判例リスト「営業代行会社 完全成功報酬|完全成果報酬」(424)平成 8年 2月23日 大阪地裁 平3(わ)4166号 法人税法違反被告事件
判例リスト「営業代行会社 完全成功報酬|完全成果報酬」(424)平成 8年 2月23日 大阪地裁 平3(わ)4166号 法人税法違反被告事件
裁判年月日 平成 8年 2月23日 裁判所名 大阪地裁 裁判区分 判決
事件番号 平3(わ)4166号
事件名 法人税法違反被告事件
裁判結果 有罪 文献番号 1996WLJPCA02236003
要旨
〔判示事項〕
◆(1) 共謀の事実はなく、被告人は実行行為にも加担しておらず、分離前の相被告人が単独でなしたものであるとの被告人主張を排斥した事例
◆(2) 所得の帰属主体については、〈1〉収益活動の行為者、収益金の入金額の管理や使途の処分行為者、〈2〉各種経費の支払行為者、支払名義、その経費の内容、支払資金の調達行為者等の要素を総合的に判断し、実質的に所得の帰属を決定すべきと解される。
◆(3) 分離前の相被告人の捜査段階における「共謀」に関する「自白」は信用性がないとの被告人主張を排斥した事例
◆(4) 分離前の相被告人から渡された金員には、脱税報酬の趣旨は含まれておらず、正当な報酬であるとの被告人主張に対し、少なくともその一部については脱税報酬であると認めることができるとして、当該主張を排斥した事例
出典
税資 217号406頁
裁判年月日 平成 8年 2月23日 裁判所名 大阪地裁 裁判区分 判決
事件番号 平3(わ)4166号
事件名 法人税法違反被告事件
裁判結果 有罪 文献番号 1996WLJPCA02236003
本籍 大分県別府市新港町一〇番地
住居 同市石垣東八丁目三番一四号 グリーンシティー石垣四〇五号室
松﨑茂
昭和二六年一一月二〇日生
右の者に対する法人税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官藤田信宏出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役一年に処する。
この裁判の確定した日から三年間その刑の執行を猶予する。
訴訟費用のうち、証人峠平治、同出雲正に支給した分の各三分の一及びその余の訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、不動産売買及び仲介業等を営む資本金一〇〇〇万円の有限会社販売企画センター(本店所在地大阪府堺市中之町東四丁三番五号、以下「販売企画センター」という。)の総務部長を自称してその業務に携わるとともに、株式会社日生(以下「日生」という。)の代表取締役をしていたものであるが、販売企画センターの代表取締役としてその業務全般を統括していた山本克己と共謀のうえ、販売企画センターの業務に関し、法人税を免れようと企て、平成元年四月一四日から平成二年二月二八日までの事業年度における販売企画センターの実際の所得金額が三億〇〇一〇万六六三〇円、課税土地譲渡利益金額が三億一三五七万九〇〇〇円で、これに対する法人税額が二億一三三〇万九四〇〇円であるにもかかわらず、株式会社出雲建設から兵庫県津名郡北淡町生田大坪字中ノ瀬ノ上五九五-一ほかの宅地の販売委託を受け手数料収入を得たことに関し、右委託は日生が受けたごとく装い、販売企画センターは日生から企画手数料を収受したにすぎないとする虚偽の領収書及び日生名義の経理帳簿等を作成し、あるいは顧客から販売企画センターの銀行預金口座に振込送金された代金を日生名義の口座に移すなどし、右宅地の販売受託から生じた所得に対する法人税について無資産状態の日生名義で法人税確定申告書を洲本税務署長に提出するなどの行為により、その所得を秘匿したうえ、販売企画センターの前記法人税の納期限である平成二年五月一日までに大阪府堺市南瓦町二番二〇号所在の所轄堺税務署長に対し、法人税確定申告書を提出しないで右期限を徒過させ、もって、不正の行為により、法人税二億一三三〇万九四〇〇円を免れたものである(別紙修正損益計算書及び別紙税額計算書参照)。
(証拠の標目)
(注)括弧内の算用数字は記録中の証拠等関係カード(検察官請求分)記載の当該番号の証拠を示す。
一 証人瀧上武宣、同山本富美子の当公判廷における各供述
一 第二、第三回公判調書中の証人峠平治の供述部分
一 第四回公判調書中の証人出雲正の供述部分
一 証人山田實、同嶋敬介の当公判廷における各供述
一 販売企画センター及び山本克己に対する各法人税法違反被告事件における証人山田實の証人尋問調書(第六回公判)
一 山本克己[一三通。63〔但し、第七項を除く。〕、64、66ないし68、69〔第二項の一行目中、七文字目ないし一三文字目(句読点を含む)、同項の六行目中、一一文字目ないし一六文字目、第三項の一行目中、六文字目ないし一二文字目(句読点を含む)〕、70ないし76]、峠平治、出雲正、山本富美子(三通)、山田實(三通)、松村こと竹下貴代美、瀧上武宣(但し、五丁裏から最後までを除く。)、梶田勇机、辛基秀、野島英昭、浅野邦直、天野節子の検察官に対する各供述調書
一 大蔵事務官作成の捜査報告書二通(1、138)
一 大蔵事務官作成の証明書(3)
一 大蔵事務官作成の査察官調査書四六通〔4ないし36、37(但し、三丁目表2(1)「代表者山本克己は」から下を除く。)、38ないし47、106、107〕
一 被告人の検察官に対する供述調書一六通(77、78、80ないし93)
一 被告人の当公判廷における供述
一 法人の登記簿謄本二通(2、94)
一 押収してある株式会社日生の領収書綴一綴(平成六年押第一九一号の1)及び株式会社日生の帳簿一冊(同押号の2)
(弁護人らの主張に対する判断)
一 被告人は、第一回公判期日において、〈1〉山本克己との共謀を否認したうえ、〈2〉兵庫県津名郡北淡町生田大坪字中ノ瀬ノ上五九五-一ほかの宅地(以下「本件宅地」という。)の販売委託による所得金額、課税土地譲渡金額、法人税額についてはいくらか分からない旨述べるとともに、〈3〉出雲建設から日生が委託を受けたように装い、販売企画センターは手数料を収受したにすぎないとする領収書、帳簿等を作成したことについては関与しておらず、顧客から送金された代金の一部を日生名義の預金口座に移したことはあるが、それは脱税目的ではなく、日生名義の確定申告書を洲本税務署長に提出したこともなく、納期限を徒過して、販売企画センターの法人税確定申告書を提出しないで法人税を免れたという事実はわからない旨述べ、弁護人は、共謀の事実はなく、被告人は実行行為にも加担しておらず、山本克己が単独でなしたものであり、被告人は無罪である旨主張し、最終弁論においてその詳細な理由を述べ、共謀の事実等を争っているので検討する。
二 本件宅地の販売委託の経緯
本件では、日生ではなく、販売企画センターが出雲建設と本件宅地の販売委託をなしたことが、前記各争点との関係で問題となるので、まずその経緯をみると、第二、第三回公判調書中の証人峠平治の供述部分、第四回公判調書中の証人出雲正の供述部分、峠平治及び出雲正の検察官に対する各供述調書によれば、次の事実が認められる。
(1) 出雲建設の出雲正は昭和六三年一〇月ころ、同社の得意先であった阪和興業の松本から株式会社大成企画の代表取締役であった山本克己を初めて紹介された。
(2) 山本克己は出雲正に対し、当時本件宅地の所有者であった信用組合大阪弘容が本件宅地を売出しているので、出雲建設がその土地を購入し、その分譲販売を大成企画でやらせて欲しいと頼んだ。
(3) 山本克己は梶田勇机と一緒に出雲建設を訪ね、分譲販売をやらせて欲しい旨頼んだが、出雲正は梶田についてはヤクザな感じを受けたので、梶田を交渉相手からはずして以後、山本克己のみと接触したが、出雲正は山本克己を信用していなかった。
(4) 出雲正は現地を見たりして、本件宅地を出雲建設で購入しようという気持になったが、信用の置けない山本克己や山本克己が代表者である大成企画に本件宅地の取得後の販売を委託する気にはならなかった。
(5) 出雲建設は平成元年二月一〇日ころ、前記大阪弘容から二億三五〇〇万円で本件宅地を購入したが、その際、出雲正は山本克己に対し、大成企画に販売委託できない旨述べて断った。
(6) 出雲正は同年三月七日ころ、山本克己に本件宅地の紹介手数料として梶田分を合わせ四五〇万円を支払い、それで手を引くように言って、販売委託の話を断った。
(7) 山本克己は、同年四月ころから出雲正に対し本件宅地の分譲販売をやらせて欲しい旨執拗に頼んできた。
(8) 出雲正は本件宅地の地形が保養所や研修所としては売れにくく、小さく区画して住宅として分譲販売するしかないことが分かったが、出雲建設が大々的に公募して分譲販売した経験もなかったことや、本件宅地を紹介してきた山本克己を外して出雲建設だけが分譲販売で儲けたことになれば山本克己が何を言い出すかわからないこと等から結局山本克己に本件宅地の分譲販売をさせることにした。
(9) 山本克己は同月ころ、販売企画センターを設立しており、出雲正は出雲建設の業務課長である峠平治に販売企画センターを調べさせ、宅地建物取引業の免許を持っていることを確認したうえ、同年五月上旬ころまでには販売企画センターに分譲販売を委託させる旨約束した。
(10) ところが、山本克己は同月上旬ころ、出雲建設に突然本件宅地の分譲販売を新聞広告に出すのに新聞社に必要だなどと言って、日生に本件宅地を譲渡する内容の売渡承諾書や覚書を持って来た。
(11) 出雲正は日生という会社の名前がこの時初めて出てきたうえ、本件宅地を日生に販売するというこれまでに全然話のない内容の文書だったことから、日生という会社について問い詰めた。
(12) 山本克己は日生が本件宅地を販売していくのに税務対策上、便宜的に設立した会社である旨説明したので、出雲正らは資金や実体のない日生が販売企画センターのためのペーパー会社だと理解した。
(13) 出雲正は実体もないような日生に本件宅地を譲渡する考えはなく、いきなり前記のような承諾書等を持ってきた山本克己に腹が立ち、山本克己に文句を言って、右書類を返した。
(14) 出雲建設では同月一一日ころ、顧問弁護士に前記売渡承諾書や覚書の問題点を相談し、出雲建設が不利な立場に立たず、販売委託をする相手が日生ではなく、販売企画センターであることを明確にする旨の販売代理に関する契約書の作成を依頼した。
(15) 出雲建設は顧問弁護士の助言を得て、同年八月八日ころ、出雲建設名義の販売委託契約書を作成し、販売企画センターの代表者を山本克己の名前で特定し、さらに、販売企画センターの宅建業者の免許番号まで特定して明確にした。
(16) 出雲建設は同月一二日ころ、販売企画センターに本件宅地の販売を委託する際の契約文書である覚書を作成して山本克己に交付した。
(17) 出雲建設は同月一五日までに販売企画センターから前記覚書に従った本件宅地の販売代金約七億七七〇〇万円と一部管理費等の精算を受け、販売企画センター宛の各領収書を発行した。
(18) 本件宅地の売買契約書及び重要事項説明書並びに本件宅地の購入者から徴収した金の預かり金処理に関する念書等には、販売代理店として販売企画センターが記載されているだけであり、日生は全く記載されていなかった。
以上の事実のとおり、出雲建設は山本克己から本件宅地の販売委託を販売企画センターになしたものであり、平成元年八月段階で形式上も実質上も販売企画センターが本件宅地の販売委託を行うことになり、日生が出てくる余地がなくなったことが認められる。
三 所得の帰属主体
次に、本件では、後記のとおり、本件宅地の販売代理に関する所得の申告や本件宅地の手付金などの移し替えとの関係で所得の帰属主体を明確にしておく必要があるところ、所得の帰属主体については、1収益活動の行為者、収益金の入金額の管理や使途の処分行為者、2各種経費の支払行為者、支払名義、その経費の内容、支払資金の調達行為者等の要素を総合的に判断し、実質的に所得の帰属を決定すべきと解される。
(1) そこで本件販売代理の契約及び手付金等の資金の流れをみると、大蔵事務官作成の査察官調査書二通(4、5)によれば、本件宅地の購入者は販売企画センターを販売代理人とする売買契約書を締結し、その手付金等を阪神銀行東浦支店の販売企画センター名義の普通預金口座に入金していたことが認められ、また、大蔵事務官作成の査察官調査書二通(106、107)によれば、本件宅地の販売代理によって獲得された受託手数料は販売企画センター名義の定期預金として留保されていたことが認められる。
(2) 次に販売企画センターの資金調達、経費の支払、調達資金の返済についてみると、〈1〉辛基秀の検察官に対する供述調書によれば、山本克己は平成元年四月から同年九月ころまで辛基秀から合計三〇〇〇万円を借り、同年一〇月と一一月で合計四五〇〇万円を返してもらったが、山本克己は右辛に対し、サンケイ広告への発注資料を見せて、本件宅地を販売するのに必要な広告代ということで説明して借りたこと、〈2〉野島英昭の検察官に対する供述調書によれば、山本克己は平成元年七月一日ころ、前記梶田勇机と一緒に大和住宅建設株式会社代表取締役野島英昭から、本件宅地を分譲販売するのに事務所をオープンし、従業員を雇い入れたりするのにお金がいるということで五〇〇万円を借り(なお、借用証の借主名義は日生の代表取締役被告人となっているが、右野島は日生も被告人も知らないものの保証人に山本克己と梶田がなっており、利息も一〇〇万円位つけるということで借主が日生ということについてはあまり詮索しなかった。)、同年九月二九日ころに二〇〇万円、同年一一月二二日ころに梶田を通じて四〇〇万円を返済したこと、〈3〉梶田勇机の検察官に対する供述調書によれば、山本克己は梶田勇机に出雲建設を紹介してもらったり、一緒に前記大阪弘容等に行って交渉した礼金として五〇〇〇万円位をやる旨約し、昭和六三年六月と同年八月に合計七〇万円を、平成元年九月から同年一一月にかけて合計五四五〇万円の支払をなしたこと、〈4〉浅野邦直の検察官に対する供述調書によれば、山本克己は浅野邦直から昭和六三年四月ころに四〇〇万円を借りたが、平成元年一一月に利息分も含めて六〇〇万円の支払を受けたこと、〈5〉天野節子の検察官に対する供述調書によれば、山本克己は天野節子らから借りていた八〇〇万円位のお金を同月ころに利息分をのせて一〇〇〇万円を支払ったこと、〈6〉瀧上武宣の当公判廷における供述、大蔵事務官作成の査察官調査書(13)によれば、平成元年一〇月から同年一一月までに、営業外務員の報酬として瀧上武宣と目黒光一は合計一〇四二万円を、鈴木一は合計一〇三七万円をそれぞれ受け取ったこと、〈7〉山本富美子の検察官に対する供述調書(55)によれば、平成二年二月に販売企画センターが本件宅地の分譲で得た利益の中から車二台を購入したが、これは分譲販売の現場に営業マンを乗せて往復する際や会社のお金の入金にあたって銀行に行き来する際の足がわりとして購入したことが認められる。
右各事実に、山本富美子の検察官に対する供述調書(55)、大蔵事務官作成の査察官調査書〔6ないし36、37(但し、三丁目表2(1)「代表者山本克己は」から下を除く。)、38ないし44〕を総合すると、山本克己が販売企画センターの広告宣伝費等の各種経費の支払資金を調達し、それを概ね販売企画センター名義で支払い、本件宅地の販売代理によって得られた資金で当該調達資金の返済を行っていたことが認められる。
以上の事実に前記二で認められる事実を合わせ考えると、販売企画センターが実質上も形式上も販売代理行為者であって、日生が販売代理者ではあり得ず、また、その販売代理による手数料収入も販売企画センターに入金され、販売企画センターの代表取締役である山本克己が、その管理、処分を決定し、さらに山本克己が販売代理に要した資金を借入等によって調達し、それを販売企画センターの経費として支出し、販売代理による手数料収入によって当該借入資金の返済に充てたり、預金として留保している事実が認められるから、実質的に所得を決定すべき要素である前記三の1、2の要素から判断しても、本件宅地の販売代理による所得は販売企画センターのみに帰属し、日生に帰属しないと認める。
山本克己も捜査段階においては本件宅地の分譲販売においては広告企画から営業実務、アフターケアに至るまで、一切を販売企画センターが手掛けたものであり、分譲販売により得た出雲建設からの手数料等による利益はすべて販売企画センターに帰属するもので、日生に帰属するものではない旨述べていたものである[山本克己の検察官に対する供述調書(64、67)]。
これに対し、証人山本克己は当公判廷において、販売企画センターと日生が同一企業グループを構成し、あるいは、日生が販売企画センターの下請となっているから、本件宅地の販売代理による所得は両社に分属する旨述べるが、山本克己は所得の分属という重要な事項について捜査段階において説明しておらず、また、当公判廷において何故、利益が双方に帰属することになるのかについて十分な説明がなされず、曖昧な供述をなしており、捜査段階における具体的かつ詳細な供述に比べて信用できない。
四 脱税の犯意と不正行為
(1) 前記三の認定事実のとおり、本件宅地の販売代理に関する所得が販売企画センターに帰属することが認められるところ、大蔵事務官作成の証明書(3)によれば、日生の代表取締役の被告人が平成二年五月二日本件宅地の販売代理による所得を日生が申告する旨の法人税確定申告書を洲本税務署に提出したことが認められる。
(2) 山田實の当公判廷における供述、同人の検察官に対する供述調書(51)、被告人の検察官に対する供述調書(77)によれば、前記日生の法人税確定申告書は山本克己が被告人に指示して作成させ、かつ、提出させたことが認められる。
(3) ところで、日生の帳簿が作成された経緯及びこれが被告人に送付された経緯等をみると、販売企画センターの事務員である山本富美子の検察官に対する供述調書(53)、大蔵事務官作成の査察官調査書(6)によれば、次の事実が認められる。
〈1〉 被告人と山本克己が平成元年春ころ、販売企画センターの堺事務所で大分にある潰れて名前だけ残っている会社を淡路に引っ張って来て、税金をその会社に被せればよいというような話をしていた。
〈2〉 その後、山本富美子は山本克己から被告人が大分の会社を淡路に引っ張って来て移し、日生という名前にしたことを聞いたので、山本富美子が山本克己にその名前の由来を聞くと、日本生命と関係のある会社に見えることを挙げた。
〈3〉 被告人が十二指腸を患って、平成元年一二月初めに大分に帰ったが、平成二年三月ころ、税金の申告書を提出することが話題になり出し、山本克己は山本富美子に淡路の事務所で保管していた領収証や出金伝票を整理して日生の帳簿を作るように指示した。
〈4〉 山本富美子は淡路の事務所から送ってもらった領収証の束や出金伝票を月ごとに整理したうえで、スクラップブックに貼り付けて整理し、その整理した領収証の綴りをもとにして科目を振り分け金銭出納帳を作成した。
〈5〉 山本富美子は後記五六〇〇万円の日生宛の企画料の領収書以外については、淡路の事務所から送ってもらった領収証や出金伝票をもとにして正確に記載した。
〈6〉 山本克己は、山本富美子に対して販売企画センターが日生から五六〇〇万円を受け取ったことにして税金を申告することにするので、適当に割り振って合計五六〇〇万円になるように領収証を作成するように指示し、企画料という名目にするように指示した。
〈7〉 そこで、山本富美子は販売企画センターから日生宛の架空領収証五枚を作成し、日生の帳簿に載せるとともにこれに対応して販売企画センターの経費明細帳には収入として記載した。
〈8〉 また、山本克己は山本富美子に対し、大口の支払を抜き出し、その分について販売企画センターが日生から金を受け取り、日生に代理して支払をしたような書類を作るように指示した。
〈9〉 そこで、山本富美子はサンケイ広告社への支払、出雲建設への土地代金の支払、木村司法書士に対する登記費用の支払といった大口の支払について、販売企画センターが代理して受領した旨の記載をした代理受領証をを作成した。
〈10〉 被告人は、山本富美子が日生の帳簿を作成している時に、何回か堺の事務所に連絡してきて、日生の帳簿がまだ出来上がっていないか催促し、帳簿が出来たら領収書の綴りとともに被告人の自宅に送るように指示した。
〈11〉 同年四月に入って帳簿等の作成が終わったので、山本富美子はそのことを被告人に連絡し、「売上も経費も領収書や伝票のとおりちゃんと書きました。帳簿と領収書の綴りを送りますのであとはよろしくお願いします。」と言ったところ、被告人は「それはこっちできちんとしますから。親父にやらせます。」と答えた。
〈12〉 山本富美子は被告人の右言葉から山本富美子の送付する日生の帳簿をもとにして適当に売上をへらしたり、経費を水増する等して所得を低くして税金が安くなるようにしてくれるものと思った。
〈13〉 山本克己は、同年五月中旬ころ、被告人が送ってきた日生の申告書を見て驚き、「何のために被告人に四〇〇〇万円もやったかわからんやないか。」と文句を言っていた。
弁護人は山本富美子が捜査段階において「私が二人の話を聞いた時の印象だけに限って言えば、税金を安く誤魔化す方法については、松﨑さんの方が積極的に知恵を出しており、山本社長は松﨑さんの出した知恵にのっかかって任せているというような感じを受けました。」と述べて、被告人が山本克己をリードし、山本克己は被告人に脱税の方法を任せていたという山本克己の供述に合わせて被告人に責任を被せる内容の供述を行っている旨主張するが、山本富美子の右供述は被告人と山本克己の言葉のやり取りを聞いて山本富美子が感じた印象を述べるものであり、右言葉のやり取りとは、平成元年春ころからすでに山本克己と被告人との間で大分にある会社を引っ張ってきて税金の全部をその会社に被せるというようなことを言っていたというもので山本克己自身の脱税の故意や共謀を推認させる重要な事実であり、山本克己にとっても不利益な事実であり、必ずしも被告人だけに責任を被せる供述だけとも言えず、また、山本克己は捜査段階において平成元年三月ころ、被告人に対し、販売企画センターが坪当たり一万円で五六〇〇万円の企画料を日生からもらうことにして申告し、被告人の方で税金が安くなるようにして、現地会社のことは被告人に任せると言った旨供述しており、山本克己自身が右のようなことを言い出したことを認めたうえ、販売企画センターが企画料収入という形で申告し、被告人の方で現地会社において実際の所得より、低く申告してくれれば、税金が安くなり儲けを手元に残せると考えた旨認めており〔山本克己の検察官に対する供述調書(66)〕、弁護人が言うように必ずしも山本克己の供述に合わせて被告人に責任を被せる内容の供述を行っているとまで認めることはできない。従って、捜査段階における山本富美子の供述が山本克己と口裏を合わせて行われた疑いが強いとの弁護人の主張は採用できない。
山本富美子は当公判廷においてほぼ前記検察官調書(53)と同じ供述をなすが、大分の名前だけ残っている会社を引っ張ってきて税金を全部被せると言う話を聞いて山本富美子が節税のためだと思った旨供述したことから、弁護人は山本富美子の右供述が山本克己の当公判廷における供述に合わせた証言をするに至った旨述べているところ、山本富美子は右節税のためだと思ったとの供述のあと、税金をごまかす手段である旨心の中で思ったとも述べ、最後には脱税と節税の区別は明確でない旨述べており、山本富美子の言う節税の意味は必ずしも明らかではない。従って、弁護人が言うように山本克己の当公判廷における供述に合わせたとまで認めることはできない。
山本富美子の検察官に対する供述調書(54)及び当公判廷における供述によれば、同女は昭和六二年五月ころから山本克己の経営していた大成企画株式会社に入社し、山本克己が販売企画センターを設立した後は同社に勤務し、今回事件で迷惑を受けたのに販売企画センターにとどまっているうえ、平成元年一二月時点で三六五万円を山本克己に貸しており、その後も二〇〇万円貸していること等から山本富美子の供述の信用性が問題となるが、山本富美子は当公判廷において、販売企画センターにとどまっている理由としてお金の融資を挙げ、山本富美子が山本克己に対し、お金を貸していることについては不動産で儲けたら桁外れに儲かるのでそれを二、三回見ていてそれなりの利息を付けて返してくれると思った旨述べており、山本富美子の検察官に対する供述調書(54)によれば、前記平成元年一二月時点での三六五万円については利子を含めて五〇〇万円を返してもらっており、前記三(2)のような山本克己の借金とその弁済状況なども合わせ考えると、右山本富美子の供述は合理的な供述と言える。そして、山本富美子は捜査段階において前記のとおり具体的に供述しているうえ、当公判廷においても前記のように脱税か節税かという供述を除けば、ほぼ捜査段階における供述と同様な供述をなしており、山本富美子の捜査段階及び当公判廷における供述は信用できる。
(4) そこで、前記のように日生の代表取締役の被告が平成二年五月二日本件宅地の販売代理による所得を日生が申告する旨の法人税確定申告書を洲本税務署に提出した経緯についてみると、
山田實の検察官に対する供述調書(50ないし52)によれば、被告人は平成二年四月二〇日前後ころ、山田實に対し日生の金銭出納帳のような帳簿二冊と出金伝票や領収証が貼りつけられたスクラップブックなどを見せながら、日生の法人税確定申告書の作成を頼んだこと、山田實は右帳簿などを検討したところ、日生の所得が三億七〇〇〇万円余りとなり、短期譲渡等にかかる譲渡利益に対する課税を含めた法人税額は二億七〇〇〇万円余りになること、山田實はそれが販売企画センターの利益であり、販売企画センターの利益を日生の利益のように仮装して所得を隠して脱税をしようとしていると分かったこと、被告人に対し、所得が三億七〇〇〇万円で、税金が二億七〇〇〇万円かかり、山本克己が被告人に税金をかぶせるつもりである旨などを言ったこと、山田が被告人を説得した結果、被告人も山本克己が脱税をするために被告人を利用しているのがわかったようであること、被告人は山田にまかせる旨言ったこと、山田は申告書を出さないでおこうという気持ちもあったが、被告人が山本克己に頼まれており、出さなければ被告人の立場がないと思ってとりあえず、申告書だけは送るようにしたこと、山田は税務調査があれば、申し開きをしておく必要があると思い重要事項説明書を申告書に付けてその上に「日生業務協力?」「販売の実態?」と書いて申告書に添付したこと、山田は申告書を被告人に渡し、その申告書は被告人が郵送したことを供述している。
山田實の当公判廷における供述によれば、山田は被告人に対し脱税の虞れがあると諭したが、被告人は山本克己にはベテランの税理士がついており、それに基づいて申告書類を送ってきたことと山本克己が税金を払ってくれるはずであるということから山本克己を信じた方がいいのではないかと反論したものの結論としては山田の話を納得し、山田自身も申告しないと不申告加算税がかかるし、後で間違いがあれば修正申告で直せばいいという基本概念をもっていたので、申告しなければいけないと思ったこと、山田は正確な申告はしないが、税務署に調査してもらうために重要事項説明書を添付しその上に前記のような「日生業務協力?」「販売の実態?」と書いて申告の形式を全然完備しない申告書を出した旨供述する。
右供述自体あいまいであるうえ、仮に、山本克己が被告人に対し何も言わずに単に日生に税金を全部かぶせるということが、その時にわかったとすれば、日生で申告すること自体重大な行為であるから、山本克己に電話で問い合わせるなり、実際に税務署にその旨を告げるなどもっと直截な方法が考えられるのに、前記のような理由から日生で申告したというのは不合理な供述と言わざるを得ない。この点については、山田が捜査段階で説明するように山田は出さないでおこうという気持もあったが、被告人が山本克己に頼まれており、出さないと被告人の立場がないと思いとりあえず、申告書だけは送ることにしたが、身代わりの申告であり、税務署の調査があれば、申し開きをしておく必要があると思い重要事項説明書を付けておけば本件宅地の分譲販売を行ったのが、販売企画センターであり、日生でないことがわかると思い前記のように「日生業務協力?」「販売の実態?」と書いた旨供述しており、その供述のほうが前記のような行為をしたことについて合理的な説明であり、信用できる。
また、被告人も当公判廷において、日生の申告書については、申告書の用紙を使って調査依頼をなしたものであるとか、右申告書で告発したものである旨述べるが、前記山田の当公判廷における供述において述べたと同様の理由で信用できない。
(5) 大蔵事務官作成の査察官調査書(5、106)によれば、平成元年一〇月二日に阪神銀行東浦支店の販売企画センターの口座に顧客から振り込まれた本件宅地の手付金等合計二五一万円を同支店の日生の口座へ移し変えたことを始めとして同日から同年一一月二〇日までの間に阪神銀行東浦支店の販売企画センターの口座に顧客から振り込まれた本件宅地の手付金等を前後二四回にわたり同支店の日生の口座へ移し変え、同期間に振り込まれた全額を移し変えていることが認められる。
ところで、証人瀧上武宣の当公判廷における供述によれば、被告人が同年一〇月四、五日ころ阪神銀行東浦支店の販売企画センターの口座から八〇〇万円位のお金を下ろして日生の同支店の口座に振り込んだため、瀧上武宣は被告人に対しその理由を聞いたが、具体的な答えは返ってこず、被告人は右日生の口座から二〇〇万円位を下ろして、瀧上武宣に対し同人らの歩合給として二〇〇万円渡した旨供述する。大蔵事務官作成の査察官調査書(106)によれば、同年一〇月四日に販売企画センターの阪神銀行東浦支店の口座から約八〇〇万円が引き出され、これが同日日生の同支店の口座に入れられ、約四〇〇万円が右口座から引き出されていることが認められ、また大蔵事務官作成の査察官調査書(13)によれば、同日に正外務員瀧上武宣、目黒光一に各五〇万円、同月五日に正外務員鈴木一に五〇万円の支払いがなされており、前記瀧上武宣の供述に副う証拠があり、瀧上は被告人とは十数年の知り合いで、その後数回仕事をしたことがあり、本件宅地についても一緒に仕事をしたが、特に被告人との間で特別の利害関係は認められず、右供述は信用できる。
前記の振替行為について、被告人は当公判廷において、山本克己から頼まれたので、当時深く考えることなく、一般的な通常の業務の延長という形でなしたもので、脱税行為だとか、脱税のお先棒を担いでいるとは思ってなかった旨述べたうえ、被告人は後日、次の三つの理由から販売企画センターの阪神銀行東浦支店の口座から日生の同支店の口座に移すと推測した旨述べる。
〈1〉山本克己が淡路島の五色浜の販売をした後に崖崩れとか、補償の問題が出て来たことがあり、それがトラブルにならないようにすること
〈2〉山本克己が本件宅地をやるまでに色々な借財を抱えており、その債権者から販売企画センターの手付金等が差押えられるのを避けること
〈3〉当初は販売企画センターと日生が共同事業で行う約束であったため、日生が実務的なことを全部やっていたことしかし、前記二で認定したとおり、平成元年八月までの段階では販売企画センターで販売代理をやるのか、日生でやるのか問題であったが、同月の段階では実質上も形式上も販売企画センターでやることに決まったものであり、被告人自身もそのことは十分分かっているものと認められ、大蔵事務官作成の査察官調査書(106)によれば、平成元年九月二九日阪神銀行東浦支店に販売企画センターの口座を開設したものであり、右の三点は山本克己が被告人に言ったことではなく、いずれも被告人が後日に推測したというにすぎず、また、その内容自体合理的なものとは言えず、前記のとおり、平成元年八月以降、日生でやる余地がなくなったのに、右のような行為について被告人がその理由を確認しなかったというのも不自然といえる。
これに対し、被告人の検察官に対する供述調書(83、84、87、89)によれば、これは、脱税のために、売上金が日生の口座に入ったように仮装して本件宅地の売上が日生のものであるかのように装うために被告人がなしたものである旨述べている。
(6) また、大蔵事務官作成の査察官調査書(107)によれば、販売企画センターが販売代理によって得た収入金を仮名口座の預金等に留保していたことが認められる。
(7) 山本克己の検察官に対する各供述調書(但し、前記不同意部分を除く)によれば、本件脱税にかかる被告人の関与状況などについては、次のようにとおりである。
〈1〉 山本克己は、昭和六二年暮れないし昭和六三年一月ころ、知人の不動産会社経営者塚本弘から本件宅地の紹介を受け、本件宅地は以前株式会社誠が所有し、開発許可申請を行って行政側の同意も取り付けていたが、株式会社誠の倒産により、信用組合大阪弘容が所有権を取得したという話を聞き、山本克己は物件の調査などをしたところ、当時はいわゆる土地ブームであったうえ、淡路島は関西新空港の建設など京阪神からの交通の便がよくなることが見込まれ、リゾート用地として注目されているうえ、本件宅地が開発面積が一万坪以上販売有効面積が約五六〇〇坪というまとまった土地であることなどがわかり、間違いなく売れ、絶対に大儲けの出来る物件だと判断した。
〈2〉 そこで、山本克己は、本件宅地の分譲販売を手掛けたいと考え、かねて歩合外務員として雇用したことがあり、信用していた被告人に対し、手伝って欲しい旨依頼したところ、被告人は現地を調査しておおいに乗り気になり、是非一緒にやらせて欲しい旨の返答を受けた。
〈3〉 山本克己自身は、資金力がなかったので、本件宅地を購入できる資金力があり、かつ、山本克己に分譲販売を委託することを承諾してくれるスポンサーを探し出して、このスポンサーからもらう販売委託手数料により儲けようと考え、自ら及び知人の梶田勇机、辛基秀、浅野邦直らに依頼するなどしてスポンサー探しを行ったところ、最終的には出雲建設と日本中央地所が具体的なスポンサーとして残ったが、出雲建設が、平成元年二月一〇日、仲介に立った山本克己や梶田勇机らを差し置いて、山本克己の知らぬ間に信用組合大阪弘容から本件宅地を購入した。
〈4〉 そこで、山本克己らは、もともと、出雲建設への本件宅地の売買の仲介をする見返りとして本件宅地の販売委託を受けて販売代理の形式で分譲を行う予定にしていたのに、出雲建設が山本克己らを差し置いて信用組合大阪弘容と売買契約を締結したことに抗議し、最初の約束どおり販売代理をさせて欲しい旨申し込んだところ、出雲建設もこれを承知し、以後、山本克己は、出雲建設との間で販売委託の条件などの交渉に入った。
〈5〉 その一方で、山本克己は、かねて経営していた大成企画株式会社が事実上休眠状態にあったので、本件宅地の分譲販売を契機として今後の事業基盤となる会社を作りたいという気持ちになり、出雲建設がスポンサーに決まった後の平成元年二月末ころ、販売企画センターの設立手続を司法書士に依頼した。
〈6〉 また、山本克己と被告人との間で、本件宅地の存する淡路島に現地会社を作ろうという話を何度か行った。すなわち、山本克己としては、本件宅地の分譲販売にとって現地会社があればより大きな資金力を期待できるし、顧客からのクレーム処理やアフターケアにも対処させられると考えており、また、平素常々六パーセントを超過する販売代理による手数料収入がある場合には、国税や地方税で所得金額の九〇パーセント以上が税金の負担となる税制に不満を持っていたので、一方から他方に企画料などの名目で経費を支払ったことにして所得をある程度分散させた上、更に実際よりも少ない所得を申告させて低い納税額に押さえれば、手元により多くの資金を残すことが出来ると考えており、このような営業戦略上及び税務対策上の見地から、現地会社の設立の必要性を感じており、被告人にとっても、歩合外務員の立場でしか仕事をしていなかったことから、本件宅地の分譲をきっかけに現地会社の経営を参画し、その販売実績を挙げて独立したいとの希望を持っており、その旨を山本克己に打ち明けていた。
〈7〉 そこで、山本克己は平成元年三月ころ、被告人に対し「うちは坪当たり一万円で五六〇〇万円の企画料をお前の会社からもらうことにして申告する。後はお前の方で税金が安くなるようにちゃんとやってくれ、現地に作る会社のことはお前に任せるから。」と指示し、それに対して、被告人も「現地会社のことは任せて下さい。税金のことはちゃんとやりますから。」と答え、山本克己と被告人との間で、現地会社の設立や本件宅地の分譲販売に関する申告形態の概略が決まった。
〈8〉 その後しばらくして、被告人は、山本克己の右指示に基づき知人が経営していた大分県の休眠会社をみつけ、山本克己に対し、その会社を買収して現地会社とし、責任を持って本件宅地の分譲販売による税金の申告をする旨提案してきたので、山本克己はその提案を受入れて被告人に会社買収の手続きを任せた。
〈9〉 そのような経緯を経て、平成元年四月一四日に販売企画センターの設立登記がなされ、山本克己はその代表取締役に就任するとともに、同月末ころに被告人に現地会社の買収資金を交付し、日生という法人名を命名して同年五月にその設立登記をなし、被告人を代表取締役に就任させたが、山本克己は、そのころ被告人との間で、本件宅地の分譲販売に関して販売企画センターと日生の役割分担を決め、日生において、分譲販売活動、登記手続、代金管理、クレーム処理、アフターケアなどの営業面を担当し、販売企画センターにおいて、広告の文面・図案の作成、広告業者との折衝、販売価格の決定など企画を担当することを決めるとともに、日生が分譲販売に係る実際の所得で申告し、販売企画センターが日生から一坪一万円で計算した五六〇〇万円の企画料収入を得たに過ぎない形で申告するという概略を再度確認した。
〈10〉 山本克己は、平成元年五月ころ、出雲建設に対し、日生が出雲建設から販売委託を受けて分譲販売を行い、販売企画センターが日生の協力者となる旨を説明して、その販売委託の折衝に入ったが、平成元年八月ころ、出雲建設から、できたばかりで実績も資産もないような日生に任せられない旨指摘され、日生名義での分譲販売を拒否されたため、山本克己と被告人は、本件宅地の委託分譲販売を日生で行うことができなくなり、販売企画センターが販売価格の決定、広告業者との折衝、セールス活動、アフターケア等の分譲販売の一切を担当したうえ、その分譲販売の所得を販売企画センターの所得として申告をしなければならなくなった。
〈11〉 山本克己は、販売企画センターの所得として申告したうえで税金を安くおさえようとすれば、山本克己の方で適当に帳簿を操作しなければならず、それは非常に面倒であり、将来の事業基盤として設立した販売企画センターが不正な申告が発覚することにより傷つけたくないと考え、出雲建設から日生の名前で販売委託をすることを拒否された平成元年八月下旬ころ、被告人に「日生の名前が使えんようになったけど、税金の申告をどないしようか。」と聞いたのに対し、被告人は「日生でやったことにすればいいじゃないですか。」と答えた。
〈12〉 そこで、山本克己は、新聞広告や契約書には日生の名前が出ず、販売企画センターの名前しか出ないので、販売企画センターに何の金の流れもないということは出来ない旨述べたのに対し、被告人は販売企画センターが日生から坪当たり一万円で五六〇〇万円の企画料を貰ったというこれまで通りでよい旨答えたが、山本克己が、被告人に「後はどうするんや。」と聞いたところ、被告人は「社長、後は日生でちゃんと申告しますから。社長、大丈夫ですよ。任せといて下さい。」と答えた。
〈13〉 山本克己は、被告人が本件宅地の分譲販売に関する税金の申告について、日生が販売企画センターの身代わりになって、かつ、実際よりも低い所得で申告するという当初の方針通りでいけばよいので、税金の申告のことについては一切を被告人に任せて、山本克己が販売企画センターの五六〇〇万円の企画料収入の申告手続さえすればよく、後の日生の税金申告のことは心配しなくてよいという自信に満ちた言い方をしてきたので、山本克己は、被告人に任せることにした。
〈14〉 山本克己は、右のように身代わり過少申告を被告人にさせることのお礼を渡す必要があると思い、被告人に対し「そないするんやったら、いくら位いるんや。」と聞いたところ、被告人は「それは社長に任せます」と答えたので、山本克己が本件宅地の分譲販売によって得た利益の一割を被告人に支払う旨を提案したのに対し、被告人はそれだけ貰えば十分である旨答えた。
〈15〉 山本克己は、同年九月一二日に出雲建設が提示してきた本件宅地の販売代理に関する覚書を受け入れ、出雲建設が示した一坪当たり一三万五〇〇〇円を仕切り価格とすることに合意し、本件宅地の販売代金の中から七億七〇〇〇万円を支払えば、その残余の金額は販売企画センターの儲けになるとわかった。
〈16〉 販売企画センターでは、本件宅地の分譲販売の広告を出し、同年九月末ころから売出しを開始したが、その販売中に被告人は顧客が阪神銀行東浦支店の販売企画センターの普通預金口座に入金してきた手付金等の売買代金を同支店の日生の普通預金口座に移し替え、販売企画センターの所得をあたかも日生の所得であるかのように見せ掛ける工作をした。
〈17〉 本件宅地の分譲は予想以上に売れ、同年一一月一四日及び同月一五日に合同の残金決済及び登記移転手続を実施した時点では完売状態になっていたため、販売企画センターでは合計一三億円余りの売上代金の中から出雲建設に支払う仕切り価格の約八億円を差し引いた約五億円の粗利を得た。
〈18〉 そこで、山本克己は、その後の同月中旬ころ、被告人に対し粗利の一割のお礼を支払うという前記の約束どおり五〇〇〇万円を支払う旨を告げたところ、被告人は四〇〇〇万円でよいと答えたので、被告人にその金額を支払うことにしたが、山本克己は、右四〇〇〇万円については、被告人に日生が販売企画センターの身代わり過少申告をすることのお礼の趣旨で支払うことにしたものであり、従って、領収証も取り交わさなかった。
〈19〉 山本克己は、被告人に四〇〇〇万円を渡す際、被告人が本件宅地の分譲販売に関していわゆるテント手当を念頭に置いておらず、山本克己と被告人との間でテント手当をどのように支払うかの取決めはなかったものであるが、仮に当該テント手当を右四〇〇〇万円に含めるとすれば、テント手当は一坪当たり二〇〇〇円から五〇〇〇円までが相場であり、これに販売面積を乗じて算出される金額であるから、本件宅地の分譲販売に関しては、せいぜい二〇〇〇万円どまりであり、差額の少なくとも二〇〇〇万円が日生での身代わり過少申告を被告人に任せることのお礼の意味で渡す金であった。
〈20〉 山本克己としては、被告人の力添えの結果、出雲建設との交渉結果が販売企画センター側に格段有利になったり、あるいは国土法の申請手続きがスムーズに運んだというような事情があれば、その点を評価して手当をはずむ可能性も考えられたが、今回の場合についてはそのようなことは全くなく、残務処理の仕事で一番重要なものは、残金を銀行ローンによって支払うことを考えている客についてローンが降りるように手助けする仕事であるところ、今回の場合はそのようなローンによって支払う客はほとんどおらず、それゆえ残務処理をしたことにより手当が高くなるようなこともなかった。
〈21〉 被告人は同年一二月始めころ、右四〇〇〇万円を持って大分に帰郷したが、山本克己がその直前ころ、被告人に対し税金のことは頼む旨言ったのに対し、被告人は「分かっています。親父にちゃんとやらせます。」と答えたので、山本克己は、被告人が実父である山田實に依頼して適当に帳簿操作をするなどして間違いなく日生が身代わり過少申告をしてくれると思い、本件宅地の分譲販売による純利益が約三億円位であると分かっていたので、一応の目安として、その二割くらいの税金額で押さえたいと思っていたが、被告人の方から具体的に申告所得税額の相談をしてきた時にその旨を話せばよいと考えた。
〈22〉 山本克己は、平成二年三月初めころ、山本富美子に対し、本件宅地の分譲販売の経費等の領収書等に基づいて前記のように日生の帳簿を作成するように指示し、山本富美子はそのころ、右指示に基づいて日生の帳簿を作成したものの、これらの販売経費等は、全て販売企画センターの経費であり、日生に帰属する経費ではなかったが、山本克己は、販売企画センターの所得を日生の所得であるかのように見せ掛けて申告する手段として日生の帳簿の作成を山本富美子に命じた。
〈23〉 山本克己は、販売企画センターが本件宅地の分譲販売に関し、日生から受領した五六〇〇万円以外に収入はないとして虚偽の申告をするため、山本富美子に指示して販売企画センターが日生から合計五六〇〇万円の販売企画料を受領した旨の領収書を作成させたり、販売企画センターが本件宅地の分譲販売に関して出雲建設やサンケイ広告社等に支払う金額については販売企画センターが五六〇〇万円しか収入がないのに、右金額の支払いがあるのはつじつまが合わないので、そのような矛盾を回避するとともに日生の経費として見せかけるため、前記金額について日生に代理して前記支払い先に支払った旨を示す代理受領証を作成させた。
〈24〉 山本克己は、本件宅地の販売代理によって得た利益金額から、既に山本克己や販売企画センターの借金の支払いに充てた金額等を差し引いた残額の合計で約一億四〇〇〇万円を田辺信用組合深川支店において定期預金等として留保していたが、販売企画センターでは五六〇〇万円の収入だけで申告するに過ぎないので、販売企画センター名義で多額の預金が残っていれば脱税が発覚すると考え、平成二年四月四日に当該定期預金等を全額解約し、うち一億三〇〇〇万円については住友銀行鳳支店の貸金庫に所得隠しを図った。
〈25〉 そして、山本克己は、同月ころ被告人に対し「うちは五六〇〇万円の企画料収入で申告するで。あとは頼むぞ。」と念を押した上、前記日生の帳簿や領収書綴り等を被告人の自宅に送付させ、山本克己としては、後日被告人から連絡されるはずの日生の申告書の内容を確認してから、その申告の内容と矛盾がないように販売企画センターの申告書を提出することとし、同月下旬ころ、知人の峰島秀子の紹介で嶋税理士を知ったが、その時点では同人に正式に依頼せず、販売企画センターの税務申告に必要な資料も渡していなかった。
〈26〉 しかし、被告人はなかなか日生の申告書を作成して来なかったので、山本克己は、同年五月の連休に大分でゴルフをした際、被告人に会って日生の申告書を督促したところ、被告人から日生の申告書はもうできるころである旨の返事を受けて安心した。
〈27〉 山本克己は、同月一五日ころ、嶋税理士に正式に販売企画センターの事務所の経費の明細帳等の資料を示したうえ、本件宅地の分譲販売が契約の上では販売企画センターが行ったことになっているが、実際は日生が行ったのであり、販売企画センターは日生から五六〇〇万円の企画料を得ただけであり、それ以外に収入はない旨の虚偽の説明をした。
〈28〉 山本克己は、被告人からファックスで日生の申告書の送信を受けたが、それには日生の所得金額が約三億七〇〇〇万円と記載されており、山本克己自身が大雑把に計算した実際の販売企画センターの所得よりも多い金額であったため、日生が身代わり過少申告をするものと理解していたので、非常に驚き、何のために被告人に四〇〇〇万円もの金を渡したのか判らないと感じて怒りを覚えた。
〈29〉 山本克己は、この時点では、日生の申告書の作成を被告人に急がせたので、被告人の方で取り合えず日生の帳簿通りの金額で申告書を作成し、後日、所得を減額させた修正の申告を作成して提出する等の別の方法を取るのではないかと考え、被告人の方から連絡をしてくると思ってそのままにしていた。
〈30〉 山本克己及び販売企画センターは平成二年六月一四日に国税局の査察を受けたので、山本克己は嶋税理士に対し、改めて本件宅地の分譲販売は販売企画センターの事業であり、その所得は販売企画センターの所得である旨説明した。
山本克己の捜査段階における供述は、本件犯行に関し、自己の記憶の鮮明な部分と不鮮明な部分を区別したうえ、所得の帰属主体、脱税の犯意、不正行為とその認識、共謀等につき、自己に不利益な事実を含め、犯行に至る経緯、犯行状況などを一貫して具体的かつ詳細に述べており、右供述中所得の帰属に関する部分は、前記所得の帰属主体に関する検討結果と符合し、また、前記でみとめられる各事実とも全体的に符合しており、山本克己の捜査段階における供述は信用できる。
弁護人は山本克己の捜査段階における供述について共犯者の「自白」として危険性を有すること、山本克己の「共謀」に関する「自白」が自己弁護に終始していること、山本克己の述べる「共謀」が非現実的であること、山本克己の「共謀」に関する供述が抽象的であることなどから、山本克己の捜査段階における供述が信用性がない旨主張する。
弁護人は、山本克己の「共謀」に関する「自白」が自己弁護に終始しているとして、平成元年八月初旬の被告人と山本克己とのやりとりに関する山本克己の供述を挙げる。しかし、前記のとおり、山本克己の検察官に対する供述調書(67)では、山本克己自身が最初に平成元年三月ころ、被告人に対し、販売企画センターが坪当たり一万円で五六〇〇万円の企画料を日生からもらうことにして申告し、被告人の方で税金が安くなるようにし、現地会社のことは被告人に任せると言い出したことを述べており、山本克己自身が右のようなことを言い出したことを認めたうえ、販売企画センターが企画料収入という形で申告し、被告人の方で現地会社において実際の所得より、低く申告してくれれば、税金が安くなり、儲けを手元に残せると考えて述べた旨認めており、子細に検討すれば被告人にだけ責任を転嫁するような供述に終始しているわけではない。
被告人の当公判廷における供述によれば、
これに対し、被告人の検察官に対する供述調書(84、88、89)によれば、出雲建設が日生の販売代理を認めず、実質上も形式上も被告会社が販売代理をすることになった後、山本克己が本件宅地の分譲のもうけを日生に入ったようにして、日生名義で申告するように頼んだこと、領収証の宛名は当初日生が表に出るということで日生宛にしてもらっていたが、その後も山本克己の指示で日生宛にしたままであったこと、被告人は平成元年一〇月から同年一一月までの間、阪神銀行東浦支店の販売企画センターの口座に入金になった売買代金を同支店の日生名義に移し変えたこと、これは脱税のため売上金が日生の口座に入ったように仮装して、本件宅地の分譲による売上が日生のものであるように装うために操作したものであることが認められる。
以上の事実によれば、被告人の脱税の犯意や不正行為とその認識については事実を推認でき、しかも梶田勇机の検察官に対する供述調書によれば、販売企画センターに代理をさせることを決めていない段階で梶田勇机は山本克己から本件宅地の販売代理によって少なくとも一億五〇〇〇万円位の利益を上げられるという見込みを告げられ、それによって儲けた金の中から五〇〇〇万円の報酬を分け与える旨を告げられた事実が認められ、また、証人峠平治の証言、峠平治及び山本富美子の検察官に対する供述調書によっても、山本克己が本件宅地の販売代理によって大儲けをしようと考え、全部売れるとの期待や自信を持っていたこと、被告人の検察官に対する供述調書(81)によれば、被告人自身も、本件宅地を非常に売れ行きのよい物件であるとみていたことがそれぞれ認められる。
従って、具体的にどのくらい本件宅地が売却できるかどうかわからない売却前の時点においても、山本克己及び被告人が全部売れた場合の事を想定して税金対策を想定しようと考えることは自然な発想であり、売却前の時点において、山本克己と被告人が相談の上、山本克己の脱税の意図を知って販売企画センターの身代わりに日生で申告することを引き受けたとの捜査段階における被告人の供述は、合理的な動機、根拠に基づくものと認めることができ、信用できる。
四 共謀
(一) 山本富美子の検察官に対する供述調書(53)によれば、被告人と山本克己が平成元年春ころ、販売企画センターの堺事務所で大分にある潰れて名前だけの会社を淡路に引っ張ってきて税金を全部その会社に被せる旨話をしていたこと、その後、日生という会社を作ったこと、山本克己が山本富美子に対し税金の申告について淡路の事務所で保管していた領収証や出金伝票を整理して日生の帳簿を作るように指示したこと、山本克己の指示により架空領収証や代理受領証を作成したこと、被告人から日生の帳簿を送るように電話があったこと、山本富美子が帳簿等に操作を加えず送る旨言ったのに対し、被告人がそれはこっちできちんとする旨答えたこと、山本富美子は被告人のほうで適宜帳簿操作をすると理解したこと、山本克己は被告人から送られてきた申告書を見て驚き、何のために被告人に四〇〇〇万円もやったかわからない旨文句を言ったことが認められ、共謀をうかがわせる事実であり、また、前記のとおり、被告人が山本克己の指示により販売企画センターの預金口座に入金された手付金等を日生名義の預金に移し替える行為をしたことも共謀をうかがわせる事実である。さらに、前記のとおり、通常のテント手当としては高額な四〇〇〇万円という金額を被告人に渡しており、証人山田實の当公判廷における供述、同人の検察官に対する供述調書(51、52)によれば、山田實は山本克己や被告人が日生の所得を少なく申告しようとしていることがわかったので、被告人に帳簿を操作すると大変なことになると叱り、帳簿の操作を断った旨述べており、山本克己と被告人が共謀をしたことを推認させる根拠となる。
山本克己の検察官に対する供述調書(66)によれば、山本克己が被告人に対し、平成元年三月ころ、税金のことを考えなければならないこと、販売企画センターが坪当たり一万円で五六〇〇万円の企画料を日生からもらうことにして申告すること、あとは被告人のほうで税金が安くなるようにすること、現場に作る会社は被告人に任せること等を言ったところ、被告人がこれを承諾したことを述べており、五六〇〇万円の内容について述べているが、出雲正の検察官に対する供述調書によれば、「淡路島シーサイドリゾート北淡(仮称)事業計画書」において、約五五六五坪の有効販売面積として表示されており、かつ、すでに昭和六三年一〇月ころに右計画書を出雲建設に出していることも認められるから、山本克己が右のような有効販売面積を基にして、一坪一万円を基準として五六〇〇万円の企画料収入として販売企画センターが申告することを考え出すことにも合理的根拠があり、右山本克己の供述の信用性が高い。
(二) 被告人が販売企画センターから四〇〇〇万円の報酬を貰っていることについて
被告人は山本克己から渡された四〇〇〇万円は脱税報酬の趣旨は含まれておらず、テント手当ないし成功報酬として全額が正当な報酬である旨供述するので検討するに、
まず、同金額の中に脱税報酬の趣旨が含まれているかについては、山本克己が被告人に対し、報酬を渡す話を持ち出した経緯を見るに、前記のように山本克己の捜査段階における供述によると、出雲建設から日生の名前で分譲販売をすることを明確に拒絶された平成元年八月初旬ころ、山本克己が被告人に「日生の名前が使えんようになったけど、税金の申告をどないしょうか。」と言ったところ、被告人は、申告については、従前山本克己との間で合意していた方針通り、販売企画センターは、企画料の名目で五六〇〇万円のみを申告し、残余の所得については、日生において過少申告すればよい旨答えてくれたので、被告人がこのように身代わり過少申告を引き受けてくれたことに対して、山本克己がお礼の意味の報酬を被告人に渡さなければならないと思い、被告人に本件宅地の分譲販売によって得た利益の一割を被告人に支払う旨提案し、被告人もそれを了解したことが認められる。
また、山本克己の捜査段階における供述によると、山本克己は被告人に四〇〇〇万円を渡す際、被告人が本件宅地の分譲販売に関していわゆるテント部長として稼働した報酬としてのテント手当を念頭に置いておらず、山本克己と被告人との間で、テント手当をどういう計算でいくら支払うかについての取決めはなかったことが認められる。
山本克己の右供述からすれば、日生の名前で分譲販売をできなくなった後も、従前通り、日生で身代わり過少申告することを被告人が引き受けたことのみからで、被告人に渡す報酬の話が出てきており、被告人に渡した四〇〇〇万円の中に脱税報酬の趣旨が含まれていたことは明らかであり、かつ、山本克己と被告人との間で交わされた前記会話の内容からして被告人自身がそのことを十分認識していたこともまた明らかである。
山本克己は、当公判廷においては、脱税の犯意、不正行為、共謀等の事実につき自己弁護に終始したあいまいな供述をなし、論旨一貫しない供述であるが、被告人に渡した報酬に関する部分については、平成元年八月ころ、日生の名前で分譲販売することを断られた帰りに、被告人が「税金の面は、自分が全部申告するから任せてくれ。」と言ったので、「それやったらどれくらいいるんや。」という会話をし、その後、利益の一割を被告人に渡すことで合意したこと、かつ四〇〇〇万円を被告人に渡す際、テント手当ということを特に念頭において支払ったわけではないことを明言し、捜査段階とほぼ同様の供述を維持していることに加えて、山本富美子の検察官に対する供述調書(53)によると、山本克己が平成二年五月中旬ころ、送ってきた日生の申告書を見て驚き「何のために松﨑に四〇〇〇万円もやったかわからない。」と文句を言っていた事実が認められること、四〇〇〇万円もの大金を渡すに際し、領収書を取り交わしていないこと等からしても四〇〇〇万円の中に脱税報酬の趣旨が含まれていたことは明らかである。
次に、四〇〇〇万円のなかに具体的にいくらが脱税報酬になるかについてみるに、山本克己が被告人に対し、四〇〇〇万円を渡す際、テント手当ということを特に念頭に置いていなかったとはいえ、被告人がテント部長が行う内容の仕事をしていたことは事実であるから、この四〇〇〇万円は、脱税報酬と正当なテント手当としての報酬が合体したものと解され、その区別の基準が問題となる。証人瀧上武宣の当公判廷における供述によれば、いわゆるオーナーとテント部長との間で、テント手当としての金額の合意が明確になされていれば、テント手当の金額に上限はないと認められるが、山本克己と被告人の間では前記のように本件ではテント手当をどのように計算でいくら支払うかということについては明確な取決めはなされておらず、従って、通常のテント手当の相場と比較してテント手当の額を確定していかざるを得ない。
証人瀧上武宣は、当公判廷において、このテント手当の相場に関し、テント手当は原則として一坪当たり一〇〇〇円から五〇〇〇円までの相場であり、これに販売面積を乗じて算出される金額であること、この相場を本件宅地の分譲販売の件にあてはめると、大体五〇〇万円から二五〇〇万円がテント手当の相場となること、テント部長と歩合外交員を兼任することはあまりなく、一般的にはその場合には、歩合外交員としての歩合給料は貰わないことを証言するところ、同証人は約五〇例という豊富な経験例に基づいて同相場を述べている上、販売代金の坪単価が本件宅地の二倍以上に当たる約五〇万円の場合も経験した上で、一坪当たり五〇〇〇円位が上限である旨証言していること、同証言の内容は、山本克己の捜査、公判段階におけるこの点に関する供述とも概ね符合し、相互にその信用性を補充し合っていること等からして、本件宅地の分譲販売の場合、テント手当の上限が約二五〇〇万円であるとの同証言の信用性は高い。
そして、山本克己の捜査、公判段階を通じて、本件宅地の分譲販売に関して、テント手当の額を仮に想定するとせいぜい二〇〇〇万円である旨供述するが、右のように本件宅地の分譲販売の場合、約二五〇〇万円がテント手当の上限と認められることに加えて、被告人は本件でテント手当とは別にテント部長として通常貰わない歩合外務員としての歩合給を一〇〇〇万円近くも受け取っていることをも考慮すれば、本件でのテント手当は、せいぜい二〇〇〇万円であるとの山本克己の右供述は十分肯認することができる。
これに対して、証人目黒光一は、坪単価が高額である時には、売上掛けるパーセンテージでテント手当の額を決めることがあること、被告人の場合、本件では、地主である出雲建設との交渉、役所との折衝等テント部長としての仕事をこえたプラスアルファー分の仕事もしていたのであるから、そのプラスアルファー分の仕事に対応する報酬もあってしかるべき四〇〇〇万円全額が正当な報酬と考えてもおかしくない旨証言する。
しかし、目黒光一は、売上掛けるパーセンテージでテント手当の額を決めたことがある例として二例聞いたことがある旨証言しながら、他方で、その二例について何故売上に対するパーセンテージでテント手当を決めることになったのかその理由については知らない旨証言しているばかりか、かえって、自己がテント部長となった三、四回の場合には、すべて坪単価を基準にしてテント手当の額を決めた旨証言している。
また、前記役所との折衝等についても被告人がとった行動内容をほとんど知らないことを検察官の質問に対し自認しており、このように具体的な行動内容をほとんど知らないのであれば、プラスアルファー分の仕事に対する報酬の額についてどれくらいの額が妥当か等判断できるはずがないのであって、テント部長としての仕事以外の仕事もしていたので、四〇〇〇万円全額が正当な報酬とみてもおかしくないのではないかという単なる推測を抽象的に述べているだけであって、この点に関する証人瀧上武宣、同山本克己の証言の信用性を揺るがせるものではない。
以上の事実によれば、山本克己が被告人に渡した四〇〇〇万円のうち、少なくとも二〇〇〇万円については、脱税の報酬であると認めることができる。
(三) 被告人の公判供述について
被告人は共謀の事実に関する点については当公判廷において次のように供述する。
被告人と山本克己との平成元年四、五月ころの話はもし万一思った通り全部売れたりとか、仕事をやるうえの夢といったものが必要なので税金について世間程度の話をしたこと、同年一一月ごろに、本件宅地が完売して被告人が別府に帰るまでの間に山本克己から税金のこととか日生のこととかについて言われた記憶がないこと等あいまいな供述をなしており、また、被告人は同年一二月に別府に帰る時日生の印とか会社の実印、それからゴム印、通帳等を全部山本富美子に渡したので、日生は結局山本克己のものになったこと、同年四月には将来できれば会社で一人立ちしたいと思って作ったところが結果的には日生で仕事はやらず、別府に帰る時に日生という会社は返したことと述べる一方で、平成二年二月ころ日生の帳簿の話になって、帳簿を送るということは税務申告をしてくれとのことであり、被告人としては、会社の登記をして途中まである程度実務をやっていたので、日生で税務申告をしなければならないのは当然やらなければならないと思ったこと、被告人は日生の代表取締役である以上、申告時期に申告しなければいけないと思ったことを供述するが、あいまいで不合理な供述であり、信用できない。
(四) 以上の事実を総合すれば、山本克己と被告人が共謀したことを認めることができる。
五 以上のとおりであるから、共謀の事実等についての被告人及び弁護人の主張は採用できない。
(法令の適用)
被告人の判示所為は、平成七年法律第九一号(刑法の一部を改正する法律)附則二条一項本文によって同法による改正前の刑法(以下「旧刑法」という。)六〇条、法人税法一五九条一項に該当するが、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、情状により旧刑法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用のうち、証人峠平治、同出雲正に支給した分の各三分の一及びその余の訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人に負担させることとする。
(量刑の事情)
被告人の本件犯行は、販売企画センターの代表取締役の山本克己と共謀のうえ、販売企画センターの法人税を免れようと企て、被告人自身は顧客から販売企画センターの銀行預金口座に振込送金された代金を日生名義の口座に移すなどし、右宅地の販売受託から生じた所得に対する法人税について日生名義で法人税確定申告書を洲本税務署長に提出するなどの行為により、その所得を秘匿したうえ、販売企画センターのほ脱額が一期で二億一三三〇万九四〇〇円と高額で、そのほ脱率も一〇〇パーセントと極めて高率であり、悪質な犯行と言わざるを得ない。被告人は捜査段階において、本件犯行の動機として、今後とも山本克己から仕事をもらいたいという気持ちと大金をもらっていたことから断れなかった旨述べるが、動機において特に酌量すべきとも思われない。
しかしながら、本件では販売企画センターないし山本克己の方が多額の利得を得ていること、被告人は本件犯行を争っているものの捜査段階においては認めていたこと、自ら積極的に捜査に協力する等反省の態度を示していたこと、被告人にはこれまで前科がないこと、被告人は本件により逮捕され一ケ月近く勾留されたこと等被告人に有利な事情として考慮し、本件ほ脱額が前記のとおり高額であり、当公判廷において本件犯行を争っているが、被告人の本件における地位や他の事件の量刑等も合わせ考え、被告人を主文の刑に処し、その刑の執行を猶予して自力更生の機会を与えることとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 松下潔)
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