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判例リスト「営業代行会社 完全成果報酬|完全成功報酬」(378)平成15年 2月26日 さいたま地裁 平12(ワ)2782号 損害賠償請求事件 〔桶川女子大生刺殺事件国賠訴訟・第一審〕

判例リスト「営業代行会社 完全成果報酬|完全成功報酬」(378)平成15年 2月26日 さいたま地裁 平12(ワ)2782号 損害賠償請求事件 〔桶川女子大生刺殺事件国賠訴訟・第一審〕

裁判年月日  平成15年 2月26日  裁判所名  さいたま地裁  裁判区分  判決
事件番号  平12(ワ)2782号
事件名  損害賠償請求事件 〔桶川女子大生刺殺事件国賠訴訟・第一審〕
裁判結果  一部認容、一部棄却  上訴等  控訴  文献番号  2003WLJPCA02260002

要旨
◆交際を断わり殺害された女子大生の両親が、警察の捜査等に怠慢があるとして、埼玉県に対して求めた国賠請求について、任務懈怠による慰謝料請求が認められたが、殺害に対する請求は因果関係がないとして棄却された事例

新判例体系
公法編 > 憲法 > 国家賠償法〔昭和二二… > 第一条 > ○公権力の行使に基く… > (六)その他
◆女性に対するつきまとい行為や名誉毀損行為についての捜査が遅滞しているうちに被害者が殺害された本件においては、警察官の捜査懈怠と被害者の死亡との間の因果関係を認めることはできない。

 

裁判経過
控訴審 平成17年 1月26日 東京高裁 判決 平15(ネ)1594号・平15(ネ)4321号 損害賠償請求控訴、附帯控訴事件 〔桶川女子大生刺殺事件国賠訴訟・控訴審〕

出典
判時 1819号85頁

評釈
松村歌子・法と政治(関西学院大学) 56巻1・2号7頁
土本武司・捜査研究 619号49頁
国賠訴訟判例研究会・捜査研究 635号44頁
国賠訴訟判例研究会・捜査研究 645号76頁
中山福二=福地輝久・法セ 586号64頁

参照条文
国家賠償法1条1項

裁判年月日  平成15年 2月26日  裁判所名  さいたま地裁  裁判区分  判決
事件番号  平12(ワ)2782号
事件名  損害賠償請求事件 〔桶川女子大生刺殺事件国賠訴訟・第一審〕
裁判結果  一部認容、一部棄却  上訴等  控訴  文献番号  2003WLJPCA02260002

別紙一「当事者目録」記載のとおり

 

 

主文

一  被告は、原告らに対し、各自金二七五万円及びこれに対する平成一三年一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三  訴訟費用はこれを二〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。
四  本判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

 

 

事実及び理由

第一  請求
被告は、原告らに対し、各自金五五二三万六五三二円及びこれに対する平成一三年一月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二  事案の概要
本件は、元交際相手の知人に殺害されたA野春子(以下「春子」という。)の両親が原告となり、春子が殺害されたのは被告が設置・管理運営する埼玉県警察上尾警察署(以下「上尾署」という。)の警察官らの捜査懈怠等の違法行為によるものであると主張して、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、春子及び原告らが被った損害の賠償並びにこれに対する訴状送達の日の翌日以降の遅延損害金の支払を求めた事案である。
一  争いのない事実及び事実経過に関する当事者の主張
別紙二「事実経過等に関する主張一覧表」記載のとおり
二  争点及び争点に関する当事者の主張
本件の争点は、①国家賠償法一条一項の違法性(過失)の有無、②捜査懈怠等の違法行為と春子死亡との相当因果関係の有無、③春子及び原告らが被った損害の三点である。
上記各争点に関する当事者の主張は、別紙三「争点に関する当事者の主張」記載のとおりである。
第三  当裁判所の判断
一  事実経過等
本件の事実経過等に関して、前記当事者間に争いのない事実及び後掲各証拠によれば、以下の事実が認められる。
(1)  当事者等
ア 原告A野太郎(以下「原告太郎」という。)及び原告A野花子(以下「原告花子」という。)は、春子の両親であり、原告太郎は、さいたま市(旧埼玉県大宮市)所在の会社に勤務している。
イ 春子は、昭和五三年五月一八日、原告らの長女として生まれ、平成一〇年四月に埼玉県新座市内の大学に入学し、平成一一年当時、同県上尾市内の原告ら自宅(以下「原告方」という。)において、原告ら及び二人の弟と暮らしていたもので、JR桶川駅を利用して同大学に通学していた。
ウ 被告は、上尾署を設置し、その管理・運営を行う普通地方公共団体である。
エ 上尾署には、刑事第一課、同第二課、生活安全課など一一の課が置かれており、C川冬夫警視(以下「C川次長」という。)が刑事・生活安全次長として刑事第一課、同第二課及び生活安全課を統括していた。
刑事第二課は、詐欺、横領、選挙犯罪、名誉毀損などの知能犯を担当する捜査第一係と暴力団対策を担当する捜査第二係からなり、D原一郎警部(以下「D原課長」という。)が同課の課長であった。
捜査第一係は、係長として勤務するB野四郎警部補(以下「B野係長」という。)、主任として勤務するA田三郎巡査部長(以下「A田主任」という。)、係員として勤務するE田二郎巡査(以下「E田係員」という。)及びC山五郎巡査(以下「C山係員」という。)の四名で構成されていた。
(2)  春子と松夫の交際開始から平成一一年三月二二日までの経緯
ア 春子は、平成一一年一月六日ころ、埼玉県大宮市(現さいたま市)内の繁華街である南銀座通りのゲームセンターで友人と遊んでいたとき、B山松夫(以下「松夫」という。)らから声を掛けられ、同人らと共にカラオケをして遊んだ。春子は、これを契機として松夫との交際をするようになった。
イ 春子は、以下のとおり、松夫からブランド物のバッグや洋服等をプレゼントされ、一緒に旅行するなど親密な交際をしていた。
(ア) 春子は、同月九日及び一〇日、松夫とお台場へ遊びに行き、ルイ・ヴィトン製バッグをプレゼントされた。
(イ) 春子は、同年二月二日、松夫と会い、VERSUS製ワンピース一着をプレゼントされた。
(ウ) 春子は、松夫と一緒に、同月一一日から一二日まで、箱根へ温泉旅行に行った。
(エ) 春子は、同月一五日、松夫と会った。
(オ) 春子は、同月二〇日、松夫と会い、ピンキー&ダイアン製スーツ一着、ワンピース一着、ツーピース一着、ネックレス一本及びサンダル一足をプレゼントされた。
(カ) 春子は、同月二三日、松夫と会い、ラメのバッグ一個をプレゼントされた。
(キ) 春子は、同年三月三日、松夫と会った。
(ク) 春子は、同月七日、松夫と会い、JAYROのネックレス一本、水着一着及びルイ・ヴィトン製リュック一個をプレゼントされた。
(ケ) 春子は、同月一三日、松夫と会い、沖縄旅行のための買物として、サンダル(ダイアナ)一足、ベージュ色のサンダル一足、カーディガン(ラブボート)一着、キャミソール(ラブボート)二着、キャミソール(セシル)二着、ネックレス(ラブボート)一本、浮き輪(ラブボート)一個及び花瓶一個をプレゼントされた。
(コ) 春子は、同人の女友達を誘い、松夫と三人で、同月一五日から一八日まで、沖縄旅行をしたが、その旅行費用は松夫が負担した。春子は、沖縄で、ビーチサンダル一足をプレゼントされた。
(サ) 春子は、同月中、上記のほか、松夫からノースリーブのシャツ一着及びキャミソール(ラストシーン)一着をプレゼントされた。
ウ 春子は、松夫に対し、高額な品物をプレゼントされることについて消極的な態度を示したが、松夫の強い申出を断れなかった。
エ 松夫は、交際開始当時、春子に対し、氏名、年齢及び職業を偽っており(自らの氏名を「B山竹夫」と名乗っていた。)、また、親とは絶縁関係にあり、自分の身元保証人は兄であると言っていた。
オ 春子は、同年一月ころ、交通事故で入院した松夫の見舞いに行ったが、その際、松夫は、携帯電話で部下に指示を出すかのような会話をしていた。
(3)  平成一一年三月二三日から同年六月一三日までの経緯
ア 春子は、平成一一年三月二三日、松夫と会い、飲食店で飲酒した後、松夫が居住する東京都豊島区内のマンションのE山五〇四号で更に飲酒した。春子は、その際、室内に置かれた段ボール箱に小さな穴が空けられており、そこからビデオカメラのレンズ様の物が出ているのを見付けたので、それを確認しようとした。すると、松夫は、突然、「俺の本当の名前は、竹夫じゃねえんだ。本当の名前は、マツオというんだ。親が付けた名前が気に入らねえから、竹夫にしてるんだ。今までお前に尽くしてきたのに何だ。お前のために使ってきた金を返せ。一五〇万円を返せ。」などと怒号したり、部屋の壁を殴りつけて穴を開けるなどした。春子は、その様子を見て怖くなり、上記確認もできず謝らざるを得なかった。その後、春子は、同室内で眠り込んでしまった。春子は、後に、その眠っている間に服を脱がされて全裸の写真を撮られたことを知ったが、それは、松夫の部屋で飲んだ酒に睡眠薬を入れられたからであると考えた。
イ 春子は、同月二四日、男友達と会い、松夫との交際に関して相談した。
ウ 春子は、このころ、原告方において、小学生の弟に対し、「もう抱っこ、できなくなるかもしれない。壁を何回も何回も殴って怖かったよ。刺されちゃうかもしれないの。殺されるかもしれない。」と言ったりした。
エ 松夫は、このころ、春子に対し、都内でミニパトカーにわざと当たったとか、警察も自分には手を出せないと述べたりした。
オ 春子は、松夫との交際をこのまま続けることができないと思い、会う回数を減らしていった。
カ 春子は、松夫に別れ話をすることに決め、松夫から殺害された場合のことまで考えて、同月三〇日、家族と友人にあてた手紙を書いた。春子は、同日、松夫と会い、別れ話を持ち出したところ、松夫は、これを拒絶し、「俺と別れるんだったら、お前の親どうなっても知らないよ。」「お前の親をリストラさせてやる。」、「一家崩壊させてやる。」、「長男は、浪人生だよな。」、「次男は、まだ小学生だよね。」などと脅し文句を言って、春子を翻意させようとした。上記手紙は、春子が殺害された後、同人の部屋から発見された。
キ 春子は、松夫と別れたいと思っていたが、以下のとおり、同年四月以降も同人との交際を絶てずにいた。
(ア) 春子は、同月二日、松夫と会った。
(イ) 春子は、同月上旬ころ、松夫に嫌われようと思って松夫が好きだとしていたストレートの髪をパーマに変えた。
(ウ) 春子は、同月九日、松夫と会った。
(エ) 春子は、同月一五日、松夫から、他の男性との交友関係等を指摘された。春子は、手帳の同日欄に「バレバレ怖い」と記載した。
(オ) 春子は、同月一七日、松夫とディズニーランドへ行き、BOSCH製のジャケット一着をプレゼントされた。
(カ) 春子は、同月二〇日及び二一日、松夫と会った。松夫は、同月二一日、春子に対し、松夫以外の者と連絡できなくするためとして、目の前で春子の携帯電話を壊すことを強要した。
(キ) 春子は、同月二三日、松夫と会い、ジーパン一本、シャツ二枚及びスカート二着をプレゼントされた。
(ク) 春子は、同月二五日、松夫と会い、ワンピース二着、付爪及びミニディスクプレーヤー一台をプレゼントされた。
(ケ) 春子と松夫は、同月三〇日から同年五月一日にかけて、横浜で過ごし、プリクラを撮るなどした。
(コ) 春子は、同月七日、松夫と会った。
(サ) 松夫は、同月一二日、春子に対し、同人に対する恋愛感情を書きつづった手紙を渡した。同手紙は、後記のとおり、春子が殺害された後、同人の部屋から発見された。
(シ) 春子は、同月一三日、松夫と会い、自転車一台をプレゼントされた。
(ス) 春子は、同月一七日、同人の女友達二名と松夫を交えて、女友達の誕生日祝いの食事をした。
(セ) 春子は、同月一八日、松夫と会った際、春子の誕生日祝いとしてロレックスの婦人物時計と花束をプレゼントされたが、時計は受取を断った。
(ソ) 春子は、同月二二日、松夫と池袋で会った。
(タ) 春子は、同月二六日、松夫と会った後も、松夫と電話で長時間話した。春子は、手帳に「もう大変! 死にたい」と記載した。
(チ) 春子は、同年六月四日、松夫と会った。
(ツ) 春子は、同月七日、松夫と会い、スカート一着、サンダル一足及び銀色のバンダナ様の物一枚をプレゼントされた。
(テ) 春子は、同月八日、松夫と会った際、誕生日祝いとしてカルティエの指輪一個をプレゼントされた。
(ト) 春子は、同月一二日、松夫と会った。
ク 原告花子は、同年四月ころ、春子が派手な洋服を着たり、高価なバッグを持ったりしているのを見て、春子に対し、洋服は着るのをやめるように、バッグは贈り主に返すようにと言ったところ、春子においては、「怒られるから。」等と答えたのみであったが、それ以上問い詰めることはしなかった。
ケ 松夫又はその関係者は、同年五月一八日ころ、原告太郎の生年月日と勤務先の調査を興信所に依頼し、同月二四日、その回答を得た。
(4)  平成一一年六月一四日
ア 春子は、平成一一年六月一四日、松夫に対し、「もうこれ以上会えない。」と別れる意志を告げたところ、同人は、「今まで俺をだましていたんだな。俺が今までお前に使った金を返せ。一〇〇万返せ。言いたい事があるから、今からお前の親の会社に行く。」と言った。春子は、逃げるように原告方に戻り、原告花子に対し、元の交際相手が原告方に来ると言っていると告げた。その後、松夫は、春子に電話をし、前言を撤回し、「けんか別れしたくない、友達として付き合っていきたい。」等と哀願したが、春子は、自分の気持ちは変わらないと言って電話を切った。春子は、午後八時ころ、原告花子に対し、元の交際相手は来ないことになったと告げた。
イ 松夫は、同日、東京都内で複数の風俗店を経営していた兄のB山梅夫(以下「梅夫」という。)に対し、春子のために使った金を同人に支払わせるために借用書を書いてもらうので立会人になってほしいと依頼した。梅夫は、同日午後五時ころ、中古車販売を営む知人のD川六郎(以下「D川」という。)を呼び出し、D川の車で松夫と待ち合わせたJR東浦和駅へ向かった。梅夫は、その途中の車内で、D川に対し、「舎弟が東浦和駅に来る。うちの舎弟は君たちと違って女に入れ込んじゃうタイプなんだ。一〇〇〇万円も貢いでいるのでそれを返してもらうんだ。」と言った。梅夫とD川は、同駅前で松夫と合流して、原告方へ向かった。
ウ 松夫は、途中の車内で、梅夫に対し、春子について、「どうしようもない女だ。親の前でいい子ぶっているんだ。」などと言った。梅夫は、「とんでもない女だ。」と怒り、「誰かに頼んでまわすか。A山なら俺たちのために何でもするから。」と言い、松夫は、「それは、いいですね。」と言った。梅夫は、D川に対し、「お前やれば。」と冗談で言った。(なお、原告らは、松夫らが春子を強姦することを話し合っていたと主張するが、上記の会話は、その後の経緯等に照らせば、冗談の域を超えるものではないと認められるから、原告らの主張は採用できない。)
エ 松夫ら三名は、同日午後八時三〇分ころ、原告方に着いた。梅夫は自らを松夫の勤務先の上司と、D川は松夫の勤務先の社長であると名乗った。梅夫は、パンチパーマに開襟シャツ、金のネックレスという出で立ちであった。原告花子は、梅夫がやくざ風で怖いと思ったが、松夫ら三名を家の中に入れた。
オ 梅夫は、原告方居間において、原告花子と春子に対し、松夫が勤務先の金五〇〇万円を横領し、その金を春子に貢いだので、春子も同罪であるから誠意を示せなどと言った。なお、春子は、前記のとおり、松夫からプレゼントをもらったり、旅行に連れていってもらったりしたが、五〇〇万円も負担させてはいなかった。原告花子は、松夫らが原告方に上がり込んだ約五分後、息子に電話で原告太郎にすぐに帰宅するよう連絡させた。春子は、友達の助言を受けて松夫との会話を録音する準備をしていたので、この日の会話についても、始まって間もないときから座布団の下に隠したテープレコーダーで録音した(ただし、後記のとおり、現存するテープは、後から重ねて録音されて消去された最後の部分が除かれている。)。
カ 原告太郎は、同日午後九時ころ、帰宅し、居間にいた松夫らに対し、女性しかいない所に上がり込んでいた事などにつき強く抗議した後、春子に贈った物を持ち帰るように言った。梅夫は、不要であると言い、「ただじゃ置かないからな。会社に内容証明付きの文書を送り付けるから覚えておけ。」などと捨てぜりふを吐いて帰った。
キ 梅夫は、帰りの車内で、松夫に対し、「お金を貢いで女が喜ぶのが好きだなんてあきれた。」などと言った。松夫は、反論せず、落ち込んだ様子であった。(なお、E原七郎及びA川八郎に対する刑事判決書〔甲三〕には、松夫が車内で「懲らしめてやる。春子とセックスしているビデオがあるけど、何かに使えないかな。」などと言い、梅夫が「そのビデオをばらまくか。そんなことをしたら、捕まって風俗の方もばれるから、今まで築いてきた店がダメになる。ヤクザに頼んだらどうかな。」など言い、D川が「ヤクザに頼んだら、そのときはいいけど、後が大変ですよ。一生金をせびられるから。」と答えた旨の記載があるが、これらの事実を直接裏付ける証拠はない。)
ク 春子は、同日、松夫らが退去した後、原告らに対し、松夫との交際の経緯を説明した上、松夫以外の二人は知らない者であること、松夫との交際はやめるつもりであるが、松夫は感情の起伏が激しいので、自分や家族に対して危害を加えたり、原告太郎の勤務先に乗り込むかもしれないと言って、謝った。原告太郎は、知り合いの警察官に相談したところ、早く地元の警察に届け出た方がよいとの助言を受けた。そこで、原告らと春子は、松夫らの行為を、恐喝又は脅迫として警察に届け出ることに決めた。原告花子は、同日の出来事をノートにメモした。
ケ 原告らは、同日以降、緊急の事態に備え、いつでも外へ出られる服装で寝るようになった。また、原告太郎は、防犯ベルを購入し、一時期、春子に携帯させた。原告花子は、それ以降、春子が大学へ通学する際にJR桶川駅まで車で送迎をするようになった。さらに、原告花子は、小学四年の次男の下校時に車を使用したり、犬を連れて迎えに行ったり、友達に一緒に下校してもらえるように依頼したりし、また、名札を外させてもらった。
また、春子は、このころから、原告花子に対し、「人込みが怖い。私、刺されるんじゃないかな。」、「何か、誰かに見張られているみたいだし、相手の顔も分からない。とても怖い。」、「駅のホームで突き落とされるかもしれない。」などと言うようになった。
(5)  平成一一年六月一五日
ア 原告花子は、平成一一年六月一五日午前八時五〇分ころ、松夫らしき人物が原告方付近をうろついているのを目撃した。
イ 上尾署訪問
(ア) 原告花子と春子は、同日午前一〇時三〇分ころ、前日の松夫らとの会話を録音したカセットテープと小型のテープレコーダーを持って、上尾署を訪れた。
(イ) 原告花子は、上尾署において、殺人、強盗等の強行犯を担当する刑事第一課捜査第一係の係員であるB原九郎(以下「B原係員」という。)に対し、「昨晩、見知らぬ男三人が、突然家に来て、娘に貢いだ物を返せ、誠意を見せろと脅されました。その時の録音テープを持ってきたので、話を聞いてください。」と言った。
B原係員は、取調室において、春子から、具体的内容について聴取したところ、春子は、「昨日の夜、自宅に来た三人の男のうちの一人は、私が付き合っていたB山という男で、名前は松夫といいます。他の二人は知りません。B山は、ほとんど黙っていたが、上司と名乗る男の人から、『うちの社員があなたと交際中に会社の金を使い込んだので、あなたに貢いだ指輪、服、金等を返してもらいたい、誠意を見せてもらいたい。』と要求された。」と述べた。B原係員は、松夫との付き合いの経緯等について尋ねたところ、春子は、「大宮のゲームセンターでナンパされ、その後B山と付き合うようになった。B山とは、一緒に旅行に連れて行ってもらったり、服や指輪等を買ってもらった。旅行代金もB山に出してもらった。男と女の関係にあった。B山から、『別れたいのなら、今までお前に買ってやった物を全部返せ。』などと言われた。正直言って、B山とのことは親に内緒のことであり、どうしようか迷っていたところ、昨晩三人の男が家に来た。間もなく、父親が帰ってきて、三人の男に対し、いろいろ言ってくれて、三人の男は帰った。男たちが帰った後、父親にB山と付き合っていたことやもらった物等について話したら、大声で叱られ、ほっぺたも殴られた。今は、いい加減な付き合いについて、とても反省しています。」などと答えた。
B原係員は、両名に対し、「これまで事情を聞いた範囲では、相手からの脅迫の言動はないようですから、今すぐ事件にするのは難しいと思います。」と説明した。原告花子は、「昨日のことを録音テープに取ってあり、それを持ってきたので、一応聞いてください。」と告げた。
(ウ) B原係員は、事件性の有無を判断するには、一人より二人で聞いた方がよいと考え、上司である刑事第一課捜査第一係の巡査部長かつ主任として勤務するD野十郎(以下「D野主任」という。)に対し、相談内容の概要を説明した上、「昨晩のトラブル状況を録音したテープを持参しているので、一緒に聞いてください。」と述べ、応援を要請した。D野主任は、取調室に入り、原告花子と春子にあいさつした後、「事情は概略聞きました。それではテープを聞かせてください。」と述べた。春子は、前記カセットテープとテープレコーダーを出し、四名は、同カセットテープを再生し、録音内容を約三〇分にわたって聞いた。そのテープには、後から重ねて録音されて消去された最後の部分において、前記(4)のカのほか、原告太郎が春子に対し、「何やってんだ、お前は。どういうことだ。」などと激しく叱っている言葉が録音されていた。(なお、原告花子は、陳述書〔甲七〕の中で、B原係員が取調室で春子と原告花子から事情を聴取している間にD野主任が別室で他の警察官とテープを聞いていたとするが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)
(エ) D野主任とB原係員は、やり取りの中に「誠意を見せてくれればいい。」などの文言はあるものの、やり取りの内容を全体として見れば、脅迫又は恐喝と認めるには至らないと判断し、D野主任は、原告花子と春子に対し、「この録音テープの内容だと、相手からの脅かすような言葉はないようですから、脅迫とか、恐喝とするのは難しいです。すぐに事件というわけにはいかないと思います。」と説明した。
これに対し、春子は、「B山は危険な人物です。私だけでなく家族が危険な目に遭うかもしれません。お願いですから助けてください。」と頼み、原告花子も、「やくざのような人がいました。何をされるか分かりません。これからが不安なんです。相手が言っているように家族に危害が加えられるかもしれない。調べてほしい。助けてください。」と訴えた(なお、D野主任は、報告書の中で、原告花子が「いえいえ、事件にしてもらいたいというのじゃありません。娘も私たちも相手の男と別れればそれでいいのです。どのようにしたらいいのでしょうか教えてください。」と言ったとするが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)。
D野主任又はB原係員は、「相手の男も一番燃え上がっているところだよ。」、「男女間の問題なので民事不介入で、民事のことに頭を突っ込むとうるさいしね。」といった趣旨の発言をし、今後何かあればB原係員まで連絡するよう述べ、今後の対応については、相手が贈った物を返せと言っているのならそれを返すこと、嫌がらせ電話を防ぐために電話番号を変更すること、市役所などの市民相談で弁護士に相談すること等の対策を助言した。原告花子は、「分かりました。すぐにでも行って相談してみたいと思います。また何かあったら教えてください。」と述べた。
(オ) 春子は、この時、松夫が使用する携帯電話の番号を伝え、調べてほしいと申し出た。B原係員は、NTTドコモに対し、上記番号について照会したところ、原告花子らが帰った後に、携帯電話の名義人は、「B山梅夫」であると判明した。(なお、原告花子は、本人尋問及び陳述書〔甲七〕の中で、春子がそのときは更に「B山竹夫」名義の名刺を差し出したので、D野主任がその場で調べ、「B山松夫」が本名であること、携帯電話の名義人が松夫の兄のものであり、同人が「ちゃんとした人」であること及び松夫には前科がないので接触できないことを述べたと供述等するが、春子が「B山竹夫」名義の名刺を提出したのは後記のとおり同年七月一五日であること、D野主任が同年六月一五日の時点で松夫の兄の存在を知っていたことを認めるに足りる証拠はないこと、原告花子は「ちゃんとした人」の意味を具体的に聞き返さなかったと供述していることに照らし、いずれも措信できない)。
(カ) 春子は、前記カセットテープとテープレコーダーをバッグの中に収め、同日午前一一時四五分ころ、上尾署を後にした(なお、原告花子は、本人尋問の中で、また、原告太郎は、陳述書〔甲八〕の中で、D野主任らが同日、同テープを預かったとするが、原告花子が同年八月一九日に任意提出した同テープには同年六月一五日以降の会話が重ねて録音されていたこと、同テープが改ざんされたと認めるに足りる証拠はないことに照らし、いずれも措信できない。)。
ウ 梅夫は、同人が経営する複数の風俗店の手伝いや同人の使い走りなどをしていたA川八郎(以下「A川」という。)に対し、松夫がプレゼントした物を春子に送り返させて、受け取っておくよう指示した。A川は、同日午後〇時二七分ころ、原告方の留守番電話に、自らを松夫の親戚の「B川」と名乗って、松夫から春子へプレゼントされた物を東京都豊島区内のマンションの一室であるC原一〇二号へ着払いで送るようにとの伝言を残した。原告花子と春子は、上尾署から帰宅したところ、上記伝言が入っていたので、持ち帰った前記テープに重ねて録音した。
エ 原告花子は、同日、NTTに問い合わせたところ、C原一〇二号の住人は松夫ではないことが判ったので、警察に調べてもらおうと考えた(なお、原告花子は、陳述書〔甲七〕の中で、春子が同日、上尾署に電話をし、留守番電話に録音された上記住所が松夫のものか調べてほしいと依頼したとするが、同原告は、後記のとおり、同月一七日、D野主任に対して同一内容の申出をしており、その際、春子が事前に調査を依頼した事に何ら触れられていないことに照らすと、措信できない。)。
オ 原告花子は、同月一五日、原告太郎に対し、上尾署の警察官から前記テープからは恐喝とは判断できないし、男女間の問題で民事だから介入できないと言われたことを話した。原告太郎は、驚くとともに困惑し、今後、注意深く生活していかなければならないと考えた。
カ 同日、原告方に松夫の関係と思われる電話が複数回あり、原告花子は、ノートに「B川二回、D田二回、無言五~六回、B山らしきTEL?回」と記載した。
キ 松夫は、同日から同月二一日までの間、原告方に何度か電話をかけ、弱々しい言い方で、五〇〇万円の横領の件は何とかするので、二人の仲を元に戻せないかと持ち掛けたが、春子は、話に乗らなかった。
(6)  平成一一年六月一六日
ア 原告花子は、平成一一年六月一六日午前八時四〇分ころ、前日二回電話があった上尾の「D田」と名乗る者から再び電話を受けたので、春子に替わったところ、電話をしてきたのは松夫であって、春子とよりを戻したいという趣旨の電話であった(なお、原告花子は、本人尋問及び陳述書〔甲七〕の中で、春子が同日午前八時三〇分ころ上尾署のD野主任に電話をし、前日に調査を依頼したC原一〇二号が空き室であるとの回答を得たので、春子が松夫に電話をし、住所が東京都豊島区内のマンションであるE山五〇四号であることを聞き出したとしているが、前記のとおり、春子が同月一五日に上尾署にC原一〇二号の調査を依頼したと認められないこと、後記のとおり、原告花子が同月一七日にD野主任にC原一〇二号の調査を依頼した際、春子が事前に依頼していたことに何ら触れられていないこと、同原告が陳述書〔甲七〕の中で春子が松夫から住所を聞き出したのが同月一七日であるとしていることに照らすと、同供述等は措信できない。)。
イ 原告花子は、同月一六日午前九時ころ、上尾署を訪れ、D野主任と面談し、前日松夫らしい人物が原告方付近を徘徊していたことを伝え、松夫から何回も電話が入るのでどうしたらよいかと相談した。これに対し、D野主任は、「それでは電話番号を変えた方がいい。市の相談窓口の弁護士が無料相談をしているので行ってみてはどうか。」と助言した。また、原告花子は、「お金で解決できるのならばお金を払った方がいいのではないか。」とも相談したが、D野主任は、「絶対にお金は出さない方がいい。」と言った。原告花子は、同日中に弁護士に相談すると言って帰った。
ウ 原告花子は、上尾署訪問後、NTTへ行き、電話番号を変えようと思ったが、原告太郎の委任状が必要であると言われ、その場では手続きができなかった。原告花子は、その後、上尾商工会議所内の無料法律相談を訪れ、弁護士から、贈られた物を返した方がよいとの助言を受け、今後何かあったら自分の事務所に来るようにと言われて名刺を受け取った。原告らと春子は、その後、同弁護士の事務所を訪れることはなかった。
(7)  平成一一年六月一七日
ア 上尾署訪問
(ア) 原告花子は、平成一一年六月一七日午前八時三〇分ころ、上尾署を訪れ、D野主任と面談した。D野主任が「今日は、どうしましたか。」と尋ねたところ、原告花子は、「昨日教えてもらったとおり弁護士さんに相談したら、D野さんに言われたとおりのことを言われました。その弁護士さんから、『本来ならもらった物を返すことはないけれど、相手の方がくれた指輪とかを返してもらえればいいとのことであれば、内容証明で返した方がいい。』とアドバイスを受けました。でも、弁護士を頼むと費用がかかるとのことだったので頼んでいません。ところで、B山のいう住所がいい加減なんで、何とか調べていただけないでしょうか。」と述べた。D野主任は、「分かりました。B山松夫の住所などは、どこまで分かりますか。」と尋ねたところ、原告花子は、「池袋のこれです。」と述べて、C原一〇二号の住所が記載されたメモを出した。(なお、原告花子は、陳述書〔甲七〕の中で、春子が同日午前九時三〇分に松夫に電話をし、E山五〇四号の住所を聞き出した後、原告花子が同住所を記載したメモを持参して上尾署を訪れたとするが、ノートの同日欄の記載内容や原告花子が同日上尾署に持参したメモに記載された住所がE山五〇四号ではなくC原一〇二号であったことに照らし、措信できない。)
(イ) D野主任は、上記メモに記載された住所を調査したところ、そこは空き室となっていることが判明した。また、B原係員が、同月一五日に松夫が使用していた携帯電話番号の調査から判明した同携帯電話の加入名義人の「B山梅夫」の住所が東京都豊島区内のE山五〇四号であったことから、D野主任は、関係部署に確認したところ、松夫がそこに居住している可能性もあると判断されたので、原告花子に対し、上記契約者名と住所を伝えた。D野主任は、さらに、「後で相手の男から文句を言われないように、荷物を送るときに、写真を撮り、一覧表を作っておいて何を送ったのか分かるようにした方がいいですよ。それに、配達証明で送った方がいいですよ。」と助言した。
イ 原告花子は、松夫の親戚の「B川」と名乗る者が述べていた住所が松夫のものではないと分かったことから、同日午前九時三〇分ころ、春子に松夫へ電話をさせた。春子は、松夫に送り先として指定されたC原一〇二号が空き家であると言われたことなどを告げ、松夫の住所がE山五〇四号であり、氏名が「B山夏夫」であることを聞き出した。
(8)  平成一一年六月一八日
平成一一年六月一八日、池袋のE野と名乗る者から原告方に電話があった。E野と名乗る者は、自らの携帯電話に原告方から着信があったと述べていたが、原告春子は、なぜなのか分からなかった。
(9)  平成一一年六月二〇日
ア 松夫は、平成一一年六月二〇日午前八時三〇分ころ、春子の弟の携帯電話に贈物の返送について電話した。原告花子は、なぜ松夫が息子の携帯電話番号を知っているのか不思議に思った。
イ A川は、同日午前八時五五分、原告方に電話し、松夫の親戚の「B川」と名乗り、春子を呼び出そうとした。対応した原告太郎は、松夫ら三名が原告方に来たことへの非難や、原告方に何度も電話があり、春子以外の者が電話に出ると切れてしまうことを告げた。A川は、贈物の返送を催促したところ、原告太郎は、翌日には発送するとして、送付先が松夫の住所と異なることを松夫に伝えるよう述べたが、A川は、ただ松夫に言われてきただけだと返答した。原告太郎は、贈物を返しても解決することはないのではないか、警察に動いてもらうしかないのではないかと考えた。
ウ 原告花子は、このころ、A川に対し、電話をかけ、贈物を松夫の親戚ではなく、松夫自身の所に送り返した方がよいと警察で言われたと告げたため、送付先はC原一〇二号からE山五〇四号に変更された。松夫は、当時、E山五〇四号に住んでいた。
(10)  平成一一年六月二一日
ア 春子は、松夫から贈られた洋服二〇点、本七冊、バッグ二個、指輪一個等を送り返す準備として、返送する物の写真を撮り、メモを作成した上、平成一一年六月二一日、E山五〇四号の松夫あてに宅配便で送った。
イ A川は、E山五〇四号に赴き、春子が送付した荷物を受け取った。そしてA川は、梅夫と共に、C原一〇二号で荷物を開け、梅夫がバッグ、洋服等その一部のみを持ち帰ったので、残りを捨てた。
ウ 原告らと春子は、平成一一年六月二一日午後、上尾署刑事第一課を訪れた。原告太郎らは、D野主任に対し、同日午前中に春子が松夫からプレゼントされた物は宅配便で送ったと報告し、今後もよろしくと頼んだ。
エ D野主任は、原告らが帰った後、刑事第一課課長のA原二夫(以下「A原課長」という。)に対し、男女トラブルの相談が解決した旨を報告した。A原課長は、「適切なアドバイスで、いい結果になってよかったな。」と述べた。
オ 松夫は、同年一月ころから一緒に飲んだりして付き合うようになったB田三夫(以下「B田」という。)と共に、同年六月二一日午後一一時ころ、B田が運転する車で原告方に向かい、原告方の少し手前の路上で停車し、ライトを消した。松夫は、同日午後一一時一九分ころ、車の窓を開け、怒鳴るような大声で「春子、出てこい。」と三回くらい呼んだ。
春子は、玄関の下駄箱の上に置いてあった使い捨てカメラを持って外へ飛び出し、原告らもそれに続いた。春子は、松夫の所へ近寄り、低い声で話を始めた。原告らは、原告方の門の前で車の方を見ていた。春子は、松夫と少し話をした後、車の後ろに回り、上記カメラでナンバープレートを撮影した。春子は、助手席側から窓越しにのぞき込むようにB田を見て、「初めて見る顔ね。」と言った。原告太郎は、その時、「警察を呼ぶぞ。」と大きい声で言ったが、松夫は、「どうぞ呼んでください。」と応じた。松夫は、B田に指示して、車を発進させた。B田は、当時、松夫と春子の関係について知らなかった。(なお、原告花子は、陳述書〔甲七〕の中で、春子が写真を撮ろうとして車内をのぞき込もうとした瞬間に車が発進し、春子が走り去る車を後ろから撮ったとするが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。また、原告花子は、本人尋問の中で、この時の車がその後何度も春子の部屋が見える場所に止まっていたと供述するが、措信できない。)
春子は、車が白のセダンであり、車のナンバーが「練馬」、「××××」であることをノートに記載した。
カ 原告らは、同日、自宅の電話番号を変更した。
松夫は、同日又は翌日二二日、春子の携帯電話に電話をかけ、怒った声で「どうして電話番号を変えたんだ。」と言った。春子は、「警察と相談して変えた方がいいと言われた。」と述べたところ、電話は切れた。
なお、同年六月以降、春子は、携帯電話番号を二回変更し、原告らの長男も一回変更した。
(11)  平成一一年六月二二日
ア 松夫は、平成一一年六月一四日の一件以来、梅夫に対し、何とかして春子に仕返しをしてやりたいと訴えていた。梅夫は、同月二二日、同人が経営する風俗店「C野」の店長をしていたE原七郎(以下「E原」という。)及び同店の従業員のD山四夫(以下「D山」という。)に対し、同店の事務所において、「あなた方二人だけに話があるんだ。信用するから話すんだけどね。実は、どうしても殺したい奴がいるんだ。この殺しを誰かやってくれる人がいないか。着手金一〇〇〇万円で、成功報酬一〇〇〇万円のあわせて二〇〇〇万円出すから。誰かいないかな。舎弟がだまされて苦しんでいる。」などと言った。D山は、「五〇万円くらい出して中国人にでもやらせたらいいじゃないですか。」などと答えた。E原は、殺したい相手が松夫の交際していた女性であり、それまでのトラブルの状況から、梅夫が、場合によっては相手を殺すことも考えていて、自分たちの忠誠心を試そうと言っているのではないかと思い、また、梅夫の依頼を断って今の地位を失いたくないなどと考え、「私がやります。マネージャー(松夫のことである。)にも世話になっているし、困っているなら、私でよければ間違いなくやります。」と返事をした。梅夫は、「やっぱり、E原さんは偉い。今の言葉を舎弟にも伝えておくから。奴も喜ぶよ。」などと言い、D山に対し、「とりあえず忘れてくれていいから。」などと言った。
イ 原告花子は、同日、上尾署に電話で、松夫らが前日深夜に原告方前で大声で呼び出しをかけたこととそのとき乗っていた車のナンバー(「練馬」、「××××」)を通報した。
ウ 同日午後五時五〇分から午後六時までの間、原告太郎の勤務先に無言電話があった。
(12)  平成一一年六月二三日
ア 松夫又はその関係者は、平成一一年六月二三日ころ、興信所に原告方の変更後の電話番号の調査を依頼し、同月二八日、その回答を得た。
イ 原告らは、同月二一日に自宅の電話番号を変更したものの、同月二三日ころから、再び無言電話がかかり始めた。
(13)  平成一一年六月二八日
平成一一年六月二八日午前一一時、午後五時〇五分及び午後六時〇八分、原告方に無言電話があり、原告花子は、その旨をノートに記載した。
(14)  松夫は、平成一一年六月又は七月ころ、B田に対し、「俺の住民票をお前のところに移してもいいか。」と尋ね、B田は、これを了承した。
(15)  ビラはり等の準備
ア 梅夫は、春子に対して仕返しをしたいという松夫の意向を受けて、春子を中傷するビラを頒布するなどしてその名誉を毀損しようと考えた。そこで、梅夫は、同年六月末ないし七月初めころ、A川に対し、梅夫が経営する風俗店の従業員のC田一夫(以下「C田」という。)の前で、「ある奴から頼まれたんだけど、懲らしめたい奴がいるんだ。写真を使ってビラを作ってほしいんだ。」などと言って、春子の載っている写真と興信所のデータを渡し、春子を中傷するビラの作成を指示した。
イ A川は、自ら原案を考え、以前から風俗店の広告作成を依頼していた広告業者を通じて、ビラ等の作成を専門にしている印刷会社に対し、B5版サイズの中傷ビラ二〇〇〇枚の印刷を発注した。
ウ 梅夫は、その数日後、A川に対し、上記ビラのほかに原告方の電話番号入りのビラ作成を持ち掛け、A川は、梅夫から紹介された者と相談して原稿を作成し、上記業者に名刺サイズのビラ一〇〇〇枚の印刷を追加して注文した。
エ 梅夫は、このころ、E原に対し、「舎弟が女にたぶらかされた。これがまた悪い女で援助交際をやったり平気で身体を売ったりする女だ。懲らしめなければいけない。」、「ビラを家の周りにはったり、ポストに投函したりするからよろしく。」等と言った。
(16)  平成一一年七月一二日及び一三日
ア A川は、平成一一年七月一二日、前記印刷会社からビラを納入するとの連絡があったので、梅夫にその旨を伝えた。梅夫は、A川とD川らに対し、ビラが届き次第まきに行くので人を集めておくよう指示した。A川は、ビラまきに用いる軍手とスプレーのりを準備した上、E原、C田、梅夫が同じく経営する風俗店の店長のE川五夫(以下「E川」という。)及びA本六夫(以下「A本」という。)らに対し、梅夫の指示を伝えて協力を求め、同日の閉店後に風俗店「B沢」に集まるようにと言った。同日夕方、前記B5版サイズのビラ(「WANTED、A野春子」、「この顔にピン! ときたら要注意、男を食い物にしているふざけた女です。不倫、援助交際あたりまえ! 泣いた男たちの悲痛な叫びです。」などと記載され、春子の顔、裸体等の写真三枚が印刷されたカラー刷りのビラ)二〇〇〇枚と後日新たに発注した名刺サイズのビラ一〇〇〇枚が届けられた。風俗店「B沢」には、A川、D川、E原、C田、E川、A本、D山ほか数名が集合した。松夫は、その場にいなかった。梅夫は、同日午後一一時四〇分ころ、同風俗店に到着し、集合した者に対し、警察官の職務質問を受けそうになったときの逃げ方等を説明した。
イ 梅夫らは、上記二〇〇〇枚のビラを持ち、車四台に分乗して出発した。同人らは、風俗店で用いるトランシーバーで連絡を取り合いながら、翌一三日午前一時四五分ころから午前三時ころまでの間、①春子が通学に利用する埼玉県富士見市内の東武鉄道みずほ台駅構内及びコンコース内、②同人が通学する同県新座市内の大学の正門前、③同県上尾市内の原告方付近及び④原告太郎の勤務先会社の正門前において、上記ビラを壁面や看板に貼付したり、郵便受けに投函したり、辺りにばらまいたりした。梅夫は、松夫に見せるため、ビデオカメラでその様子を撮影した。
ウ 原告花子は、同日早朝、玄関先で上記ビラを発見して驚き、原告太郎と二人で、雨の中、原告方付近を駆け回って、ビラを看板や電柱から剥がしたり、郵便受けから抜き取ったりして回収した。
原告太郎と春子は、勤務先や大学にもビラがまかれている可能性があると考えたので、それに対処するため、普段より早い時刻に家を出た。原告太郎が会社に到着した際には、既に守衛がその正門前に一〇〇枚程度投げ入れられたビラの大方を片付けた後であったが、まだ数十枚が残っていた。また、春子は、同人が通学する大学にもまかれたという話を友達から聞いた。
エ 上尾署訪問
(ア) 原告花子は、前記のとおり回収した二袋分のビラを持って、被害申告のため、同日午前八時三〇分ころ、上尾署を訪れた。
(イ) 原告花子は、刑事第一課の出入口付近で、D野主任に対し、「こんな物が家の近くにたくさんはられたのです。」と言って、持参した上記ビラ入りのビニール袋を差し出した。D野主任は、袋の中からビラ一枚を取り出し、女性の顔写真や裸らしき写真が写っていることを確認した。D野主任は、原告花子に対し、「娘さんですか。」、「ビラはり以外に何かありましたか。」等と尋ねると、原告花子は、「娘に間違いありません。」、「特に他にはありません。」と答えた。D野主任は、A原課長に対し、ビラ一枚を示しながら、事情を説明し、どのような措置をとるべきか協議した。A原課長は、本件は名誉毀損事件であって、春子等の生命・身体に対する緊急な危害の虞はないとして、刑事第一課が取り扱うべき事件ではないと判断し、刑事第二課に対応させようと考えた。
(ウ) A原課長は、刑事第二課に行ってD原課長に対し、「これまで男女間のトラブルということで一課が相談を受けていて、いったんは収まったが、今回、中傷ビラがはられたということで母親が来ており、名誉毀損に当たると思うので、二課で対応してくれ。」と述べた。D野主任は、「今風の飛んでる姉ちゃんの事件で、一課で扱える事件じゃないんだよ。」と言った。D原課長は、B野係長に意見を求めたところ、B野係長は、D野主任が持っていたビラを見ながら、写真に写っている女性がビラに書かれた「A野春子」であれば、「不倫援助交際あたりまえ」などと書かれていることから、同人の名誉を害しており、外にはられたりしたということであれば、公然性も認められ、名誉毀損に当たるので、刑事第一課で扱えない事件であれば、刑事第二課で受けなければならないのではないかとの意見を述べた。E田係員は、この時、その場で上記ビラを見たが、いつもD原課長やB野係長から仕事を押し付けられ、任せきりにされていたことから、このままでは上記ビラの件も自分に押し付けられてしまうと思い、翌日の逮捕術の試合に備えて防具等を確認するため等として席をはずした。その後、D野主任は、原告花子を事件を引き継ぐために刑事第二課へ案内した(なお、原告花子は、本人尋問及び陳述書〔甲七〕の中で、D野主任は「二課の方に行くように。」、「あっちだよ。」と述べただけであり、同人が先に刑事第二課に赴いたこともなく、上記認定にかかるやり取りが行われなかったかのような供述等をしているが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)
(エ) 刑事第二課に案内された原告花子は、D原課長に対し、娘の春子の交際相手が上記ビラをはったに違いないこと、原告方付近の壁等にはられていたこと、剥がすのが大変だったこと、ビラに載っている写真は春子であること、まだ剥がし残しがあるかもしれないことなどを述べた。D原課長は、これまでの経緯について尋ねたが、原告花子は、刑事第一課の警察官に話してあるので聞いてほしいとしたので、課が違うのでもう一度話して下さいと言った。原告花子は、これまでの経緯を簡単に説明した後、ビラの剥がし残しがあるかもしれないので、すぐに来てもらいたいと要望した。D原課長は、すぐには行けないが、速やかに捜査員を実況見分に向かわせるので、待っていてほしいとして、原告花子が持参した上記ビラを受領した(なお、原告花子は、本人尋問及び陳述書〔甲七〕の中で、同年六月一四日の録音テープが刑事第一課にあることを伝えたとしているが、前記のとおり、刑事第一課は、同月一五日に同テープを預かっておらず、措信できない。また、原告花子は、陳述書〔甲七〕の中で、持参した二袋のほかに家に二袋あることを伝えたともするが、D原課長、B野係長及びE田係員は、いずれも証人尋問の中で、かかる発言を聞いたことはないと述べており、前記原告花子の供述等は措信できない。)
オ 実況見分
(ア) D原課長は、原告花子から受け取ったビラ入りの袋をE田係員の机の上に置き、B野係長に対し、この件をE田係員に担当させようと相談したところ、B野係長は、これに賛成した。E田係員は、席に戻ったところ、自らの机の上にビラ入りの袋が置かれていたので、D原課長に対し、「これは何ですか。」と尋ねた。D原課長は、「先月、A野さんという家で男女のトラブルがあり、一課で相談を受けていた。収まったと思っていたが、今朝、自宅周辺にこういうビラをはられたとのことで、名誉毀損の疑いがある。A野さんの所へ行って剥がし残したビラがあれば見分してきてくれ。C山と一緒に行け。」と命じ、原告太郎の氏名、住所及び電話番号が記載されたメモを渡した。D原課長は、当時、捜査経験がほとんどなく、自ら積極的に事件処理ができなかったので、ベテランのB野係長に事件処理を頼っていたため、同人にはいわゆる頭が上がらない状態にあった。D原課長は、B野係長への遠慮から事件を次々とE田係員に割り振っていたため、E田係員は、D原課長が今回も予想どおり事件の担当を自分に割り振ってきたことに不満を抱いたが、特に文句も言わなかった。E田係員は、B野係長に対し、実況見分の方法について尋ねたところ、B野係長は、公職選挙法違反のポスターやビラの実況見分と同様に、貼付されたビラの場所を特定し、写真を撮り、内容を確認すればよいとしたが、ビラを押収してくることまでは指示しなかった。E田係員は、住宅地図で原告方の場所を確認し、カメラを持って、同日午前一〇時ころ、刑事第二課捜査第一係のC山係員と出掛けた。(なお、B野係長は、証人尋問の中で、E田係員にビラを剥がして持ってくるように指示したと供述するが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)
(イ) E田係員とC山係員は、原告方に向かう途中、上記ビラと同様のものが原告方付近の四個所に計八枚貼付されているのを確認したので、B野係長に報告した。E田係員らは、同日午前一一時過ぎころ、原告方を訪ね、原告花子に対し、剥がし残しのビラがあったことを告げ、原告花子立会いの下、実況見分をした。原告花子は、E田係員が写真撮影を終えて剥がしたビラを、次々に丸めて一塊にした。E田係員は、これに気付き、剥がしたビラをこのような状態にしてしまったことは失態であると思ったが、既に写真撮影を終えており、同種のビラの提出を受けていたことから、このような状態になったビラまで押収する必要はないと考えた。また、原告花子から、一塊となったビラをどうしたらよいか尋ねられたので、処分して構わないと答えた。そして、E田係員は、実況見分の際、原告花子に対し、「できるだけ早く春子さんから事情を聞きたいので連絡を下さい。」と伝えた。
(ウ) E田係員は、同日又は翌日一四日、D原課長とB野係長に対し、実況見分の結果を報告したところ、D原課長は、何も言わなかったが、B野係長は、剥がしたビラを押収しなかったことを怒り、原告方に赴いて押収してくるよう指示した。E田係員は、原告方に電話したところ、原告花子が応答し、剥がしたビラはゴミとして捨ててしまったと答えた。E田係員は、その旨をB野係長に報告したところ、同人は、特に何も言わなかった。
(エ) 上記実況見分の結果は、後記のとおり、春子死亡後の平成一一年一一月二一日に書面化されたが、平成一二年一月一〇日には、破棄された上記八枚のビラについて、これを領置した後に廃棄した旨の内容虚偽の領置調書、捜査報告書が作成された。
カ 原告花子は、同日夕方、地区の民生委員の所に前記ビラを持参してこの事態について相談したところ、同委員は、町内会も原告らのために協力すると約束してくれた。
キ 当時の上尾署刑事第二課捜査第一係の状況
(ア) 埼玉県警察においては、告訴事件を受理した場合、埼玉県犯罪捜査規程によって県警本部捜査第二課への報告が必要とされていた。上尾署は、当時、告訴事件の未処理件数が他署より多い状態が続いていて、新たな告訴事件の早期捜査や、受理が古かったり時効が迫っている未処理告訴事件の処理が緊急の課題とされていた。上尾署のC川次長は、同年六月、県警本部捜査第二課へ告訴・告発事件の捜査処理状況を報告するよう命じられたので、同署刑事第二課捜査第一係の未処理告訴事件の記録を調査したところ、B野係長が一年以内に時効を迎える告訴事件三件(詐欺告訴事件一件及び被疑者同一の被害申告額六〇〇〇万円に及ぶ業務上横領等告訴事件二件)を長期間抱えたままの状態であることが分かった。そこで、D原課長とB野係長に対し、早期処理を指示した。
(イ) B野係長は、当時、上記のとおり、担当する告訴事件の早期処理を促されていたが、そのうち詐欺告訴事件については、既に令状発付を受け、被疑者の所在捜査だけを残す状態にあり、業務上横領等告訴事件については、令状請求の準備をほぼ終え、若干の補充捜査と被疑者の身辺捜査だけを残す状態にあった。このような状態が、前記業務上横領等告訴事件の被疑者が逮捕された同年八月二三日まで続いた。
(ウ) E田係員は、当時、B野係長が担当する上記告訴事件のうちの業務上横領等告訴事件の被疑者の所在捜査を手伝わされており、多忙な毎日であった。
(エ) 刑事第二課捜査第一係には、A田主任も在籍していたが、同人は、同年三月下旬から一二月初めまで、県警本部の暴力団対策第二課が担当し、上尾署内に特別捜査班が設置されていた、元暴力団組員らによる自動車事故を仮装した保険金目当ての殺人未遂・詐欺事件の応援に出ており、捜査第一係の仕事はできない状況にあった。
(17)  平成一一年七月一四日
ア 原告花子は、平成一一年七月一四日、上尾署に電話し、原告方付近にはられていたのと同様のビラが原告太郎の勤務先にも投げ入れられていたことを伝えた(なお、同原告は、本人尋問の中で、春子が通学する大学にまかれていたことも伝えたと供述するが、措信できない。)。
イ 原告花子と春子は、同日、春子が通学する大学に電話をし、原告花子が同大学の理事長にビラをまかれたことを説明したところ、同理事長は、全力で春子を守るので大学を辞めなくてもよいとした。
(18)  平成一一年七月一五日
ア 上尾署訪問
(ア) 原告花子と春子は、あらかじめE田係員に来署する旨を伝えた上、平成一一年七月一五日午後二時ころ、これまでの経緯等を記載したノートを持って上尾署を訪れた。しかし、E田係員は、そのころ、埼玉県上尾市内のレンタルビデオ店で起きた強盗事件の緊急配備のために外出し、D原課長も、同事件の現場で指揮を執っていた。E田係員とD原課長は、同日午後三時ころ、上尾署に戻り、待っていた原告花子らを刑事第二課の相談室へ案内した。
(イ) E田係員は、D原課長と共に、原告花子と春子の事情聴取をした。原告花子は、犯人の心当たりについて、松夫以外に考えられないとし、また、付近住民が前日午前三時三〇分ころ、ビラをはっている人物を目撃したとした。E田係員は、後でその目撃者から事情を聞く必要があると考え、手帳に名前をメモした。さらに、E田係員は、松夫に関することで分かることがないか尋ねた。これに対して、春子は、松夫が春子の友人のところにかけてきた携帯電話番号や、松夫の実家が浦和市(現さいたま市)内にあること、生年月日が昭和四七年一〇月一三日であるらしいことを伝えた。E田係員は、春子に対し、松夫との交際について尋ねたところ、春子は、平成一一年一月に埼玉県大宮市(現さいたま市)南銀座のゲームセンターで出会い、同年六月一四日まで付き合っていたと答えた。原告花子は、持参したノートを取り出し、「それからいろいろなことがあったんです。」と言って、松夫から何度も電話があり、無言電話もあったこと、同年六月一四日に松夫を含む三人組に押し掛けられて脅されたこと、同月二一日に原告方の外から大声で呼ばれたことなどを簡単に述べた。E田係員は、上記ノートをコピーさせてほしいとしたところ、原告花子は、上記ノートと共に前記のとおりプレゼントを返送した際の宅配便の伝票のほか、「B山松夫」名義の名刺を手渡した。同名刺には、埼玉県秩父市内の中古車販売の会社名が記載されていた。E田係員は、別室でこれらをコピーした。
(ウ) D原課長は、E田係員がコピーをしている間、原告花子らから事情を聞いた。D原課長は、鑑識の経験が長く、ビラの製版状況、製造方法等を調べて印刷業者を解明するためには時間がかかると考え、「捜査には時間がかかる。」と述べた。春子は、「早くB山を捕まえてください。私も殺されるかもしれないし、私のせいで家族に危害を加えられるかもしれない。そうなったら、私はどうしたらいいか分からない。お願いします。」、「B山には仲間がたくさんいるみたいで、自分が手を出さなくても動く役はたくさんいるんです。」などと訴えた。D原課長は、捜査を先に延ばしたいという気持ちから、「警察は、告訴がないと捜査できないんです。」と言ったところ、春子は、「今日告訴しますから、お願いします。」と述べた。D原課長は、「お嬢さんは嫁入り前だし、裁判になるといろいろ恥ずかしいことや嫌なことを言わないといけなくなりますよ。」、「告訴は大学の試験が終わってよく考えてからでもいいでしょ。」などと述べた。春子は、「大丈夫です。家族で話し合ってきましたから。今日、告訴しますから。」などと述べた。しかし、D原課長は、大学の試験終了後の同月二二日に再度来るように告げて、告訴の要請に応じなかった。(なお、D原課長は、証人尋問の中で、警察の対応に対する不満や春子と家族に身体危害が加えられる虞を述べられたことはないと証言するが、上記証拠に照らすと措信できない。)
(エ) E田係員は、その後、コピーを終えて相談室に戻り、ビラの第一発見者について尋ねた。原告花子は、「私が朝、玄関先に出て掃除しようとしたところ、紙くずが落ちていて、見ると、このビラだった。近所の家にも同じことをしていないかと思い、回ってみたらいっぱいあった。」と答えた。E田係員は、「それは何時ころですか。」と尋ねた。原告花子は、「七時半いや六時半ころです。」と答えた。E田係員は、「ビラを発見した場所は分かりますね。」と尋ねた。原告花子は、「分かります。」と答え、原告太郎の勤務先にも同じようなものがまかれたと述べた。なお、E田係員が同日コピーしたノートには、発見場所の図は記載されていなかった。E田係員は、松夫の写真が欲しいとしたところ、春子は、探してきますとした。
(オ) E田係員は、同日、原告花子が同月一三日に持参したビラのうち一枚ずつ分離できた五二枚について、任意提出書と所有権放棄書に原告花子の署名を求め、更に領置調書を作成した。
(カ) 原告花子と春子は、同月一五日午後四時過ぎころ、上尾署を後にした。
イ 原告花子は、帰宅の途中、上尾署の警察官から問い合わせがあるかもしれないと思い、前記目撃者宅へあいさつに寄った。その際、「二階のトイレからだったので顔は分からなかったけれど、髪型、体型、洋服などは分かる。」と聞いたので、その聞いた人物の特徴をノートに記録した。
ウ E田係員は、春子らが松夫を怖がっており、家族に危害を加えられる前に本件で逮捕してもらいたがっていると感じたが、松夫が犯人であることの直接的な証拠がなく、逮捕状を請求するのは無理であると考えた。しかし、ビラの数が多く、何個所にもわたってはられたり、ばらまかれたりしていて、犯人は松夫を含め複数いると思われたことなどから、原告花子らが帰った後で、D原課長に対し、「これは私一人ではできません。ストーカーのような背景もあって、エスカレートする可能性もあるので、早く態勢を組んでください。被疑者が複数ということもあるし、被疑者を特定するのも私の力じゃ時間がかかってしまうので、お願いします。」と言ったが、D原課長は、「とりあえず、できるところから一つ一つやっておいてくれ。」などと言って、E田係員の要請に応じようとはしなかった。(なお、D原課長及びE田係員は、それぞれの証人尋問及び陳述書〔乙二一、乙二二〕の中で、E田係員がD原課長に態勢を組むよう頼んだのは、同日の時点ではなく、同月二九日に告訴を受理した後であったとするが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)
(19)  梅夫は、前記ビラはりが終わったころから、E原に対し、「うちの舎弟が『結果が見えてこない。本当に皆で頑張って俺のためにやってくれているんだろうか。』と、ほとんど毎日のように電話をかけてくる。参っちゃうよ。」、「舎弟も精神的に参っている。」などと愚痴を言うようになった。
(20)  平成一一年七月一七日又は一八日ころ
ア E田係員は、原告花子から聞いた目撃者から事情を聞くため、住宅地図と電話帳でその住所と電話番号等を調べ出して、平成一一年七月一七日又は一八日ころ、電話で目撃状況を尋ねたところ、「二階のトイレに入った際、外でシュッシュッとスプレーのような音がしたので、窓から外を見た。人がいる様子であったが、よく見えなかったので、写真を見ても顔は分からない。」等との答えであった。E田係員は、それでは、被疑者の特定に結び付かないと考え、その聴取結果は書面にしなかった。
イ 同月一八日、知人から預かったとする不正クレジットカードによる商品詐欺未遂事件の被疑者が逮捕され、E田係員は、同事件を担当した。
ウ 同日午後一〇時三五分から一一時五〇分までの間、四回にわたり原告方に不審な電話がかかってきた。
(21)  平成一一年七月二〇日ころ
ア 梅夫は、平成一一年七月二〇日ころ、A川に対し、前記名刺サイズのビラ一〇〇〇枚について、「やってくれたよね。」という電話をした。A川は、上記ビラをまいていなかったことから、C田、E原、E川及びA本に協力を依頼し、その日の夜、A本が運転する車で東京都板橋区の高島平団地へ行って、「大人の男性募集中」などと記載された春子の顔写真と電話番号入りのビラを集合ポストに投函するなどした。A川は、同日、梅夫に対し、ビラまきを終えたことを報告した。
平成一一年七月二〇日ころの深夜、原告方に上記ビラを見たという複数の男性から電話がかかってきた。
原告花子は、その翌日ころ、上尾署に対し、上記の電話があったことを連絡した。
イ 同月二〇日以降、松夫らからの電話がかかってこなくなった。春子は、手帳の同日欄に「でんわぷっつりなくなる。」と記載した。
(22)  平成一一年七月二二日
ア 原告花子と春子は、春子の大学の試験が終わったことから、平成一一年七月二二日、告訴を受理してもらうため、上尾署を訪れた。
イ 当時、上尾署刑事第二課には、D原課長がいたが、B野係長、E田係員及びC山係員の三名は、同月一八日に逮捕された前記詐欺未遂事件の被疑者の取調べのため大宮警察署に派遣されており、不在であった。
ウ D原課長は、来署した原告花子らに対し、担当者がいないため告訴を受理することができないので、告訴状は作成しておくので改めて来署するようにと述べた(なお、原告花子は、本人尋問の中で、春子が帰り際に録音テープ二、三本とテープレコーダーを差し出し、「これを聞いてください。」と言ったと供述するが、領置手続がとられたことを認めるに足りる証拠がないことやD原課長の供述に照らし、措信できない。)。
エ 春子は、告訴の受理によって捜査を開始してもらえると期待して上尾署を訪れたが、D原課長の上記対応に失望した。
(23)  梅夫は、平成一一年七月二二日ころ、A川に対し、原告方の飼い犬にホウ酸団子を食べさせて殺害すること及び原告方の車にペンキを塗ってくることと、その様子をビデオカメラで撮ってくるよう指示した。A川は、協力を依頼したE原とC田の三名で、ホウ酸、犬のえさ、ペンキ、手袋等を準備して、同月二四日ころの深夜、車で原告方前に赴き、A川とE原が犬のえさとホウ酸を混ぜて作った団子を持って車を降りたが、犬に吠えられたため、その実行をあきらめた。A川は、同日、梅夫に対し、失敗した旨報告した。
(24)  D原課長は、春子の告訴の意思が固いことから、次に来署した際には告訴を受理しようと考え、平成一一年七月下旬ころ、B野係長から告訴状の作成方法を教わって、以前に受理した弁護士作成の告訴状を参考にするなどして、春子の告訴状を作成した。被告訴人欄は不詳とした。
E田係員は、同じころ、B野係長から名誉毀損の調書の作成の仕方の説明を受けた。
(25)  E田係員は、原告花子のノートのコピーに基づき、渋谷区役所に対し、松夫の住民登録に関する照会をした。平成一一年七月二六日、同区役所からの回答があり、それによれば、松夫は、同年一月三日に前登録地のE山五〇四号からC原一〇二号に転居していたことが判明した。また、E田係員は、松夫の犯歴照会をしたが、同人には犯罪経歴がなかった。さらに、E田係員は、C山係員に依頼して、春子から申告を受けた松夫が最近使用している携帯電話の番号から、その契約者は「B田三夫」名義で契約されていることが分かったので、犯人の犯歴照会をしたが、犯罪経歴はなかった。
(26)  平成一一年七月二九日
ア 原告花子と春子は、告訴を受理してもらうため、平成一一年七月二九日午後二時ころ、上尾署刑事第二課を訪れた。
イ D原課長は、春子と原告花子に対し、告訴の意思を再確認して、事前に作成しておいた告訴状を示した。春子は、犯人は松夫以外に考えられないと述べていたのに、告訴状には「誰がこのようなことをしたのか分かりません。」と記載され、被告訴人を不詳としている点を尋ねたところ、D原課長は、「現時点ではビラはりの犯人をB山松夫とはっきり断定する証拠が十分ではないので、被告訴人を不詳とした。」と説明した。春子は、内容を確認して署名した。押印については、春子が印鑑を持参していなかったことから、後日押印してもらうことになった。
ウ D原課長は、告訴を受理した後、春子らの事情聴取をE田係員とC山係員に任せた。
エ E田係員とC山係員には、春子らから同月一五日に聴取した事項を確認しながら、詳しく事情を聞いた。春子は、松夫との交際経緯については、春子が松夫のマンションでビデオカメラのレンズ様の物を発見したので確認しようとしたところ、松夫が突然怒り出し、部屋の壁を殴りつけて穴を開けたことや、別れ話を持ち出した翌日に見知らぬ男性二名を連れて原告方に押し掛けてきたこと、松夫からのプレゼントを送り返したこと、その後も数々のストーカー様の行為を受けていることなどを詳細に述べた上、名誉毀損の犯人は松夫に間違いないので捕まえてほしい、ストーカー様の行為をやめさせてほしいと頼んだ。
オ E田係員は、松夫との情交関係等を聴取する際、C山係員に依頼して原告花子を室外へ退出させた。
カ 春子は、松夫と別れるまでの経緯について、「直接殴られたことはないけど、物を蹴ったり、壁を殴ったりする。普段は優しく、私の言うとおりにしてくれるので、ずるずると別れられないでいた。」と述べたが、同年三月末から同年六月一四日までの具体的な交際状況については、明確な説明をしなかった。E田係員は、刑事第一課のD野主任から、録音テープがあると聞いていたので、春子に対し、松夫らが原告方を訪れた時の録音テープがあるか尋ねたところ、あるということであったので、何かのついでで構わないので持ってきてほしいとした。E田係員は、ビラに載っている写真について尋ねたところ、春子は、「正面から写っている写真はいつどんな時に撮られたものか分からない。裸のような写真は、松夫の部屋で松夫とセックスしているときに撮られたものかもしれない。」と答えた。E田係員は、春子と松夫との情交関係について詳細に聴取することができず、合成写真の可能性もあることから、ビラの写真と松夫を結び付けることはいまだ因難であると考えた。E田係員は、「もしビラの写真のことについて思い出したことがあれば知らせてほしい。」とした。そして、E田係員は、春子から、前に依頼した松夫の写真二枚を受け取った。
キ その後、E田係員は、原告花子を入室させ、同人からビラを発見した状況や贈物を送り返した際の状況等について聴取した(なお、原告花子は、本人尋問の中で、同人は事情聴取を受けていないと供述するが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)。
ク E田係員は、原告花子に対する事情聴取を終えた後、春子に対し、同日及び同月一五日に聴取したことを調書にし、完成後に署名押印をもらうため、告訴状とともに原告方に持参する旨を説明し、今後何か嫌がらせや不審者があった場合一一〇番通報するよう述べ、両名を帰宅させた。
ケ 春子は、E田係員による事情聴取の後、原告花子に対し、嬉しそうに「やっと動いてくれるね。これで少し安心できるね。」と述べた。
コ E田係員は、同日の事情聴取の後、松夫は、大金を持っており、やくざに金を払って春子に何かさせる可能性があるかもしれず、ビラはりについては、第三者を金で雇ってやらせたものであろうと考えた。
サ E田係員は、同日、D原課長に対し、春子がビラの写真の一枚について松夫の部屋で撮られたものかもしれないと言ったことや原告花子がビラが原告太郎の勤務先にもまかれたと言ったこと等事情聴取の結果を報告した。
シ 告訴事件の処理については、前記のとおり、県警本部捜査第二課に報告することとされており、D原課長も、当時、このことを認識していたが、本件のように告訴代理人として弁護士が就いていない事件についてまで報告する必要はないとの理解であったので、県警本部への報告や告訴状の受理簿への記載、告訴状への受付印の押印をしなかった。
(27)  中傷文書送付の準備
梅夫は、平成一一年七月下旬ころ、A川に対し、「あれじゃあ物足りないよ。何とかお父さんに会社を辞めさせたい。お父さんが会社を辞めざるを得ないような文書を作って会社に直接送り付けたらいいだろう。」などと言い、さらに、「あれじゃあ舎弟が気が済まないと言っているんだよ。毎日電話をかけてきて大変なんだよ。」などと盛んに愚痴をこぼし、原告太郎が会社を辞めざるを得ないような中傷文書を郵送するよう指示した。A川は、中傷文書の文案を考えてみたものの、うまくいかないため、前記名刺サイズのビラの原稿を作成する際に梅夫から紹介された者に相談して文案を考え、同年八月四日、原告太郎らを中傷する文書一〇〇〇枚の印刷と封筒にはるあて名印刷シールの作成を前記印刷会社に発注した。
(28)  平成一一年八月三日
ア E田係員は、平成一一年七月一五日及び同月二九日に原告花子と春子に対して行った事情聴取の結果に基づき、両名の供述調書各一通を作成し(ただし、頭書き部分の作成日付は記載されていない。)、同年八月三日午前、原告方を訪れ、両名に対し、それぞれの供述調書を閲覧させて、署名、押印をしてもらい、さらに、春子には前記告訴状に押印させた。
E田係員は、このとき、春子に対し、あらかじめ依頼してあった、松夫らが原告方を訪れたときの録音テープを探してもらったが、その場では見付からず、見付かったら連絡するよう依頼した。
原告花子は、このとき又は同月九日ころ、E田係員に対し、東京都内で春子の名前が入った援助交際等と記載されたカードが配られたこと、及びそこに春子の電話番号として記載されていた友達のところに電話がかけられてきたことを伝えた。
イ E田係員は、上尾署に戻り、上記各供述調書を完成させるため、未記載部分の補充をしたが、その際、調書の作成日付を同一日とすると、調書の外形上、一日で両名から事情聴取を行い、二通の供述調書を作成し、各調書に署名押印を得たことになって、自らの捜査能力を超えていると検察官や裁判官に疑われてしまうので、作成日付を異なる日にしようと考え、原告花子の調書の作成日付を署名押印を得た同月三日とし、他方、春子の調書の作成日付については、最初、実際に取調べをした同年七月二九日にしようと思ったが、被告訴人不詳とされている前記告訴状の作成日付が同日付けなのに、同じ日付の調書に犯人は松夫しか考えられないとあったのでは不自然であると思い、結局、同月三〇日に作成した旨の虚偽の記載をした。
(29)  E田係員は、前記「B山竹夫」名義の名刺の勤務先として記載されていた会社の役員等を調べるため、平成一一年八月四日、商業登記の照会をした。その結果、数日後には同社が埼玉県秩父郡横瀬町に本店を有する有限会社であり、D川ほか一名が取締役であることが判明した。そこで、E田係員は、両名の犯罪照会をしたが、犯罪歴は見当たらなかった。
(30)  平成一一年八月初めころ
原告花子は、平成一一年八月初めころ、インターネット上に春子を誹謗中傷する文面が流れたので、原告方付近の住民がそれを印刷したものを上尾署に持参して、E田係員に調査を依頼したが、E田係員は、無理であるとした。
(31)  平成一一年八月一三日
A川は、平成一一年八月一三日、印刷会社から前記一〇〇〇枚の中傷文書が届けられたことから、E原らの協力を得て、それを一枚ずつ封筒に詰め、切手をはるなどして発送の準備を整えた。しかし、同人らは、ポストに投函するのが面倒になったことから、そのままにしていた。
(32)  平成一一年八月一六日ころ
E田係員とC山係員は、平成一一年八月一六日ころ、原告方を訪れた。E田係員は、「その後、何か変わったことはありませんでしたか。」と尋ねた。原告花子は、「今のところ特にありません。この静けさが気持ち悪いのです。」と述べた。E田係員は、「B山の名刺に基づいて会社や関係者について捜査しました。会社の登記はされていましたが、会社が秩父で住所が池袋というのが疑問なので、この辺から調べようと思います。」と捜査状況の報告をし、帰ろうとしたところ、原告花子は、「ちょっとお待ちください。」と述べ、原告太郎を呼んできて、E田係員らに紹介した。E田係員は、自己紹介の後、「まだB山とビラはりとを結び付けるような証拠は入手できていません。捜査に時間がかかっていますが、分かったことがあればお知らせします。もし何かあったら、すぐ一一〇番してください。」と述べた。原告太郎は、「あいつらは何をするか分からないので、捜査を続けてください。」と頼んだ。(なお、E田係員は、陳述書〔乙二二〕の中で、原告太郎が「あいつらは何をするか分からないので、捜査を続けてください。」とは述べていないとするが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)
(33)  平成一一年八月一九日
ア 原告花子は、平成一一年八月一九日、上尾署の警察官に対し、春子と松夫との会話等が録音されたカセットテープ三本を任意提出し、E田係員は、同日、これを領置した。うち一本には、同年六月一四日の晩の春子らと松夫らとの会話が録音されているが、その会話以外の部分と他の二本のテープの録音部分は、春子と松夫との会話を録音したもので、同年六月中ごろ以前の会話であった。これらの会話の中に、名誉毀損に直接結び付くようなものはなかった。(なお、原告太郎は、陳述書〔甲八〕の中で、上記テープ三本は、既に提出済みであり、春子が殺害された数か月後にコピーが返却されたが、一本目には松夫ら三人が帰った後に原告太郎が春子を叱る部分等が消去されるとともに、同年六月一四日以降の会話が録音されており、上尾署の警察官らが改ざんしたものであるとするが、同年八月一九日以前にこれらのカセットテープが提出されたことを認めるに足りる証拠はないし、一本目が一部消去され、重ねて録音された経緯については前記のとおりであるから、原告太郎の上記陳述書の記載部分は措信できない。)
イ E田係員は、D原課長に対し、春子に対する名誉毀損事件について捜査態勢を組むよう依頼したが、前記のとおり応じてもらえなかったので、同事件を決裁に上げて、D原課長の上司であるC川次長の目に留まれば、同人が捜査態勢を組んでくれるかもしれないと考え、同日、前記告訴状や原告花子と春子の供述調書等の関係書類を整え、D原課長へ決裁に上げた。
D原課長は、決裁記録を受け取ったものの、当時、休暇や身柄事件の処理で忙しく、同月三〇日又は三一日に至るまで、同記録をC川次長へ決裁に上げなかった。
(34)  中傷文書の送付
ア 梅夫は、平成一一年八月二一日ころ、A川に対し、「もう出してくれたよね。」などと言い、前記中傷文書を発送したか否かを確認した。A川は、直ちに、E原、C田及びE川に対し、梅夫の指示を伝えて協力を求めた。
イ A川ら四名は、同月二二日、C田が運転する車で前記のとおり中傷文書を一枚ずつ同封した封筒一〇〇〇通のうち、八〇〇通を東京都内の約四個所の郵便ポストに分けて投函した。同文書には、「A野春子は、一見清純そうだが、その外見からは想像が出来ないほどの毒婦ぶりなのである。その容姿と甘い言葉、思わせぶりな態度で次々と男性に近づき、交際をエサに宝飾品や高価なプレゼントをねだり、男性からの貢ぎ物を手に入れ、男性が金銭的にパンクすると交際を白紙に戻す。最近ではこれらの男性から巻き上げた大量の金品ではあき足らずに、女子大生というブランドを生かして、援助交際さえ行っている。」、「コウノハルコの父親は、普段は品行方正、堅物と思われているが、大のギャンブル好き。コウノハルコは自分の学費やおこずかいだけでなく、親の遊興費まで稼いでいた。金のために売春さえ厭わないようなモラルのない娘に育てたコウノ・タロウ氏の教育の問題、しつけの欠如でもあり、親として、人としての資質の欠落を指摘されてしかるべきであろう。」などと記載されていた。なお、残りの二〇〇通の封書は、発送されないまま春子死亡後に破棄された。
ウ 上記封書は、同月二三日、三九七通が原告太郎の勤務先に、三九一通が同社の関連会社に、それぞれ配達された。
(35)  上尾署訪問
ア 原告太郎は、平成一一年八月二三日、出勤したところ、勤務先に配達された上記三九七通の封書が自分の所へ運ばれてきた。原告太郎は、一部それを開封して中を確認したところ、上記のとおり中傷文書が入っていた。原告太郎は、松夫の仕業に違いないと思い、怒りが込み上げたが、これを届け出ることによって警察の捜査が加速されると考えたので休暇を取って、同日午後四時過ぎころ、原告花子と春子と共に上尾署に上記封書を持参した。
イ 上尾署刑事第二課には、当時、捜査第二係(暴力団担当)のC林七夫係員(以下「C林係員」という。)と当直勤務のA田主任がいたが、D原課長は、不在であり、B野係長とE田係員は、B野係長が担当する前記業務上横領等告訴事件の被疑者が同日逮捕されたことから、同事件の捜査に出ていた。対応に出たC林係員がE田係員は捜査に出ている旨を説明すると、原告太郎は、「E田さんにお世話になっている件で、説明すると長くなりますし、E田さんに話してあり書類も出してあります。自宅付近にビラをはられた件でこれを渡してもらえば分かります。また明日来ます。」と言い、C林係員に上記封書の入った紙袋を手渡した。C林係員は、原告太郎の申出内容が理解できなかったが、A田主任は、春子の告訴を受理したことをE田係員から若干聞いており、E田係員への連絡事項があれば伝えようと思い、「今日は、私が当直でおりますので、何かあれば連絡してください。」と述べた。原告太郎は、A田主任に対し、これまでの被害の概要を説明し、今回再びこのような被害を受けたこと、封書に入った中傷文書が紙袋の中に入っているので担当者に渡してほしいとした。A田主任は、E田係員の翌日の予定を知らなかったことから、「明日、署に来る時は、電話してから来てください。」と述べ、原告太郎は、了解した。(なお、原告花子は、陳述書〔甲七〕の中で、封書を差し出したところ、応対した警察官が「預かっておく。明日来てもらいたい。」と言ったとするが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)
ウ A田主任は、同日午後七時ころ、帰署したE田係員に対し、原告太郎が来署したことと翌日来署すると言っていたことを伝え、C林係員が受け取った紙袋を手渡した。
エ 当時の刑事第二課捜査第一係の状況
(ア) A田主任は、当時、前記保険金目当ての殺人未遂・詐欺事件の捜査に従事していた。
(イ) B野係長は、同日逮捕した業務上横領等告訴事件の被疑者の身柄送検のための手続や取調べが同年九月一三日に処分保留で釈放されるまで続いたので、その間休日を取らずに従事し、その後約一週間は、検察官から指示された補充捜査に従事していた。
(ウ) E田係員は、同年八月二三日以降、上記事件の裏付け捜査と共犯者の取調べを担当し、同年九月一三日以降は、B野係長と共に補充捜査に従事した。
(36)  平成一一年八月二四日
ア 原告らは、平成一一年八月二四日、再び上尾署へ行こうと考えたが、E田係員がいることを事前に確認してからと考え、同日午前九時ころ、上尾署に電話して、同日午後四時ころE田係員と面談できることを確認した。原告太郎は、会社に出勤したが、関連会社にも中傷文書が配達されていたことが分かったので、休暇を取って原告花子と春子と共に上尾署へ行くことにした(なお、E田係員は、陳述書〔乙二二〕の中で、同人が原告方に電話をし、同日午後四時ころ来署してもらえるか確認したとするが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)
イ D原課長、B野係長、A田主任、E田係員及びC山係員は、同日、原告太郎から前日預かった封書と中傷文書を調べたところ、あて名がすべて同一(原告太郎の勤務先)であるので「公然性」に疑問があるとか、名誉毀損の被害者は原告太郎か、それとも春子かといった意見が出た。
ウ 原告らと春子は、同日午後四時ころ、原告太郎が同日更に勤務先で受け取った中傷文書入り封書八通を持って、上尾署刑事第二課を訪れた。E田係員は、D原課長の指示により、原告太郎が前日持参した封書を持ってきた。原告らは、D原課長が慌ててE田係員に取りに行かせたことから、事前に中傷文書の内容を確認していないのではないかと思った。同日は、前日に被疑者が逮捕された事件の処理が刑事第二課の部屋で行われていたことから、原告らに対する事情聴取は、廊下の長いすで行われた。
エ 原告太郎は、新たに持参した封書八通を差し出しながら、「昨日、会社にこのような封筒が大量に送られてきました。二度とこのようなことがないようB山を何とかしてください。」と言った。
オ D原課長は、白手袋をして封筒を手に取って見たところ、封筒には良質の紙が使われており、指紋が検出されやすいと考えられたので、「これはいい紙を使っていますね。指紋が出るかもしれない。」とし、また、すべての封筒に切手がはられており、大量に購入されたことが窺えることや、封書の郵便番号の筆跡が一様でなかったことから、「封筒に一つずつ切手がはってあり、費用がかかってますね。購入場所を調べれば、犯人が分かるかもしれない。」、「何人かでやったようです。」等と述べた。原告太郎は、D原課長の上記発言が極めて不誠実であると感じ、「何を言ってるんですか。早くB山を調べて捕まえてください。これは脅迫ですよ。名誉毀損ですよ。」と抗議した。これに対し、D原課長は、「それはケースバイケースです。こういうのはじっくり捜査します。警察は忙しいんです。」、「松夫を捕まえるには、いろいろな捜査が必要なので時間がかかります。」などと弁解した。E田係員は、人手が足りなくて捜査できないだけなのに、D原課長が言い訳に終始していると感じた。これに対し、原告太郎は、松夫を捕まえるのが無理であれば、任意に出頭を求めて事情を聴取するよう求めたが、D原課長は、消極的な姿勢を示した。原告太郎は、D原課長の上記応対に不満を感じたが、捜査の継続を依頼するとともに、封書の任意提出書の作成に応じ、当日の事情聴取は終了した。(なお、原告太郎は、本人尋問の中で、D原課長が「指紋が出るかもしれない。」と述べたことはないと供述するが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)
カ E田係員は、春子に対する名誉毀損事件の決裁記録がいつまでも戻ってこないことから、原告らが帰った後、D原課長に対し、決裁がどの辺りまでいっているか尋ねたところ、同人は、まだ自分の所にあると答えた。E田係員は、D原課長が同事件の捜査を早く進める必要はないと考えていることを改めて認識し、大いに落胆したが、「早く決裁に上げてください。」と頼んだ。
キ D原課長は、原告らが帰った後、E田係員に対し、原告太郎が持参した封書を指紋検出のために鑑識に回すよう指示した。しかし、E田係員は、これを失念していた。なお、上記封書は、春子死亡後の同年一〇月二八日から同年一一月一日にかけて、上尾署において初めて指紋が採取されたが、春子、原告太郎及び印刷業者以外の指紋は検出されなかった。
ク B野係長は、原告太郎の勤務先に対して中傷文書が送付されたことについて、男女間のトラブルだけでこのような嫌がらせを行うのは不可解であり、春子から事情を聴取する必要があると考え、同年八月下旬ころ、E田係員に対し、春子からの事情聴取の際にはB野係長自らも同席する旨を伝えた。また、B野係長は、同じころ、E田係員から、捜査について、「私一人ではちょっと無理なんですよね。」と言われたので、D原課長に対し、A田主任をE田係員の応援に付けることができないか打診したが、別の身柄事件を取るので不可能であるとされた。
(37)  平成一一年八月二五日
原告花子は、平成一一年八月二五日午前五時三〇分ころ、原告方付近において、不審な車両を目撃したので、同日又は翌二六日、認識できたその車両の車種、色及びナンバーの一部を上尾署に通報した。
(38)  平成一一年八月下旬ころ
梅夫は、平成一一年八月下旬ころ、前記風俗店「C野」において、店長のE原に対し、「A野を拉致して、植木ばさみで指でもちょん切って沖縄の舎弟に送り付ければ少しは舎弟も納得するかね。」と言った。E原は、この時の梅夫の表情に真剣味が感じられなかったので、聞き流した。(なお、E原及びA川に対する刑事判決書〔甲三〕には、同月中旬ころに同様の会話があり、その際、春子を強姦してビデオ撮影する話が出た旨及び梅夫が中傷文書送付の直後ころにE原に対して「あれほどやっているのに全然結果が出ないと舎弟から文句を言われてホントに疲れたよ。あの女が邪魔でしょうがないよ。E原さん、何かいい方法ないかね。」などと言い、暗に春子に対して直接危害を加えるよう示唆した旨の各記載があるが、これらの事実を直接裏付ける証拠はない。)
(39)  平成一一年八月二六日午前一時五〇分ころ、原告方に、春子の写真や電話番号が記載されていた名刺を見たという者から、援助交際の申出の電話があり、原告花子は、翌二七日、上尾署に通報した。
(40)  平成一一年八月三〇日又は三一日ころ
ア D原課長は、同年八月三〇日又は同月三一日ころ、C川次長の下に前記名誉毀損事件の記録を決裁に上げた。
イ C川次長は、被疑者不詳の告訴状を見て、被疑者不詳の場合、被害届を提出させてこれに基づき捜査を行い、被疑者が特定できた時点で告訴状を提出させていた自らの経験に反していること、また、上尾署の未処理告訴事件の処理が停滞しているので、これ以上未処理告訴事件を増やすわけにはいかないと思ったが、決裁した。しかし、事件処理の仕方について、D原課長を指導する必要があると考えた。
ウ C川次長は、D原課長の席まで来て、上記決済記録を同人の机の上に放り投げるように置き、怒った口調で、被疑者が特定されていない場合は告訴状ではなく、被害届を提出させれば足り、被疑者が特定された段階で告訴状を提出させればよい趣旨の発言をした。
エ これを聞いたD原課長は、本件名誉毀損事件が県警本部への報告を要する事件であることに気付くとともに、被害者から被害届の提出を受けてこれにより捜査をしていたことにすれば、告訴受理の事実を県警本部に報告する義務を回避し、告訴事件としての迅速な事件処理の義務も免れることができることを知った。
オ E田係員は、C川次長が事件処理の成績のことばかり話し、自分が難渋している名誉毀損事件の捜査をどのような態勢で進めるか等については全く話題にしないことから、C川次長も真剣に名誉毀損事件に取り組む気がなく同人の頭にあるのは前記成績のことばかりだと思い、腹立たしく思った。
(41)  梅夫は、平成一一年八月下旬から九月ころにかけて、A川に対し、中傷文書送付の効果を確認するため、原告太郎の勤務先や春子の通う大学に電話をかけるよう何度か指示した。A川は、渋々ながらその指示に従って、原告太郎の勤務先に電話したが、「お待ちください。」と言われたので、在職していると考え、電話を切った。次に、春子の通う大学に電話をかけたところ、春子の在学が確認された。A川は、その結果を梅夫に報告したところ、梅夫は、原告太郎の勤務先に電話し直すよう指示したが、A川は、それには従わなかった。(なお、E原及びA川に対する刑事判決書〔甲三〕には、A川が上記確認のための電話をしたのは同年九月末ないし一〇月初めころである旨の記載があるが、これを直接裏付ける証拠がないこと及び上記認定に供した証拠関係に照らし措信できない。)
(42)  平成一一年九月初めころ
ア D原課長は、平成一一年九月初めころ、E田係員に対し、「あれは告訴でなく、被害届でよかったんだよ。」、「器物損壊でも犯人が分からない時には被害届を取っているよね。」、「悪いけど被害届を取ってきてくれないか。」などと言って、被害届を取ってくるよう指示した。
イ E田係員は、D原課長の上記指示は同年七月一三日の名誉毀損事件を告訴事件ではなく被害届受理による事件であると記録上見せかけ、上尾署の未処理の告訴事件数を表面上増やさないようにする意図であると推測した。しかし、E田係員は、同人が希望するような捜査態勢をD原課長が組む気持ちがないこと、並びに自らも他の事件の処理で忙しい状況下で、未処理の告訴事件として早期処理を迫られても、これを達成することが不可能であることから、D原課長の上記指示に従うことにした。ただし、E田係員は、D原課長の指示については、新たに被害届を取り、これを事件の端緒と見せかけて処理し、松夫らが犯人であることが証拠上明らかとなり、逮捕できるようになった時に改めて告訴状を取り、その時点で初めて告訴があったものと見せかけて、提出済みの告訴状を返還又は破棄するとの趣旨であって、既にされた告訴の取消しを求める趣旨ではないと理解していたものである。
ウ E田係員は、D原課長から上記指示があった日、ワープロで同年七月二九日付け被害届(犯人欄には何も記載せず、参考事項欄に「平成一一年六月一四日にB山が二人の男を連れてきて私の家に押し掛けてきて『誠意を見せろ』等と因縁じみた事を言ってきたので、洋服や指輪等をB山の所に送り返した矢先の出来事でした。」などと記載した。)を作成し、春子から署名押印してもらえばよいだけの状態にした。
(43)  平成一一年九月七日
ア E田係員は、平成一一年九月七日、原告方を訪れ、春子に対し、「今のところ松夫を犯人とする決め手がないので、もう一つ書類が必要になったんです。」と述べて、前記被害届に署名押印させた。
イ E田係員は、上尾署に戻り、上記の被害届提出があったことを事件受理簿に記載した。E田係員は、春子の同年七月三〇日付け供述調書には、犯人を名誉毀損で告訴したが、その犯人はB山松夫しか考えられない旨の断定的な記載があり、このままでは告訴事件であることが露見してしまうと考え、同調書に記載された「告訴」、「しか考えられません」、「としか考えられません」の各文字をいずれも棒線を用いて削除した上、その各右横に「届出」、「の仕業だと思いました」、「のだと思いました」と記入し、各訂正個所に訂正印を押捺して、あたかも春子が上記訂正文言のとおりの供述をしたかのように改ざんした。同改ざんについて、D原課長からの指示はなかったが、E田係員は、D原課長の指示に合致するものであり、反対されることはないと考えて行った。
ウ E田係員は、同年九月七日、D原課長に対し、上記改ざんの事実を告げずに上記供述調書と被害届を差し出した。同課長は、供述調書を改ざんしたことに気付くことなく、同月八日ころ、被害届に同供述調書、告訴状及び捜査の端緒に関する認知報告書を添付し、上尾署の副署長及び署長の決裁を受けた。なお、E田係員は、同決裁後、名誉毀損事件の記録は、自分の机の中に保管していたが、春子が殺害された後、D原課長に渡した。
(44)  平成一一年九月二〇日
ア E田係員は、平成一一年九月二〇日、B野係長が担当する事件の手伝いを一日だけ免除してもらい、同年七月二六日に取り寄せた松夫の戸籍に基づき、同人の所在捜査を行った。なお、松夫の住民票は、同年八月三一日付けでC原一〇二号から別の集合住宅へ移されていたが、E田係員は、改めて戸籍の附票等を取り寄せなかったため、この事実に気付かなかった。
イ E田係員は、戸籍の附票に同人の前住所地として記載されていたE山五〇四号を管理する不動産会社を訪ね、担当者から事情を聴取した結果、賃借人は松夫であり、その連帯保証人が兄の梅夫であること、契約期間が同年一一月中旬までであること、松夫の名義で家賃が滞りなく支払われていること、梅夫の勤務先が東京消防庁であることを知った。E田係員は、同担当者に対し、松夫の写真を見せて同室に出入りしているか尋ねたが、分からないとのことであったので、同室へ赴いたが、表札その他松夫の居住を窺わせるものは見当たらなかった。
ウ E田係員は、戸籍の附票に現住所と記載されていたC原一〇二号を管理する不動産会社を訪れ、入居申込書を調査したところ、賃借人が「D谷」姓の女性であることを知ったが、同人がいかなる人物なのか分からなかったし、担当者に松夫の写真を見せて同じく同室に出入りの有無を尋ねたが、分からないとのことであった。また、同室にも松夫の居住を確認できるようなものはなかった。
エ E田係員は、確認はできなかったが、松夫はE山五〇四号に居住している可能性が高いと考え、D原課長に対し、その旨を報告した。D原課長は、翌日原告らへ捜査状況等の説明をすることをE田係員に指示した。
(45)  平成一一年九月二一日
ア E田係員は、平成一一年九月二一日、原告方を訪れ、原告花子に対し、近況を尋ねたところ、原告花子は、最近は静かであるが、静かであることがまた不安である旨を述べた。そこで、E田係員は、取り寄せた松夫の戸籍謄本を示しながら、前日松夫の所在捜査を行ったことを説明し、同人がE山五〇四号に居住していると思われると述べ、また、松夫がビラをはっているのを目撃した人がいないこと、ビラに写っている春子の写真について、松夫が持っているものか否かはっきりしないこと、松夫が犯人に違いないという決め手がないことを説明した。
イ E田係員は、春子に対する名誉毀損事件について、告訴事件としての早期処理の義務を免れるため、同人の告訴がなかったことにし、被害届を端緒とする事件として処理することについて同意を得ようと考え、上記会話の後、原告花子に対し、告訴をなかったものにしてもらえないかとの趣旨の発言をした。原告花子は、D原課長が以前に警察は告訴がなければ捜査できないと述べていたことから、E田係員の申出に応じると捜査が打ち切られるのではないかと考え、「もう調べてくれないんですか。捜査はできないんですか。」と述べ、告訴をそのままにして捜査を続けることを求めた。E田係員は、「いや、そんなことないですよ。被害届でも捜査できますから。」と述べ、それ以上に告訴をなかったことにすることについて同意を得ようとはせず、捜査を続ける旨を述べ、原告方を辞した。(なお、原告らは、E田係員が、告訴の取消しをすると再告訴ができないことを原告花子が知らないことに乗じて、告訴の取消しをさせようとした旨主張し、原告花子は、本人尋問の中で、E田係員が捜査をいったん打ち切り、告訴を取り下げてほしいと言ったと供述するが、上記認定に供した証拠関係に照らし、同供述は措信しない。①E田係員が告訴を取り消す旨の書面の提出を求めたことはないこと、②E田係員の上記発言は告訴権者である春子ではなく、原告花子に向けられたものであること、③E田係員の上記発言に至る経緯等に照らすと、E田係員が春子による再告訴を不能とさせる目的を有していたということはできない。むしろ、E田係員は、告訴をなかったことにして被疑者が特定された段階で改めて告訴をしてもらうという処理を行おうとしていたと認められるものである。したがって、原告らの上記主張は採用できない。)
ウ 春子は、E田係員が帰った後、二階から降りてきて、原告花子に対し、「何の用事で来たの。」と尋ねたところ、原告花子は、「告訴を取り下げてほしいと言われた。」と述べた。そして、告訴を取り下げたのかと怒って尋ねる春子に対し、「告訴はこのままにしておくと約束してくれたよ。」と言った。春子は、それを聞いて安心した。原告花子は、原告太郎に対しても、「告訴を取り下げてほしいと言われた。」ことは報告した。
エ E田係員は、D原課長に対し、原告方を訪れて原告花子から最近は静かだと聞いた旨を報告した。
(46)  平成一一年九月下旬ころ
ア E田係員は、平成一一年九月下旬ころ、殺人事件で被疑者不詳のまま犯人と思われる者の家を捜索したとのニュースをラジオで聞き、春子に対する名誉毀損事件でも被疑者不詳のまま松夫の自宅であるE山五〇四号を捜索できるのではないかと思い、D原課長に相談した。D原課長は、「分かった。検討してみる。」と述べた。(なお、D原課長は、検察官に対する供述調書の中で、E田係員が上記の相談を持ち掛けたのは同年八月ころであるとするが、上記認定に供した証拠に照らすと措信できない。)
イ D原課長は、約一週間経っても検討結果をE田係員に伝えなかった。そこでE田係員は、D原課長に尋ねたところ、同課長は、「無理はできない。」と言うのみで、詳しい理由も告げず、それに代わる捜査方法も指示しなかった。腹が立ったE田係員は、「だったら、第三弾が起きてからじゃないと何もできないということですね。」と言うと、D原課長は頷いた。
ウ E田係員は、同じころ、B野係長に対しても、同様の相談を持ち掛けた。B野係長は、ビラの写真について、春子が松夫の部屋でセックスした時の写真に間違いない旨の春子の供述調書が取れれば可能であると助言し、捜索が不可能でも松夫のマンションに行って同人から任意に事情を聞いたらどうかと言ったが、それ以上に具体的な指示はしなかった。(なお、B野係長は、検察官に対する供述調書の中で、E田係員が上記の相談を持ち掛けたのは同月上旬ころであるとするが、上記認定に供した証拠に照らすと措信できない。)
エ E田係員は、同月終わりころから、ホテルに無銭宿泊した女性の事件及びレンタカーを借りたまま長期間返却しない詐欺事件を担当した。
(47)  加害行為の教唆
ア 梅夫は、平成一一年一〇月初めころから、A川とC田に対し、「舎弟がうるさいんだよ。彼女に直接危害を加えることはできないか。今までやってきたことでは気が済まない。どう、できる。」などと言い、春子に直接危害を加えることを持ち掛け始めた。A川とC田は、返事をためらい、即答を避けていた。
イ 梅夫は、その後も頻繁に、A川に対し、「できないか。」などと言い、春子に対して直接危害を加えるように催促し、同月一一日ころ、A川に対し、A本と一緒に原告方に行って、春子の行動を探ってくるよう指示した。A川とA本は、同月一二日及び一三日ころの両日の朝、原告方付近に赴いて春子の行動を偵察し、同人が午前一〇時過ぎころに家を出て、自転車でJR桶川駅に向かい、駅前の駐輪場に自転車を止めること、自転車を止める位置などを確かめて、これを梅夫に報告した。
(48)  殺害等の依頼
ア 梅夫は、平成一一年一〇月一四日ころ、E原及びC田とタクシーに同乗し、走行中の車内において、E原に対し、これまでにない真剣は表情で、「E原さん、やってください。頼みますよ。舎弟の方からガンガン言われて本当に困ってるんですよ。頼めるのはあなたしかいないんです。ほかの人間はこんなことを頼んでもみんなブルってしまって駄目なんです。ねぇ、E海(梅夫は、自らを『E海』と名乗っていた。)の言ってること分かるでしょ。」、「本当に頼みます。一生一度のE海のお願い、E海を男にすると思ってやってよ。頼みますよ。」などと述べ、春子の殺害を依頼した。E原は、梅夫が本気で春子の殺害を依頼してきたことが分かり、梅夫には風俗店店長として優遇してもらうなど恩義を感じていたことから、その依頼を引き受けることを決意し、梅夫に対し、「はい、分かりました。やります。」と答えた。梅夫は、改めて両手でE原の右手を固く握りしめ、その目をじっと見つめながら、「頼むよ。」と言って念を押した。
イ 梅夫は、同月一五日又は一六日ころ、A川とC田を呼び出し、「今度は何をやってもいいから、直接危害を加えてくれないか。」、「拉致、監禁、強姦、まわし、とにかく何をしてもいいから。」、「舎弟がうるさいんだよ。」などと述べ、春子に対して直接危害を加えることを再度依頼した。A川とC田は、相変わらず「考えさせてください。」などと言って返事を濁していたが、梅夫から再三催促され、同人の指示をこれ以上はぐらかすことはできないと考え、同月一八日に春子を拉致する計画を立てた。
(49)  平成一一年一〇月一六日
ア 原告花子は、平成一一年一〇月一六日午前二時一〇分ころ、二台の車が原告方前に停車し、カーステレオから大きな音で音楽を流しているのを発見した。両車両は、いったん立ち去ったが、原告花子がカメラを持って玄関の外に出ると、再び一台が原告方前を通り過ぎ、原告花子は、その車両とナンバーを写真に撮った。(なお、原告らは、松夫又は松夫の意を受けた者が上記車両に乗車していると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。)
イ 原告太郎は、同日午前二時二五分ころ、上尾署の加入電話に、「大音響を出している二台の車両が自宅付近にいる。」と通報した。上尾署当直勤務員は、A沢八夫巡査長(以下「A沢巡査長」という。)と共に原告方近くを警ら中のB林九夫巡査部長(以下「B林巡査部長」という。)に対し、無線連絡をし、警察の加入電話へ不審者の通報があったこと、並びに大音響を出している二台の車両が付近にいることと現場住所を伝えた。B林巡査部長らは、同日午前二時二七分、原告方に到着した。
ウ A沢巡査長は、現場に到着したものの付近に不審車両が見当たらないことから、原告らに対し、「A野さんですか。車はどうしましたか。」と尋ねた。原告らは、「車は、既に行ってしまいました。回ってもらえれば結構です。」と述べ、逃走方向を指示した。B林巡査部長らは、原告方付近から指示された方向を中心にパトロールを行ったが、不審車両を発見することはできなかった。
エ B林巡査部長らは、原告らに対し、不審車両が見当たらなかったことを報告し、警察への緊急要請の場合は今回のような加入電話への通報ではなく、一一〇番通報をするよう指示して、帰った。
オ D原課長は、当時、春子に対する名誉毀損事件等の状況について、地域課に情報提供を行っておらず、B林巡査部長らは、当時、原告らが名誉毀損の告訴をした春子の両親であることを知らなかった。
(50)  平成一一年一〇月一七日ころ
梅夫から春子殺害の依頼を受けたE原は、平成一一年一〇月一七日ころ、犯行に使用するため、刃体の長さ約一二・五センチメートルのミリタリーナイフ一本を購入した。
(51)  平成一一年一〇月一八日ころ
ア A川は、梅夫に対し、平成一一年一〇月一八日に春子を拉致する前記計画を立てた旨を連絡したところ、梅夫は、拉致の状況をビデオカメラで撮影すること、並びに犯行に用いる自動車から犯行が発覚しないように他の車のナンバープレートを付けることを指示した。
イ A川、E原、C田及びA本の四名は、同月一八日ころの午前中、自動車で原告方に赴き、春子が原告方から出てくるのを待ち伏せた。春子は、同日午前一一時ころ、自転車に乗り、A川らの乗車する車両の脇を通りかかったが、A川らは、何もすることができなかった。A川らは、パチンコをするなどして時間をつぶし、春子が帰宅するのを待って再度実行しようとしたが、別の女性を春子と見間違えるなどしたため、春子を拉致する計画をあきらめた。
ウ 計画の失敗を知らされた梅夫は、同日夜、C田に電話をし、「あなたたち何やってるの。大の大人が四人もいて、何もできないで帰ってくるのか。」などと厳しく叱責した。
(52)  春子殺害の共謀
ア E原は、平成一一年一〇月二〇日又は二一日ころ、A川とC田に対し、春子を殺害するつもりであり、凶器のナイフを準備した旨を告げ、前記ナイフを見せて、協力を要請した。そして、A川が春子が来たことをE原に伝えるとともに殺害を見届けること、C田が春子を刺殺したE原を車で拾い逃走することとする旨の役割分担を決めた。A川は、その場で、梅夫に電話をし、春子の殺害について上記のとおり役割分担が決まったことを報告した。
イ 梅夫は、同月二三日ころ、E原らに対し、「いつ行くの。」などと尋ね、春子殺害を催促した。E原らは、同月二五日に現場の下見に行くことを決め、A川は、梅夫に対し、その旨を伝えた。
ウ E原、A川及びC田は、同月二五日午前中、JR桶川駅へ行き、E原が犯行後にC田と落ち合う場所や逃走経路等を下見したり、春子がJR桶川駅前へ到着する時刻や同人が利用している駅前の駐輪場の状況等を確認した上、翌二六日に実行することを決定した。
エ A川は、梅夫に対し、「今、下見が終わりました。明日やります。」と電話で報告した。梅夫は、「あっ、そう。明日大変だから、今日は早めに休んでいい。」などと言い、翌日の行動に備えて当日の風俗店の営業を早く切り上げてよい旨告げた。
オ E原は、同人自身には春子を殺害しなければならない積極的な理由はなかったので梅夫の実行意思を再確認しようと考え、電話で「今日ちゃんと下見してきました。明日必ずやりますから。」と言ったところ、梅夫は、「あっ、そう。よろしくね。」などと答えたことから、E原は、梅夫の意思に変わりがないことを確信し、予定どおり春子を殺害することとした。
(53)  春子の死亡
ア E原、A川及びC田の三名は、平成一一年一〇月二六日午前八時ころ、集合し、E原は、C田の運転する普通乗用自動車の助手席に乗り、A川は、別の普通乗用自動車でJR桶川駅へ向かった。三名は、同日午前九時ころ、JR桶川駅前に到着し、前日の打合せどおり、A川はE原らと別れて原告方付近に向かい、原告方から少し離れた路上に車を止めて待機した。E原とC田は、しばらく時間をつぶした後、同日午前一一時ころ、再びJR桶川駅前まで来て、E原は、車を降り、ナイフをベルトの左腰に差して支度を整えて春子の到着を待った。
イ A川は、同日午後〇時四〇分ころ、E原に対し、春子が原告方を出たので直にJR桶川駅に着く旨を携帯電話で連絡した。E原は、駅前の駐輪場脇の歩道上の隅で春子が現れるのを待ち、同日午後〇時五二分ころ、自転車に乗ってやってきた春子の姿を発見した。
ウ E原は、駐輪場に自転車を置いて歩き始めた春子に背後から近づき、ベルトの左腰に差したナイフを鞘から抜いて右手に構え、同人の背後を一回突し刺し、振り返って正対した同人の前胸部を更に一回突き刺した。春子は、その場に倒れた。そこで、E原は、C田が運転する車で逃走した。
エ 同日午後〇時五三分、埼玉県警察本部(通信指令課)から上尾署に対し、「重傷傷害事件の発生。至急、捜査幹部を現場に派遣せよ。」との緊急指令が入り、C谷十夫刑事次長(以下「C谷次長」という。)、D海一男刑事第一課長(以下「D海課長」という。)及びE本二男巡査部長(以下「E本巡査部長」という。)の三名は、E本巡査部長が運転する捜査用自動車で桶川駅前の事件現場へ急行した。三名は、同日午後一時一〇分ころ、JR桶川駅前に到着したが、春子は、既に午後一時〇二分ころ到着した救急車の中で、酸素吸入・止血等の緊急医療措置を受けていた。C谷次長は、上尾署捜査員、機動捜査隊員及び機動鑑識課員を指揮し、目撃者の確保や現場保存等の初動捜査を開始した。D海課長は、現場指揮をC谷次長に任せ、捜査本部の設置等のために上尾署に戻った。E本巡査部長は、C谷次長を補佐するとともに、県警本部と上尾署との無線連絡を担当した。
オ 春子は、埼玉県上尾市内の病院に搬送されたが、同日午後一時三〇分ころ、同病院において、前胸部刺創による肺損傷に基づく失血により死亡した。原告花子は、これに立ち会うことができなかった。
カ E本巡査部長は、同日午後一時四〇分ころ、春子が乗っていたと思われる自転車の前籠の中に同人の所有物と思われる手提げ袋があり、同人名義の学生証等が在中していたことから、春子が被害者である可能性があると判断し、C谷次長へ報告するとともに、上尾署と県警本部へも無線連絡した。E本巡査部長は、春子の自宅電話番号が判明したことから、同日午後二時ころ、原告方へ電話し、電話口に出た原告花子に対し、「失礼ですが、二〇歳くらいの娘さんはご在宅ですか。」と尋ねたところ、原告花子は、「いいえ、一〇分ぐらい前に大学へ行きました。」と答え、E本巡査部長は、やや時間的な食い違いはあるものの被害者が春子である可能性が高いと判断し、原告花子に被害者の遺留品を確認してもらうため、「娘さんが事件に巻き込まれた可能性がありますので、桶川駅前にお越しいただけますか。」と述べ、原告花子は、了解した。(なお、原告花子は、本人尋問の中で、原告方へ電話があったのは、午後〇時五〇分ころであったと供述するが、前記認定にかかる犯行時刻や上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)
キ 原告花子は、車を運転し、同日午後二時一五分ころ、JR桶川駅前に到着した。原告花子は、E本巡査部長らに対し、ノートを見せながら、やや興奮気味に「家の周りにビラをはられたんで警察に届けているんです。」、「一〇月一六日深夜には、不審な車がウロウロしていたので写真に撮ってあります。」等と話しかけた。E本巡査部長は、C谷次長の指揮により、刑事部捜査第一課のA林一江巡査(以下「A林巡査」という。)を同行させて、原告花子を春子が収容された前記病院へ連れて行くことにした。(なお、原告花子は、陳述書〔甲七〕の中で、駅前の警察車両の中で約一時間待機させられたとするが、上記認定に供した証拠関係等に照らし、措信できない。)
ク 原告花子とE本巡査部長らは、同日午後二時三〇分ころ、JR桶川駅前を出発し、まず、原告方へ向かい、同日午後二時四〇分ころ、原告方に到着し、原告花子は、自宅内へ入った。E本巡査部長は、途中の同日午後二時三五分ころ、上尾署のD海課長から、上記病院に収容されていた被害者が死亡し、検視のため遺体が上尾署に向けて搬送された旨の連絡があったことから、行き先を上尾署に変更した。E本巡査部長らは、同日午後二時五〇分ころ、カメラを持って自宅から出てきた原告花子を捜査用自動車に乗せ、出発した。A林巡査は、原告花子に対し、行き先が上記病院から上尾署に変更になった旨を伝えたが、被害者が死亡したことについては伝えなかった。原告花子らは、同日午後三時一〇分ころ、上尾署に到着した。
ケ 原告花子は、取調室に案内された。しばらくした後、A林巡査は、原告花子に対し、被害者が死亡した旨を伝えた。同日午後三時一五分ころから二〇分ころまでの間、上尾署の安置室において、原告花子に被害者の遺体を確認してもらった結果、被害者は春子であることが確定した。E本巡査部長は、その後、原告花子に対し、事情聴取を行い、供述調書を作成した。(なお、原告らは、上尾署警察官が、春子がまだ生きていることを知りながら、再三尋ねる原告花子に対し、事情聴取を続け、その間に春子が死亡したと主張するが、前記認定のとおり、原告花子らが上尾署に着いた時には春子は既に死亡していたものである。)
コ 埼玉県警察は、同日、上尾署に捜査本部を設置し、松夫の関与を念頭に置いて捜査を開始した。
サ その後、マスコミが連日のように上尾署に押し掛け、名誉毀損事件の捜査を進めなかったことが殺人事件を招いたとして警察の怠慢を非難する報道が行われた。D原課長、B野係長及びE田係員の三名は、同僚の捜査員らからも「早くから届けられていたのに何で刑事第二課の方で動けなかったのか。」、「刑事第二課の責任でこうなったんだからな。」などと非難された。D原課長らは、いずれも上層部から、同人らがずさんな捜査をしたために殺人事件の発生を防げず、その結果警察に対する県民や国民の信頼を大きく損ねたとして、責任追及を受けることになるだろうと考えた。
(54)  平成一一年一〇月二七日から同年一二月まで
ア A林巡査は、平成一一年一〇月二七日、原告方へ捜査に赴き、春子の部屋において、床上に放置されていた前記(3)のカの春子の手紙と前記(3)のキの(サ)の松夫の手紙を発見し、原告太郎から任意提出を受けて、領置した。(なお、原告太郎は、陳述書の中で、同手紙が春子の机の中にあったとするが、上記認定に供した証拠関係に照らし、措信できない。)
イ D原課長は、同年一一月初めころ、原告太郎が同年八月二四日に提出した封書の領置調書を作成し、そのころ、A田主任に対し、同月二三日に提出された封書の領置調書作成を指示した。
ウ D原課長は、同年一一月二一日、春子殺害事件の捜査本部から指示を受けて、E田係員に対し、作成途中のままになっていた同年七月一三日実施の実況見分調書の完成とビラを処分した経緯についての報告書の作成を指示した。E田係員は、作成日付を同年八月一九日とする上記実況見分調書を完成させ、同年一一月二一日付けの「実況見分時現認したチラシについて」と題する捜査報告書(八枚のビラを領置すべく立会人の原告花子と連絡を取ったところ、すべてゴミとして処分されていた旨が記載された。)を作成した。
エ 埼玉県警察は、同年一二月一九日、E原を春子殺害容疑で逮捕し、翌二〇日、梅夫、A川、C田を同容疑で逮捕した。
松夫については、同人を春子殺害に関与したとして逮捕するのに十分な証拠が得られなかった。捜査本部は、殺人の被疑者特定のための捜査と並行して、松夫の親族・交友者の取調べ等を通じて、松夫の所在捜査を行ったが、所在の把握に至らなかった。
オ D海課長は、春子の同年七月三〇日付け供述調書中の「告訴」の記載が「届出」に訂正されていることに気付き、同年一二月二三日、E田係員に対し、告訴が出ているのであるから「届出」を「告訴」に直すよう指示し、同人は、「届出」の記載を二重線で消し、下に「告訴」と記載した。
(55)  平成一二年一月一〇日
ア D原課長は、捜査本部の指示を受けて、平成一二年一月一〇日、A田主任とE田係員に対し、原告花子が平成一一年七月一三日に持参したビラについて、原告花子を立会人としてそれらが貼付されていた場所を特定するよう指示した。A田主任らは、平成一二年一月一〇日午前、原告方に赴き、原告花子を立会人としてD原課長から指示されたとおりの実況見分を実施した。
イ D原課長、B野係長及び帰署したE田係員は、捜査本部からの指示に従い、春子と原告太郎に対する名誉毀損事件の被疑者の逮捕状請求をするための記録点検等の作業に従事した。その際、B野係長は、前記平成一一年八月一九日付け実況見分調書に添付された写真に写っている原告花子が所持していたビラの中に比較的大きな断片があることに気付き、これを持ち帰らずに処分させてしまったことについて、捜査本部等から後日責任追及されるのではないかと考え、D原課長とE田係員に相談した。三名は、話合いの結果、実際は領置しなかった八枚のビラを現場で領置し、後に分離しようとしたところ細かく破れて証拠としての価値を失ってしまったことから廃棄処分にしたように見せかけるため、領置調書と捜査報告書を捏造し、前記実況見分調書を改ざんすることについて合意した。
ウ E田係員は、上記合意に基づき、同日、同年七月一三日に実況見分を実施した際、新たに発見されたビラ八枚を領置した旨の同日付け領置調書を作成し、また、前記同年八月一九日付け実況見分調書の最終頁に「証拠なし」と記載されていたのを、証拠資料としてビラ八枚を領置した旨記載した用紙と差し替え、さらに、ビラ八枚を領置した後に廃棄処分にした旨の同年七月一九日付け捜査報告書を作成し、これらをB野係長に提出するとともに、前記同年一一月二一日付け「実況見分時現認したチラシについて」と題する捜査報告書をシュレッダーにかけて廃棄した。
エ E田係員は、その後、B野係長の指示に従い、その日に行った前記実況見分の結果について、捜査報告書と立会人の原告花子の供述調書の作成に取りかかったが、その際、B野係長は、原告花子が廃棄したビラ八枚はE田係員が預かって廃棄処分にしたことにするのだから、調書にそのことを付加しておくように指示した。E田係員は、これに従い、八枚のビラを一塊にして警察の方に渡した旨の原告花子の供述調書を作成した。E田係員は、その後、原告方を訪れ、原告花子に対し、上記虚偽記載があることを告げずに、供述調書に署名押印させた。
オ D原課長は、同日、上記ビラ八枚を開いて写真撮影する際に細分化してしまい、証拠品としての価値がなくなったため処分した旨の「名誉毀損事案に使用したチラシの枚数について」と題する平成一一年一一月二九日付け捜査報告書を作成した。
(56)  その後平成一二年二月一七日までの経過
ア 埼玉県警察は、平成一二年一月一六日、春子に対する名誉毀損容疑で、既に殺人容疑で逮捕した上記四名やD川を含む一二名を逮捕した。
イ 埼玉県警察は、殺人事件の捜査を通じて、松夫が名誉毀損の被疑者であることが判明したので、同日、所在不明となっていた松夫を名誉毀損罪で全国に指名手配した。その後、立ち回り情報が寄せられた北海道、福島、大阪及び沖縄の各道府県警察に対し、別途手配するとともに、東京に捜査員を派遣して、松夫の所在捜査を行った。
ウ 上記名誉毀損事件は、翌一七日、浦和地方検察庁検察官に身柄付きで送致された。その際、E田係員が平成一一年九月七日に変造した春子の供述調書原本、D原課長ら三名が共謀して平成一二年一月一〇日に作成した領置調書の謄本、同日変造した実況見分調書原本及び同日作成した捜査報告書の謄本並びにB野係長及びE田係員が共謀して同日作成した原告花子の供述調書原本が、D川ほか五名に対する上記名誉毀損被疑事件の送致記録に編綴され、提出された。
エ 松夫の母であるB山秋子は、松夫の荷物が北海道のホテルから送られてきたことから、同年一月二四日、上尾署に電話連絡し、警察官らは、B山秋子方を訪れ、同人から事情を聴取した。松夫から送られてきた荷物の中には、遺書が入っていた。埼玉県警察の警察官らは、松夫が同月中旬まで北海道釧路市周辺にいたことが判明したことから、翌二五日、北海道警察釧路方面本部へ手配し、宿泊先の捜査等を実施したが発見に至らなかった。
オ 同年一月二七日、北海道の屈斜路湖畔において、身元不明の変死体が発見され、現場に遺留されたバッグの中に松夫名義の薬袋、領収書等のほか、遺書めいたメモが入っていることが確認された。その後の捜査により、松夫は約一週間前に自殺したものであることが判明した。その結果、松夫を被疑者とする春子に対する名誉毀損事件は、同年二月一七日、被疑者死亡として書類送検された。
(57)  その後、D原課長、B野係長及びE田係員による供述調書の改ざん等の事実が発覚し、埼玉県警察は、平成一二年四月六日、春子が殺害されるまでの上尾署の捜査過程を検証し、同署の警察官らの対応に非があったことを認める調査報告書を作成した。そして、謝罪の記者会見を開いたり、B本本部長自身が原告方を訪れて謝罪したりしたほか、同日付けでD原課長ら三名を懲戒免職処分にした。D原課長ら三名は、虚偽公文書作成、同行使の罪により刑事訴追を受け、同年九月七日、D原課長及びB野係長は、懲役一年六月執行猶予三年の判決を、E田係員は、懲役一年二月執行猶予三年の判決を受けた。
(58)  平成一二年五月二四日、ストーカー行為等の規制等に関する法律が成立し、同法は、同年一一月二四日から施行された。
二  争点1 違法性(過失)の有無
(1)  一般的判断基準
原告らは、上尾署の警察官らが春子及び原告らの捜査依頼等に対して適時に適切な権限を行使しなかったことが違法であると主張する。
犯罪捜査は、事実関係を解明して、犯人を検挙し、適切な刑罰権を行使することによって、将来の犯罪の発生を予防するという公益を図るためのものであり、犯罪捜査に伴って犯罪による被害が回復されたり、同種の犯罪が防止されたりすることによって犯罪の被害者等の特定の私人が受ける利益は、公益を図る過程で実現される事実上の利益であるにすぎない。しかしながら、警察法二条一項は、「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもってその責務とする。」としており、また、警察官の職務執行法は、警察官が個人の生命、身体及び財産の保護、犯罪の予防等の職務を遂行するために必要な手段を定めていること(同法一条一項参照)からすると、警察官は、特定の私人が犯罪等の危険にさらされている場合において、その危険を除去するために、同法五条に基づき、関係者に必要な警告を発したり、その行為を制止することができるほか、法律上許容される範囲内で警察法二条一項所定の職務に関して必要かつ相当な措置を採る一般的な権限を有していることは明らかである。そして、警察官による犯罪捜査は、これらの犯罪等の危険除去等のための権限行使と重なる場合があることも自明のことである。
したがって、犯罪等の加害行為がまさに行われ又は行われる危険が切迫しているか否か、警察官においてそのような状況であることを知り又は知ることができるか否か、上記危険除去のための権限を行使することによって加害行為の結果を回避することが可能であるか否か、その権限を容易に行使することができるか否か等の事情を総合勘案して、同権限の不行使が著しく不合理と認められる場合には、その不作為は、国家賠償法一条一項上違法であるとするのが相当である。
(2)  本件における具体的判断
ア 平成一一年七月一三日以前
(ア) 前記認定にかかる事実経過によれば、春子らが上尾署を初めて訪れた同年六月一五日から春子を中傷するビラはり等が行われた同年七月一三日までの間、松夫又はその関係者からの無言電話等があったり、松夫が夜、原告方前において大声で春子を呼び出したことがあったりしたものの、春子に対する加害行為が行われたことはない。
同年六月一五日から上記ビラはり等の準備が開始された同月末ないし七月初めころまでの間、松夫の兄の梅夫がE原とC田らに「この殺しを誰かやってくれる人がいないか。」と春子の殺害を持ち掛けるような発言をしているが、E原らはこれを真に受けておらず、その後の経緯等に照らせば、梅夫がこの時点で春子の殺害を企図していたとは認められない。また、松夫又はその関係者が同年五月に興信所を通じて春子の父である原告太郎についての調査をしたり、原告方の変更された後の電話番号を調査しているが、これらの事実からも、春子に対する加害行為が行われる危険が切迫していたとは認められない。
このほか、松夫が自らの部屋に隠し撮り用のビデオカメラを仕掛けたこと、春子にそのカメラの存在を指摘されて突然怒り出して壁を殴って穴を開けたこと、春子に携帯電話を壊すことを強要したこと、梅夫に依頼して原告方を訪れ、春子のために使った金員の支払を求める等したことなどの事実からは、松夫の春子に対する異常な執着や激情的な性格等は窺えるものの、いまだ、親密な関係にあった男女の一方が別れようとした際に見られる相手方とのいさかい等の程度を著しく超えた具体的に危険な加害行為が、春子に対してなされる虞を推認させるものではない。ただし、春子が弟に対して「刺されちゃうかもしれないの。殺されるかもしれない。」などと言ったこと、松夫に殺害された場合のことまで考えて家族と友人あての手紙を書いたことは、春子が松夫に主観的には殺害されるような危険性があると感じていたことを推認させるものであり、また、松夫、梅夫及びD川の三名が原告方を訪れた同年六月一四日以降の原告らの対応は、春子だけでなく原告らも松夫らが春子に対して主観的には何らかの加害行為を加える危険性があると感じていたことを推認させるものであるが、それを裏付けるような客観的事由は存しなかったのであるから、春子や原告らが加害行為が行われる危険性を感じていたこと自体から春子の身体等に対する加害行為が行われる危険性があったとまでは認められない。
これに対し、同月末ないし七月初めころ以降は、春子の名誉を毀損する上記ビラはり等に向けられた準備が着々と進行しており、加害行為が行われる危険が徐々に増加していたということができる。
(イ) 同年六月一五日から同月末ないし七月初めころまでの間は、上記のとおり、春子に対する加害行為は存せず、その危険が切迫していることはなかったものである。
なお、春子らが同月一五日に持参したテープに録音された同月一四日の松夫と梅夫の発言は、権利行使として金員の支払を請求するものではなく、不当な言い掛かりであるが、脅迫罪又は恐喝罪に該当するに足りる害悪の告知や高圧的な動作、挙動があったとまでは認められない。また、春子と原告花子は、D野主任とB原係員に対し、松夫らが危険な人物であり、春子や家族らに危害を加えかねない旨を申告しているが、それは同人に対する抽象的な評価ないし感想の域を超えるものではなく、D野主任らにおいて、松夫らによる加害行為が行われる危険性を予測し得るような具体的事実の申告ではなかった。したがって、春子の名誉を毀損するビラはり等がなされたことについては、D野主任ら上尾署の警察官らは、そのような行為が行われることを予測することはできなかったし、また、予測すべきであったとも認められない。
(ウ) 原告らは、上尾署の警察官らが、同年六月一五日以降、松夫を任意で呼び出して事情聴取し、春子から聞いた携帯電話の名義人である「B山梅夫」の人物調査をし、同月二一日夜に原告方を訪れた車のナンバーに基づく調査をし、防犯課などと連携して原告方付近のパトロールを強化すべきであったのにこれを怠ったことが違法であると主張する。
しかしながら、前記のとおり、同年六月一五日から同月末ないし七月初めころまでの間、春子に対する加害行為が行わたことも、加害行為が行われる危険が切迫していたこともなく、上尾署の警察官らが同月一三日以前に春子に対する名誉毀損等の加害行為が行われることを予測できなかったし、又は予測すべきであったともいえないから、上尾署の警察官らが原告らが主張する事情聴取等の措置を行うことが名誉毀損等の加害行為の結果回避に役立ち得るものであるとしても、同月一三日以前において、これを行わなかったことが捜査の遂行上著しく不合理ないし不適切なものであったとはいえない。
イ 平成一一年七月一三日以降
(ア) 前記認定の事実経過によれば、梅夫は、同年七月一三日のビラはり等の準備を行う際、A川に対し、上記ビラとは別に春子の顔写真と電話番号が記載された名刺サイズのビラ一〇〇〇枚を作成させ、同月二〇日ころ、A川に指示して、団地の集合ポストに入れさせるなどして春子の名誉を毀損している。また、梅夫は、同月二二日ころ、A川に対し、原告方の飼い犬にホウ酸団子を食べさせることなどを指示して、春子と原告らを精神的に疲弊させる悪質な嫌がらせを行おうとし、A川らは、同月二四日に原告方に赴いて指示どおり実行しようとするが、失敗に終わっている。さらに、梅夫は、同月下旬ころ、A川に対し、原告太郎に会社を辞めさせようとして中傷文書の送付を指示し、A川は、同年八月一三日までに、春子と原告太郎に対する中傷文書一〇〇〇通を発送する準備を終え、同月二二日、そのうち八〇〇通を原告太郎の勤務先等にあてて発送し、春子と原告太郎の名誉を毀損している。これらの事実によれば、同年七月一三日から同年八月二二日までの間、春子の名誉が毀損され、同人を精神的に疲弊させる悪質な嫌がらせが行われる危険が切迫した状況が続いていたと認められ、また、同日以降も、A川が同日発送したのと同様の中傷文書二〇〇通を春子死亡後に廃棄するまでの間、同種の加害行為が行われる危険が切迫した状況が継続していたと認められる。
しかしながら、同年七月一三日から梅夫がA川らに対して春子に直接危害を加えることの依頼を申し出た同年一〇月初めころまでの間、松夫や梅夫らが春子に対して身体的な危害を加えたことはなく、また、そのような危害を加えることについての準備や謀議等が行われたこともない。そして、梅夫は、同年八月下旬ころ、E原に対し、「A野を拉致して、植木ばさみで指でもちょん切って沖縄の舎弟に送り付ければ少しは舎弟も納得するかね。」などと言っているが、E原は、梅夫の表情に真剣味が感じられないことから、これを聞き流しており、梅夫の同発言によって春子に対して身体的加害行為が行われる具体的危険が生じたと認めることはできない。そして、春子や原告らが松夫らによる加害行為の危険を感じるとして、上尾署の警察官にその旨の主観的見解を訴えて松夫らの逮捕その他の捜査を求めたこと自体から、加害行為が行われる危険性の存在を推認できないことは前記のとおりである。したがって、上記期間内において危険が切迫していたといえる加害行為としては、上記の名誉毀損や身体的加害行為に至らない嫌がらせが挙げられるものの、殺人や傷害等の身体的加害行為についての切迫した危険が存在したとは認められない。
(イ) D原課長、B野係長及びE田係員は、同年七月一三日、原告方周辺において上記ビラはり等が行われたことを知り、翌一四日は、原告太郎の勤務先にも投げ入れられていた旨の申告がされており、また、同月二一日には、A川らが同月二〇日に団地の集合ポストに入れたビラを見たという複数の男性から原告方に電話がかかってきたことが申告されている。これらの申告された被害状況は、犯行の計画性や犯人の執拗さを強く窺わせるものということができ、また、E田係員らは、同月一五日と二九日の二回にわたり、春子と原告花子の事情聴取を行っているが、その際ビラに載っている写真等について春子が申告した事実は、松夫が何らかの形で同年七月一三日のビラはり等に関与したことを窺わせるものである。したがって、D原課長ら三名は、遅くとも同月二九日以降、上記(ア)のとおり春子に対する名誉毀損等の加害行為が行われる危険が切迫した状況にあることを知ることができたと認めるのが相当である。そして、A川らが同年八月二二日に中傷文書を原告太郎の勤務先等にあてて発送したことによって、危険が現実のものとなり、翌二三日には上尾署に被害が申告されていることからすれば、D原課長ら三名が同種の加害行為が行われる危険が切迫した状況にあることを知ることは、より容易であったと言うことができる。
しかしながら、同年七月一三日から同年一〇月初めころまでの間は、上記のとおり、春子に対する殺人や傷害等の身体的加害行為が行われる危険は切迫していなかったもので、春子に対して身体的危害を加えるための準備や謀議等が行われていることが申告されたこともない。
なお、同月初めころ以降については、梅夫の前記依頼とそれを受けたE原及びA川の準備行為及び殺害の共謀がなされたことにより、春子に対する身体的加害行為が行われる危険が切迫していたと認められるが、その各事実について、上尾署の警察官らが春子死亡前にそれを知り又は知る可能性があったと認めるに足りる証拠はない。
(ウ) 原告らは、上尾署の警察官らが、上記期間内において、防犯課などと連携して原告方付近のパトロールを特別に強化し、春子の身辺警護をすべきであったのにこれを怠ったこと及び松夫を任意で呼び出して事情聴取するなどの適切な捜査を行うべきであったのにこれを怠ったこと等が違法であると主張する。
このうち、前者の特別なパトロールや身辺警護については、警察官を一定期間相当数動員しなければならないこと等から、必ずしも容易なことであるとは言えないし、また、前記のとおり、春子に対する身体的加害行為が行われる危険があったとはいえないこと、一一〇番等による通報があれば直ちに通常の配置に付いている警察官は原告方に駆けつけることができる一般的態勢にはあったこと等を併せ考えると、これらを行わなかったことが警察活動として著しく不合理であるということはできない。後者については、松夫を任意で呼び出すか否かはともかく、春子から得た松夫に関する情報をもとに同人と連絡を取り、接触を図ることは、比較的容易であったと認められ、また、それは松夫に対して警察の介入を示す警告としての意味を持つから、松夫又はその関係者による名誉毀損等の加害行為が行われる危険が切迫している状況において、そのような被害が生じるのを回避させ得る可能性があったと認められる。松夫への接触や警告が危険除去のための権限行使として適切であることは、春子死亡後の平成一二年五月二四日に成立したストーカー行為等の規制等に関する法律において、警察本部長等がつきまとい等の行為をした者に対して警告をすることができるとされていること(同法四条一項参照)等に照らしても明らかである。
これに対し、被告は、警察の介入が逆恨み感情を生じさせ、春子の生命や身体に危害を及ぼす可能性がないとはいえないとして、上尾署の警察官らが松夫に対して接触を図らなかったことが高度な裁量的判断であったかのように主張するが、松夫に対して接触を図ったり、警告をすることについて、上尾署の警察官らがその適否を検討したことはなく、むしろ、D原課長が春子の大学の試験が終わるまで告訴を受理しようとしなかったことや、D原課長とE田係員が未処理の告訴事件を増やさないようにするために、春子の告訴受理をなかったものにして被害届を端緒とする事件に見せかけようとしたことなど、積極的に捜査を忌避したと見られる事情が認められるのであって、被告の上記主張は採用の限りでない。
したがって、D原課長ら三名は、遅くとも春子に対する名誉毀損等の加害行為が行われる危険が切迫した状況を認識し得た同年七月二九日以降、松夫と接触を図る等何らかの警告的な意味を持つ捜査活動をすべきであった。しかるに、D原課長ら三名は、このような捜査活動を行わず、E田係員が同年八月四日に松夫の名刺に記載された勤務先会社の商業登記の照会をし、取締役として登記されていた者の犯罪経歴を調べたこと、並びに同年九月二〇日にE山五〇四号及びC原一〇二号に赴いて松夫の所在捜査を行ったこと以外、春子に対する名誉毀損事件に関する捜査を何ら行わなかった。
以上の捜査権限の不行使は、前記認定の事実関係の下において著しく不合理と認められるから、違法であったと言わざるを得ない。
三  争点2 捜査の懈怠と春子の殺害との相当因果関係の有無
(1)  原告らは、上尾署の警察官らの捜査懈怠等と春子死亡との間の因果関係の存在を主張するところ、国家賠償法一条一項の適用上、違法行為と損害発生との間に因果関係があるというためには、当該違法行為から当該損害が発生したといえる高度の蓋然性が証明される必要があり、単なる可能性の証明では足りないと解される(最高裁判所昭和五〇年一〇月二四日判決・民集二九巻九号一四一七頁参照)。
本件においては、春子の殺害に向けた動きは、梅夫が平成一一年一〇月初めころ、A川らに対して春子に直接危害を加えることを持ち掛けたことに始まり、同月二六日の殺害の実行まで続いたが、この間の梅夫らの動向について、松夫の意向が何らかの形で反映されていた可能性は否定することはできないものの、犯行は梅夫が主導していたもので、梅夫がいかなる形で犯行に関与したかについては、本件全証拠をもってしても不明である。
したがって、上尾署の警察官らが同年七月二九日以降、松夫と接触を図る等何らかの警告的な意味を持つ捜査活動をしたとしても、梅夫を頂点とする指揮命令系統を遮断することができたか否かは不明であり、むしろ、同年一〇月二六日の春子死亡という結果を回避することができたと推測することは困難である。
「つきまとい事案の発生状況について」と題する書面によれば、警察に相談が寄せられたつきまとい事案について、警察が行為者に警告や注意を実施したものの多くが解決しているとの統計があることは認められるが、それをもってしても本件の事実関係においては春子殺害との因果関係を肯定するに足りない。また、上尾署の警察官らが、同年七月一三日以降、上記警告等の捜査活動のほか原告らが主張する他の適切な捜査活動をしていたとしても、春子が殺害されるまでの数か月のうちに、春子殺害に関与した梅夫、E原、A川及びC田に対して事前に接触し、犯行を断念させるに至ることができたと認めるに足りる証拠もない。E田係員、B野係長及びD原課長に対する刑事判決書には、量刑事情として、D原課長が刑事第二課長として率先して春子への名誉毀損事件に取り組み上司として相談して捜査態勢を組み部下らを指揮して犯人逮捕に向けて迅速な捜査を行っていれば、恐らくは春子殺害という事態は起こらなかったと思われる旨の記載があるが、同判決は、D原課長らに対し、虚偽公文書作成、同行使罪の責任を問うものであり、春子を死亡させたことについての責任を問うものではなく、同記載が捜査の懈怠と春子の死亡との法律上の因果関係を肯定する趣旨でないことは明らかである。以上によれば、上尾署の警察官らの前記違法行為によって春子が死亡したといえる高度の蓋然性は認められない。
(2)  また、損害が特別の事情によって生じた場合において違法行為と損害発生との間に因果関係があると言うためには、加害公務員において当該事情を予見し又は予見し得たことが必要であると解するのが相当である(最高裁判所昭和四八年六月七日判決・民集二七巻六号六八一頁参照)。
しかるところ、春子の死亡は、梅夫ら四名が共謀して行った故意による犯罪行為によって生じたもので、特別の事情によるものであるから、上尾署の警察官らの前記違法行為との因果関係が肯定されるためには、同警察官らにおいて梅夫らによる春子殺害を予見し又は予見し得たことが必要である。
しかしながら、前記のとおり、平成一一年一〇月初めころまでの間は、春子に対する殺人や傷害等の身体的加害行為が行われる危険は切迫していなかったもので、また、上尾署の警察官らにおいて、梅夫らの春子殺害の意思や計画等を窺わせる事情を知り又は知ることができたことは認めるに足りないし、前記のとおり、同月初めころ以降についても、梅夫の殺害依頼やE原及びA川らの準備行為、殺害の共謀の事実について、上尾署の警察官らが知り又は知ることができたとは認められないのであるから、これらからすると、上尾署の警察官が梅夫らによる春子殺害を予見し又は予見し得たとは認められない。
(3)  よって、上尾署の警察官らの前記捜査懈怠と春子死亡との間の因果関係がある旨の原告らの主張は、採用することができない。
四  損害賠償責任の有無
(1)  以上のとおり、上尾署の警察官らの前記捜査の懈怠と春子の殺害との間に因果関係は認められないものの、梅夫らの春子に対する名誉毀損を含む一連の加害行為は、松夫の梅夫に対する依頼に端を発するものであって、上尾署の警察官らが松夫に対して警告等を行っていれば、松夫からの働きかけ等によって梅夫らによるその後の名誉毀損等の加害行為が断念された可能性は存したといえる。春子は、同年七月二九日に告訴を受理され、ようやく警察が動いてくれると思い、原告花子に対し、「やっと動いてくれるね。これで少し安心できるね。」と述べて、警察の活動に期待していたものである。
一般的に市民は、犯罪の被害を受け、又は、更に被害を受ける虞がある等切迫した状況下になったときに警察に対してその保護等を求めたときは、警察は、捜査を開始する等してその市民を犯罪者から守ってくれるという期待・信頼を有しているのであって、その期待・信頼に誠実に応えることは、治安を維持して市民の安全を守るという警察の責務であることは明らかである。したがって、そのような状況における市民の上記期待・信頼は、法律上の保護に値する利益である。
しかるに、上尾署の警察官らは、前記のとおり、春子に対する名誉毀損等の加害行為が切迫した状況にあったのに、松夫と接触を図る等の適切な捜査活動を行わなかったのみならず、春子の告訴については、それを受理しなかったものにして、単なる被害届を端緒とする事件に見せかけようとするなど極めて不誠実な対応に終始し、花子のみならず市民が警察に対して有している上記期待と信頼を裏切ったものである。このような事情の下では、被告は、国家賠償法一条一項に基づき、上尾署の警察官らの前記捜査懈怠による違法行為によって春子の上記法的保護に値する利益を侵害したことによる損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である。
(2)  損害
ア 春子に生じた損害(慰謝料)
上尾署の警察官らの前記違法行為によって春子の上記利益が侵害されたことによる同人の精神的苦痛に対する慰謝料は、本件の事実関係における違法性の程度、春子の期待の大きさ、その他本件に現れた一切の事情を総合考慮すると、五〇〇万円を下回らないものと認めるのが相当である。
イ 相続
前記のとおり、春子は平成一一年一〇月二六日死亡し、原告らはその両親であるから、春子の被告に対する上記五〇〇万円の損害賠償請求権は、その法定相続分に従い、原告らがそれぞれ二五〇万円ずつ相続したことが認められる。
ウ 原告ら固有の損害
(ア) 慰謝料
被害者の近親者が固有の慰謝料を請求し得るのは、被害者の生命侵害の場合か又はこれに比肩し得べき精神上の苦痛を受けたときに限られるが(最高裁判所昭和四二年六月一三日判決・民集二一巻六号一四四七頁)、本件では、上尾署の警察官らの前記違法行為と春子の死亡との間に相当因果関係はなく、その他特段の事情も認められないので、春子本人についての慰謝料の他に、その近親者としての原告らの固有の慰謝料は認められない。
(イ) 弁護士費用
《証拠省略》によれば、原告らが原告ら訴訟代理人弁護士らに対し、本件訴訟の提起及び追行を委任して、弁護士費用等の支払を約していることが認められる。そして、本件事案の内容、難易度、審理経過、認容額等を総合して判断等すれば、上記費用のうち原告ら各自につき二五万円を前記違法行為と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。
エ まとめ
以上によれば、原告らの被告に対する損害賠償請求権の価額は、原告ら各自につき二七五万円となる。
五  結論
よって、原告らの本件各請求は、国家賠償法一条一項に基づき、被告に対し、各自二七五万円の損害賠償及びこれに対する不法行為の日の後である平成一三年一月一二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、それを超える請求部分は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文、六五条一項本文を、仮執行宣言につき同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 廣田民生 裁判官 大工強 裁判官芹澤俊明は、差し支えのため、署名押印することができない。裁判長裁判官 廣田民生)

 

〈以下省略〉

 

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