即して当事者の合理的な意思解釈により決すべき問題であると解されるところ,前記前提事実(1)及び同基礎事実(2)からも明らかなとおり原告は,本件新規内定者の一人であって,就労と賃金支払の対価関係が発生していない上,a大学b学部c学科の学生としての地位にあり,平成23年3月の卒業に向け,400字詰め原稿用紙50枚(合計2万字)もの卒業論文の作成に専念しなければならない立場にあったことなどの事情を考慮すると本件内定期間中の生活・法律関係の重点は,上記大学における学生生活に重点があったものとみるのが合理的かつ自然である。
そうだとすると原告は,本件内定期間中,本件労働契約に基づく諸々の義務を負っているものとはいい難く,したがって,本件労働契約における上記入社日は「効力発生の始期」を定めたものと解するのが相当であって(入社日の法的意義につき菅野和男「労働法(第十版)」162頁以下),本件各プレゼン研修は,被告会社の業務命令に基づき実施されるものではなく,本件新規内定者の任意の同意に基づく研修にとどまる。
(2) 本件内定辞退の有無と時期について
前記基礎事実(5)ウ及びエによると原告は,被告代理人から送られてきた,「4月1日から通知人(被告会社)の社員として勤務していただく前提で,準備しております」との記載がある本件3・15書面を一読したものの,既に被告会社に入社する意思を失っており,被告会社に対して連絡を入れようとしなかったこと,そこで被告代理人は,原告代理人に対し,「入社予定の4月1日が近づいております。・・・・採用手続としては,研修等未了のものがある状態となっております。通知人としては,Xさんが採用内定を辞退されるなら,今月中に所定の手続をおとり頂きたく」との記載のある本件3・29FAXを送付したところ,原告代理人は,被告代理人に対し,「当方としては,株式会社YのXへの対応は,採用内定・研修に至る過程において,法的責任を生ずるものと認識しており,Xとしては,4月1日からの入社は考えられない状況です。」と記載された本件3・31書面を送付し,原告は,この書面の記載のとおり,平成23年4月1日の入社日に被告会社に出社しなかったことが認められる。
以上認定の事実経過に加え,原告はその第9準備書面(10頁)において上記認定と同旨の主張をし,一方,被告会社においても反訴状(8頁)では上記認定と同旨の結論を主張するに至っていることなどをも併せ考慮すると,原告は,入社日の前日である同月31日までに,本件3・31書面をもって,被告会社に対し,黙示に本件内定辞退の申入れを行ったものと認めるのが相当である。
3 本訴請求に関する判断
(1) 争点1の(1)について
ア 視点
上記2(1)イで検討したとおり本件労働契約のように入社日を「効力発生の始期」を定めるものと解した場合,使用者が内定期間中に実施する研修等は,その業務命令に基づくものではなく,あくまで就労の準備行為の一つとして,内定者の任意の参加意思(同意)に基づき実施される性質のものであるから,当然のことながら参加内定者の予期に著しく反するような不利益を伴うものであってはならない。
そうだとすると本件各プレゼン研修においても,使用者である被告会社は,原告が行ったプレゼンテーションの実演内容が不出来で,一定のレベルに達しないものであったとしても,そのことを理由として本件内定を(明示又は黙示に)取消す旨の意思表示をしたり,当該内定辞退を強要する行為に及ぶことは許されず,被告会社は,本件各プレゼン研修に当たって,そのような各行為に及ばぬよう配慮すべき信義則上の義務を負っているものと解され,かかる注意義務に著しく違反する場合には,不法行為に基づく損害賠償責任を免れないものというべきである。
イ 争点1の(1)①―本件黙示の内定取消(不法行為)に基づく損害賠償請求の当否
(ア) 前記基礎事実(2)ないし(5)からも明らかなとおり被告会社が,原告に対し,明示の意思表示をもって本件内定を取り消した事実は認められない。問題は,実質的に本件黙示の内定取消があったものと評価し得る事実が認められるか否かである。
この点,原告は,前記第2の3(1)アで摘示したとおり,別紙1「原告の主張事実(要旨)」を前提に,本件第3回プレゼン研修においてB課長は原告に対し執拗かつ違法に本件内定辞退の説得を繰り返し,これにより原告は,その場で直ちに本件内定を辞退する旨の返答をするか,あるいは後日,本件内定を辞退する旨の返答をするかの二者択一を迫られる状況下に追いやられたものとして,原告が本件就職留年手続の申請書を提出するまでの間に行われた被告会社の一連の対応は,実質的に本件内定の黙示の取消に該当し,不法行為を構成する旨主張する。
確かに前記基礎事実(4)イによると平成23年2月17日に行われた本件第3回プレゼン研修において,B課長は,原告が行ったプレゼンテーションの実演を厳しく批判した上,事実上,本件内定辞退を促すかのような発言を行い,これにより原告は,このままでは,この場で内定辞退に追い込まれるのではないかとの危惧の念を抱いたことは否定し難い。
しかし,その一方で前記基礎事実(4)イ及び同(5)のほか,証拠(証人B・38頁)及び弁論の全趣旨によるとB課長は,人事担当の課長とはいえ,法的にはもとより事実上も本件内定を取り消したり,あるいは,これに類する行為を行う権限までは有していなかったことに加え,直ちに,原告からの「もう一度考えたい。」「両親に相談するので2,3日時間が欲しい。」との懇請を受け入れた上,意欲があるのであれば,改めてプレゼン研修を行い,被告会社の社長プレゼンを実施する予定である旨を告げ,週明けの同月21日までに考えた結果を連絡するよう指示していること,そしてB課長は,大学就職課から,本件第3回プレゼン研修の際に原告に対し「辞めろと言ったわけではないが,このままの状況であれば内定を辞退した方がいいかもしれない。よく考えて2月21日に電話をしてくるように」と指示したか否かを尋ねられ,これを「本人に頑張って貰うため会社として意見した」ものであるとして明確に否定するとともに,同年3月2日,3日にも,原告に対し,携帯電話をかけ連絡を促しているほか,同月4日には,携帯電話をかけてきた原告から再び「今後のことを両親と相談しているのでもう少し時間が欲しい」と懇請され,これも直ちに受け入れていることが認められるのであって,これらの事実を併せ考慮すると,本件第3回プレゼン研修において,原告に対し,その出処進退につき二者択一の判断を迫る状況が生じていたとまでは認められない。そうだとするとB課長が本件第3回プレゼン研修において原告に対し本件黙示の内定取消を行ったものとはいい難く,他に本件黙示の内定取消を基礎付ける事実関係を認めるに足る的確な証拠はない。
(イ) 以上によれば本件黙示の内定取消(不法行為)に基づく原告の損害賠償請求は,その余の点を検討するまでもなく理由がない。
ウ 争点1の(1)②―本件内定辞退の強要(不法行為)に基づく損害賠償請求の当否
(ア) この点,前記第2の3(1)アで摘示したとおり,原告は,別紙1「原告の主張事実(要旨)」を前提に,B課長が本件第3回プレゼン研修において行った本件内定辞退の説得は,本件内定辞退の強要行為に該当し不法行為を構成する旨主張する。
確かに,前記基礎事実(4)イによると本件第3回プレゼン研修において,B課長は,原告の研修に臨む姿勢や実演内容について,「やる気あるの。目を見て喋っていない。」などと批判し,「ダメ出しするレベルでもない。」などと切り捨てるような発言をした上,黙ったままの原告に対し,「辞めろと言っているわけではないが,プレゼンテーションが全くできていないので,今後を考える意味でもあなたは内定を辞退した方が,会社にとってもあなたにとっても幸せだ。」「あなたはきっと4月には辞める。」「今年の内定者には既に辞退した人もいる。」「辞めろと言っているわけではないが,このままやる気がないような態度なら,他の内定者に悪影響だ。」であるとか,「4月1日からはとりあえず一人で営業出てもらいますけど,あなたは仕事取ってこれないから」「1日で辞めるかも。」などといった暗に内定辞退を促しているかのような発言を繰り返しており,これに対し原告においても,以上のようなB課長の発言を受け,このままでは,この場で内定辞退に追い込まれるのではないかとの危惧の念にかられ,B課長に対し,「もう一度考えたい。」「両親に相談するので,2,3日時間が欲しい。」などと言い残し帰宅していることが認められる。
しかし,その一方で,上記イ(ア)における指摘に加え,前記前提事実(1),前記基礎事実(1),(4)イ及び(5)によると被告会社は,800名もの就職希望者の中から,二度の面接と代表取締役自身による個別面接を経て,慎重に内定者を絞り込み,合計450万円もの多額の費用を投じて,原告を含む8名の本件新規内定者を選抜したものであって,その中から更に内定辞退者が生じないよう他社への就職活動を禁じるまでの措置をとっていることに加え,本件各プレゼン研修は,あくまで,本件新規内定者に対し,入社後の業務である営業活動の土台となる心構え等を習得させることを目的として実施されたものであることが認められ,これらの事情を踏まえると被告会社が,本件各プレゼン研修の実施に当たって,研修課題として取り上げたプレゼンテーション(実演)の出来いかんにより,内定者の更なる選別を行おうとする意図や動機があったものということはできない。
また,本件各プレゼン研修を取り仕切る立場にあったB課長は,被告会社の社員採用業務について,10年以上もの経験を有する人事担当課長であって,参加内定者の研修内容等が不出来であるからといって,被告会社の意向でもないのに,軽々に,同人に対し,内定辞退を促したり,あるいはこれを強要するなどといった一線を越える言動に及ぶものとは考え難い。
加えて,本件第3回プレゼン研修におけるB課長の発言中には,参加の義務のない内定者に対する指導的発言としては些か行き過ぎの感がないではない発言が散見されるものの,その多くは,慎重にも一言「辞めろと言っているわけではないが」との断りを挟んだ上,上記のような発言に及んでいるばかりか,「もう一度考えたい。」「両親に相談するので2,3日時間が欲しい。」との原告からの懇請に対しても難色を示すことなく,これを直ちに受け入れ,数日の考慮期間を与えるとともに,原告に対し,やる気があるのであれば今後も指導を続け,新たにプレゼン研修を行い,代表取締役の面前でのプレゼン研修も設定する予定であることを告げた後,本件第3回プレゼン研修を終了させており,その間に要した時間は30分間程度であることのほか,本件第3回プレゼン研修後,大学就職課からの問い合わせに対しても,同研修における自らの発言は「本人に頑張って貰うため会社として意見した」ものであることを明言していることなどを併せ考慮すると,本件第3回プレゼン研修におけるB課長の上記一連の発言は,余りやる気の感じられない入社目前の原告に対し危機感を募らせ,予め入社後予定されている営業活動の厳しさにつき体感させることを目的として行われた指導的な発言にとどまるものと認めるのが相当である。
以上によれば,B課長の上記一連の発言は,社会通念に照らし客観的にみる限り,本件内定を辞退するか否かに関する原告の自由な意思形成を著しく阻害するような性質のものであったとはいい難く,本件内定辞退の強要に当たるものと評価することはできない。
(イ)a なお前記基礎事実(5)アによると原告は,本件第3回プレゼン研修の終了直前に,B課長に対し,「もう一度考えたい。」と被告会社への入社を再考するかのような発言をし,被告会社を後にしていること,そして,その数日後,母校の大学就職課に相談に赴き,担当者に対し,上記研修においてB課長から「辞めろと言ったわけではないが,このままの状況であれば内定を辞退した方がいいかもしれない。よく考えて2月21日に電話をしてくるように」と言われたと報告しているほか,本件就職留年申請書の申請事由として「内定辞退の強要」を挙げていることが認められる。しかし,これらの原告の発言及び報告等は,あくまで本件第3回プレゼン研修におけるB課長の発言に対する原告自身の個人的な認識を述べるものに過ぎず,しかも,その客観性を担保する証拠は見当たらない。してみると,いずれの事実も,B課長の上記一連の発言が本件内定辞退の強要に当たることを基礎付けるに足る発言であるとはいい難い。
b また前記基礎事実(5)ウ及びエによると被告代理人は,本件3・29FAXや本件5・17書面において,本件内容は研修の終了が必要な停止条件付きの内定契約であって,本件各プレゼン研修は採用手続の一環に過ぎないとの認識を示しており,これによると見方によっては,被告会社は,その採用手続(プレゼンテーション研修)の中で更なる内定者の選抜を行うことを予定していたのではないかとの疑問が生じないではない。
しかしながら,一方で,被告会社は,本件3・15書面において,「通知人(被告会社)は,X(原告)さんが,新規採用内定の8名の方々と共に,4月1日から通知人(被告会社)の社員として勤務していただく前提で,準備しておりますことを,まず,お伝えしたいと考えています。」と基本的な立場を明らかにした上,本件3・29FAXにおいても,再度,原告に対し,入社日が接近していることを告げ入社手続をとるよう促していることなどに照らすと,本件5・17書面等における上記「本件内容は,始期付きのものではなく,研修の終了が必要な停止条件付きの内定契約である」との記載を額面どおり受け取り,被告会社が本件各プレゼン研修を採用手続の一環と捉え,その中で更なる内定者の選抜を行おうとしていたことの有力な証左であるとみることはできない。
(ウ) 以上によれば本件内定辞退の強要(不法行為)に基づく原告の損害賠償請求は,その余の点を検討するまでもなく理由がない。
(2) 小括
以上の次第であるから原告の本訴請求は,いずれも理由がなく棄却を免れない。
4 反訴請求に対する判断
(1) 争点2の(1)①―本件内定辞退(債務不履行又は不法行為)に基づく損害賠償請求の当否
ア 視点
前記2(1)によると本件内定は,(期間の定めのない)解約権留保付労働契約に該当するところ,前記第2の3(1)アで摘示したとおり,被告会社は,別紙2「被告会社の主張事実(要旨)」を前提に,本件内定辞退は,その経緯等からみて著しく信義に反する行為であって,債務不履行又は不法行為を構成する旨主張する。
そこで検討するに前記前提事実(2)によると本件内定(本件労働契約)は,平成23年3月にa大学b学部c学科を卒業することを停止条件として成立している(なお入社日を「効力発生の始期」と解する立場を前提とする。)。そして,このような本件内定の特殊性にかんがみると,入社日までに上記条件成就を不可能ないしは著しく困難にするように事情が発生した場合,原告は,信義則上少なくとも,被告会社に対し,その旨を速やかに報告し,然るべき措置を講ずべき義務を負っているものと解されるが,ただ,その一方で,労働者たる原告には原則として「いつでも」本件労働契約を解約し得る地位が保障されているのであるから(民法627条1項),本件内定辞退の申入れが債務不履行又は不法行為を構成するには上記信義則違反の程度が一定のレベルに達していることが必要であって,そうだとすると本件内定辞退の申入れが,著しく上記信義則上の義務に違反する態様で行われた場合に限り,原告は,債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償責任を負うものと解するのが相当である。
イ そこで以上の観点から,前記基礎事実(4)イ及び(5)に基づき検討を加える。
(ア) すなわち原告は,平成23年3月7日,a大学に対し,本件就職留年手続を申請し,これを受理された。そうすると,これにより,同申請の撤回が許されない限り,事実上,当大学への留年が決定し,上記停止条件の不成就が確定したものということができる。そうだとすると原告は,遅くとも同月8日(午前9時から同9時30分までの間)にかけることになっていたB課長に対する電話連絡において,同課長に対し,その旨を報告すべき信義則上の義務を負っていた。ところが原告は,上記約束の期限(同月8日午前9時から同9時30分までの間)までに,そのことをB課長に対し連絡しなかったばかりか,本件3・15書面により被告会社から「4月1日から通知人の社員として勤務していただく前提で,準備している」との連絡を受けていたにもかかわらず沈黙を続け,最後通告とも解し得る被告会社からの本件3・29FAXが送付されて,漸く被告会社に対し本件3・31書面を送付し,黙示にとはいえ本件内定辞退の申入れを行った。以上の事実経過に照らすと本件内定辞退の申入れは,上記信義則上の義務に違反することはもとより,その程度もかなり大きいものといえなくもない。
しかし,その一方で,既に指摘したとおり本件第3回プレゼン研修におけるB課長の一連の発言は,本件内定辞退の強要そのものには当たらないものの,それにかなり近い辛辣さを有するものであった。そのため未だ社会経験に乏しい原告は,これを真に受け,一種の過剰反応を起こして,被告会社への入社意欲が薄れ,原告代理人弁護士に相談の上,本件就職留年手続の申請に至ったものとみることができる。そうだとすると原告に本件就職留年手続の選択を余儀なくさせた理由の一つとして,本件第3回プレゼン研修におけるB課長の一連の発言が関係していることは否定し難く,原告が被告会社に対し本件就職留年手続の申請報告を行わず,本件内定辞退の申入れが入社日の直前までずれ込んだことをことさら重く見るのは,社会経験の乏しい原告にとって些か酷に過ぎよう。
また,原告代理人は,原告が本件就職留年手続を申請するや,その日のうちに本件3・7通知書を作成送付した上,「事案の概要及び法的問題点を検討しているところである」ことを告げるとともに,「今後は当職(原告代理人)らが,通知人(被告会社)の窓口をつとめますので,同人及び関係者への連絡はお差し控えいただきますようお願いします。」と連絡先を限定し,暗に今後の成り行き次第では提訴も辞さない構えを示していたのであるから,被告会社は,本件3・7通知書が送付された時点(平成23年3月8日の午後)で,既に本件内定辞退という事態が起き得ることをそれなりに予期していたものということができる。そうだとすると上記時点において,本件内定辞退の発生は,被告会社にとって既に想定内の事柄であったものとみるのが自然であり,原告が本件就職留年手続の申請報告を行わなかったことなどをことさら強調し,被告会社の期待を大きく裏切るものであるとするのは適当ではない。
(イ)a もっとも,被告会社は,別紙2「被告会社の主張事実(要旨)」に記載のとおり,本件第3回プレゼン研修におけるB課長の言動は原告に対する叱咤激励の範囲内にとどまり穏当なものであったとして,当裁判所の上記認定ともかなり大きく異なる事実関係を主張し,B課長も概ねこれに沿う証言をしている。
しかし前記基礎事実(5)ア及びイで認定したとおり原告は,本件第3回プレゼン研修終了後,直ちにその状況を両親を伝え,翌週の平成23年2月21日には大学就職課を相談に訪れ,本件内定辞退の強要を受けたと申し出るとともに,同年3月2日には原告代理人の事務所を訪れ,本件黙示の内定取消等をめぐる法律問題等について相談し,被告会社との交渉方を依頼した上,同月7日には本件就職留年手続の申請を行っていることが認められるところ,仮に本件第3回プレゼン研修におけるB課長の発言が,被告会社の主張するような叱咤激励の範囲にとどまる穏当なものであったとすると,原告が本件内定辞退の強要を受けたとして上記のような行動を起こすものとは考え難い。
確かに本件第1回及び第2回プレゼン研修の内容も芳しいものではなく,B課長からもかなり厳しい指摘を受けていた経緯が認められる。しかし前記前提事実(1),同基礎事実(2)ア,同(3)ア及び同(4)アによると原告は,100倍近い競争率を勝ち抜き,被告会社の内定を取りつけ,本件新規内定者の一人として,それなりの準備を行い本件各プレゼン研修に臨んでいたものである。そうだとすると単に被告会社が主張するように研修の結果が不出来で叱咤激励に属する発言を受けた程度のことで,上記のような行動を起こし,本件就職留年手続の申請まで行ったというのは,やはり説明としては些か合理性ないしは整合性に欠けるものといわざるを得ない。
もとより上記3ウ(ア)で検討したとおり,本件第3回プレゼン研修における原告の一連の発言内容は,原告が主張するような本件内定辞退の強要には当たらないものと考えられるが,ただ,その一方で,B課長の発言内容が被告会社の主張するような叱咤激励に属する穏当なものであったとは到底いい難く,したがって,被告会社の上記主張とこれに沿う内容のB課長の証言の一部は採用の限りではない。
b なお被告会社は,本件就職留年手続の申請に先立って原告がB課長に対し本件黙示の内定取消等の意向確認をしなったことについても,併せて問題としているが,かかる被告会社の主張は,結局,原告が自社に一言の断りもなく本件就職留年手続を申請したことに対する一種の不快感を示すものであるようにみえるところ,いずれにしても原告は,上記のとおり本件労働契約をいつでも解約することができる地位にあり,そうである以上,上記意向確認を行わなかった程度のことを上記信義則違反を基礎付ける事情の一つとして重視することは適当ではない。
ウ 以上によれば,本件内定辞退の申入れは,信義則上の義務に著しく違反する態様で行われたものであるとまではいい難く,したがって,原告は,この点に関し,債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償責任を負うものではない。
よって,本件内定辞退(債務不履行又は不法行為)に基づく被告会社の損害賠償請求は,その余の点を検討するまでもなく理由がない。
(2) 争点2の(1)②―本件訴えの提起(本訴提起=不法行為)に基づく損害賠償請求の可否
ア 訴えの提起が民法不法行為法上「違法」な行為すなわち不当訴訟となるのは,提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的,法律的根拠を欠くものである上,同人がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのに敢えて訴えを提起したなど,裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限られるものと解されるが,ただ,原告の裁判を受ける権利が憲法上保障され(憲法32条),尊重されるべきものであることにかんがみると,いわゆる不当訴訟の成立範囲は,かなり狭いものと考えられる(最高裁昭和63年1月26日第三小法廷判決・民集42巻1号1頁)。
イ そこで以上の観点(判例法理)を前提に,本件訴えの提起(以下「本件訴訟」という。)が上記不当訴訟に当たるか否かについて検討する。
(ア) 本件訴訟において原告が主張する権利関係は,本件黙示の内定取消等(不法行為)を理由とする損害賠償請求権であるが,その根拠とされる事実関係は,当裁判所が前記基礎事実(2)ないし(4)において認定した事実と大きな違いはなく,その意味で,本件訴訟は,事実的根拠に欠ける訴えの提起に当たるとまではいい難い。
(イ) 問題は本件訴訟は,法律的な根拠に欠ける訴えか否かである。
この点,原告は,上記の事実関係を前提に,本件第3回プレゼン研修におけるB課長の発言は,法的に見て黙示の内定取消ないしは内定辞退の強要に該当し不法行為を構成する旨主張しているが,前記3の(1)において検討したとおり,上記B課長の発言をもって,本件黙示の内定取消等があったものと評価することはできない。そうすると本訴提起は,一見,法律的な根拠に欠ける訴えのように見えるが,前記3(1)で指摘したとおり,本件第3回プレゼン研修において,B課長は,原告が行ったプレゼンテーションの実演を厳しく批判した上,事実上,本件内定辞退を促しているかのようにも聞こえる発言を行ったのも事実であり,してみると,かかる発言だけを取り出し,これを重視するならば,上記のような原告の法的主張も全く成り立ち得ないわけではない。加えて,前記基礎事実(5)によれば,原告は,本件紛争の発生後それほど時間をおかずに原告代理人の法律事務所を訪れ,本件第3回プレゼン研修の状況を説明するとともに,本件黙示の内定取消等があったものと考えられるか否かについて相談を持ちかけ,原告代理人においても,約4か月余りをかけ,これを慎重に検討した上,平成23年7月29日,本件訴訟を提起するに至っており,かかる訴え提起に至る経過等も併せ考慮すると本件訴訟は,原告が法的根拠に欠けることを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのに敢えて提起した訴えであるとはいい難く,総じて裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くものであるとは解されない。
(ウ) そうだとすると本訴提起は,不当訴訟(不法行為)ではなく,民法不法行為法上も「違法」な行為に当たらないものというべきである。
ウ 以上によれば,本訴提起(=不法行為)に基づく被告会社の損害賠償請求は,その余の点を検討するまでもなく理由がない。
(3) 小括
以上の次第であるから被告会社の反訴請求は,いずれも理由がなく棄却を免れない。
第4 結語
以上の次第であるから原告の請求及び被告会社の反訴請求は,いずれも理由がないからこれを棄却することとし,よって,主文のとおり判決する。
(裁判官 伊良原恵吾)
〈以下省略〉
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