【営業代行から学ぶ判例】crps 裁判例 lgbt 裁判例 nda 裁判例 nhk 裁判例 nhk 受信料 裁判例 pl法 裁判例 pta 裁判例 ptsd 裁判例 アメリカ 裁判例 検索 オーバーローン 財産分与 裁判例 クレーマー 裁判例 クレプトマニア 裁判例 サブリース 裁判例 ストーカー 裁判例 セクシャルハラスメント 裁判例 せクハラ 裁判例 タイムカード 裁判例 タイムスタンプ 裁判例 ドライブレコーダー 裁判例 ノンオペレーションチャージ 裁判例 ハーグ条約 裁判例 バイトテロ 裁判例 パタハラ 裁判例 パブリシティ権 裁判例 ハラスメント 裁判例 パワーハラスメント 裁判例 パワハラ 裁判例 ファクタリング 裁判例 プライバシー 裁判例 プライバシーの侵害 裁判例 プライバシー権 裁判例 ブラックバイト 裁判例 ベネッセ 裁判例 ベルシステム24 裁判例 マタニティハラスメント 裁判例 マタハラ 裁判例 マンション 騒音 裁判例 メンタルヘルス 裁判例 モラハラ 裁判例 モラルハラスメント 裁判例 リストラ 裁判例 リツイート 名誉毀損 裁判例 リフォーム 裁判例 遺言 解釈 裁判例 遺言 裁判例 遺言書 裁判例 遺言能力 裁判例 引き抜き 裁判例 営業秘密 裁判例 応召義務 裁判例 応用美術 裁判例 横浜地裁 裁判例 過失割合 裁判例 過労死 裁判例 介護事故 裁判例 会社法 裁判例 解雇 裁判例 外国人労働者 裁判例 学校 裁判例 学校教育法施行規則第48条 裁判例 学校事故 裁判例 環境権 裁判例 管理監督者 裁判例 器物損壊 裁判例 基本的人権 裁判例 寄与分 裁判例 偽装請負 裁判例 逆パワハラ 裁判例 休業損害 裁判例 休憩時間 裁判例 競業避止義務 裁判例 教育を受ける権利 裁判例 脅迫 裁判例 業務上横領 裁判例 近隣トラブル 裁判例 契約締結上の過失 裁判例 原状回復 裁判例 固定残業代 裁判例 雇い止め 裁判例 雇止め 裁判例 交通事故 過失割合 裁判例 交通事故 裁判例 交通事故 裁判例 検索 公共の福祉 裁判例 公序良俗違反 裁判例 公図 裁判例 厚生労働省 パワハラ 裁判例 行政訴訟 裁判例 行政法 裁判例 降格 裁判例 合併 裁判例 婚約破棄 裁判例 裁判員制度 裁判例 裁判所 知的財産 裁判例 裁判例 データ 裁判例 データベース 裁判例 データベース 無料 裁判例 とは 裁判例 とは 判例 裁判例 ニュース 裁判例 レポート 裁判例 安全配慮義務 裁判例 意味 裁判例 引用 裁判例 引用の仕方 裁判例 引用方法 裁判例 英語 裁判例 英語で 裁判例 英訳 裁判例 閲覧 裁判例 学説にみる交通事故物的損害 2-1 全損編 裁判例 共有物分割 裁判例 刑事事件 裁判例 刑法 裁判例 憲法 裁判例 検査 裁判例 検索 裁判例 検索方法 裁判例 公開 裁判例 公知の事実 裁判例 広島 裁判例 国際私法 裁判例 最高裁 裁判例 最高裁判所 裁判例 最新 裁判例 裁判所 裁判例 雑誌 裁判例 事件番号 裁判例 射程 裁判例 書き方 裁判例 書籍 裁判例 商標 裁判例 消費税 裁判例 証拠説明書 裁判例 証拠提出 裁判例 情報 裁判例 全文 裁判例 速報 裁判例 探し方 裁判例 知財 裁判例 調べ方 裁判例 調査 裁判例 定義 裁判例 東京地裁 裁判例 同一労働同一賃金 裁判例 特許 裁判例 読み方 裁判例 入手方法 裁判例 判決 違い 裁判例 判決文 裁判例 判例 裁判例 判例 違い 裁判例 百選 裁判例 表記 裁判例 別紙 裁判例 本 裁判例 面白い 裁判例 労働 裁判例・学説にみる交通事故物的損害 2-1 全損編 裁判例・審判例からみた 特別受益・寄与分 裁判例からみる消費税法 裁判例とは 裁量労働制 裁判例 財産分与 裁判例 産業医 裁判例 残業代未払い 裁判例 試用期間 解雇 裁判例 持ち帰り残業 裁判例 自己決定権 裁判例 自転車事故 裁判例 自由権 裁判例 手待ち時間 裁判例 受動喫煙 裁判例 重過失 裁判例 商法512条 裁判例 証拠説明書 記載例 裁判例 証拠説明書 裁判例 引用 情報公開 裁判例 職員会議 裁判例 振り込め詐欺 裁判例 身元保証 裁判例 人権侵害 裁判例 人種差別撤廃条約 裁判例 整理解雇 裁判例 生活保護 裁判例 生存権 裁判例 生命保険 裁判例 盛岡地裁 裁判例 製造物責任 裁判例 製造物責任法 裁判例 請負 裁判例 税務大学校 裁判例 接見交通権 裁判例 先使用権 裁判例 租税 裁判例 租税法 裁判例 相続 裁判例 相続税 裁判例 相続放棄 裁判例 騒音 裁判例 尊厳死 裁判例 損害賠償請求 裁判例 体罰 裁判例 退職勧奨 違法 裁判例 退職勧奨 裁判例 退職強要 裁判例 退職金 裁判例 大阪高裁 裁判例 大阪地裁 裁判例 大阪地方裁判所 裁判例 大麻 裁判例 第一法規 裁判例 男女差別 裁判例 男女差别 裁判例 知財高裁 裁判例 知的財産 裁判例 知的財産権 裁判例 中絶 慰謝料 裁判例 著作権 裁判例 長時間労働 裁判例 追突 裁判例 通勤災害 裁判例 通信の秘密 裁判例 貞操権 慰謝料 裁判例 転勤 裁判例 転籍 裁判例 電子契約 裁判例 電子署名 裁判例 同性婚 裁判例 独占禁止法 裁判例 内縁 裁判例 内定取り消し 裁判例 内定取消 裁判例 内部統制システム 裁判例 二次創作 裁判例 日本郵便 裁判例 熱中症 裁判例 能力不足 解雇 裁判例 脳死 裁判例 脳脊髄液減少症 裁判例 派遣 裁判例 判決 裁判例 違い 判決 判例 裁判例 判例 と 裁判例 判例 裁判例 とは 判例 裁判例 違い 秘密保持契約 裁判例 秘密録音 裁判例 非接触事故 裁判例 美容整形 裁判例 表現の自由 裁判例 表明保証 裁判例 評価損 裁判例 不正競争防止法 営業秘密 裁判例 不正競争防止法 裁判例 不貞 慰謝料 裁判例 不貞行為 慰謝料 裁判例 不貞行為 裁判例 不当解雇 裁判例 不動産 裁判例 浮気 慰謝料 裁判例 副業 裁判例 副業禁止 裁判例 分掌変更 裁判例 文書提出命令 裁判例 平和的生存権 裁判例 別居期間 裁判例 変形労働時間制 裁判例 弁護士会照会 裁判例 法の下の平等 裁判例 法人格否認の法理 裁判例 法務省 裁判例 忘れられる権利 裁判例 枕営業 裁判例 未払い残業代 裁判例 民事事件 裁判例 民事信託 裁判例 民事訴訟 裁判例 民泊 裁判例 民法 裁判例 無期転換 裁判例 無断欠勤 解雇 裁判例 名ばかり管理職 裁判例 名義株 裁判例 名古屋高裁 裁判例 名誉棄損 裁判例 名誉毀損 裁判例 免責不許可 裁判例 面会交流 裁判例 約款 裁判例 有給休暇 裁判例 有責配偶者 裁判例 予防接種 裁判例 離婚 裁判例 立ち退き料 裁判例 立退料 裁判例 類推解釈 裁判例 類推解釈の禁止 裁判例 礼金 裁判例 労災 裁判例 労災事故 裁判例 労働基準法 裁判例 労働基準法違反 裁判例 労働契約法20条 裁判例 労働裁判 裁判例 労働時間 裁判例 労働者性 裁判例 労働法 裁判例 和解 裁判例

判例リスト「営業代行会社 完全成果報酬|完全成功報酬」(389)平成13年 8月29日 東京地裁 平10(ワ)17003号 損害賠償請求、同反訴請求事件

判例リスト「営業代行会社 完全成果報酬|完全成功報酬」(389)平成13年 8月29日 東京地裁 平10(ワ)17003号 損害賠償請求、同反訴請求事件

裁判年月日  平成13年 8月29日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平10(ワ)17003号・平7(ワ)24257号
事件名  損害賠償請求、同反訴請求事件
裁判結果  本訴一部認容、反訴棄却  文献番号  2001WLJPCA08290007

要旨
◆オウム真理教の信者らが、行方不明となった信者の兄を拉致監禁し、全身麻酔薬の副作用により死亡させた行為(いわゆる假谷さん拉致事件)につき、共同不法行為が成立するとされた事例

参照条文
民法709条
民法710条
民法719条

裁判年月日  平成13年 8月29日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平10(ワ)17003号・平7(ワ)24257号
事件名  損害賠償請求、同反訴請求事件
裁判結果  本訴一部認容、反訴棄却  文献番号  2001WLJPCA08290007

原告(反訴被告) 假谷サト
原告(反訴被告) 假谷実
原告(反訴被告) 假谷英彦
原告(反訴被告) 洞口法子
上記4名訴訟代理人弁護士 伊藤芳朗
同 伊藤幹郎
同 杉本朗
同 鈴木義仁
同 武井共夫
被告 飯田エリ子
同訴訟代理人弁護士 田利治
同 秋田一惠
被告 井上嘉浩
被告(反訴原告) 加賀原宏太朗
同訴訟代理人弁護士 湯本岩夫
被告 中川智正
同訴訟代理人弁護士 河原昭文
同訴訟復代理人弁護士 前田裕司
同 渡邉良平
被告 林郁夫
被告 平田悟
被告 高橋克也
被告 平田信

 

主  文

1  被告飯田エリ子、被告井上嘉浩、被告高橋克也、被告中川智正、被告林郁夫、被告平田悟及び被告平田信は、原告假谷サトに対し、連帯して、2913万5084円及びこれに対する平成7年3月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2  被告飯田エリ子、被告井上嘉浩、被告高橋克也、被告中川智正、被告林郁夫、被告平田悟及び被告平田信は、原告假谷実、原告假谷英彦及び原告洞口法子のそれぞれに対し、連帯して、各1007万8361円及びこれに対する平成7年3月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3  原告らの被告飯田エリ子、被告井上嘉浩、被告高橋克也、被告中川智正、被告林郁夫、被告平田悟及び被告平田信に対するその余の請求並びに被告加賀原宏太朗に対する請求をいずれも棄却する。
4  反訴原告(本訴被告加賀原宏太朗)の反訴請求をいずれも棄却する。
5  訴訟費用は、原告らと被告飯田エリ子、被告井上嘉浩、被告高橋克也、被告中川智正、被告林郁夫、被告平田悟及び被告平田信との間においては、原告らに生じた費用(反訴について生じた費用を除く。)の3分の1を上記被告らの負担とし、その余の費用(反訴について生じた費用を除く。)は各自の負担とし、原告ら(反訴被告ら)と被告加賀原宏太朗(反訴原告)との間においては、反訴について生じた費用を含め、各自の負担とする。
6  この判決は、第1、2項に限り、仮に執行することができる。

 

事実及び理由

第1  請求
1  本訴
(1)  被告らは、原告假谷サトに対し、連帯して、6414万2111円及びこれに対する平成7年3月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2)  被告らは、原告假谷実、原告假谷英彦及び原告洞口法子のそれぞれに対し、連帯して、各2138万0704円及びこれに対する平成7年3月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2  反訴
反訴被告ら(本訴原告ら)は、反訴原告(本訴被告加賀原宏太朗)に対し、連帯して、882万5000円及びこれに対する平成10年8月13日(反訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2  事案の概要
本件は、オウム真理教の信者が起こした、一般に「假谷さん拉致事件」と呼ばれる監禁致死事件に関する損害賠償請求事件であり、遺族の妻又は子である原告らが、この監禁致死事件は被告らによって起こされたものであるとして被告らに対し不法行為に基づく損害賠償を求めている事案である(なお、被告らのうちの1名が原告らの提起した本件訴訟は不当訴訟であるとして損害賠償を求める反訴を提起している。)。
1  前提となる事実
(1)  原告ら
假谷清志(以下「清志」という。)は、大正15年10月生まれの男性であり、平成7年当時、東京都品川区上大崎3丁目5番18号所在の目黒公証役場に事務長として勤務していたが、平成7年3月1日に死亡した。
原告假谷サト(以下「原告サト」という。)は、清志の妻であり、原告假谷実(以下「原告実」という。)は、清志の長男、原告假谷英彦(以下「原告英彦」という。)は、清志の次男、原告洞口法子(以下「原告法子」という。)は、清志の長女である。清志の相続人は、原告ら4名である。(甲1ないし7号証、12号証)
(2)  被告ら
ア オウム真理教(以下「教団」という。)は、平成元年8月25日に東京都から宗教法人の認証を受けた宗教団体であり、その目的は、法人登記上、主神をシヴァ神として崇拝し、創始者である麻原彰晃こと松本智津夫(以下「麻原」という。)を始め真にシヴァ神の意思を理解し実行する者の指導の下に、古代ヨーガ、原始仏教、大乗仏教を背景とした教義を広め、儀式行事を行い、信徒を教化育成し、すべての生き物を輪廻の苦しみから救済することを最終目標とし、その目標を達成するために必要な業務を行うこととされている。教団に対しては、平成7年6月30日、東京都知事及び東京地方検察庁検事正から宗教法人法に基づく解散請求がされ、同年10月30日、東京地方裁判所から解散が命じられた。同命令に対しては即時抗告が申し立てられたが、同年12月19日、東京高等裁判所は、抗告棄却の決定をし、さらに平成8年1月30日、最高裁判所は、教団から申し立てられた特別抗告を棄却した。他方、教団は、同年3月28日午前10時に東京地方裁判所から破産宣告を受け、阿部三郎弁護士が破産管財人に就任した。(弁論の全趣旨)
イ 麻原は、平成7年2月当時、教団の代表役員であり、被告らは、いずれも教団の信者であった。当時、教団内において、被告飯田エリ子(以下「被告飯田」という。)は、東信徒庁長官、被告井上嘉浩(以下「被告井上」という。)は、諜報省大臣、被告中川智正(以下「被告中川」という。)は、法皇内庁長官、被告林郁夫(以下「被告林」という。)は、治療省大臣の地位にあり、被告加賀原宏太朗(反訴原告、以下「被告加賀原」という。)は、東信徒庁に、被告高橋克也(以下「被告高橋」という。)及び被告平田悟は、いずれも諜報省に、被告平田信は、車両省にそれぞれ所属していた。(甲9号証の1ないし8、12、13号証、125、126号証、乙C1、2号証、乙E2、3号証、弁論の全趣旨)
(3)  本件監禁致死事件
清志は、平成7年2月28日午後4時30分ころ、東京都品川区上大崎の目黒通りにおいて、被告井上、教団自治省所属の中村昇(分離前相被告。以下「中村」という。)らによって拉致され、山梨県西八代郡上九一色村富士ヶ嶺(以下、単に「上九一色村」という。)所在の教団施設である「第2サティアン」(上九一色村所在の教団施設の建物の呼称。以下において「第○サティアン」とある場合も同じ。)に連れ込まれて同所に監禁されたが、翌3月1日午前11時ころ、同所で死亡した(以下、この拉致・監禁に係る事件を「本件監禁致死事件」といい、拉致・監禁に係る行為を「本件拉致・監禁行為」という。)。(甲12、13号証、乙E3号証、被告井上及び被告中川各本人)
2  争点
(1)  争点1(本訴関係)
被告らは、本件拉致・監禁行為及びこれに続く清志の死亡について不法行為責任を負うか。また、被告らに清志を殺害する意思があったか。
ア 原告らの主張
(ア) 教団の特質
教団は、典型的なピラミッド組織であり、信者、とりわけ出家信者は、教団施設内で起居することとされ、その行動を細部に至るまで厳しくチェックされ、麻原を頂点とする上意下達の指示による集団行動が義務付けられていた。
(イ) 本件拉致・監禁行為に至る経緯
a 清志の実妹であった仁科愛子(以下「仁科」という。)は、かねてから在家信徒として教団に所属していたが、平成7年に入ると東信徒庁長官であった被告飯田などから執拗に出家するよう説得され、同年2月10日以降は準出家信者扱いとして東京都港区南青山に所在する教団の東京総本部の道場(以下「青山道場」という。)に寝泊まりさせられるようになった。仁科は、出家するに際して、所有財産のうち、少なくとも、1階に目黒公証役場が入居している自宅の土地建物と箱根の別荘の土地建物(以下「箱根の別荘」という。)だけは親族などのために残したいとの希望を有していたが、教団側に聞き入れられず、逆に同月末日までに全財産を教団に寄付して出家することを約束させられたため、同月25日、実兄である清志に教団からの脱退について相談し、清志は、同月27日まで仁科を自宅に匿い、その後は清志方を離れるように指示したので、仁科は、同日以降、知人の下に身を隠した。
b 被告加賀原は、平成7年2月24日から仁科が青山道場に戻らず、連絡もないことに不審を抱き、同月26日夕刻ころ、被告飯田及び自治省所属の中村にその旨を報告した。この報告を受けた被告飯田は、仁科にその全財産を教団に寄付させることができなくなるとの危機感を持った。
被告飯田、中村、被告加賀原の3名は、同月27日昼ころ、目黒公証役場付近に赴き、被告加賀原において同公証役場を訪ね、応対した清志に対し、仁科の居場所を尋ねたが、清志は、自分が仁科の兄であることを認めたものの氏名を名乗らず、仁科の居場所も明らかにしなかった。そこで、被告加賀原は、いったん公証役場から出て、被告飯田らのもとに戻り、清志とのやり取りを報告した上、清志が仁科の居場所を知りながらそれを隠しているのではないかとの自己の感想を述べた。
その後、被告飯田らは、清志の身辺を見張るとともに、携帯電話で諜報省大臣であった被告井上に応援を要請した。
c 同日午後4時10分ころ、清志が公証役場を出たので、被告飯田及び中村がこれを尾行したが、JR目黒駅構内でその姿を見失った。そのころ、被告井上が、諜報省所属の被告高橋運転の車両でJR目黒駅前に到着したので、被告飯田及び中村は、被告井上に対し、仁科が失踪したことやその兄である清志を尾行したが同人を見失ったことなどを話し、その後、被告井上と共に目黒公証役場付近に行き、同人に公証役場の場所を確認させた。
d 被告飯田、中村、被告井上は、平成7年2月27日から翌28日にかけての深夜、第2サティアンの3階の第2瞑想室で開催された信徒対応責任者会議に出席したが、その際、被告飯田が、麻原に対し、仁科が失踪した件を報告したところ、麻原は、被告飯田を激しく叱りつけた上、同会議終了後、被告飯田、中村及び被告井上を同サティアン3階の尊師瞑想室に呼び付けた。
被告飯田、中村、被告井上は、尊師瞑想室に入り、被告飯田及び中村が、麻原及び同席した科学技術省大臣の村井秀夫(以下「村井」という。)に対し、仁科の居場所を探るために清志を尾行した状況などを詳細に報告した。その際、中村が、麻原に対し、仁科の居場所を聞き出すために清志を拉致して強制的に上九一色村の教団施設に連行することを提案したところ、麻原は、これを了承した上、中村に対し、同人と建設省所属の井田喜広(分離前相被告。以下「井田」という。)の両名で清志の拉致を実行するよう命じるとともに、被告井上に対し、諜報省の者を使って中村らに加勢するように命じた。また、その際、被告井上が、清志を拉致する際に薬物を注射して暴れさせないようにするため医師である被告中川を実行者に加えることを提案したところ、麻原は、これを了承した。さらに、その場で、清志を拉致する際の具体的方法等も検討され、拉致の際に、車両省所属の被告平田信が村井の開発したレーザー銃を使って清志と同人の警護役の者に目くらましをすること、拉致の実行日を同月28日とすることなどが決められた。
e 被告井上と中村は、同月28日午前中に、被告飯田が居住していた東京都世田谷区赤堤3丁目11番17号所在のグリーンコーポ5の106号室(以下「グリーンコーポ」という。)において、被告飯田及び被告加賀原から、被告加賀原が公証役場で清志と話したときの状況、公証役場からJR目黒駅に至る清志の帰宅経路などにつき詳細な説明を聞いたが、その際、被告井上は、被告飯田に対し、拉致後に清志を教団施設まで運搬するための車両の手配を依頼した。
(ウ) 本件拉致・監禁行為
a 被告井上、被告中川、中村、被告高橋、井田、被告平田信、被告平田悟及び諜報省に所属する松本剛(分離前相被告。以下「松本」という。)の8名は、平成7年2月28日午前中に、いずれもレンタカーである三菱ギャラン(以下「ギャラン」という。)と三菱デリカ(以下「デリカ」という。)に分乗し、目黒公証役場付近に到着した。ギャランには、運転手である被告平田信のほか、被告井上、中村、被告高橋、井田が乗車し、デリカには、運転手である松本のほか、被告中川、被告平田悟が乗車していた。
b 同日、公証役場に出勤していた清志は、午後4時過ぎに帰宅すべく公証役場を出て、東京都品川区上大崎3丁目付近の道路を歩き始めた。これを認めた中村は、直ちに被告高橋及び井田と共にギャランから降り、徒歩で清志の後を追尾した。他方、松本は、前記同所付近のT字路交差点に向かって歩行中の清志の動きを注視しながら、デリカを発進させて歩行中の清志と併走し、同交差点で左折してすぐに同車を停車させ、清志の進路を塞いだ。デリカが停車した瞬間、被告平田悟は、同車の後部座席左側のスライド式ドアを開け、同時に、中村、被告高橋、井田が清志の背後から襲いかかり、清志を車内に無理矢理連れ込んだ。続いて、中村、被告高橋、井田が車内に乗り込み、これを確認した松本がデリカを発進させてその場から逃走した。被告井上は、拉致直後に拉致現場に赴き、中村が現場に落とした変装用帽子を拾った後、被告平田信運転のギャランに乗り込んでその場を離れた。
c 被告中川は、デリカの後部座席で、井田らの協力を得て、清志に対し、あらかじめ用意していた全身麻酔薬であるケタラールを同人の右足のふくらはぎに注射し、間もなく、清志は意識を失った。被告中川は、麻酔効果の切れる約30分後から清志に対して全身麻酔薬である注射用チオペンタールナトリウムを点滴ラインで管注し、麻酔効果を継続させた。
d 拉致を実行した8名は、東京都世田谷区八幡山3丁目39番10号所在のレストラン「藍屋」世田谷八幡山店駐車場で落ち合い、前記デリカと諜報省使用の自動車トヨタマークII(以下「マークII」という。)に分乗して同所を出発し、同日午後8時ころ、同区粕谷1丁目25番の都立芦花公園付近に行き、同所において、麻酔の効果により眠っている清志をデリカからマークIIに乗せ換えた上、被告中川、被告高橋、被告平田悟の3名は、マークIIに乗り込み、被告井上、中村、井田、松本、被告平田信の5名と別れ、被告高橋の運転により上九一色村へ向かった。
e 他方、被告井上、中村、井田、松本、被告平田信の5名は、被告中川の指示に基づき、東京に残って、拉致に使用したデリカとギャランを杉並アジトの近くの洗車場に持ち込み、洗車したり、車内に付着した指紋及びデリカ後部座席シートに付着した清志の血痕を拭き取るなどの処置をした。
f 清志を乗せたマークIIは、同日午後10時ころ、上九一色村の第2サティアンに到着したが、移動中、被告中川は、清志を眠らせ続けるために、注射用チオペンタールナトリウムの投与を継続した。
g 被告中川は、第2サティアン到着後、直ちに、第6サティアンに赴き、治療省大臣の被告林に対し、清志を拉致してきた経緯等を説明した上、同人に全身麻酔をかけ、意識がもうろうとした状態で同人の潜在意識に働きかけるいわゆる「ナルコ」を実施して、仁科の居場所を聞き出すことの協力を求め、これを了承した被告林を伴って、第2サティアンに戻った。その後、被告中川、被告高橋、被告平田悟が、眠っている清志を第2サティアン1階の瞑想室に運び込み、被告中川と被告林は、ナルコ実施の準備を始め、清志の意識が戻るのを待った。
他方、被告井上及び中村は、翌3月1日午前3時ころ、松本の運転する諜報省のワゴン車で第6サティアンに到着した後、第2サティアンへ赴き、被告中川と共に清志の所持品を調べたが、仁科の居場所に関する手がかりは得られなかった。
h その後、被告中川及び被告林は、清志の意識が回復し始めたので、ナルコを実施することにし、同人に注射用チオペンタールナトリウムを点滴ラインで管注して、同人の意識状態を再び低下させてから、同人の身体を揺すって同人を半覚醒状態に戻した上、仁科の居場所を尋ねたが、清志から仁科の居場所を聞き出すことができなかった。そこで、被告井上及び中村は、今後の清志の処置等につき、麻原の指示を仰ぐため、松本運転の前記ワゴン車で東京に向かった。
一方、被告中川と被告林は、麻原から、清志の処置についての指示が出るまで待つことにし、それまでは同人の意識が回復しないよう、同人に注射用チオペンタールナトリウムの管注を続けるとともに、交代で同人を監視したが、同日午前11時ころ、同人は、それまでに大量に投与された全身麻酔薬の副作用である呼吸抑制、循環抑制等による心不全により死亡した。
i その後、麻原の指示により、被告中川らは、清志の死体を第2サティアン地下室に設置されたマイクロ波加熱装置で約3日間かけて焼却し、焼け残った同人の遺骨を木片で叩いて粉々に砕いた上、硝酸で溶解し、その溶液を第2サティアン付近にある本栖湖に流して捨てた。
(エ) 被告らの責任
a 前記のとおり、本件は、教団代表である麻原の指示のもとに、教団の幹部ないしこれに準ずる者や、その命を受けた者により、組織的に計画・立案され、各被告の密接な連携の下に拉致・監禁、薬物投与、殺害が行われたものである。
b 拉致の実行に携わった被告ら(被告井上、被告高橋、被告中川、被告平田悟、被告平田信)においては、教団にとって部外者である清志を教団施設内に監禁した後、同人をどのようにして解放するかについて何らの方策も立てないまま同人を拉致したものであるが、漫然と同人を解放して自らの犯罪行為を露わにすることは考えられないから、清志を拉致した時点において、その後同人の命を奪うことを予定していたか、あるいは少なくとも同人を死なせることになってもやむを得ないという考えでいたことは明らかである。清志に薬物を注入した被告中川及び被告林は、いずれも医師であり、チオペンタールナトリウムの過剰投与が、とりわけ高齢であって肉体的・精神的に打撃を受けていた清志の生命を奪う結果になり得ることは当然熟知していたはずであり、少なくともこの被告両名は、清志を死なせることになってもやむを得ないという認識、認容のもとに薬物を投与していたことは明らかである。
上記各被告らの行為は、主観的、客観的に関連共同性をもって相互に利用、補充し合う関係の下に行われたのであるから、民法719条、709条の共同不法行為責任が成立し、全員が、清志の拉致から死亡に至るまでの不法行為全体について、故意又は過失による不法行為責任を負う。
c 被告飯田は、拉致及びその後の監禁の実行には携わってはいないものの、東信徒庁長官として仁科の出家に責任を持つ立場にあって、仁科の失踪を麻原から叱責されていたのであり、尊師瞑想室でされた清志拉致の謀議にも立ち会い、拉致の直前には、グリーンコーポにおいて、拉致実行を担当した被告井上や中村に対して、清志の帰宅経路などにつき詳細な説明をし、被告井上から拉致後に清志を教団施設まで運搬するための車両の手配を依頼されたりしていたのであるから、上記各被告らと共に、清志の拉致から死亡に至るまでの一連の不法行為全体について責任を負う。
d 被告加賀原は、拉致及びその後の監禁の実行には携わっていないものの、清志と面会した際の清志の様子から清志が仁科を監禁しているのではないかなどと述べて、本件の拉致行為のきっかけを作り、拉致直前には、グリーンコーポにおいて、拉致実行を担当した被告井上らに、清志の様子などを説明していたのであるから、少なくとも清志が拉致されることの予見可能性はあったものであり、清志の拉致から死亡に至る一連の不法行為全体について責任を負う。
イ 被告飯田の原告らの主張に対する認否及び主張
(ア) 認否
原告らの主張(ア)は争う。
同(イ)aのうち、仁科が教団の在家信徒であったこと、被告飯田が仁科に出家するよう説得したことがあることは認め、その余は不知ないし争う。
同(イ)bのうち、被告加賀原が平成7年2月26日の夕刻被告飯田に対し、同月24日から仁科と連絡が取れなくなったことを報告したこと、被告飯田及び中村が、同月27日昼ころ、目黒公証役場付近に行ったこと、同所において、被告飯田が待機していた自動車内で被告加賀原の報告を受け、清志を尾行したこと、被告飯田が携帯電話で被告井上に応援を要請したことは認め、その余は否認する。
同(イ)cのうち、被告飯田が2月27日午後4時10分ころ、清志を尾行したが、JR目黒駅構内で同人を見失ったこと、そのころ、被告井上がJR目黒駅前に到着したので、被告飯田は、被告井上と目黒公証役場付近に行ったことは認め、その余は不知ないし否認する。
同(イ)d及びeのうち、被告飯田が、2月27日から28日にかけて第2サティアン3階で開催された会議に出席したこと、その席上、被告飯田が麻原から叱責されたこと、会議終了後、尊師瞑想室において被告飯田が麻原に報告をしたことは認め、同月28日被告飯田がグリーンコーポで被告井上から車両の手配を依頼されたことは否認し、その余は不知ないし否認する。
同(ウ)については、外形的な事実は認めるが、原告らの主張ではこれに被告飯田がどのように関与しているのか不明である。
同(エ)の主張は争う。
(イ) 主張
被告飯田の行った行為は、清志の行動を見張ったり、清志の行動についての情報を被告井上に提供したりしたにすぎないものであり、それとて、所在不明となった仁科の安否を気遣い、仁科を希望どおり出家させてあげたいとの善意から出た行動であって、何ら違法性はない。被告飯田は、清志の拉致・監禁に関する謀議に参加していないし、この謀議を聞いてもいなかったのであるから、教団が清志を拉致したり、薬物を使用して清志から仁科の所在を聞くという行為に出ることなど全く認識していなかったし、被告飯田にはその予見可能性もなかった。
したがって、被告飯田は、他の被告らによる清志の拉致から死亡に至るまでの一連の不法行為について、共謀共同正犯として責任を負うことはないし、上記被告飯田の行為と本件拉致・監禁行為及び清志の死亡との間に相当因果関係はないから、被告飯田が不法行為責任を負うことはない。
ウ 被告井上の主張
被告井上は、麻原から、中村が清志を強制的に上九一色村の教団施設に連れてくるのを手伝うように命じられ、その拉致を手伝ったことは認めるが、上九一色村の教団施設に清志を連れて行ったこと及びその後上九一色村の教団施設の一つである第2サティアンで、清志に対しナルコが行われたことについては関与していない。また、被告井上を含め清志の拉致に関与した被告らは、拉致の実行時において、その後清志の命を奪うことを予定していたり、あるいは同人を死なせることになってもやむを得ないと考えたりはしていなかった。
被告井上が本件に関与したのは、麻原の指示が修行であり、かつ、断ったり下向したりすればポア(殺害)されるという現実的な恐怖があったことからその指示を断れなかったためである。
エ 被告加賀原の原告らの主張に対する認否及び主張
(ア) 認否
原告らの主張(ア)は認める。
同(イ)aのうち、仁科が教団の在家信徒として教団に所属していたこと、仁科が準出家信者扱いで教団の東京総本部に寝泊まりさせられるようになったことは認めるが、その余は不知。
同(イ)bのうち、被告加賀原が平成7年2月26日の夕方、仁科が青山道場に戻らないと被告飯田に報告したこと、被告加賀原が同月27日ころ、清志が勤務する目黒公証役場へ行き、仁科の居場所を尋ねたが清志は答えなかったこと、被告加賀原が被告飯田及び中村に清志とのやり取りを報告したことは認め、その余は否認する。
同(イ)c、dは不知。
同(ウ)は不知。
同(エ)は争う。
(イ) 主張
被告加賀原は、平成7年1月2日ころ、教団信者の要請により仁科の車の運転手となり、その後仁科を船橋ゴルフカントリークラブなどに連れて行くようになり、同年2月26日ころ、被告飯田から、仁科が行方不明になったので、目黒公証役場に親戚の人がいるから仁科の居場所を聞いてくるようにと言われ、目黒公証役場に行って親戚の人に仁科の居場所を聞いたが、教えてもらえなかった。この応対に出たのが清志であったが、当時、被告加賀原は、それが清志であると知らなかったし、仁科の兄であるということも知らなかった。被告加賀原は、その後の清志の拉致に関与していない。なお、被告加賀原は、平成7年11月ころ教団を脱会し、現在は教団とは無関係である。
オ 被告中川の原告らの主張に対する認否
原告らの主張(ア)は認める。
同(イ)は不知。
同(ウ)は認める。
同(エ)のうち、被告中川が清志を死なせることになってもやむを得ないという認識、認容のもとに薬物を投与していたとの点は否認する。
カ 被告林郁夫の原告らの主張に対する認否
原告らの主張(ア)のうち、教団が麻原を絶対者とする組織であったことは認め、その余は不知ないし否認する。
同(イ)及び同(ウ)a、bは不知。
キ 被告平田悟の主張
被告平田悟は、麻原の命により、清志の拉致を、上司である被告井上から命じられて実行したものである。オウム真理教では上司の命令は絶対であり、被告平田は、本件以前にも多くの事件に関与していたことから逃げ出すことは不可能であり、逃げ出すことなど思考の一端にも浮かばなかった。清志を死亡させてしまったことは事実であり、原告らから金銭を請求されても当然だとは思うが、本件は、被告平田悟にとってオウム真理教の仕事の一環として、絶対従わなければならないものであったから、その責任のほとんどは教団にあると考える。
(2)  争点2(本訴関係)
被告らに不法行為責任が認められる場合、損害額はいくらか。
ア 原告らの主張
(ア) 清志の死亡により生じた損害は以下のとおりである。
a 逸失利益 4473万3600円
清志は、本件当時68歳であったが、至って健康であり、長らく目黒公証役場の事務長として勤務しており、その技能経験は高く評価されていたので、今後もこれを継続する予定であった。68歳の男性の平均余命は14.27歳であるから、少なくとも清志が満80歳に至るまでの12年間は仕事を続けられたと合理的に判断できる。したがって、同人の死亡による逸失利益は以下のとおりとなる。
(計算式)
621万3000円(平成6年年収)×12(就労可能期間)×0.6(生活費控除)=4473万3600円
b 葬儀費用 250万4603円
c 弁護士費用 1104万6020円
d 慰謝料 7000万円
清志は、仁科の相談を受けてからは常にオウム真理教信者らからの攻撃に備えつつ、拉致される危険におびえながらも実妹を救うため行動していたものであり、さらに予期した最悪の事態である拉致に遭い、無理矢理ワゴン車に連れ込まれたときの恐怖感、薬物を注射されたときの死への恐怖感、実妹の居場所を聞き出すために薬物を注射され、そのたびに意識が薄れていく中で実感させられた死への恐怖感などは筆舌に尽くし難い。しかも、遺族である原告らは、清志がいなくなって以降、一家の大黒柱を失った上に、同人が生存しているかどうかも分からないまま不安的な時を過ごすことを余儀なくされ、オウム真理教信者らからの攻撃におびえて生活していたものであるから、原告らも同時に精神的損害を被ったものである。さらに、被告らによる清志の遺体の処理は残虐で目を覆うばかりの方法で行われており、専ら証拠堙滅のために遺体は跡形もなく破壊されており、遺族である原告らは弔うこともできず、耐え難い苦痛を受けている。以上の清志の精神的損害の相続と原告ら独自の精神的損害を併せると、その総額は合計で7000万円を下らない。
(イ) 原告らは、清志の死亡により、その損害を、原告サトが2分の1、その余の原告らが各6分の1ずつ相続した。また、原告ら固有の精神的損害も、前記のとおりの割合で発生している。
イ 被告飯田の主張
原告らの主張する損害のうち葬儀費用、逸失利益についてはその立証がないし、弁護士費用や慰謝料については過大に過ぎる。
ウ 被告高橋、被告平田信を除くその余の被告らの主張
原告らの主張は争う。
(3)  争点3(反訴関係)
原告らの本訴提起は不法行為を構成するか。
ア 反訴原告(被告加賀原)の主張
原告らの提起した本件訴訟は、全く理由のない不当訴訟であり、これにより、被告加賀原は、弁護士費用782万5000円(既払の着手金257万5000円と成功報酬525万円)、慰謝料100万円の合計882万5000円の損害を被った。
イ 反訴被告(本訴原告)らの主張
本件訴訟が不当訴訟として不法行為を構成することは争う。
3  公示送達
被告らのうち、被告高橋及び被告平田信は、公示送達による呼出しを受けながら、本件口頭弁論期日に出頭しない。
第3  争点に対する判断
1  本件監禁致死事件に至る経緯等
前記前提となる事実と証拠(甲1ないし7号証、16ないし36号証、38ないし43号証、45号証、47ないし49号証、51号証、53ないし56号証、65ないし67号証、71ないし126号証、乙C1ないし4号証、乙E1ないし3号証、乙G1ないし10号証、13号証の1ないし4、乙M1ないし8号証、被告井上、被告中川及び分離前被告井田各本人)並びに弁論の全趣旨を総合すると、本件監禁致死事件に至る経緯等について、以下の事実を認めることができる。
(1)  清志の経歴等
清志は、大正15年10月22日に出生し、明治大学法学部を卒業後、昭和24年から昭和28年まで、裁判所に勤務していたが、体調を壊して退職し、実妹である仁科の夫である仁科恒彦が、昭和30年に目黒公証役場の公証人になったのに伴い、目黒公証役場の事務員として勤務するようになり、本件当時、目黒公証役場の事務長として勤務していた。清志は、昭和34年11月16日に原告サトと婚姻し、同原告との間に原告実、原告英彦、原告法子の2男1女をもうけ、平成7年当時は、原告サトや原告実夫婦、原告法子と東京都江東区亀戸の自宅に居住していた。なお、目黒公証役場の建物は、仁科が所有しており、その2階が仁科の自宅となっていた。
(2)  オウム真理教と被告らの地位等
ア 教団は、麻原が昭和59年2月ころ発足させたものであり、初め「オウム神仙の会」と称していたが、昭和62年7月ころ、オウム真理教と名称を変更し、平成元年8月25日に東京都から宗教法人の認証を受けた。教団は、教団に入信し、出家して修行を積めば解脱することができるなどと説き、全国各地に支部や教団施設を設けるなどして積極的に信徒獲得活動を行った結果、解脱を求める多数の者が教団に入信し、出家する者も増加した。麻原は、自ら超能力の持ち主である「最終解脱者」と称し、自らを教団内における絶対的存在で、崇拝の対象と位置付け、信徒に「尊師」と呼ばせており、原始仏教やチベット密教の教えを取り入れた独自の教義を説き、解脱に至るには麻原に帰依した上、麻原の命令を忠実に実践し、功徳を積むことが必要であると説いていた。また、出家しようとする者は、その全財産を教団に「お布施」の形で寄付することが必要とされていた。
イ 麻原は、かねてより、政治的、宗教的権力を一身に掌握したいという野望を有していたところ、平成2年2月施行の衆議院議員総選挙において、真理党を旗揚げし、他の教団幹部と共に立候補したものの、麻原自身を含む全員が落選の憂き目に会い、これを契機に社会や国家権力に対する反感を強め、このころから毒性の強い細菌を無差別、大量に散布することを目論んでボツリヌス菌の採取、大量培養等を教団幹部に指示したり、平成5年春ころには、ロシア製を模倣した自動小銃、毒ガス等の武器や化学兵器の開発、製造を教団幹部に指示したりするようになった。その結果、平成6年2月には毒ガスであるサリン約20キログラムが生成されるに至り、同年12月下旬には、上九一色村の第7サティアンにサリン生成化学プラントが完成した。
ウ 被告らは、本件監禁致死事件当時、いずれも教団の出家信者であり、医師の資格を持つ被告林は、治療省大臣であった。被告飯田は、東信徒庁長官であり、被告加賀原は、東信徒庁に所属していた。被告井上は、諜報省大臣であり、被告平田悟、被告高橋及び松本は、諜報省に所属していた。また、中村は、自治省に、医師である被告中川は、法皇内庁に、被告平田信は、車両省に、井田は、建設省に所属していた。なお、諜報省は、教団において、尾行、盗聴などを含めた非合法活動を担当する部門であった。
(3)  仁科が教団の前から姿を消すに至る経緯
ア 仁科は、昭和62年に夫と死別したが、平成4年9月ころから教団が主催するヨガ教室に通うようになり、平成5年10月ころ、教団の在家信者となった。
仁科は、平成7年1月までに、所有していたゴルフ会員権を売却するなどして、合計6000万円を「お布施」として教団に寄付していたが、仁科が多額の財産を有することを知った教団は、仁科を出家させてその全財産を教団に寄付させることを考え、平成7年になると、東信徒庁長官であった被告飯田などが中心となって執拗に出家するよう説得するようになり、仁科は、同年2月末までに、すべての所有財産を教団に寄付して出家することを約束させられ、同月14日ころから、準出家信者として、東京都港区南青山所在の青山道場で寝泊まりさせられるようになった。
イ しかしながら、仁科は、自宅の土地建物は場合によっては清志ないし清志の子供(原告実ら)に譲ってもよく、また箱根の別荘は今後も静養地として自分で使用したかったことなどから、すべての財産を教団に寄付して出家することに抵抗を覚え、同月18日ころから、教団から脱退することを考えるようになり、自己名義の預貯金を引き出して他人名義で預け直したり、生命保険を解約したり、箱根の別荘の権利証などを公証役場の金庫にしまったりするなどして、自己の財産を教団から隠蔽する行動に出た。もっとも、仁科は、青山道場から出る際には教団の信者(被告加賀原など)に許可を取らなければならなかったし、外出時には多くの場合被告加賀原が同行したので、上記の財産隠蔽行動はある程度時間をかけて徐々に行われた。
ウ 仁科は、同月24日、かねてからの予定どおり、箱根に住む友人宅へ向かったが、たまたま被告加賀原が所用のために同行できなかったのを幸いに、そのまま小田原市内の友人方に泊まり、同日は青山道場に戻らず、翌25日も青山道場に戻らないままで清志に連絡を取って教団からの脱退について相談をした。
エ 清志は、従前から仁科が教団に関わっていることは知っていたものの、平成7年2月25日、仁科からの相談を受けて、事態が差し追っていることを認識した。同日の夜、清志方で、清志の家族を交え、清志と仁科との間で話合いがもたれ、仁科は、清志らに対して、これまでに6000万円を教団に「お布施」として寄付していること、教団から出家するよう強く求められており、このままでは教団に全財産を取られてしまうので出家したくないこと、それゆえ教団を辞めたいことなどを述べた。話合いの結果、仁科は、しばらく清志方に身を隠し、教団から抜けるために弁護士を依頼するとともに、清志方の警備も整えることなどが決められ、仁科は、同月27日まで清志方に匿われ、その後、千葉県船橋市内の友人方に身を隠した。この時点では、清志は、自分の家族を守るためには、仁科を教団へ帰らせることもやむを得ないと考えていた。
(4)  仁科が姿を消した後の教団の対応
ア 被告加賀原は、平成7年1月ころから、仁科が自宅と青山道場を行き来する際の送迎車の運転手を務めるようになった。そのため、被告加賀原は、仁科の担当者のような立場となっていたが、同年2月24日から仁科が青山道場に戻らず、教団に対する連絡も途絶えたことから次第に不審を抱くようになり、同月26日午前中、目黒公証役場と同じ建物内にある仁科の自宅に様子を見に行ったが、仁科は、不在であった。被告加賀原は、同月24日に仁科が行くことになっていた箱根在住の仁科の友人に連絡を取ったところ、同人から、仁科が予定どおり箱根に来たこと、仁科がまた被告加賀原と共に来ると言っていたことなどを聞かされた。そのため、被告加賀原は、仁科は出家の意志を持っているにもかかわらず、身内の者などに出家を反対されて監禁されているのではないかと考えたが、仁科の履歴書や布施リストといった書類を仁科に渡してしまっていたことから、仁科の親族らに電話をかけることもできなかった。
イ 被告加賀原は、仁科の自宅の1階に入っている目黒公証役場に仁科の兄らしき身内が勤めており、その身内が亀戸に住んでいるということは知っていたことから、同月26日夕刻ころ、被告加賀原の上司であり、仁科の出家問題に関わっていた被告飯田に対し、2、3日前から仁科が友人のところに1人で出かけて行ったまま帰らない旨の報告をするとともに、仁科が出家に反対する身内に監禁されているのかもしれないと述べた。被告加賀原から報告を聞いた被告飯田は、それまでにも出家しようとした信者を親族が監禁することがあったことから、仁科もそのような事態になっているのではないかと思い、松本に仁科の自宅の様子を見に行ってもらったところ、自宅に自動車はあるが仁科はいないとのことであったため、諜報省大臣である被告井上に電話をして、仁科の所在調査を手伝ってくれないかと協力を求めた。これに対して、被告井上は、忙しいので自分は行けないが、自分の代わりに諜報省所属の被告平田悟を行かせる、諜報省所属の松本も使ってよいと答えた。そこで、仁科の捜索については、被告飯田、被告平田悟、被告加賀原、松本、自治省所属の中村らが行うことになった。
ウ 同月27日午前2時ころ、被告飯田は、被告平田悟、松本、中村及び被告加賀原らと共に仁科の自宅に行って様子を調べたが、仁科の自動車があることから仁科が一度自宅に帰って来たことは分かったが、仁科が在宅している形跡はなかった。
エ 被告飯田は、同月27日朝、部下の信徒に対し、仁科の住民票や戸籍の調査を指示し、同日昼ころ、中村及び被告加賀原と共に車で目黒公証役場に向かった。同日午後1時ないし2時ころ、被告飯田及び中村は、目黒公証役場の近くに止めた車内で待機し、被告加賀原のみが目黒公証役場へ赴き、応対した清志に対し、マハーポーシャの加賀原であると名乗って名刺を渡し、仁科と連絡を取りたい旨を述べたが、清志は、仁科の兄であると名乗り、仁科の居場所は分からないなどと答えた。被告加賀原は、車へ戻って、被告飯田らに対して、前記清志とのやり取りを説明するとともに、清志の態度が不自然であり同人が仁科の居場所を知りながらそれを隠しているのではないかという意見を述べた。その後、被告飯田及び中村において、仁科の居場所を知る手ががりを得ようと、目黒公証役場から外出した清志を尾行し、銀行に立ち寄った清志のそばに近づいて清志の名前を確認したりした。その後、被告飯田らは、諜報省大臣である被告井上に携帯電話で連絡を取り、再度仁科の所在調査について被告井上の援助を要請したところ、被告井上もこれに応じて目黒公証役場近くまで来ることになった。
オ 清志は、前記のとおり被告加賀原が公証役場を訪ねて来たことに加えて、前記外出の際の被告飯田らの尾行にも気付いたことから、単身で帰宅することに危険を感じ、たまたま目黒公証役場に来訪していた顧客の男性らと共に帰宅することとし、同日午後4時ころ、この男性らと共に公証役場を出た。被告飯田らは、清志を尾行したが、同日午後4時10分ころ、JR目黒駅構内で清志の姿を見失った。そのころ、被告井上及び被告高橋は、ワゴン車に乗ってJR目黒駅前に到着して被告飯田らと合流した。そこで、被告飯田と中村は、目黒公証役場近くの路上に駐車したワゴン車の中で、被告井上に対し、仁科が失踪したこと、その所在を知るべく兄である清志を尾行したが見失ったことなどを説明した上、清志の態度が怪しいので仁科を急いで探した方がいいのではないかなどと話し、3人で相談したが、具体的な対策は見出せず、被告井上は、もう少し状況を見た方がよいと言った。また、その際被告井上は、被告飯田らの案内で、自ら目黒公証役場の場所を確認した。その後、被告飯田は、教団信者の1人に、亀戸の清志方の様子を見て来るよう指示し、被告飯田自身も車で亀戸の清志方の周辺に行き、その様子を観察するなどした。
カ 清志は、被告飯田や被告加賀原の行動や仁科の話から、仁科を匿うことによって清志自身やその家族が教団から拉致・監禁など何かをされることを懸念し、同月27日の夜、万一のことがあったら警察に届け出て捜査してもらうよう依頼する手紙を書き、これを原告サトや原告実に見せ、被告加賀原から受け取った名刺と共にこの手紙の保管を原告サトに依頼し、更に就寝前、原告サトに対し、もしかすると連れて行かれてしまうかも知れないからと言って、自分の財布から現金のほとんどと銀行関係のカード類を抜き出し、これも原告サトに預けた。
(5)  清志の拉致計画の立案と準備
ア 平成7年2月27日から同月28日にかけての深夜、上九一色村の第2サティアン3階の第2瞑想室で、教団の信徒対応責任者会議が開かれた。これには、教団の各支部の支部長や被告飯田、被告井上、中村などが参加し、獲得信徒数、出家者数、布施の総額、来道者数などの報告がされた。被告飯田も、東信徒庁長官として報告を行ったが、麻原から、東信徒庁に活気がないのは被告飯田のせいであるなどと叱責された。会議終了後、被告飯田は、麻原のそばに行き、仁科が行方不明になっていることを報告したところ、麻原から「それはお前の責任だ」などとして更に激しい叱責を受けた。
イ その後、麻原は、第2瞑想室からこれに隣接する尊師瞑想室に移動し、これに続いて科学技術省大臣であった村井、被告飯田、中村、被告井上らが尊師瞑想室に入った。そこで、被告飯田と中村が、麻原に対し、出家予定者であった仁科が行方不明になった後、被告飯田、中村、被告加賀原らが公証役場付近まで赴き、被告加賀原が清志と接触したこと、その際の清志の対応が不自然であったこと、その後被告飯田と中村が外出した清志を尾行したところ清志には不自然な行動が見られたこと、清志が目黒公証役場から帰る際にボディーガードと思われる暴力団員風の男と一緒に出てきたことなどを話した。すると、麻原は、仁科が既に監禁されているかもしれない、被告飯田がしっかりしないからこういうことになるなどとして再び被告飯田を叱った。その上で、麻原は、被告飯田に対し、厳しい口調で、「もうお前は何もやらなくていい。結果が出ないということは心の反映だ。こういう状況では何をやっても結果が出ないから、修行していなさい。」と述べたので、被告飯田は、以後は、麻原、村井、被告井上、中村らの会話の輪から一歩下がってドア寄りの席に移動し、会話には加わらなかった。
麻原は、上記のとおり被告飯田を叱責した後、尊師瞑想室内に居合わせた者たちに対して、仁科が行方不明になったことについてどう対処したらよいかという趣旨の問いを発した。これに対し、中村から、仁科の兄の清志を拉致して居場所を聞き出したらどうかという趣旨の提案がされた。麻原は、この提案を了承して、中村に対し、井田と共に拉致を実行するよう命じるとともに、前記被告飯田の説明から清志にはボディーガードが付いている可能性が考えられたため、拉致実行のための方策として、科学技術省の開発したレーザー銃を使用することや、被告井上を含む諜報省の者が援助することなどを指示した上、2月28日中に清志を拉致するよう命じた。その際、被告井上は、それまで教団が信者などを拉致する際に、教団所属の医師が参加して麻酔を使用したことがあったことから、拉致の手助けをする医師として被告中川を推薦したところ、麻原は、これを了承した。
他方、被告飯田は、前記のとおり麻原から叱責され、麻原らの会話の輪からはずれた位置に移動した後も、しばらくの間は、さらに麻原から指示を受けるべく尊師瞑想室に止まっていたが、頃合いを見計らって退去し、少なくとも被告井上が被告中川を清志の拉致に参加させる提案をしたころには、尊師瞑想室には居なかった。
ウ 上記のとおり尊師瞑想室において清志を拉致することの謀議が成立した直後ころ、村井、中村及び被告井上は、尊師瞑想室の外側に位置するリビングと呼ばれる部屋において、中村が呼び出した被告平田信を交えて、4人で、清志の拉致についての打合せを行った。この打合せの結果、レーザー銃のバッテリーの充電に時間がかかることから、被告井上及び中村が先発し、被告平田信は、充電ができ次第都内に向かい、被告井上らと合流することとされた。また、当時井田は、教団の信徒の中田清秀の運転手として、岐阜県関市へ向かっていたために、上司である早川紀代秀を通して連絡を付け、都内で被告井上らに合流させることとされた。
エ 被告井上は、同月28日午前3時ないし4時ころ(以下、(7) のアまで特に月日を示さないときは同月28日を指す。)、第6サティアン2階にいた被告中川に対し、「お布施」をしようとしている妹を兄貴が隠したので、兄貴を連れて来て、ナルコ(麻酔薬を投与して、意識をもうろうとさせた上で対象者から話を聞き出すこと)をして妹の居場所を聞き出さなければならないこと、兄貴を連れて来るとき麻酔で眠らせてほしいこと、すぐに東京に来てほしいことを告げた。そこで、被告中川は、筋注用ケタラールを2ヴァイアル、静注用チオペンタールナトリウム(10アンプル)、各種注射器、点滴用セット、人工呼吸用のマスクや救急蘇生用の器具をバッグなどに詰めて準備した。なお、ケタラール、チオペンタールナトリウムは、いずれも麻酔薬であるが、ケタラールは、身体のどこに注射しても効果があり、致命的な副作用が少なく安全であるとされていた。また、チオペンタールナトリウムは、ナルコでも使用され、静脈注射用として教団で使用実績があった。被告中川は、被告井上らとは別行動を取って都内に向かい、午前8時ころまでに、諜報省が活動拠点として使用していた東京都杉並区今川4丁目23番5号所在の一軒家(以下「今川アジト」という。)に到着した。
オ 被告井上は、午前4時ころ、中村と共に上九一色村の教団施設を出発した。途中、被告井上は、グリーンコーポに居住する被告飯田に電話し、グリーンコーポに行くので起きていてほしいことや被告加賀原を呼び出しておいてほしいことを伝えた。被告飯田は、グリーンコーポに戻って寝ていたが、被告井上からの電話に従い、被告加賀原をグリーンコーポに呼び出した。
被告井上及び中村は、午前6時前にグリーンコーポへ到着し、被告井上は、既に到着していた被告加賀原から前日の公証役場における清志とのやり取りなどの状況について事情聴取を行ったり、被告飯田から清志の自宅周辺の地図を見せてもらうなどして清志の自宅周辺についての説明を受けた。その際、被告加賀原が、清志と面会した際に同被告のマハーポーシャの名刺を交付した旨を述べたところ、これを聞いた被告井上は、立腹し、被告加賀原を激しく叱責した。被告加賀原は、前記のとおり被告井上から事情聴取を受けた後、直ちに、被告井上や中村の指示に従ってグリーンコーポから立ち去った。
被告井上は、被告飯田に対し、普段から上九一色村と東京を往復しているワゴン車の手配を依頼した。
(6)  本件拉致・監禁行為の実行
ア 被告井上及び中村は、午前7時ころ、今川アジトへ到着し、前記のとおり午前8時ころまでには被告中川も今川アジトへ到着した。被告井上、中村、被告中川は、今川アジトにおいて、清志をどこで拉致するかについて話し合い、清志の自宅のある江東区亀戸ではなく、目黒公証役場付近で拉致すること、レンタカーを使用することなどを決めた。
また、被告井上は、いずれも諜報省に属する被告高橋を拉致の実行要員として、被告平田悟を被告平田信がレーザー銃を持って乗る車の運転手として、松本は清志を拉致して乗せるワゴン車の運転手として、それぞれ拉致の実行に関与させることとし、同日、今川アジトにいた松本及び諜報省所属の林武に対し、偽造免許証でワゴン車と乗用車をレンタカー会社から借りてくるよう指示する一方、今川アジトにいた被告高橋、被告平田悟などに対しては、仁科の居場所を聞き出すために清志を拉致して麻酔薬を使って居場所を自白させるという同日の行動予定を伝えるとともに各自の役割分担を説明するなどした。
イ 松本及び林武の両名は、被告井上の指示に従って、ニッポンレンタカー上井草営業所で乗用車であるギャランを、同高井戸駅前営業所でワゴン車であるデリカを借り出し、今川アジトの近くのデニーズの駐車場に止めた上、被告井上の指示に従ってデリカの後部座席の窓に黒色のカーフィルムを貼った。
ウ 午前10時ころ、被告平田信から被告井上に対してまもなく東京に着くという連絡が入ったことから、被告井上は、甲州街道沿いのレストラン「すかいらーく」を合流場所として指定した。そして、被告井上らも無線機などを持って今川アジトを出発し、前記デニーズの駐車場からデリカ及びギャランに被告井上、被告中川、中村、被告平田悟、被告高橋、松本、林武が分乗し、前記「すかいらーく」に移動した。その後、被告平田信も到着し、林武は、被告平田信の乗ってきた車に乗って上九一色村に帰り、その他の者は、ギャランとデリカに分乗して仁科の自宅(目黒公証役場)近くの目黒通りに午前11時過ぎころ到着した。ここで、被告井上と被告平田信(運転席)がギャランに乗り、松本(運転席)、被告高橋、中村、被告平田悟、被告中川がデリカに乗って井田の到着を待つこととなった。
エ 井田は、前記のとおり、同日の未明の時点で、中田清秀の運転手として岐阜県関市へ向かっていたが、早川紀代秀からの連絡を受けて、上九一色村に引き返し、そこで、港区南青山の東京総本部に行くようにとの早川の指示に従い、東京総本部に向かった。
井田は、東京総本部で、中村から井田を目黒公証役場付近まで送るよう指示されていた被告加賀原と合流し、目黒公証役場付近まで被告加賀原に車で送ってもらい、午前12時までには同役場付近に到着し、被告井上らと合流した。この車内において、被告加賀原は、井田に対し、出家しようとしていた女性信徒の兄が出家に反対したため、その女性信徒が行方不明になったので、その兄が行方を知っているかもしれないなどという説明をした。被告加賀原は、井田を送り届けた後、被告井上ないし中村から帰ってよいと言われたので、すぐに現場を離れた。
オ この時点で、目黒公証役場に通じる路地の出口のそばにある八百屋(鈴木フルーツ店)が開店していなかったので、中村が、被告中川、被告井上、被告高橋、松本、井田がいる車内で、レーザー銃を使って同役場を直接襲ってはどうかという提案をしたが、被告井上は、反対し、念のため、レーザー銃が実際に目くらましの役に立つかを実験することにし、被告井上と被告平田信が通行人に向けてレーザー銃を使ったが、目くらましの役に立たないことが判明した。また、前記の八百屋が開店したことから、公証役場を直接襲う計画は取りやめとなった。その後、被告井上らは、デリカの車内で、レーザー銃が使えないことを前提として、拉致の実行について話合いをし、清志が役場から出て目黒通りを歩いているときに、デリカを清志の前方に回り込ませて進路を塞ぎ、清志をデリカに押し込んで拉致すること、中村、井田、被告高橋の3人は路上で待機し、清志が出てきたら後を付けるとともに、無線機を使って被告井上とデリカに乗車している者らに連絡し、それから清志をデリカの後部座席に押し込むこと、被告平田悟は、デリカの後部座席で待機して清志を車内に引き込むこと、被告中川は、デリカの車内に入れられた清志が暴れることを防ぐため、麻酔薬を注射して清志を眠らせること、松本は、デリカを運転して清志の進路を塞ぎ、清志が車内に押し込まれ他の3人も乗り込んだらデリカを発進させて現場から離脱すること、被告井上は、ギャランの車内で待機して周囲の状況を観察すること、被告平田信は、ギャランを運転して、清志の拉致が成功したら、被告井上を乗せて現場から離脱することなどの役割分担を決め、全員にこれが伝えられた。
その後、清志を実際に押し込む役割の中村ら3名の待機場所が人目に付く路上からギャランの後部座席に変更され、デリカの運転席には松本が、後部座席には被告中川及び被告平田悟が、ギャランの運転席には被告平田信が、助手席には被告井上が、それぞれ乗車して待機することとなった。
カ 午後4時ころ、目黒公証役場から同役場の公証人である福間佐昭が帰宅したが、同公証人は、外見が清志と似通っていたことから、中村、井田がこれを追いかけたものの、途中で人違いであることに気付いた。
キ 午後4時30分ころ、清志が公証役場から出てきたことから、中村、被告高橋、井田の3名(以下「中村ら3名」という。)が、清志を背後から追尾し、他方、松本は、デリカを発進させて歩行中の清志と併走した後、清志の進路を塞いで左側後部ドアが歩行中の清志の直前に位置するようにデリカを停車させ、その瞬間被告平田悟が、前記ドアを全開にし、同時に中村ら3名が、背後から清志に襲いかかり、同人をデリカに押し込もうとしたが、同人がその場に転倒し、その身体がデリカの車底と地面の隙間に入り込んだ。そこで、松本がデリカを移動させ、中村ら3名が大声で助けを求める清志の体を無理矢理抱きかかえてデリカの後部座席に押し込んだ。その際、デリカの車内にいた被告平田悟も車内から清志の頭部を抱え、口を押さえるなどしてこれを手伝った。中村ら3名は、上記のとおり清志をデリカに押し込み、続いてデリカに乗り込んだので、松本は、デリカを発進させ、教団の世田谷道場の方へ向かった。清志は、上記のとおり拉致される過程で額を負傷して出血したため、デリカのシートに清志の血痕が付着した。一方、被告井上は、中村が拉致現場に落とした変装用帽子を拾った後、被告平田悟運転のギャランに乗り込んでその場を離れた。
ク 被告中川は、デリカの後部座席で、清志に対し、あらかじめ用意していた全身麻酔薬であるケタラール3ないし4ミリリットルを同人の右足のふくらはぎに注射したところ、清志は、2、3分で入眠した。途中、清志の呼吸が停止したため、被告中川が指示してデリカを停車させたが、被告中川が仰向けであった清志を横向きにすると、呼吸が戻ったため、再びデリカを発進させた。
ケ その後、被告中川は、麻酔の効果の切れる約30分後から清志に対して全身麻酔薬である注射用チオペンタールナトリウムを投与することとし、清志を拉致してから後記のとおり上九一色村に到着するまでに、2、30分に1回、0.5グラムのチオペンタールナトリウムを200ミリリットルの蒸留水に溶かしたものを投与して、合計で2.5ないし3グラムのチオペンタールナトリウムを清志に投与した。なお、チオペンタールナトリウムは、総投与量が2.5ないし3グラムを越えると著明な覚醒遅延を引き起こすものであるが、被告中川は、本件当時これを認識していなかった。
コ 清志の拉致を実行した中村らの乗ったデリカは、環状8号線沿いにある東京都世田谷区八幡山3丁目39番10号所在のレストラン「藍屋」世田谷八幡山店駐車場に午後6時から6時30分ころまでに到着した。
他方、被告井上らは、被告飯田に依頼していた清志を上九一色村に運ぶための自動車を受け取りに行ったが、その途中、被告井上に、被告飯田から仁科から連絡があった旨の電話があった。被告井上は、教団の世田谷道場の出家信者から自動車を受け取ったが、これは、デリカと同じ型であったことから、被告井上は、他の自動車を用意する方がよいと考え、午後7時半から8時ころまでの間に、諜報省の所有するマークIIを調達して、中村らと合流した。そして、被告井上らは、世田谷区粕谷1丁目25番の都立芦花公園に車で移動し、午後8時ころ、デリカの後部座席から清志をマークIIに乗せ換え、被告平田悟、被告高橋、被告中川がこれに乗車して上九一色村へ向かった。他方、被告平田信、被告井上、中村、井田、松本は、被告平田信の運転するデリカで今川アジト近くの洗車場へ行き、拉致に使用したギャランとデリカの2台を洗車して、指紋が残らないようにしたり、車内の掃除をしたり、前記のとおりシートに付着した清志の血痕をホルマリンで洗浄したりするなどして、被告らが拉致に関与した証拠が残らないようにした。なお、シートをホルマリンで洗浄したのは、被告中川の指示に基づくものであった。
(7)  ナルコの実施と清志の死亡
ア 被告中川は、第2サティアンに到着すると、マークIIに清志や他の者を残して、第6サティアンに赴き、午後10時ころ、教団治療省大臣の被告林に対し、麻原の指示で被告林と被告中川とでナルコを実施することになったから手伝ってほしい旨申し入れた(なお、ナルコについては、被告中川には十分な実施能力がなく、もっぱら被告林が実施することとなっていた。)。そこで、被告林は、これに協力することとし、教団が自家製造していたチオペンタールナトリウム入りのヴァイアルや、点滴セット、注射器セット、輸液などナルコを実施するのに必要な道具を準備し、被告中川らと共に第2サティアンに向かった。そして、被告中川、被告高橋、被告平田悟は、清志を第2サティアン1階の瞑想室に運び込んだ。被告林は、意識を失っている清志の状態を見て、清志がナルコに耐えられるか否かを確認するため、さらに血圧計、聴診器、フランドルテープ等を用意した。その後、被告中川や被告平田悟などが、被告林に対し、仁科という信徒の布施を邪魔した、その兄である假谷という人を連れて来たこと、ナルコを実施して、妹である仁科の居場所を聞き出したいこと、拉致時には、ケタラールを筋注した後、チオペンタールを午後5時ころから、5、6アンプル分投与したこと、途中1回状態が悪くなりマウスツーマウスをしたところ回復したことなどを説明した。被告林は、清志の脈拍、血圧などを確認した上、点滴ラインを清志の右手甲に設置し、カテーテルを用いて導尿をした(カテーテルで導尿することにより、清志の身体状態を把握することもできる。)。また、清志がニトログリセリン系の薬剤を所持していたことから、狭心症の発作に備え、フランドルテープを清志に巻き、保温のため清志の身体に毛布を掛けた。清志の状態を見た被告林は、呼吸や血圧に特に問題がなかったことから、ナルコを実施しても直ちに生命の危険が生じるような状態ではないと判断し、清志の意識が戻るのを待ってナルコを実施することにした。この時点では、ある程度清志を覚醒状態にするため、チオペンタールナトリウムの投与は中止されていた。
イ 平成7年3月1日(以下、(8) まで特に月日を表示しないときは3月1日を指す。)午前2時ころ、村井が第2サティアンの入り口付近に来て被告中川を呼び、清志の拉致の件で警察が動き始めていることを話し、被告中川は、多分目撃者がいるし、清志にけがや注射痕が残るであろうと答えると、村井は、帰せないかもしれないなと言った。
ウ 被告井上及び中村は、午前3時ころ、松本運転のワゴン車で第6サティアンに到着した後、第2サティアン1階に赴き、被告中川と共に清志の所持品を調べたが、仁科の居場所に関する手がかりは得られなかった。
被告井上は、被告林らに対し、仁科が行方不明になったことなどの経緯や既に仁科から出家をやめたいとの連絡が入っていることを話した。
エ 被告林及び被告中川は、清志の意識がかなり戻ってきたことから、午前3時ころからナルコを実施した。その際、1ヴァイアル(0.5グラム)のチオペンタールナトリウムを20ccの生理的食塩水に溶かした水溶液を13ないし15cc使用し(したがって、チオペンタールナトリウムを、0.325ないし0.375グラム投与したこととなる。)、麻酔がかかった後、清志の身体を揺すぶり半覚醒状態にして、40分程度の間にナルコを2回実施したが、結局、仁科の居場所を聞き出すことはできなかった(なお、2回目のナルコには被告井上も一部立ち会った。)。
そこで、被告井上及び中村は、今後の清志の処置等につき、麻原の指示をあおぐため、松本運転のワゴン車で東京に向かった。
オ 被告林と被告中川は、麻原らの指示を待つこととし、被告林が清志の様子を監視した。被告林は、清志を継続的に眠らせるため、ナルコから30分位して、100ccの生理的食塩水にチオペンタールナトリウム500ミリグラムとナルコ時の使い残りのチオペンタールナトリウム水溶液5ないし7ccを入れ、これと500ccの電解質液とを、三方活栓を利用して、左手の甲付近の血管に指した留置針を経由して清志に投与した。被告林は、麻酔の深度が深くなりすぎると、舌根沈下や唾液の誤飲を起こして気道閉そくを招く危険があることから、清志の体勢を横向きにするなどしたが、最終的に仰向けとし、瞑想室の出入口のドアのすぐ外で椅子に座り、情志の状態を観察し、1時間おきくらいに清志の意識を確認し、これが戻ってきているようであれば点滴の落ち加減を調整した。
午前4時ころ、村井が第2サティアンの入口に来たので、被告中川は、村井に対し、清志は妹のことは知らないようだと報告した。村井は、ニューナルコで記憶をなくして帰せないかと言ったので、被告中川は、ニューナルコは不完全だし、うまくいっても、体内から薬物が検出され、また注射痕も残るので分かってしまう、それでもよければ帰す、と答えた。
カ その後、被告中川は、午前9時ころまでの間、拉致実行時に着用していた服などを燃やしに行ったり、第6サティアンの自分の部屋に着替えを取りに行ったりした。被告中川は、午前9時ころ、被告林と清志の監視を交代したが、その際、被告林は、被告中川に対し、清志の麻酔の深度を調整し、舌根沈下と唾液の誤飲に注意するよう指示した。その後、被告中川は、清志にチオペンタールナトリウムを投与しながら様子を見ていた。
キ 午前10時ころ、村井が第2サティアンへ来て、被告中川に対し、「清志を帰すことはできないからポア(殺害)するしかない。井田に首を絞めさせろ。井田にポアさせることで徳を積ませなさい。今後井田をヴァジラヤーナ(違法行為)で使うから。」などと言った。そこで、被告中川は、被告井上に対し、井田を連れて第2サティアンに来るよう連絡し、さらに、清志のいる瞑想室から出て、隣の広間にいた被告平田悟のところへ行き、事情を話した。この時点では、清志の呼吸が多少弱くゆっくりしたものになっていたものの、特に異常はなく、チオペンタールナトリウムの投与は中止されており、被告中川は、そのころまでに、清志が舌根沈下を起こさないよう、エアウェイという器具を清志の口に取り付けた。
ク 午前11時ころ、被告中川が清志の元に戻ると、清志は、既に呼吸をしておらず、瞳孔は開いたままで、心臓も止まっており、既に死亡していた。
(8)  清志死亡後の経過
ア 被告中川は、前記の村井の指示があったことから、井田に死亡している清志の首を絞めさせることとし、このことを、被告平田悟及び被告高橋にも説明した。
午後1時ころ、被告井上と中村、井田が第2サティアンへ到着した。井田を車に待たせたまま被告井上と中村が第2サティアンに入ってきたので、被告中川は、清志が死亡したことなどの状況を説明し、その後、井田を呼んで、清志が死亡していることを隠したまま、麻原の指示に従い首を絞めて清志をポアするように言った。
井田は、清志を見て、清志が既に死んでいることが分かったが、周囲の状況から指示されたとおりにやった方がよいと考え、清志の首を黒色のベルトでしめた。
イ 被告中川は、村井に清志が死亡したことを伝えると、村井は、午後2時ころ、第2サティアンの地下室へ来て、死体を焼却するためのマイクロ波照射器の準備をした。そこで、被告中川、被告井上、被告高橋、井田、中村などで、清志の死体を前記地下室へ運び、マイクロ波照射器に入れ、3日間かけてこれを焼却した。なお、麻原から、拉致の実行に参加した者が焼却に立ち会うようにとの指示がされたことから、主として、井田、中村、被告高橋が、上記マイクロ波照射器による焼却に立ち会った。
他方、被告中川は、塩酸と硝酸を3対1の割合で混ぜた強酸水である王水を作り、清志の眼鏡、小銭、注射針などを溶かしたり、拉致実行時のメンバーが着ていた衣類を焼却炉で燃やすなどの証拠隠滅工作を行った。
被告井上、被告中川、中村は、上記マイクロ波照射器による清志の死体の焼却が終わった後、村井の指示に基づいて、清志の遺骨を砕き、硝酸をかけて骨を溶かした。被告中川は、同年3月5日の未明、上記のとおり遺骨を溶かした硝酸液を第2サティアン付近にある本栖湖に流して捨てた。
2  清志の死亡原因について
前記認定事実と証拠(甲62号証、63号証、87号証、89号証、91号証、乙C1号証、被告中川本人)を総合すると、ケタラール、チオペンタールナトリウムは、いずれも全身麻酔薬であるが、全身麻酔薬は、脳や中枢神経を麻酔し、それによって呼吸、循環中枢が抑制され、循環障害や呼吸抑制を生じることがあり、場合によっては呼吸停止、心停止にも至ることがあること、そのため、全身麻酔薬を使用する場合は、人工呼吸や酸素吸入等の蘇生措置を取れる場所で行うべきであるとされていること、ケタラールの投与方法は、筋肉注射により、体重1キログラムについて、5ないし10ミリグラムを投与するものであり、これにより、30分くらいの麻酔効果が得られ、完全に覚醒するには、2ないし3時間を要すること、チオペンタールナトリウムは、一般に吸入麻酔の導入用及び吸入麻酔の補助、短期間の小手術に用いたり、局所麻酔などに用いたりするもので、静脈注射により投与すること、25パーセント水溶液を200ないし300ミリグラムを投与すると10ないし15分くらい入眠し、麻酔を長く維持する場合は、その半量程度を追加していくこと、麻酔薬として臨床に用いる常識的な総量は1グラムであり、最大でも2グラムであって、これを超えると覚醒が著明に遅延するおそれがあること、本件においては、清志に対し、拉致時に2.5グラムないし3グラム、ナルコ時に約0.3グラム、その後の監禁時に約0.5グラムのチオペンタールナトリウムが投与されていること、身長155センチメートル、体重47キログラムである清志に対し、チオペンタールナトリウムを2.5ないし3グラム使用すると、意識は消失し、覚醒は遅延し、心機能は抑制され、呼吸も抑制された状態となり、全身状態が悪化し、舌根沈下による気道閉塞や、心停止に至る危険性があったこと、また、清志については、麻酔の影響で嚥下反射がおかしくなり、唾液を気道に飲み込む誤飲による窒息も考えられないわけではないこと、一方、被告中川及び被告林は、清志の脈拍を測定したり(これによりある程度血圧も推定できる。)、呼吸状態を見るなどして、簡易ではあるが、清志の状態を観察していたこと、被告中川が清志の監禁されている部屋から出る時点では、清志に特段の異常は見られなかったことなどが認められる。
これらの事実に照らすと、清志は、拉致、監禁時に投与されたチオペンタールナトリウムの総量が過量であった上、ナルコにもチオペンタールナトリウムが用いられたことも加わって、その副作用により呼吸抑制、循環抑制が生じ、心不全、呼吸不全に陥り、死亡したものと推認するのが相当である。ナルコ時に投与されたチオペンタールナトリウムは拉致以降の投与総量に比してわずかであるから、基本的には、拉致、監禁時に投与されたチオペンタールナトリウムの過量が清志死亡の原因であると考えられる。なお、被告中川による死亡直前の清志の全身状態の管理が適切であれば、清志を救命し得た可能性もないわけではないと思われるが、全身状態の適切な管理のみで救命し得たとまで認めるに足りる証拠はない。
3  争点1について
(1)  被告井上、被告高橋、被告中川、被告平田悟及び被告平田信の責任について
前記1及び2の認定事実によれば、平成7年2月27日の深夜から同月28日の未明にかけて、第6サティアンの尊師瞑想室において、麻原、村井、被告井上、中村などが立ち会った席で、同日中に清志を拉致監禁した上、ナルコによって清志から仁科の居場所を聞き出すこと、拉致の実行は中村及び井田が行い、これを被告井上などの諜報省所属の信者や被告平田信、被告中川などが支援することなどが決定されたのであり、この決定を受けて、被告井上は、グリーンコーポにおいて、被告飯田、被告加賀原から清志や仁科についての情報を聞き出し、この情報を基に被告井上、中村、被告中川の3名が、今川アジトにおいて謀議し、目黒公証役場付近で、レンタカーを使用して清志を拉致するという具体的な拉致の方法が計画立案されたところ、被告井上は、この計画に基づき、拉致実行のメンバーとして、諜報省所属の被告高橋、被告平田悟、松本を選ぶとともに、松本及び林武に指示してレンタカーを調達し、さらに被告井上は、今川アジト及び目黒公証役場近くの路上に駐車した車の中で、被告高橋、被告平田信、被告平田悟ら拉致監禁の実行に携わる者に対し、仁科の居場所を聞き出すために清志を拉致して麻酔薬を使って居場所を自白させるという方針を伝え、各自の役割分担を説明し、同日の午後4時30分ころ、被告中川らは、事前の打合せに従って、清志を拉致し、麻酔薬を投与した上、上九一色村へ連行して、第2サティアンに監禁し、被告中川、被告林においてナルコを実施したものであり、主に拉致、監禁時に使用したチオペンタールナトリウムの過量投与により清志が死亡したものということができる。
そうすると、被告井上、被告高橋、被告中川、被告平田悟、被告平田信は、清志を拉致し、麻酔薬を投与して監禁し、仁科の居場所を聞き出すという目的をもって、本件拉致・監禁行為を共同して行ったものというべきであるから、この被告らの行為は共同不法行為に当たることは明らかである。そして、本件拉致・監禁行為が行われる過程でされたチオペンタールナトリウムの過量投与などが原因となって清志が死亡したことが認められる以上、本件拉致・監禁行為と清志の死亡との間には相当因果関係があるものというべきであるから、これらの被告は、清志の死亡についても不法行為責任を負うべきである。
(2)  被告林の責任について
前記1及び2の認定事実によれば、被告林は、平成7年2月28日の午後10時ころ、被告中川から清志の拉致について説明を受けた上で、依頼を受けて、清志に対し、被告中川と共にナルコを実施し、その後も、清志を継続的に眠らせておくためにチオペンタールナトリウムを投与し、被告中川に清志の監視を任せた後、清志は、チオペンタールナトリウムの過量投与により死亡したものといえる。
したがって、被告林は、清志がチオペンタールナトリウムなどの麻酔薬を用いるなどして、強制的に拉致されてきたことを知った上で、さらにナルコを実施し、その後も監禁のためにチオペンタールナトリウムを継続して投与したものといえるから、清志の拉致の事情を知って清志にナルコを実施した時点で、前記(1) の被告らとの間で共謀が成立し、拉致行為を利用して監禁行為を継続し、その結果、清志を死亡させたものというべきである。そうであれば、被告林は、清志の死亡について、前記(1) の被告らと同じ範囲の不法行為責任を負うというべきである。
(3)  被告飯田の責任について
ア 被告飯田は、平成7年2月27日から同月28日にかけて行われた、清志を拉致監禁してナルコを実施するという謀議には参加しておらず、そのような謀議がされたことも知らなかった、それゆえ本件拉致・監禁行為及びこれに続くナルコの実施についても、当時は、そのようなことがされていることは知らなかったし、監禁行為にも関与していない、したがって、清志が拉致監禁され死亡するに至ったことについて、被告飯田は、何ら実行行為を行っていないし、共謀もしてもいないから、被告飯田がこれについて不法行為責任を負うことはない旨の主張をする。そして、被告飯田の供述中(乙C2、3号証)には、「27日から28日にかけての尊師瞑想室では、麻原から何もしなくていいと言われ、一歩下がった位置におり、設置されているコスモクリーナーの騒音で話がよく聞こえず、麻原とその他の信徒との間でどのような謀議がされたのか聞き取ることができなかったのであり、したがって、清志を拉致監禁するとか、それを中村や被告井上が実行するとか、清志にナルコを実施するなどという謀議には参加しておらず、そのような謀議がされていることは全く知らなかった。」旨の上記被告飯田の主張に沿う部分がある。
しかしながら、他方、証拠(甲71号証、73号証)によれば、被告飯田は、刑事事件の捜査段階においては、2月28日早朝のグリーンコーポにおいて、被告井上や被告中村と話をするうちに清志を拉致するつもりであることが分かったとか(甲71号証)、28日早朝のグリーンコーポで被告井上らと清志を拉致することを話したと供述し(甲73号証)、清志に対する拉致監禁行為を知って被告井上らに協力した旨の被告井上らとの共謀を認める趣旨の供述をしていることが認められる。
イ そこで、以下検討する。
まず、前記1の認定事実によれば、被告飯田は、被告加賀原から仁科がいなくなったとの報告を受け、被告加賀原、被告井上、中村らと仁科の消息を探り、被告加賀原を通じて清志とコンタクトを取った上で、清志が仁科の居場所を知っているのではないかと考え、平成7年2月27日深夜の第2サティアンでの会議の際、麻原にこれを報告し、その後、尊師瞑想室において、清志を拉致して仁科の居場所を聞き出すという方針が決定するまではその場にいたのであり、翌28日にグリーンコーポにおいて被告加賀原と共に、被告井上に対し、仁科や清志についての情報を説明しているのである。
また、被告飯田は、少なくとも、尊師瞑想室における麻原らの会話について、麻原が村井に対して、仁科が所在不明となったことにどう対処すればよいのか尋ねたところ、村井は「うーん」と唸って即答しなかったこと、清志から居場所を聞き出せばよいではないかという話が出ていたこと、麻原が「当たると目がつぶれる何かを使えばいい」という発言をしていたことなどを認める供述をしているが、これらの会話の内容のみからしても、教団が拉致監禁などの何らかの違法手段を講じて清志から仁科の居場所を聞き出そうとしていることは容易に推測可能であったといえる。その上、証拠(乙C3号証)によれば、被告飯田は、本件拉致・監禁行為以前に、他の信徒と共謀の上で、教団から逃げ出した信徒を麻酔薬を使用して無理矢理教団に連れ帰ったことがあることが認められるのである。
そして、前記1で認定したように、もともと、本件拉致・監禁行為は、被告飯田が麻原に仁科の所在が不明であることを報告したことから始まっており、尊師瞑想室での謀議がされた当日中に、教団の非合法活動を担当する諜報省のトップである被告井上があらかじめ被告飯田に対して被告加賀原を呼んでおくように指示した上で、被告飯田の居住するグリーンコーポに訪ねてきて、被告飯田及び被告加賀原から仁科及び清志についての情報収集をしているのである(その時間も早朝の午前6時という異例な時間帯である。)。また、被告飯田は、清志の拉致が実行された同日中に、被告井上から上九一色村と東京との往復に使用しているワゴン車を手配するよう依頼され、これに応じてその手配を行っているのである。
以上の事柄を勘案すると、被告飯田は、麻原を始めとする教団が、諜報省を使い、非合法的な方法で清志から仁科の居場所を聞き出そうとしていることを知った上で、被告井上に対し清志についての情報を提供し、ワゴン車の手配をするなどの協力行為を行っていたものと推認せざるを得ないのであり、尊師瞑想室での謀議の内容が聞き取れず、謀議の内容を知らなかったという被告飯田の供述部分は到底信用し難いものであり、むしろ、清志の拉致計画を知りながら被告井上らに協力していた旨の刑事事件の捜査段階における被告飯田の供述の方が信用性が高いといえる。
そして、被告飯田の捜査段階における供述に前記1認定の事実、弁論の全趣旨を総合すれば、被告飯田は、平成7年2月27日深夜の尊師瞑想室において、清志を拉致し、仁科の居場所を薬物を利用して聞き出すとの謀議がされたことを知り、被告井上らがこの謀議に係る清志の拉致等を実行する予定であることを認識しながら、暗黙のうちに被告井上、中村らと意思を通じ、これに協力する趣旨で、グリーンコーポにおいて被告井上に対し、清志に関する情報提供をし、さらに被告井上の依頼に応じて車両の手配をしたものであると認めるのが相当である。
ウ したがって、被告飯田は、被告井上らによる清志の拉致監禁という不法行為について、共謀共同正犯として他の共犯者と同様に責任を負うものというべきであり、清志の死亡が上記の拉致監禁行為と相当因果関係があるものである以上、被告飯田は、清志の死の結果についても共同不法行為責任を負うものといわざるを得ない。
(4)  被告加賀原の責任について
前記1の認定事実によれば、被告加賀原は、平成7年2月26日、出家予定であった仁科と連絡が取れなくなっていることに不審を抱き、被告飯田及び中村に報告したこと、これが契機となって仁科の消息を探る行動が開始されるようになったこと、被告加賀原は、翌27日、被告飯田、中村と共に公証役場付近を訪れ、被告加賀原のみが清志と面談して、面談結果の印象を被告飯田らに伝えたが、その際、清志の態度が怪しく、仁科の居場所を知りながら隠しているのではないかなどと自己の推測を述べたこと、これを受けて被告飯田らは、同日中に、被告井上に支援を要請するなどして仁科の所在捜査の体制を強化したこと、その後、同日から翌28日にかけて上九一色村の教団施設で行われた謀議において、清志を拉致監禁することが決定されたこと、被告加賀原は、翌28日の早朝、グリーンコーポに呼び出され、被告井上から、仁科や清志の情報について質問をされてこれに答えたこと、被告加賀原は、同日、青山道場から目黒公証役場近くまで、井田を自動車に乗せて連れて行ったこと、以上の事実が認められる。
これらの事実によれば、被告加賀原は、教団が仁科の所在捜査を開始するきっかけを作ったものであるのみならず、被告飯田らに対して、清志が仁科の所在を知っていて隠しているのではないかなどと無責任な推測を述べて仁科の所在捜査体制を強化するきっかけまでをも作っているのであって、このような被告加賀原の行動が、結果として、麻原による清志の拉致監禁の決定につながっていることは否定できないところである。また、被告加賀原は、被告井上から聞かれるままに仁科や清志についての情報を伝えたり、拉致の実行役である井田を拉致現場まで連れて行ったりしているのであって、このような被告加賀原の行動が、客観的に見れば、本件拉致・監禁行為の幇助行為となっていることは明らかである。
しかしながら、被告加賀原が被告飯田に仁科の件を報告したり、清志と面談した結果を報告した時点では、いまだ教団において清志を拉致監禁することが決定されていたわけではないから、これらの被告加賀原の行為は、主観的にも客観的にも本件拉致・監禁行為の幇助行為であると評価することはできない。また、前記1で認定した経過や証拠(甲76、79号証など)を総合すれば、被告加賀原は、基本的に、被告井上や中村から、特定の役割のみを実行するよう指示されて、これに従って行動していただけであり、指示を出した被告井上や中村の側においても、清志の拉致監禁計画自体を被告加賀原には知らせず、できるだけ計画に関与させないように務めており、指示した役割が終了次第被告加賀原を帰宅させるなどしていたことが認められるのであって、結局、被告井上に仁科や清志の情報を伝えたことや井田を自動車で目黒公証役場付近まで連れて行った際、被告加賀原に、教団に清志を拉致監禁する計画があることの認識があり、この計画を幇助する意思で行動していたとまでいうことはできないし、同被告に本件拉致・監禁行為の予見可能性があったともいえない。
したがって、被告加賀原に対しては、本件拉致・監禁行為についての不法行為責任を認めることはできないといわざるを得ない。
(5)  清志に対する被告らの殺意の有無について
ア 原告らは、被告らは当初から殺意をもって清志を拉致・監禁したと主張するほか、少なくとも被告中川には清志に対する未必の殺意があったと主張する。本件拉致・監禁行為について不法行為責任を負う被告らには、清志の死亡についても責任があることは既述のとおりであるが、殺意を持って死亡させた場合と殺意を持たないで死亡させた場合とでは、慰謝料の額に差が生ずるから、原告らの上記主張について以下判断する。
イ 被告井上の供述(被告井上本人)中には、平成7年2月27日から28日にかけての深夜、第2サティアンの第2瞑想室において、被告飯田らが麻原に対して、仁科が行方不明になったことや仁科の兄である清志の行動が不審であって仁科の居場所を知っている様子であるとの報告をしたところ、麻原が「清志をポアするしかない」という趣旨の発言をしたという部分がある。
しかしながら、被告井上の上記の供述以外には麻原が上記の発言をしたことを裏付ける証拠はない。その上、第2瞑想室から尊師瞑想室に移動した麻原が、被告井上、中村、村井などを交えた話し合いの中で、清志を拉致して、仁科の居場所をナルコにより聞き出すという指示を与えたことは、前記1で認定したとおりであるから(被告井上自身は、これにより、麻原の指示がポアから拉致に変わったと理解して安心したと述べている。)、いずれにしろ、この段階では、清志を拉致し、ナルコを実施して仁科の居場所を聞き出すという決定がされたにすぎず、清志を殺害することを前提にして拉致の指示が出たとまでいうことはできない。
ウ 前記1で認定した事実に弁論の全趣旨を総合すれば、麻原は、出家するはずであった仁科が姿を消したこと、その原因として清志などの親族により監禁されている可能性があることなどの被告飯田らの報告を聞いて、どのように対処すべきかを教団幹部である村井、被告井上らに諮り、その結果、仁科の親族であることが判明している清志を拉致・監禁し、清志にナルコを実施して仁科の居場所を聞き出そうと考え、その実行を中村、被告井上などに命じたものであり、麻原を唯一の絶対的な支配者とする当時の教団の支配体制の下で、中村、被告井上、被告中川らは、この麻原の命令に忠実に従う形で、清志を拉致・監禁するための計画を立案し、さらにその余の被告らなどを実行部隊として手配するなどした上、本件拉致・監禁行為を実行し、清志を上九一色村まで連行したものであって、この連行までの一連の実行行為を行った被告らの理解としては、拉致・監禁され、ナルコを実施された後の清志の処遇を決定するのは絶対的な支配者である麻原であるとの理解があったものと推認され、したがって、本件拉致・監禁行為を実行した当時の被告ら(被告井上、被告中川、被告平田信、被告平田悟、被告高橋)には、清志の最終的な処遇についての明確な意思はなかったものと考えざるを得ない。また、前記1で認定したように、被告林は、被告中川からの要請を受けて、チオペンタールナトリウムを投与しながら清志にナルコを実施したものであるところ、その際、清志の全身状態や持病の把握に務め、清志の生命維持に留意しながらナルコを実施していたものであるから、被告林に、清志に対する殺意がなかったことは明らかであるというべきである。
エ ところで、証拠(甲87、88号証、被告中川本人)及び弁論の全趣旨によれば、清志を第2サティアンに拉致してきた後に、村井から被告中川に対し、清志を帰すことはできないかもしれないといった最終的に清志を殺害することを仄めかすような発言が何度かされていること、そのため被告中川自身も、最終的には清志を殺害することになるかもしれないとの考えを持っていたこと、被告中川は、医師であり、自ら清志に強度の麻酔薬を大量に注射し、昏睡状態に陥れた者である上、被告林から清志の管理についての引継を受けた際にも、清志の麻酔の深度を調整し、舌根沈下と唾液の誤飲に注意するよう指示を受けたにもかかわらず、継続的に清志の状態を管理することを怠って、清志のいた瞑想室から外出したため、清志の異常に気付くことができず、結果として、清志を死亡させていること、被告中川は、清志の呼吸停止に気づいた後も何らの蘇生措置を講じていないこと、以上の事実が認められる。
このような事実にかんがみれば、少なくとも最後に瞑想室を出て昏睡中の清志の継続的管理を放棄した時点における被告中川には、清志に対する未必の殺意があったのではないかとの疑いを完全に否定し去ることはできない。
しかしながら、この時点では、いまだ麻原から、清志を殺害せよとの指示が出ていたわけではなく、麻原の指示は、あくまでもナルコによって清志から仁科の居場所を聞き出すようにというものにすぎなかったのであるから、麻原を絶対的な支配者としていた教団の指揮管理体制に照らせば、当時の被告中川としては、チオペンタールナトリウムを投与するなどして清志を監禁し続けるしかなかったものと推認されるのであり、したがって、当時の被告中川に、清志に対する確定的ないしは未必の殺意があったとまで認めることは困難であるといわざるを得ない。
オ 結局、被告らにおいて、清志に対して殺意を持って本件拉致・監禁行為をしたり、清志に対し殺意をもって麻酔薬を投与したりしたとまでは認めることができないというべきである。
4  争点2について
(1)  清志の死亡による清志自身及び遺族である原告らの損害について検討する。
ア 逸失利益
原告らは、清志は80歳まで目黒公証役場の事務長として勤務できたと主張するところ、証拠(甲24号証、61号証)によれば、清志には低色素性貧血症の持病はあったのみで、このほかには健康状態に特段の問題はなかったことが認められるものの、今後、清志が通常人よりも長生きするという蓋然性を認めることはできないから、稼働年数については平均余命を基準として判断せざるを得ない。また、証拠(甲25号証)によれば、本件当時の目黒公証役場の公証人であった福間公証人は、平成7年4月ころに定年を迎える予定であり、その後は、後継の公証人が従来の場所のまま公証役場を開くか、また清志を事務長として雇うかについては必ずしも確実なものではなかったことが認められるものの、前記1の認定事実によれば、清志は高齢とはいえ、長年公証役場の事務長を務めてきており、その経験を買われて今後も事務長を続ける蓋然性はあったものといえるから、平成6年度の事務長としての所得を逸失利益計算の基礎とする。しかるところ、証拠(甲128号証)によれば、清志の平成6年度の年収は621万3000円であったことが認められる。
清志は、本件当時68歳であったところ、平成7年平均余命年数表によれば、68歳男子の平均余命は14.34であるから、この約2分の1である7年間は稼働できたと考えられるので、これに対応するライプニッツ係数5.7863を前記の年収額に乗じ、生活費として40パーセントを控除して計算すると、清志の死亡による逸失利益は、2157万0169円(円未満切捨て)となる。
イ 葬儀費用
葬儀費用については、本件の諸事情にかんがみ150万円をもって相当と認める。
ウ 慰謝料
前記1で認定したところによれば、本件監禁致死事件は、清志には何ら責められるべき落ち度はないにもかかわらず、多額の布施をした仁科の居場所を聞き出すというそれだけの目的で実行されたものであり、その態様も白昼の町中で抵抗する清志を多人数で無理矢理連れ去るという凶悪なものであり、余りにも傍若無人の振る舞いといわざるを得ず、また、拉致・監禁やナルコ実施のために大量の麻酔薬を投与してその結果清志を死亡させているのである。清志は、拉致される前日教団から拉致・監禁などをされるのではないかと懸念し、家族に対し、手紙を書き置き残すなどしているのであるが、現実にその教団に拉致・監禁され、薬物を投与されるなどしたのであって、清志の恐怖心は多大なものであったと推測される。また、井田に清志をポア(殺害)させるようにとの麻原の指示を実行するために井田をして清志の遺体の首を絞めさせているのであり、本件においては、被告らに殺意があったものとまでは認めなかったものの、仮に清志が麻酔薬の副作用により死亡しなかったとしても、いずれは麻原の命令の下で殺害された可能性が大いにあったものといえる。その上、被告らは、清志の遺体を3日間かけてマイクロ波照射器で焼却し、焼却後に残った遺骨を木片で叩いて粉々に砕き、さらに砕いた骨片を硝酸で溶かし、その溶液を湖に捨てたほか、清志の所持品についても王水で溶解したりして、徹底的な証拠隠滅工作を行っており、そのため、清志の遺体や遺骨はもちろんのこと、拉致された当時清志が身につけていた遺品の一つも残されなかったのである。本件監禁致死事件で生命を奪われるに至った清志の精神的苦痛は極めて甚大であったと評価できるだけでなく、清志が拉致された後、無事に帰ってきて欲しいと清志の安否を気遣い、一日千秋の思いでその帰りを待っていたにもかかわらず、結局清志の死亡という結果を知ることとなったばかりか、遺体も遺品も残っていないという悲惨な状況に遭遇することとなった原告らの精神的苦痛も筆舌に尽くし難いものであったと推認される。
このような本件の事情に照らせば、本件によって清志が被った精神的損害を慰謝するのには2000万円が相当であり、原告らが被った精神的損害については、原告サトにつき500万円、その余の原告らにつき各自200万円とするのが相当である。
(2)  原告ら各自の損害額
以上によれば、清志が被った損害の合計は、4307万0169円であるところ、原告らは、これを法定相続分に応じて相続したので、被告加賀原を除く被告ら各自に対し、原告サトは2153万5084円、その余の原告らは各自717万8361円(いずれも円未満切捨て)の損害賠償請求権を有することとなり、これらに原告ら固有の慰謝料を加えれば、原告サトの損害賠償請求権は2653万5084円となり、その余の原告らの損害賠償請求権は各自917万8361円となる。
(3)  弁護士費用
本件の事案の内容、本件訴訟の審理経過など諸般の事情を考慮すると、本件被告らの不法行為と相当因果関係ある弁護士費用は、原告サトについて260万円、その余の原告らについて各自90万円と認めるのが相当である。
(4)  まとめ
以上によれば、原告サトは、被告加賀原を除く被告ら各自に対し、2913万5084円の支払を求めることができ、その余の原告らは、それぞれ被告加賀原を除く被告ら各自に対し、1007万8361円の支払を求めることができる。
5  反訴について
被告加賀原は、原告の提起した本件訴訟が不当訴訟であると主張する。
しかしながら、民事訴訟における訴えの提起が相手方に対する違法な行為といえるのは、当該訴訟において提訴者の主張した権利又は法律関係が、事実的、法律的根拠を欠くものである上、提訴者が、そのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たにもかかわらずあえて訴えを提起したなど、訴えの提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くと認められるときに限られるものと解するのが相当である(最高裁昭和63年1月26日判決・民集42巻1号1頁参照)。
しかるところ、前記3(4) で検討したように、被告加賀原の不法行為責任は否定され、原告らの同被告に対する損害賠償請求は否定されるものの、被告加賀原は、連絡の途絶えた仁科の手がかりを探したり、井田を清志拉致の実行現場まで送迎するなど、本件拉致・監禁行為について、客観的にはこれを手助けする行為を行っているのであり、被害者である清志の遺族である原告らにしてみれば、被告加賀原も他の被告らと同様の不法行為責任を負うと考えても致し方がない行為をしていたものといわざるを得ない。かかる状況の下で原告らが被告加賀原を被告として本訴を提起したことをもって、原告らが、被告加賀原に対する請求が根拠を欠くものであると知り、あるいは通常人であれば容易に知り得たにもかかわらずあえて訴えを提起したとはいえず、まして原告らの本訴提起が裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くとは到底いえないというべきである。被告加賀原は、自己の軽はずみな行動が清志の生命を失わせる一つの契機となったことを深く反省してしかるべきである。
よって、被告加賀原の原告らに対する反訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。
6  結論
以上によれば、原告らの請求は、被告飯田、被告井上、被告高橋、被告中川、被告林、被告平田悟及び被告平田信について、連帯して、原告サトに対し、2913万5084円、原告実、原告英彦、原告法子に対し、各1007万8361円及びこれらに対する不法行為の日である平成7年3月1日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、これらの被告らに対するその余の請求及び被告加賀原に対する請求並びに被告加賀原の反訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大橋弘 裁判官 大久保正道 裁判官 野村武範は、転補のため、署名押印をすることができない。 裁判長裁判官 大橋弘)

 

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