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判例リスト「営業代行会社 完全成果報酬|完全成功報酬」(368)平成15年12月24日 東京地裁 平10(刑わ)3464号 強制執行妨害被告事件

判例リスト「営業代行会社 完全成果報酬|完全成功報酬」(368)平成15年12月24日 東京地裁 平10(刑わ)3464号 強制執行妨害被告事件

裁判年月日  平成15年12月24日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平10(刑わ)3464号
事件名  強制執行妨害被告事件
裁判結果  無罪  上訴等  控訴  文献番号  2003WLJPCA12240002

要旨
◆弁護士である被告人が、法律・経営相談等に応じていたA会社の取締役や従業員らと共謀の上、同社がその所有建物の賃借人に対して有する賃料債権等に対する強制執行を免れる目的で、あらかじめ実体のないB会社及びC会社名義の普通預金口座を開設した上、上記建物の賃借人らに対し、賃貸人の地位が譲渡されたかのように装って、上記各口座への振込入金を指示し、情を知らない賃借人らをして賃料等を同口座に振込入金させてA会社の財産を隠匿したという強制執行妨害の公訴事実について、被告人がA会社に指導したのは、実体のある分社サブリース構想であり、B会社名義のサブリースは、海外に売却するための準備として組まれた可能性が高く、C会社名義のサブリースは、従業員が横領の準備行為として行った可能性が高いほか、検察官主張の二回の謀議に関する従業員の証言等は信用できないなどとして、無罪が言い渡された事例

評釈
石塚伸一・法時 82巻9号35頁
松岡久和・法時 82巻9号42頁

参照条文
刑法96条の2

裁判年月日  平成15年12月24日  裁判所名  東京地裁  裁判区分  判決
事件番号  平10(刑わ)3464号
事件名  強制執行妨害被告事件
裁判結果  無罪  上訴等  控訴  文献番号  2003WLJPCA12240002

上記の者に対する強制執行妨害被告事件について、当裁判所は、検察官小林英樹、同新河隆志出席の上審理し、次のとおり判決する。

 

主  文

本件各公訴事実につき、被告人は無罪。

 

理  由

第1  公訴事実の要旨
本件公訴事実の要旨は、被告人は第二東京弁護士会所属の弁護士であるが、不動産の販売、仲介及び賃貸並びに管理等を目的とするa1社の法律・経営相談等に従事していたところ、同社取締役A1社長、同社社員A2、A3、A4らと共謀の上、同社が所有する建物の賃借人に対して有する賃料債権等に対する強制執行を免れる目的で、
1  あらかじめ東京都港区〈以下省略〉を本店所在地として登記をした実体のないa2社名義の普通預金口座を同区〈以下省略〉所在の株式会社第一勧業銀行白金支店に開設(a2社口座。口座番号〈省略〉)した上、平成5年2月下旬ころから同年3月上旬ころ、a1社が所有する同区〈以下省略〉所在の賃貸建物「cビル」の賃借人2名に対し、真実の賃貸人はa1社であるのに、a2社が賃貸人の地位を取得したかのように装い、以後賃料等をa2社口座に振込入金することを指示し、よって、情を知らない賃借人らをして、同月24日ころから平成8年8月23日ころまでの間、85回にわたり、a1社に帰属すべき賃料等9999万円をa2社口座に振込入金させ(公訴事実第1)、
2  あらかじめ東京都目黒区〈以下省略〉本店所在地として設立登記をした実体のないa4社名義の普通預金口座を前記株式会社第一勧業銀行白金支店に開設(a4社口座。口座番号〈省略〉)した上、平成5年11月上旬ころから同月中旬ころ、a1社が所有する東京都港区〈以下省略〉所在の賃貸建物「dビル」の賃借人5名に対し、真実の賃貸人はa1社であるのに、a4社が賃貸人の地位を取得したかのように装い、以後賃料等をa4社口座に振込入金することを指示し、よって、情を知らない賃借人らをして、同月30日ころから平成8年9月10日ころまでの間、164回にわたり、a1社に帰属すべき賃料等1億0175万0750円をa4社口座に振込入金させ(公訴事実第2)、
もって、強制執行を免れる目的で財産を隠匿した、というものである。
第2  検察官及び弁護人の各主張の概要並びに裁判所の判断の概要
1  検察官及び弁護人の各主張の概要
平成元年の最高裁判決(最判平成元年10月27日民集43巻9号1070頁)が抵当権に基づく物上代位による賃料債権の差押えを肯定して以降、賃料債権の差押えを免れるため、ダミー会社もしくは関連会社への賃貸人名義の変更や賃料振込先の変更といった対抗手段が横行するようになり、民事執行の実務上、このようなダミー会社等への賃貸人の変更は、賃料債権の差押えに対する妨害事例の典型とされてきた(論告54頁)。
そして、検察官は、本件もその一例であるという。すなわち、検察官は、公訴事実第1のa1社所有の賃貸物件「cビル」についての賃貸人の変更は、a1社所有の賃貸物件「eマンション」の抵当権者である三和ビジネスがa1社に対して貸金の返済を求める催告書を送付して間もなくのタイミングでなされていること(なお、この「eマンション」についても、同じ時期に賃貸人の変更がなされている。)、公訴事実第2のa1社所有の賃貸物件「dビル」についての賃貸人の変更も、三和ビジネスが抵当権に基づく物上代位により「eマンション」に係る賃料債権につき債権差押命令を得た直後のタイミングでなされていること、「eマンション」、「cビル」及び「dビル」の各物件につき、上記のようにして賃貸人の変更がなされたにもかかわらず、テナントが支払った賃料はいずれも還流してa1社に入っていることなどの諸事情に照らすと、上記の各賃貸人の変更は、賃料債権の差押えを免れる目的でなされた仮装隠匿行為であり、強制執行免脱行為であるというべきであると主張する。その上で、検察官は、a1社の社長及び従業員が上記の賃貸人の変更の少し前又は直前のタイミングで被告人の事務所を訪れていること(以下、公訴事実第1に係る検察官主張の謀議すなわち平成5年2月19日の謀議を「2月謀議」といい、公訴事実第2に係る検察官主張の謀議すなわち平成5年11月4日の謀議を「11月謀議」という。)、上記の賃貸人の変更に使用された「賃貸人変更のお知らせ」(※1)は、a1社の従業員のA4が被告人から貰った雛形に基づいて作成したものであることなどの諸事情からすれば、被告人が上記の各強制執行免脱行為につき、共犯者として関与していることは明らかである、と主張する。
これに対し、弁護人は、被告人は、a1社からの依頼により、いわゆるバブル崩壊後の同社の生き残り策を検討したところ、a1社は早晩破綻することが必至であり、このうえは、サブリース会社を設立してa1社の従業員を移籍させ、この新会社において、a1社からその所有に係る賃貸ビルについて一括賃貸を受ける一方でこれをエンドテナントに転貸し、その営業利益によって、従業員の雇用の確保をしていくという「分社サブリース構想」を案出するに至り、平成4年11月18日、同構想についてa1社の関係者に対してチャート図を書くなどして説明をし、その後、同構想の対象物件を選別すべく、a1社所有の各賃貸物件につき現地視察を含む調査をした上で、同年の12月10日までに、賃貸物件としての競争力や債権者との関係の安定性などの観点から、サブリースの対象物件として「dビル」と「fマンション」の2つの物件を選定し、a1社の関係者の基本的了承を得たのであり、被告人は、あくまで「実体のあるサブリース構想」に基づいてa1社の関係者を指導していたものであって、サブリースを仮装したとされる本件各公訴事実とは無関係である(※2)と主張し、さらに、〈1〉公訴事実第1記載の平成5年3月上旬ころに「cビル」の賃貸人をa2社に変更した行為の真相は、A1社長が、「cビル」を「eマンション」とともに海外で売却することを考え、その準備として、国内の管理運営会社を用意するために従業員のA4に指示してサブリースを組んだものである、したがって、サブリースを仮装したものではなく、強制執行免脱目的でなされたものでもない、さらにいえば、被告人の提案に係る分社サブリースでもない、被告人としては、被告人の提案した「分社サブリース構想」は、別途、a1社において準備・実行されるものと認識していた、〈2〉公訴事実第2記載の平成5年11月上旬ころに「dビル」の賃貸人をa4社に変更した行為の真相は、従業員のA4が経理担当の従業員のA5らと共謀の上、a1社の資金を退職金名目で横領する準備行為として行ったものである。したがって、サブリースを仮装したものであり、強制執行免脱目的によるものである。しかし、A4ら限りの行為であり、被告人やA1社長らは全く関係がない、と個別に反論し、被告人のみならず、A1社長やA2も全面的に無実であると主張する。そして、以上の主張に関連して、被告人が「賃貸人変更のお知らせ」の雛形をa1社の従業員のA4に渡したのは、「2月謀議」の日である平成5年2月19日ではなく、被告人がチャート図を書くなどして「分社サブリース構想」を説明した平成4年11月18日である、被告人は、上記「賃貸人変更のお知らせ」の雛形と併せてa1社と新会社との間の一括賃貸借契約書(マスターリース契約書)の雛形も交付している(※3)と主張する。
なお、上記チャート図が作成されたのが平成4年11月18日であることについては当事者間にほぼ争いがないが、検察官は、同図は、弁護人が主張するような無罪証拠、すなわち、「実体のある分社サブリース構想の説明図」ではなく、かえって有罪証拠、すなわち、「強制執行妨害方法の説明図」であると反論し、その論拠の1つとして、その6日前の平成4年11月12日、被告人とa1社との間で国内対策第1回と称する会議が持たれた際、被告人において「a1社が立ち直るのは、将来a1社所有の不動産の価格が上がったときしかないが、そのときにa1社に資産がなければ何にもならないので、それまではいろいろな手段を講じて、所有物件や収益を債権者に差押えられないようにする必要がある。抵当権の実行が難しくなるようにするため、物件に対する権利関係を複雑にしなさい。」などと述べたことをうかがわせる証拠(「再建ノート」)がある旨の主張をしている。
※1 本件では、「cビル」の各テナントに対しては平成5年2月下旬ころから3月上旬ころに、「dビル」の各テナントに対しては同年11月上旬ころから同月中旬ころに、「賃貸人変更のお知らせ」と題する通知書がa1社から送付された(甲128)。同書面には、ビル管理の充実を図るためビルを一括してa2社又はa4社に賃貸したので、賃貸人の変更を承諾のうえ新しい銀行口座に賃料を振り込むよう協力を求める旨が記載されていた。その結果として、複数のテナントが賃貸人の地位の移転を承諾して指定された銀行口座に賃料を振り込んでいる。
※2 被告人の考案に係る従業員の雇用確保の方策としては、上記賃貸2物件についての「分社サブリース構想」のほかに、「gホテル」についてそのオペレーションを分離独立させて新会社に行わせるという分社構想がある。「分社サブリース構想」も分社構想の一種であるから、「dビル」、「fマンション」及び「gホテル」の3物件が被告人の分社構想の3本柱をなしているということができる。
※3 「賃貸人変更のお知らせ」をテナントに送付した本件当時、これに併せて、a1社が「cビル」をa2社に一括賃貸する旨の一括賃貸借契約書(マスターリース契約書)が作成されていたことが証拠上明らかである(3回A22添付資料78丁、甲67添付資料21-1)。
2  当裁判所の判断の概要
これに対する当裁判所の判断の概要は以下のとおりである。
(1)  「分社サブリース構想」
まず、被告人主張の「分社サブリース構想」については、再建ノート上、平成4年4月24日の「管理会社」の記載にまで遡ることのできるものであり、あくまでも実体のあるサブリースを目指したものであると認められ、その対象物件についても、被告人は十分な調査検討のもとに、「dビル」及び「fマンション」の2物件を選定していることが認められる。また、チャート図についても、「占有権として残る」とのその記載内容や同図についての被告人の説明内容の合理性などに照らすと、検察官主張のような「強制執行妨害策の指南図」とみることはできず、弁護人が主張するように、「実体のある分社サブリース構想の説明図」とみるのが相当である。さらに、検察官が指摘する、国内対策第1回と称する被告人とa1社関係者との間の打合せについての再建ノート上の「権利関係を複雑に」云々の記載は、被告人の発言を記載したものであるとみるには疑いが残る。
そして、このような被告人の主張に係る「実体のある分社サブリース構想」の実在性にかんがみると、本件各公訴事実はサブリースを仮装したとされる点において被告人の構想と異質なものであり、このことは被告人の本件各公訴事実への不関与をうかがわせる。
(2)  「2月謀議」
次に、公訴事実第1の「cビル」についての賃貸人の変更に関しては、業務日誌その他の関係証拠によれば、「2月謀議」がなされたとされる平成5年2月19日に先立つ同月16日、a1社の社内会議において、「cビル」と「eマンション」の2物件を東南アジアの投資家に売りに行くことが決定されたこと、その後間もなくの時点で数あるa1社所有物件の中から上記2物件について賃貸人の変更がなされていること、実際にA1社長が上記2物件について売却交渉のために海外に渡航していること、その後の約8か月間は上記2物件以外の物件については賃貸人の変更はなされていないこと、サブリースの主体とされたa2社は、アジア貿易を企画立案するなど、実体を有していたこと、賃貸物件の海外への売却に際して別会社を設立してサブリースを組んでおけば、海外の投資家としては、自ら管理する必要がない上、賃料保証により投資に対する一定の利回りも保証されることになり、極めて便宜であることなどの各事実が認められ、以上の各事実を総合すると、公訴事実第1の「cビル」についてのサブリースは、公訴事実外の「eマンション」についてのサブリースとともに、海外に売却するための準備として組まれることになったものである可能性が高いというべきである(もっとも、その後、経理処理がa1社とa2社とで結びつけて行われることになったため、a2社口座に入った金はa1社に還流することになり、また、退職金の支払いや社会保険の関係でa1社からa2社への人員の移籍が実現せず、そのうちに、a2社の活動が停止されてしまった。)。従業員のA4の証言をはじめとした「2月謀議」の実在性をいう各供述証拠には、いずれについても供述内容の不自然さや重要な点についての供述の変遷があり、にわかに信用することはできない。このようにして、「2月謀議」の実在性については、これを支える各供述証拠の信用性の観点だけからしても多分に疑問がある。
(3)  「11月謀議」
次に、「dビル」についての検察官主張の平成5年11月4日の「11月謀議」は、前記「2月謀議」の存在を前提として、その延長線上に存在するものであるところ、前提たる「2月謀議」の実在性に既に多分の疑問があることは前記のとおりである。
ところで、「dビル」についての賃貸人の変更に関しては、サブリースの主体とされるa4社に会社としての実体がないことに徴すると、サブリースそのものにも実体がないことは明らかである。
それでは、従業員のA4はどのような理由から、公訴事実第2の「dビル」のサブリースを仮装したのか。A4は、A5ほか2名とともに、退職金名目で多額の現金を横領している。このことからすると、「dビル」についての賃貸人の変更は、A4が横領の準備行為として、A5らと共謀の上、行った可能性が高いというべきである。
第3  本件の証拠構造と論述の順序
1  証拠構造
「2月謀議」についての直接証拠は、A4の当審証言、A1社長の検察官調書及び第一審公判供述、A3の当審証言である(「11月謀議」については、A1社長の第一審公判供述はなく、A3の当審証言もない。)。すなわち、A4は、強制執行妨害につき、自己の関与とともに、被告人の指示を正面から認める証言を行い、A1社長も、検察官調書(甲92ないし96)において自己の犯行及び被告人との共謀を明確に認める供述を行っている。また、A1社長は自己の刑事裁判の第一審公判(甲307)において、自己や被告人の本件への関与の程度をこそ軽いものとして述べているが、公訴事実を認める姿勢は維持している。さらに、A3は、基本的には記憶がないと前置きするものの、漠然とした記憶として被告人からそのような指示があったと証言している。
しかし、A1社長は、自己の刑事裁判の第一審の有罪判決(懲役1年、執行猶予3年)を不服として控訴し、控訴審では事実を争い、さらに、その控訴審に係属中になされた当審における証言の際にも、自己の刑事責任及び被告人の犯行指示をはっきりと否定している。また、A2は、捜査段階のみならず自己の刑事裁判の第一審(懲役10月、執行猶予3年)、さらには控訴審の審理をも通じ、ほぼ一貫して自己の犯行及び被告人との共謀を否認し、当審公判でも否認を貫いている(62回A2・4丁)。一方、被告人は、強制執行妨害の指示は一切行っていないと述べ、徹底して事実を争っている。
2  論述の順序
そこで、第4以下では、まず、本件の客観的事実経緯について概観的に触れ、次いで、被告人の主張する分社サブリース構想の中身を取り上げてその存在を裏付ける物的証拠や関係者の各供述の信用性の検討を行う。その後、「2月謀議」につき、その存在を正面から肯定するA4証言には重大な問題点があって信用性は認められないこと、A1社長の検察官調書・第一審公判供述やA3証言についても信用性が乏しいこと、a2社に賃貸人の地位を移したのはA1社長が麻布の2物件、すなわち、「cビル」及び「eマンション」を海外に売却することを考え、海外の投資家にとって購入し易いようにするために真実のものとしてのサブリースを組んだ可能性が高いこと、さらに、「11月謀議」に関しては、「dビル」の賃貸人の地位を実体のないa4社に移転したのは、A4やA5らがA1社長らに内緒で行っていた退職金積み立ての収入源を確保する目的で、被告人やA1社長とは無関係に行った可能性が高く、被告人の犯行指示を肯定するA4の当審証言やA1社長の捜査段階供述には信用性が認められないことについて論ずる。そして、被告人の罪証隠滅行為の不存在など2、3の事後的事情に触れた上、本件の捜査や公訴の提起・追行についての問題性について論じ、最後に結論を示して本判決をむすぶこととする。
3  債務超過会社の任意整理における弁護士の役割
ところで、a1社は、本件当時、明らかな債務超過に陥っていたものであり、このような状況の中では、従業員の雇用の確保を実現しようとするときは、債務者側にとっては最低限の要求であっても、債権者との間であつれきが生ずるのは不可避である。債務者の従業員の生き残り策は、債権者にとっては、多分に強制執行妨害の実質を有する。債権者にしてみれば、従業員の給与に回す金があるのであれば、債務の弁済に充てるべきだということになる。この意味で、検察官が、「分社サブリース構想」について、「a1社の主要事業である不動産賃貸業そのものを従業員ごと債務を負わない別会社に移譲し、それまでa1社が上げていた収益の一部を別会社で確保する一方、a1社自体には債務のみを残して消滅させてしまうもの」であると指摘しているのは(論告64頁)、一面の真理をついている。構想の段階で債権者にすべてを打ち明ければ、一蹴されてしまうのがおちであろう。任意整理の手法として許される範囲内で先行的に構想を実施し、実績を上げた上で、債権者にもそれなりのメリットがあること、少なくとも損ではないこと、最小限、我慢できないほどの損ではないことなどをねばり強く説明して説得する必要がある。検察官は、論告(55頁以下)において、被告人が、a1社の収入を求償債務の返済という形で関連会社である香港の現地法人a5社に移すことなどを内容とする10通の契約書の締結をa1社の関係者に対して指導したり、同じくa1社の関係者に対し、抵当物件を売却処分したときは債権者から売却代金の一部を分けて貰えとの趣旨に受け取れる発言をするなどして、a1社又はa1社グループの財産確保のための方策を積極的に指示・指導していることをもって、本件各公訴事実についての被告人の強制執行免脱目的を推認させる間接事実であると主張する。しかし、このような主張は、債務超過に陥っている会社の任意整理を受任した弁護士に対するものとしてはいささか酷に過ぎる。検察官指摘の各局面において発揮されている被告人のタフ・ネゴーシエーターぶりは、被告人の主張に係る分社サブリース構想について、被告人にはこれを実現する強い意志と十分な能力があったことの証左として、無罪方向のものとして評価すべき側面も多分にあることを忘れてはならないと思われる。
第4  客観的事実経緯
関係証拠によれば、本件に関係する客観的事実経緯として、以下の事実が認められる。
1  a1社の沿革、A1社長及び主な従業員
(1)  a1社の沿革
a1社は、シンガポール国籍を有する在日華僑のA1社長により昭和41年11月に設立され、米軍相手の電化製品等の取引が成功して順調に業績を上げたことを契機に事業を拡大し、昭和50年ころから不動産事業を営むようになり、不動産ブームに乗って国内に多数の不動産を所有して、ビルの転売やテナントへの賃貸により収入を得るほか、昭和61年には地上7階建て、地下1階のビル「gホテル」を建設所有して(弁33)、同ホテルの営業を開始した。さらに、A1社長は、a1社のメインバンクである三井信託から融資を受け、昭和60年ころから香港、シンガポール、アメリカ、カナダ、ニュージーランド等にa1社の関連会社を設立した上、各社においてホテル等の海外資産を取得し、a1社グループは、平成3年4月ころ、主な建物資産として、国内に約30物件、海外に約15物件を保有するに至った(甲92、47回A1社長76丁、甲50、甲71、47回A1社長添付資料3-10丁、甲48、弁62)。なお、a1社は、国内物件及び海外物件の取得に際し、国内の銀行やノンバンク等から多額の融資を受け、その担保として、所有不動産に抵当権等の設定を行っていた(甲70)。
(2)  A1社長及び主な従業員
平成5年当時、a1社では、A2、A3、A4、A5、A6、A7らが主な従業員として、A1社長の指示を受け、同社の運営等にあたっていた(甲121)。従業員数は、平成6年12月現在では、本社関係が12名、ホテル関係が27名であり、ホテル関係27名のうち23名がパートタイマーであった。
(ア) A1社長は、一代でa1社グループを築き上げた立志伝中の人であり、昭和60年ころ、a1社の関連会社であるa5社において、香港にオフィス棟、ショッピングフロアー、ホテル棟(hホテル)から成る大型複合機能ビル「iプラザ」を建設し、同ホテルが5つ星の評価を受けて世界的に有名になったことなどから、成功した華僑として中国、シンガポール、アメリカ等で高い名声を得て、特に「hホテル」はA1社長の成功と信用の象徴であった。A1社長は、a1社グループの総帥として、頻繁に海外に出張し、1回の出張が約1か月間の長期にわたることも少なくなく、1年の3分の1近くは外国に滞在していた(甲151)。このように海外出張が多いこともあり、その経営スタイルは、大枠の方向性のみを示して、具体的な業務運営は従業員らに任せるというものであった。
(イ) A2は、A1社長の長男であり、昭和63年に日本に帰化した。昭和61年ころにa1社に入社し、A1社長らの指示を受けながら業務運営に携わっていた(60回A2・3丁)。オーナー社長の息子としてa1社の会社運営の方針に関心を持つこともあったが、そのたびにA1社長から怒られたり、その飽きっぽい性格の影響もあって、総じて仕事に対する関心は低く、遅く出社した上で早退することもまれではなく、英語力を生かして外国からの来客を応接することなど、任された仕事の範囲も限られていた。
(ウ) A3は、平成元年5月ころ、三井信託から出向社員としてa1社に派遣され、同銀行を定年退職した後の平成4年4月ころからは正式にa1社に所属して、a1社の財政状況を把握し、主に金融機関との交渉等の業務にあたっていた(13回A3・12丁)。いわゆるメモ魔であり、a1社内での出来事や金融機関担当者との折衝状況について、再建ノートや業務日誌等に詳しいメモを残していた。
(エ) A4は、A1社長とは、米軍施設に接収されたホテルで一緒に働いていたときに知り合った仲であり、昭和50年、A1社長が本格的に不動産事業に乗り出すに際し、宅地建物取引主任者の資格を持っているということで従業員として迎え入れられ、以来、A1社長とともにa1社の運営に携わり、平成5年当時は国内所有物件のテナントとの賃貸借契約の締結更新、物件管理及び賃料の回収等を主な業務としていた(40回A4・2丁)。
(オ) A5は、地元の高校を卒業後、旧国鉄に約2年間勤務して簿記の勉強をし、その後は保険外交員等を経て、昭和51年ころ、設計事務所に勤務し、複式簿記による経理を担当して本格的な簿記の知識を身に付けていたところ、昭和55年、a1社に入社し、以降、平成10年3月に退職するまでの間、a1社の経理を一手に引き受けてきた(4回A5・1丁、甲74)。
(カ) A6は、昭和63年8月ころから平成10年3月までa1社に在籍し、A4やA5らの指示を受けて、a1社の国内物件の管理、テナントへの連絡、銀行預金通帳の記帳等の業務を主に行っていた。
(キ) A7は、昭和60年8月にa1社に入社した。ホテル関係の仕事を10年以上していた経験を生かしてa1社が経営するgホテルの開業準備に携わり、昭和61年4月の開業後は同ホテルのマネジメント全般を担当し、平成元年ころからは支配人となり、平成10年3月末に他の従業員とともにa1社を一斉退職するまでの間、同ホテルの運営を統括していた(75回A7・2丁、47丁。なお、上記退職後も臨時雇としてしばらく勤めていた。)。
2  本件で問題となるa1社の所有物件とその担保設定状況
(1)  eマンション
eマンションは、東京都港区〈以下省略〉目所在の地上7階の賃貸ビルであり(甲63)、昭和59年6月10日、a1社は三和ビジネスから13億円の融資を受けた際、同社に対し、同敷地及び建物に1番抵当権を設定し、昭和60年には第一生命に対し被担保債権額10億円の2番抵当権の設定を、平成元年には三井信託に対し被担保債権額10億円の3番抵当権の設定を行った(甲71)。
三和ビジネスは、a1社から年2回、それぞれ約5000万円の金利の支払いを受けていたが、平成4年3月18日の返済期日に支払いがなされず延滞が発生し、同年5月からA3の返済案の計算に従い月々約44万円の利払いを受けていたものの、平成5年10月当時には、元金10億8000万円、利息約8200万円等の債務が未払いとなっていた(甲63、212、弁17)。
なお、eマンションの建物及び敷地の平成5年当時の固定資産評価額は約4億9540万円(甲71)であり、賃料等収入は月額約320万円(甲159)であった。
(2)  cビル
cビルは、東京都港区〈以下省略〉目所在の地上3階、地下1階の賃貸ビルであり(甲35)、平成元年4月4日、a1社は住商リースから10億円の融資を受けた際、同社に対し、同敷地及び建物に極度額10億円の1番根抵当権を設定し、また、同日、住総に対し極度額35億円の2番根抵当権の設定を行った(甲71)。
住商リースは、a1社から3か月毎に約1800万円の金利の支払いを受けていたが(甲67)、平成3年12月27日の返済期日に支払いがなされず延滞が発生し、平成4年5月からA3の返済案の計算に従い月々28万8000円の支払いを受けていたものの(3回A22添付資料69丁)、平成4年5月当時、元金10億円、利息約1800万円等の債務がa1社から未払いとなっていた(同68丁)。住商リースは平成4年4月14日及び同年5月17日、a1社に対し債務の返済を求める催告書を送付した(同65丁)。
なお、cビルの建物及び敷地の平成5年当時の固定資産評価額は約3億9700万円(甲71)、賃料等収入は月額約390万円(甲159)であった。同物件は、平成9年9月29日、任意売却された(甲36)。
(3)  dビル
dビルは、東京都港区〈以下省略〉所在の地上11階(一部は3階まで)、地下1階の賃貸ビルであり(甲15)、平成元年9月29日及び同年11月30日、a1社は日住金から合計90億円の融資を受けた際、同社に対し、同敷地及び建物に極度額100億円の根抵当権を設定した(甲71)。
日住金は、上記融資を含めて合計153億円をa1社に融資し、毎月約1億円の元本及び金利の支払いを受けていたが(甲212)、平成3年11月12日の返済期日に支払いがなされず延滞が発生し、平成4年5月当時、合計約147億8700万円の元金等がa1社から未払いとなっていた(甲7)。
なお、dビルの建物及び敷地の平成5年当時の固定資産評価額は約63億円(甲71)、賃料等収入は月額約960万円(甲159)であった。同物件の根抵当権は、平成8年10月1日、住管機構に移転された(甲16)。
(4)  fマンション
fマンションは、東京都目黒区〈以下省略〉所在の昭和45年に建築された地上14階の店舗兼共同住宅である(弁61)。a1社は、昭和60年4月に同物件を取得し、三井信託に対し、同敷地及び建物に極度額118億円の根抵当権を設定した(甲71)。同物件の建物及び敷地の平成5年当時の固定資産評価額は約29億5000万円(甲71)であった。
fマンションにおいては、テナントとの契約関係にいわゆる保証マンション方式が採用されていた。保証マンション方式とは、入居者は入居時に分譲代金と同程度の保証金を入れるが、所有者は依然としてa1社のままであるというもので、a1社は賃料を得ることもできず、他方、同物件の改修をa1社とテナントのどちらがするかも不明確で、平成4年ころからa1社と同物件の管理人組合との間で交渉が難航していた。
もっとも、fマンションはJR目黒駅から徒歩約5分の商店街の一画にあって立地条件が良く、外観的にもグレードが高く、総面積約750平方メートル、全49戸の入居が可能で、老朽化はしてきていたものの、活用する意義のある物件であった。同物件の平成5年当時の保証方式の権利者は16戸、賃借人は2戸、区分所有者は3戸、空室は28戸、同物件の賃料収入は、97万7000円であった(弁61)。
(5)  gホテル
gホテルは、東京都目黒区〈以下省略〉所在の地上7階、地下1階のビルであり、昭和60年、a1社により建築され、地上部分はa1社がホテルとして使用し、地下部分は飲食店(ジャズバー)に賃貸していた。a1社は、その敷地及び建物に三井信託のために、極度額113億円の根抵当権を設定していた(甲71)。同物件の平成5年当時の固定資産税評価額は約21億円、ホテル部門の売上は月額約2000万円であった。
gホテルの1軒(ガソリンスタンド)置いた隣がfマンションであり、fマンションの空室は、「有限会社a6」の開業準備室やアルバイト従業員の社員寮として利用されていたこともあった(75回A7・3丁、76回A7・8丁)。
ところで、gホテルは、a1社のホテル部門として、各種の会計帳簿を一旦は本社とは別個独立に作成し、これらは各月ごとにA5に報告されて本社の経理と合体されていた。A7は、ホテルの経理状況を把握した上、取引銀行との対応を行っており、ホテルのメンテナンスに備えるなどの目的で、一勧信組目黒支店にgホテル名義の定期積金口座を開設して、月額約2000万円の営業利益の中から毎月一定額を積み立てていた(同10丁)。
(6)  その他
平成4年4月末当時のa1社所有のその他の国内物件の物件名、担保設定状況、賃料収入等は、「a1社保有不動産賃貸明細(1) 92/4末」(3枚綴り・弁62)に記載のとおりである。そこでは、「jビル」、「kビル」、「lビル」、「mビル」、「nビル」、「oビル」など合計33物件が一覧表にまとめられている。
また、平成5年10月当時の国内物件等の一覧は、「(有)a1社所有物件抵当権設定状況一覧表」(甲71添付資料)に記載のとおりである。
3  a1社の財政状況の悪化と金融機関に対する利息内入れの停止
前記のとおり、a1社は一時期、金融機関から多額の融資を受けて順調に業績を伸ばしていたが、平成2年3月政府発出のいわゆる総量規制(融資残高規制)を契機として都市部を中心に不動産価格が急落し、不動産の転売等が困難になり、都内に多数の不動産物件を抱えていたa1社の業績は急激に悪化した。
以降、a1社は、金融機関各社に対する利息等の返済原資に窮するようになったところ、三井信託は、平成元年9月から同3年9月まで、a1社の債権者各社に対する利息等の返済資金として合計約188億円をa1社に融資し(以下「新債支援」という。)、その担保としてa1社の関連会社保有の海外資産等を充てさせた(甲212)。
A3、A2らは、金融機関からの借入金に依存するa1社の財政状況を危惧し、多額の費用を投じてA8公認会計士に対しa1社の再建計画のとりまとめを依頼し、平成3年8月ころ、A8公認会計士から計画案が提出されたが、その概要はa1社の国内物件のほとんどを処分して金融機関からの借入金を返済し、最終的にはa1社を消滅させるというものであり、創業者としてa1社に愛着を感じていたA1社長としては上記計画案の採用にいきおい消極的とならざるを得ず、結局、上記計画案が実行されることはなかった(弁156、158、159、63回A2・46丁)。
平成3年10月、三井信託は、a1社の関連会社保有の海外資産の担保余力がなくなったと判断してa1社に対する新債支援を打ち切り、そのため、a1社の金融機関各社に対する同年11月以降の利息等の返済は一斉に停止した。これに伴い、a1社は同年11月13日、建設会社に振り出していた6億円の小切手の不渡りを出した(弁157、甲195)。同小切手は、平成2年2月ころに着工された上海の経済特区の大型ビル「pプラザ」の建設資金を捻出するために振り出されたものであった(弁4)。
4  海外物件の売却と被告人への交渉委任
A1社長は、これまでにも三井信託の求めに応じて「iプラザ」の一部などの海外有力資産をいくつか売却してきたが、さらに、同行は、平成3年10月以降、香港「hホテル」及びシンガポール「qホテル」の2物件の売却を強硬に迫ってきた(甲212、47回A1社長添付3-27丁)。
ところで、被告人は、昭和55年に司法修習生の修習を終え、同年弁護士の登録をして東京第二弁護士会に所属する弁護士であり、本件当時は東京都港区〈以下省略〉所在のb法律事務所において執務し、約7、8社の不動産関連会社の顧問をするなどの弁護士活動をしていた(90回被告人1丁)。
A1社長は、平成3年末ころ、知人の不動産業者を介して被告人と知り合い(甲93)、当時、三井信託から要求されていた香港「hホテル」及びシンガポール「qホテル」の海外2物件の売却について被告人に相談を持ち掛けた。その結果、被告人は、渉外弁護士1名と共に同行との間で売却交渉をすることになった。
5  債権者に対する利息内入れの再開
a1社は、利息等の返済を一切受けられない金融機関各社からの強い要請を受けて、平成4年5月ころ、gホテルを別とすれば、a1社の当時のほぼ唯一の収入源であった、テナントからの毎月の賃料収入を、債権額等に比例して分配する形で利息等に内入れすることを再開した。しかし、a1社の賃料収入から経費等を控除して利息等の内入れに充てられた金額は月額合計わずか1000万円程度であり(弁17。なお、平成5年9月分の賃料収入は約4600万円である。甲159)、その内訳は、三和ビジネスに対し44万4000円、住商リースに対し28万8000円、日住金に対し233万7000円、日興キャピタルに対し59万5000円といった具合であり、各金融機関に対して返済すべき月々の金額と対比して著しく低額にとどまるものであった(参考までに、平成3年9月に当月分として各金融機関に返済された金額をみると、住商リースに対する利息支払いは2000万円、日住金に対する元利金支払いは1億0400万円、住総に対する利息支払いは8300万円、日興キャピタルに対する利息支払いは8200万円であるなど、合計すると9億2100万円に達している(甲212))。金融機関各社は、利息等の内入れがゼロよりはよいとして、仮受金などの形式でこれを受け取り、その一方で返済額の増額を要求した。
6  海外物件の売却成功
被告人は渉外弁護士1名と共に三井信託と交渉した結果、平成4年11月末には、前記海外2物件の2つともにつき三井信託の指定する先に売却する手続がほぼ終了した。a1社は上記2物件を手放すこととなったものの、香港「hホテル」の什器備品代として10億円の支払いを受け、また、シンガポール「qホテル」については売却手数料として2億5000万円を手元に留保し、さらには、同行から2年間の債務弁済の猶予を得ることができた(乙1、79回被告人44丁)。被告人と上記渉外弁護士1名は、上記売却交渉の成功報酬として、a1社からそれぞれ5000万円を受け取ることとなった。
7  国内対策についての被告人とa1社関係者の打合せの状況
(1)  前記海外2物件の売却についてのクロージングの目処がついたころの平成4年11月12日、A3らa1社関係者は被告人の事務所に被告人を訪ね、今度は国内対策第1回と称して今後のa1社の経営方針等について打合せを行った(乙1、甲96)。
(2)  被告人とa1社関係者との間では、同日以降も、a1社の経営方針等を巡って打合せが続けられた。打合せはいつもa1社本社から近距離にある被告人の執務先である被告人の事務所においてなされ、開催頻度は、月に1、2回程度であり、翌年3月までについてみると、平成4年は、11月18日、11月25日、12月10日、12月17日、翌平成5年は、1月25日、2月12日、2月19日、3月1日、3月12日、3月15日に行われている(再建ノート、甲223等)。
(3)  上記の打合せ日に話し合われた主なテーマは、以下のとおりである。
(ア) 平成4年11月18日の会議では、被告人は、a1社の従業員であるA4やA3から、a1社の保有不動産、その担保設定状況、当時の債権者の動向等の説明を受ける一方、a1社が用意してきた説明資料の裏面に鉛筆でチャート図を記載し(弁62)、自らの「分社サブリース構想」をA1社長らに対して説明した。
(イ) 次いで、11月25日には、被告人はA2に案内され、めぼしいa1社保有不動産数物件につき実際に視察を行った(物件視察)。
(ウ) また、12月10日には、別会社によるfマンションの改装に向けた話や、gホテルのオペレーションを別会社で行う話がなされたほか、a1社の関連会社で新規事業を起業すべきであるとの提案が被告人からなされた。同月17日には、fマンションの改装費について話し合いがなされたほか、新たな債務の返済原資を得るために新会社で新規事業を起業すべきことも話し合われた(80回被告人70丁、同86丁、再建ノートの12月10日欄「fマンション ・別会社により改装/賃収-MTBへ、見積りとる」、「ホテル ・動産のkeep-リース化、・オペレーター別会社」、「○企業すべし!」の各記載、同12月17日欄「fマンション 改装ヒは?」の記載)。
(エ) さらに、平成5年1月25日には、後述するa2社でA3らが中国貿易等をすることの報告があったほか、被告人から、同社の別の活用方法、すなわち、海外から資金を導入して国内の金融業をしたり、あるいは備品のリース業を行うなどして、事業を拡大したらどうかといったことが雑談的に話された(80回被告人99丁、業務日誌の1月25日欄「Y先生 ABC-国内金ゆ、リースも」の記載)。
(オ) その後の、同年2月12日以降の打合せについては、その内容に関し、当事者間に激しい対立がある。
8  平成5年初めころのa1社の財政状況
ところで、a1社は、平成5年3月期の貸借対照表によると、流動負債、固定負債を含めた総債務額は約853億8600万円(そのうち金融機関からの長期借入金は約689億円である。)に上り、約132億4000万円の債務超過に陥っており、また、同期の損益計算書をみると、売上総利益は約9億1200万円にとどまる反面、そこから販売費及び一般管理費約10億1400万円を控除すると、約1億円の営業損失額が生じ、当期の未処理損失額は約132億4500万円にも上っていた(甲72)。
9  a2社の立ち上げ
A1社長は、平成5年1月27日、当時休眠会社であった有限会社a3をa2社(その名は、a2に由来する。)に商号変更し、代表者もA1社長からA2に変更した。a2社の商業登記簿上の目的は、a3社の目的をそのまま引き継ぎ、「不動産の売買及び管理、食料品の販売及び輸出入、飲食店の経営」というものであり、A1社長は、同社を中国との貿易や「pプラザ」の日本での代理販売、日本の不動産を海外に紹介する業務等を行い、日本の企業と東南アジアを結びつける会社として立ち上げようとしていた(甲58)。
a2社は、A2、A3、A9及びA10らを構成員とし、dビル6階に事務所を構え、当初からa1社の債権者に対しその活動内容等を報告していたほか(17回A3・15丁)、同年5月ころには会社説明用のパンフレットも作成された(弁2)。また、A3、A2、A9らは、同年3月、中国の寧波を視察したり(17回A3・26丁)、同年2月ころに建設が再開した「pプラザ」の分譲・管理等や、中国から食料品等を輸入する事業などを模索していたが、結局成果があがらず、A1社長の指示により、a2社は1年も経たずして活動を停止した(甲102)。
10  平成5年2月ころにおける金融機関とa1社の各動き
(1)  日興キャピタル、住商リース及び三和ビジネスの各動き
(ア) a1社に対し50億円を融資していた(甲70)日興キャピタルの担当者は、平成5年1月19日、a1社を訪れ、根抵当権を設定している港区〈以下省略〉所在の賃貸建物「kビル」のテナントからの賃料の全額の入金を要請し、これができなければ家賃を差し押さえる旨の申し入れをしたほか、同年2月15日にも家賃差押えの話をするとともに、「kビル」を売却するよう申し入れた。
上記の申し入れに対する対応として、A1社長は、同月18日、月々400万円を返済する覚え書を取り交わす約束をした(2回A8添付資料3-6丁)。
(イ) 次に、住商リースの担当者は、平成5年2月4日、a1社を訪れ、応対に出たA3に対し、根抵当権を設定している「cビル」の競売申立てを考えていること及び後順位抵当権者の住総が住商リースの債権を買い取る(肩代わりする)つもりがあれば応じる考えがあることを話した(3回A22・9丁)。そこで、A1社長及びA3は、同月10日、住総の担当者に対し住商リースの上記の意向を伝えた(甲10、50回A1社長35丁、甲208・220)。
(ウ) また、三和ビジネスの担当者は、平成5年2月12日、a1社を訪れ、A1社長及びA3に対し、根抵当権を設定している「eマンション」の競売申立てをしてでも債権を回収する意向であることを後順位抵当権者である第一生命に伝えて欲しいことや催告書を送ることなどを話し、同月15日、催告書を発送し、同書面は同月16日、a1社に到達した(甲102)。
(2)  2月16日の社内会議における賃貸2物件についての海外売却案の採択
平成5年2月16日、A1社長は、社内会議において、住商リース及び三和ビジネスのそれぞれから、後順位抵当権者との間で債権買い取りの話の仲介をすることを迫られていた「cビル」及び「eマンション」の各物件につき、これらを担保として東南アジアの金融機関から各10億円の融資を受け、同金融機関に住商リース又は三和ビジネスからの融資の肩代わりをしてもらうこと、又は、上記各物件を海外投資家に売却して住商リース及び三和ビジネスに対する各債務を返済すること(業務日誌2月16日左欄)を提案して了承を得、同月23日、早速上記各物件の売却等のために香港に渡航した(甲151)。
(3)  a2社口座の開設
平成5年2月24日、第一勧業銀行白金支店にa2社の銀行口座(a2社口座)が開設された(甲130)。
(4)  賃貸2物件についての「賃貸人変更のお知らせ」の発送
A4は、平成5年3月5日ころ、「eマンション」及び「cビル」の各テナントに対し、「賃貸人変更のお知らせ」と題する書面を発送した(甲128)。これにより、上記2物件のテナントの賃料はa2社口座に振り込まれることになった。もっとも、a2社口座に振り込まれた賃料については、a2社の収入として納税申告されることはなく、その後も引き続きa1社の収入として計上され、a1社の経費の支払い等に費消された。
11  平成5年11月ころにおける金融機関とa1社の各動き
(1)  債権差押命令の送達
平成5年4月以降、a1社と三和ビジネスとの間では、「eマンション」の賃料の中からいくらを債務の支払いに充てるかが話し合われ、管理費及び固定資産税相当分を控除した金額(月280万円)を返済することで一旦は話がまとまったが、A3がさらに修繕費として30万円を控除するように申し入れたために話がこじれた。そこで、三和ビジネスは、同年10月27日、東京地方裁判所に対し、「eマンション」について競売の申立てをし、同月29日競売開始が決定された。さらに、抵当権に基づく物上代位による同物件の賃料債権の差押えの申立てがなされ、翌11月2日、債権差押命令が発せられ、同物件に居住していたA4にも同月3日、差押通知が送達された(甲63)。しかしながら、上記のとおりa1社からa2社に賃貸人の地位が移転されていたため、賃料債権の差押えは執行不能に終わった。一方、競売については、約4年半後の平成10年5月13日に中華人民共和国に約3億1000万円で落札された。
(2)  11月4日の被告人事務所での打合せ
11月4日、A4は被告人の事務所におけるa1社関係者と被告人との間の打合せの際に、被告人に対し、上記差押通知に係る裁判所に対する陳述書の記載方法等を尋ねるなどした。その際、被告人はA4に対し、事実をそのとおり書きなさいと助言した(81回被告人107丁)。なお、同日の打合せは、当時老朽化しつつあったfマンションの改装等に関し、被告人が同物件の管理人組合と交渉するのに備えて予め設けられていたものであり(同102丁)、被告人は実際に同月11日、同月15日の2回にわたり、上記管理人組合と交渉を行っている(同114丁)。おって、上記の被告人と管理人組合との交渉日の直前又は直後である同月10日、同月16日にも、被告人とa1社関係者との間で打合せがなされている(弁235)。
(3)  a4社口座の開設
平成5年11月5日、第一勧業銀行白金支店にa4社口座が開設された。なお、a4社は、A2が、平成5年2月24日ころにa1社の顧問税理士であったA11税理士に対してその設立手続を依頼し(甲303)、同年6月1日になって漸く設立手続が終了した会社であり(甲53)、従業員や事務所等もなく、資本金300万円も設立後間もなくの6月15日にその全額が引き下ろされており、活動実態の全くない会社であった(甲154)。
(4)  賃貸1物件についての「賃貸人変更のお知らせ」の発送
A4は、平成5年11月9日ころ、「dビル」のテナントに対し、「賃貸人変更のお知らせ」と題する書面を発送した。これにより、「dビル」の5つのテナントからの賃料はa4社口座に振り込まれることになった。しかし、これらの賃料は、一旦はa4社の収入として計上されたものの、その全額がa1社に移され、a1社の経費の支払い等に費消された(甲154ないし157)。
12  その他の賃貸8物件についての賃貸人の変更
A4は、平成5年3月の「eマンション」及び「cビル」、平成5年11月の「dビル」に引き続き、平成5年11月に、「jビル」(抵当権者は日住金、以下、この項において、物件名末尾のかっこ内は抵当権者)、「rビル」(日住金)、「kビル」(日興キャピタル、三井信託)、平成6年3月に、「sビル」(安田信託)、「lビル」(兵銀ファクター)、「mビル」(日住金)、平成6年7月に、「nビル」(協住ローン)、平成7年9月に、「oビル」(さくら銀行、三井信託)について、それぞれのテナントに対し、「賃貸人変更のお知らせ」を送付し、賃料振込先をa2社口座又はa4社口座に移転させた(甲48、71、弁62、41回A4・2丁以下)。
なお、賃貸人の変更が行われた上記11物件中、根抵当権に基づく物上代位によりa1社がテナントに対して有する賃料債権の差押えが行われるに至ったのは2物件についてのみであり、その1つが「eマンション」であり、その経緯については、前述したとおりである。もう1つは、「kビル」であり、平成6年11月22日、日興キャピタルは、「kビル」のテナント4名に対して有する賃料債権の差押命令の申立てを行い、同月24日、同差押命令が出されたほか、翌平成7年1月ころ、同順位の根抵当権者である三井信託も同様の差押えを行ったが(甲106、256)、テナント4名のうち3名はa1社から通知を受けた賃貸人変更を承諾しておらず、上記の差押えに対しては賃料を供託している(41回A4・49丁)。
13  平成6年4月15日付けの10通の契約書
(1)  10通の契約書の締結
被告人は、平成6年3月ころから、a1社、a2社、a4社、a1社関連会社である有限会社a6及びa1社の香港現地法人であるa5社の5社をいずれかの契約の当事者とする10通の契約書の作成指導を行い、これらの契約書は同年4月15日付けで締結され(弁33ないし42)、同月18日、赤坂公証役場で確定日付が付された(弁183)。
(2)  10通の契約書の基本構造
上記10通の契約書は、これまでa1社のみで所有・運営していた地上7階、地下1階の建物「gホテル」に関し、その地上部分、すなわち、ホテル部分を有限会社a6が賃借して経営すること、地下部分、すなわち、店舗部分をa5社が賃借(賃料は、後記求償権と相殺)し、a5社はこれをこれまでにa1社から賃借していたジャズバーに転貸すること、ホテルの什器備品につき、a5社がこれをa1社から買い受けた上(代金は、後記求償権と相殺)、有限会社a6にリースすること、また、賃貸6物件、すなわち、「cビル」、「eマンション」、「dビル」、「jビル」、「lビル」及び「mビル」に関し、a1社がサブリース会社であるa2社又はa4社に対して有するマスターリース契約上の賃料債権をa5社に譲渡することなどを定めたものである。
これにより、ホテル建物の賃料、什器備品のリース料、賃貸6物件についてのマスターリース契約上の賃料などがすべてa5社に支払われることになるが、a5社は、平成4年11月にその所有に係る香港「hホテル」をa1社の債務返済のために売却したことによりa1社に対し約146億円の求償権を持っていたので、その弁済金として支払われるというものである。
上記各契約の実行として、平成6年4月4日、a5社の国内口座が開設され(弁21)、同月27日、「gホテル」の売上からa5社の上記口座に4月分(4月15日から同月30日まで)の賃料・リース料が振り込まれたほか(甲138)、同年5月20日付けで有限会社a6から旅館営業許可申請書が提出され、同年11月2日付けで同社の旅館営業許可がなされ(弁125)、さらに、税務署に対する給与支払事務所の届出もなされた(弁54)。ここにおいて、「cビル」や「dビル」に関するサブリースは実在するものとしてとらえられていたことがうかがわれる。しかし、A11税理士らから、a5社とa1社との資本上の密接な関係に照らし、a5社がa1社に求償権を持つということ、あるいは、a1社がa5社に求償債務の支払いをするということが税務上認められるかどうか難しい問題がある旨の指摘があったため(56回A1社長28丁、90回被告人23丁)、A1社長の判断で上記各契約の実行は中止されるに至り、そのほかに分社に伴う退職金支払いの問題も存在するということもあって、その後再び実行されることはなかった。
14  平成6年6月ころa1社が三井信託宛に作成提出した要綱素案 a1社は、平成6年6月ころ、被告人の主導により、「(有)a1およびそのグループの債務の返済及び整理について・・・要綱素案」を作成している(甲212)。上記要綱素案は、三井信託との間で債務の返済等に関する協定書を締結する基礎となったものであり、「(有)a1及び関連企業が負担している多大な債務につき、可能な範囲の資産を売却して整理し、a1社グループの基幹企業たるa1社を消滅させ、同グループを新たな企業体として蘇生させることを目的とする。」旨が記載されている。被告人は、同年7月5日に「要綱素案その2」を作成するなどし、その後も継続的に三井信託の代理人弁護士と交渉して、翌年の平成7年9月22日付け協定書の締結にこぎつけている。
15  三井信託との平成7年9月22日付け協定書
被告人は、平成6年6月以降、a1社グループの債務の返済、整理及び関連会社による再生を検討し(再建ノート、弁29)、メインバンクである三井信託と折衝を行い、同行に対する合計約290億円(平成7年9月当時)の債務の返済方法等を協議した。協議に際しては、a1社グループが海外に有しているtホテルなどの資産も考慮の対象となり、tホテルを処分して、gホテル、fマンションを残す案や、逆にtホテルは処分しないで、gホテルやfマンションを処分する案などが柔軟に検討された。その結果、a1社と三井信託は、平成7年9月22日、a1社の290億円の債務のうち、〈1〉65億円を返済し、これにより、三井信託はa1社グループが所有する海外資産に設定している抵当権等を解除すること、〈2〉gホテル及びfマンションの各担保解放金をそれぞれ35億円及び17億円とすること、〈3〉上記合計117億円を返済したときは、残債権を償却すること、〈4〉契約当事者は、上記2物件について第3者から差押え等の保全処分をされないための法律上可能な措置を講ずる義務を負うことなどを内容とする協定書を締結した(弁51)。また、同日付けで、同協定書締結に併せて、a1社は三井信託との間で念書及び確認書を交わした。これらの書面により、a1社は、a2社又は自らの指定する関連会社にgホテル及びfマンションの土地建物を譲渡し、譲渡先の会社において上記2物件の運営を行うことができる旨が確認された。
さらに、被告人は、同月25日ころ、a1社に対し、同社の金融機関に対する金利等の内入れを全面的に中止する、いわゆる「Xデー」を設ける旨の指導を行った(85回被告人32丁)。「Xデー」は、a1社が金利等の支払いを一斉に止めることで、抵当物件を各金融機関に代物弁済や競売等してもらう方向に導き、これによりa1社に対する各金融機関の債権を償却させるとともに、a1社を物件を持たない会社とし、ゆくゆくは整理・消滅させる趣旨で設けられた。そして、同案は実行されたものの、平成8年1月23日ころ、日住金の債権が住管機構に移管される話が出たことから、A1社長は、同機構から悪質債務者とみなされることをおそれて日住金に対する月100万円の利息内入れを開始し、その他、協住ローンにも月80万円の利息内入れをするなどしたことにより、a1社の整理はうやむやとなった。
なお、A1社長は、a1社グループが海外で所有する資産を売却するなどして前記の65億円を三井信託に弁済したが、gホテルとfマンションの担保解放金を準備できなかったので、三井信託は、平成9年8月下旬ころ、fマンションの競売を申し立てた。
16  賃貸人変更の措置の中止
平成8年5月27日、A1社長のよく知っている都内の不動産会社の社長が競売妨害事件で逮捕され、新聞等で世間に大きく報道された(甲315)。また、A1社長は、知人の不動産業者から、賃料振込先の変更などをしているととんでもないことになると忠告された。そこで、A1社長は、同年9月ころA4に指示し、賃料の振込先をa2社口座又はa4社口座から元のa1社名義の預金口座に戻した(甲95)。
17  退職金名下の会社資金の横領と多額の使途不明金
(1)  A5による会社資金の積み立て開始
ところで、a1社で経理を担当していたA5は、平成4年6月ころ、将来の自分たちに対する退職金等の支出に充てる目的で(7回A5・24丁)、A1社長に内緒でa1社の売上金の一部を積み立てることとし、同月2日、A6をして都民銀行本店にa1社名義の公表外口座を開設させ(10回A5・82丁)、現金の積み立てを開始した。A5は、税務申告のための正式な帳簿のほかに、a1社事務所に保管する帳簿を別途作成し、これを事務所内のA1社長の閲覧する場所に置いておき、同人に退職金の積立金の存在がわからないようにしていた。
(2)  a4社名義の積立口座の開設
その後、A5は「gホテル」の支配人であったA7に依頼して、平成5年11月26日及び同月29日、一勧信組目黒支店にa4社名義の2口座を開設し、gホテルの売上からそれぞれ500万円及び900万円を上記各口座に振り込ませた(甲142)。また、同年12月20日、都民銀行本店にa4社名義の口座を設け、賃貸人をa1社からa4社に変更した「jビル」などの各テナントからの賃料振込口座として使用した(甲133)。その他、平成6年10月7日及び平成7年8月22日にも、A6に依頼するなどして、都民銀行本店にa4社名義の口座を2つ開設した(7回A5・10丁)。
上記の各口座に入金された現金の一部は、a1社の固定資産税の支払いや債権者への弁済金に充てられるなどして、a1社の経費として費消されている。その一方で、同じく上記の各口座並びに本件各公訴事実に係るa2社口座及びa4社口座に入金された現金の一部は、平成8年1月16日に一勧信組目黒支店に開設された公表外口座(番号〈省略〉)に集約されている(甲146、甲5資料6-12)。A5は、平成6年10月ころから(7回A5・9丁)、月に1回程度、A4、A7及びA6と4人で昼食や夕食を一緒にとり、その席上、他の3人に対して元帳を見せつつ(7回A5・10丁)、「積立口座に現在これだけ現金が貯まっている。退職金の全部の計算には足りないが、ちゃんとやるから安心してください。」などと報告し(42回A4・5丁)、近くに人がいるときには、覚られないようにするために、メモ紙に数字を書いた上でこれを示し、「これだけ積んでいます。」と述べる方法により報告していた(同9丁)。
(3)  賃貸人変更の措置を中止した後の賃料振込口座
A4は、平成8年9月ころ、賃貸人変更の措置を中止し、a2社又はa4社に振り替えられていた賃料振込先をa1社に戻したが、その際、A4は、一部のテナントに対し、従来のa1社口座ではなく、新しい東京三菱銀行六本木支店のa1社名義の口座を指定し、同口座にテナントからの賃料を振り込ませた。同口座の出金状況をみると、帳簿上は水道光熱費等の名目による区切りのよい百万円単位の使途不明金の出金が複数回にわたり存する(46回A4・66丁、39回A5・68丁等)。
(4)  口座解約による2億1037万円の引き下ろしと分配
A5は、会社が倒産した場合に預金口座を全部差し押さえられることを警戒して(42回A4・4丁)、あるいは、a4社が刑事事件に巻き込まれそうであるが、これに巻き込まれると警察を通じて債権者なり税務署なりに現金を持って行かれてしまうと思い(77回A7・10丁)、平成9年1月8日、前記公表外口座(番号〈省略〉)を解約して現金2億1037万1894円を引き出した(甲146)。A5とA7は、上記現金をA7の個人名義で倉庫業者のトランクルーム内に保管した。そして、平成10年3月、a1社の従業員が同社を一斉退職するに際し、A5は、A1社長に内緒で、上記現金の中から退職金名目で、A4に対し約4900万円を、自己に対し約4000万円を、A7に対し約3000万円を、A6に対し約2000万円をそれぞれ分配して横領した(6回A5・29丁)。上記各分配金は、概ね当時の就業規則に則り計算された退職金の額に相当するが、そもそも同就業規則は、平成3年6月2日付けで、A1社長の了解なしに改定されたものであり、例えば、会社都合退職の場合の退職金の金額につき、これまで単に「月収×勤続年数」であったものが、「月収×勤続年数×4.5」に、定年退職の場合の退職金の金額についても、「月収×勤続年数」が「月収×勤続年数×3.5」にそれぞれ改定されていた(弁171、172)。
その他、A5は、独断で、従業員のA9に1400万円(6回A5・53丁、同88丁、34回A5・46丁)、A12に300万円、A13に300万円(34回A5・46丁)、A14に200万円(35回A5・79丁、36回A5・67丁)を渡したほか、gホテルのアルバイト22人にも合計1100万円(1人当たり50万円)を支給するなどしたと述べている(35回A5・79丁)。しかし、その支払原資についてのA5の供述は曖昧である。また、アルバイトについてはそもそも退職金を支給する必要がないものであった。
一方、A1社長は、平成10年3月末、A4、A5、A7らの退職慰労パーティーを中国料理店で開き、その席で、退職金を「月収×勤続年数×1.5」で計算するなら納得できるとして、A4に対しては約2000万円、A5に対しては約1400万円、A7に対しては約1000万円、A6に対しては約750万円を、小切手で、ねぎらいの言葉をかけながら一人一人に手渡し(6回A5・29丁、53回A1社長93丁、53回A1社長尋問資料1-65丁)、A5らは一旦これを受け取った。しかし、A5は退職金の二重取りになるとしてA4らからこれらを回収し、a1社の固定資産税の支払い等に充てた(6回A・530丁)。
(5)  A4による退職金の追加としての600万円の詐取
A4は、退職後の平成10年4月末ころ、A1社長を訪れ、先にA5から約4900万円の現金を受け取ったことはこれを秘匿し、上記のように約2000万円を小切手で受け取ったことを前提として、「退職金をもう少し何とかなりませんか」と懇願して、A1社長から額面600万円の小切手を受け取った(42回A4・20丁、53回A1社長94丁)。
(6)  退職金以外の使途不明金
A5は、上記の退職金名下の会社資金の積み立てのほかに、銀行口座からの出金につき、帳簿上は、債権者に元利金を支払ったことになっているが、実際上は、支払われていないとか、帳簿上、同じ日に支払ったとされる水道料金と電気料金とを合計すると100万円とか200万円とかのラウンド数字になるといったような、真実を反映しない経理処理をしていた(39回A5・68丁)。また、A5は、使途不明金に対応する帳簿の部分について、年度ごとに勘定科目のコードや標題等を変更して金の流れを把握できないようにするという操作もしている(8回A5・31丁)。使途不明金の額は多額であり、弁護人の試算では、合計3億2753万3478円に上っており(弁論要旨別冊資料5-9)、A5は、現金はA1社長が持って行った、帳簿の記載はA1社長に対する仮払いを消すための処理をしたためにそうなったなどと説明している。しかしながら、例えば平成9年6月17日のa1社の振替伝票をみると、電気料、水道料を足すと50万円ちょうどに、同月24日の振替伝票をみると、電気料、水道料を足すと100万円ちょうどになるが(甲164)、A1社長は同月10日から同月27日までシンガポールに渡航しており、その説明が不合理であることは明らかである(甲151、39回A5・70丁)。
(7)  A5らの証拠隠滅工作
A5は、A1社長が逮捕された日(平成10年10月19日)、a1社の当時の顧問税理士であったA11税理士に対し、a1社では正式なデータ(税務署提出用のもの)に改ざんを加えたものしか保管してないので、A11税理士保管の正式なデータが欲しいと頼み、翌20日の早朝、A11税理士は上記依頼に応じて自分で保管していたデータをフロッピーに入れてa1社のA5の後任の経理担当者であるA15にこれを渡し、A15においてこれを使ってa1社保管の3期分の帳簿のデータを変更した(72回A11・64丁)。
なお、A11税理士は、A5から逐次帳簿の記載方法等について相談を受けていたところ、その中で、A5らが退職金の引当名目でa1社に帰属する現金をA1社長に内緒で貯蓄していたことをA5から聞いて知っていたが(72回A11・15丁)、A5に対して簿外に金を出すなと言っただけで、A1社長にはこのことを秘匿していた。また、A11税理士は、平成10年3月にA5らがA1社長に内緒で約2億円の積み立て金の中から退職金名目で現金を取得したことを知ったが、これを黙認した(同42丁)。
(8)  まとめ
以上のようにして、A5はa1社の経理を掌握し、自分達の退職金の支払いに充てる目的でa1社の売上、すなわち、gホテルの売上金や各賃貸物件のテナントからの賃料収入等を公表外の口座に積み立て、平成10年3月に退職する際に、A5、A4、A7、A6の4名でこれを分配してa1社から多額の現金を横領していた。また、a1社の経理については、上記の退職金の積み立ての問題のほかにも多額の使途不明金があるという問題があるところ、A5は、この問題についても深く関わっていることがうかがわれるのである。
18  捜査経過・起訴不起訴・その後の経過
(1)  捜査の端緒
平成8年7月、経営破綻した住宅金融専門会社(旧住専)に代わるものとして住管機構が設立された(甲11、12)。住管機構は、日住金から153億円の、住総から35億円のそれぞれa1社に対する債権の移管を受け(甲6ないし10)、以降、a1社との間で回収についての交渉が行われた。
平成9年2月、住管機構に所属する弁護士の下へ、A1社長が国内資産を処分してシンガポールへ逃亡する旨の情報が寄せられた(甲5)。これを契機として、住管機構及び預金保険機構により、a1社及び同社の関連会社の銀行口座の調査、関係者に対する事情聴取等が行われた。その結果、預金保険機構は、平成9年12月25日までに、2億1037万円の現金がa4社名義の一勧信組目黒支店の公表外口座から引き出されて使途不明金となっていることや(甲5資料6、甲127)、「dビル」の各テナントに対する賃貸人がa1社からa4社に変更されて、賃料がa4社口座に振り込まれていることなどを把握し、A1社長らに対し強制執行妨害(賃料債権の隠匿)の嫌疑を持つに至った。
(2)  住管機構による告発
住管機構は、A1社長及びA2の両名を、同年10月15日にはa4社に関する強制執行妨害の嫌疑で(甲2)、同年11月6日にはa2社に関する同様の嫌疑で(甲3)、それぞれ告発した。
(3)  関係者の逮捕・勾留・起訴不起訴並びにその供述経過(※4)
※4 捜査段階における関係者の供述調書の作成状況については、弁護人作成の「検察官の証拠調請求に対する意見書」(2002年11月26日付け)の22ないし24頁参照。A1社長については、さらに同9及び10頁参照。
(ア) A1社長及びA2の逮捕・勾留・起訴並びに同人らの供述経過
〈1〉 A1社長及びA2の逮捕・勾留・起訴
A1社長及びA2は、海外出張中の平成10年10月15日ころ、警視庁から、出頭要請を受けたため、同月18日に帰国し、翌19日に警視庁に出頭したところ、同日、a4社関係(公訴事実第2)の事実で逮捕された(第1次逮捕)。そして、A1社長及びA2は、同年11月9日、同事実で起訴されるとともに、今度はa2社関係(公訴事実第1)の事実で再逮捕され(第2次逮捕)、同月30日に同事実で追起訴された(甲94)。
〈2〉 A1社長の供述経過
A1社長は、第1次逮捕の当初、10月19日付けの警察官に対する弁解録取書では、「結果的には事実であることに間違いありません」と供述し(54回A1社長11丁)、10月21日付けの検察官に対する弁解録取書(弁252)では、事実に間違いがあるなしの記載はなく、「今事実を読んでいただきましたが、a4社の口座に入金されたテナントからの賃料等はa1社の方に戻し、社員の給料等を始めとするa1社の経費としてほとんど使っており、私が個人的に使ったものはありません。当初a4社の方に社員を移そうと思っていたのですが、退職金の問題が暗礁に上り、結局社員をa4社に移さなかったので、a4社の口座に入金された賃料等をa1社に還元したのでした。」と供述している。
その後、勾留質問時から黙秘に転じ(弁253)、第2次逮捕まで黙秘した。もっとも、この間、黙秘を貫いたわけではなく、途中の10月26日には警察官調書の作成に応じており、しかもその内容は結果的にはといった前置きもない、すんなりと被疑事実を認めるものとなっている(54回A1社長21丁)。
しかし、11月9日の第2次逮捕後は、同日付けの警察官に対する弁解録取書ですんなりと被疑事実を認めたのを皮切りに、犯罪事実を認める供述をしており、甲92(11月17日付け)ないし96の5通の検察官調書では、明確に自己の刑事責任及び被告人の犯行指示を認める供述を行っている。もっとも、第2次逮捕後ではあるが、11月11日付け検察官調書(弁256)では、「新会社を作ってa1社の社員を移すという構想については、a1社の債権者には一言も説明していませんでした。ですから、今回の事件が強制執行妨害目的であると言われても仕方がないと思っています。」と供述しており、「強制執行妨害の目的は本当はなかった。しかし、構想についてこれを予め債権者に説明していない以上、そのような弁解は許されないとのことです。そうであれば、強制執行妨害目的であると言われても仕方ないと思います。」との考えが背後に伏在していることがうかがわれる。また、上記5通のうちの甲94ないし96の3通の検察官調書は、11月30日に第2次起訴がなされて以降、12月22日にA1社長の裁判の第1回公判期日が開かれるまでの間に作成されたものであり、甲94については、第1回公判期日の10日前、甲95については6日前、甲96については僅か2日前に作成されたものである(なお、甲94が作成された12月12日にA1社長は被告人の紹介で付けた弁護人を解任している。)。
そして、第1審公判では公訴事実をすべて認め、平成11年5月17日、執行猶予付きの判決を受けた。しかし、同判決に対し控訴を申し立て(53回A1社長12丁)、控訴審では、強制執行免税目的を否認し、被告人の犯行指示についても否認している。
なお、A1社長は、逮捕された当初、警察官から「2億1000万円の現金をどこにやった。」と聞かれている(54回A1社長15丁)。
〈3〉 A2の供述経過
A2は、捜査段階において、上申書を作成して一時的に事実を認めたことはあったが、基本的には事実を否認し、A1社長と併合審理された自己の第1審公判でも、検察官から請求のあった書証について証拠とすることに同意こそしたが、公訴事実はこれを否認した。そして、執行猶予付きながら有罪の判決を受けたため、A1社長とともに事実誤認を主張して控訴した。
(イ) A3の逮捕・勾留・不起訴並びにその供述経過
A3は、平成10年10月16日及び18日、警視庁の事情聴取を受け、A1社長らと同じ同月19日に同じa4社関係の事実で逮捕され(第1次逮捕。33回A3・15丁)、さらに、11月9日、やはりA1社長らと同じ日に同じa2社関係の事実で再逮捕された(第2次逮捕)が、同月30日に釈放され、最終的には起訴猶予処分となった。
A3は当初より被疑事実を全面的に認め、被告人の犯行指示についても認める供述をしている。
なお、A3が本件当時にa1社関連の出来事等を逐一メモしていた再建ノート等の証拠物については、同年11月7日(一部は11月8日)に押収されている(甲180ないし190)。
(ウ) A4の逮捕・勾留・不起訴並びにその供述経過
A4は、平成10年10月16日、警察に出頭して上申書を作成し(甲266・弁94)、A1社長らと同じ同月19日に同じa4社関係の事実で逮捕された(第1次逮捕)。また、同年11月9日、やはりA1社長らと同じ日に同じa2社関係の事実で再逮捕された(第2次逮捕。甲280・弁107)。同月30日に釈放され、最終的には起訴猶予処分となった。
A4は、当初からいずれの被疑事実も間違いない旨述べ、事実を認める調書に署名しており、A3のメモである再建ノートの押収後は同メモの記載に沿った供述をしている。
(エ) 被告人の逮捕・勾留・起訴及び供述経過
被告人は、平成10年10月25日及び同月31日、警察官の事情聴取を受け、同年11月28日には検察官の事情聴取を受けた。各事情聴取の際の実情について被告人は次のように述べている。すなわち、警察官の事情聴取の際には、被告人は予めA1社長らの弁護人から事実関係については話さないようにと要請されていた(86回被告人94丁)ことから、1回目は事実関係について説明せず、2回目は、本件の捜査担当ではないと目される警察官が応対して予め用意した質問の項を読み上げてきたので、事情を聞いてくれるように申し入れると、上記の質問に答えないのであれば帰ってくれといわれて、結局、実質的な事情聴取がなされるには至らず、また、検察官の事情聴取の際には、当時A1社長らが既に起訴されていたことから、被告人においては、事実を作り上げて起訴する相手と話しても仕方がないとの考えから黙秘した(同105丁)と述べている。
被告人は、A1社長及びA2の両名についての追起訴の後の平成10年12月6日、a2社関係及びa4社関係の本件両事実で逮捕され、同月25日に本件両事実で起訴された。なお、住管機構は、逮捕翌日の同月7日に被告人を本件両事実の嫌疑で告発している(甲1)。
逮捕・勾留中の被告人の供述経過については証拠上明らかではないが、平成10年12月24日付けで検察官調書1通(乙1)が作成されている。
(オ) A5の取調べ状況及び供述経過
A5は、平成10年10月20日、11月2日、同月3日から5日、同月10日から17日及び同月25日には警察官から、平成11年2月4日には検察官から、それぞれa1社の経理状況等に関する事情聴取を受け、数通の調書が作成されている(甲74ないし79)。
なお、警察は、A1社長らの逮捕の翌日である平成10年10月20日のA5に対する事情聴取の際、A5から、同人ほか3名がA1社長には内緒で会社の資金2億1037万円を分配して多額の裏退職金を取得したことを告げられ、その事実を把握した(6回A531丁)。
19  時系列表
上記の客観的な事実経緯について時系列表を作成すると、以下のとおりである。なお、時系列表には第5以下で論述する事実についてもあわせて記載してある。また、「打合せ」は、被告人とa1社関係者との間の被告人の事務所での打合せを示す。
昭和41年11月   a1社設立
平成元年9月   三井信託によるa1社に対する新債支援の開始
10月   A8公認会計士らによるa1社再建計画の検討
平成2年3月   政府による総量規制
平成3年6月2日 A1社長に無断でのa1社の就業規則の「改定」
10月   三井信託による新債支援の打ち切り
各金融機関に対する利息内入れの一斉中止
三井信託からの海外2物件の売却要求
11月13日 三井建設宛に振り出した6億円の小切手の不渡り
12月   被告人への海外2物件の売却交渉の依頼
平成4年4月   海外2物件の売却交渉の本格化
5月   各金融機関に対する利息等の一部の内入れ再開
6月2日 A5による公表外口座での退職金の積立開始
6月10日 有限会社a6の設立
11月   海外2物件の売却交渉の完了
11月12日 打合せ(国内対策第1回)
11月18日 打合せ(チャート図作成)
11月25日 打合せ(物件視察)
12月10日 打合せ(fマンションの改装)
12月17日 打合せ(企業すべし!)
12月29日ころ A2の被告人事務所来訪(クーデター計画)
平成5年1月8日 A2の被告人事務所来訪(クーデター挫折の報告)
1月19日 日興キャピタルとの交渉
1月25日 打合せ(a2社関連)
1月27日 a2社の発足(商号変更)
2月4日 住商リースとの交渉
2月12日 三和ビジネスとの交渉打合せ
2月15日 日興キャピタルとの交渉
2月16日 三和ビジネスの催告書のa1社への到達
被告人の事務所へのファックス送信
被告人からA3への電話での指示「手段とりつける」
第一生命「打つ手なし」
a1社の社内会議で国内賃貸2物件の海外投資家への売却打診を決定
A3がA8公認会計士に相談
2月19日 打合せ(検察官主張の「2月謀議」)
2月23日 A1社長・香港へ渡航
2月24日 a2社口座の開設
このころ A2によるA11税理士に対するa4社の設立依頼
3月1日 打合せ(「gホテルも早く」、「fマンション改装資算5オク」)
3月3日 三和ビジネスとの交渉、A2によるテープ録音
3月5日ころ 「cビル」、「eマンション」の各テナントに対する「賃貸人変更のお知らせ」の発送
3月下旬 テナント賃料のa2社口座への振込開始
6月1日 a4社の発足(設立登記)
6月15日 a4社の資本金の全額引出し
10月29日 三和ビジネス申立てに係る「eマンション」の競売開始決定
11月3日 三和ビジネス申立てに係る「eマンション」の賃料債権差押命令のA4宅への送達
11月4日 打合せ(検察官主張の「11月謀議」)
11月5日 a4社口座の開設
11月9日ころ 「dビル」のテナントに対する「賃貸人変更のお知らせ」の発送
11月11日 被告人とfマンション借家人組合の会合
11月15日 被告人とfマンション借家人組合の会合
11月26日 A5らによるa4社名義の銀行口座の開設
11月29日 A5らによるa4社名義の銀行口座の開設
11月ころ 「jビル」、「rビル」、「kビル」の各テナントに対する「賃貸人変更のお知らせ」の発送
11月下旬 テナント賃料のa4社口座への振込開始
12月20日 A5らによるa4社名義の銀行口座の開設
平成6年3月ころ 「sビル」、「lビル」、「mビル」の各テナントに対する「賃貸人変更のお知らせ」の発送
4月15日 10通の契約書の締結
7月ころ 「nビル」のテナントに対する「賃貸人変更のお知らせ」の発送
10月7日 A5らによるa4社名義の銀行口座の開設
11月24日 日興キャピタル申立てに係る「kビル」の賃料債権差押命令
平成7年8月22日 A5らによるa4社名義の銀行口座の開設
9月ころ 「oビル」のテナントに対する「賃貸人変更のお知らせ」の発送
9月22日 三井信託との協定書の締結
9月25日 打合せ(Xデー)
平成8年1月16日 A5らによるa4社名義の銀行口座の開設
5月27日 桃源社社長逮捕の報道
7月   住管機構の設立
9月ころ A1社長による賃貸人変更の措置中止の指示
平成9年1月8日 A5らによるa4社名義銀行口座解約・2億1037万円の引き下ろし・トランクルームへ保管替え
2月ころ 住管機構にA1社長国外逃亡のおそれありとの情報
12月ころ 預金保険機構において2億1037万円の現金がa4社名義の一勧信組目黒支店の銀行口座から引き出されて使途不明金となっていることを把握
平成10年3月末 A5、A4、A7、A6のa1社退職、A1社長公認の退職金を返還し、隠匿金を分配して多額の裏退職金を取得(横領)
4月末ころ A4がA1社長から退職金の上乗せとして600万円を取得
10月15日 住管機構がa4社関係の事実でA1社長とA2の2人を告発
10月19日 A1社長、A2、A3、A4の第1次逮捕(a4社関係)
10月20日 A5の依頼によりA11税理士がa1社の会計データを改ざん
A5が捜査機関に約2億1000万円の横領を告白
10月25日 被告人に対する警察の事情聴取
10月31日 被告人に対する警察の事情聴取
11月6日 住管機構がa2社関係の事実でA1社長とA2の2人を告発
11月7日 捜査機関によるA3の「再建ノート」等の押収
11月9日 A1社長とA2の2人をa4社関係の事実で起訴
A1社長、A2、A3、A4の第2次逮捕(a2社関係)
11月28日 被告人に対する検察庁の事情聴取
11月30日 A1社長とA2の2人をa2社関係の事実で追起訴
12月6日 被告人の逮捕
12月7日 住管機構が被告人をa2社関係及びa4社関係の各事実で告発
12月22日 A1社長とA2の2人に対する第一審第1回公判
12月24日 被告人の検察官調書(乙1)作成
12月25日 被告人をa2社関係及びa4社関係の各事実で起訴
平成11年5月17日 A1社長とA2の2人に対する第一審判決(執行猶予)
平成14年12月6日 A1社長とA2の2人に対する控訴審判決(控訴棄却)
第5  被告人の主張に係る「実体ある分社サブリース構想」の実在
1  問題の所在と検察官の主張
被告人が主張する「実体ある分社サブリース構想」について、これは果たして実在のものであるのか、それとも執行逃れの行為を正当化しようとして事後的に案出された方便にすぎないものであるのかがここでの問題である。実在したということになれば、本件各公訴事実の不存在をうかがわせる重要な間接事実ということができよう。なぜならば、本件各公訴事実はサブリースが仮想のものであることをその内容としており、サブリースの実在性とは相入れないからである。この点に関し、検察官は、被告人の主張に係る「実在ある分社サブリース構想」について、以下のような事情を指摘してその実在性について疑問を提起している。すなわち、〈1〉 被告人の主張する「分社サブリース構想」は、a1社の財政状況では賃料保証をすることができるだけの資金的裏付けを持ったサブリース会社を設立できる見込みがないことや、競売により物件が処分されればサブリース会社の存続は事実上不可能となることなどに照らせば、有効な再建策足り得ない、〈2〉 平成4年11月18日の打合せの際に被告人が作成したチャート図は、間に第3者を入れる方法を分かりやすく図に書いたものであり、強制執行妨害策の指南図である、〈3〉 再建ノートの平成4年11月12日欄には、同日の「国内対策第1回」と称される打合せの際、被告人が、a1社関係者に対し、抵当権を実行しずらいようにするために権利関係を複雑にする、賃料債権の差押えを免れるために間に第3者を入れる、などと述べて強制執行妨害策を指南したことをうかがわせる記載がある、というのである。そこで、以下、検討する。
2  典型的サブリースと分社サブリース
一般に、サブリースとは、ビル所有者からビルを一括して借り上げた上、ビル所有者の包括的承諾のもとに、自らの計算でこれを個々の賃借人に転貸する旨の契約関係をいい、ビル所有者からビルを一括して借り上げて個々の賃借人に転貸する者を「サブリース業者」、サブリース業者から転借する者を「エンドテナント」、ビル所有者とサブリース業者との間の契約を「マスターリース契約」、サブリース業者とエンドテナントとの間の契約を「サブリース契約」とそれぞれ呼ぶ。そして、サブリースの特徴については、サブリース業者は、賃貸建物の管理にとどまらず、自らの計算で賃貸(転貸)することに経済的に大きな意味があると言われている。すなわち、ビル所有者には、エンドテナントの変動にかかわらずサブリース業者から一定の賃料を受け取ることができるというメリット(「賃料保証」と呼ばれる。)があり、他方、サブリース業者には、サブリース賃料は通常の賃料より低めに設定される関係で、エンドテナントを確保して空室が生じないようにすれば利益を得ることができるというメリットがあり、上記の各メリットが折り合うとき、サブリースが成立するわけである(論告65丁、甲314、弁74)。
ところで、サブリース業者において、いまだテナントの入っていない、通常は新しく建設したビルにつき、まずはビル所有者との間でマスターリース契約を締結し、その上でエンドテナントを募集し、応募してきたエンドテナントとの間でサブリース契約を締結し、これによってサブリースが成立するというのが典型的なサブリースの成り立ちであろう。しかるに、本件において被告人が主張するところのサブリースはビル所有者とテナントの間ですでに賃貸借関係が成立しているところに、サブリース会社が間に割って入るというものであり、その成り立ちにおいて典型的なサブリースと異なっており、被告人は、これを「分社サブリース」と名付けているところ、このような「分社サブリース」が、刑法的にみて合法とされる態様において、すなわち、実体のあるものとして、どの程度世上一般に行われているかは不明であるが、検察官が指摘する賃料保証の実効性や競売が実施された場合の存続可能性については、相手方のあることであるから当該相手方の対応如何で違ってくるわけである。したがって、「分社サブリース」であるということだけで、賃料保証の実効性がなく競売が実施された場合の存続の可能性もないからおよそ実体のあるサブリースとしては実在し得ないなどと決めつけることができないことはいうまでもない。
そこで、問題は、被告人が当審公判において主張する「実体のある分社サブリース構想」がいついかなる時期にどのような態様のものとして実在したのかしなかったのかである。本件各犯行の前後を通じて「実体のある分社サブリース構想」が一貫して存在したということであれば、被告人の本件各犯行への関与は極めて疑わしいものとなってくる。
3  「実体ある分社サブリース構想」の実在をいう被告人の供述
被告人は、平成4年11月ころに、実体のある、社員の移籍を伴うものとしての「分社サブリース構想」をA1社長らに対して提案したこと等について、次のように供述している。
(1)  被告人の平成10年12月4日付け検察官調書(乙1)
「平成4年11月ころに三井信託との話がとりあえず纏まったため、そのころA1社長から、今度は国内でもどのようにa1社の経営を続けていけば良いのか相談に乗ってくださいなどと頼まれ、そのころからa1社の国内対策について相談することになりました。A1社長から相談をもちかけられたことは、具体的には、a1社は多額の資産・負債を抱えて、景気の好転も望めない中で、具体的にどのような経営指針等をとればa1社という会社ないしa1社の関連会社を含めたa1社のグループ全体として生き続けることができるかということでした。そこで私はa1社の状況についてとりあえず把握するため、a1社の債権者、借入金額等について説明を受けました。その結果私は、a1社が所有している資産の価格そのものが下落してゆく状況の中で、a1社は多額の債務を抱えているため、そのままではいずれ将来経営が破綻せざるを得ないと思いました。そのため、a1社の賃貸部門を分離独立して、ここに従業員等を移転して、この会社でa1社・グループを生き残らせ、a1社の本体は時期を見て資産を売却して債務を返済して消滅させていくという基本方針を打ち立てました。言い換えますと、a1社を不動産を所有する会社から占有する会社へ移管し、不動産を占有する会社が新しい事業を展開して消滅するa1社に成り代わって新a1社となるという方針を打ち立てたのです。具体的な手順としては、a1社が所有する物件を新会社に一括賃貸して、従来のテナントに対する賃貸人の地位を新会社に譲渡すること、新会社はa1社に対してテナントから受ける賃料のうち、1つの目安として6割を支払って、残りの4割で物件管理、a1社から受け入れる従業員の経費、新規事業の事業費等に充てることを提案し、さらにそれに加えて、もう1つの新会社がa1社の持っている動産・設備を譲り受け、これを先ほどのa1社から一括賃貸を受ける会社等にリースして物件リース会社としても生き残っていくこと等を提案し、A1社長もこれに納得したのです。なお、このとき私は、A1社長らに図示するなどして十分に説明し、納得してもらっています。私がこのような基本方針を提案しA1社長の同意を得て決定されたのは、国内対策についての議論が行われるようになった平成4年11月ころ以後のことであり、少なくとも平成4年の年内には具体的な手順、段取りを私が説明して、A1社長らもこれを納得し、いつでも実行に移せるような状況になっていました。具体的な手順、段取りと言いますのは、第1に新会社の陣容等を決めて人事配置等の準備をすること、第2に新会社とa1社との間で不動産ごとの一括賃貸借契約を結ぶこと、第3に賃貸人の地位の譲渡についてテナントの承諾を得ること、第4にa1社とテナントとの間の旧賃貸借契約の貸し主の表示を新会社に書き換えることです。おそらくこのときにテナントへの通知と承諾を得る書面のサンプルをa1社側に渡したと思います。」
(2)  被告人の平成12年7月13日付け更新意見書
「私がa1社に提案したのは、a1社の再建策であり、a1社グループの生き残り策であって、決して、強制執行妨害行為ではありません。再建策の1つが、本件で問題とされているサブリースであって、賃貸物件を新会社に一括賃貸して賃貸事業部門を分離独立させることであり、もう1つが、ホテルを新会社に賃貸することによってホテル事業部門を分離独立させることでした。そしてそれは、経営の基盤を所有から占有に切り換えるもの、つまり、多大の資本を投下して不動産を所有しその値上がりを期待するのではなく、不動産を賃借しこれを現実に運用して生活の糧を得ること、投機的ではない地に着いた事業への転換を提言したのです。具体的には、dビルのサブリース、fマンションの改装とサブリース、そして、gホテルの賃貸とホテル事業部門の独立でした。サブリースを行っていくためには、場所的にも規模的にも競争力のあるものでなければなりませんし、また、抵当権者である債権者との関係は、平穏で安定していなければなりません。私が、dビルを選んだのは、建物も新しくa1社のビルとしては一番大きな事務所ビルであり、将来、近くに地下鉄南北線の駅ができる計画があり、努力と工夫次第で収益を伸ばすことが期待できる物件だったからです。また、抵当権者である日住金とは友好的で安定した関係にありました。fマンションは、場所的に目黒駅の直ぐ近くという絶好の場所にあり、老朽化しているとはいえ規模も大きく、グレードも高いにもかかわらず、保証マンション方式の居住者からは管理料しか受領できておらず、しかもそのほかに多くの空き家がありましたから、改装し、保証マンション問題を解決してこれを賃貸借に切り換え、空き室を新たに賃貸するなどによって確実に収入を増大させることが可能でしたし、抵当権者である三井信託銀行とは、香港のホテル等の売却により、安定した関係が確立できたばかりでした。これらのことから、私は、この2物件のサブリースとその収益(サブリース料としてa1社に支払う賃料とテナントに転貸することによって得られる賃料との差額)による生き残りを提言したのです。また、gホテルは、現金収入のある大切な事業であり、これも営業努力によって収益を増大させ、a1社に支払う賃料を超える収益を上げることが可能でした。これらのことは、私がA2さんの案内を受けて、実際に物件を見て回り、付近の様子を実査して得た判断に基づくものでした。バブル経済の崩壊により、a1社は、近い将来、経営が破綻し、いずれ従業員が職を失い路頭に迷うことは確実でした。私の提言は、従来の会社に止まり、従来どおりの経営基盤に依拠して破綻を迎えるのではなく、a1社から賃貸事業部門とホテル事業部門を切り離して新会社とし、そこに従業員が移籍して生きていく一方で、a1社を債務と資産だけの会社にし、やがては消滅させていくことであったのです。」(2頁から5頁)
(3)  被告人質問における供述
被告人は、以上のほか、全11回に及ぶ被告人質問の際も、本件の周辺部分の事実関係を詳細に説明しながら、上記と同じ内容の供述を維持し、さらに補充している。
4  「実体のある分社サブリース構想」の実在を示す証拠
本件証拠を精査すると、被告人が「実体のある分社サブリース構想」を本気で考え、これをa1社関係者に説明していたことを示す証拠が少なからず存在する。以下、時系列にしたがって説明する。
(1)  再建ノートの平成4年4月24日欄の記載
A3の平成4年4月24日欄の再建ノートには「管理会社(40%収入)入れて収入確保する。」の記載がある。また、同月28日の業務日誌には、「A8氏・管理会社はサク意的、不明朗ととられる公算が大きいのでは?」と記載されている。さらに、同年5月1日の再建ノートにも「管理会社は問題あり、ホテルのみ。(サ外行為…)」と記載されている。
以上によれば、平成4年4月から既に、被告人はa1社関係者に対し、賃料中から収入に充てる割合につき、40パーセントという数字を掲げながら、テナントビルを管理する会社を立ち上げる案を話していたことがうかがわれ、ここに「分社サブリース構想」の萌芽を見出すことができる。そして、この話を受けて、A3がA8公認会計士に管理会社についての相談をしていること、しかし、詐害的との意見が出て、結局は採用されなかったことがうかがわれる。
なお、賃貸物件ではないが、毎月の粗利益が約2000万円に上り、a1社の有力な収入源であった「gホテル」については、同年6月10日、A1社長の甥のA16を代表者とする有限会社a6が設立された。この点は、上記の「管理会社は問題あり、ホテルのみ。(サ外行為…)」とある点に関するものと思われる。もっとも、いろいろな事情から、同社はこのときは活用されるまでには至らなかった。しかし、同社の設立が実際になされたことは、被告人の上記の管理会社案がそのころすでに出されていたことを客観的に裏付けるものである。
(2)  平成4年11月18日のチャート図(チャート図は「実体ある分社サブリース構想の説明図」か、それとも、「強制執行妨害策の指南図」か)
海外物件の売却が一段落し、国内対策が始まった平成4年11月18日、被告人は、A1社長らとの打合せの際にチャート図を作成した(弁62)。同チャート図には、〈1〉として、S1(a1社を意味する。)、S2(a1社の関連会社を意味する。)、E(エンドテナントを意味する。)などの記号が用いられ、Eからの100の賃料をS2に40、S1に60の割合にそれぞれ配分する趣旨の記載がされており、テナントに対する賃貸人の地位を関連会社に移転し、関連会社が目安として賃料の約4割を取得する旨の構想(分社サブリース構想)の説明がなされていたことが認められる。また、被告人は、その下に、〈1〉’として、a1社の備品をS3(a1社の関連会社を意味する。)に譲渡し、これをS1又はS2にリースし(なお、80回被告人27丁参照。)、これに伴い、S2がS1に支払う60の賃料を50に減額する旨の記載をして、別会社を用いた動産のリースの説明を行っている。そして、〈1〉の右横には、「占有権として残る一人で占有」と、〈1〉’の右横には、「第3者の備品占有一物で占有」と、両者を対比させる形で標語的な記載があるのであって、被告人が上記の言葉を用いてその構想内容をa1社社員に説明していたことが認められる。
もっとも、同チャート図には、S1とS2との間に債権者からの差押えを示す矢印が記載されるとともに、「差押対策」との言葉も書かれている。検察官は、これらの各記載及び本チャート図作成の6日前(11月12日)の「国内対策第1回」の打合せについての再建ノートの記載(「3 対策のおゝよそ」)を根拠として、前述したように、本チャート図は、差押えを意識して作成されたものであり、強制執行妨害指南図であると主張する。「対策のおゝよそ」については後に別途検討することとし、ここでは、矢印と差押対策の各記載について検討するに、矢印は、これ自体をもって債権者から賃料債権の差押えを免れる説明がなされたとみることはできず、被告人が述べるように、同矢印は、「債権者がS2からエンドテナントへの賃料債権を差し押さえた場合は、テナントは保証金が返還されない恐れがあることを理由として賃料を支払わないことが多く、また、新規のテナントに敬遠されて空室が多くなり、結局、差し押さえるべき賃料債権が消えていくことが多いのです。そして、さらにこの場合には、差押によってビルの収入を全部奪ってしまうことになりますから、ビルを維持・管理する従業員の給与の原資さえも奪ってしまうことになり、結局、ビルは維持・管理する者のいないまま放置され、担保価値そのものを低減させてしまうという重大なデメリットが生じます。これに比べ、S1のS2に対する一括の賃料債権を差し押さえた場合には、各エンドテナントごとに差し押さえて取り立てる手間が省け、またテナントの移動による再差押の必要もなく、もちろん空室が生じたとしてもこれに関係なく差し押さえることができるようになるというメリットがあります。ですから、債権者に、このメリットに着目してもらって、万一、債権者が差押えるような事態に立ち至った場合には、S1のS2に対する一括の賃料債権の方を差し押さえてもらおうというもの(平成13年4月24日付け更新意見書34頁)」である。すなわち、a1社関係者に対し、債権者からの差押えをマスターリース債権に誘導することを説明し、差押えがあっても差押えと調和してやっていけることを説明したものである(80回被告人29丁)というのであって、十分に合理性のある弁解というべきである。そして、差押対策の語についても、差押えをされることを意識して作成したものではなく、「分社サブリース構想」を説明しているときにA3から差押えの効力はあるのかとの質問があったので差押えの話になったというのにすぎず、それゆえ、まとめとして、「1) 占有権として残る-人で占有」のあとに、2)として、「差押対策」と書いた(80回被告人30丁)というのであり、この弁解も合理的である。そして、この、「占有権として残る」、という記載からは、a1社からの人員の移籍を前提としたS2等による再建、生き残りの案を説明したとみるのが合理的である。その他、このチャート図は、a1社保有不動産賃貸明細等の3枚綴りの資料の裏に記載されたものであるところ、表に記載されている物件の番号のいくつかに丸印が付されていて、サブリースになじむものを選別した様子がうかがえること、さらに、一週間後には物件を実査しており(いわゆる「物件視察」)、同様にサブリースになじむものか否かの厳密な選別を行っていることがうかがわれることなども併せ考慮すると、本チャート図は、「実体ある分社サブリース構想」の説明図であり、「強制執行妨害策の指南図」ではないというべきである。
(3)  再建ノートに記載の「物件視察」(平成4年11月25日)
平成4年11月25日、被告人は、A2とともに、a1社の国内所有物件の中でも優良物件とされている複数物件の視察を行い、着目した物件を物件一覧表に再チェックしており(1、2枚目表の手書きの記載。弁62、80回被告人58丁)、被告人の述べるとおり、物件のグレード、設備、収入規模や地理的環境等にも着目して、分社サブリース構想に沿う物件選定を行うための行動をとっているものと認められ、もし強制執行妨害のためであれば、a1社の優良物件のいくつかを、実際に視察までするか、はなはだ疑問である。そして、このような物件視察は、そのころ被告人らがa1社従業員の生き残りを検討していた時期であったことも併せ考えると、単にa1社の現状を把握するためのものではなく、むしろ、上記のとおりa1社の再建を模索し、a1社の経営の基軸となる競争力のある物件を調査するためにそのような行動に出たとみるのが合理的である。
(4)  fマンションの改装に向けた一連の動き
平成4年12月10日ころ、a1社は「fマンション」を別会社で改装し、賃料等収入を同物件の根抵当権者である三井信託に内入れしようとし、同行から同物件を改装して活用する許可を受けた上、このころ、同物件を約8億6000万円で改装する見積もりをとる(弁64)などした。「fマンション」は、保証マンション形式(テナントは入居時に分譲金に近い保証金を支払い、賃料を支払う義務はないが、所有者はあくまでa1社であるという契約形式。)がとられ、a1社はテナントから賃料を得ることができず、また、改装工事を誰がするかに関する借家人組合との交渉も難航していたが、被告人は前記のとおり同物件を立地条件や建物の規模などからa1社の所有物件の中でグレードの高い物件と位置付けており、少なくとも平成5年11月中旬ころまで、同借家人組合との交渉等を精力的に行っていたことが認められる。
(5)  A1社長のサボタージュとA2らのクーデター(1か月以上の空白)
平成4年12月10日、被告人から「fマンション」の改装、「gホテル」の備品(動産)のリースやオペレーターの別会社化の提案がなされ、同月17日にも被告人事務所での打合せが開かれ、「fマンション」の改装費等の話がなされて以降、次の打合せ期日である平成5年1月25日までは、約1か月以上、期日が空いている。
被告人は当審公判において、平成4年12月17日までに分社サブリース構想の方針が固まり、あとは新会社の設立、陣容の決定及び新規事業の内容の検討が残された程度であり(80回被告人88丁)、A1社長はこれらについて正月中に考えてくるということだったが、その後1か月以上連絡がなく、A1社長とは音信が途絶えたと思っていた(同97丁)、「分社サブリースを断行することは、同時にA1社を潰すことであり、また、債権者とも折り合いをつけなければならないことでしたから、ソフトランディングを旨とするA1社長としては、なかなかやりづらいことだったのです。しかし、このようなA1社長の動きは、はた目からは、分社サブリースのサボタージュ、換言すればa1社へのしがみつきと写ったのです。」(平成13年4月24日付け更新意見書)、このような中にあって、平成4年12月29日ころだったと思うが、A2及びA16(A1社長の甥)が被告人の事務所を訪れ、「A1社長が分社サブリース構想をやろうとしない上に、ハワイのホテルや上海の土地等を購入するという方向に物事を考え、このままではa1社は何もしないうちに潰れてしまって従業員が路頭に迷ってしまう。」ということで、クーデターを起こしてA1社長に代わりA2がa1社の主導権を握り、分社サブリース構想を断行したいと相談に来た(80回被告人92丁)、そこで、自分はA2に対し、正月中に自分でA1社長とその旨の話を付けてくるようにアドバイスをしたが、平成5年1月8日、再びA2らと会ったところ、A2から、A1社長と会って話をすることもできなかったとの報告を受けた、と述べている。
上記の被告人の供述は、被告人の事務所での打合せの間隔が前記のとおり1か月以上も空いていることや、被告人の訟廷日誌の同年1月8日欄の「1:00A1」の記載に合致している(弁235)ほか(他方、A3のメモには同日被告人と接触した記載は一切ない。)、A2が当公判廷において、A1社長は被告人のa1社再建計画を積極的に実行しようとせず(63回A2・103丁)、逆にハワイの物件を買うなどとa1社の資産を増やすようなことを言っていたので、年末にA16と被告人の事務所に行き、新しい物件を買わないように何とかできないか、A1社長を解任して自分が会社再建をやれないか、a1社の株の持ち分はどうなっているかなどという話になり、自分がa1社の再建をしてみたいと真剣に考えていた(同106丁)と証言していることとも符合するものであり、十分に信用できる。
(6)  平成5年1、2月ころの業務日誌等
さらに、A3が当時記載していたメモから、平成5年1月及び2月ころ、被告人が「dビル」、「fマンション」の分社サブリースや「gホテル」の分社化を提案していた形跡をいくつかうかがうことができる。例えば、平成5年の業務日誌を見ると、1月25日には「中間会社案」の記載が、2月16日には「A8先生 賃借中間会社の経理について」といった記載が存する。また、同年2月12日からの再建ノートには、見開きで2頁にわたり、縦に4分割された形で同年3月15日までの計4回分の被告人との打合せ事項が日付ごとに縦断的に記載されているところ、その頁の左側の項目欄に、「1 HK余剰金問題」、「2 国内金ゆ機関」の項目に引き続き、「3 新会社」、「4 他」の各項目が設けられ、2月12日の4の項目欄には、「社名変更、新a1社設立案」等の記載が、3月1日の3の項目欄には「gホテルも早く」、「fマンション改装資算5オク」の記載がある上、再建ノートに挟まれている2月12日の打合せの席で書かれたオリジナルのメモにも「3 新会社 ○dビルの賃借」の記載が存する。
被告人は、当審公判において、同年1月25日の「中間会社案」の記載について、a2社とは別項目で記載してあるところ、自分は海外に向けた新規事業を行うa2社以外に、「分社サブリース」を行う新会社を早く用意するよう促したものの、この日はペンディングで終わったと述べる(80回被告人104丁)。また、被告人は、2月12日の「中間会社」の記載は分社サブリースをする会社を意味するものだろうと思う(81回被告人41丁)、同月16日の「賃借中間会社の経理について」の記載についても、「(この平成5年段階の賃借中間会社というのが、Yさんが提案された、分社サブリースのいわゆる中間会社であることはほぼ予想つきますね。)そうですね。言葉を正確に使ってあると思いますね。」、「これはA3さんの理解が進んだというか、逆に言えば、平成4年の段階での私の話というのは、話のついでに出た話ですから、理解ができなかったんだろうと思います。平成4年から5年にかけての話は、もうテーマは決まっていて、a1社をどうやって再建していくかというテーマの下に話した話ですから、それについての話す時間も当然長くなる、チャートも使ってお話をしたわけですから、A3さんの理解が深まったと、そういうふうに言えると思います。」などと述べ(同33丁)、さらに、同月19日に海外金融機関等に麻布の2物件を売りに行く話が出た際にも、「dビル」をサブリースする話は全然消えていなかったと述べ(80回被告人113丁)、平成5年2月の段階でも、被告人が「分社サブリース構想」を提言していたと述べる。さらに、被告人は、平成5年3月、「dビル」や「gホテル」の構想のほかに、「fマンション」も具体的に俎上に上がってきたなどと述べ(同60丁)、この点についても上記の記載に沿う供述を行っている。
以上によれば、被告人はa1社の社員に対し、平成5年2月から3月にかけても、dビル・fマンション・gホテルを3本柱とする分社構想を繰り返し提案していたことをうかがうことができる。
(7)  平成5年11月までにかけての「fマンション」の借家人組合との交渉
A4は、平成5年4月ころから、「fマンション」の借家人組合との間で、同物件の改装を誰がするか、保証マンション形式の契約の改定をどうするかに関する対応をしていたが、同人は、被告人に対し資料をファックスで送るなどして、同問題に対する相談をしていた(弁65ないし69)。また、被告人は、同年11月5日、11日、15日の3回にわたり上記借家人組合と会合を持ち、上記問題の解決に向けた活動を行っている。被告人によれば、被告人は上記直接交渉の際、借家人組合に対して、「fマンション」をa1社ではない別会社に一括賃貸し、その会社で改装をすること、テナントは別会社と新たに賃貸借契約を結ぶことになることを話し、また、a1社に対しても、受け皿会社の用意を早くして相手方に明示する態勢をとるべきであるという話をしていた(81回被告人115丁、83回被告人25、27丁)。
5  A2、A1社長、A4、A3の各供述からみる「分社サブリース構想」
被告人の主張する「分社サブリース構想」について、A2、A1社長、A4、A3は、程度の違いこそあるが一定の限度でそれぞれ符合する形でその実在を認める供述を行っている。
(1)  A2は、当審公判において、被告人は、当時、a1社の関連会社を用意して、その会社で「fマンション」などの物件を管理し、a1社は物件を所有するだけの会社となり、債務返済のため所有物件を売却するなどして、いずれは倒産させ、a1社の従業員は新会社の方に移行させるという話をしていたこと、有限会社a6は「gホテル」のオペレーションをする会社として設立したこと、平成4年12月ころ、根抵当権者の三井信託から「fマンション」を活用してもよいと了解を得、実際にも改装の見積もりをとるなどの動きもあったためa4社は同物件を改装し、マネジメントする会社として設立したこと(60回A2・25丁)などを供述し、全面的に被告人の供述に沿う証言をしている。さらに、A2は自己の第1審公判でも、「Y先生からはやはり新しい会社を作って、そちらのほうに家賃のほうを振り込んで、その会社は物件を持たない会社で、それでa1社は小さくても生きていけるようにしようという話は覚えています。」(甲308・13丁)などと被告人の分社サブリース構想が実在したことを認める供述をしている。
(2)  次に、A1社長は、当審公判において、被告人の記載したチャート図について、100の賃料を40、60で分けると言われた印象があり、チャート図自体もおそらく見たことがあること(49回A1社長100丁)、外形上はS2が入った形に見えるが、S2は差押え対策ということではなく、a1社の分社化ということであり、a1社の社員をS2に移して、収入の40パーセントで社員の面倒をみて、彼らの生活を守るものと解釈していたこと(同112丁)、自分自身はa1社の全物件をサブリースするという考えでいたが(同118丁)、被告人は、どの物件をサブリース物件と選択するかを決めるため、平成4年11月に物件視察を行ったこと(同116丁)、その結果、「fマンション」等に「gホテル」を含めた3物件で分社サブリースをやろうという話になったこと(54回A1社長98丁、58回A1社長65丁)などを供述し、被告人の分社サブリース構想があったことを供述している。
(3)  また、A4は、平成10年11月3日付け検察官調書(甲277、弁105)において、犯罪事実を全面的に認めながらも、以下のとおり、被告人から新会社による再建案があったことを交えて供述している。すなわち、同調書には、「平成5年1月ころからは、Y先生のアドバイスもだんだんと具体的になってきて、何度と無く、このままではa1社は多額の負債を抱えて債権者に所有物件を差し押さえられて、早晩潰れてしまうのは目に見えているので、a1社が生き残るためには別途管理会社を作ってそこで賃貸物件の管理をするようにしなさい。a1社が管理会社と物件の賃貸借契約を結び、テナントからの賃料を管理会社の口座に入金するようにして、例えば全賃料の3~4割くらいを管理費として管理会社に留保すれば、たとえa1社が潰れてしまっても、a1社の債権者の差押えは管理会社にまでは及ばないので、管理会社の方は残る。それに、今すぐという必要はないけれども、将来的にはa1社の社員を管理会社の方に移すようにした方がよいというようなアドバイスをするようになりました。」と記載され、被告人から当時管理会社の話が出ていたことを明確に述べている。加えて、A4は弁護人との証人テスト(平成11年5月20日、被告人の弁護人がA4の自宅を訪問して直接話を聞いたものであり、その際のやりとりがテープに録音されている(弁116)。)の際にも、「a2社に将来、人を移して、a2社でまあ、何とか食いつなげるじゃないかと、経費で。a2社分の経費で。そういう話なんです。」、「管理ですか。それで、今a1社の人間がそっちに移して、それでなんとか喰える、自分で生き延び、生き延びられる人間も出るんじゃないかと。そういう話だったんですね、先生の関係で言えば。」などと述べているほか、当審公判においても、管理会社を設立してそこで生き残る、将来的にはその管理会社に従業員を移す、テナントからの賃料はa1社と管理会社で60と40に分けるという話が平成4年11月当時からあったと述べ、さらには、新しい会社の社長はA4がなったらどうかと被告人が提案したこともあったなどと供述している(43回A4・37丁)。
(4)  さらに、A3も、以下のように供述している。すなわち、A3は、「(平成4年4月の管理会社構想について)このときはその範囲の話で余り詳しい構想の話はなかったんじゃないかと思うのですね。それで簡単にこれだけ書いてあるのですね。だけれども、私がそういう構想を持ったということでは、先生と何回かそんな話をしたこともありますから、当然先生は私と同じことを考えていたんじゃないかなというふうに、そういう前提で聞いてましたね。だから私の考えていた構想とほとんど同じものだろうというふうに思います。私の考え方も多分に先生の考え方の影響を受けてそういうものを考えたのかもしれませんし、いろいろと話が出た過程でですね。ただ、このときには余り具体的な話がなかったんじゃないかと思うのですね。」(23回A3・35丁)、「何とかして会社を存続させなきゃならないと。ただ、会社をどういうふうに位置づけるかということは、これはもう社長の専任事項ですから、私がa2社をそこに位置づけるということを考えても、それは意味のないことなんですね。何回も言ってますけど。ただその私の考え方、希望、それから社内の考え方ですね、そういうものの中には、管理会社的なものを考えていたということは、もう継続して、その平成4年、3年の危機的状況を脱して平成4年ぐらいからずっとあったというふうに言っていいと思います。それはY先生からも、そういう話は折にふれて出てきた話ですね。」(22回A3・13丁)、「(平成4年11月)当時のことを、この紙面(チャート図)での上のことじゃなくて、記憶としてですけれども、要するに、会社を何とかして残すということは、a1社にとっては大変な大きな課題であったと。何とかして企業として残ると、従業員もいるわけですから、というようなことが非常に大きなテーマでしたね。」(32回A3・9丁)、「よくY先生がおっしゃってたのは、これは、残すか残さないか、債権者と相談ですけれども、どういう物件を重点的に残す努力をするかというようなことは、よくおっしゃっていたように思いますね。」(28回25丁)、「私が終始一貫して言っているのは、会社の再建についての考え方というのはY先生から何回も示されたと、折に触れて示されたと、ところが、平成5年の2、3月の頃に、なぜか知らないけれども、急に賃料の振り替え、いわゆる架空の会社、S2を使った差押えの回避の話が浮上してきたように私は理解してしまったと、これがどうも私は分からないと、それでわからないんでと言ったら、このチャート図が出てきて、私の考え方が間違っていたんだなと、私が認識を間違えたんだなというふうに今は理解してると。前回、申し上げたと思うんですけれども。だから、架空の振り替えというのは、Y先生の口からはなかったということでしょうね。」(33回A3・11丁)、「私はあんまりこのチャートの意味というのはよく理解してなかったということをまず考えて申し上げているのであれなんですが、思い返してみれば、40、40て先生がおっしゃっていたのは、確かに何となく記録もあるし記憶もあると。それが差押えを受けたときに、それが除外できる部分なんだと、差押えは当然受けることは前提で、あり得るということで、そういうことを言っておられたんですね。だから、そういう意味では、差押えを受けるから、何かそれを回避する対策がいるというのも、またある意味では矛盾してますね。確かにそうですね。(生き残りの方策があって、それに対し誰かが差押えに関する疑問を呈したときにそういう説明があったに過ぎないということ)かもしれませんね。そういうことあり得ますね。そのへんが、私がY先生がおっしゃったことを理解してなかったなというのは、そのへんですね。」(32回A3・11丁)、などと述べ、被告人の提案していた管理会社の構想や分社サブリース構想の存在自体を肯定している。
(5)  以上のとおり、被告人の分社サブリース構想や、その柱となる、a1社の立て直しを被告人の事務所で検討し、a1社の関連会社において従業員の雇用を確保するという被告人の発想を、本件に深く関与するA2、A1社長、A4、A3がいずれも平成4年11月ころのこととして様々な形で明言し、あるいは供述の中に垣間見せているところであり、各供述は、その限度で相互に符合しているのであって、これらによれば、被告人の分社サブリース構想は実在したものと優に認めることができる。
6  再建ノートの「権利関係複雑に。* 収益差押対策。→*第3者入れる。」との記載部分は被告人の発言を記載したものか
(1)  海外2物件の売却の目処が立った平成4年11月12日、被告人、A3、A2らは被告人の事務所において、「国内対策第1回」と称される打合せを行い(甲179)、a1社国内部門の経営の見直しの検討を始めた。
同日付けのA3の再建ノートには、
国内対策第1回
Y先生、A2、A4、小生
1  準備 借入 行名
物件一ラン、簿価、担保設定(順位等)、借入、時価、収益
2  物件ごと検討をする。
3  対策のおゝよそ
(1)担保に入っていないもの。(名変)→ダミー銀行の抵当権
(2)抵当権 実行しずらいよう。→上物作る。権利関係複雑に。*
後順位つける。
動産類レンタル化。
(3)収益差押対策。→*第3者入れる。
(4)〃増大策。→又貸し/ビル空間の確保
《経費を投じて貸付、収益》→《収益のみ》
《用役のみ》
○ビル資産-良い程狙われる。
○a1社の立ち直るのは不動産の上がったとき、資産がなければ、…と記載されている。
同日の被告人の事務所における打合せは、香港、シンガポールの海外2物件を三井信託の指定する売却先に売却する目処が付いてから最初になされたものであるところ、上記の記載は、当時国内の債権者対策を中心に意識するようになった被告人の発言内容を直接反映している可能性が高いとも思われる。
しかしながら、例えば「ダミー銀行の抵当権」などはそれ自体何を意味しているのか不明であり、これを「架空の銀行にa1社所有物件の抵当権を設定する。」という意味にとれば、そのようなことが果たして実現できるか疑わしく、特に弁護士が依頼者に対し発言したものと理解するのは困難である。また、後述のとおり、再建ノートは後にまとめて書かれるなどしてA3自身の考えが混入している可能性もあるところ、上記の記載は強制執行対策を強く意識していたA3の個人的意見等が反映されているとの疑いも排斥できない。
(2) 上記メモを自ら記載しているA3は、国内対策第1回で被告人が何を話していたのかは覚えていないが、再建ノートの該当部分を示されると、これはこういうことだと思うという形で証言しており、「(ここに書かれていることは被告人との打合せで出たことだと思うが)私も、例えば、又貸し会社と先生がおっしゃったのをぼくがスルー会社と書いたりなんかするように、かなり意訳して書いていますんで、話の言葉のとおりというか、ある程度、自分が意訳して書いているんで、こういうふうに書いたんじゃないかと思いますよ。」(28回A3・18丁)とも述べており、必ずしも被告人の述べたことをそのまま再建ノートに書き取った訳ではないことを付言している(※5)。
その上で、まず、A3は「(1)が、『担保に入っていないもの。(名変)』と書いてあるけど、これちょっと、意味が分かりません。『ダミー銀行の抵当権』と書いてありますけれども、これもよく分かりません。担保に入っていないものに、ダミー銀行の抵当権を設定するなんていうことかなと思いますけれども、ちょっとそんなの常識的にはあり得ないと思います。うちの場合は考えられません。」(13回A3・37丁)と述べている。次に、「(2)抵当権 実行しずらいよう。→上物作る。権利関係複雑に。* (3)収益差押対策。→*第3者入れる。」については、主尋問では、「これもちょっとよくわからないんですが、これがいわゆる賃料振替という、話が先ほどありましたけれども、その話ではないかなと思います。」(13回A3・38丁)と述べていたが、反対尋問に至り、「私はこれを見て思ったのは、収益差押対策として何回も何回も見ているうちに、当初、記憶にないことを理屈で考えて、そう考えたのかもしれませんけど、いわゆる又貸し会社みたいなものを入れるということで第3者を入れるというふうに書いたのかなとも思いますね。それに加えて、権利関係も複雑にというようなこともあったんで、ああ、上にも書いてあったなというんで、アスタリスクで引っ張ってきたというようなことがあるかもしれませんね。いずれにしても、これはおおよそのことですから、対策のおおよそですから、そのうち、具体的な話が出てくるでしょうから、私の頭で理解した範囲で書いたわけですから、そのとおり、先生がおっしゃったのかどうかも、わかりませんけどね。」(28回A3・21丁)、「(「第3者入れる。」の記載について、捜査段階では、空き物件に)いわゆる番記者を入れるとか、政治家を入れるとか、何とかいう話がありまして、どこかにあって、その第3者かなと思ったんですけれども、つらつら見てみると、収益差押え対策と書いてあると。それでも意味が通じるんだけれども、つらつら見てると、これは収益、賃料収入の差押え対策で、いわゆる賃料振替含む賃料の差押え対策と、そういうことを言ってたのかなというふうに、だんだんと、記憶というか、解釈が変わってきたんですね。(最初に見たときから、記憶というものはもうなくて。)ありません。(どう解釈するかと言うことですね。)そうですね。」(33回A3・78丁)、と述べており、当初、国内対策第1回のときに被告人から強制執行免脱の指示があった記憶はなかったが、メモの記載を見るうちに自分の読み方の解釈がそのように変わっていったことを認める供述をしている。また、「(4)収益増大策。→又貸し/ビル空間の確保」については、主尋問のときから、「これは収益を増大させることも考えなきゃならないと、そういうこともやっぱり考えなきゃならないですよと。この又貸しというのは意味がわかりません。ビル空間の確保というのは、ビルにはけっこう空きスペースというのがありまして、そういう空きスペースも有効に利用することを考えたほうがいいんじゃなかろうかと、少しお金をかけても、そういうものが使えるようになればいいじゃないかと、利益が上がると、それによって収益が上がるということでもいいし、あるいは何かいろんなものに使えるということでもいいじゃないかというような、いわゆる収益を増大する策を示唆されたんだろうと思います。(又貸しをすることによって収益が増大するというアイデアは)ちょっと今わかりません。」(13回A3・39丁)と述べている。
(3)  一方、被告人は、同日の打合せ内容及び上記の記載につき、当審公判において、以下のとおり説明している。すなわち、被告人は、この日の打合せはそれほど長時間ではなく、今後国内対策を検討する上で準備してもらう目録的な話をした後、雑談になったと思う、その中で、A3がa1社にはどのような最善策があるかと聞いたので、自分は日ごろ考えていたことを話した、しかし、ダミー銀行等はA3の独特の言葉であり、自分の話とは全く違う、「ダミー銀行の抵当権」の記載について自分が提案していたことから想像すると、自分は、当時a1社の所有物件で担保に入っていないものがあるかどうかは分からなかったので、無担保物件あるいは担保余力の大きい物件があればそれを会社再建の基礎資産に使おうではないかと提案し、具体的にはa1社が新会社にそれらを譲渡し、長期分割で代金の支払いを受け、新会社が更にその物件を担保にメインバンクから金を借り、その金で新たに新会社が抵当権付きの別物件をa1社から購入し、同売却代金により抵当権の外れた物件が新会社に来るという、いわゆるプロレタ方式の再建案を提案したが、その際、融資を受けるメインバンクには抵当権の権利行使をしない旨の約束をとりつけなければならないという話をした、これについて、A3は、抵当権の権利行使をしない抵当権をメインバンクに対し設定するということを、「ダミー銀行」と理解したのだと思う(79回被告人88丁)、「抵当権実行しずらいよう。→上物作る、権利関係複雑に。* 後順位つける、動産類レンタル化。」の記載については、A3は、抵当権の実行や差押えに割合過敏に反応していたため、雑談として出ていた話の中で、競売にどう対抗するかとか、差押えにどう対抗するかという話を、そのように理解して記載したのだと思う(同90丁)、「収益差押対策。→*第3者入れる。」の記載は、おそらく中間会社のことを第3者と記載したと思われるが、*が権利関係複雑に、と結びついているため、A3は当時分社サブリース構想を抵当権の実行を妨害するものとして捉えていたと思われる、「収益増大策。→又貸し/ビル空間の確保《経費を投じて貸付、収益》→《収益のみ》《用役のみ》」の記載は、打合せの際、テナントに対して賃借物件を更に誰かに転貸することを認めることにより物件の賃借人を増やす話をしたことを、A3がメモしているものと理解できる、「○ビル資産-良い程狙われる。」の記載は、単なる一般論を記載しただけであると思われる、「○a1社の立ち直るのは不動産の上がったとき、資産がなければ、…」の記載については、不動産市況の回復を自分は考えていなかったので自分の発言ではあり得ず、A3が当時不動産業界の話を聞き、その影響を受けてこのように記載した可能性が高い(同94丁)、そのころの再建ノートには三井信託の担当者らの記載があるところ、A3は彼らと話すなどして金融機関の不動産価格は持ち直すという期待感を抱いていたためそのように記載したのだと思う、A3は自分の話を聞きながらメモしていたわけではなく、自分が雑談的に話したことを後にまとめて記載したと思う、自分は法律家として、「ダミー銀行」とか「収益差押対策」などという用語は使わないから、自分の話をA3がそのように解釈した、つまりはA3が、自分からそういう話があることを期待していたのだと思う(80回被告人7丁)、というものである。
(4)  被告人は、チャート図の構想にも見られるとおり、キャピタルゲインでもうけを出すという発想はなく、a1社をまさに汗水流して収益を上げる業態に変更しようとしていたものであるところ、A3のメモの記載は、被告人の上記構想と逆のもので、被告人が話したものとみるには不自然である。
また、後述のとおり、A3は、金融機関担当者との折衝を繰り返す中で、債権者からの差押えや競売等の強制執行を強く意識し、これに対する対抗策を検討していた形跡が様々な形でうかがえるのである。このような視点からみると、A3の上記各メモに対する被告人の上記説明は、相当の説得力がある。
(5)  以上の次第で、再建ノートの上記記載をもって被告人がa1社関係者に対して強制執行妨害策を指南したものとは認められない。
※5 A3作成の再建ノート、業務日誌、手帳の記載
A3が当時記載していた再建ノート、業務日誌等は、平成4年から平成8年ころに至るまでのa1社の出来事、関係者の発言等が日付毎に詳細に記載され、当時のa1社の活動状況等を把握する重要な記録であると認められる。そして、これらは上記のとおりa1社の経営状況に関心を払っていたA3が備忘録として記載していたものであることにかんがみると、基本的にはa1社の当時の状況をほぼ克明に表しているものと解される。
もっとも、これらのメモは、弁護人も強く指摘するとおり、断片的、多義的な記載が多く、伝聞の記載もあり、読み方によっては誤解を生じるおそれが多分に存する。加えて、A3は業務日誌を2、3日に1回は書きたいと思っていたが、長ければ半月後にまとめて記載している部分もある(13回A3・28丁)、再建ノートについても、被告人の発言をその場で書くこともあるし、あとで書くときもある(同29丁)、などと述べており、その記載にA3の主観が入っている可能性が大いにあり得るのであって、慎重な検討が不可欠である。
7 まとめ
こうしてみると、被告人は平成4年から一貫して「実体のある分社サブリース構想」をa1社に対し提案し、その後も基本的な発想を維持しつつ、様々な形を模索しながらa1社グループの再生を実現しようと試みていたものであって、このような被告人が公訴事実にあるようなサブリースを仮想しての一時的な執行逃れを指示したとはおよそ考え難い。
第6  「2月謀議」の不存在
-公訴事実第1の事案の真相は、賃貸物件を海外に売却するにあたってその準備として、サブリースを組んで国内の管理運営会社を用意したが、種々の理由から形骸化してしまったというものである可能性が高いこと
1  はじめに
(1)  検察官主張の「2月謀議」の成立経緯、共謀の内容及び実行
検察官は、冒頭陳述及び論告において、「2月謀議」の成立経緯、共謀の内容及び実行について、次のように主張している。すなわち、
(ア)(一部債権者の強硬姿勢・債権者対策の相談・サブリース仮装の説明・A1社長のためらい)
a1社の債権者のうち日興キャピタル及び三和ビジネスは、平成5年1月ころになると強硬姿勢を強め、三和ビジネスは、同年2月12日ころ、a1社が金利の内入れをしなければ抵当物件の賃料を差し押さえる旨通告してきた。A1社長は、a1社が賃料債権の差押えを受け収入源を絶たれることを恐れ、その日のうちにA3らを伴って被告人の事務所を訪れ、対抗策についての指導を仰いだ。被告人は、その場でA1社長に対し、賃料債権の差押えを免れる方策として、賃貸人であるa1社と賃借人であるテナントとの間にダミー会社を介在させ、賃借人からの賃料振込先をそのダミー会社の銀行口座に振り替える方法を指示し、その理由として、三和ビジネス等の債権者がテナントの支払う賃料を差し押さえるには支払先を特定する必要があるので、ダミー会社を介在させることにより、賃料の支払先をa1社からダミー会社に変えてしまえば、賃料差押えの効果が及ばないなどと具体的に説明したが、これを聞いたA1社長は、被告人の指示する方策が脱法的な手段であると認識し、その実行をためらっていた(以上は、冒頭陳述11頁における主張であり、A1社長が「2月12日ころの三和クレジットからの差押え予告」をきっかけとして、「その日のうちに」被告人の事務所を訪れたことが明示されている点が注目される。この点、論告18頁では、A1社長が一部債権者の強硬姿勢をきっかけとして「平成5年1月から2月上旬にかけて」債権者対策の相談のために被告人の事務所を訪れた旨の主張に変わっている。)。
(イ)(催告書の送達)
ところが、平成5年2月16日、三和ビジネスから、「本書到達後5日以内に延滞元利金の支払いがないときは期限の利益は喪失されたものとして取り扱う」旨の催告書がa1社に到達した。
(ウ)(催告書の写しを被告人事務所へファックス送信)
A1社長は、いよいよ賃料債権が差し押さえられる事態が切迫したものと考え、直ちに催告書の内容をファックス送信して被告人に報告した。
(エ)(平成5年2月19日の「2月謀議」の内容)
A1社長は、被告人から対応策の指示・指導を受けるため、平成5年2月19日、A2、A3及びA4とともに被告人の事務所を訪れ、被告人と打ち合わせをした。
この打ち合わせにおいて、被告人からなされた指示は次のとおりである。A1社長、A2、A3及びA4は被告人の指示に賛同し、ここに共謀が成立した。
〈1〉(振替手続は早急に)
「テナントとa1社の間に別会社を噛ませ、テナントからの賃料振込先をその別会社の銀行口座に振り込ませる形にすれば、差し押さえられることはありません。こういったことは他のところでも皆やっていることです。ぐずぐずしていると手遅れになるので、早く賃料振込先を別会社の銀行口座に振り替えてしまいなさい。」
〈2〉(「賃貸人変更のお知らせ」の雛形の交付)
「賃貸人変更のお知らせ」の写しを雛形として交付し、「賃料振込先を変更するためには、このようにすれば大丈夫です。」
〈3〉(偽装工作としてのマスターリース契約書の作成)
ダミー会社への賃貸人の地位移転が仮装であることを隠ぺいするためにa1社とダミー会社との間で物件を一括賃貸する旨の契約書を作成しておく。
〈4〉(複数のダミー会社を利用。賃貸物件のすべてについて賃料振込先を変更)
複数のダミー会社を利用してa1社所有の賃貸物件のすべてについてその賃料振込先を変更する。
(オ)(a2社口座の開設)
上記共謀に基づき、A2は、平成5年2月24日、第一勧銀白金支店にa2社口座を開設した。
(カ)(「eマンション」及び「cビル」の2物件について賃料振込先を変更)
A4は、被告人から受け取った雛形をまねるとともに、上記a2社口座の口座番号も書き入れて、「賃貸人変更のお知らせ」を作成し、これを、平成5年3月5日ころから三和ビジネスの抵当権が設定されていた「eマンション」の各賃借人に発送した。また、平成5年3月上旬ころからは住商リースの根抵当権が設定されていた「cビル」の各賃借人にも発送した。また、A4は、a1社がa2社に対し、上記2物件をそれぞれ一括賃貸した旨の仮装の賃貸借契約書も作成した。
以上のように主張している。
そして、A4(当審証言)、A1社長(捜査段階供述・1審公判供述)及びA3(当審証言中の主尋問部分)は、それぞれ検察官の上記主張にほぼ沿った供述をしている。
(2)  弁護人の反論
検察官の前記主張に対し、弁護人は次のように反論する。
(ア) 平成5年1月当時、a1社に対し、債権者らからのとくに強い返済要求はなかった。
(イ) 被告人は、分社サブリースを構想したことは格別、サブリースを仮装することについては考えたこともなく、平成5年1月から同年2月上旬にかけての期間においても、A1社長らにサブリースを仮装することにつき説明をしたことは一切ない。
(ウ) 2月16日の催告書の送達は、2月12日に三和ビジネスの担当者であるA19とa1社の担当者であるA3とが仕組んだ出来レースである。すなわち、後順位抵当権者である第一生命としては先順位抵当権者である三和ビジネスの被担保債権額が大きいために競売によるときはまったく配当を受けられなくなるおそれが強いが、先順位抵当権者である三和ビジネスの被担保債権を抵当権ごと安く買い取った上で物件を高値で任意売却することができれば、いくらかなりとも債権の回収ができるところ、三和ビジネスは、上記のような立場にある第一生命に債権を買い取らせるべく、先ずは交渉のテーブルに着かせるため、債務者兼抵当権設定者であるa1社と意思を相通じ、実際には競売申立ての前提として期限の利益を喪失させる意思などないのにその旨の意思があることを記載した催告書を送達したのである。したがって、出来レースを仕組んだ張本人であるA3において、催告書が送達されたからといって、驚いたり、賃料債権の差押えを免れようと画策したりすることはありえない話である。検察官の主張に係る「2月謀議」は存在せず、検察官がその存在を認定する根拠として引用する各供述証拠は、内容の不自然、供述の変遷、客観的事実との不整合、反対尋問の成功等の理由により、いずれも信用性がないことが明らかである。
(エ) なお、A3は、催告書の文面としては、「競売による債権回収も考えざるを得ない」といったものを考えていたところ、実際に送られてきたものは、5日以内に延滞元利金の支払いがないときは、「期限の利益は喪失されたものとして取り扱う」という法的効果を生ずるものであった。このことを、A3から聞いた被告人は、担当者が代わったりすると書面が独り歩きする危険があるので、念書を書いて貰うなどして出来レースであることの言質を取り付けること、すなわち、「催告書は第一生命に債権を買い取らせるための手段に過ぎないことについて三和ビジネスから一札を取り付ける」(換言すれば、「期限の利益は喪失されたものとして取り扱うとの催告書による意思表示が心裡留保による意思表示として無効であることについての証拠を保全する」)ようにとA3に指示した。業務日誌’93.2.16欄の「三和BC 手段取り付ける(Y弁)」との記載は、この指示のことを意味している。ところが、A3は、なかなか三和ビジネスから念書を取ろうとしなかった。そこで、被告人は、次善の策として、出来レースであることを認める三和ビジネスの担当者の発言を秘密録音するようにとの指示を出し、A3は、3月3日、A2とともに、三和ビジネスのA19との打ち合わせ状況を秘密裡に録音した。
(オ) 「賃貸人変更のお知らせ」の雛形については、被告人がこれをA4に交付したことはそのとおりであるが、時期的には、平成4年11月18日のことであり、交付の趣旨も、実体のある分社サブリース構想の説明の一環としてであり、その際、マスターリース契約書の雛形も併せ交付している。
(カ) 検察官は2月24日のa2社口座の開設をもって2月19日の共謀内容の実現であるかのようにいうが、a2社は実体のある会社であり、a2社口座を開設することについては、すでに平成5年2月3日の時点において予定されていた。
(キ) そもそも公訴事実第1の「eマンション」については、「cビル」と共にサブリースを組むことが、「2月謀議」の日(2月19日)よりも前の2月16日に、a1社の社内会議において、被告人の関与なしに、決定されていた。すなわち、A3は、2月16日、「eマンション」につき、三和ビジネスとの事前の打ち合わせどおり、催告書が送達された旨を第一生命に告げて同社に債権を買い取らせようとしたが、業務日誌の93年2月16日欄に「打つ手なし(一生)」とあるように、第一生命は買い取りを拒否した。このこと知ったA1社長は、同じようにして後順位抵当権者との間で肩代わり交渉がなされていた「cビル」ともども、これら2物件について海外の金融機関等に売り込むことを決意し、社内会議に諮ってその旨決定した。そして、海外に売却するためには、物件の管理や賃料保証などの関係で、サブリースを組むことが不可欠であるところ、上記2物件について、サブリースを組むことが同時に決定された。A3の業務日誌の2月16日欄の「社内、又貸会社について、とりあえず準ビ cビル/eマンション-各10オクで肩替る話。利回りでもってゆく。社長が東南アの金ゆ機関回って・・・3か月くれ。」の記載は、サブリースを組むことと海外売却とを一体のものとして、「2物件についてサブリースを組んで海外の金融機関等に売却する」ことを記載したものと理解するのが相当である。
(3)  検察官の再反論
(ア) 3月3日の秘密録音の目的は、弁護人がいうところの、「催告書における『期限の利益喪失』の意思表示が効果意思を欠き、心裡留保による意思表示として無効であることについて言質をとること」ではなく、「『eマンション』のテナントリストを採算計算のためにのみ利用し、賃料差押えのためには利用しないことについて言質をとること」にあった。
(イ) 業務日誌の2月16日欄の「三和BC 手段取り付ける(Y弁)」との記載は、催告書を被告人にファックス送信した際にその応答として被告人からなされた指示を記載したものであり、「対抗手段を取れ」との意味である。A1社長は被告人の指示に従い、早速、賃料振込先の振り替えの手続きをする際に利用するダミー会社の手配をした。その一方で、このような姑息な手段と並行して、「eマンション」及び「cビル」の2物件を海外の金融機関等に売り込むという正攻法を考えた。「社内、又貸会社について、とりあえず準ビ cビル/eマンション-各10オクで肩替る話。利回りでもってゆく。社長が東南アの金ゆ機関回って・・・3か月くれ。」との業務日誌の記載は、前半部分の「又貸会社について、とりあえず準ビ」と後半部分の「cビル/eマンション-各10オクで肩替る話。利回りでもってゆく。社長が東南アの金ゆ機関回って・・・3か月くれ。」の2つに分け、前半部分は、「全物件について賃料振込先の振り替え手続きをするべくその手続に利用するダミー会社の手配をすること」を、後半部分は、「2物件について海外の金融機関等に売却すること」をそれぞれ記載したものと理解するのが相当である。
(4)  当裁判所の判断
当裁判所は、いわゆる近迫性の要件が存在しないとの点を除き、上記弁護人の反論はいずれも理由があると判断した。
以下、2において、検察官の有罪立証の3本柱のその1としてのA4の当審証言が信用できないことについて、3において、検察官の有罪立証の3本柱のその2としてのA3の当審証言が信用できないこと、「2月謀議」の成立の契機とされる催告書の送達は出来レースであったこと及びいわゆる近迫性の要件はこれを満たすものの、債権者らからの厳しい返済要求まではなかったことについて、4において、検察官の有罪立証の3本柱のその3としてのA1社長の検察官調書及び裁判官調書における各供述が信用できないこと、並びに、公訴事実第1の事案の真相は、賃貸物件を海外に売却するにあたって、その準備として、サブリースを組んで国内の管理運営会社を用意したが、種々の理由から形骸化してしまったというものである可能性が高いことについて、順次、説明する。その後、5において、a2社は実体のある会社であり、a2社口座を開設することは「2月謀議」があったとされる日以前に既に予定されていたことについて、6において、A2の供述の信用性について、それぞれ、説明する。そして、最後に、7において、「2月謀議」の不存在について締めくくることとする。
2  A4の当審証言の信用性
A4は、a1社において社有物件の管理の責任者をしていた者であり、本件各犯行においては1人で実行行為を行ったとされている人物であるところ、当審公判においてただひとり、明確に「2月共謀」の存在を認めている。A4の当審証言の要旨は、以下のとおりである。
すなわち、平成5年2月16日、三和ビジネスから、5日以内に延滞元利金を支払わないと期限の利益を喪失するという催告書が送られて来て、ついにきた、物件や賃料を差し押さえられると思い、A1社長やA3とともに心配した(40回A4・20丁)、同日、A1社長から指示されて、同催告書を被告人にファックスで送ったところ、被告人から電話が入り、賃貸人の名義を変更するために間に入れる会社を準備するよう言われ、a1社の社内でその旨の検討をした、同月19日、A1社長、A3、A2とともに被告人の事務所を訪れ、賃料債権が差し押さえられる可能性があるということで、A1社長が、こういう場合どういう対処をすればよいのか、他社ではどういうふうにやっているのかと相談したところ、被告人は「よそではこういうふうにやっているところもある。」と言い、「賃貸人変更のお知らせ」と書かれたA4サイズの1枚の紙を掲げて全員に見せた、テーブルの上に置かれたものを各人が順番に見た、被告人は、同書面を2通テナントに送り、1通を返送してもらえばいいと言っていた、また、被告人は、間に入った会社があると同社は銀行の債務者ではないから、テナントに対する賃料債権が差し押さえられることはないと説明した、さらに、a1社と新しい会社の間の一括賃貸借契約書も併せて作ること、その際の賃料はその物件から上がる総賃料の3割程度とすること、1社が差し押さえたことを知れば他社も競って差押えにかかるから、賃貸人の変更はa1社の全物件についてやること、変更先が1社に集中すると万一そこが差し押さえられた場合にはどうしようもなくなるので、別会社はできるだけ多くあった方が良いこと、新会社の代表者はA1社長とは違う人物の方が良いこと、別会社の登記場所はa1社とは違う法務局が良いことなどを説明した、また、急がないと手遅れになるとも言われたが、その意味は賃貸人変更措置を急がないと賃料を差し押さえられるという意味だと思った(同25丁)、そこで、A1社長は、被告人の提案した同案を当社でもやろうと決断し、A2やA3も賛成し、A1社長は私に対し賃貸人の名義の変更手続をすぐやるように指示した(同28丁)、A1社長からは、当初から、全部の物件について名義変更するように言われていた(同82丁)、話が決まった後、それほど間をおかずに賃貸人変更のお知らせの作成作業に取りかかった、名前と日付を空欄にしてコピーし、あとで個別のテナントの氏名等を打ち込んだ、a2社名義の振込先はA2か経理担当のA5のいずれかから聞いたと思う、まずは「eマンション」と「cビル」のテナントに対する賃貸人変更のお知らせを作成し、3月5日ころ持参又は発送した、「eマンション」は三和ビジネスの抵当物件で、かつ優良物件であったこと、「cビル」も優良物件である上、同物件の抵当権者である住商リースや住総が頻繁に会社に来ていたのを見ていて緊急性があると思ったことから、とりあえずこの2物件についてやろうと思った、他の物件については、当時、その他の金融機関があまり厳しく言って来たようにみえなかったので、ゆっくりやればいいと思っていたところ、時間だけが経ってしまった、上記2物件に関するa1社とa2社との間の一括賃貸借契約書は、賃貸人変更のお知らせをテナントに送った約1か月以内に作成した、同契約で設定した賃料は、テナントからの賃料の7割とし、3割をa2社で確保するという話だった(同26丁)、というものである。
しかしながら、同人の供述の信用性については、以下のように、複数の観点からの重大な疑問がある。
(1)  証言内容の不自然・不合理性
-共謀内容自体の不自然・不合理性、共謀内容と実現結果との間の乖離
(ア) 物件選択の不自然性
まず、A4は、平成5年2月、A1社長から物件のすべてについて直ちに賃料振込先を変更するよう指示されたというが、A4が直ちに賃料振込先の変更をしたのは「eマンション」と「cビル」の2物件のみであり、その他の物件については、同年11月以降とかなり遅れている。何故この2物件だけ直ちに実行して、その他の物件については遅れたのか。この点について、A4は、上記2物件が優良物件であったことを理由にあげている。しかしながら、当時賃料収入の多かった物件は「nビル」(甲159)(月額の賃料合計約600万円)など、他にもあった(ちなみに、「nビル」について賃貸人変更をしなかったことについては、41回A4・36丁以下にA4の弁解があるが、説得力に乏しい。)。執行逃れの目的で行うのであれば、日興キャピタルの抵当物件である「kビル」を除外する理由はないと考えられる。すなわち、「kビル」は月額約600万円の賃料収入があり、賃収月額400万円未満の「eマンション」や「cビル」に比べても賃収は多い。また、日興キャピタルは、前記のとおり、平成5年1月以降、a1社と何度も接触して強硬に債務の返済を要求し、2月18日には元利金の内入れとして毎月400万を支払う旨の覚え書を差し入れる旨の約束をさせている。検察官は、この約束を交わしたことにより同社との関係はひとまず落ち着いていたと主張するが(論告52丁)、同日の口約束によって月400万円の支払いが確実に保証されたわけではなく(なお、2回A8・16丁)、その後のa1社の対応如何によっては、日興キャピタルが強硬手段に出る現実的な可能性は、三和ビジネス等よりもむしろ高かったと思われる。
また、月額約1030万円とa1社所有のビル資産の中でひときわ収益の高かった「dビル」について、同年2月時点では賃貸人変更措置がとられず、同年11月まで約9か月間賃貸人の変更が行われていない点も不自然さを否めない。同物件については、日住金が根抵当権の設定を受けていたところ、同社の担当者であるA17はa1社に対し穏やかに対応していたことが認められるものの、検察官によれば、被告人は1社が差し押さえてきたら他社も追従して差し押さえてくるという見通しを当初からもっていたというのであるから、三井信託に次ぐ融資額(約153億円)を有する日住金もその例外とは言えず、a1社のビル資産の中で一番の優良物件である「dビル」はまず最初に賃貸人の変更がなされていてしかるべきものである。
さらに、その他の8物件についても、同年11月以降、ぽつぽつと五月雨式に賃貸人の移転が行われ、a1社が港区〈以下省略〉に所有していた「oビル」に至っては約2年半後の平成7年9月ころに賃貸人変更が行われていることも(甲48)、急がないと手遅れになる旨(40回A4・25丁)を述べていたという被告人の指示どおりに実行されたものとは到底言い難く、いかにも間が抜けている感がある。
(イ) 賃料債権の移転先の会社の数と代表者
A4は、被告人は賃料債権の移転先の会社は出来るだけ多くあった方が良いと述べたと証言するが、共謀があったとされる2月19日以降に賃料債権の移転先とするべく新たに設立された会社はa4社1社のみである。その上、a4社の設立は同年6月1日であり、「2月謀議」から大幅に後にずれ込んでおり、同社が賃料振込先として実際に活用されたのはさらにその約5か月後の同年11月である。同社が資産の隠匿目的で設立されたというにしては、いかにも間が抜けている。
さらに、A4によれば、被告人は、新たに設立する会社の代表者としてはA1社長とは別の人物の方が良いとも指示したとされるが、a2社及びa4社のいずれについても息子であり同姓のA2が代表者として登記簿に記載されており、この点でも、被告人の指示が尊重されているとは到底言い難い。
(ウ) 賃料振込口座の数と他社の追随
A4は、被告人は賃料振込先は複数あった方が良いと述べたという。しかしながら、賃料債権の差押えは銀行預金の差押えとは異なり、一つの口座が発覚すれば全部の賃料が差し押さえられるという関係にはない。また、抵当権者の物上代位に基づく賃料債権の差押えはそれぞれの抵当物件毎になされるから、ある社が自ら抵当権を有している物件の賃料債権に対して差押えをしても、他の物件に抵当権を有している他社が追随するということには必ずしもならない(43回A4・73丁等参照)。
実際にも、平成5年11月、三和ビジネスが「eマンション」の賃料債権の差押えをしたのに対し、日住金等はこの事実を把握していたが何の措置もとっていない。また、日興キャピタルは、平成6年11月に「kビル」のテナントに対して賃料債権の差押えを行ったが、これは日興キャピタルが三和ビジネスに追随したものではなく、日興キャピタルが独自に差押えを行ったものである。さらには、日興キャピタルの上記差押えの後、平成7年1月ころ、三井信託が根抵当権に基づき同じ物件についての賃料債権の差押えをしているものの、その他の物件の賃料債権につき、他社が追随して差押えをしたというようなことはない。
弁護士である被告人によって上記のような指示がなされたとはにわかに信じがたい。
(エ) 切迫感のなさ
A4は、「eマンション」及び「cビル」の各テナントに対する「賃貸人変更のお知らせ」の通知を平成5年3月5日ころになって漸く発送している。A4自身はすぐにとりかかったと言うものの、共謀があったとされる2月19日から2週間も経過した後であって、切迫感が感じられず、A4の証言に係る「ぐずぐずしていると手遅れになる」との被告人の指示の存在自体に疑問が生ずる。
(2)  「賃貸人変更のお知らせ」の雛形の交付時期
-「2月謀議」の2月19日か、チャート図説明の11月18日か
(ア) A4証言における雛形交付の事実の位置づけ
-「2月謀議」の中核としての被告人による犯行指示の事実を直截的に表すもの
本件で用いられた「賃貸人変更のお知らせ」は、被告人から受け取った雛形をもとにA4が作成したものであることには当事者間で争いがないが、被告人から受け取った日がいつであるかについては争いがあり、A4は「2月謀議」の日の2月19日であると供述するのに対して、被告人は「実体のある分社サブリース構想」をチャート図を用いて説明した平成4年11月18日であると供述する。A4は、前記のとおり、当審公判において、2月19日の打合せの際の状況につき、「銀行から催告されまして、いずれ差し押さえられるんじゃないかというおそれがありましたので、そういう状況の場合にどういう対処をすればいいのか、そういう話をしてるさなかに、A1社長がよそではどういうふうにやってるのですかというような質問をしたのですが、先生はよそではこういうふうにやってるところもあると言われまして、一枚の紙を見せてくれたのです。普通のA4版の紙ですけれども、それに賃貸人変更のお知らせと。(Y先生はその紙を)掲げてみんなに見えるように見せてくれました。あとはテーブルの上に置いてみんなが順繰り見られるようにしました。(みんなでみた後)その紙を先生のところに戻しました。(Yさんは)それを手元にそのまま置きました。」(40回A4・21丁)などと、「2月謀議」の際に上記通知書の受け渡しがどのような形でなされたかについて詳細かつ具体的に証言しており、同証言においては上記通知書の雛形の交付の事実は「2月謀議」の中核としての被告人による犯行指示の事実を直截的に表すものとして位置づけられているところ、交付の時期が2月19日ではなかったということにでもなれば、A4証言の信用性は決定的に崩れ、「2月謀議」が存在したことについても大きく疑われることになる(なお、2月19日に被告人とA1社長らとの間で打合せの機会が持たれたこと自体には争いがない。)。
(イ) 供述の変遷の検討
そこで、検討するに、A4は、上記のとおり、当審公判において、被告人から「賃貸人変更のお知らせ」の雛形を受け取った日を平成5年2月19日であると断言する。また、同人の平成10年11月3日付け検察官調書(甲277・59丁)や同月22日付け検察官調書(甲286・59丁)でも同様の供述が録取されている。
しかし、A4は、公判証言の前に被告人の弁護人から要請を受けて、証人テストのために同人らと10回以上にわたり面会しているところ、その1回目にあたる平成11年5月20日、被告人の弁護人であるA33弁護士とA34弁護士の2人が東京都港区のA4宅を訪れて、A4から話を聞いたが(そのときのやりとりがテープに録音されている。弁116、188)、その際、A4は、
A33:物件見に行かれたことは記憶ありますね。それが一つの節目だと思うんです。それと、もう一つ春、来年の要するに平成5年の春のこともあると思うんですが、その雛形をもらわれたというのは?
A4:その前です。
A33:その前というのは?
A4:先生が、あの、現場見る前だったと思うんです。
A34:前。
A4:ということはね、あの。
A33:物件見る前なんですね?
A4:覚えてるんですよ。あの、日にちは覚えていませんけれども、先生が一度見せてほしいと、言って、でまあ、物件のこと私一番知っていますから、事務所に戻って、「じゃ先生どうやって案内しますか?」、「私行きましょうか?」、「いやいいよ」と、「息子にやらせるから」と。
A34:A2さんですか?
A4:ええ、それは私覚えているんです。あの、警察に言われて。それだから印象に残っているんですね。それはあのー、自分が、やってないんですから。「やろう」、「やりますか?」、「先生案内しましょうか?」って社長に聞いたら、「いい」って言われたのを、それを印象に残っています。だから、その前だと思いますね。
A33:それは間違いないんですね。
A4:ええ。
A33:そうすると、その前に、賃貸人変更のお知らせの雛形をもらったと。そのコピーをくださいというのはA4さんがおっしゃったのですか。
A4:そうです。
と答え、同書面を受け取ったのは、被告人が物件視察を行った前であるとはっきり述べ、平成4年11月に同書面を受け取っていた趣旨の供述を行っており、供述が大きく変遷している。
A4は、上記変遷の理由につき、第42回公判においては、被告人の弁護人と話したときには、被告人から同書面をもらったのは物件視察の前のこと(平成4年11月)と思い込んでおり、その後、証人尋問に先立ち検察官の証人テストをしたときにA3の再建ノートなどを見せられて、平成4年11月に物件視察、同5年2月に同書面の受領といった先後関係を思い出した(42回A4・30丁)と述べていた。しかし、A4は、第43回公判に至り、同証言を訂正し、被告人の弁護人の面前では両者の先後関係を誤解していたとの事実はこれを維持しながらも、被告人から同書面をもらった時期を平成4年11月と誤解していたのではなく、物件視察の時期の方を平成5年3月であったと思いこんでいた、よって、自分はずっと平成5年2月に被告人から賃貸人変更のお知らせの雛形をもらったとの意識を有していた旨の供述をしている(43回A4・53丁)。
しかしながら、弁護人のA4に対する証人テストの際に録音されたテープの聴取報告書(弁188、甲312)等によれば、A4は弁護人との証人テストの際、弁護人から説明を受け、あるいは資料を示されるなどして物件視察の時期が平成4年の11月であったことを明確に指摘され、検察官の証人尋問に先立つ打合せと同程度の、時間的な先後関係を思い出すきっかけを与えられていたといえる。そうすると、A4が物件視察の時期を平成5年3月と思いこんでいたとは到底考え難く、上記の変遷について、A4の記憶が混乱していたとか、本件が証言時から6年以上も前の出来事であるということだけでは説明が付かない。
また、A4は、物件視察について、自分が物件担当者なので被告人を案内しようと思ったが、A1社長がA2にやらせると言ったので自分はやらなかったといった、具体的な状況の記憶を臨場感をもって保持しており、このこととの対比で「賃貸人変更のお知らせ」の雛形の交付時期を思い出そうとする姿勢を当初より一貫して示している。それにもかかわらず、この点の供述を二転三転させており、両者の先後関係が一定していないのは不自然である。
さらに、物件視察の先後関係について誤解していた理由に関する当審公判における説明が変遷しており、特に、平成5年3月に物件視察に行ったとの、これまで全く述べられていなかった供述が突如として出てきたのも不自然であるというほかない。
(ウ) マスターリース契約書の雛形の交付
ところで、A4は当公判廷において、被告人からマスターリース契約書の雛形は受け取っていないと一貫して述べている(43回A4・84丁)。
しかし、A4作成に係る平成5年2月1日付け「cビル」のマスターリース契約書(3回A22添付78丁。なお、弁80ないし84は、「eマンション」ほか4つの物件に関する、別様式のマスターリース契約書である。)は、被告人が起案したと認められる平成6年4月15日付け賃貸借契約書(弁38)と文言、形式等はほぼ同一である(88回被告人34、38丁)。
すなわち、両者を比較すると、両契約書は、第1条の前の冒頭部分に「賃貸人甲と賃借人乙は次のとおり賃貸借契約(以下「本契約」という)を締結したので、その証として本契約書2通を作成し、各自署名押印の上、各1通宛所持する。」との文言が一字一句同じである。また、(善管注意義務)の条項では、「乙は、本物件の内外を善良なる管理者の注意義務をもって使用しなければならない。」と同一文言で記載され、(賃貸期間)の条項では、「賃貸期間は、平成○年○月○日とする。前項の期間満了の1年前までに甲又は乙が相手方に対し、契約を更新しない旨の意思を表示した場合を除き、本契約は期間満了の日の翌日から更に○年間更新するものとし、その後も同様とする。」とほぼ同一文言で記載され、(賃料等)の条項でも「電気・水道・ガス料金等、乙の本物件の使用に付随して発生する一切の費用は、全て乙の負担とする。」と同一文言で記載され、最後の条項には(定め無き事項)の条項があり、「本契約に定めなき事項については、甲・乙協議の上定める。」とあるなど、ほとんどの条項が同一又はほぼ同一の文言で記載されており、同一の雛形から作成されたものと認められる。
他方、A4が対応していたテナントとの間で作成された賃貸借契約書は、例えば平成7年2月1日付けの賃貸借契約書(甲31添付)をみると、冒頭部分に「賃貸人有限会社a4と賃借人株式会社ヴィスカイヤーとの間に、次のとおり建物賃貸借契約を締結します。」と、末尾部分に「上記のとおり契約が成立しましたので、本契約書弐通を作成し、各自署名押印のうえ、各1通を所持する。」とあり、契約の締結と契約書の作成・所持とが冒頭と末尾に記載が分かれているほか、個別の条項もマスターリース契約書の文言とは異なる。その他のテナントとa1社の賃貸借契約書をみても、マスターリース契約書と同じ形式のものはみられない(甲21、25、37、40等)のであって、マスターリース契約書につき、「これは、通常の、一般の契約書を参考にして作りました。」と再三にわたり断言する(40回A4・52丁、43回A4・84丁)A4の当審証言は信用できない。
そもそも、被告人において、「賃貸人変更のお知らせ」とマスターリース契約の各雛形のいずれもがその手もとにあるのに、しかも、マスターリース契約書を作成しておくことは必要だといいながら、ことさら「賃貸人変更のお知らせ」の雛形だけを交付するというのは不自然である。
(エ) 被告人の供述
被告人は、当審公判において、平成4年11月に分社サブリース構想を提案した際、A4から賃貸人変更のお知らせやマスターリース契約書の見本みたいなものがあればもらえないかと言われて、「賃貸人変更のお知らせ」の雛形とマスターリース契約書の雛形を併せてA4に交付したことがあると供述するとともに(80回被告人48丁)、再建ノートの平成4年11月12日と同月25日との間のスペース(同月18日を示すと思われる。)に書き込まれている「92’11 資料あり」の「資料」とは、自分が渡した上記各雛形のことを意味するものと推論される(同50丁)とも供述している。
(オ) 結論
以上の諸事情を総合考慮すると、「賃貸人変更のお知らせ」の雛形が被告人からA4に交付された時期は、平成4年11月18日であり、交付の趣旨は、「分社サブリース構想」の説明の一環としてであり、その際、マスターリース契約書の雛形も一緒に被告人からA4に交付されたものと認めるのが相当である。
これと異なる事実関係を前提とするA4証言の信用性には決定的な疑問があり、同証言がいう「2月謀議」の存在も大きく疑われるというべきである。
(3)  検察官による誘導の疑い
(ア) 理由の明記のない供述の変遷
A4は、前記のとおり、平成10年11月3日付け検察官調書(甲277、弁105)において、「平成5年1月ころからは、Y先生のアドバイスも段々と具体的になってきて、何度と無く、このままではa1社は多額の負債を抱えて債権者に所有物件を差し押さえられて、早晩潰れてしまうのは目に見えているので、a1社が生き残るためには別途管理会社を作ってそこで賃貸物件の管理をするようにしなさい。a1社が管理会社と物件の賃貸借契約を結び、テナントからの賃料を管理会社の口座に入金するようにして、例えば全賃料の3~4割くらいを管理費として管理会社に留保すれば、たとえa1社が潰れてしまっても、a1社の債権者の差押えは管理会社にまでは及ばないので、管理会社の方は残る。それに、今すぐという必要はないけれども、将来的にはa1社の社員を管理会社の方に移すようにした方がよいというようなアドバイスをするようになりました。」、などと述べ、当時被告人から管理会社の話が出ていたことを明確に述べている(※6)。
A4は、弁護人との証人テストの際にも、「a2社に人を移して、a2社でまあ、何とか食いつなげるじゃないかと、経費で。a2社分の経費で。そういう話なんです。」、「管理費、管理費とあと人件費と、まあ、多少の経費、まあ、それで、何人か喰える、喰えるぐらいの、それ、3人で喰えるような割合ですとか。」(甲312・弁116)、「(平成4年の11月の末くらいからね、どうするかということで、その分社してサブリースしようという話が出てきたような感じもあるんですよ。そういうことは覚えていらっしゃいます。)それは、やっぱり、あのー、Y先生の方からのアイデアだったと思うんですね。まあー、ほかでもやっていた話だと思うんですけど。」、「(テナントに10貸した場合に、a2が10とりますよね、それを今度a1社に賃料として一括賃料として支払う割合を例えば6対4とか7対3とか具体的にそういう数字で話が出ていたことは)特定はしなかったと思うんですが、今言った割合ぐらいだったと思うんです。まあ、常識的な線。」(甲312・弁118)など述べているほか、当公判廷においても、管理会社を設立してそこで生き残る、将来的にはその管理会社に従業員を移す、テナントからの賃料はa1社と管理会社で60と40に分ける、新しい会社の社長はA4がなったらどうか、などの構想が被告人の口から出ていたことを述べている(43回A4・37丁)。
ところが、平成10年11月22日付けの検察官調書(甲286・弁113)には、平成5年1月ころの管理会社構想の供述は完全に削除され、同構想は、「私の記憶では、平成6年後半ころからY先生は、このまま金融機関に内入れしていても、払った分だけ損になりますから、内入れするのは止めてしまいなさい、と何度も繰り返し指示するようになりました。また、…もともと各物件の管理費に対しては債権者は差し押さえることはできませんので、賃料のうち30~40パーセントくらいを管理費ということにして、万一債権者に賃料を差し押さえられても、その分管理費という名目で守れるようにしておきなさい、とも指示してきました。前にも申し上げましたとおり、a1社が管理会社に賃貸物件の管理業務を委託するなどということは形だけのことであり、もともとそのようなことをしなければならない必要性など全く無かったわけですから、このときのY先生の指示も、形を変えた賃料隠しに他ならないことは明らかでした。」と変化し、平成6年後半ころの話として記載され、さらには、「平成5年1月ころからは、Y先生は何度と無く、このままではa1社は多額の負債を抱えて債権者に所有物件を差し押さえられて、早晩潰れてしまうのは目に見えているので、a1社が生き残るためには別会社を作ってそこにテナントからの賃料振込先を振り替えてしまいなさい。そうすれば、債権者の差押えは別会社の口座にまでは及ばないので、a1社の賃料収入を債権者に持っていかれることはありません、という指示を与えるようになったのです。」と記載され、被告人の強制執行妨害の指示がより直截に述べられている。
このような供述の変遷は極めて不自然というべきところ、変遷の理由は何ら明らかにされていない。
※6 上記記載に引き続いて、「繰り返しなされるY先生のこのアドバイスを聞きながら、あまり現実的な話ではないし、どれだけの効果があるのかも疑問だな、という思いが拭えなかったのですが、そのうちにY先生自身も本気で実体のある管理会社を作れという趣旨で言っているのではなく、被告人は管理会社を噛ませるという外形を整えろ、という趣旨で言っているのだなと気付いたのです。」との記載が付加されており、最終的には、被告人から強制執行妨害の指示があったことを認める形の調書にはなっている。
(イ) 被告人の関与を強調する方向での用語の一括変換
また、平成10年11月3日付けの検察官調書(甲277・弁105)は108頁、同月22日付け(甲286・弁113)の検察官調書は147頁と大部の調書であるところ(なお、捜査段階における関係者の供述調書の作成状況については、平成14年1月26日付け「検察官の証拠調請求に対する意見書」22丁を参照)、その半分以上が同一文言の記載であり、誤字脱字等も共通し、後者は前者のデータをコピーして作成されたものと認められるが、これらの調書を更に詳細に比較すると、前者では「勧めた」、「指導」、「アドバイス」、「このようにした方が良い」などとと記載されていたものが、後者では「指示」、「細かく指示」、「このようにしなさい」などと一括変換されているほか、「法律相談」が「経営相談」に、「日興キャピタルの担当者も来ていた」が「日興キャピタルの担当者も頻繁に来ていた」に、「対処方法」が「対抗方法」にそれぞれ変更されている(平成13年4月24日付け弁護人更新意見書添付の供述対照表参照)。同様に、平成10年11月1日付けA4の検察官調書(甲276・弁104)と、同月21日付け検察官調書(甲285・弁112)も、半分以上が同一文言の記載であるほか、「勧めた」を「指示した」に、「こと」を「賃料隠し」に、「法律相談」を「経営相談」にするなど、検察官の意図的な変更が加えられている。これらの変更部分に関しては取調検察官の意向が色濃く反映しているものと解される。
(ウ) 以上によれば、検察官によるA4の供述調書の作成に当たっては、検察官の強い誘導とA4の側での迎合があったのではないかと疑われる。
なお、A4につき、同人が本件で不起訴処分とされたことはさておいても、退職金名下にA5らと共に多額の会社資金を横領した嫌疑があるにもかかわらず何ら捜査機関の追及を受けていないことの関係で(※7)、一種の司法取引のような形で全面的に捜査機関に迎合する供述を行った疑いがあることについては、本判決157頁以下及び185頁以下で別途改めて検討する。
※7 A4は、平成10年11月1日付け検察官調書(甲276)において、退職金の金額について、2700万円と述べている。この金額は、退職パーティのときにA1社長から交付された額面2100万円の小切手と、翌月末にA1社長に頼みこんで新たにもらった600万円の小切手を併せた金額の合計額と考えられる。実際には、分配金としてA5から受け取った4900万円と上記600万円の合計額である約5500万円を取得している(上記の額面2100万円の小切手については、A5が回収している。)。そして、4900万円については横領の疑いが、600万円については詐欺の疑いがある。
(4)  まとめ
以上の次第で、「2月謀議」及びその中核たる被告人による犯行指示の事実を認めるA4供述には、信用性について、複数の観点からの重大な疑問が存在し、到底これに依拠して上記各事実を認定することはできないものというべきである。
3  A3の当審証言の信用性
A3は、a1社の債権者対策の責任者であった者であり、強制執行妨害という本件の事案の真相の解明に当たっては、その供述内容が極めて重要な意味を持つことはいうまでもない。
(1)  有罪方向の証拠としてのA3証言
(ア) 証言するにあたっての基本的スタンス
当審におけるA3に対する証人尋問は、平成11年8月26日の第13回公判から平成12年6月13日の第33回公判まで、約10か月、公判回数で21回にも及ぶものであるが、その証言を通覧すると、平成元年ころから平成10年10月ころまでの間のa1社及びその国内外の関連会社の経営・財務・資産のほか、各金融機関との交渉状況等、極めて広い範囲の事項につき、同人記載の再建ノート、手帳等を示すなどして、詳細な尋問がなされている。このような尋問に対し、A3は、具体的な出来事等については記憶がないと述べ、特に自分は賃貸人変更の手続をしたわけではないから本件に関する記憶はほとんどないと答えている。
すなわち、既に検察官の主尋問に対し、「私の生の記憶から言ったら多分何もないだろうと思います。後で記録を調べたり、それからこんな話があったということから推測するという面が随分入っています。私が先ほど断ったのは、私が賃料振替えをやった当事者でないので、極めて本件についての記憶が、私の記憶も薄くなっていますし、ちょっと的確でない部分があるかもしれないと、そのへんは十分考えていただきたいということです。」(14回A3・43丁)と述べているほか、弁護人の反対尋問に対しても、「私は実際に国内のそういう仕事にはタッチしてないんで、私はそれだけをメモ取って、そういう(賃料振替えの)先入観でいたかもしれない。だから、それをきちんとどういう意図でこれをやったかというのを説明できるのは社長とY先生きりいないと思いますよ、あとA4と。そもそも国内問題について私の記録というのは、確かに記録はあるのですけれどもね、この記録の意味を完全に僕に問うて、僕の答えが証拠力があるというふうに思えるのかなという、思えないんじゃないかというふうに私は考えているのですよ。こういう話合いは確かにあったと、しかし、この話の中の心というのが、真実どういう意図でこういう発言があったのかということについて一番押さえているのは、経営の本質を押さえているのは社長であり、それから実行担当のA4であり、こういう話をされた先生だと、こう思っているのですよ。私の書いてあること、これは単なるその場あった記録であり、それをわたしがどういうふうにそしゃくしてたかという問題であって。この本質というのは、私じゃありませんから、それをお分かりいただきたい。」(21回A3・62丁)、「今度の事件について(具体的な記憶が非常に乏しく、記録を示されてもよくわからないということがずいぶんあるが、)私が持っているのは器だけですよと、中身については非常に危ないよということは、検察側にも、ずいぶん説明しています。弁護人側の方にも説明してる。中身は実際に指導された先生と、受けた判断者の社長と、それから実際にやったA4と、A5も経理面を持っていると、そういう人に中身を補ってもらわないと、いくら話をしても、中身のないものになりますよということを何回も私は言っているんですよ。」(33回A3・12丁)などと述べている。
(イ) A3証言中の被告人の犯行指示に関する部分のあいまい性
〈1〉 検察官が、A3の当審証言中、被告人の犯行指示に関する部分として引用しているところをそのまま転記すると、以下のとおりである(論告28丁)。
「私は、a2名義の口座等で賃料を受け入れることを賃料振替えと呼んでいたと思います。賃料振替えという方法を教えてくれたのはY先生です。(被告人からの説明は)賃貸人たるa1社と賃借人たるテナントの間に一つ会社を噛ませることによって、差押えが効かなくなるということだと記憶しています。」(13回A3・22丁、14回A3・43丁)、「一般論として、賃料の差押えがあるかもしれないから賃料の振替えをやっておく必要があるという話があったことを記憶している。平成4年暮れくらいから平成5年初めにかけて、賃料の差押えがあるんじゃないかという話が浮上してきたように私は記憶しているんです。(Y)先生のほうからも一般論として、賃料の差押えというのがあるんだよというような話があったんじゃないかなと、私の記憶はそういうところですね。記憶ですね。推測じゃなくて。そんな話だったと思います。(被告人から、賃料債権の差押えに対する)防御措置をとらなきゃなりませんよと。それは、いわゆる第三者を噛ませて賃料の差押えを回避するんですよという話があったと記憶しています。」(21回A3・60~65丁)、「平成5年の2月か3月ころに賃料の差押えを受けるといけないから、対策を講じなければいけないと言った中で(中略)その当時、私が(被告人から)聞いたのは、差押えを受けちゃうよと、早くやらないと、だから急げ、と言われたように私は理解していたんです。(32回A3・34丁)、「(被告人の賃料振替えの指示は)何回かに分けて出たように記憶しています。多分賃料振替えをやることについて社長もA4もいろいろと躊躇があったんじゃないかと思います。A1社長が、『じゃあやらざるを得ないかな』と言ったのは、かなりぎりぎりだったような記憶があります。賃料振替えをやる一連の会議の中でA1社長がいた一番最後あたりにやらなきゃいけないと言ったのではないかという漠然とした記憶があります。多分平成5年2月19日に(賃料振替えを)やらなければという結論が出たと思います。」(14回A3・42、78丁)、「(被告人からは、賃料振替えのために使う会社の)数は、多い方がいいんじゃないかとのアドバイスがあったように記憶しています。(会社の数を複数にするのは)賃料振替えの実態が余り分からないようにすると、いわゆる中間会社を挟むことによって賃料の差押えを難しくするのと同じに、その延長線上で会社の数はあったほうがいいだろうと理解しました。」(14回A3・73丁、31回A3・5丁)。
〈2〉 検察官としては、A3証言中、もっともはっきりと被告人の犯行指示を認めた部分として上記の引用部分を抽出したはずであると思われるが、それにしてなおこの程度のものでしかないのである。そのあいまい性は、「一般論として」、「と思います」、「と言われたように私は理解していたんです」、「多分」、「漠然とした」、「と理解しました」といった語句の多用からも明らかであるし、目的と行為を直接結びつけた形の明確な犯行指示を言う部分は極めてわずかでしかない。
(ウ) 反対尋問を受けての供述訂正
A3の証言中、被告人の犯行指示に関する部分のあいまい性については上記のとおりであるが、当該部分は反対尋問にさらされ、ついには証明力を失っている。すなわち、A3は、以下のように、被告人の分社サブリース構想の説明を強制執行免脱の犯行の指示と誤解した可能性のあることを認めるに至っている。
〈1〉(21回A3・61丁)
「なぜか平成4年暮れぐらいから平成5年初めにかけて、賃料の差押えがあるんじゃないかという話が浮上してきたときに、賃料の差押えを回避するために間に会社を入れるという話だけが浮上してきたように私は記憶しているんです。なぜだか分からない、これだけいろんな管理会社構想というのが前からあり、その後もそういうものが出てるわけですよ。ところが、そのときにだけそういうものが出てきたと、これが私は分からない。なんだ、これはと後にして思って、今度の事件が起こって、私はつらつらと思うのですけれどもね。これだけいろんな用意周到なことをしておきながら、そのときになってなぜあれだけになっちゃったんだと、これはひょっとしたら私の聞き違いかもしれない、私は実行担当者じゃないから、メモは残ってますけれども、ほかの意図があったのかもしれない。私の独断というか、断はないけれども、私だけがそういうふうに理解したのかもしれない。そういう話がこの管理会社、ここに書かれている管理会社を前提として、そういうことを行えと、行うべしという話が出たのを、私はそれだけを取っちゃったのかもしれない。」、
〈2〉(28回A3・55丁)
「Y先生からは、さっきの起業すべしも含めて、建設的な意見をずいぶん聞いて、香港のホテルのときも頑張っていただいて、非常に前向きにやってきたと、ところが、実際に賃料振替行為が行われた頃の直前というんですか、その頃になぜか、私の記憶にあるのは、早くやらないと間に合わなくなるよと、まだやらないのというような話がY先生からあったように記憶してるんですね。それがその当時は私は一般論として出てきた賃料の差押えということに結び付けてだけ、私の頭の中に残ったんですね。それで会社の再生ということと切り離されてしまったと、私の頭の中で。非常に残念だと。これだけ、いろんな用意周到でやってきた中で、そういうことが間違えて行われたのか、これはそういうふうに言われてもやらなかった人、A5、A4がやらなかったのか、あるいは社長の指示が弱かったのか、先生の指導が弱かったのか、そのへんがちょっとわからないんですね。ぼくは自分自身としては何とかそれを結び付けて、これをてこにして、新しい会社の存続ということを、出発ということを、結びつけられないかと思って、A5に経理をどうするのと聞きに行ったり、なにか、ある時期、どうもなかなか経理がうまくいかないんですよという話を先生としたこともあるような気がするんですね。」、
〈3〉(32回A3・34丁)
「平成5年の2月だか3月のころに、その賃料の差押えを受けるといけないから、じゃ対策を講じなければいけないよと言った中で、今にして思えば、Y先生が、早く中間会社を設立しないと間に合わなくなるよと言っていたんではないかなと私は思うんだけれども、その当時、私が聞いていたのは差押えを受けちゃうよと、早くやらないと。だから、急げといわれたように理解したんです。いわゆる、賃料の差押えを受けることを回避するためだけに、この賃料の振替えをやるというふうに私は理解しちゃった。」、
などと述べている。
(エ) 供述訂正の意味は重く、当初供述の信用性は失われる
〈1〉 検察官は、A3の上記のような供述訂正について、大学を卒業し、銀行に勤務していた経験のあるA3が被告人の指示内容を誤解するようなことは考えられない、また、被告人及びA1社長の裁判結果に重大な影響を及ぼす事項について被告人らに不利益な供述をすることは心情的に回避したい、ないしは、自分の供述を重要視されたくない、との心理から被告人の弁護人に迎合したものである、さらには、A3の供述訂正は、「弁護人から説明を受けた被告人の指導内容というものが仮に正しいのであるならば、自分の認識が間違っていたと思う。」旨述べたものにすぎないなど、るる理由をあげて、当初の供述の信用性は減殺されないと主張する(なお、検察官は、A3の検察官調書について刑訴法321条1項2号後段に基づく取調請求はしていない。)。
〈2〉 しかしながら、検察官の主張のうち、まず、大学を卒業し、銀行に勤務していた経験のあるA3が被告人の指示内容を誤解するようなことは考えられないとの点については、被告人主張の分社サブリース構想なるものは、一般に行われているものではないこと、所有と占有の分離という意味で、少なからず、被告人がa1社の海外物件の売却交渉にあたった際の経験から発想された側面があるように思われること、また、A3はa1社においてもっぱら債権者との交渉を担当していたのであって、こうしたことから何事につけ債権者対策、差押え対策に引き寄せて考えがちになることは十分にあること、業務日誌等の記載を詳細に検討すると、A3は日住金のa1社担当者であったA17と親密に交際し、日興キャピタルなどの債権者対策や被告人から聞いた分社サブリース構想について相談していたが、A17は、上記分社サブリース構想を強制執行対策と誤解し、A3に対して、同構想は、強制執行対策としては効果がない旨批判した上で、賃料債権譲渡や賃料振込先の弁護士名義の銀行口座への変更の方策を教示しているとの事実が認められるところ、このようなA17との交際の中で被告人がA17の誤解を引き継いだ可能性があること(※8)、などの諸事情に照らすと、誤解することは十分あり得るというべきである。
※8 業務日誌等の証拠中、A3とA17との親密な関係や、2人が強制執行対策などを話し合っていたことをうかがわせるものとしては、業務日誌の平成4年7月7日欄・「A17氏(場合によっては一緒にやらんか) 日興対策(家賃差押え)」、手帳の同日欄・「A17(日住) 日興対策(家賃差押え)・債権譲渡(都税)は?・管理会社は前向きでない・弁護士口座への振込み」、業務日誌の平成4年12月11日欄・「日住(A17、A18)fマンション別会社はダメだ賃収債権譲渡が必要だ。」、業務日誌の平成5年3月4日欄・「A17 債権の債権譲渡案(kビル)eマンション、cビルは引延しだけ。」、業務日誌の平成5年4月5日欄・「A17コメント(三和BF)・大きいもの税引当へ・テナントと話合い・他物件は問題ない(仮差)」などの記載がある。
2人とも、親しく交際していたことについてはこれを認め、A3は、A17を非常にざっくばらんな人物で、月1回くらいa1社に来ては一緒に食事をしたりして不動産市況の世間話をするなど、親しく付き合っていたと述べ(23回A3・51丁)、A17も、A3は自分の前では銀行員に戻り、銀行員対金融マンという形での付き合いがあったと供述している(69回A17・6丁)が、強制執行対策を話し合ったといったなどのことになると、2人ともに分からないとか記憶がないと述べる(13回A3・49丁、67回A17・20丁等)。しかしながら、A17は、平成8年10月から住管機構第1事業部東京支店の副支店長の地位にあり(66回A17・2丁)、その立場上からすると、昔のこととはいえ、日興キャピタルなどの他の金融機関に対抗するような発言をしていたことや強制執行逃れの方法を教示していたことの各事実を明らかにすることははばかられるところであって、記憶がないと述べる同人の証言は上記のような理由から出た虚偽のものと解するのが相当である。
〈3〉 また、A3は被告人に不利益な供述をすることは心情的に回避したいとの心理から供述訂正をしたとの検察官の主張については、後述するように、A3は被告人が罪証隠滅を指示したなどと証言している事実からすると、到底採用の限りではない。
最後に、A3の供述訂正は「弁護人から説明を受けた被告人の指導内容というものが仮に正しいのであるならば、自分の認識が間違っていたと思う。」旨述べたものにすぎないから当初の供述の信用性は減殺されないとの検察官の主張については、A3は、弁護人から説明を受けた被告人の指導内容というものが「正しいものである可能性が十分にあること」を自ら肯定した上で、それならば「自分の認識が間違っていたと思う。」旨述べていると解されるから、訂正供述の意味は重く、当初の供述の信用性が大きく動くことは当然であり、これまた採用の限りではない。
(オ) 結論
以上によれば、A3は、被告人の犯行指示について、基本的には生の記憶はないと述べつつ、断片的、かつ、あいまいな形では生の記憶がないわけではないとも述べているが、これとても、反対尋問にさらされた結果、被告人が犯行を指示したとの自分の認識は間違っていたと思う旨述べるに至っているのであって、ことここに及んでは、同人の当審証言を有罪認定のために用いる余地はないと言わねばならない。
(2)  無罪方向の証拠としてのA3証言
(ア) 「2月謀議」の成立の契機とされる催告書の送達は出来レース
〈1〉 催告書の送達の位置付けに関する主張の対立
検察官は、内容証明郵便による催告書の送達は、三和ビジネスがa1社に対し債権回収の姿勢を明確に表し、a1社の期限の利益を失わせ、同社に対し強制執行することを念頭においてなされたものであり、催告書の送達が直接の契機となって、a1社は危機感を募らせ、対抗策を講ずるべく犯行の謀議を遂げ、さらには実行に及んだと主張する。
これに対し、弁護人及び被告人は、内容証明による催告書の送達は出来レースであったと主張する。すなわち、「eマンション」に2番抵当権の設定を受けている第一生命が1番抵当権者の三和ビジネスの債権を引き取る(肩代わる)話は以前にもあったところ、同催告書は、債権の肩代わりの話をあらためて第一生命に持ちかけるにあたって、三和ビジネスとしては、催告書を出すことによってあたかも競売の手続に踏み切ることに決定したかのように見せかけることによって、2番抵当権者の第一生命をして、この機会に1番抵当権者である三和ビジネスとの間で同社の債権の買い取りの交渉をしないと、競売が実施されて低い価格で競落され、被担保債権の回収が全くできないということにもなりかねないと思わせて、債権引き取りの交渉のテーブルに着かせようとしたものであり、三和ビジネスとしては、競売を申し立てるつもりなどなかった、このことを知っているa1社としては、何もあわてる必要はなく、賃貸人の地位の移転を仮装するというような対抗策をとる必要もなかった、と主張する。
〈2〉 A3証言は催告書の送達が出来レースであることを明言
皮肉なことというべきであるが、検察官の有罪立証の柱の一つとされているA3証人が、無罪方向の決定的な事実ともいうべき出来レースの存在を明言している。
i(14回A3・39~40丁)
検察官: その日の話の中身を今見たのを手掛かりに思い出してもらいたいんですが、どういう話だったんでしょうか。
A3 : ここに書いてあるとおり競売しても回収したいのでというふうに思っていますと、そういうことを第一生命に伝えてほしいということですね。それで内容証明を出すというのは、私のほうからその意向を伝えるのに三和ビジネスファイナンスの意向を示すような書面をくれないかというふうに言ったんだと思いますね。それで三和ビジネスさんが内容証明をじゃあ出しますよと、こういう話だったと思います。
検察官: この日会ったのは、三和ビジネスの相手方はA19さんという記憶でよろしいんですか。
A3 : どうもこの前の打ち合わせのときにいろいろと聞かせていただいたりしたのによると、そういうことのようですね。
検察官: 聞かせたというのは、何の話ですか。
A3 : テープです。ここの記載だけからは思い出しません。
検察官: それで、このときの相手方の三和ビジネス側の態度というのは債権回収ということに向けて強い態度だったんでしょうか、それともそれほどでもないという印象だったんでしょうか。
A3 : まだそんなに差し迫った感じではなかったというふうに記憶しています。
検察官: 一つ念押しをしたいんですが、このとき三和ビジネス側は、この記録によると競売しても回収をしたいという意向を伝えてきたということですね。
A3 : はい。
検察官: それは債権の回収に向けてある程度強い言い方があったのではないんですか。
弁護人: 裁判長、異議があります。今ここに書いてあるのは「競売しても回収の意向を一生に伝えてほしい」というふうに書いてあって、a1社に対して競売をするという意向を伝えてきたという意味ではないというふうに理解できますので、今の尋問については誤導になると思います。
裁判長: 中身の理解をまず証人自体に確認してからですね。

 

検察官: じゃあ、もう一度今の2月12日の状況について確認しますけれど、a1社に対しては場合によっては競売も考えますよというような趣旨のある程度強い要求というのはなかったんでしょうか、あったんでしょうか。
A3 : なかったと思います。ここに書かれているとおりです。第一生命にこういうことを言ってくれと、第一生命がもし融資を肩代わるならば譲りますよという趣旨じゃないかと思います。
ii(32回A3・82丁)
弁護人: 三和ビジネスクレジットからの催告書がa1社に到達したことによって社内的に動揺を来したということはありますか。
A3 : そんなことはないでしょう。
弁護人: 従来からのほかの債権者、住商リースであるとか三井信託銀行とかから催告書が来ていた例はありますね。
A3 : ええ。そもそも三和のあれは、催告書というのはいわゆる形式的によこしたというあれでしょう。だから全然そんなことはないでしょう。
弁護人: あなたの認識としては、そういう形式的なものだったという理解でよろしいですね。
A3 : そうですね。
〈3〉 出来レースの存在を裏付ける客観的証拠としての録音テープ
3月3日の、a1社のA3及びA2と三和ビジネスのA19との間の交渉の状況を秘密録音したテープ((甲208。平成10年10月20日、A6がa1社において任意提出したカセットテープ9本のうちの1本で、Sanwa Business Credit 3/3/93と手書きで記載されたラベルが貼付されたもの。甲220はそのA面の反訳書。反訳書で三和Aとある人物がA19。)によれば、A3は、世間話のあと、本論に入り、その冒頭で、「ああいう、ああいう紙をもらっちゃいますと、まさかあれを持っていって『こういう風になりましたんでね、何とかして下さい』って、こう言うわけにいきませんしね。いかに、その、まあ、第一生命さんに、その、アピールするためにね、真剣に考えていただくために、ああいうことをしたんだというにしても、ちょっとこれは、あの、持っていけないと、困っちゃったなと。私は初めからどうもそんなふうに考えていたんですけどね、だから、何とか、簡単なお手紙という風に申し上げたんですけれども。」と述べている。元銀行マンらしい、物事を明言せず、相手に自分の真意を推し量らせるような特有の言い回しであり、しかも、皮肉も混じっているようであり、いささかわかりにくいところがあるが、要するに、「第一生命に真剣に考えてもらうために、その道具立てとして、三和ビジネスからa1社宛てに競売申立も考えているというような厳しい支払督促の通知を出してもらうとの約束だったですよね。ところが、実際に届いた通知は、内容証明付きの、しかも、5日以内の返済の催告と不履行の場合の期限の利益喪失という、事情を知らない人がみれば期限の利益喪失という法的効果が本当に生じると思うようなものだったですね。こんな通知じゃ、とても第一生命に持って行って示すことなんかできませんよ。かといって、それでは通知を送ってもらった意味がなくなってしまう。困ってしまいましたよ。」というほどの意味である。この部分こそまさに出来レースであることの一札をとりつけようとしたものにほかならないというべきである。A3が、同日の業務日誌に、当日の交渉の要約として、「三和(A19) 内容証明が形式書面たること否定せず。賃収明細を賃収差押えには使わない。値引き譲渡はあり得る。話は3月末までを希望する。6ヶ月はコマル。」と記載し、一番最初に「内容証明が形式書面たることを否定せず」との記載をしていることは、このことを裏付けるものといえる。
〈4〉 出来レース説は三和ビジネスとa1社との間の従前の交渉経緯ともよく符合する
A19の当審証言その他の関係証拠によれば、以下の事実が認められる。すなわち、三和ビジネスでは、a1社に対する債権は当初、業務第2部が管理していたが、a1社の不渡りと延滞により、平成4年6月ころに融資管理部に移管された。これに伴い、担当者もA20からA21に替わった。そして、A21が転勤したことにより、平成4年10月からA19が担当することになった。当時、A19は、約80社の債務者を抱えており、a1社より先に処理すべき案件が2、30社もあったため、a1社への対応は遅れ、平成5年2月になってようやくa1社に対応できるようになった。この時期になってa1社にアプローチすることになったことに特段の意味はなく、優先順位の高い案件の処理が終わったためにようやくa1社に対応できるようになったというだけのことである。そこで、A19が引継書をあらためて見てみると、「高値競落又は任意引取の余地見込める」とのA21の意見が付されていた。任意引取については、平成4年5、6月ころに、A20が、後順位抵当権者の第一生命に第1順位抵当権付債権の引取の交渉をしたことがあった。A3の業務日誌の平成4年5月27日欄「三和ビ.ク(A20)一生に引き取るように言ってほしい。(一生)一度、あいさつ来る」、同年6月6日欄「三和ビー第一生命に引取り折衝してほしい」、同年6月15日欄「一生(A39氏) 三和ビジクレから競売の申入れあり、再調査したい。」などの記載は、A20による交渉を示すものである。しかし、前記のように三和ビジネスの社内でa1社に対する債権回収業務が業務第2部から融資管理部に移管となり、これに伴って、担当者がA20からA21に替わってからは、A21においてa1社に対応した形跡はなく、債権引取交渉は、いつの間にか沙汰止みとなった。平成4年11月18日の打合せの際のA3作成資料中の「債権者の動き」と題する書面(その裏面にチャート図が記載されている書面)には、「三和BF 抵当証券登記抹消を要求されたが断る。その後、音なし、やゝ半年」と記載されている。このうちの「その後、音なし、やゝ半年」というのは、以上の経緯を裏付けるものである。さて、A19は、平成5年2月、いよいよa1社の案件に着手することになったが、実際にa1社にアプローチするにあたっては、前々任者のA20に頼むことにした。前任者のA21は転勤していて社内にはいなかったし、同人はa1社と実際に折衝した経験もなかったからである。A20は2月5日(業務日誌同日欄参照)、A3に連絡を取り、2月12日にa1社を訪問することでアポイントメントを取った。2月12日当日、A19は、A20と2人でa1社を訪れた。
以上の、A19証言及びA3の業務日誌によって認められる事実、なかんずく、三和ビジネスは、a1社に対して、7か月ぶりに交渉を再開したものであることや、前回の交渉では後順位抵当権者の第一生命による債権引取の話をしていたが、話は進展せず、いつのまにか沙汰止みになってしまっていたこと、交渉再開にあたり以前の担当者が同行したことなどの諸点にかんがみると、いきなりその場で強制執行の話を持ち出すというのはあまりに唐突で不自然というほかない反面、交渉を再開するにあたっては、ひとまずは従前の交渉との連続性を考えて、その延長線上に立つこととし、その上で打開策を講ずるべく一計を案じたのがまさに出来レースとしての催告書の送達であったとみるのが事実経緯としてずっと自然というべきである。
このようにして、出来レース説は三和ビジネスとの間の従前の経緯とよく符合するものである。
〈5〉 出来レースの存在をいうA3証言は被告人の供述及びA2の証言によって裏付けられている
i 被告人の供述
被告人は、催告書が出来レースであることをA3から聞いたとして、次のように供述する。すなわち、2月12日、A1社長とA3は、a1社を訪れた三和クレジットのA19とA20と面談した後、被告人の事務所へ打合わせに出向いているところ、「(このとき、三和ビジネスクレジットから内容証明ないし何らかの通知が来ることは、全く伝えられていなかったわけですね。)聞いていません。」(80回被告人122丁)、「(業務日誌の2月12日欄の報告漏れとの記載はYさんに対する報告漏れかもしれないということは、A3さんも言っておられるんですけれども。)そうだと思います。」(80回被告人121丁)、「(2月16日に三和ビジネスクレジットから内容証明が送られたことは、その日にa1社から連絡はありましたか。)A3さんから連絡を受けたんです。」(80回被告人122丁)、「第一生命に引き取らせる道具立てとして、内容証明を出してもらうことにして、その内容証明が届きましたと、こんな内容証明なんですよということをおっしゃったわけです。」(80回被告人122丁)、「ですから、なんというばかなことをやるのかと。内容証明というのは大変重要な証拠文書ですから、そんなものが、いかに手段といっても、そういうふうな訳の分からないと言っていいんでしょうかね、ことをやるべきじゃないと。担当者が変われば独り歩きするのは明々白々ですから、それが手段であるなら手段であるということをはっきりさせるように、そういう一札でも取り付けなさいということをA3さんに強く言ったわけです。」(80回被告人123丁)、「(業務日誌の2月16日欄の「三和BC 手段とりつける(Y弁)」との記載は)言葉が省略されていまして、三和ビジネスの内容証明は第一生命に担保を引き取らせるための手段であることの一札を三和ビジネスから取り付けるように、ということなんです。あなたがやったへまだから、それはちゃんとしりぬぐいしてくださいということです。」(80回被告人123丁)、「(何か文書でももらえという趣旨を言ったわけですね。)そういうことです。いわゆる裏念書をもらってくると。それは単なる手段であって、本当の法的根拠はありませんということの裏念書をもらえということです。」(80回被告人124丁)、「A3さんが、裏念書をやっぱり取れないというか、取りづらいとおっしゃるものだから、まあ、裏念書をとるということは、逆に言えば相手の言っていることを信用しないということですからね、それを露骨に示すことになるわけですから、それについてA3さんの中にやっぱり抵抗がある、それは抵抗があるのは確かだと思うんです。ただ、抵抗なく、じゃあそういう証拠として固めるとすればテープ録音しかないじゃないですかと。それも隠し録音ですね、ということを提案して差し上げたわけです。それが19日のことです。」(80回被告人124丁)、「(再建ノートにはり付けられた用紙の2の(1)三和BFと書いてある下に、赤いボールペンで、テープと書いてあります。これがその、Yさんがテープを取れと指示されたことがメモされてる部分なんでしょうね。)ええ。」(80回被告人124丁)、「(この貼付メモの赤ボールペンというのは、19日のことが記載されているということが確認されてるわけですね。)そうです。」(80回被告人124丁)、というものである。
以上の被告人の供述は、平成5年2月12日から同月19日までの間の出来事について、A3の業務日誌や再建ノートといった客観的証拠や関係者の供述ともよく整合しており、その信用性は高い。
ii A2の供述
A3から頼まれて茶色のかばんの中に録音機を忍ばせて秘密録音を実行したA2は、「(秘密録音をしてまで会話をテープに録音した趣旨について)三和ビジネスから来た催告書が、どういう意味で送ったかを確認を取るために録音しました。」(61回A2・108丁)と証言している。
〈6〉 出来レース説を否定するA19証言の信用性は低い
A19は、平成5年2月12日と同年3月3日の出来事について次のように証言し、出来レースの存在を否定している。すなわち、平成5年2月12日、A20と2人でa1社を訪れ、A1社長とA3の2人と交渉した、席上、三和ビジネスからa1社に宛てて催告書の内容証明を出すこと、期限の利益が切れたら法的な手続をとることもあり得ること、返済計画を出してほしいことを話した(1回A19・6丁以下)、その面談の際、内容証明は形だけであり、すぐに支払ってもらえないのは分かっているという趣旨のことを言った記憶はない(2回A19・10丁)、その後、3月3日、この日は自分ひとりでa1社を訪れ、A1社長とA3の2人と交渉した、席上、内容証明が着いたことを確認し、内容証明の意味について再確認をした、内容証明には、到着後5日以内に返済がない場合には期限の利益が切れると書いてあるので、その状態になったことをまず宣告した、法的には期限の利益が切れているので、競売する権利が生じており、競売も念頭に置きながらの話をさせていただくと話した、すると、返済計画を作るので何とか待ってほしいと言われた、そこで、3月10日までに返事をしてほしいと答えた(1回A19・10丁以下)、第一生命に催告書の件を話したが第一生命は債権を引き取らないと言っているという話をA3から聞いたかは記憶にない(2回A19・11丁)、などと証言している。
しかしながら、まず、2月12日の交渉について検討するに、前述したように、三和ビジネスが、この日、a1社と折衝することになったことについては特段の意味はなく(1回A19・6丁)、担当者のA19において、優先順位の高い案件の処理が終わったことから、ようやくa1社に対応できるようになったからというだけである。この日までの約7か月間、a1社から三和ビジネスに約40万円の内入れ金が毎月支払われているだけで、A3の業務日誌や押収してある三和ビジネスのa1社関係のファイル(甲102)などを見ても、両社間でそれ以上に何らかの連絡をとりあったふしは見あたらない。このような状況の中で、いきなり、5日以内に返済しないときは期限の利益を失う旨の内容証明を送るという話が出るであろうか。いかにも唐突であり、不自然である。また、2月12日に、出来レースの意味ではなく、本当の意味での、内容証明を出す旨をA19から言われたのであれば、実際に内容証明が到着するのを待つまでもなく、当日、すぐに被告人にその旨を報告するはずである(検察官は、冒頭陳述においては、A1社長はその日のうちに被告人に報告して対抗策についての指導を仰いだ旨主張していたが、論告では、主張があいまいになっている。)。しかし、業務日誌の2月12日欄に報告漏れとの記載もあるように、当日、被告人には報告していないのである。しかも、被告人との打ち合わせが当日あったにもかかわらず報告していないのである。このことは、2月12日の予告に係る内容証明が本当のものでなかったことを強くうかがわせる。
次に、3月3日の交渉については、A1社長は当時、海外出張中であり日本にはいなかった(甲151)から、A1社長とA3の2人と交渉したとのA19証言は間違いである。のみならず、A2証言(61回A2・108丁)によれば、交渉の場所は三和ビジネスの事務所であったと認められるから(このことは、三和ビジネス側の出席者が3人もいることからもうかがえる)、a1社をひとりで訪れたとのA19証言はこの点でも間違っている。さらに、決定的なのは、交渉の内容としてA19が証言しているところが著しく不正確であるということである。このことは、秘密録音された録音テープを実際に聴いてみれば明らかである。そして、録音テープを聴取することに合わせて、前記の同日付けの業務日誌や再建ノートの各記載を見れば、A3がどのような目的で3月3日の交渉に臨んだのか、また、結果として交わされた会話のうちで何が重要であると認識したのかを知ることができる。
再建ノートには、「(3/3)一生にはニュアンスを伝えた。形式的とは云え内容証明見せられぬ。一生は買取らぬと思われる。A1社長は肩替りを画策している。値引きに応ずるか。(A19)8オクでも応ずるかも知れぬ。計算の為にも賃収内訳がほしい。家賃差押えには使わぬ。競売等手続きに入るのは3月末までの話合いで、9月までは待てない!」と記載されている。このうち、前半部分については、A3が自分の発言を要約したものと解される。そして、「形式的とは云え内容証明見せられぬ。」との部分は、前述の、出来レースであることの一札をとりつけようとした発言部分を指すものと思われる。また、「一生にはニュアンスを伝えた。」とあるのは、録音テープでは、「それでですね、え-と、一応ね、あの、お話ししないわけにはいかないんでですね、あの、まあ、そういうようなお話が来ることはもう、前々から言ってあるけれども、あの、話はしたけども、あの、まあ、近々にまたそういうお話があるようだと。」とある部分に対応し、「第一生命には、『そのうちに三和ビジネスの方からまた債権引取の依頼があるようだ』というような形で話した」という意味に解される。さらに、「一生は買取らぬと思われる。A1社長は肩替りを画策している。値引きに応ずるか。」とあるのは、「第一生命に債権買取の意思はないようである。そこで、A1社長は、海外の華僑による債権の肩替わりや海外の華僑に対する任意売却を画策している、三和ビジネスとしては値引きに応ずるつもりがあるのか」という意味に解される。次に、後半部分は、A19の発言を要約したものであり、「三和ビジネスとしては8億で応ずるということもあり得る、物件の価格を算定するために賃収内訳がほしい。賃収内訳を使って賃料債権の差押えをするなどのことはしないと約束する。今月一杯は待つが、その後は競売等も考えている。とても6か月も待てない」との趣旨と解される。
要するに、当日の交渉のポイントは、第1に、隠し録音をして催告書が出来レースであることの言質を取ることであり、第2に、A1社長の海外売却に際して、三和ビジネスはいくらで応ずるかについての打診である。そして、上記第2について、A19の方から、テナントリスト(賃収内訳)を提出するように要求され、A3は、この要求に対して、弁護士から止められているとか、家賃の差押えに使われると困るなどの理由をあげて抵抗している。すると、A19は、テナントリストは、海外売却の場合に売却額の当否を検討するためだけでなく、競売の場合に系列の者に入札させる価格の当否を検討するためにも、さらには、任意売却の場合に売却額の当否を検討するためにも必要だ、家賃の差押えには使わない、などと述べて執拗にテナントリストの提出を要求し、結局は、A3のほうで、弁護士とも相談し、社内で検討してみることを約束してこの日の交渉を終えている。そして、会話の中には、「例えば8億とかね、そういう数字で、あの、例えば順位をそっくり譲っていただくとかですね。あと残額については、あの、書面での差異として私どもに残していただくと。」(A3)とか、「御社のその、8億の肩代わりにしてもですね、あの、数字がデタラメな部分でどうだこうだというよりも、もっと建設的な話ができると思うんですよね。今だとお互い疑心暗鬼で、これでいいのかな、どうかなというような感じでやらざるを得なくなりますんで、まとまるものもまとまらないという気がします。」(A19)といった発言も飛び交っており、売却価格のうちいくらを抵当権者に弁済して、いくらを債務者の手もとに残すかをめぐる駆け引きが繰り広げられていることが明らかである。また、海外売却の可能性を検討する期間としてどのくらいの日数が必要かという点も議論され、A3が半年はほしいとふっかけると、A19は、「何も競売かけたから、もうそれで縁切りですよと、けんか状態ですよということではないですからね。まあ、握手をしながら競売やっていくというのはいくらでもありますから。」というように、競売申立ての可能性をちらつかせて牽制し、結局、A1社長の帰国後の3月20日にテナントリストの提出の可否を含めた検討結果の中間報告をするということをA3に約束させている。
以上のような交渉内容を、A19証言のように、「法的には期限の利益が切れているので、競売する権利が生じており、競売も念頭に置きながらの話をさせていただくと話した」と要約するのでは、著しく不正確であるというほかないであろう。
A19証言は、証言内容の出来事があった平成5年2月から6年以上も経過した後に行われたものであること、A19は平成5年2月当時80社もの債権回収案件を抱え、その中でa1社は優先順位としては中程度であったというのであるから、どこまでa1社のことを覚えているか疑問があること、押収してある三和ビジネスのa1社関係のファイル(甲102)は、A20が担当していた当時に第一生命による肩代わりのための交渉をA3に依頼していたこと等の記載もなく、記憶喚起するには十分な資料とはいえないこと、A19は秘密録音に係る録音テープを聴いていないと思われること、出来レースを仕組むことについてイニシアティブをとったのはA3である可能性が高く、そうであれば、A19としては、出来レースを仕組んだこと自体を忘れてしまっている可能性もあること、覚えていたとしても、出来レースを仕組んだということは第一生命との関係で公にすることがはばかられることとも言え、さらには、A19自身が、その後、競売申立てや賃料債権の差押えの申立てをするなど、本当の意味の催告書であることを前提とした行動をしているのであって、今更出来レースであったことを認めることは期待しにくいことなど、その証言自体に、信用性を疑うべき事情が少なからず内在している。
以上の次第で、A19証言によって出来レースの存在を否定することはできないというべきである。
〈7〉 「テナントリストを賃料債権差押えに使わないこと」とテープ録音
A3は、被告人から指導されたテープ録音の趣旨につき、当審公判において、「(録音テープの目的には、テナントリストの使途を差押えに使わないというものが一つあり、他方、別の可能性といいますか、資料的に読んでいくと、第一生命との折衝のために必要な文書、これが、言わば、形式書面にすぎないんだという言質をとってきなさいというY弁護士の指示を受けたテープ録音という可能性はどうですか。)その可能性は僕はあると思います。」(A3同51丁)、と証言している。形式書面であることの言質をとる目的であったことは、既に述べた。問題は、これと合わせてテナントリストを賃料債権差押えに使わないとの約束をテープにとる目的もあったのかである。確かに、業務日誌に「賃収明細を賃収差押えには使わない。」との、再建ノートに「家賃差押えには使わぬ。」との各記載があるし、テープによれば、A3は、交渉の最後に、「テナントリストについては、いわゆる家賃差押えとかそういうことではなく、採算計算の問題であると、こういう風に理解してよろしゅうございますか。」と述べ、A19に「そうですね」とこれを肯定させている。さらに、テープに録音された会話の中には、「このあいだからお願いしているその賃貸契約のね、中身を詳しく教えていただきたいということがあるわけですね」、「このあいだ、そこまでは私も申し上げなかったんで、ただ単に出してよというお話しかしなかったんで。真意は伝わってなかったかもしれませんけど」、「うちとしての数字をまずつかみたいということを、このあいだから申し上げているわけでね。」などのA19の発言もあり、A19としては、この日以前にテナントリストの要求をしていたことがうかがわれる。以上の諸点をもって、テナントリストを賃料債権差押えには使わない旨の言質を取ったものであるとの見方もあろう。
しかしながら、催告書の送達が出来レースであることの言質をとれば、競売の申立や賃料債権差押えの申立があっても、期限の利益を未だ喪っていない旨主張して争うことができるが、テナントリスト(賃収明細)を賃料債権差押えには使わない旨の約束は、これを秘密録音に取ったとしても、約束を破られてしまえば、それまでであり、あとになってテープを持ち出しても、法的にはほとんど意味はない。したがって、上記約束はそもそも言質を取るということにはあまり親しまないものなのである。
のみならず、これとは別の意味でも、上記約束については、言質をとることの意味があまりないものと思われる。以下、説明する。A3としては、抵当権者にテナントリストを渡してしまうと、賃料収入の実態を把握され、第1に、内入れ額として賃料の全額を支払うように主張される心配があり、第2に、任意売却などの場合における採算計算の際、賃料額が高いと、利回り計算により物件の売却額も高く設定されてしまい、その分、抵当権者への弁済が増え、債務者の手残り額が減ることになる心配があり、これら2つの理由により、テナントリストはやはりこれを渡したくないのである(三和ビジネスの側からいえば、上記の2つの理由により、テナントリストが欲しいわけである。)。その一方で、A3は、テナントリストを渡したからといって三和ビジネスがこれを使って賃料債権の差押えをしてくることはないと高を括っているものと思われる。なぜならば、賃料債権の差押えの場合には、第3債務者の協力という問題があるため、債権者としては、債務者から払ってもらうのが一番であり、賃料債権額について双方に共通の認識がありさえすれば、そのうちのいくらを内入れするかは、双方の話し合いで決着するのが普通であるからである。ここにおいて、A3は、「テナントリストを債権者に渡すと、債権者がこれを使って賃料債権の差押えをしてくるということ」を本当は心配していないのに、あたかも心配しているかのように振る舞って、テナントリストの交付要求に対して抵抗する際の口実に使っているのではないかと思われる。すなわち、上記の2つの理由は、本音のレベルの問題であるので、正面からこれを持ち出すわけにもいかないことから、建前を持ち出していると思われるのである。そうであるとすれば、テナントリストを賃料債権の差押えには使わないという約束につき、言質をとるために秘密録音の仕掛けまでわざわざ用意するということは考えにくいということになるのである。
以上の次第で、テナントリストを賃料債権の差押えには使わないという約束については、A3には、言質をとろうとする意図はなかった、仮にあったとしても、催告書が形式的書面にすぎないことについて秘密録音により言質をとっている際に、これに便乗して言質をとろうとする意図が新たに生じたというにすぎないのではないかと思われる。
(イ) 三和ビジネスとの関係で終始一貫して緊迫感の存在を否定するA3証言
〈1〉 平成4年6月末から平成5年11月の強制執行申立までの間の三和ビジネスとa1社との関係
すでに述べたように、平成5年2月12日までの約7か月間は、a1社から三和ビジネスに毎月約40万円の内入れ金がたんたんと支払われるだけで、両社間で連絡をとりあった様子もなかった。また、7か月ぶりに交渉が再開された2月12日の催告書の話は第一生命に債権引取させるための出来レースであった。それでは、出来レースを仕組むことによってはかられた第一生命による債権引取はどうなったであろうか。その後のa1社との関係はどうなったであろうか。関係証拠によれば、以下の事実が認められる。
平成5年2月16日、A3が第一生命に対して債権引取の可能性を打診したところ、第一生命の返事は、近いうちに競売申立てがあるかもしれないと言われても、債権引取を含めて何の対応もできないだろう、競売申立を待ってもらえるように三和ビジネスに頼んでほしい、というものであった。そこで、a1社は、第一生命による債権引取については、今後とも望み薄と判断し、海外売却の線を模索することにした。そして、A1社長は、2月23日から、売却交渉のために海外に出張した。3月3日のa1社のA3及びA2と三和ビジネスのA19との交渉では、A1社長が物件を海外に任意売却する際の売却価格をいくらに設定したらよいか(もとよりその背後には、売却価格のうち抵当権者にいくら弁済して、債務者の手もとにいくら残すかの問題が伏在している)、利回り計算をするためのテナントリストをa1社から三和ビジネスに提出するかなどの問題をめぐってa1社と三和ビジネスとの間で虚々実々の駆け引きが行われた。その際、三和ビジネスとしては、a1社に対し、競売申立てをする姿勢をちらつかせてプレッシャーをかけ、テナントリスト(賃収明細)を提出させ、これに基づいて物件価格を把握し、その後の、競売や任意売却といった事態の展開において主導権を握ることをもくろんでいた。これに対して、a1社のA3はしたたかに抵抗して、なかなかテナントリストを渡すことを約束しなかった。その後、3月15日には、再建ノートに「[談合売買の線]三和7オク、他1オク、資料なしで。」という記載があるように、資料(テナントリストのこと)を出さないでの解決案をa1社側から三和クレジットに提示し、4月1日には、再建ノートに「三和BF・A19-テナントリスト(名、金額、期限)なければ競売になろう。」と記載されているように、三和クレジットのA19から競売を申し立てると牽制されながらも、なおも抵抗を続けてテナントリストを渡さないでいる。そして、ようやく、おそらくは交渉の行き詰まりを打開するためと思われるが、4月7日になってテナントリストを渡すに至っている(再建ノートH5.3.7欄。この3が4の誤記であることに争いはない。)。このようにして、A1社長による海外売却の話が進展しないこともあってか、A3の業務日誌平成5年4月7日欄に「三和ビ、内入れ増額で対処可能か?A4氏に資料」とあるように、a1社と三和ビジネスとの話し合いの中心は、毎月の内入れ額として、従来の約40万円からどこまで増額するか、毎月の賃料総額から固定資産税分などとしていくらを控除するかの点に移行したが、A3にとってはまったく意外なことに、30万円の修繕積立金の控除の是非をめぐって交渉が決裂し、平成5年10月末から11月初めにかけて、競売申立て及び賃料債権差押え申立てがなされた。
〈2〉 a1社の債権者対策責任者であるA3における一貫した緊迫感の不存在
A3は、当審公判において、前記の録音テープを聞いた上で、「あの当時は、あんまりそういう緊迫感というのは僕はなかったですね。まるっきりないかというと、それはあり得ることはすべてあるというふうに考えなきゃなりませんからあれでしたけれども、それほどすぐ差押えを受けるような事態になるということは肌身では感じていなかったですね。」、「これも何回も言っているんだけれども、三和ビジネスとの話合いというのは、最後に話が決裂した8月だか9月ころでも私自身はそんなに緊迫した感じを受けなかったですね。」、「私自身はですね、それはもう何回も言いましたとおり。ほかの先に対してもあんまり僕は差押えをすぐ受けるとは、受けることがないというのは考えられませんけどね。」、「可能性としてはあるけれども、あると考えていたと思いますけれども、十分話合いをしていたと、僕もそんなに差押えを受けるような折衝はしなかったと思いますけどね。」(24回A3・5丁)などと述べている。
ところで、A3は、平成5年11月4日から同年12月4日まで上海に渡航しており(甲151)、平成5年10月末から11月初めにかけての三和ビジネスからの競売申立て及び賃料債権差押え申立てのときには日本にいなかった。帰国後の12月8日の再建ノートには、「話し合いは温健であったと思っている。[三和]経過的に社内的動きを禁じ得なかった。 無謀な→(小生から)」と記載されている(なお、温健とあるのは穏健の誤記と思われる。)。その意味につき、A3は、当審公判において、「多分、これは私が、差押えのかかったあとですかね、時期的にどうなるか知らないけれども、何でこんな話してる最中にこんなことやってくれたんだか、無謀なことやってくれたねというふうに僕は当時の担当者に言ったんでしょうね。そしたら、彼もやっぱり、申し訳ないと思ったのか、社内のそういう動きを止められなかったというようなこととか。」(28回A3・67丁)と述べている。債権者である三和ビジネスが債務者であるa1社に対して低姿勢で対応しているのである。この記載は、緊迫感がなかったとの上記のA3証言を裏付けるものといえる。それと同時に、賃料振込先の変更が差押え逃れのために成されたものでないことを裏付けるものとも言える。なぜならば、差押え逃れの手段を講じたという意識がある以上は、債権者を非難することはできないはずであるからである。
(ウ) 犯行のきっかけの不存在と検察官の有罪立証の構図の崩壊
このようにして、A3には、三和ビジネスに対する関係において、差押えをされるという緊迫感が存在しないか又は希薄であったのであるが、a1社の債権者対策の責任者の地位にあったA3におけるこのような緊迫感の不存在ないし希薄さは、a1社として差押え逃れの行為を計画する動機の不存在をうかがわせるものとして重要である。特に、平成5年2月12日から2月19日までの期間における三和ビジネスとの関係における緊迫感の不存在は、出来レースの存在によって客観的にも十分に裏付けられているのであって、極めて重要である。検察官は、出来レースなど存在せず、三和ビジネスにおいては競売申立ても視野に入れた強硬な返済要求をし、これをうけてa1社においてはいまにも賃料債権が差し押さえられるのではないかとの緊迫感が漲っていたとし、このことをもって本件犯行の直接のきっかけであるとして公訴事実を組み立てているところ、上述した出来レースの存在とこれに基づく緊迫感の不存在は、検察官の有罪立証の構図を根本から崩すものである(※9、10)。個々の証拠のレベルでいえば、2月16日に催告書が届いたときの気持ちにつき、有罪方向の各証拠において、「その日三和ビジネスクレジットから催告書が送られてきて、現実に賃料の差押えが実行されるかも知れないという切迫した状態になったため、さすがに余裕がなくなり」(甲6・A1社長の検察官調書)、あるいは、「率直に言いますと、いよいよ来たなと。」(甲307・A1社長の第1審第3回公判における検察官の質問に対する答え)、あるいは、「まあついに来たんだなと、ついにというか、来たなあという感じに受け止めました」(40回A4・19丁)などと述べられているところはすべて虚偽であるということになるのであり、このことがこれら各証拠の全体の信用性を根本的に否定することにつながるものであることは明らかである。
※9 「近迫性の要件」と「債権者の強硬さ」、「債務者の緊迫感」
平成5年当時、a1社は、所有物件の資産価値が急激に下落した上、多額の負債に対して収入が僅少であったことから、各金融機関に対する利払いは平成3年11月ころから一斉にストップし、平成4年5月ころには利息内入れが開始されたものの、その額は本来支払われるべき金額に比べて微々たるものにとどまっていたところ、このような中にあって、各金融機関の担当者は幾度もa1社を訪問しては債務の支払いや抵当物件の任意売却、代物弁済等を求めたり、催告書を出すなどしていた。a1社に対する債権回収担当者である三和ビジネスのA19、住商リースのA22、日興キャピタルのA8の各当審証言からも明らかなように、同人らはいずれも当時a1社に対し債権回収の姿勢を示し、特に日興キャピタルはa1社に対して強硬な姿勢を示している(2回A8・16丁等)。以上の各事情に照らせば、a1社については、全体として、各債権者が抵当物件の競売申立てや抵当権に基づく物上代位により賃料債権の差押えを行うおそれは客観的に存在していたというべきである。
一方、債権者の強硬姿勢は、交渉のテクニックとして示されるに過ぎないものであることがしばしばである。競売の申立を口にしても、競売手続では時間がかかる上に高い価格は望めないことから、後順位者による債権引取や任意売却を優先して考えており、にわかに競売には踏み切れないのである。債務者においても、そのことを見抜いており、債権者の見掛けの強硬姿勢の割には、緊迫感を抱いていないということが少なからずある。また、抵当権に基づく物上代位による賃料債権の差し押さえについては、「基本的には、まず競売で処理しているんだと。で、競売で落ちれば、当然ながら、そこで賃料差押えはなくなりますので、どちらにしろ、時限的なものであるという考えでやってたということです。」(1回A19・50丁)というようにあまり重視されないことがあるほか、「賃料からお金を払うと言っているのに差し押さえしても意味がないという考え方で、そういうものはもう考えていないで、もう幾らもらえるかということのほうが先行しているわけですね。」、「私どもはくれるんですから、それ以上強いことを言ってなくなるよりは、もらったほうがいいだろうということで納得したと。」(3回A22・60丁)というように、月々の利息内入れ額を増やしたり、別にまとまった額の返済をしたりすることの交渉で解決されてしまうことが多いのではないかと思われる。
以上の点のほか、a1社の場合は他の不動産会社と異なり、グループ会社が大規模かつ堅調な海外資産を豊富に有していた上に、A1社長がシンガポールや中国、アメリカ等の各地で名声を得て活躍していたという特殊事情があった。したがって、各金融機関としても、以上の特殊事情も踏まえて、グループ会社の海外資産の運用や売却などによって将来的にはそれなりの債務の返済がなされるものと期待するところもあった(例えば、住商リースにつき、甲107・119丁等。日興キャピタルにつき、2回A8・53丁、甲106・99丁等。日住金につき、68回A17・13丁等。)。
平成4年11月18日付けのA3のメモの記載によれば、三和ビジネスは、「抵当証券登記抹消を要求されたが断る。その後、音なし、やゝ半年」、住商リースは「し方ない。頑張ってくれ。動きなし。」、日住金は「jビルを引取る(競売に代えて)他は当面静観。」、日興キャピタルは「待つから賃収出来るだけ入れてくれ。」などというものである(弁62)。
以上によれば、「ほかの先に対してもあんまり僕は差押えをすぐ受けるとは、受けることがないというのは考えられませんけどね。」(24回A3・5丁)とのA3の感覚は十分理解できるものであって、検察官が主張するほどにはa1社側の関係者の緊迫感は高くなかったというべきである。
※10 三和ビジネスは、差押命令発付後すぐに上記差押命令の第3債務者に対する陳述書(平成5年11月15日付けのもの)を入手し、a2社がテナントの賃貸人となっていることを把握したほか、「賃貸人変更のお知らせ」のコピーも入手しており(甲102)、同社に対しすぐにでも再差押えすることもできたと思われるが、実際には行っていない。また、三和ビジネスがa2社の登記簿謄本を入手したのは平成6年4月14日であり、同社の前身である有限会社a3の閉鎖登記簿謄本を取得したのは同月27日であって(甲102)、差押えが執行不能に終わってから約5か月後と大幅に遅れた時期にa2社の把握に努めていることが認められる。
(エ) 再建ノート、業務日誌における謀議に関する記載の不存在
A3は、再建ノートや業務日誌などにつき、他の人が見ることは全く想定せず、自分の手控えとして記載していた。したがって、内容的には、再建ノートの平成4年11月12日欄の「抵当権実行しずらいよう。→上物作る。権利関係複雑に。*」との記載や、A17との会話についての手帳の平成4年7月7日欄の「日興対策(家賃差押え)・債権譲渡(都税)は?・管理会社は前向きでない・弁護士口座への振込み」との記載、さらには、同じくA17との会話についての業務日誌同年12月11日欄の「fマンション別会社はダメだ賃収債権譲渡が必要だ。」との記載などみられるように、法的にみてきわどいものが含まれている。他方、A3はメモ魔であり、細かい出来事についてもメモを残している。以上によれば、平成5年2月19日に、真実、被告人の犯行指示とか、共犯者間の謀議があったのであれば、再建ノートや業務日誌の同日欄には、必ずやそれらに関する記載が少なからずなされていたはずである。しかるに、実際には、それらしき記載は皆無である。このことは、被告人の犯行指示とか共犯者間の謀議が存在しなかったことをうかがわせる重要な間接事実であるというべきである。
4 A1社長の自白供述と否認供述の各信用性
(1) A1社長の供述経過(否認・黙秘・自白・否認の4段階)
A1社長は、a1社を一代で築き上げた立志伝中の人物であり、同社の通常の実務についてこそ、従業員のA3(債権者対策)、A4(物件管理)、A5(経理)などにかなりのことを任せていたが、会社運営の基本的な方針については、自らこれを決定していた。また、A1社長は、被告人との打合せには、国内にいる限り、毎回出席することを原則としていた。その供述内容が本件の事案の解明に極めて重要であることはいうまでもない。
A1社長の供述経過(この点については、弁護人作成の平成14年11月26日付けの「検察官の証拠調請求に対する意見書」の9丁以下参照、また、本判決31頁参照)については、大別すると、4つの段階に分けることができる。第1段階は、第1次逮捕の日である平成10年10月19日から10月21日までの3日間である。そこでは、「結果的には事実であることに間違い有りません。」(54回A1社長14丁)という内容の10月19日付けの警察官に対する弁解録取書や、事実を認めるか認めないかには直接触れず、別会社への社員移籍計画があったが退職金問題で暗礁に乗り上げたために移籍が実現せず、そのため別会社の口座に入った賃料等はa1社に戻して同社の経費として使っていた旨の10月21日付けの検察官に対する弁解録取書が作成されている。これらは実質的には否認供述と評価することができる。第2段階は、10月22日の第1次勾留質問から第2次逮捕の前日の11月8日までの18日間であり、黙秘をしている。黙秘は、勾留質問の直前の時点で接見した弁護人の指示によるものである(54回A1社長21丁)。第3段階は、第2次逮捕の日である11月9日から、11月30日の第2次起訴、12月22日の第1審第1回公判期日における罪状認否、翌平成11年2月23日の第3回公判期日における被告人質問を経て、同年5月17日の第1審判決の日までの190日間であり、そこでは犯行を認めている。第4段階は、平成11年5月17日の第1審判決の日以降であり、控訴審における公判供述及び当審公判における検察官証人としての証言がここに含まれ、いずれも犯行を否認している。なお、一時的なものとして、上記の4つの段階のうち、第2段階の期間中である10月26日に自白調書(警察官調書)が、また、第3段階の期間中である平成10年11月11日には、実質的な否認調書(弁256)がそれぞれ作成されている。
検察官が被告人の有罪立証の柱の1つとして位置付けているA1社長の自白供述は、いずれも上記第3段階におけるものであり、甲92ないし96の検察官調書5通と甲307の裁判官調書(A1社長の第1審第3回公判の公判調書の抄本)の2つからなる。前者は、刑訴法321条1項2号後段該当書面として採用され、後者は、同条1項1号後段該当書面として採用された。
(2) 供述経過からみた自白供述の信用性
(ア) 上記のように、A1社長は捜査段階の途中から自白し、第1審公判においても犯行を認めている。第1審公判は、長男のA2と併合して審理されたが、犯行を否認するA2の目の前で犯行を認めているのである。さらには、第1審公判では、催告書が送られてきて、どう思いましたかと尋ねられて、「率直に言いますと、いよいよ来たなと。」(甲307)と、いかにも実感がこもっているかのような答え方もしているのである。以上によれば、A1社長の自白の信用性は極めて高いというべきであるようにも思われる。
しかしながら、A1社長がそれまで付いていた弁護団を解任したのは平成10年12月12日である(57回A1社長63丁)。新たな弁護団は12月10日(53回A1社長3丁)に既に選任ずみであったが、同月22日の第1審第1回公判期日まで僅か12日間しかなかった。新弁護団による必要かつ十分な助言が行われたかは大いに疑問である。ましてや、この間、12日(甲94)、16日(甲95)、20日(甲96)と3日間にわたって、異例というべき起訴後の検察官取調べが行われており、そこでは事実を全面的に認める調書が作成されている。最後の20日に至っては、第1回公判期日の僅か2日前である。さらには、上記起訴後の取調べに至った経緯につき、A1社長は、A23警部から、機会をつくるので保釈にもプラスになるから検事と会ったらどうだという働きかけがあったと証言しており、この証言は自然なものとして信用できる、加えて、共同被告人であるA2が、犯行を否認しているといっても、同人は検察官請求の書証の取調べには同意し、その結果、罪体に関する証人尋問は一切行われることなく、短期間のうちに結審している。このような特殊事情にかんがみると、検察官調書における自白はもとより、裁判官調書における自白についても、その信用性については、慎重に判断する必要があると思われる。
(イ) そこで、検討するに、自白に至った経緯について、A1社長は、当審公判において、以下のように証言している。すなわち、捜査官に対し分社化についていくら説明しても取り上げてもらえず、逆に、受皿会社の口座に賃料がテナントから振り込まれたこと自体が違法だと言われ、そうだとすれば、僕は、逃げようがないと思った(50回A1社長22丁、34丁、54回A1社長12丁)、新会社を作ってa1社の社員を移すという構想についてa1社の債権者に一言も説明していないのは犯罪だと言われ、素人としては、そういうふうに言われると返す言葉がなかった(同27丁)、分社化の事実は確かにあったが、時期が違うと言われ、ああそうかなと思った、反論する資料がなかった(同28丁)、認めるも、認めないも、ないですよ。みなさんが長い時間をかけて、私を逮捕したんですから、逮捕に踏み切ったということは僕が罪を犯したということですよね(51回A1社長121丁)、皆さんがそこまで踏み切るということは、犯罪なんだろうなと(同122丁)、10月25日、A23警部から三正という不動産会社の社長が強制執行妨害の事実を争わずに執行猶予判決を受けた事件の判決をみせられ、自分も事実を認めれば実刑はないんだろうという一つの暗示であると受け止め、自分は日本語のセンテンスが分からず、文章を書けないが、警察官から言葉を言われて、「事実を認めず署名をしなかった理由は、弁護士さん逆らうと将来嫌がらせがあるため、将来不安があったためです。今回のことはY弁護士が法律の専門家として中止させる立場なのに、ぎくに、指導したために警察に捕まってしまいました。私は弁護士の選んだA24先生解任し、A25弁護士をつきようと思います。本日より真実を話し調書に署名を致します。」(54回A1社長33丁)と書き取った、a4社関連の事実で逮捕された後、同年11月9日に、今度はa2社関連の事実で再逮捕されたときは、なぜ自分が2回も逮捕されるか理解できず、もし30物件で30回逮捕されたらたまらない、それならば警察や検察に抵抗してもプラスマイナスで考えたら不利なだけなので、彼らとお互いうまくやっていこうと思った、2回目の逮捕勾留を受けて、中国語で言えば、メイファーズ(没法子)(どうしようもないの意)といった心境であった(54回A1社長30丁)、「私はサブリースすると、それでA26さんは違うんだと。これは、強制執行妨害の行為だと言いますよね。もちろん、意見が対立しますよ。しかし、私がいくら訴えたって取り上げてくれない。そのうち、私自身が、本当にa2社が賃料振り込まれて、これが法律違反だというふうに、段々段々思ってくるわけですよね。これが事実だというのは僕が幾ら弁解してもしょうがないし、ああそうですよと。私のときは、ほとんど、検事さんとの取調べは、そんな大きな話合いもほとんどなかったわけです。ただ、A3さんのノートを示されて、これはこうだと、私自身何も持っていないからA3ノートがあれば僕はそうじゃないかということで認めたんです。」(50回A1社長64丁)、「そのときはどういう罪というのはわかりません、私は。何回も言うようですけれども、皆さんと争って、プラスマイナスを考えると、絶対、マイナスですよ。だから、こういうことは早く終えて、商売人としては長く勾留されていると、非常にマイナスなんですよ、だから、早く済ませたかった(51回A1社長121丁)、「警察、警視庁と、捜査2課の人と検察と争って、私一外国人が勝てますかと(同110丁)、「それはですね、もう本当に、検事さん、あなたたちは言葉のプロですよ。だから僕自身は、もうここで、A26さんからも、これは犯罪だと。私1人でですよ、A26さんたちと、皆さんと衝突しても、僕はマイナスだと考える。もう、ここで僕はもう、要するにエービーシ社ーに振り込んだ自体が、これはあんた犯罪犯したんだと言われて。あなたに抵抗したってね、プラスマイナス考えると、僕はマイナスですよ。これ。そういう環境で、こうだと言われれば、僕は、事実、法律に違反しているんですから、Yさんがどう言ったということを、もう僕自身関係ないことなんですよね。それで僕は、イエスだと言ったんです。」(58回A1社長30丁)などと述べている。そして、第1審公判で自白を維持したことについても、弁護人は事実を認める方針で既に活動を進めており、多少事実と異なっていても検察官の主張に供述を合わせて保釈や執行猶予の判決を得ようと考えていた、などと述べている。
以上は、当審公判での証言であるが、A1社長は、すでにその第1審公判(甲307)においても、有罪を認めている建前上、いささか遠慮気味のところはあるが、自白した経緯等について、上記の当審証言とほぼ同じことを述べていた。すなわち、「(賃貸人の名義を変えること)は債権者に対して一つの不誠実な行為だと思います。」、「一会社の長として、法律に対しての認識不足というんですか、これは本当に社会人としても恥ずかしいと思っております。」、「(当時、家賃を別の会社に振り込ませることを)ええ、知っておりました。私が会社の長ですから、私が決定したと思います。」「(詳しいことは覚えていないこともあるということになるわけですか)はい。(責任を転嫁する気持ちは)もちろんありません。私が決断しないと、こういうことはおきませんからね。」、「5年以上も前のことで、私自身の記憶も結構薄れていましたが、調べの段階で私のところの社員のA3さんの業務日誌が出てきまして、検事さんあるいは刑事さんが私に一つ一つ示してくれました。その業務日誌は私の記憶より確かなもので、そのとおりではないかということで、認めました。」、「事実、強制執行妨害で私は起訴されているんですから、それは事実ですね。A3さんの業務日誌、私は常にA3に日誌をつけていろということを言っておきましたから、それを見て、この事件は間違いないということですね。」、「a4社については知らなかったんです。取調べの段階において、A3の業務日誌を見せてもらって、一連のプロセスが理にかなっているということで、認めたんです。」、「(あなたがY先生の指示に従うことを決めて、A3やA4やA2に実行するように指示したという話は)トータルになると、そういうことになるでしょうね。」、「私と検事さんあるいは刑事さんとのやり取りを文章化すると、言葉のニュアンスといいますか、ちょっと変わってくるんです。」、「取調べの段階において、こうだ、ああだって言いますね。そうすると、私は認めます。しかし、文章の段階になると、多少ニュアンスが変わることもあるんですよね」などと述べている。
(ウ) 上記のA1社長の当審証言のうち、何回も分社化などについて話をしたのに、という点については、第1次逮捕の弁解録取書(弁252)において、別会社への社員の移籍問題の存在などが触れられていることや、a1社再生のための新会社という形での分社化の話が第2次逮捕後の11月11日付けの検察官調書(弁256)に録取されていることなどによって裏付けられている。また、債権者に説明しなかったというだけで違法だと言われたという点も、同検察官調書の、「新会社を作ってa1社の社員を移すという構想については、a1社の債権者に一言も説明していませんでした。ですから、今回の事件が、強制執行妨害の目的であると言われても仕方ないと思っています。」との記載によって端的に裏付けられている。さらに、10月26日には自白調書が作成されているところ、その前日の25日にA23警部から「三正」の執行猶予判決を見せられ、さらには、同警部から、弁護人の選任や解任に関係する上申書を書かされたことが、翌日の自白調書の作成に結びついたであろうことは容易に推察できる。加えて、第2次逮捕が大きな衝撃となり、自白を促す原動力となったことについては、その時点を境に、供述拒否が終了し、以後は、僅かな例外を除いて、自白調書が作成されるようになったという事実によって客観的に裏付けられている。その他、それぞれ「メイファーズ(没法子)」、「A3ノート」、「言葉のプロ」といった言葉で象徴的に語られているところは、体験した者であって初めて語り得る実感のこもった話であり、その信用性は高いというべきである。
(エ) そして、上記のA1社長の当審証言の信用性が高いということは、すなわち、A1社長が、いくら話しても自分の方の弁解は取り入れてもらえないとのあきらめや、債権者に説明をしていないというそのことだけで違法であるとされるのであればその先のことを争っても仕方ないという誤解に基づく妥協から、さらには、犯行を認めれば実刑にはならないとの打算、あるいは、否認を続ければa1社の所有物件の数ぶんだけ逮捕勾留を繰り返されるのではないか、それではたまらないから認めてしまえとの打算から、果ては、資料的にも言葉的にも到底太刀打ちできない上に、法律のプロである捜査官が資料に基づいて言うのであれば本当なのかも知れないとのあきらめ半分の複雑な気持ちから、自白供述をした可能性があるということにほかならず、したがってまた、その自白供述の信用性は低いということにほかならないのである。
(オ) 最後に、自白調書内部における検察官調書5通(甲92ないし96)と裁判官調書(甲307)との相互比較から、各自白調書の信用性について検討を加えるに、公判における基本方針は、事実を認めて執行猶予判決を得ることにあり、したがって、A1社長としては、第1回公判期日の直前にとられた検察官調書と同じ内容のことを述べようとしているはずである。しかし、相互間には、重要な点での食い違いが存在する。
まず、第1に、謀議の状況について、検察官調書では、「Y先生から、テナントとa1社の間に別会社を噛ませ、テナントからの賃料振込先をその別会社の銀行口座に振り込ませる形にすれば、差し押さえられることはありません。こういったことは他でも皆やっていることです。グズグズしていると手遅れになるので、早く賃料振込先を別会社の銀行口座に振り替えてしまいなさい、と指示され、Y先生から賃料振込先を変更することをテナントに知らせるための通知書の雛形のような文書をみせられ、このようにすれば大丈夫です、と指示されたのでした。」(甲96)などと、極めて具体的で迫真性に富んだ表現で謀議における会話内容まで描写しているのに、第1審公判では、「会議においては、こうだという話はなくて、これはこうしましょうということでした。具体的には、どういう話か覚えていないんです。ただ、やりましょうということで。誰が言ったということではなくて、ムードといいますか、そういう雰囲気になったと。(当時、家賃を別の会社に振り込ませるという方法を)知っておりました。私が会社の長ですから、私が決定したと思います。(Y先生から)話があったというより、相談の段階で、こういうことはいかがでしょうかと。それに先生も同意してくれまして、そういうような雰囲気です。」などと、極めてあいまいな供述にとどまっている(なお、被告人の供述によれば、平成5年2月19日の打合せの際、A1社長から、サブリースをつけて2物件を海外に売り込みに行く旨の報告があったことが認められるところ、A1社長は、まさにそのときのことを思い起こして上記のように供述した可能性がある。)。上記のコントラストのあまりの鮮やかさは、検察官調書及び裁判官調書のいずれの供述とも虚偽であり、謀議がそもそも存在しなかったことをうかがわせる。
なお、裁判官調書につき、謀議の状況に関する供述が上記のように極めてあいまいなものであるのに対し、催告書が送られてきたときの気持については、「率直に言いますと、いよいよ来たなと。」といかにも実感のこもった迫真性のある供述となっている。しかし、この問答は、検察官による反対質問が始まったばかりの、しかも、検察官調書の内容には間違いがない旨を確認した直後になされたものであること、そもそも催告書が届いたときの緊迫感の存在は、本件犯行のきっかけとなる極めて重要なものであり、A1社長としても、これまで検察官調書の作成に際して、その重要性について何度も意識させられてきたはずであるところ、検察官の反対質問の開始早々、事実関係についての最初の質問として、催告書が送られてきたときの気持ちはどうだったか、と尋ねられたのに対し、もし本音で答えたときには、あとが続かなくなり、事実を認めて執行猶予をねらうという基本方針を維持することができなくなってしまうのであって、そのような訳で、不本意ながら、このような供述をしたのではないかと解される。同様にして、裁判官調書中、「(賃貸人の名義を変えるということを決めたときに、新しく賃貸人となる会社が、物件を管理する会社として存続していくために必要だからそういうことをするんだという気持ちは)当時はなかったですね。そういう案が出たのは多少1年後くらいにありましたね。当時はありませんでした。」とある部分も、捜査段階で何度も取調官とやりあううちにそのように思い込んでしまったもの、あるいは、名義変更自体が違法であるという以上、争っても仕方ないとの判断のもとに捜査官の言い分どおりに認めることにしたものであると解される(なお、A26検事作成のA1社長の検察官調書(甲96)の33頁では、分社化の話があったのは平成7年9月の三井信託との協定書締結のころとされており、そのとおりに述べるのならば、「2年半後くらい」と答えることになるはずである。しかし、A26検事は、A4の検察官調書(甲286・弁113)では、分社化の時期について、平成6年後半という時期を調書に録取しており、また、A1社長の当審証言(54回28丁及び53回31丁)でも、取調べの際に、A26検事が、平成6年以降とか1年後と言っていたことがあるとの事実が認められるから、上記の「多少1年後くらい」というのは、捜査官の言い分どおりに認めるつもりで述べられたものとみることに問題はない。)。
第2に、謀議の回数につき、検察官調書(甲94)では、「Y先生からは、Y先生の事務所で行われていたa1社の経営会議の席上で賃料隠しの実行を指示されたのであり、その回数も一度だけではなく、何度も指示されたのでした。」と供述し、また、検察官調書(甲96)においては、「(平成5年1月ころになってから、日興キャピタルや三和ビジネスが強硬な申し入れをしてきて、このような動きについては一々被告人に報告していたところ、これに対し、被告人は、「テナントからの賃料に対する差押えを免れるためには、a1社とテナントとの間にダミー会社を噛ませ、そのダミー会社の口座に賃料を振り込ませるようにしなさい、と言ってきたのです。」と供述し、催告書が送られてきた日以前にも少なくとも1度、被告人の事務所で開かれた打合せの際に、貸主の名義を変える話があったと述べている(なお、平成5年に入ってからのa1社と被告人の間の打合せは、2月19日以前だと、1月25日と2月12日の2回開かれている。)が、裁判官調書では、「(貸主の名義を変えようということは、1回の会合で決まったことなんでしょうか、それとも何回かこのことについて話し合った記憶があるんですか。)1回だと思います。(何回も話し合ったわけではないという記憶ですか)僕は1回だと信じております。」、「Y弁護士ではなくて、我々の会議で、2月の段階ではまだ100パーセントこうしましょうということは決まっていなかったので。(それが決まったのはいつごろですか。)・・・多分、次の会議だと思います。」、「通知が来まして、ファックスしまして、次の会議に、それが議題に出ますよね。そのときに決めたと思います。(1回で決めたんですね。)はい。」、「会議をする前にファックスで送っておきましたので、これはどうしましょうかと、あうんの呼吸と言ったらおかしいけれども、そういう会議の仕方です。」と述べて、社内会議を除くと、被告人の事務所で名義変更が話し合われたのは、2月19日の1回だけであると述べており、相互に食い違いがある。当審証言の否認供述では、2月16日、通知書が送られてきたが、そのことの直接の関連ではなく、第一生命に債権引取を打診してみたが、いい返事がなかったからということから社内会議を開き、そこでサブリースをドッキングさせた海外売却の方針を決め、2月19日の被告人との打合せの際にその旨を被告人に報告した旨が供述されているところ、裁判官調書は、検察官調書の信用性を減殺し、当審証言を裏付け、補強するものといえる。
第3に、a4社に対する認識について、検察官調書(甲92)では、「私はA2とA4に(賃料振込先の変更)作業を急ぐよう指示したのでした。その結果A2はa4社の銀行口座を第一勧業銀行白金支店に新たに開設し、A4がdビルのテナントからの賃料振込先をA2が新たに開設したa4社の銀行口座に変更することを各テナントに知らせるための通知書を作成して発送したのです。」、「Y先生はそれ以外にも、会社は1社だけでなく、何社か作る必要があるとも言っていました。」(甲96)などと記載されているが、裁判官調書では、「a4社については、平成10年10月の初めのこの件が問題になったその直前にその名前を知った」、賃貸人となって賃料の支払いを受ける会社は「私は、a21社だと思っていたんです。まさか、2社あるとは思っていませんでした。1社であろうと2社であろうと、結果的には同じですから、複数にする必要はないと思っていました。」、「会議ではそういうことは出ませんでした。何社ということは。」と記載されており、以上の裁判官調書における供述は当審証言の際にも強固に維持されている。上記の食い違いは、A1社長の本音が思わず出たのではないかと思われ、検察官調書の供述の信用性を疑わせるものといえる。
第4に、平成8年9月ころ、賃貸人変更措置を取り止めたことについて、検察官調書では、「Y先生の事務所でそのころ開かれた打合会の席で、Y先生に、桃源社の例もありますし、先生の指示でやっている賃料振込先の振替えは止めた方が良いのではないでしょうか、と尋ねてみたところ、Y先生も、うん、止めた方が良い、と言った」とされているが、第一審供述では、友人に言われたり(類似の事件が)新聞に出たりということで、賃貸人の変更を止めたが、その際、「私は、(被告人と)相談した記憶はないんですよ。」と述べ(甲307)、同供述を当審証言の際も維持している。この食い違いについても、A1社長の本音が思わず出たのではないかと思われ、検察官調書の供述の信用性を疑わせるものといえる。
(3) 記載内容の自然性・合理性からするA1社長の各供述の信用性判断
(ア) 業務日誌の平成5年2月16日欄の記載
a1社所有の11物件について賃貸人の地位の移転が行われていることは、23頁において述べたが、11物件中、「eマンション」と「cビル」の2物件がほぼ並んでトップを切っている。すなわち、この2物件については、いずれも平成5年3月初旬に「賃貸人変更のお知らせ」がテナント宛てに発送されている。2番手の「dビル」は、これに遅れること実に約8か月、同年11月になってようやく「賃貸人変更のお知らせ」がテナント宛てに発送されている。
検察官の主張では、上記11物件についての賃貸人の変更は、いずれも被告人の指示の下に会社ぐるみでなされた強制執行免脱行為ということになるが、「eマンション」と「cビル」の2物件が、ほぼ一体となって、賃貸人の変更の時期について、上記のように断トツの位置を占めているのはどのような理由からであろうか。
このような観点から証拠を検討して行くと、業務日誌の平成5年2月16日欄の左頁部分の記載は刮目に値する。そこには、「社内、又貸会社について、とりあえず準ビ、cビル/eマンション-各10オクで肩替る話。利回りでもってゆく。社長が東南アの金ゆ機関回って…3か月くれ」と記載されていて、賃貸人の地位の移転の際に利用されるサブリース会社を意味する「又貸会社」と、「eマンション」と「cビル」の2物件名とが、ひとかたまりとなって記載されているのである。しかも、2月16日といえば、上記3月初旬の「賃貸人変更のお知らせ」の発送の僅か2週間余り前である。
一方、2月16日といえば、すでに検討したように、三和ビジネスからの催告書がa1社に送達された日でもある。この関係と思われるが、同じ2月16日欄の、見開きとなっているうちの、右頁には、「三和BC 手段とりつける(Y弁)、打つ手なし(一生)」との記載がなされている。さらには、その下には、「A8先生 賃借中間会社の経理について」との記載がなされている。これも本件に関係すると思われる。なぜならば、「賃借中間会社」とは、これまた、サブリース会社を意味すると思われるからである。同じ日にちの欄でありながら、「又貸会社」と「賃借中間会社」という相異なった表現を用いているのが不可解に思われないでもないが、この「A8先生 賃借中間会社の経理について」の記載部分は、他の部分がブルーブラックのボールペンで記載されているのに対し、ブラックのボールペンで記載されていて、他の部分とは別の機会に記載されたものと考えられることや、この業務日誌の記載者であるA3は、同じことを指して言うのに、特段の理由もなく、複数の表現を用いる傾向があることに照らせば、いずれもサブリース会社という同じものを表すと考えてよいと思われる。
以上の、2月16日欄の各記載について、どのようにして、個々的にも全体的にも、無理のない合理的な説明をすることができるであろうか。
(イ) 検察官調書による2月16日欄の記載の説明とその不自然・不合理性
〈1〉 A1社長の平成10年12月20日付けの検察官調書(甲96)は、同人の第1審の第1回公判期日の僅か2日前に作成されたものであり、その作成経過に照らして信用性に疑いのあることは前述のとおりであるが、その点はさておき、同調書の内容は次のとおりである。
「平成5年2月中旬になって、三和ビジネスクレジットからa1社に債務返済に関する催告書が送られてきたのです。お話によりますと、三和ビジネスクレジットから催告書がa1社に送達されたのは平成5年2月16日だそうですが、私の記憶とも合致しますので、そのとおり間違いないと思います。今お見せいただいたのは、A3が付けていた平成5年当時の業務日誌だそうですが、この業務日誌の2月16日の欄に「社内、又貸会社について、とりあえず準ビ、cビル/eマンション-各10オクで肩替る話。利回りでもってゆく。社長が東南アの金ゆ機関回って…3か月くれ」と記載されていますが、この記載を見て私も思い出したのですが、確か三和ビジネスクレジットからの催告書が送達されたとき、その催告書をY先生の事務所にファックスで直ぐに送るようにA4か誰かに指示したところ、Y先生から、賃料振込先の振替手続を急ぐように、というような話をされたということで、急遽a1社内で私、A3、A4、それにA2も居たのではなかったかと記憶していますが、打合会を開いたのでした。そしてその際、私は、それまでにY先生から、賃料の差押えを免れるためにダミー会社の口座に賃料振込先を振り替えることを指示されていたものの、すぐには実行しないでいたのですが、その日三和ビジネスクレジットから催告書が送られてきて、現実に賃料の差押えが実行されるかも知れないという切迫した状態になったため、さすがに余裕がなくなり、取り合えずY先生の指示するように、ダミー会社に賃料振込先を振り替える手続を準備しておく必要があることを言ったのでした。ただ、やはり私としては、こうした姑息な手段よりも、むしろ正攻法、すなわち三和ビジネスクレジットが抵当権を設定しているeマンション等の物件を例えば東南アジアの金融機関等に任意売却して、三和ビジネスクレジットも納得の上で債務を返済していくという方法も検討してみたいという気持ちがありましたので、そのことを率直にA3に言ったのでした。」というものである。
〈2〉 そこで、検討するに、催告書の送達が出来レースであることは前述したとおりであるから、上記の供述中、「催告書が送られてきて、現実に賃料の差押えが実行されるかも知れないという切迫した状態になったため、さすがに余裕がなくな(った)」との部分については、その信用性が否定される。のみならず、上記検察官調書は、催告書が緊急の対応を必要とするものであることを前提とし、これをもって犯行の直接の切っ掛けとして位置付けているから、その全体にわたって信用性が否定される。
しかしながら、ここでは、催告書の送達が出来レースであったとの事実はひとまずこれを捨象して検討をすすめることとする。このことによって、上記供述には、別の意味でも信用性に問題があることを明らかになると思われる。
〈3〉 上記供述は、業務日誌の2月16日欄の左頁の、ひとかたまりのようにみえる記載のうち、「又貸会社について、とりあえず準ビ」とは、a1社が賃料振替えのためのダミー会社を準備することを決めたことを表し、その下の、「cビル/eマンション-各10オクで肩替る話。利回りでもってゆく。社長が東南アの金ゆ機関回って…3か月くれ」とは、この2物件を海外の投資家に任意売却して、その売却代金で債務を弁済する考えを表しているものととらえている。前者の賃料振替えをするのがどの物件についてであるかは、明示されていないが、三和ビジネスの催告書の送達が原因となっていることからすれば、少なくとも、eマンションはその対象として考えられているのであろう。
そこで問題は、上記供述が、それぞれ姑息又は正攻法と評価するところの、賃料振替と海外売却という2つの対策の相互の関係はどのようなものであるかである。
平成5年3月3日の秘密録音テープからも明らかなように、A1社長は、平成5年2月23日から海外出張しており、出張の目的は2物件の海外売却であった。秘密録音された3月3日現在もA1社長は海外で売却先を探しており、このことを前提として、A3は三和ビジネスのA19に対し、売却額がいくらであれば、海外売却を了承してくれるのかについて交渉をしている。また、A3は、海外売却の話には半年はほしいと要求しているが、これについては、A19から、3月末までにしてほしいと日を切られている。海外でいい値段で売れればそれは三和ビジネスにとってもありがたいことであり、海外売却が可能かどうか見切りを付けるのに必要な期間として三和ビジネスが認めた期間内においては、三和ビジネスにおいて、競売申立てはもとより賃料債権差押えの申立てをしてくることは考えられない。また、海外売却には抵当権者である三和ビジネスの協力が不可欠であるから、賃料振替えによって三和ビジネスからの賃料債権差押えに対抗しつつ海外売却話のための時間を稼ぐということも考えられない。
要するに、賃料振替と海外売却という2つの対策の相互の関係は、a1社が正攻法たる海外売却話を三和ビジネスが認めた期間内において進めている限り、姑息な手段たる賃料振替えを行うことは有害(賃料振替えをしていることが発覚すれば背信行為とみられる)無益である、一方、姑息な手段たる賃料振替えを行うことにより正攻法たる海外売却話のため時間を稼ぐことはできない、という関係にあるのである。
〈4〉 そこで、上記の検察官調書に戻ると、A1社長が業務日誌に記載のある平成5年2月16日に、姑息な手段たる賃料振替えと正攻法たる海外売却話の2つについてA3たちに話をしたのはよいとして、その後、どうしたかといえば、上記検察官調書によれば、3日後の2月19日、被告人の事務所において、被告人から賃料振替えを行うように指示されてこれに従うことにし、3月5日ころ以降、テナントに「賃貸人変更のお知らせ」を発送したというのである。正攻法たる海外売却話については実行に移したのか否かについて検察官調書はまったく触れていない。しかし、実際には、前記のとおり、2月23日に出国し、三和ビジネスと連絡を取りながら、「賃貸人変更のお知らせ」が発送された3月初旬をまたいで海外売却話を進めているのである。この事実が2月19日に差し押さえ逃れの共謀が行われたことを強く疑わせることについては、これまでに述べたところから自ずから明らかであろう。このようにみてくると、2月16日の社内会議で、「又貸会社」が差し押さえ逃れの趣旨で話されたとする上記検察官調書は信用できないというべきである。
〈5〉 次に、以上とは別の観点から、業務日誌2月16日欄左頁に記載のある「又貸会社」を差押え逃れのためのダミー会社と解することの不自然性を指摘することとしたい。
それは、「cビル」と「eマンション」の2物件が海外売却話の対象として選択されたその日から僅か2週間余りで、今度は、この2物件が揃って差押え逃れのための賃料振替え行為の対象となっているが、これは偶然というにはあまりにも偶然すぎるということである。
三和クレジットからの催告書の送達が契機となったという以上は、同社の抵当物件である「eマンション」につき、一方で、差し押さえ逃れの賃料振替え行為の対象となり、他方で、海外売却話の対象となることには何らの不思議もない。海外売却話の際に、いずれも港区元麻布に位置し、中国大使館から近いなどという関係から、「cビル」が、「eマンション」と併せて、対象物件として選択されることにも何らの不思議はない。しかし、数あるa1社所有物件の中からなにゆえに「cビル」が「eマンション」と2つ並んで差押え逃れのための賃料振替え行為について断トツの位置を占めるのか。「cビル」は、住商リースが第1順位の抵当権者であるところ、同社が賃料債権差押えをしてくる可能性の高いところであるとか、「cビル」が賃料収入高額の優良物件というのなら格別、住商リースのa1社担当のA22は、賃料債権の差押えについて、「我々は最初からそういうものを押さえようという考えはありませんでした。」と明言しているところであるし(3回A22・37丁)、「cビル」の4件のテナントのうち、A27とは前所有者時代から続く紛争が未解決であるし、a7社は家賃が滞りがちなテナントであったのである。
〈6〉 以上のほか、上記検察官調書におけるA1社長の供述の信用性に疑問を投げかける事情としては、1つには、上記検察官調書における供述では、業務日誌平成5年2月16日欄の、見開きとなっているうちの、右頁の、「三和BC 手段とりつける(Y弁)」の記載をもって、被告人からa1社に対し、電話で、賃料振込先の振替え手続を急ぐようにとの指示があったことを表すものと解しているのではないかと思われる点である。文言から離れることはなはだしく、無理な解釈というほかない。もう1つは、上記検察官調書には、「確か平成5年1月ころになってからだと記憶していますが、a1社の債権者の中でも日興キャピタルと三和ビジネスクレジットがa1社を訪れては、借入金の返済がなければ抵当権を設定している物件を競売し、テナントからの賃料を差し押さえるという強硬な申入れをしてきたのでした。こうした動きについても、会議の際に一々Y先生に報告しています。それに対しY先生は、テナントからの賃料に対する差押えを免れるためには、a1社とテナントとの間にダミー会社を噛ませ、そのダミー会社の口座に賃料を振り込ませるようにしなさい、と言ってきたのです。」と記載されていて、平成5年1月ころに既に被告人からダミー会社を使った執行逃れの指示があったとされている点である。しかしながら、平成5年に入ってから「2月謀議」までにA1社長やA3らが被告人の事務所を訪れて打ち合わせをしたのは、1月25日と2月12日の2回しかなく、1月25日の打合せに関するA3のメモとしては、業務日誌と手帳の各記載が、2月12日の打合せに関するA3のメモとしては、再建ノートの記載がそれぞれあるが、そのいずれにも、被告人からダミー会社を使った執行逃れの指示があったことをうかがわせる記載は見当たらないところ(※11)、メモ魔であるA3が記載していないということは、そのような事実がなかったからである可能性が高い。
※11 A3のメモの「中間会社」、「又貸会社」等の記載について
A3のメモには、「中間会社」、「又貸会社」に類似のものとして、「賃借中間会社」、「スルー会社」、「管理会社」、「新会社」、「別会社」などと様々な言葉が使われ、当公判廷でも「賃料振替会社」などとも述べている(14回A3・57丁)。このうち、「管理会社」はa1社の再建、経営の合理化、立て直しを図るための会社とみることができる。一方、「賃料振替会社」は明らかに強制執行免脱の意図をうかがわせる言葉である。「中間会社」、「又貸会社」は更に多義的であって、そのいずれにも捉えられる。
メモを記載したA3は主尋問の際、「中間会社というのはいくつか言葉として使われています。一つはいわゆる売却した場合に若干の費用を落としてもらうというために中間会社というような言葉も使われたと思います。それから、もう一つ、賃料振替、いわゆるここで議論になっている賃料振替のための中間会社というふうにも使われたんじゃないかと思います。」(14回A3・49丁)、「社内打合せで、又貸し会社、いわゆるこれは賃料振替会社のことじゃないかと思いますけれども、とりあえず、そういう会社を準備しておくと。」(同57丁)と述べているが、反対尋問では、「だから社長が、弁護団の方がおっしゃった賃貸物件化してそれで売りに行くということをおっしゃって、なるほどなと、そういう見方もあったなと思ったのだけれども、僕は全然別物だと思っていた。今はそういう考え方はあるだろうなと思いますよ。」と供述し(32回A3・87丁等)、被告人の平成5年当時の指示内容を大きく誤解していた可能性を述べる。また、被告人は平成4年4月に「管理会社」案を一般論で説明をし、同年11月18日にはチャート図を用いて分社サブリース構想を説明し、同月25日には物件視察でa1社のどの物件を再建の柱にするかを検討し、同年12月10日、17日で「dビル」、「fマンション」及び「gホテル」を3本柱とする分社サブリース構想の方針がほぼ固まり、さらにはA1社長が新規事業を模索するという話になっていた。そして、翌平成5年中の「fマンション」の改装に向けた動き、平成6年には「gホテル」のオペレーションの分離といった大きな流れになっていることにかんがみると、被告人は一貫してa1社の立て直しを中心に話をしていたとみるのが素直である。そうすると、平成5年1月25日の業務日誌には、「Y先生・中間会社案」の記載があるが、まだ三和ビジネスが内容証明の予告をしておらず、強硬な返済要求をしてきたと言えるのは日興キャピタル1社程度の1月25日の段階からいきなり方向転換をし、急に強制執行免脱を念頭に置いて、賃料振替会社の話をしていたとは認めがたいのである。
そして、2月12日欄の再建ノートの「中間会社」、2月16日欄の業務日誌の「又貸会社」の記載も「賃料振替会社」の意味ではなく、平成4年4月の「管理会社」案に端を発し、同年11月にa1社員に説明されていた被告人の分社サブリース構想を表しているものとみるのが自然である。
なお、再建ノートの平成5年2月19日の貼付メモの赤ボールペンによる「スルー会社」の記載は、賃料が通過するだけの名目会社の意味とも思われるが、「新会社 ○dビルの賃借」の見出しの項目の中に書かれていること、同記載が当時新会社として動かし始めたa2社と、従来から分社化を検討していた有限会社a6の間にあることにかんがみると、A3は、被告人が当時新会社によるa1社の再建案を提案していたものをこのように置き換えて理解したものと考えるのが合理的である。
(ウ) A1社長の当審証言による2月16日欄の記載の説明とその自然性・合理性
〈1〉 A1社長は、当審公判において、以下のように証言している。
「A3業務日誌の平成5年2月16日欄の「又貸会社」とは分社化する会社の意味であり、当時、A3は住商リースや三和ビジネスの担当者に対し、「cビル」及び「eマンション」の後順位抵当権者に債権の買い取りを交渉していたが、交渉が難航しているように見えたので、自分自身も東南アジアにいいお客さんがいれば解決できるのではないかと思い、A3に提案したことを記載したと思う、その際、上記2物件を単純に売りに出すのではなく、サブリースをドッキングさせて売ることを考えていた、外国に売る場合、日本の不動産を管理してくれる会社がないといけないので、A3に対し、管理会社を準備してくださいと頼んだ、管理会社はa1社の関連会社とすれば、自分の海外に対する信用を生かせると思った(54回A1社長86~89丁)、東南アジアのほうの、香港も含めて、大体利回り5パーセント前後あれば売れるんじゃないかということで思いついて、一応、売りに行きたいと。結局、例えば海外の方が買えば、もちろん私のサブリースの会社が管理します(50回A1社長55丁)、管理会社においては、上記2物件だけでなく、a1社の国内物件全部の物件管理をする考えであった、分社化する会社はa2社1社で良いと思っていた、また、サブリースが始まったら社員たちは自分とA3を除いてa2社に全員移籍するつもりでおり、同年3月上旬ころ、とりあえずA4とA6に対し、a2社に出向又は移籍してほしいと頼んだ、自分としてはa1社に在籍のまま出向すればいいと思っていたが、彼らは移籍する前にa1社を辞めると言い、高額の退職金を要求されたため(50回A1社長106丁、同117丁)、またはa2社では社員が社会保険に入れないという問題が生じて(58回A1社長61丁)、結局移籍しなかった、このような考え方は、被告人の分社サブリース構想からヒントを得て考えたものである(54回A1社長88丁)、ある程度社員の給料も賄えるように(賃料収入を)落として、そして残ったものは債権者に返済することを考えていた(50回A1社長97丁)などと証言している。
〈2〉 上記2物件はいずれも港区元麻布に位置し、中国大使館から近いところ、アジア系の人間はどうしても中国大使館の側にいたいということもあり、麻布という知名度もある上記2物件は東南アジアでも結構魅力的である(54回A1社長90丁)、賃収(利回り)も約400万円弱と売却するには手頃な物件であり、売却代金は月の売上を5%として約8億円と計算し、売却先についてもバンコク銀行等、具体的なあてがあった(50回A1社長56丁)。そして、海外投資家にとっては、賃料の回収、物件管理や源泉徴収義務を負うのは負担である上、物件から安定した賃料収入(利回り)を得られるかどうかが物件購入等に際して重要な関心事であるところ、a1社の関連会社であり、国内不動産仲介構想を描いて再出発したばかりのa2社が一定の賃料保証を行い、かつ物件管理等を行うのはいわばもってこいであり、さらには、海外では通常オーナーとオペレーターを分けて運用されており、A1社長は香港「hホテル」やシンガポール「qホテル」など海外に多数の不動産を有し、オーナーとオペレーターを分けて運営することを経験していたため、上記の案は麻布2物件を海外の金融機関に売りに行く際にA1社長の描く構想としては自然なものであったといえる。また、A1社長は自分に対し最初からa2社に転籍せよと言っていたが、a2社ではいわゆる政府管掌三保険に入れないので、しばらくa1社に籍を置いて給料の支払いをしようということがあったとのA3の供述(17回A3・16丁、33回A3・58丁)や、2月19日の打合せの際、A1社長は海外の金融機関等に麻布の2物件を売却してくるという話をしたときに、席を立ち際、サブリースを付けて売ってきますと述べたとの被告人の供述(81回被告人24丁)は、A1社長の上記証言を裏付けるものといえる。
〈3〉 そこで、A1社長の上記証言を前提とした場合、A3業務日誌の各記載はどのように説明されることになるのであろうか。答えはつぎのとおりである。
2月16日、「eマンション」の抵当権者である三和ビジネスからa1社に催告書が送達された。前述したとおり催告書の送達は後順位抵当権者の第一生命に債権引取を働き掛けることを目的として行われた出来レースであった。A3は、予定された行動として、第一生命に連絡を取った。しかし、第一生命の返事は、「打つ手なし(一生)」(業務日誌2月16日欄)というものであった。第一生命の反応につき、A3は、録音テープでは、「第一生命としては何の対応もできないだろうと。まあ、前から言ってるように何とか待ってもらってくださいよ、これだけの話でね。」と表現している。そして、このような第一生命の反応についてA3から報告を受けたA1社長は、それではということで、かねてより同様にして後順位抵当権者による肩替わりが検討されていた「cビル」ともども、海外の華僑に売却する方向で検討することを社内会議に諮った。その際、国内の管理運営会社としてのサブリース会社をドッキングさせることにした。これが、「社内、又貸会社について、とりあえず準ビ、cビル/eマンション-各10オクで肩替る話。利回りでもってゆく。社長が東南アの金ゆ機関回って…3か月くれ」との記載が意味するところである。「又貸会社」とは、海外売却と結び付いた話であり、上記の記載は、一体のものとして理解すべきなのである。そして、「A8先生 賃借中間会社の経理について」との記載は、海外に麻布2物件を売りに行くと決まったその日、海外売却案にドッキングさせた国内の管理運営会社としてのサブリース会社の経理につき、A3がA8公認会計士に聞きに行ったことを記載したものである(なお、19回A3・63丁)。なお、催告書については、すでに述べたとおり、A3は、12日の打合せのときには被告人に報告することを忘れていたが、送達された16日、これを被告人の事務所にファックス送信した。これに対し、被告人は、いくら出来レースであるといっても、期限の利益喪失の趣旨が書かれた内容証明ということになると独り歩きする危険があるので、三和ビジネスから念書をとっておくようにとA3に対して指示した。電話による指示である。これが、「三和BC 手段とりつける(Y弁)」との記載であり、第一生命に働き掛けるための手段にすぎないことについて三和ビジネスから一札とりつけること、というのを省略して記載したものである。
以上のように業務日誌の各記載を説明することができるところ、無理のない自然な説明であるということができる。
〈4〉 ところで、「又貸会社について、とりあえず準ビ」の「準ビ」が具体的に何を意味するのかは必ずしも明確ではない。結果からさかのぼって考えると、2物件ともにつき、「又貸会社」としてはa2社が利用されているところ、同社はすでに1月に設立されており(正確には、商号変更)、商業帳簿上の目的には「不動産の売買及び管理」が明記されていたから、会社そのものを準備するということではなさそうである。しかしながら、再建ノートの平成5年2月12日欄の「(1)三和」の記載の上に小さい字で「(一生)サン(ABC)」と、また、「(2)住商」の記載の上にも、小さい字で「(住総)cビル(目ス)」とそれぞれ書き添えられているところ(いつごろ書かれたかは不明である。なお、25回A3・37丁、32回A3・88丁参照。)、これらの記載については、第1抵当権者としての三和クレジットにつき、その後順位抵当権者としての第一生命、抵当物件名としての「eマンション」、サブリース会社としてのa2社の3つをワンセットとして付記したもの、同様にして、第1抵当権者としての住商リースにつき、その後順位抵当権者としての株式会社住総、抵当物件名としての「cビル」、サブリース会社としての有限会社a6の3つをワンセットとして付記したものと理解することが可能である。そして、もしこのような理解に立つときは、2物件についていずれもa2社を「又貸会社」として利用することになったのは、あくまで最終的にそうなったというだけのことであって、そこに至るまでには、物件ごとに別の「又貸会社」を利用することが検討されていたときもあり、上記の各記載はそのなごりであるとみることができる。海外においては、「1物件1会社」(各物件ごとに別々のオペレーター会社が入ること)の物件運営が主流であるから、2月16日の社内会議で麻布2物件を売却する方向で行動することが決まった際も、当初は「1物件1会社」の線が考えられていたということは十分あり得るところである。そうすると、「又貸会社について、とりあえず準ビ」とは、会社そのものを準備することであるとみる余地もでてくる。そして、A3業務日誌の2月18日欄には、「越中屋氏 会社を譲ってもよい。」との記載があるが、この記載についても、「1物件1会社」の線で考えていたA3が海外売却物件にドッキングするためのサブリース会社を確保するために関係方面に声をかけていたところ、越中屋氏から会社を譲ってもよいとの話が入ってきたので、そのことを記載しておいたとの解釈が可能である。そして、最終的には上記2物件についていずれもa2社を「又貸会社」として利用することになったのであるが、その原因としては、a2社に収入原資を得させて事業を実質化させたい(17回A3・16丁、19回A3・26丁、33回A3・59丁)との考慮が次第に重みを増し、ついには、「1物件1会社」の方針の転換がはかられたとみることが考えられる。そして、そのような経過の中で越中屋氏からの会社譲渡の話も沙汰止みとなったとみるのである。
「又貸会社について、とりあえず準ビ」については、以上のような解釈のほかに、すでに開業準備中のa2社について、いずれ同社の本来の事業のために銀行口座を開設することが必要であるところ、同社を賃貸物件の海外売却の際の国内の管理運営会社としても使うということで銀行口座の開設を急ぎ、その一方で、既に受け取っている雛形に基づいて、「賃貸人変更のお知らせ」を作成し、上記の開設した口座の番号を通知書に記入するなどすることを意味するとの解釈も可能である。また、「越中屋氏 会社を譲ってもよい。」との記載については、被告人がその分社構想の3本柱の1つと考えていた「dビル」についてのサブリース会社の確保の話であるとの解釈も考えられる。
〈5〉 被告人は、A1社長の海外売却案について、次のように供述している。
「(A1社長の海外売却案については)19日の打合せで聞きました。この物件については、債権者が見切りをつけてくれたので、あるいは、くれる可能性があるので、海外で売ってきますと、それで、それについてサブリースを付けますということを聞いたわけです。」(80回被告人109丁)、「話の席では、cビル、eマンションという2つの物件を、8億、16日のところは、これには10億と書いてありますけれども、8億で海外に売ってきますと。これは、ちょっともう少しお話ししないとお分かりにならないと思うんですが、当時、抵当権者というのは、担保額を割って売却することをまだ承諾してない時期だったわけですね。ところが、この2つの物件については、どうもそうではなくて、担保額を割り切って、つまり、全額回収せずに担保を解除するというような方向に流れが来たので、それで、ちょうどいい機会なので、この物件を東南アジアの華僑に売りに行きますと。そのときにA1さんがお話しになっていらっしゃったのは、東南アジアの華僑の方々は、日本で不動産を持つことがステータスになっていると、そのチャンスをずっとうかがってきたけれども、日本の不動産は余りにも高いと、それから、利回りが大変悪いと、東南アジアでの融資は、利回りで融資がされると、しかし日本では不動産価格が下落しちゃったと、だから東南アジアの華僑の方々も買えるようになってきたと、ちょうどいい機会なので、行ってきますということが先にあったわけですね。サブリースの話は、話が終わって、A1さんが帰られる直前、帰られようとして立ち上がって、その状況はしっかり覚えているんですけれども、机の角を曲がろうとして、先生が言っておられるように中間会社を作って売ってきますからねと、これで先生の考えとぴったし合うでしょうという言い方をされたんですよ。それはしっかり私は覚えているんですけれども、動作をされまして、人差し指と親指をくっつけるような感じで、ぴったし合うでしょうということをおっしゃったんですね。」(80回被告人110丁)、「もっと考えれば、リースを付けない限り海外で売れるはずはありませんでして、リースを付けて売ってくるというのは、海外で売ってくる必然的な結果なわけですよ。それによって、Yの案は取り入れられますよということなんです。」(同113丁)、「海外は利回りですから、ましてや、海外の華僑資本の方が日本に来て賃貸業をやられるわけじゃありませんので、結局、地元の日本の会社に賃貸を任せる以外ないわけですね。そして、安定した収入を海外の華僑資本は取得しなきゃなりませんので、そうでないと金融機関は融資しませんから、そうすると、サブリース会社がいて、現実に賃貸業務を担当し、なおかつ、定額の賃料という形で利回りを保証してくれる、そういうシステムがない限り、商品ではないんですね、華僑の人たちは日本で住もうと考えている訳じゃありませんから。」(同114丁)と述べている。その供述には説得力がある。
(4) A1社長が控訴した理由
第1次逮捕の際、逮捕警察官のA1社長に対する第1声は、2億円の現金をどこへやった、であった。A1社長としては、何のことか分からず、その後、この点については何も聞かれなかったので、問題は解決したものと思っていた。ところが、第1審第1回公判後に保釈された後、弁護人から、検察官請求証拠の中に、平成9年1月にa1社の隠し口座と目される一勧信組目黒支店の口座から2億1000万円が解約出金されているなどの資料のあることを聞いて、驚いた、そもそも2億1000万円というお金があること自体知らなかった(甲307)。弁護人が経理担当のA5に電話で事情を問いただした結果、A5らが退職金名目で受け取ったことを知った(6回A5・28丁)。しかし、どの範囲で退職金名目で使われたかの詳細までは分からなかったようであり、平成11年2月23日の第1審第3回公判期日における被告人質問では、A1社長は、「全部が退職金に行っているとは思いません。別の経費、あるいは租税公課ですか、そういうものに使っていると思います。」と答えている。
一方、被告人の公判は、平成11年3月3日の第1回公判期日を皮切りに、第2回が3月29日、第3回が3月30日と開かれ、4月21日の第4回公判期日では証人A5に対する検察官の主尋問が行われた。当日は、検察官において主尋問を終了するという約束であったが、午後5時までにはまだ時間を余した時点で、検察官の方から、今日はここで終わりたい、a1社に入った賃料の使途先について若干補充的に尋問したいことがあるが、調査が終了していないので、次回1時間ほど主尋問を続行させてほしい、数日前に、弁護人からA5証人に対し、反対尋問でこういうことを聞きたいので、来て話を聞かせてほしいというような接触があった、確かに聞こうとしている中身は主尋問に関連のある事項である、記録を調べるなどして、その問題について十分な説明を証人にさせるために準備をしたが、とても今日は準備が間に合わなかった、という申し出があり、これに対して、弁護人は、「準備ができなかったというのは、およそ検察官が今まで知らなかった事実があって、そもそも被告人の起訴自体が不当だというふうに、あるいはおかしいと思ったんだったら、速やかに取り消すべきですよ。そうじゃなくて補充捜査が足りないと言って、そもそも起訴の段階で十分な証拠がありとして起訴されてるわけですから、今さら少々弁護人がこういうことを聞きたいと言ったことの情報を得たからといって、補充しなければならないということは、およそ考えられません。」、「既に取調べの証拠47号証以下を見れば、捜査官によって使途がどうなったかということはもう裁判所がお分かりのはずです。したがって、検察官が尋問をできないということはあり得ないと思いますよ。既に我々が同意した、使途に関するいわゆる資金の流用についてはほとんど同意してあるわけですから、それに基づいて尋問されれば済むことですよ。」(以上、いずれもA33弁護士)などと猛反発し、裁判所は、弁護人の主張を入れて、主尋問は、終了した扱いとし、次回期日からは反対尋問に入ることを決定した。そして、5月25日の第6回公判期日では、冒頭から、A5に対する弁護人の反対尋問が行われ、その中で、A5は、退職金名目で、A1社長には内緒で、A4が4900万円、自分が4000万円、A7が3000万円、A6が2000万円をそれぞれ現金で受け取ったことや、A1社長が逮捕された翌日、警察から事情を聞きたいとの呼び出しがあり、2億1000万円の通帳のコピーを見せられて、上記の経緯をすべて警察に話したこと、などを証言した(6回A5・26丁、30丁)。
上記の証人A5に対する反対尋問の8日前である5月17日、A1社長とA2に対する判決公判が開かれ、両名に対し、執行猶予判決が言い渡された。その後の5月25日、捜査段階の弁護人であったA33弁護士から事務所に呼ばれ、出掛けていくと、2億1000万円の行方が分かりました、と教えてくれた(53回A1社長11丁)。
そこで、「私は、高裁の判事さんに、まあ1審では、認めた、しかしこういう事実があるんだけれどもいかがでしょうかと。で、現に今でも私思ってますけれども、私みたいに起訴、追起訴、結局、両方で2億300万円を隠匿したと、これ、列挙されているのですよね。そうすると、僕は素人ながら、僕はお金1銭も隠匿してないのですよね。それで、もう1度判事さんに判断していただきたいと、これだけです。僕は過去において、振り込んだ金が違反だということは私自身は分かりません。ただ、判決でも起訴でも追起訴でも、2億1000万隠匿したと、裁判において判事さんに最初に会ったときこれ言われたのですよ。あとはこれ、法律違反したかしないかって僕は素人だから分かりません。それについていま一度判事さん、あるいは検事さんに再考してもらいたい。」(51回A1社長106丁)」、「僕が起訴された金額、正確に言えば2億350万円、(A5らが横領したのは)2億1000万円ですね。類似しているのですよね。これに僕は素人ながらも疑問点があるんです。」(同106丁)。
以上の次第で、A1社長としては、第一審公判では、複数の銀行口座の操作等不適切な経理処理はあったらしいことは分かったが、結局は、基本的には会社の経費に使われたと思い、不適切な経理処理については、会社のトップとして、責任を負うべきと考えた、ところが、A5らについて、個人の横領の疑いが出てきた、2億1000万円は会社のためではなく、A5らが個人的に横領した可能性がある、それならば、会社のトップとしても、責任を負う必要はない、釈然としないので、もう1度だけ裁判所の判断を求めたいと考えて控訴したことがうかがわれる。
(5) 捜査官による誘導の疑い
-被告人に支払った報酬に関するA1社長の供述
平成5年2月24日、a1社グループの香港の現地法人から被告人の預金口座に2000万円が振込入金されている。この2000万円は、香港hホテルの売却交渉の成功報酬(※12)として、a1社が被告人とA28弁護士のそれぞれに5000万円ずつを支払うことが決まり、その支払いが一部未了であったものが支払われたというものである。A28弁護士には、平成4年12月中にその全額が一括して支払われたが、被告人の関係では、500万円については、従業員のボーナスにでも使ってくださいということで被告人から辞退があり、さらに、残りの4500万円についても、A3から被告人に対して、香港と日本との為替差益をa1社の方で得たいから報酬の支払時期を選ばせてくれとの依頼があったため、被告人においてこれをA3に一任していたところ、平成4年12月末までにまず2500万円が、a1社グループの香港の現地法人から被告人の預金口座に振込入金されるという形で、支払われ、同様の方法で、平成5年2月24日、残金の2000万円が支払われることになったというものである。残金の2000万円について、具体的な支払時期が平成5年2月24日と決まった理由としては、平成5年2月ころ、A3から、為替差益が得られる見込みがないのでやっぱり支払うという話があったことが1つと(80回被告人117丁)、もう1つには、このころ、上記ホテル売却前に発生していたクレジットカード等の売上分である1600万香港ドル(約2億円)を三井信託がa1社に無断で受け取っていたことが判明し、a1社と三井信託の間で、どちらが上記売上げ金額を取得するかが問題となり(香港余剰金問題)、同月12日及び19日、a1社はその解決を被告人及びA28弁護士に相談し、同年3月に解決したが(83回被告人11丁、弁220)、この問題は上記のホテル売却交渉の残務処理と位置づけられるものであったので、a1社においては、A28弁護士には全額支払っているのに、被告人への支払がまだ終わっていないのは問題だということで、相談を機に、被告人にも早く残額を支払おうということになったのではないかということが考えられる(85回被告人100丁)。この後者の点は、香港余剰金問題をめぐる関係各証拠等、すなわち、業務日誌の2月1日欄の「HK調整金 A28氏休み/Y弁-戦える、当面A28氏方面で」の記載、再建ノートの2月12日、19日欄の「HK余剰金問題」の記載、2月23日の三井信託の代理人弁護士との交渉、3月8日のA28弁護士との電話連絡(弁240)、業務日誌の3月15日欄の「安弁 HK余剰金問題、MTBに譲る方向。」の記載によって客観的にも裏付けられているといえる。
ところが、A1社長の検察官調書(甲93)では、上記2000万円が、香港hホテルの売却交渉の成功報酬の未払残金であることはこれを認めながら、平成5年2月19日、被告人から細かく本件犯行の指示をしてもらったことから、そのことに対する報酬という気持ちも含めて支払う趣旨だった旨の供述となっている。そして、その根拠の1つとしてA3の業務日誌の平成5年2月19日欄に、「安弁 報酬払込みの」との記載があげられている。
しかしながら、2月19日の被告人の事務所での打ち合わせにおいて香港余剰金問題が最優先の問題として検討されたことについては、同日の再建ノートの記載からも極めて明らかなところであって、この香港余剰金問題とホテル売却交渉との間の密接な関係に照らすと、香港余剰金問題には一言も触れないで、本件犯行の指示をしてもらったことに対する報酬という気持ちがあったなどということは、こじつけも甚だしいというべきである。A1社長も、当審公判において、犯行指示があったこと自体を否定しているので当然といえば当然であるが、上記趣旨で報酬を支払った旨を明確に否定している(62回A1社長18丁)。
A1社長の上記供述記載は、捜査官の誘導で強引に得られたとみるのが自然である。
※12 ホテル売却交渉の成功報酬以外で、a1社から被告人に対して支払われた報酬としては、平成6年2月以降、月々の顧問料として5万5000円が振り込まれていたほか、平成6年10月31日に「総合経営法律相談」名目で300万円が、平成7年12月15日に「事業計画相談料」名目で100万円が、平成8年4月22日に「tホテルの件」名目で500万円が、平成9年12月26日に200万円がそれぞれ支払われている(甲80)。
(6) まとめ
以上によれば、A1社長の自白供述は、検察官調書におけるものはもとより裁判官調書におけるものも含めて、すべてその信用性に問題があって、到底これを措信することはできず、他方、その否認供述である当審証言は、その内容的合理性のほか、捜査段階においても同趣旨の供述をしていた痕跡が少なからず認められることに照らして、その信用性は高く、これによれば、公訴事実第1の事案の真相は、賃貸物件を海外に売却するにあたってその準備としてサブリースを組んで国内の管理運営会社を用意したが、社員の移籍問題がこじれるなどの種々の理由から、サブリースが形骸化してしまったというものであり、犯罪性のないものである可能性が高いというべきである。
5 a2社は実体のある会社であり、a2社口座を開設することは、「2月謀議」のあったとされる日以前に既に予定されていたこと
(1) 平成4年12月10日ころ、被告人はA1社長やA3らに対し、分社サブリース構想による新会社においては新たな事業を始めるべきであると勧めた。このことは再建ノートの「企業すべし!」の記載からもうかがえるところである。そのような中で、A1社長は、平成5年1月27日、a3社をa2社に商号変更し、同社代表者も自分からA2に変更して、A2が中心となり、A3がこれを中国貿易等をする会社として同社を立ち上げた。A1社長のこのこころみは、被告人のアドバイスに触発されたものではあるが、被告人の分社構想の一環としてのサブリース会社において副業的に新事業を行うというものとは大分性格が異なるものであった。
(2) ところで、検察官は、a2社は実体のない会社であると主張する。しかし、同社は、商号変更後まもなく、事務所や社員が設けられ、A3らは同社で利潤をあげようと様々な事業を模索しており、このことは、業務日誌の1月22日欄の「新事ム所 レイアウト」、同月27日欄の「A9、A10紹介、新事務所へ(事ム所メンバー、心がけ、勤務)」、3月4日欄の「寧波日程のつめ・寧波打合せ A38、A31、A9、A16/訪問中行程(中身)」等の記載やa2社の紹介パンフレットの存在等に裏付けられている。このようにして、同社は単なる準備活動を超えて主体的に経済活動を行っていたことが認められ、同社を実体のない会社であるということはできない。検察官は、仮にa2社に何らかの活動実態があるとしても、現実に企業活動を行っている会社に賃貸人を仮装させることは十分可能であるとも述べる(論告36丁)。しかし、例えば平成5年1月27日付けのA3の取引先各位に対するa2社の案内文の原案には、「国内資産の売却は一向に進まず、利息支払不能となって1年余となるが、業況回復の見通しが立たない。弊社は以上の環境を踏まえて、新年を期して新事業をスタートさせることとした。業務内容は、(1)国内不動産仲介業務 国内物件を海外へ紹介する。対象は台湾、香港とし、国内税制、法制を含めた展示説明会を大々的に実施する。」旨の記載があることなどからすると(甲210)、同社が海外に向けた国内物件の売却等に関与する業務を行うことは立ち上げ当初から予定されていたと考えられるのであって、同社が国内物件の賃貸人の地位を得ることはその目的に沿う活動業務といえる。また、新しく会社を立ち上げる最中のことであるから、実体があるか否かは計画予想されているところも考慮に入れて判断すべきであろう。本件の場合には、移籍予定の人物が特定しており、経理処理も当初は区別されていた(事情があってその後区別されなくなった。本判決158頁参照。)のであって、以上の諸点を考慮すると、検察官の主張には無理があるように思われる。
(3) 次に、a2社口座の開設の経緯について検討するに、同口座への最初の入金は平成5年3月23日の駐車場代金の入金66950円であり、その後も3月31日までの間に18件中13件、合計230万1560円が駐車場代金として振り込まれている(甲233)。なぜこれらの駐車場代金が次々とこの口座に振り込まれることになったのかについて遡って調べていくと、2月3日に安田信託銀行との間で、今後の取引ルールとして、「(駐車場の)賃収はすべて新口座に入れる。」ということが決定されていたことにたどり着く(業務日誌平成5年2月3日欄。なお、同記載の上欄に「2/9A5さんへ通知」の書き込みもある。)。また、上記口座の最初の出金は、平成5年3月1日の国際貿易振興協会に対する12566円であり、東南アジアとの貿易を中心に活動を開始しようとしていたa2社の当時の動向に沿う口座の動きとなっている。
このようにして、平成5年2月24日に開設されたa2社口座は、検察官が「2月謀議」の日であるとして主張する2月19日の日以前から既に開設することが予定されていたものであって、検察官がいうように、謀議に基づいて開設されたというものでは決してないのである。そして、a2社口座については、その口座申込書及び普通預金印鑑票(甲130)に記載されている数字等の一部がA2のメモの字体とよく似ており、A2自身も自分の字と似ていると述べていること(60回A2・91丁)に照らすと、A2によって記載された可能性が高いといえるが、仮にA2が記載したものであるとしても、以上に述べたところによれば、このことをもって同人の謀議ないし犯行関与を認定する一資料とすることは相当でないということになる。
6 A2の供述について
(1) A2の供述経過
A2は、捜査段階において、基本的には供述調書の作成に応じていない。
もっとも、第1次逮捕の翌日の平成10年10月20日に警察官調書1通(65回A2・59丁)、4日後の10月23日に上申書1通(同65丁)、第2次逮捕後の4日後の11月13日に警察官調書2通(同82丁)が作成されており、それぞれの内容の正確なところは不明であるが、いずれについても少なくとも不利益事実の承認がなされていることがうかがわれるところ、A2は、これらの各供述調書等につき、当審公判において、その具体的な作成経緯を明らかにしながら、その信用できないものであるゆえんを説明している。特に、上申書については、警察官がワープロで打ち出したものを書き写したものであると弁解している。
次に、第1審公判では、平成10年12月22日の第1回公判期日に各公訴事実をいずれも否認し、無罪を主張したが、検察官請求証拠の取調べにはすべて同意し(62回A2・2丁)、12月28日に保釈されている。そして、第1回公判期日のほか、平成11年2月3日の第2回公判期日、同年2月23日の第3回公判期日の合計3回にわたって被告人質問が行われている(甲308、309、310の裁判官調書合計3通は、刑訴法321条1項1号後段書面として採用された。)。被告人質問での質問応答の内容をみるに、第3回公判期日においては、上記平成10年10月23日作成の上申書についての質問がそのほとんどを占めている。残りの2回については、a1社での勤務ぶりは熱心さに欠け、a1社長から叱られることがあったこと、日本語の能力に問題があり、特に漢字の読み書き能力は極めて低いことなどのほか、a2社口座及びa4社口座の各開設作業への関与の有無、a2社の実態、a4社の設立経緯、逮捕の前日に被告人の事務所に集まったときの様子などについて質問がなされている。しかし、2月謀議の日である平成5年2月19日に被告人の事務所へ行ったか否かについては、質問されておらず、どの期間、どの程度、被告人の事務所に打ち合わせに行ったことがあるかを一般的に聞かれているにとどまり、これに対する答えもいずれも漠然としたものにとどまっている(甲308・13丁、18丁裏、甲309・26丁)。もっとも、罪状認否では、平成5年2月19日の被告人の事務所での会議には出席していない可能性が高い旨の主張を弁護人ともどもしていたようである(62回A・23丁)。そして、無罪方向の供述としては、「Y先生からはやはり新しい会社を作って、そちらのほうに家賃のほうを振り込んで、その会社は物件を持たない会社で、それでa1社は小さくても生きていけるようにしようという話は覚えています。」、「(新しい会社は小さくても生き残っていき、従業員も)徐々に利益がたまれば、少ない人数でもやっていけるんじゃないかと思いました。」、「(妻の会社であるa8社では)いったん個人(妻)からa8社に一括で貸して、テナントを探してきて貸していました。(a4社はa8社と同じようなイメージで)アパートとか小さいうちとか、賃貸したいという気持ちがありました。」(甲308)といった供述がなされている。
その後、平成11年5月17日に第1審で執行猶予付き有罪判決が言い渡され、5月27日に控訴を申し立てている。そして、第1審判決を検討しているうち、平成5年2月19日の日に被告人の事務所に行ったかどうかが重要であることが分かり(同4丁)、当時の写真を探して整理したところ、a1社グループのアメリカの現地法人であるa9社の責任者のA29が長男と一緒に写っている写真を発見し、これをもとにして調査を進めた結果として、控訴審において当日のアリバイを主張するに至っている。
そして、当審公判では、検察官証人として尋問を受けながら、その証言内容は、弁護側の主張に沿うものであり、2月謀議に関しては、控訴審におけるのと同じアリバイ主張をしている。
(2) 検討
そこで検討するに、上述したようなA2の供述経緯と当事者双方の証拠提出状況に照らすと、2月謀議の関連であると11月謀議の関連であるとを問わず、A2の供述につき、被告人を有罪方向に導くような重要な供述は存在しないと言うほかない。
逆に、2月謀議の関連で、A2の供述につき、被告人を無罪方向に導くものとしては、被告人の分社サブリース構想の実在を供述している点及び催告書の送達が出来レースであることの一札をとるためにA3と2人で三和ビジネスに赴いて会談の状況を秘密録音した点が重要であるが、これらについては、関連する箇所で既に検討した。残るは、アリバイ主張があるが、その成否は、A2自身の罪責を決めるには、重要な論点というべきであるが、被告人の罪責を決めるものとしては、本件の具体的証拠構造に照らし、その重要性はかなり低いというべきであるから、判断を差し控えることとする。
7 まとめ
以上、〈1〉a1社の物件管理の責任者として本件各公訴事実の要となる「賃貸人変更のお知らせ」の作成及び発送を担当し、被告人の犯行指示を法廷で明言するA4証言、〈2〉a1社の債権者対策の責任者であり、最重要証拠ともいうべき再建ノート及び業務日誌の記載者でもあるA3の当審証言、〈3〉a1社の経営のトップであるA1社長の、検察官調書及び裁判官調書における各自白供述並びに当審公判での否認供述のそれぞれについて検討してきた。
その結果、〈1〉のA4証言については、後述する会社資金の横領に由来する問題性を除いても、その供述経過及び供述内容の合理性に照らし、到底有罪立証の柱とはなしえないこと、〈2〉のA3証言については、最終的に弁護人の主張を是認する形の供述で終わっていて、やはり有罪立証の柱とはなしえないことのほか、その供述により、再建ノート及び業務日誌、さらには、秘密録音テープという客観的証拠が総合されて、検察官の有罪立証の構図を根底から覆す無罪証拠が現出していること、〈3〉のa1社長の自白供述については、その供述経過及び内容の合理性に照らし、これまた有罪立証の柱とは到底なし得ない上に、その当審証言は、再建ノート及び業務日誌、さらには、秘密録音テープという客観的証拠とあいまって、公訴事実の事案の真相が犯罪性のないものであることをうかがわせる結果となっている。
第7  「11月謀議」の不存在
-公訴事実第2の事案の真相はA4ら横領グループによる会社資金横領を最終目的とした強制執行免脱目的の仮装サブリースであった可能性が高いこと
1 「11月謀議」の内容及び「2月謀議」との関係
(1) 検察官の主張する「11月謀議」の内容
検察官は、冒頭陳述において、「11月謀議」とその成立の経緯について、次のように主張している。すなわち、「a1社は、三和ビジネスクレジットに対する債務を返済せず、不誠実な対応をとり続けたため、同社は、eマンションに対する強制執行を申し立て、平成5年10月29日不動産開始決定があり、東京地方裁判所は、同年11月2日、債権差押命令を発し、翌3日、債権差押命令正本が当時eマンション402号室に居住していたA4方にも送達された。A1は、現実に債権差押命令正本が送達されたことを知って不安になり、同月4、5日ころ、A2及びA4とともに被告人の事務所を訪れ、被告人に相談したが、被告人は、eマンションの賃借人に既に賃貸人変更の通知書を出しているのであれば心配することはないと説明してA1を安心させるとともに、他のa1社所有物件に対する債権者からの差押えに備えて、賃料の振込先をa1社からダミー会社に変更する手続を急ぐこと、その際には、これまでとは別の銀行口座を使うよう指示した。eマンションの賃借人に対する差押命令は、被告人が画策したとおり、a1社が賃貸人名義をa2社に変更していたため、執行不能に終わった。」というものである。
(2) 「11月謀議」と「2月謀議」の関係
上記の検察官の主張する「11月謀議」を「第6『2月謀議』の不存在」の冒頭に記載した検察官の主張する「2月謀議」と併せて読めば、2つの謀議の関係が明らかになる。結論をいえば、2つの謀議の関係は、決して並列するものではない。「2月謀議」を基礎とし、その上に「11月謀議」が乗っかっているのである。「11月謀議」の内容として何が加わったかと言えば、ほとんど加わったものはない。a1社所有の賃貸物件のすべてについて賃料振込先の変更の手続をするという「2月謀議」の際に被告人がA1社長らに与えた指示はそのまま生きていて、ただ、作業を急ぐべきこと、作業に当たってはこれまでとは別の銀行口座を使うことが加わったに過ぎない。しかし、もともと「2月謀議」においても、「ぐずぐずしていると手遅れになる」などと作業を早く行うべきことが犯行指示の内容に含まれていたことを思い起こせば、作業を急ぐべきことも、何ら新たな事項を追加するものではない。さらには、これまでとは別の銀行口座を使うことという点についても、もともと「2月謀議」では複数のダミー会社を利用することが指示されていたところ、この指示に従えば、当然に別の銀行口座を利用する結果となることにかんがみると、やはり、新たな事項を追加するものではないといえる。この点はさておいても、作業を急ぐべきこと、及び、作業に当たってはこれまでとは別の銀行口座を使うことは、できるだけ巧妙に行うことにより発覚を防ぐという意味があるにすぎず、犯行指示内容の本質に関わるものではない。さらに言えば、「11月謀議」は、「2月謀議」の存在と矛盾するおそれすらなしとしない。なぜならば、「2月謀議」の内容としては、早急に、複数のダミー会社を利用して、a1社所有の賃貸物件すべてについて、賃料振込先を変更すべきことが指示されているのである。この指示が忠実に守られていたのならば、「11月謀議」の出る幕はない。「2月謀議」が指示どおり実行されなかったのではないかと疑わせるような何らかの事情の存在があって初めて「11月謀議」が出てくる余地が生ずるのである。この意味で、検察官が冒頭陳述において、被告人は「2月謀議」の日以降も、被告人の事務所での打合せの機会に、A1社長らに対し、「どのくらいの物件の賃料を振り替えたのか、a1社の各所有物件について賃料振込先の振替えが確実に行われているかどうかを折りに触れて確かめるなどして、a1社の経営指導に当たっていた」と主張しているのは、「2月謀議」に際しての犯行指示者の犯意の強固さを示そうとするものであろうが、その一方で、「11月」謀議が出てくる余地をなくしてしまうおそれのあるものである。
このようにみてくると、「11月謀議」、具体的には、「平成5年11月4、5日ころの被告人の事務所における賃料債権差押え逃れの謀議」の立証の持つ意味は大きくない。「2月謀議」が立証されれば、仮に、「11月謀議」の立証ができなくとも、11月の賃料振込先の振替えについて、共謀ありとして処罰し得る余地がある。逆に、「2月謀議」の立証の失敗は、当然に、「11月謀議」の立証の失敗をもたらすものなのである。
しかるに、検察官の「2月謀議」の立証が完全に失敗に終わっていることは、第6で詳細に論じたところである。そうすると、有罪無罪を決する観点からは、あらたに「11月謀議」の存否について検討する必要はない。「11月謀議」の存否について検討する意義があるとすれば、その不存在が明らかになることによって、被告人の無実がより一層明らかになるという意味においてである。
なお、A3は、「2月謀議」には参加していたが、「11月謀議」には、同日の11月4日から海外に出張していたため、参加していなかった。
2 「11月謀議」の直接証拠
「11月謀議」についての直接証拠は、A4の当審証言とA1社長の検察官調書(甲92、96)の2つがあるだけである。上記のように、A3は、平成5年11月4日から海外に出張していたため、同日の「11月謀議」には、参加していなかった。また、A1社長は、第1審公判において、「2月謀議」についてこそそれなりに供述しているが、「11月謀議」については、供述していないのである。すなわち、A1社長の第1審公判供述中、「11月謀議」に関するものとしては、「この検面調書の中にはもう一つ、平成5年11月初めごろのこととして、Y先生が『これまで使った銀行口座とは別の口座にしておく必要があります。と指示したので、私はA2とA4に作業を急ぐように指示したのでした。その結果A2はa4社の銀行口座を第一銀行白金支店に新たに開設し』とあるんですけれども、A1さんはこういうことを本当に知っていたのですか。」との弁護人の質問に対し、「私は、当時はそういうことは知りませんでした。」(甲307)と一言答えているだけなのである。
なお、「11月謀議」があったとされる平成5年11月4日の被告人の事務所における打合せの参加者としては、上記のA4及びA1社長の2人のほかに、A2と被告人がいる。同人らは、謀議の存在を否定している。
以下、A4の当審証言、A1社長の検察官調書(甲92、96)、A2の当審証言、被告人の当審供述の順に、各供述の信用性について検討する。なお、A4の当審証言の信用性の検討の際には、併せて、a4社口座の開設者が誰であったかを検討する。また、A2の当審証言の信用性の検討の際には、a4社の設立目的について併せて検討する。
(1) A4の当審証言の信用性とa4社口座の開設者
(ア) A4の当審証言の要旨
A4の「11月謀議」に関する当審証言の要旨は、以下のとおりである。
すなわち、平成5年11月3日(祝日)、自分の住んでいた「eマンション」の部屋に債権差押命令が送達された、ついに来た、大変だと思った、そこで、休み明けの同月4日、A1社長らに対して同書類を見せたところ、被告人に相談しようということになり、同日、被告人事務所に社長とA2とともに赴いた(40回A4・80丁)、そして、被告人に対し、「eマンション」について賃料債権の差押命令が出たと説明したところ、被告人から「賃貸人の名義を変えてあれば心配ない。」と言われた、その上、「他の物件も名義変更をきちんとやっているか。」と聞かれたほか、A1社長から、「dビルもやっているか。」と念を押された、A1社長は、「dビル」がa1社の国内所有ビルの中では一番収入の多い物件であったので気になったのだと思う(同81丁)、そこで、A1社長から全部の物件について変更するようにと言われていたのにやっていなかったため、そのことを報告するとA1社長に怒られる気がして、思わず、「やっております。」と返答をした、被告人は、「賃貸人を変更する名義はできたらa2社とは違う方が良い。名義上の賃貸人となる別会社はたくさんあったほうがいい。」と指導した、その際、自分は被告人に対し、裁判所から送られてきた第3債務者の陳述書の書き方を尋ねたところ、被告人から、そのとおりa1社から借りていなければ借りていないと書いていい、それで出しなさいと言われた(40回83丁)。会社に戻った後、A2に対し、実は「dビル」の賃貸人変更をまだしていないと伝えた上、同物件のテナントに対する賃貸人変更のお知らせを起案し、賃貸人名義の変更手続にとりかかった、賃貸人の変更先は、A2と相談してa4社と決めた(同84丁)、a4社の口座は同月5日にA2から通帳を見せてもらった(同86丁)、こうして賃貸人変更のお知らせを作成した上、「dビル」の全テナントに対して郵送した、同物件に関するa1社とa4社の間の一括賃貸借契約書は作成したかどうかはっきり覚えていない(同89丁)、また、自分は、「eマンション」に住んでいたが、a1社とは契約していなかったので、陳述書には、借りていないのところにチェックだけして返送した(同91丁)、というものである。
(イ) 検討
〈1〉 はじめに
上記のA4証言では、A1社長との間で新たに共謀が成立したとはいえないであろう。なぜならば、A1社長は、「dビル」についてはもうやってあると思っているからである。この場合になお共謀があるというにしても、それは「2月謀議」による共謀であろう。同様にして、被告人についても新たに共謀が成立したことにはならない。なぜならば、A1社長とA4との間の会話を聞いていることにより、「dビル」についてはもうやってあると思ったはずであるからである。共謀があるというにしても、A1社長の場合におけるのと同様に、それは「2月謀議」による共謀であろう。
〈2〉 証言に係る3人の会話状況の不自然
以上の点は、さておき、不可解なのは、なぜ、被告人において、「他の物件も名義変更をきちんとやっているか。」との問いを発したかである。もともと、「2月謀議」では、被告人は、すべての物件について、すみやかに、賃料振込先の変更をするようにと指示したというのであるから、指示どおりにやっているとの点について、疑問を生じさせるような事情があったのなら格別、そのような事情があったということについてはA4は何も述べていない。むしろ、A4は、検察官調書(甲277・81頁、甲286・101頁)において、「賃料振込先振替えについては、既に2月19日の会議のときにa1社のすべての物件について至急するようにとの方針が確認され、私が担当者となって進めている状況でしたので、『経営会議』の席上特段話題に上るということもなく、各債権者の動向がA3から報告されたときなどに、Y先生が私に、『そこもちゃんと通知書出したのね。』というように確認する程度でした。」と述べていて、これまでにも確認されたことがあり、その際には、ちゃんと通知書は出していると答えたかのような供述をしているのである。また、上記の「他の物件も名義変更をきちんとやっているか。」との被告人の発言と「dビルもやっているか。」とのA1社長の発言の相互の関係も問題である。被告人の上記発言がなされたのであれば、まずはそれに対して、A4が答えるのが普通であろう。そして、もし、「はい」と答えたのであれば、それにもかかわらず、A1社長が「dビルもやっているか。」と尋ねることは普通では考えられない。それでは、「他の物件も名義変更をきちんとやっているか。」との被告人の発言とほぼ同時に「dビルもやっているか。」とのA1社長の発言があったというのであれば、どうであろうか。この場合には上述の問題は解決される。しかし、これらの連続した問いに対して、「やっております。」と答えたのであれば、その先に、さらに、被告人から、「賃貸人を変更する名義はできたらa2社とは違う方が良い。名義上の賃貸人となる別会社はたくさんあったほうがいい。」といった発言が出るわけがないのではなかろうか。なぜならば、これらの発言は、やってないところがあるということを前提としたものであるからである。さらに、上記の点はさておいても、被告人は、a1社の所有に係る各賃貸物件の実情について、資料や現地視察により、十分にこれを把握している。したがって、A4証言がいうほどに念の入ったアドバイスをするのであれば、むしろ、a1社所有のすべての賃貸物件について、個別に実施状況の有無、実施している物件については、振込先の会社名義いかん、実施していないときは、その理由をこそ尋ねてしかるべきである。
以上の次第で、A4の証言に係る3人の会話状況はいかにも不自然である。
〈3〉 「dビル」をあげるA1社長発言の不自然
上記A4証言によれば、A1社長は、「dビルもやっているか。」とA4に確認したというのである。しかし、同物件の根抵当権者である日住金の担当者であったA17は、A3と懇意の関係にあり、当時a1社に対して厳しい返済要求等をしていたものではなく、逆にa1社の他の債権者の動向や対策等をA3に対して教授するなどしており、同社とは比較的平穏な関係にあった。そして、このことはA1社長らも当然把握していたはずのものであるところ、A1社長が、このような金融機関担当者の対応状況を無視して、賃料収入の多かった同物件の対処のみを確認するというのも事実経緯として自然性を欠くというべきである。
この関連で、再建ノートの平成5年12月8日の欄の「A1社長には一つずつ火を消してゆかなければならないと説明した」との記載があるのが注目される。A3は、同年11月4日に上海に向けて出国し、同年12月4日に帰国している(甲151)。上記記載は、帰国後まもなくの12月8日にA17と会った際、A17から、三和ビジネスからの「eマンション」に対する競売申立て及び賃料債権の差押えについて、A1社長に上記のようにアドバイスしておいた旨の話があったことを記載したものと解される(28回A3・67丁)。この記載からも、A17の、A3のみならずA1社長とも親しい関係をうかがうことができる。のみならず、11月4日に日住金に対する差押え妨害の謀議をし、それに基づいて同月9日ころにテナント宛てに賃貸人変更の通知書を発送しているのであれば、その最中またはその直後に、その相手方に対して、他の債権者から賃料差押えがあったことを話すということはおよそ考えられないはずである(なぜならば、相手方を警戒させて差押え妨害が失敗に終わる危険がある)。この意味において、上記の記載は、A1社長が「dビル」について通知書の発送が行われていることを知らなかったということを物語るものであるということができる。そして、同じ11月中に、同じく日住金が抵当権者である「jビル」及び「rビル」について相次いで通知書の発送が行われているところ、このことは、これら一連の通知書の発送が、A1社長にとっては、まったく思ってもみないことであったことを、より一層強くうかがわせるものといえよう。
〈4〉 賃貸人の変更をあらためて確認されたこととその後の実施結果との不整合
A4証言によれば、既に「2月謀議」の時点で、すべての賃貸物件について賃貸人の変更をするように言われていたが、さぼっていたというのである。そして、「eマンション」について実際に債権差押え命令が発付され送達された。被告人からもあらためて「他の物件も名義変更をきちんとやっているか。」と確認された。これに対しては、やっていますと答えてその場を取り繕った。そうであれば、「dビル」についてのみならず、残りの物件すべてについて大慌てで賃貸人の変更をするのが普通であろう。ところが、同じ11月に3物件については実施しているが、その後は、平成6年3月に3物件、平成6年7月に1物件、平成7年9月に1物件と、相変わらず自分のペースである。A4が仕事熱心ではないということで説明がつかないとまでは断定しないが、これはいかにも不可解である。むしろ、「2月謀議」など存在せず、さらに、「11月謀議」も存在せず、当初の2物件は、海外売却の絡みで賃貸人の変更が行われたが、3物件目である「dビル」以降のすべての物件につき、A4が自分の都合と自分の判断で勝手に賃貸人の変更を行ったと見る方がよほど自然なのである。
(ウ) a4社口座の開設者
〈1〉 検察官及び弁護人の各主張
公訴事実第2において「dビル」のテナント賃料の振込先となったa4社口座は、平成5年11月5日に第一勧業銀行白金支店で開設されたものであるところ、誰がこの口座を開設したかについては、双方で争いがある。
検察官は、A4の当審証言、A2の第1審公判供述のほか、a4社口座の口座開設の申し込みの際に用いられた複写式の6枚綴りの書面の1枚目である普通預金申込書(甲295はその現物である)、その6枚目である普通預金印鑑票(現物は証拠として提出されておらず、甲131の捜査関係事項照会回答書にそのコピーが添付されている。)に記載された数字等の筆跡などを根拠として、A2が開設したと主張する。A4は、当審公判において、前記のように、被告人事務所では、「dビル」の賃貸人変更は既にやってあると答えてその場を取り繕ったが、a1社に戻った後、A2に対し、実は「dビル」の賃貸人変更はまだやってない旨を打ち明けた、賃貸人名義の変更の手続にとりかかり、賃貸人の変更先については、A2と相談してa4社と決めたと供述しているが、このほかにも、A2に口座番号を聞いたらまだ出来ていないと言われ、日をおいて同じことをきいたら、そのときには手もとにないということで、その後に、多分翌日、通帳を見せてもらって口座番号を記入した(40回A4・86丁)と供述している。この点については、A5のこれを裏付けるような証言がある(12回A5・8丁裏)。また、A2は、第1審公判で、「(a4社の口座開設は全然覚えていないが)銀行からのコピーを見せられました。作った当時のコピーを見せられました。それでも思い出さないのですが、字が私の字だと思ったので。」(甲308)と供述している。
これに対し、弁護人は、上記の6枚目の普通預金印鑑票のおなまえ欄に、会社名と代表者氏名と住所とが一体となった有限会社a4社のゴム印が写っているところ(1枚目にゴム印が押捺され、複写式の書面なので6枚目にも写し出されたものである)、そのうちの住所部分の下部に、並行するように、「fマンション601」という手書きの記載があること、そのおところ欄に郵便番号として※※との数字が手書きで記載されていること、お勤め先欄に、a1社3583-※※※※との手書きの記載があること、さらに、おところ欄の末尾に3446 ※※※※の電話番号、お勤め先欄の末尾に3440 ※※※※の電話番号がそれぞれ写っているところ(1枚目に手書きで書かれたものが、複写式の書面なので6枚目にも写し出されたものである)、この2つの番号の間に、自宅、との2文字が手書きで記載されていること、以上の各記載のうち、括弧で注記したもの以外は、1枚目には記載がないが6枚目には記載のあるものであること、A2は自分でa4社の住所を書くときは、fマンション301と書いており、一方、「fマンション」601号室の郵便受けは、A5、A4、A7、A6の4人組が管理するものであったこと、6枚目の普通預金印鑑票のお届け印欄の印影は、A5ら4人組がa4社名義の口座を勝手にいくつも開設した際に使われた印鑑の印影と同じものであること、などの諸事情を根拠として、a4社口座は4人組が開設したと主張する。
〈2〉 3446-※※※※、 3440-※※※※、¥5000はA2の筆跡
そこで、検討するに、a4社口座の開設にあたって用いられた複写式の6枚綴りの書面のうちの、1枚目である普通預金申込書及びその6枚目である上記印鑑票の各記載のうちの、日付欄の5 11 5の数字、金額欄の¥5000の円マークと数字、おところ欄の電話番号の3446 ※※※※の数字、お勤め先欄の電話番号の3440 ※※※※の数字が、平成5年2月24日に開設された第1勧業銀行白金支店で開設されたa2社口座の普通預金申込書(甲294はその現物)の記載のうちの、日付欄の5 2 24の数字、金額欄の¥1000の円マークと数字、に極めて類似していること(以下において、以上を一括して、「上記の各数字等」という。)、A2は、第1審公判において、「各口座について、上記の各数字等は自分の字だと思う、a2社口座については、さらに、代表者としての自分の氏名に振ってある片仮名の振り仮名も自分の字だと思った、そうすると、これらの各口座は、自分で銀行に赴いて開設したという具体的記憶は全くないが、自分が開設したのかもしれないと思う。」という趣旨の供述をし、一方、当審公判においては、「各口座について、代表者としての自分の氏名に振ってある片仮名の振り仮名につき、いずれも、オの書き方が違う点と、○○ではなく△△と書いてある点、a4社口座については、さらに、「fマンション601」という字と郵便番号欄の※※の数字が自分の字ではないので、それ以外の、上記の各数字等は、確かに自分の字に似ているが、結論としては、これらの各口座は自分が開設したものではないんじゃないかと思う。」という趣旨の供述をしていて、供述に変遷があるが、上記の各数字等が自分の字であると思うということについては、終始一貫していることに照らすと、上記の各数字等はA2が書いたものと認めるのが相当である。もとより、このことによって、A2が自ら銀行の窓口に赴いて各口座の開設手続をしたことになるわけのものではなく、この点について判断をくだすためには、さらに検討を進める必要がある。
ところで、甲210の水色クリアファイル中の電話番号一覧メモ(局番が3桁時代のもの)によれば、583-※※※※はa1社の本社の電話番号であり、446-※※※※はA2が住んでいる「dビル」の管理人室の電話番号である。そして、このうちの3583-※※※※は、A6が平成5年12月20日に都民銀行で開設したa4社名義の普通預金口座の印鑑票のa4社の電話番号としても記載されている(甲133)。また、「dビル」の当時の管理人は、A1社長の2つ下の弟のA30(A30)であった(55回A1社長36丁)。さらに、3440-※※※※は、「dビル」のA2の自室の電話番号であると推測される。
〈3〉 「fマンション601」の書き込みの意味
前述のように、6枚目である上記印鑑票のおなまえ欄には、会社名と代表者氏名と住所とが一体となったa4社のゴム印が写っているところ、そのうちの住所部分である東京都目黒区〈以下省略〉の下部には、これと並行するようにして、「fマンション601」の記載がある。また、1枚目の〈お願い〉には、「おところ」は団地、アパート名、棟号、室号および何々様方までご記入くださいなどと記載され、そのほか、ハートのマネーカード、ハートのナイス・アカウントカード(貯蓄預金カード)を御希望の場合は云々の記載もある。さらに、6枚目である上記印鑑票のカード受付日の欄には、5.11.-5とのゴム印が押捺されている。以上の諸点を併せ考えると、口座開設の手続をした当日、申込者からマネーカードの発行の申し出があったこと、マネーカードは仮名口座の防止などの観点から、店頭交付ではなく、書留で郵送される扱いになっていること、そこで、本件のおところ欄の記載が正確なものであるかの再確認が窓口係員によってなされたところ、実は、東京都目黒区〈以下省略〉は一戸建ての建物ではなく、マンションの住所であり、a4社は、そのマンションの1室に入居している者であることが明らかとなったこと、そこで、マンション名と号室番号を記載する必要があるとされて、申込者が述べた「fマンション601」が窓口係員によって追加記載されたこと、郵送のことを考えて郵便番号も記載されたこと、さらに、a4社の連絡先の電話番号について、既に記載されていた3446 ※※※※でよいのかとの確認がなされたところ、申込者において、fマンション601号室には電話はないこと、既に記載されている3446 ※※※※及び3440 ※※※※の2つの電話番号は、会社代表者の自宅マンションの自室及び管理室の電話番号であることが明らかにされたこと、そこで、a4社に業務連絡で電話する場合にはどこへかければよいのかの確認がなされたこと、これに対し、申込者において、連絡は、3583-※※※※へ連絡してほしいこと、そこは、グループ会社のa1社という会社であることの申し出がなされたこと、そこで、窓口係員は、ご連絡先欄に、申込者の述べた会社名と電話番号を記載し、既に記載のある2つの電話番号には、これらは代表者の自宅マンションの自室及び管理人室の電話番号であることを明らかにするために、自宅、との2文字を記載したこと、なお、申込者は、a1社と発音したが、窓口係員は、代表者がA2であることに引きずられ、a1社と聞き取ったこと、以上のような経緯で、1枚目である普通預金申込書にはないが、6枚目の印鑑票にはあるところの各記載がなされたものであることが合理的に推認されるといえるのではなかろうか(なお、これらの各記載が6枚目に直接なされたものであるか、それとも2ないし5枚目に記載されたものが複写式の書面なので6枚目に写し出されたものであるかは、6枚目の印鑑票としては、そのコピーしか証拠として提出されていないので、これを判別することは不能である。)。
上記のように推認するときは、弁護人も指摘するように、口座開設のために窓口に赴いたのが誰であるかを知るためには、「fマンション601」の記載が大きな手掛かりとなる。
〈4〉 郵便受けに貼付された「有限会社a4 601号室」との記載のある紙片
-fマンション601号室の郵便受けの管理者はA5ら4人組
a4社の本店所在地については、商業登記簿上は「fマンション」の地番であるものの、部屋番号までは特定されておらず(甲53)、実際に事務所が設けられたこともなかった。もっとも、A2が同社の設立に着手した平成5年3月ころには、上記601号室には不法占拠者がおり(弁61。なお、同年4月5日には既に空室となっていたようである。甲249、250)、また、a4社の都税事務所に対する事業開始等申告書では、301号室が本店所在地として申告され、平成5年7月21日に受け付けられているほか、消費税課税事業者届出書にも301号室が記載され、法人事業税・都民税の督促状、同領収証書は同301号室宛てに送達されている(弁論要旨別冊資料5-15)。さらに、A2は、当審公判において、a4社の本店所在地について、平成5年3月ころの同社の設立準備時点から、同社の本店を「fマンション」の301号室にしようとした、その際、A4に同物件の空き室を聞いた上、一応部屋の中を確認し、空いていたので、301号室を事務所に決めた(62回A2・45丁、63回A2・6丁等)と述べている。以上に照らせば、a4社は「fマンション」の301号室を本店所在地に設定していたとみるのが自然である。
一方、「fマンション」の1階の集合郵便受けの601号室の郵便受けには、「有限会社a4 601」と書かれた紙片が貼付されている。
同紙片を詳細に検討するに、その紙片は「gホテル」のエントリーシート(宿泊カード)であり、その裏面の白い部分に上記の会社名等が記載されている。そして、同紙片はガムテープで601号室の郵便受けの扉に貼付されているところ、慎重にガムテープを剥がしてみると、ガムテープの裏面の粘着部分には、スコッチテープが貼り付いており、ガムテープで留められる前には、別の場所にスコッチテープで留められていた形跡が存する。また、関係証拠によれば、その紙片の「有限会社a4 601」の記載のうち、会社の商号部分を記載したのはA2であるのに、「601」と記載したのはgホテルの支配人のA7であること(76回A7・13丁)、日常601号室の郵便受けに郵便物を取りに行っていたのはA7であること(「gホテル」と「fマンション」は番地が2番違うだけであり、ガソリンスタンドを跨いで隣り合っている。弁152の写真撮影報告書の写真1参照。)、A7はa4社口座開設の直後である平成5年11月26日及び同月29日、第一勧業信用組合目黒支店にa4社名義の銀行口座を2つ開設したが、その際、同支店の担当者に対し、a4社名義の積み立てについてa1社の身内の人には言わないでくれと頼み、同行からの手紙も直接自分に持参するよう申し入れていたこと(A7・76回40丁、同97丁)の各事実が認められる。また、「fマンション」の601号室が空室であることをすぐに把握できたのは物件管理担当者のA4らであった。
そもそも活動実態を有していなかったa4社の表記が、同じ物件の郵便受けに2箇所もあること自体、意図的な操作を感じざるを得ないが(弁152の写真撮影報告書の写真番号4ないし7参照参照。)、さらに加えて、a4社の601号室の表示がスコッチテープの上からガムテープで留められていること、マジックを用いて、「有限会社a4」の記載をA2が行い、これに続く「601」の記載はA7がしていることからも異様な印象を受けることにも照らすと、601号室の設定自体が極めて不自然なものというほかない。
よって、上記601号室の郵便受けは、A5ら4人組のうちのA7やA4が、後述のように、自分たちが退職金名目で会社資金を横領するための準備行為として、A2の会社であるa4社の名義を勝手に利用して多数の銀行口座を無断で開設することを考えた際に、銀行から送られてくるであろう、マネーカードの書留郵便やその他の通知書類等が、社長やその息子であるA2の目に触れることのないようにするために設定していたものと考えるのが合理的である。このように解すると、A1社長が本件当時a4社の存在すら知らなかったと一貫して供述していることも合理的に説明が付く。
〈5〉 a4社口座の届け印の管理利用状況
関係証拠によれば、以下の事実が認められる。すなわち、a4社の印鑑は最終的には3つあった。第1の印鑑は、実印であり、A2が保管していた(63回A2・28丁)。第2の印鑑は、平成5年11月5日開設に係るa4社口座の上記印鑑票に押印されていた印鑑である。第3の印鑑は、平成6年10月7日にA5らが開設した都民銀行のa4社名義の銀行口座の届出印鑑等に使用された印鑑であり(甲133等)、A5も、「積み立てするのに使った印鑑だと思います。」と証言し(9回A5・48丁)、自分たちが管理していたことを認めている。そして、上記の第2及び第3の各印鑑は、a4社のゴム印と一緒にして、六本木のa1社本社の3階のA5の机の上の木箱に入れられてあった。その木箱には、a1社のゴム印及び印鑑並びにa2社のゴム印及び印鑑も一緒に入れられてあり(47回A4・11丁)、社員が自由に使える状況にあった。平成5年6月14日、A7によりa4社の資本金300万円全額が払い戻されているところ、同払戻金の領収書には、実印とともに第2の印鑑も押印されており(第2の印鑑は×印で抹消されている。75回A7・19丁)、同印鑑はそのころ既に存在していた。したがって、A5らは、いつでも用いることのできた第2の印鑑を利用して、a4社口座を開設した可能性は十分に存する。そして、第2の印鑑は、上記のとおりa4社口座の届出印鑑として用いられたほか、A7、A5が同月26日及び29日に第一勧業信用組合目黒支店に開設したa4社名義の口座及びA5、A6が同年12月20日に都民銀行に開設したa4社名義の口座の届出印鑑としても用いられ、さらには、A4が「dビル」のテナントに対して送付した「賃貸人変更のお知らせ」のa4社の表示部分にも押印されていた(甲142、甲133、76回A7・25丁、41回A4・7丁、9回A5・22丁、甲25、甲28、甲128等)。
〈6〉 まとめ-a4社口座の開設者はA5ら4人組
以上によれば、a4社の口座の開設にあたって用いられた複写式の6枚綴りの書面には、A2が金額や電話番号などを記載しているが、実際に、銀行の窓口にこの6枚綴りの書面を提出して手続をしたのは、A5ら4人組のうちのA4やA6やA7である可能性が高い。
他方、後述のように、a4社口座に振り込まれた現金の一部が最終的に退職金の積立金に使用されていることや、同月26日及び29日、さらには、同年12月20日、A5らは、a4社名義の銀行口座を次々と開設し、a4社の名義を利用して退職金の積み立てをしていることに照らすと、A4がこのとき賃料振込先としてa4社を選択しているのは、やはりA4らの退職金隠匿に向けた特段の意図があったとみるのが自然であろう。
なお、A2が金額や電話番号などを記載していることについては、A5ら4人組が自分たちの悪いたくらみが明るみに出た場合に備え、a4社口座の開設にはA1一族のA2が関与しており何ら悪だくみはなかったなどと弁解するために、ことさらに、情を知らないA2をして、口座開設の申し込みのための複写式の6枚綴りの書面に金額や電話番号などの記載をさせた可能性が高い。そして、a1社の帳簿には同口座の開設時の振込金に関する処理として、「93.11.5 借受金 A2 5000円」と記載されているところ(甲137)、これについては、上記の罪証隠滅工作を一層完璧なものとするためになされた虚偽の記載であるとみる余地があろう。当審の審理で明らかになったA5のたくらみに満ちた帳簿操作に思いを致すときは、このようにみる余地が十分にあるというべきである。
また、検察官は、a4社口座が開設された第一勧業銀行白金支店は、当時A2が居住していた「dビル」の目の前にあることから、このことをもって、A2自身が同行の窓口を実際に訪れ、a4社口座の開設手続を行ったと認めることの根拠事実の1つにあげているが、第一勧業銀行白金支店が「dビル」の各テナントの賃料振込先として選択された理由は、振込手続をするテナント側の便宜を第1に考えたとみるのが自然であろう。そうであるとすれば、口座を開設すべき銀行は、開設者自身の便宜とは独立して最初から決まっていたのである。口座を開設すべき銀行はどこでもよいという中で開設者自身の便宜のために「dビル」が選択されたのではないのである。このような前提にたてば、検察官の根拠付けは著しく説得力を失うことになろう。
(エ) まとめ
以上によれば、A4証言は、内容自体が不自然不合理であって信用できない。のみならず、「dビル」のテナントの賃料の振込先を変更するにあたって、A2が自ら振込先の銀行に赴いて口座の開設を行ったとの点については、客観的事実に反するものであり、むしろA4が自らまたは他の者をして銀行に赴かせて口座開設をしたものと推認されるのであって、このような重要な点について虚偽を含むという意味でもA4証言は到底信用できないというべきである。
(2) A1社長の検察官調書(甲92、96)の信用性
(ア) 検察官調書(甲92、96)の要旨
11月謀議に関するA1社長の検察官調書(甲96)の記載は、以下のとおりである。
「三和ビジネスクレジットは同年10月末にeマンションの競売と家賃差押えを裁判所に申立て、それが認められた結果、11月初めころ、家賃差押命令が当時eマンションに住んでいたA4の自宅に送達されてきたのでした。そこで私は急いでA4とA2を連れてY先生の事務所に行って対応方法について指示を仰いだのでした。ちなみに、Y先生の事務所に行くときはA3も一緒に連れていっていましたが、確かこのときは海外出張か何かでA3がいなかったので、A4とA2を連れてY先生の事務所に行ったのです。そうしたところ、Y先生は、『既に賃料振込先は振り替えてあるので、心配する必要はありません。ただ、他の物件についても同じような差押えの動きが出てくるでしょうから、他の物件についても賃料振込先を別会社の銀行口座に振り替える作業を急ぎなさい。その際は、これまで使った銀行口座とは別の口座にしておく必要があります。』と指示したので、私はA2とA4に作業を急ぐように指示したのでした。その結果、A2が11月5日にa4社の銀行口座を開設し、A4がその銀行口座に賃料振込先を振り替えるための通知書をdビル等のテナントに発送したのでした。」というものである。甲92の検察官調書は内容的にも量的にも上記甲96の検察官調書とほぼ同一である。
(イ) 検討
一見して明らかなように、その供述は、客観的事実経過と被告人の発言のみからなるもので、およそ迫真性がない。A1社長においてA2やA4が謀議の実行に向けて行った具体的行為について知っていたという趣旨を含むかといえば、そうではない。そのことは、甲96の検察官調書において、「もちろん、前にも申し上げましたとおり、こうした具体的な手続は一々私にまで報告されませんでしたが、2人とも私の指示に従い事務的に手続を進めただけであって、やはり責任は私にもあります。」と記載されていることによって明らかである。
これらの検察官調書のうちの、「2月謀議」に関する供述部分に信用性がないことは、「2月謀議」のところで詳述した。同じ調書に記載された、しかも、上記のように、およそ迫真性のない抽象的な供述に信用性がないことは明らかであろう。
(3) A2証言の信用性及びa4社の設立目的
(ア) A2証言の要旨
A2は、当審公判において、平成5年11月4日の被告人の事務所における打合せの状況、賃貸人変更措置を行ったことの認識等に関し、以下のとおり証言する。
すなわち、同日の被告人との打合せでは「fマンション」の借家人組合との会合に向けた打合せを行ったと思う(64回A2・8丁)、具体的な内容は、同物件の明け渡しや、a1社サイドで同物件を全部改装したときに家賃を支払ってもらえるかとか、賃料の額などというものであったという記憶がある、この打合せの際、債権者から差押えの問題で被告人と話をした記憶や、A4が被告人に対して三和ビジネス申立てに係る賃料債権の差押えの話をした記憶はない(同12丁)、「dビル」のテナントに対し、賃貸人変更のお知らせの通知を出すことは知らなかった(60回A2・55丁)。
(イ) 検討
A2は、捜査段階から概ね上記供述を維持している上、平成5年11月当時、被告人が実際に「fマンション」の借家人組合と会合を持っていたことについては裏付けがあること、証言時より8年半も前のことであるから、大半のことを忘れていても当然であることなどに照らすと、基本的には自己の記憶に従って供述しているものと考えられる。
(ウ) a4社の設立目的
A2は、平成5年2月24日ころ、a4社の設立手続をA11税理士に依頼し(71回A11・6丁)、同年3月5日に自己の印鑑登録証明書を取得するなどし(62回A2・44丁)、同年6月1日に同社を設立しているところ(取締役はA2。甲53)、A2は、当審において、a4社を主に「fマンション」を改装・管理するための会社としようとした、そのころの被告人の事務所における打合せで、a1社以外の別会社で同物件を改装しようという話がちょうど出ていたため、自分が独自の考えで、同社を予め用意しておいたと述べる(60回A2・14丁)。
そこでa4社の設立目的について検討するに、同社の設立の着手は同年2月19日の「2月謀議」の直後であることや、同社は設立直後(同年6月14日及び同月15日)に資本金が全額引き出され、その後も活動実態の全くない会社であったこと、実際に同年11月、「dビル」の賃貸人変更先として利用されていること(その他の複数の物件の賃料振替先としても同様に利用されている。)などにかんがみると、a4社は当初から賃料振替え用の会社として設立されたとみるのが自然であると思われないでもない。
しかしながら、平成5年5月25日、a4社の資本金300万円が一勧信組の口座に払い込まれ(甲61)、同年6月1日にa4社は設立されたが、同月14日、資本金全額が引き出され、同日開設されたa4社名義の普通預金口座に同額が振り替えられた上、同月15日、その普通預金口座から300万円全額が払い戻され、同信用組合の「gホテル」名義の銀行口座に振り込まれている(甲61)ところ、同月14日の300万円の領収書をみると、実印及び第2の印鑑が押印されているとともに、A7の字で「目黒区〈以下省略〉 有限会社a4 代表取締役 A2」の記載がある(75回A7・19丁、甲134)。また、同月15日の上記普通預金口座の300万円全額の払戻請求書にもA7の筆跡が認められる(75回A7・20丁、甲134)。以上のようにして、A2は、自分の会社とするつもりがあったからこそ、設立資金についても、A1社長に頼むことなく、A7に相談するなどして、その調達に苦労しているのである。もし、a1社において会社ぐるみで差押え逃れを計るのであれば、設立資金なども会社が当然払うであろう。
また、関係証拠によれば、平成4年12月ころ、a1社は三井信託から「fマンション」を改装するなどして活用しても良いと言われ、同月10日欄の再建ノートにも「fマンション・別会社により改装/賃収-MTBへ、見積りとる。」との記載があること(甲179)、平成5年2月ころ、約8億6000万円を投じて同物件を大がかりに改装する見積もりが改装業者から取られていること(弁64)、同ノートの同年3月1日の「新会社」の欄に「fマンション改装資算5オク、収入1.5-経費1.0=net収入0.5」の記載があり、新会社構想の一つとして同物件の改装費の試算をしていた形跡があること、このころ、a1社関連会社では香港の「hホテル」を売却した際に得た前記10億円の現金の余剰があり、試算に見合う高額の改装費を出す元手があったこと、平成5年4月ころから同年11月ころまで「fマンション」の借家人組合と改装に関する会合等が継続して持たれ、テナントと直接のやりとりをしていたA4が被告人に何度もファックス等でその対応を相談していたこと(弁65ないし70)の各事実が認められる。以上によれば、平成5年初頭から、a1社内で「fマンション」を新会社によって改装する計画が存在し、その実現に向けた具体的な動きがあったことが合理的に認定できる。
その上で、同年2月下旬、そのような動きに合わせてA2がa4社の設立に着手していること、同社の設立目的は「1 不動産の賃貸及び管理 2 前号に附帯する一切の業務」とされていること(甲53)、a4社の本店所在地は「fマンション」に置かれ、a4社の郵便受けも同物件にあること、A2は、平成5年1月初旬にいわゆるクーデターを計画したが、着手すらできず挫折しているものの、a1社を分社化し、子会社(管理会社)にいくらかの賃料を残してそこで生き残る意識を有していたこと(平成6年5月ころに書かれた一連のメモの記載に顕著に表れている。弁169)、特に、A2は、平成5年11月にa4社がa1社の所有物件の賃料振込先に利用されてa1社と関係してしまったため、a4社で独自に活動する興味を完全に失い、全部人任せにしてしまったものの、設立当初は小さくてもいいから自分の会社を作って何かをやりたいという意欲を持っていたことを自己の刑事裁判の第1審公判のときから訴えており(甲308)、同主張にはそれなりの説得力があること、以上に照らせば、a4社は「fマンション」の改装・管理を行う新会社として設立された可能性が十分にあるというべきである(なお、83回被告人29丁参照。また、改装話が沙汰やみになったことについて、同33丁参照。)。A1社長が今回事件化するまでa4社を一切知らなかったのは、A5ら4人組が前記のように、a4社名義の多数の口座について、銀行から来る業務連絡の窓口を、「fマンション」601号室の郵便受けに誘導したこともその一因をなすであろうが、基本的には、A2が、平成5年1月初旬のいわゆるクーデター未遂と同様の発想で、自分の意見に対し何でも頭ごなしに怒鳴って反対する(甲308)A1社長から独立して、自分の会社であるa4社で収入を得、将来性のある物件からの収入で小さいながらも食い扶持を確保するための方途を自分なりに模索していたことによるものである。
(4) 被告人の公判供述の信用性
(ア) 被告人公判供述の要旨
被告人は、平成5年11月4日のA1社長らとの打合せ状況、三和ビジネス申立てに係る「eマンション」のテナントに対する賃料債権差押えに関する第3債務者の陳述書の書き方等について、以下のとおり供述する。
すなわち、この日の打合せはもともと「fマンション」の借家人組合との交渉の準備のために予定されていた。同日、A1社長、A4及びA2が被告人の事務所にやってきた(81回被告人105丁)、A4は「eマンション」の居住人であったところ、三和ビジネス申立てに係る債権差押命令書の送達を受けており、同書面を持参してきた上、被告人に対し、第3債務者の陳述書に何を書いたらいいのかと言った、自分は、A3から、同年9月ころ、a2社が同物件のサブリースをしていると聞いていたため、a1社とテナントとの間にa2社が入っていることを知っていたため、A4に対し、この差押えは債権の特定ができていないから無効であるという話をした(同106丁)、また、A4は、同物件を従業員用の宿舎として使用しており、a1社と賃貸借契約を結んでおらず、賃料も支払っていないと言っていたため、それでは、うそを書くわけにもいかないので、そのとおり書きなさいと助言をした、この日に被告人が差押え妨害のための方策を話したことは全然なく、むしろ話合いで解決していくということが基本線にあった(同108丁)、三和ビジネスは、当然もう一度差押えをしてくるだろうから、そのときに、具体的にどうするかを話し合って解決すればいいので、次の差押えを待ちましょうと話した(同107丁)、さらに、後日、A4から電話で、同物件のテナントの1人から第3債務者の陳述書に何と書いたらいいのかと問い合わせがきたとの相談があったので、自分は、そのまま隠さずにa2社からサブリースを受けているから、a2社から借りている、a2社と明示したらどうかと話した(同109丁)と供述している。
(イ) 検討
上記供述は、被告人が、平成5年6月ころからA4を通じて「fマンション」の借家人組合に対する対応を行っていた(弁66ないし70)上、同年11月5日、11日、15日の3回にわたり実際に同組合と交渉を行っていることに加えて、実際に書かれた第3債務者の陳迷書をみると、A4は「借りていない。」にチェックをし、A4に問い合わせをした上記テナントは「別の人から借りている。」にチェックをした上で、陳述欄に「港区〈以下省略〉(dビル6F)(有)a2 以上の賃貸人に支払っております。」と記載しており、それぞれ被告人の指示どおりの記載がされているものと認められ(甲102)、被告人供述はこれらの客観的証拠と一致している(40回A4・83丁、弁116・188)。さらに、上記の供述は、A1社長及びA2の各証言とも符合しているのであって、以上によれば、被告人の上記供述は信用しうるものである。そして、a1社あるいは被告人が差押えを警戒し、これに対する回避措置を行っていたのであれば、金融機関からの再度の差押えを免れるため、次の手段を講じるのが通常と思われるのに、実際には、逆に、a2社の所在等まで陳述書で明らかにさせているのであって、このことは、被告人に強制執行妨害目的がなかったことを端的に物語るものといえる
3 「11月謀議」に関する各供述の信用性についてのまとめ
前述したように、検察官主張に係る平成5年11月4日の被告人の事務所における被告人の犯行指示についての直接証拠は、A4の当審証言とA1社長の検察官調書(甲92、96)があるのみであるが、これらがいずれも信用できないものであることは、上述したところから明らかである。なかでも、a4社口座の開設者はA2であるという点についてのA4証言の虚偽性は、2月謀議とは全く無関係に同証人の「11月謀議」に関する証言の信用性を失わせるものとして重要である。このことによって、検察官の主張の虚構性が一層明らかになったといえる。
4 公訴事実第2の事案の真相
-A5、A4、A7、A6の4人組による退職金名下の会社資金横領行為の準備行為の一環である可能性が高いこと
(1) A5ら4人組による退職金名下の会社資金の横領
A5、A4、A7、A6の4人は、平成10年3月、a1社の従業員が同社を一斉退職するに際し、A1社長には内緒で、倉庫業者のトランクルーム内に保管してあった現金約2億1000万円のうちから、A5が約4000万円、A4が約4900万円、A7が約3000万円、A6が約2000万円をそれぞれ退職金名下で取得するなどして、会社資金を横領した。
上記の現金約2億1000万円は、平成9年1月8日に一勧信組目黒支店の口座番号番号〈省略〉の口座(以下、「055の秘密口座」という。)を解約して上記トランクルームに保管しておいたものである。ところで、「055の秘密口座」に上記の約2億1000万円が集約されるに至るまでには、長い歴史がある。
(2) A5らによる横領の準備行為としての会社資金の積み立ての歴史
A5は、平成4年6月ころ、将来における自分たち従業員の退職金にあてる目的でA1社長には内緒で会社の資金を積み立てることとし、同月2日、A6をして都民銀行本店にa1社名義の口座を開設させたのを皮切りに、平成5年11月26日及び29日には、A7をして一勧信組目黒支店にa4社名義の各1口座ずつを、同年12月20日には、A6をして都民銀行本店にa4社名義の1口座を、平成6年10月7日及び平成7年8月22日にも、A6をして都民銀行本店にa4社名義の各1口座ずつをそれぞれ開設させている。そして、以上の6口座に、本件で問題とされているa2社口座(平成5年2月24日開設)と、a4社口座(平成5年11月5日開設)の2口座を加えた合計8口座の間で、資金が流れ、最終的に「055の秘密口座」(平成8年1月16日開設)に約2億1000万円が流れ込んでいる。そして、上記8口座のうちの一部については、経費性の出金もあるなど、いささか複雑な状況を呈している(証拠書類群第59冊。21884丁に編綴の甲5資料6-12の資金系統図参照。)。
上記のように、退職金名目の秘密資金が積み立てられて行ったわけであるが、この間、A5は、A4、A7、A6の3人で一緒に食事をとるなどしながら、いくら貯まった、などと積み立ての状況を他の3人に報告している。
(3) 横領の準備行為との関係からする説明
上記のように、横領の準備行為としての会社資金の積み立ては、平成4年6月2日の都民銀行本店におけるa1社名義の口座開設から平成8年9月19日の「055の秘密口座」への1500万円の最終入金に至るまで、4年3か月余りの長きにわたって継続しているところ(上記資金系統図参照。)、この期間中の各現象は継続中の横領準備行為との関係を考慮に入れて初めて十分に説明され得るものである。
(ア) 有限会社a6の発足との関係
関係証拠によれば、平成4年6月2日、A5は、都民銀行のa1社名義の口座を開設し、同月4日までに合計3500万円を「gホテル」の売上から同口座に振り込んで、同口座での積み立てを開始している。前述したように、「gホテル」は、a1社のホテル部門であり、各種会計帳簿を一旦は、本社とは別個独立に作成した上で、各月毎にA5に報告されて本社の経理と合体されていた。しかるに、この時期、a1社では、「gホテル」の有限会社a6としての分社化の作業が行われていたところ(弁76)、A5は、a1社の主要な収入源である「gホテル」が分社化されてしまえば、a1社の収入は減り、同ホテルの売上を貯めていた預金も有限会社a6に帰属することになってしまい、a1社の経費の支払いや、自分たちの給料・退職金の支払いなどにも支障が出るのではないかと考え、急遽、有限会社a6が設立される平成4年6月10日の直前である同月2日に、上記都民銀行のa1社名義の口座を開設して、それまでの「gホテル」の貯蓄を振り込んだものである可能性が高い。
(イ) a2社口座における経理方法の変更との関係
関係証拠によれば、A5は、a1社の営業年度の終わりである3月末を過ぎた平成5年4月ころ、a2社(商号変更により平成5年1月27日にできた)の経理処理をするにあたり、平成5年3月中にa2社口座(第一勧業銀行白金支店)に振り込まれていた「eマンション」及び「cビル」の2つの物件の各テナントからの賃料については、帳簿上は当初からa1社の銀行口座に振り込まれていたこととし、実際には、同年4月8日、相当額をa2社口座からa1社の口座に振り替える処理をしており、同年4月以降の振込賃料等については、a1社の銀行の勘定科目に「第一勧銀No.2」を設け、a2社口座をa1社の2つ目の第一勧銀の口座として取り扱って経理処理をしていた。このことにつき、A3及び被告人が、A5に対し、a2社の経理をa1社の経理と分離するよう申し入れたことがあったが、A5はこれを聞き入れなかった(A3・28回55丁、被告人84回44丁)。そして、前記資金系統図によってa2社口座の預金の動きをみるに、同口座には、平成5年3月から平成9年6月ころまで、テナントからの賃料等合計4億6300万円が振り込まれていたところ、同口座からの出金としては、平成5年12月20日開設の都民銀行のa4社名義の口座への約2億円の振り込み、「055の秘密口座」への1000万円の振り込み、a1社の経費性出金のほか、使途不明の現金出金が約1億円もあり、その中には、平成5年4月30日に第一勧業銀行行徳支店(行徳にはA5の自宅がある。)から引き出された200万円(証拠書類群第13冊3318丁)も存するのであって、同口座では、積立金を捻出するための振替えが行われたり、A5が個人で着服するための現金の引き下ろしをしたりするのに使われていたふしがうかがえる。
以上のようにして、A5は、一旦はa2社口座に振り込まれた賃料等をa1社から区別して経理処理をしようとした形跡はあるものの、平成5年4月8日ころを分岐点として、a1社とa2社の経理を結びつけ、その後も両者の経理を分離しようとしなかったことが認められるところ、その目的は、有限会社a6の設立に呼応した動きの場合と同様に、a2社の分社化及び経理の分離が実現した場合には、a1社に賃料等収入(の一部)が入らなくなり、積立金や個人着服のための財源に困ることになるので、分社化を妨害し、経理の分離も行わないことにしたものである可能性が高いといえる。
そして、A5が平成5年4月段階からa2社口座を用いた退職金の積立て行為を行っていた事実は、平成5年11月のa4社への賃貸人変更がA5らの退職金引当てのためになされたことをさらに強く裏付けるものと解される。
(ウ) a4社口座の開設・運用との関係
前記資金系統図によれば、a4社口座には、平成5年11月から平成9年2月ころまでの間、「dビル」等の各テナントからの賃料として合計2億8350万円が振り込まれているところ、同口座からの出金としては、平成5年12月20日開設の都民銀行のa4社名義の口座への1億8200万円の振り込み、「055の秘密口座」への450万円の振り込み、a1社の経費性出金6320万円、a1社の公共料金等716万円のほか、使途不明現金出金が約5000万円にも上っていることからすると、同口座も、積立金等を捻出するために使用されていた可能性が高い。
また、A5らは、平成5年11月26日及び同月29日に一勧信組目黒支店にa4社名義の口座をそれぞれ開設し、一方の口座は、「gホテル」の売上口座からの振替入金が中心の定期積金であり、最終的に7000万円を積み立て、そのうちの4000万円を平成7年8月22日開設の都民銀行本店のa4社名義の口座に振り込んでおり、もう一方の口座についても、5600万円を「055の秘密口座」に振り込んでいるのであって、A5らは、これらの口座からも積立金を捻出していたものであるとみて間違いないであろう。
そして、以上の点のほか、平成5年11月3日、三和ビジネス申立てに係る「eマンション」の賃料債権の差押え通知がA4宅に送達されていること、このころA4により賃貸人名義が変更された物件はテナントからの賃料収入が最も多い「dビル」であったことなどにも照らすと、A4らは、a1社で賃貸人名義をもっていると金融機関から賃料債権の差押えを受けてa1社の収入源を失うことを警戒し、これを確保するために、一番賃収の大きい「dビル」の賃貸人名義をa4社に急遽変更することとし、「fマンション601」を住所としてa4社口座を開設した上で「dビル」の賃貸人名義の変更手続を行い、その後もa4社名義の口座を次々と開設し、これらの口座を積み立て金の捻出のために利用していたものである可能性が高いというべきである。
(エ) 「mビル」の売却引き延ばしとの関係
関係証拠によれば、平成6年3月ころ、日住金はa1社に対し、日住金らが根抵当権を有する東京都世田谷区新町2丁目所在の7階建ての賃貸建物「mビル」(甲71、弁62。賃収は月額約440万円。)について、同物件の任意売却又は代物弁済を強く迫ったこと、もっとも、上記物件を売却等するには国土法に基づく申請書類が必要であり、同書類の申請手続はA4の役目であったが、A4は同月28日、A3に対し、同書類を「出したじゃないか。」と言っていたものの(甲179・再建ノート)、実際に手続がなされたのは約2か月後の同年5月27日ころであったこと(甲300)、他方で、A4は、同年3月28日ころ、同物件のテナントに対する賃貸人の地位をa1社からa2社に変更する措置を行ったこと(甲128、41回A4・30丁)の各事実が認められる(※13)。
これらの事情からすると、A4は、a1社の収入源を確保しようとして「mビル」の物件売却等を拒んだものであり、「mビル」について賃貸人変更措置を行ったのも、a2社を利用して同物件の賃料収入を確保しようとの同人の意図が表れたものと考えられる。
なお、この点につき、A4は、当審公判において、被告人は、自分に対し、日住金と「一戦交える覚悟」という言葉を使った上で、日住金が要求している「mビル」の任意売却等をできるだけ引き延ばすこと、また、同物件の賃貸人名義の変更を急いでやっておくことをそれぞれ指示したと供述している(41回A4・28丁)。しかし、「mビル」の売却等を遅らせるのが被告人やa1社の方針であれば、A4において、A3に対し、国土法申請書類を出していないのに出したと言う必要はいささかもなく、正直に物件売却の引き延ばしのために同申請をしていないとA3に告げれば足りる。そうすると、A4がA3に対して上記書類を「出したじゃないか。」と強弁したのは、「mビル」の売却を拒もうとしていたA4の個人的な意図が発現したものとみるのが自然である。
※13 「mビル」は、平成6年9月末、日住金に代物弁済された。その際、A4は賃貸人の地位を急遽、元のa1社に戻した上で、同物件を日住金に引き渡している(甲300)。日住金側は、a1社が日住金の抵当物件のテナントに対する賃貸人の地位を別会社に移転していたことを一切知らされていなかった(67回A17・50丁)。
(オ) 「cビル」の売却引き延ばしとの関係
「cビル」につき、A3の業務日誌の平成7年12月18日欄には「住商-売ってほしい!(A4-のばすべし)」と記載がある。また、平成8年1月19日付けの住商リースの「商談・活動記録」(甲313)の用件欄をみると、A3との会談した結果につき、次のように、まとめている。すなわち、「同氏によると、“実はa1社にとってこの物件からの賃料収入が保有物件の内で3番目に大きいので、自分は別としても他の社員(この物件の担当者はA3氏ではない)が積極的に動こうとしなくて困っている。理由は、この物件を売却すると収入減から今後の給料に不安が出てくる為”とのこと。当方としては延滞が続き最近は当方に入金もないのに担保物件の賃料収入をあてにすることは困る。上海の話がなければ、とうの昔に競売を申立てていたと思うので、社内の調整はA3氏にうまくやってもらう様依頼した。(A1社長は担保物件を処分しても給料は何とかするとの話を社員にしているらしいが社員はあまり信用していないとのこと)」とあり、やはりA4がa1社の物件の売却を拒んでいること、さらにはA4ら他の社員の真意が自分たちの給料の収入源確保にあったことをうかがい知ることができる。
(カ) 他の物件についての賃貸人の地位の移転との関係
A4は、平成5年11月ころ以降、平成7年9月ころまでの間、他の8物件の各テナントに対する賃貸人の地位をa1社からa2社又はa4社に変更し(甲48)、賃料振込先をa2社口座、a4社口座やa4社名義の隠し口座に変更したが、これらもa1社の現金収入を確保するため、積立金を得る目的で行われたものとみられる。
(4) まとめ
以上から、A5ら4人組は、A1社長に内緒で行っていた自分たちの退職金の積み立てのため、a2社口座に振り込まれた現金を隠匿した上、a4社の法人格をも利用し、同社名義の銀行口座を複数開設して、退職金の積み立てを秘密裏に行っていたのであり、以上の事実と「dビル」についてのa4社への賃貸人変更措置は無関係ではないのであって、A5、A4らは、まさに退職金の積み立てに供する目的で、当時賃料収入の最も良かった「dビル」を選択して同物件のテナントに対する賃貸人の地位を移転し、その後も、引き続き、五月雨式にa1社所有の賃貸物件につき、賃貸人の地位の移転を行っていた可能性が高い。
第8  2、3の事後的事情
1 平成6年4月15日付けの10通の契約書は、a1社の再建策か、それとも債権者からの追及を回避するための財産留保工作か
平成6年4月15日付けの10通の契約書の内容については、本判決24頁においてすでに触れたが、その意義をめぐっては、弁護人はa1社の再建策であると主張するのに対し、検察官は債権者からの追及を回避するためのa1社の財産留保工作であると主張し、当事者間で争いがある。本件各犯行が行われたとされる日から1年2か月又は5か月を経過した時点における出来事ではあるが、間接事実のひとつとしてそれなりの重みがあることは否定できない。
検討に先だって、重要な点を2点確認しておきたい。1つは、前にも触れたように、深刻な債務超過の状態にあるa1社において再建を図ろうとすることは、そのこと自体で既に債権者の目には多分に強制執行妨害として映るということである。このことをしっかりと認識しておかないと、議論の余地がなくなってしまう。もう1つは、債権者との間で最終的に話し合いがつきさえすれば、基本的には、違法不当視されるいわれはないのであり、話し合い解決の可能性を高めるべく、選択肢を増やすことは、交渉をする者の才覚の問題であって、何の問題もないということである。
以上の2点を念頭において、問題点について、検討するに、上記契約は、平成6年1月ころから検討されていたものが同年4月に形となったものであるが、これが当初よりa1社グループの再建の意図で検討されていたものであることについては、A3業務日誌の同月28日欄の「安弁 再建ステップ」の記載の表現によってもこれをうかがうことができる(なお、83回被告人57丁参照。)。また、「gホテル」の分社独立は、平成4年4月ころから検討され、平成4年11月以降は、被告人の分社構想の3本柱の1つともされたものであった。
しかるに、検察官は、再建ノートの平成6年1月14日欄の「fマンション・ホテルの死守」との記載(83回被告人53丁)や、同年5月9日欄の「ホテル、dビル対策の完成を」等の記載、また、「金融機関往復文書」と題するA3作成ファイル(甲211)の「全般」のインデックスのところに綴じられた同年1月28日付けのメモには「ホテル fマンション確保作戦(即)、物件拘束対策(経営権確定、什器のリース化)」(83回被告人64、65丁)といった記載がそれぞれあるところ、これらの記載は、a1社が債権者の強制執行から「gホテル」等の重要物件を確保する対策を検討したことをうかがわせると主張する(論告57頁)。
しかし、上記の各記載は、A3がこれを記載したものであるところ、A3はa1社の債権者対策の責任者であるということもあって、なにごとにつけ強制執行に引き寄せて物事を理解する傾向があるのであって、まずは、上記の各記載については、ある程度割り引いて受け止めることが必要であろう。この点はさておくとしても、経営危機に陥った会社が優良部門を分社化するなどして再建の道を探ろうとするときは、社内において同部門の死守、確保などといった意識が生じるのは当然である。また、被告人は、あくまでメインバンクとの話合いによりa1社の再建を図ろうとしていたことがうかがえる。すなわち、被告人は、「(A7は、いろんな会社を入れると銀行に持っていかれにくくなるとY弁護士が話していたと証言しているとのことですが)逆だと思うんですね。つまり、もし、このときであるとすると、買取資金は用意できないわけですから、基本的に。銀行に持っていかれても、ちゃんと経営できるようにというのがホテル部門の分離独立なんですよ。持っていかれることを阻止するためじゃなくて、持っていかれても大丈夫なように、そこでオペレートをさせてもらうということが前提になっているわけでして、また、それは逆転なんですね、話が。」(83回被告人93丁)、「ホテルとfマンションというのは、両方とも担保権者は三井信託ですので、三井信託との間で一定の合意を得ないとうまくやっていけないものなんですね。それで、合意を得るにしても、それはそれとして、ホテル、fマンションについて、オペレート権を分離しましょう、それから、什器などをリース化しましょう、いろんなことが考えられますと。」、「それと、次のところを見ますと、ホテル、fマンションを買い取るということですから、買い取るまでの1つのステップというんでしょうか、前段階としての経営権の確立、什器のリース化というふうに読めると思いますね。」(83回被告人65丁)、などと供述しているところはなるほどと頷けるものがある。
そして、再建策というとa1社を継続させるものであるかのような誤解を生じないではないが、正確には、a1社の消滅と関連会社での従業員の生き残りをいうものであることは、これまたかねてからの被告人の持論であり、そうであるとすれば、a1社が収入源のほとんどを失い、休眠状態であったa5社に主要な現金収入が移行することも、あやしむべきことではないということになる。さらには、生き残りのための会社の1つとしてa5社を選んだことについては、求償債務の弁済ということで、同社に収入を集めることの説明が法的にうまくつくこと、これまでの経緯に照らして三井信託との関係で強く主張できること、などの理由があったのではないかと思われる。すなわち、香港の会社であるa5社は、a1社の物上保証人として三井信託との交渉の中で香港「hホテル」を売らされたことから、a1社に対して求債権を持つことになったが、a1社がこの求償権を補填するという形をとることの合理性については、従前の経緯に照らして、三井信託に対してとくに強くこれを主張できると考えられた。すなわち、バブルの際はa1社に対して多額の融資を行い、これがはじけたら今度は一方的に強硬な回収の態度をとってきたメインバンクの三井信託に対する批判的な気持ちが伏在しており、この気持ちに基づいて、今回の交渉において三井信託に対して強く出ることができるという意識があったのではなかろうか。被告人は、平成4年の三井信託との「qホテル」(シンガポール)及び「hホテル」(香港)の売却交渉の過程で、次のような書面を三井信託の代理人宛てに送っていた。すなわち、「当職らは、貴社の当社に対する貸付については、重大な問題を有していると考えている。その第1は、大蔵省が銀行協会に幾度となくその抑制を指導している典型的な過剰貸付であること、その第2は、上記過剰貸付の解決策として当社をして被支配会社である現地法人に対する支配力を行使させ同会社の営業基本財産を物上保証をさせて更に過剰貸付に対する利息補填のための貸付を行っていること、その第3は、上記利息補填貸付は従来の債務との関係において実質上の重利となっていること、そして第4は、これが最も重大な問題であるが、上記の性質を有する貸付であるにもかかわらず、当社(a1社)に対する貸付の返済が遅延していることをもって現地法人に対する担保権を実行するならば、それは、正しく、単なる物上保証人であり、また健全な経営の下にあり、それ自体の借入については従前何ら約定どおりの返済に不履行がなく、将来においても安定した経営の継続が可能である現地法人の経営を完全に消滅させる企業破壊行為にして従業員を路頭に放擲することによって自己の過剰貸付に対する利息補填貸付を回収せんとする暴挙であると言わざるを得ないこと、等々である。」と書き送り(平成4年6月8日付け三井信託代理人弁護士に対する「回答書」(弁204))、三井信託に対して、担保権の実行等についての問題性を指摘し、厳しく批判していたという経緯があったのである(83回被告人39丁、54丁)。
以上に検討したところによれば、上記10通の契約書がa1社の再建策としての意義を有するものととらえることは十分に可能であるというべきである。
2 賃貸人変更の措置を中止した際の被告人の関与の有無
検察官は、A1社長は、知人から「賃料の隠匿を継続しているのであれば、警察に逮捕されるかもしれない。」旨の忠告を受けて、被告人に相談したところ、被告人は、「やめた方がいい。」と、これまで行っていた上記賃料振込先変更による財産隠匿の中止を指示したため、A1社長は、同月9日ころ、A4に指示して、a1社所有物件の賃借人の賃料振込先をa2社口座、a4社口座及びa4社名義の口座からa1社名義の普通預金口座に変更した、と主張し、このような事実は、被告人の共謀を事後的に裏付けるものであると主張する。
そこで検討するに、被告人がA1社長に対し賃貸人変更の措置を中止するように指示した旨を述べる証拠としては、A1社長の捜査段階の供述(甲96)とA3の当審証言の2つがある。しかしながら、これらの各証拠の信用性は疑わしく、被告人が賃貸人変更の措置中止の指示をしたという事実は認められない。
(1) A1社長の供述
(ア) A1社長の検察官調書における供述の内容
A1社長は、捜査段階において、次のように供述している。
「今回の賃料隠しについては平成8年秋ころ止めていますが、それはその年の5~6月ころに桃源社がa1社で行っていたのと同じような賃料隠しをしていたことで警察に摘発され、マスコミ報道等で大きく取り上げられるようになったので、私もこれらマスコミ報道を見て、a1社も同じような賃料隠しをしているので、このままでは警察に摘発されてしまうのではないか、と思って本当に心配になってしまったのです。また、私と長年の付合いがある同じ不動産業者のA31さんからも、賃料隠しなんかいつまでもやっていると大変なことになるので、止めたほうが良いのではないか、と忠告を受けたことがあったのでした。そこで私は、今回の賃料隠しを私たちに指示したY先生の事務所でそのころ開かれた打合会の席で、Y先生に、桃源社の例もありますし、先生の指示でやっている賃料振込先の振替えは止めた方が良いのではないでしょうか、と尋ねてみたところ、Y先生も、うん、止めた方が良い、と言ったので、私はA4に命じて今回の賃料隠しをやめるように指示し、a2社やa4社に賃料振込先を振り替えたテナントからの賃料振込先を再度a1社に戻すようにA4に手続をさせたのでした。その結果、A4が各テナントに賃料振込先を再度a1社に戻すための通知書を出したのでした。」、というものである(甲95)。
すなわち、〈1〉桃源社が摘発されたとのマスコミ報道があり、a1社でも同じ賃料隠しをしていたことから心配になった、〈2〉知人のA31氏から、いつまでも賃料隠しをしていると大変なことになるとのアドバイスがあった、〈3〉被告人に相談したところ、賃料隠しを中止して元に戻すようにとの指示があったというのである。
(イ) A1社長の第一審公判供述及び当審証言
〈1〉 A1社長の第一審公判供述
A1社長は、捜査段階供述においてこそ、前記のように、被告人による賃貸人変更の措置の中止の指示があったと供述しているが、その第一審公判供述(甲307)は、被告人の中止の指示の存在については記憶がないと供述している。すなわち、「(平成8年くらいになって、友人に言われたり新聞に出たりと言うことで、今回のようなことはもうやめようと、賃貸人を変えるのをやめようという話になりましたよね。)はい。」、「(それは、Y弁護士には相談しなかったんですか。)私は、相談した記憶はないんですよ。」、「(だけど、今までずっと相談していたんでしょう、定期的に何回も。)はい。でも、新聞で、あるいは友人からの忠告で・・・これは刑事事件に発展してきましたよね。これで、僕自身は、これは大変なことだということを悟って、やめたんです。」、「(弁護士さんがいるんだから相談しそうなものだけど、どうして相談しようと思わなかったんですか。)相談したかしないか、僕はちょっと覚えてないんですよ。」と供述している。
A1社長は、自己の第一審では、執行猶予判決を狙って、自己の捜査段階供述をできるだけ維持する方向で行動していたのであって、それにもかかわらず、相談した記憶はない旨述べて、従前の捜査段階供述を否定しているのは、思わず本音が出たものである可能性が高い。
〈2〉 A1社長の当審証言
さらに、A1社長は、当審公判においても、被告人による賃貸人変更の措置中止の指示については記憶がない旨を供述し、のみならず、捜査段階で事実を認める供述をした理由についても説明をしている。すなわち、「(被告人に)事前には相談してないと思います。ちょっと記憶にありません、僕はね。」、「(記憶にないですか。)うん、相談したかしないか。」、「(捜査段階においては、事前にYさんに相談したという供述をしていたのではないですか。)ちょっと覚えてません、私は。」、「(甲の95号証で、A1さんの捜査段階での検察官に対する供述調書ですけどね、Y先生の事務所でそのころ開かれた打合会の席で、Y先生に、桃源社の例もありますし、先生の指示でやっている賃料振込先の振替はやめたほうがよいのではないでしょうかと尋ねたところ、Y先生は、うん、やめたほうがいいと言ったので、A4に命じてやめるように指示したと、こういう趣旨のことを言っているのではないですか。)それはですね、もう本当に、検事さん、あなたたちは言葉のプロですよ。だから僕自身は、もうここで、A26さんからも、これは犯罪だと。私1人でですよ、A26さんたちと、皆さんと衝突しても、僕はマイナスだと考える。もう、ここで僕はもう、要するにa2社に振り込んだ自体が、これはあんた犯罪犯したんだと言われて。あなたに抵抗したってね、プラスマイナス考えると、僕はマイナスですよ、これ。そういう環境で、こうだと言われれば、僕は、事実、法律に違反しているんですから、Yさんがどう言ったということを、もう僕自身関係ないことなんですよね。それで僕は、イエスだと言ったんです。」(58回A1社長30丁)と述べており、この点について供述をすべて捜査官に合わせていたことを認めている。
そして、当審の第51回公判においては、少し長くなるが、次のように証言している。「(平成8年、ですから96年でしょうか、平成8年の9月ころ、賃貸人の名義、A1さんのお話ではサブリースの名義でしょうか、名義をa1社に戻すということをしたという事実があるんですが、このことをA1さんは知っていますか。)はい、もちろん。」、「(この名義を戻すという作業を具体的に行ったのはどなたでしたか。)A4さんです。」、「(これはA4さんがどなたかの指示で行ったことでしたか。)私が戻しなさいと。」、「(戻すについて何かきっかけがあったのでしょうか。)ええ。まず、1番ですね、社員がa2社に移籍できなかったこと、2つ目は当時、いろんなうわさが出て、要するに、「誤解されるものはやめなさいと、この2つのきっかけです、私は。友人から言われて。社員が移籍していないんだから、もうやる必要はないわけですよ。ここでサブリースのプロジェクトは終わったわけですよ、もう。この2つのきっかけです。」、「(先ほど、友人からという御証言がありましたが。)1つはそういうサブリースをすると、当時、いろんなことが起きていましたよね、要するに、疑われてもいけないと。」、「(そのような話をA1さんのご友人から聞いたということでしょうか。)はい。僕と同業ですね。」、「(その友人というのはだれですか。)三建不動産のA31さんです。」、「(A31さんのことでしょうか。)そうです。」、「(A31さんはa1社の物件について、A1さんのお話ですと、サブリースをしているということを知っていたのでしょうか。)私は彼に相談していましたから。」、「(答えは知っていたということでしょうか。)彼は知っていたと思います。」、「(A31さんはA1さんが言うところサブリースをしているということをご存じだったということですか。)はい。」、「(先ほど、うわさがあるからという御証言がありましたね。)いや、うわさというより、誤解を招くといけない、当時、住宅金融会社の問題がいっぱいごたごたしていましたから。」、「(誤解を招くといけないからというお話ですけど、どういう誤解を招くといけないからという話だったんでしょうか。)それは今、検事さんが指摘、要するに、強制執行ですか、妨害になるんじゃないかと、それだと思うんです。2つ目は社員も移籍していないし、もう分社化もする必要ないと、で、僕は戻したわけです。2つの要素です。」、「(当時、A1さんもその強制執行妨害という話を、例えば、警察に摘発された事例があるとか、そういった話を知っていたということですか。)事例ですか。」、「(はい。)平成8年前後にそういうことが起きてきました。新聞に載るようになりましたよね。」、「(例えば、どういう話があったか、ご記憶に何かありますか。)ちょっとそれは分かりませんけども、新聞で、どの件だということは僕はわかりません。そういうようなことがだんだん出てきたわけです。そのときにそういう風潮というか、あれじゃなくて、そういう時期になったんですね。」、「(強制執行妨害ということで警察に摘発されたというような。)新聞で。」、「(新聞に出ていたということですか。)はい。」、「当時、A1さんもその新聞をごらんになっていたということでしょうか。)ええ、どこの件というのは知りませんけれども、そういうふうに出てきて、そういうことで、やる必要はないんだと、誤解を招くといけないと。」、「平成8年ごろ、桃源社という会社が強制執行妨害の罪で警察に摘発されたという話を当時、ご存じでしたか。)要するに、桃源社、A32さんが摘発されたという、そのときは僕は日本にいなかったんです。」、「(日本に戻って来てから、聞いたことはありませんでしたか。)あります。僕は桃源社と取引も多少ありましたから。」、「(桃源社が警察に摘発されたということを知って、サブリースをやめたといういきさつだったのではないですか。)いきさつというより、結局、私はサブリースであるけど、皆さんから言えば、これは強制執行妨害ではないかと解釈されますよね。そういう誤解を招くといけないから、すぐに戻しなさいと、なおかつ、社員も行ってないしね。」、「(桃源社が摘発された件がきっかけの1つになっているということでしょうか。)きっかけというより、こういうこともあるのかと、その前はそういうことはあんまりなかったですよね。」(51回A1社長66~69丁)と供述している。
(2) A3の当審証言
被告人の賃貸人変更の措置中止の指示を肯定するもう1つの証拠は、A3の当審証言である。
(ア) A3の当審証言の内容
A3の当審証言の内容は次のとおりである。
すなわち、「社長がどこか出先から戻ってきたか出社したときか分かりませんけれども、会社に入ってきて、開口一番、賃料振替えはまだやっているんだなと、あれはどうもうまくないなと、どうも犯罪になるらしいなと言ってかなり心配していました、やめなきゃならないなと。実際にやめた3か月かそこら前の話じゃないかと思うんですけどね、すぐやめなきゃならんなと、やめろということを言っていたように思います。そういうことが、その後にもう1回ぐらいあったのかな、あれはまだやめていないのかという話でもう一度同じようなことを、早くやめろということを言ったように記憶しています。それで、更にY先生との打合せがあると、その場で聞いてみようということで、Y先生との打合せで先生に、あれ、やめたほうがいいんじゃないでしょうかと、犯罪になるそうですねということを、社長が自分で言ったか、A4が言ったか、私が言ったか、覚えていませんけれども、A4ですかね、話したと思います。それに対してY先生は、あっ、そうですね、そのほうがいいですねというふうにおっしゃったような記憶があります。そういうことがあって、またしばらくたちまして、A4がちょっと体の具合悪かったんですね。それで、A4が入院している間に私が自分の仕事をやっていましたら、社長から社長室に呼びつけられまして、あれ、いわゆる賃料振替えをまだやっているんだろうな、やめたのかと言うから、さあ私は分かりませんと言いましたら、あれをすぐやめてくれと、君がやってくれと、A4が入院しているならおまえがやれということで私が社長から言われました。私は、A4さんの仕事を病気中に取ってしまうわけにもいかないし、自分がやったわけでもないので、すぐどうやって手をつけていいのか分からないで、社長、そんなこと急に言ったって無理ですよと、今までずっとやっていたじゃないですかというようなことで一応その場は断ったんですが、A5のところへ行って、経理担当のところへ行きまして、今賃料振替えをやっているのはどういういわゆる建物の賃料をやっているんだということを聞いてメモを取った記憶があります。このメモも見ました。結構数があるのでおやおやと思ったわけですが、いざというときは、来週A4が出てこなきゃ私がやろうと思っていたら、A4がよく出てきてくれててきぱきとやっていってくれたというような記憶がありますね。」と述べ(15回A3・79丁)、被告人に賃貸人変更措置の中止を相談していたことを認めており、A1社長の捜査段階の供述と同様の証言を行っている。
いささかこみ入っているが、整理すると、〈1〉(実際にやめたのより3か月ほど前)A1社長から、「犯罪になるらしいから、すぐやめろ。」との発言があった、〈2〉その後、再度、A1社長から、「あれはまだやめてないのか、早くやめろ。」との発言があった、〈3〉被告人の事務所での打ち合わせの際、A4かA1社長か私かが、「あれ、やめたほうがいいんじゃないでしょうか。犯罪になるそうですね。」と被告人に相談を持ち掛けると、被告人は、「あっ、そうですね、そのほうがいいですね。」と答えた、〈4〉A4の入院中、A1社長から、「賃料振替えをまだやっているんだろうな。あれをすぐやめてくれ。」と指示されたので、「急に言ったって無理ですよ。今までずっとやっていたじゃないですか。」と言って、その場は、断った。〈5〉経理のA5にどの賃貸物件で賃料振替えをやっているのかを聞いてメモにとった。〈6〉翌週、A4が出勤してきて、同人がてきぱきと処理した、というものである。
(イ) 疑問点
A3がいわゆるメモ魔であることについては、前にも触れたが、業務日誌等のA3のメモをみても、賃貸人変更の措置の中止に関し、A3らが被告人に相談したことや、変更の措置を戻す3か月ほど前に、中止するようにとの指示がA1社長からA3宛てにあったことなどをうかがわせるような形跡は、一切見当たらない。この点については、A3自身も、「Y先生のところで、賃料の振替えというのは、今までやってるけれども、あれはやめたほうがいいんですかねというふうに聞いたというのは、本当は書いてあってしかるべきだと思いますね。じゃあ書き漏らしたんですかね。普通だったらそれは必ず聞かなきゃならないことだから、話の項目として、当然書くべきことだと私は思いますけどね。」(29回A3・44丁)、と述べ、業務日誌に記載していないことからすると、被告人に相談していない可能性があることを認めるかのような供述をしている(同48丁)。また、変更の措置を戻す3か月ほど前に、中止するようにとの指示がA1社長からA3宛てにあったとされる点については、以上に述べたところのほか、A4証言やA1社長の検察官調書においても、そのようなことは何も述べられていないこと、そのような指示があらかじめあったのであれば、平成8年7月30日に要求された「cビル」のマスターリース契約書を8月12日に住商リースに対し何の抵抗感もなく出すことは考えがたいこと、などの疑問点を指摘することができる。
(3) 被告人の公判供述
-A1社長の当審証言と符合
被告人は、ほぼA1社長の当審証言に沿う供述をしている。すなわち、「(Yさんは平成8年ごろ、今回の賃貸人の地位の移転をやめるべきかどうか、A1社長から相談を受けたことがありますか。)ありません。」、「(a1社の関係者から相談を受けたことはありますか。)それもありません。」、「(A1社長が桃源社や麻布建物などの強制執行妨害の摘発事例について、Yさんとの会合で話題にしたことはありますか。)ありません。打ち合わせの席で、そもそもそんなことは話題になりませんでした。」、「(例えば、新聞記事をこういうのがありますよと見せられたことはありませんか。)ありません。」、「(Yさん自身は平成8年の当時、桃源社や麻布建物の摘発事例というものを認識していましたか。)認識していました。」、「(こうした摘発事例を認識して、Yさんがa1社に何か働きかけをしたことはないんですか。)していません。」、「(a1社にも摘発が及ぶというふうには考えなかったんですか。)全く考えません。a1社はそもそも強制執行妨害をしようというような考えは一切、持っていなかったからです。関係ないことだというふうに思っていました。現実にお金をためて、どこかで何かしているという話も、見ていませんし、聞いていませんし、妨害しようというような話がなされたこともないわけです。ですから、およそ関係ないというふうに私は思っていました。」、「(客観的にも、地位の移転が戻された時期が9月以降ですね。)はい。」、「(この摘発事例があったのは5月の下旬から6月ぐらい、時期もずれがありますね。)はい。ですから、そのアドバイスをしたというA31さんが、どこかからそういうふうな情報を仕入れてきたんでしょう。A1さんは私に相談する以外にA31さんとか、いろんな方に相談しておられたわけですから、その中の1人のA31さんがそのように言ったと、それに従われたと、そういう話は私に相談すべきものではないというふうに考えられたんではないかと思うわけです。」(88回被告人80丁)と述べている。
また、以上とは別の観点から、すなわち、被告人の認識(※14、15)では、このころはサブリースはとっくに解消されていると思っていたから、この時点であらためて元に戻すように指示をするわけもないとの観点から、次のように供述している。「(まず、あなたのほうで、賃料の振り込み先をa1社に戻すようにというようなことを、A1さんなりA3さんに言った事実はあるんですか。)恐らく平成7年ごろに言っているはずなんです。ただ、振り込み先を戻せという話じゃなくて、サブリースを解消するということです。」、「(平成7年ごろに言った記憶があるということですね。)はい。」、「それはどういうことからそういうような記憶があるんですか。)平成7年9月に三井信託と話がつく。そして、すべての物件を債権者に引き取るなり任意売却する。サブリースを全部解消してそれを債権者に引き取ってもらう、ないし任意売却してもらうという話をしたはずです。それまでの間は、サブリースはとっくに解消しているというふうに私は思っていたんです。しかし、なおかつやっているということなんで、それは全部廃止して引き取ってもらうという話をしたはずです。」、「(そうすると)、それまでの間にサブリースが解消されていたと思っていたというのは、どういうことからなんでしょうか。)それは、平成6年の私がやった分社サブリース態勢の全体が、平成6年10月にやめたという話だったですから、ああいう資金は全部吹っ飛んでしまったというふうに私は理解したわけです。」、「(平成6年4月15日に10通の契約書を作って、分社サブリースの態勢を作った。それが10月ごろに実質的には崩れてしまった。その段階でサブリースはどうなった。)もう既にすべて解消して従来どおりに戻ったというふうに私は理解したわけです。つまり10通の契約は、A4さんから報告を受けたa2社とa4社のサブリースの前提の上に成り立っているわけですから、つまりそれを1つの柱にしているわけですから、それをなくするということですから、全部なくなっていると私は理解したわけです。」、「そう理解していたけれども、平成7年9月22日に三井信託との協定書が成立した。その後、結局、三井信託銀行の他の債権者とも任意整理を行う。その過程で解消されるものである。)当然解消して任意売却する、ないしは引き取ってもらうということになるわけです。」、「(そうしますと、平成7年9月22日を過ぎてしばらくした以降という聞き方をしますが、以降において、あなたのほうでサブリースを解消するようにというような指示を出したことは御記憶ないですか。)指示というより、そういうふうなことを当然やることとして話をしているわけです。ですから、その話は、恐らくXデーとか、あの辺りの話をしたころにしているはずです。」、「それによって、サブリース自体は解消されているから、戻しなさいという発言をそれ以降にするようなことはないだろうと。)ないですし、これは、A1さんもみなさんもそのように思っていたはずです。平成8年まで続いているなんてだれも思ってなかったはずです。」(85回被告人67~69丁)と供述している。
※14 A4が実行していたサブリースについての被告人の認識
〈1〉 a2社をサブリース会社とするサブリースその1
-「eマンション」と「cビル」
この2つのサブリースについては、A1社長が海外に売却してくるのにサブリースを付けると言っていたのを平成5年2月19日に聞き(80回被告人110丁)、実際にサブリースをしているというのを、平成5年9月ころに、A3との間で、三和ビジネスに「eマンション」の賃料のうちからいくらを内入れとして支払うかの話をしている最中に同人から聞いた(80回被告人116丁。83回被告人97丁、88回被告人59丁)。自分が提案した本来的な分社サブリースではなく、海外に売るためのサブリースであるので、徐々に本来のものに変えていかねばという考えもあったが、一方では、早い時期にa1社をつぶすことを考えていたので、それまで生きればいいなというぐらいの感じだった。
〈2〉 a4社をサブリース会社とするサブリース及びa2社をサブリース会社とするサブリースその2
平成6年4月に「gホテル」の分離独立を中心とした10通の契約書を作成したが、その準備作業の中で、平成6年3月30日、A4から、a4社という会社があるということ(88回被告人66丁、なお、83回30丁)とともに、同社でサブリースをやっているということを聞いた(83回被告人99丁)。資料を持ってくるようにと言うと、間もなく資料(「添付資料」と題する書面、弁75)を持ってきた。その資料によって、「dビル」と「jビル」について、a4社でサブリースをやっていること、a2社でも「eマンション」及び「cビル」の2物件のほかに、「lビル」及び「mビル」の2物件についてもサブリースをやっていることが書いてあった(83回被告人103丁)。このうち、「mビル」については、上記平成6年3月30日の直前ころ、a4社でということではないが、日住金に売却するのにサブリースを付けるという話があることを聞いていた。また、「lビル」、「dビル」、「jビル」の3物件については、このときに初めてサブリースが行われていることを知った。これらについては、A1社長が被告人の主張に係るサブリースをなかなかやろうとしないので、A2のためにA4がやっているのだと善解した(88回被告人60、69丁、83回被告人101丁)。その場にA2がいた可能性が高いが、おそらくA2は、自分のためによくやってくれていると感じていたのではないかと思う(83回被告人101丁)。自分も、平成6年3月30日に、A4から、a4社という会社の存在とともに、同社でサブリースをやっていると聞いた時点で、A4さん、頑張っているじゃないかと思った(83回被告人100丁)、これらのサブリースについては、A4がA1社長がいうことをきかないので自分が独自に進めてきたという感じで受け取っており、大変、雑にやっていて、未完成のままの状態が続いていると思っていた(88回被告人60丁)。
〈3〉 優先順位の変化
平成4年の暮れに三井信託との第1ラウンドの交渉を終えた当時は、分社サブリース構想の3本柱のうちの、「dビル」が最も優先順位が高かった。当時、「gホテル」の分離独立については、代表者が居座っているので、分離独立するとその人に会社をとられてしまうという話があった。一方、「fマンション」については、幾らお金を出すかという話だった。そこで、資金を投入せず、かつ、すぐに物事が進んでいくものということで、「dビル」が最優先順位ということであった。ところが、平成6年4月段階では、「gホテル」は分離独立できるということであるし、更に、「fマンション」は、新しくお金をつぎ込むということで、しかも、三井信託とさらに話を進めていくということも必要だった。そういうことで、三井信託と第2ラウンドの最後の話の中で、第1順位を「gホテル」の分離独立と「fマンション」の分社サブリースを確定していくという方向を考えた(88回被告人64丁)。「dビル」のサブリースについては、最後のほうに回り、A4がやっているというのであるから、それをとりあえずは育てようというくらいの考えしかなかった。
※15 10通の契約書のころのA2のa4社への取り組み
有限会社a6やa4社が当事者となり、平成6年4月15日付けで締結された10通の契約書(弁33ないし42)に関し、A2は、同年6月ころ、これを実践する際に生じた問題点等を「Ask Mr.Y a4社.Rent agreementを作る。How Many % or 100% 入いったがくそのものやちんでいいのか」、「けさん(決算のこと)の時のもんだい。税むしんこくした方があとでa4社にやちんがとまった時。a4社はほんとうにうごいているではないから言えるので、その方が良のではないか。」などとメモ帳に記載して(甲296)、a1社とa4社の経理が分離されていないことや、a4社にとどまるべき賃料等が全額a1社に還流していることへの疑問等を有していたことが認められる。法廷でも、「4月15日の契約に戻るんですが、家賃の債権譲渡がちゃんとされてなくて、家賃の割合がまだ決められてないということで、ちゃんとサンユーインターコンチネンタルのほうに家賃が入るようにしなきゃいけないということになりました。」(64回A2・85丁)、「(その構想をA1社長に反対されて取りやめになり)もう駄目になってしまったので、せっかくできると思ったのが、また、会社はつぶせなかったんで、それで、元に戻さなくてはいけないという話はしてたんで、戻した。A8先生のときと同じで、最初はすごいやる気でずっとやってって、やはりつぶれてしまって駄目になって、しばらくまた何もしないというときがありますね。」(同105丁)などと述べており、一時期、a1社の再建、立て直しに熱意を持って取り組んでいたことを認めている。以上から、A2は本気でa1社の再建、分社化をやろうとしていた時期があり、特に平成6年においては、自ら設立したa4社を活用することを前提とした行動をとっているものと解される。
(4) A4の当審証言
一方、A4は、A1社長から指示されて賃貸人変更の措置を中止した経緯について、次のように供述している。「平成8年8月半ばぐらいだったと思います。社長から、会社の事務所で、至急名変したものを元に戻せと言われました。ちょうどそのとき、私、糖尿病で2週間入院してまして、会社へ出てきた最初の日だったのです。それではっきり覚えておるんですが、(社長は)外出から戻るなり、部屋の入口に立つなり、A4君、名変したものを至急戻せと、そういうことでした。それを言うと1階下の社長室、自分の部屋に戻るときに、勝手にやりやがってというふうな言い方をして下に下りていったんです。前に出した通知書を基に、今度逆にa2社あるいはa4社からa1社に戻すというような文書を作りまして送付しました。私の記憶ですと、退院後出勤してすぐ作業に入りましたので、ですから数日以内に出してるはずです。」(41回A4・40丁)と供述している。
(5) 客観的事実と客観的資料
関係証拠によれば、〈1〉桃源社社長の逮捕の新聞報道は平成8年5月27日、同人の再逮捕の新聞報道は同年6月19日であったこと(甲315ないし317)、〈2〉賃貸人の地位を元に戻すための通知書の発送を担当したA4は平成8年8月25日から同年9月6日まで糖尿病の関係で入院していたこと、〈3〉A3の業務日誌の平成8年9月2日欄には「社長(A31)-賃収窓口を戻す件*1 今週中!…ムリだ!」との記載があるほか、同日欄の右横のページに「*1 9/2賃収窓口(社長)の件-(A5さん調べ)cビルハウス4件、駐車場31件、nビル2件、以上ABC 税申告はスルーにつきない。」、「dビル12件、jビルsビル2件、以上a4社 税申告している。(スルーだが。)」の記載があること、〈4〉A4の退院後の最初の出勤日は平成8年9月9日(月曜日)であること、〈5〉テナントに対し交付された賃貸人変更のお知らせのうち日付が一番早いものは9月10日付けであること(41回A4・45丁)、〈6〉A3のメモで、賃貸人変更措置を元に戻すことと関係するものとしては、業務日誌の平成8年9月2日欄に上記の記載があるだけであり、被告人と相談した旨の記載はないこと、そのころの被告人との打合せは同年8月27日、同月30日、同年9月9日になされているが、A3はいずれの期日についても賃貸人変更措置とは無関係の打合せ事項をメモしており、9月9日はA1社の債権者の日本長期信用銀行に関することと「jビル」の物件処分に関することの2点がメモに残されているだけであること、〈7〉A1社長は、平成10年5月25日から6月30日までと、7月29日から8月28日まで海外に滞在しており(甲151)、日本にいたのは、7月1日から7月28日までであること、などの事実が認められる。
(6) まとめ
以上の関係証拠によれば、賃貸人変更の措置を中止して元に戻すことになった直接の契機は、A1社長の知人であるA31からアドバイスがあったことによること、賃貸人変更の措置については、もっぱらA4がこれを担当していたことから、これを元に戻す作業についても、同人に担当させるべきところ、A4が入院中であったことから、A1社長は平成8年9月2日、A3に対してその作業を命じたこと、A3が慣れない仕事を命じられ困惑していたところ、1週間後に、A4が職場に復帰し、賃貸人変更の措置を元に戻す作業を行ったことの各事実が認められる。そして、賃貸人変更の措置を元に戻すことにつき、被告人において、A1社長らから相談を受けたり、同人らに対して指示をしたりした形跡はないというべきである。
3 被告人の罪証隠滅行為の不存在
(1) 本件においては、被告人が罪証隠滅の指示を行ったとされたことが被告人の起訴後勾留を約9か月にも及ぶものにしており、また、同指示があったとすれば、被告人の本件犯行を裏付ける間接事実になるのであって、その有無は重要な意味を持つ。
検察官は、「被告人は、(被告人が平成8年9月に賃貸人変更措置の中止の指示をした)ころから、A1らに対し、被告人との経営会議の際にA3が会議の内容を記録していたメモ類を破棄するよう繰り返し指示し、A3は、被告人の指示に従い、被告人の発言を記載していたメモ類の一部を廃棄し、あるいは、メモに記載した被告人の名前を塗りつぶすなどした。」と主張する(論告23頁)。
(2) そこで関係証拠をみると、A3は、当審公判において、「(A4サイズの打合せメモを入れていた茶封筒等を平成9年くらいに破棄したが、)これは、Y先生のほうから、そういう(Y先生との打合せ)関係の資料は破棄してくれという指示がありました。(そのような指示は)2、3回あったと思います。今度の住管関係で、いろんなことが犯罪とされるようになってると。で、本件もどういう形で調べられるか分からないと、そういうものは残ってて、私の名前で出てると、私が弁護できないと、だから破棄してもらいたいと、そういうふうにおっしゃったんじゃないかと記憶しています。」(13回A3・32丁)、「(被告人から破棄の指示が出たのは)いわゆる住管機構に住専の資産が移り始めた、そのころじゃないですか。(住管機構が)4月にスタートしたよといって、そのころか、もうちょっとたってからかですね。住管機構が何たるものかと。どういうことをするところかということがだんだんクリアになるにしたがって、それに対してどういうふうに対処するのかということを先生も考えられたんじゃないかなというふうに私は思っていますけどね。」(29回A3・76丁)、「何かの資料で、Y先生の名前だけ消したのがありましたよ。ただ、これは同じ墨で書いていないから、消したというだけで、乾いてみれば読めちゃうような状態でしたけどね。」(29回A3・77丁)、などと述べている。
しかしながら、被告人事務所における打合せメモは再建ノートに挟まれていたり、「金融機関往復文書」と題するA3の金融機関との折衝状況等を綴ったファイル(a1社事務所から押収された。甲212)に綴じられており、すべてが処分されているわけではない。加えて、上記「金融機関往復文書」の中には、平成6年の文書に被告人の氏名の記載を墨で塗りつぶしたものがいくつか存するが、その文脈や前後関係から明らかに被告人を示すと理解でき、墨塗りの下の文字が読めるものもあるのみならず、抹消されていない被告人の氏名も多数あり、極めて中途半端で不自然な形で残されているのであって、逆に被告人の記載を目立つようにしているのではないかとすら思われる。また、再建ノートや業務日誌、手帳といった当時の記録は、破棄されないで多数残され、自宅に保管されていた。A3は、当審公判で「(手帳と業務日誌は)これはもう、私の個人の記録ですから、業務上のことじゃありませんから。業務上の記録も載ってますけれども、個人の記録ですから、破棄するつもりはありません。(再建ノートは)表紙を見て、再建と書いてあるんで、余り問題じゃないんじゃないかと思ったのもあるし、何しろ私自身、a1社を再建したいという気持ちを非常に強く持っていますから、それに関する記録をちょっと捨て難かったということで、破棄を免れたんじゃないかと思います。」(13回A3・33丁)と述べる。しかし、A3は破棄するつもりがなかったにしても、当時のa1社の財政状況や被告人との打合せ状況等がぎっしりと書かれた再建ノート等を、すんなりと妻を通じて当時の弁護人に預け、最終的には捜査機関に任意提出してオープンにしているのであって、これを殊更隠そうとするなどした形跡はない(※16)。さらに、A3は、「(Y先生との打合せの席で、破棄の指示が出た際)社長もA4もいたと思いますよ。」とも述べるが(29回A3・76丁)、A1社長やA4が捜査、公判を通じて被告人からそのような指示があったと述べたものはみあたらない。
そうすると、上記のとおりA3が被告人から打合せの記録を処分してくれと指示されたというには疑問点が多く、上記A3の証言をにわかに信用することはできない。
他方、被告人は、当審公判において、「(平成7年6月30日付け『出資金及び債権・債務譲渡等契約書』(弁48、49)により110億円を超えるa1社の資産と債務がa1社の関連会社である海外法人のa10社に抱き合わせ譲渡されている(※17)が、このことについて、)平成10年の初めころだったと思いますね。預金保険機構あるいは住管からa10社に(a1社の)資産が移っていると。それについて説明を求められた。しかし、A3さんのほうは、A1さんもそうですが、a10社への資産と債務の一括譲渡は、海外への資産隠しというふうに疑われていると。…あの契約書というのはバックデートでやっているわけです。実際に契約書を取り交わしたのは、平成8年の7、8月ころです。そのバックデートであることが分かってしまって、ますます資産隠しだと疑われるという話になったんです。で、特にその中でA3さんが2つ強調しまして、1つは、あの契約書はYの発案でYが考え出してYが作ったものだというのが1つ。そういうものですよねと一生懸命私に助けを求める。もう1つは、あれはバックデートではなくて、あの契約書にあるとおり、平成7年6月30日に作ったものですよねということを一生懸命私に相づちを求めると。一方で、私のほうはそのままそれをちゃんと出して説明すべきだという話をしたわけです。その過程の中で、A3さんに対して、それじゃ、その日、6月30日に作ったと言うんだったら、その関係書類を全部どっかで処分した方がいい。そうでないと、バックデートでしたということがすぐ分かってしまいますよと。あなたはいろんなメモ書きをしている、そういうものじゃなくて、契約書だけをしっかり残しなさいという話を私はA3さんにしたわけです。」(85回被告人62丁)、「(a10社関係の書類は被告人が保管していたものが法廷に顕出されたが、A3さんから押収している証拠でa10社関係の書類が一切出ていないようだが)そうですね。結局、a10社の契約がどういう形でできてきたか、いつごろできたか、だれが主体となってやったかという分については、一切証拠上探し当てることはできません。A3さんが、法廷で、私に指示されてサブリース関係の書類を破棄した、破棄したと言っているわけですけれども、そんなことは一切ありませんから、私が破棄をせえと言ったことは一切ありませんでした。」(85回被告人65丁)、「(A3が甲212の被告人の氏名の一部を墨塗りしていることについて)Yに言われて、資料を破棄したということの一つの傍証として、これはそういう意味を持っているということになるんだと思います。」(88回被告人138丁)、と述べている。
上記の供述に関し、A3は、当審公判で「これ(a10社関係の契約)は私がやりました。これは私が企画してやったことで、Y先生にも、ちょっとご相談はしましたけれども、細かな経理処理については全部、私がやっているわけですから、これは数表を見ていたら、たちまちにして思い出しましたね。」(27回A3・50丁)、「(これは資産隠しというふうに債権者に見られてしまうことについて)これは隠しちゃったじゃないかと言われることもあり得るかなということは懸念していましたね、私は。」(同52丁)と述べる。また、A3のメモ(例えば平成8年の業務日誌)をみても、a10社に関する詳細な記載はみあたらない。
以上からすると、「契約日のバックデートの問題があること、海外移譲資産が100億円を超え、訴追にまで至れば実刑を覚悟しなければならないこと、などの理由から、a10社問題が追及されることになれば、A3は逃げ場がなくなり、窮地に陥ることは不可避であった。」(弁論353頁)との弁護人の主張には説得力があり、被告人の上記供述もそれなりに信用できるのであって、そうすると、A3は、a10社問題の関係で自己の責任を追及されることをおそれて自らの判断で罪証隠滅に及んだものであるにもかかわらず、強制執行妨害の関係で被告人から罪証隠滅の指示がありその指示にしたがったにすぎないものであるかのように装っているとの見方も十分にできるというべきである。
※16 平成11年9月23日付けA35弁護士作成の報告書によれば、同人がA3からメモ類を預かった経緯について、「A3氏から家に保管してある書類を預かってほしいとの依頼があったのは、確か平成10年10月20日の接見の際だったと思います。私はA3氏宅が家宅捜索されたことを聞いていたので、そのことを伝えると、A3氏はそれで思い出したらしく、私に対し、『自宅に昔の手帳類があるので、妻に言って、先生が預かってもらえないか』と申し出ました。A3氏は、私との接見の中で、何年も前のことだから記憶がはっきりしないということを何度も話していましたが、この手帳類を見れば何か思い出すかもしれないとのことでした。」とされている。なお、88回被告人127丁以下参照。
※17 「出資金及び債権・債務譲渡等契約書」は、実際には平成8年1月ころから同年7月ころにかけて検討されたと認められ(弁57、58)、平成9年2月に、住管機構の弁護士のもとにa1社の資産隠しの疑いの情報が寄せられたのも、このa10社問題のことを指すものと思われる(弁論353丁)。
(3) なお、A3は、平成9年4月ころから平成10年にかけて、金融機関の要望やa1社の対応状況、被告人との打合せ状況等を、逐次、「Y先生打ち合わせ 97.4.16」と表示のあるフロッピーに入力しており(甲213、15回A3・92丁)、逮捕された後、直ぐの時期にこれを被告人側で選任したA3の弁護人に預けていたところ、そのデータが平成10年10月5日付けで黒く消されていた問題について、検察官は、保釈決定に対する抗告書等で、A3の当時の弁護人から同フロッピーを預かっていたA24弁護士が平成11年5月14日にようやくA3の元にこれを返却した経緯について「極めて釈然としない」と主張し、A3以外の人物が同フロッピーのデータを削除した可能性について言及している。しかし、既に触れたが、A3は、捜査段階では削除した覚えは全くないと述べていたものの(平成11年9月22日付けA36弁護人の「抗告に対する反論書」添付に係る平成10年11月26日付け検察官調書参照。)、「私は、消した覚えはないと思うんですね。もしかしたら、消してるのかも分からないけれども、多分、消してないと思います。あまり消したという記憶はないんですね。」(15回A3・93丁)、「(データの文字の白黒を反転する形で全体に真っ黒に消されていることについて)私は、消すんだったら、私はそういう消し方はしないと思うんですけれども。ちょっと私がやったかどうか、定かではありません。私が消すんだったら、違う消し方をしたと思います。」(同94丁)、と述べ、同日の反対尋問の冒頭でも、「私は、フロッピーを消した、私自身が消したことはないんじゃないかと思ってます。絶対消してないとは申し上げられません。そういうことです。(この平成10年10月5日に、フロッピーディスクを消したかどうか、この問題は、あなたが逮捕される一番直前の出来事なんですよね。このことについて、あなたは、自分がやったのか、そうでないのか、はっきり答えられないんですか。)答えられません。(そうすると、これまで述べてきたことも、その程度の信用性の話に過ぎないと言うことになりますね。)それは御想像に任せます。」(同98丁)、「これは、私は(逮捕される前に)消さにゃならんという意識はあったんだけれども、私が本当に消したならば、Y先生打合せという文言から全部消すんじゃないだろうかと思うんですよ。ところが、実際見ると、中身は、いわゆる、裏返しというのか黒くなっているだけということで、どうも、私が消したとも思えないということで、ただ、私は消さなければいけないという意識はありましたから、もしかしたら、慌てて消したのかなと言うことはあり得るんですけれどもね。」(29回A3・81丁)などと罪証隠滅行為を自ら行った可能性について述べ、真実そのような行動に出ていないのであれば通常は考えられない供述をしている。
このようにして、上記のデータ削除についてはA3が自己の判断に基づいて行った可能性も払拭できず、この点から被告人の罪証隠滅工作を肯認することは困難である。
(4) 罪証隠滅工作としては、むしろ、A5において、A1社長らが逮捕された平成10年10月19日にA11に対して電話をし、翌20日の早朝、A11がA5の後任の経理担当者であるA15にa1社の会計データのフロッピーを差し替えさせている点を指摘することができるのであって(72回A11・65丁等)、これらの行為によってA5らの横領行為の存在が一段と浮き彫りにされている。
第9  本件の捜査、公訴提起・追行についての問題性-使途論に対する批判
1 捜査・公判の問題性
ところで、本件の捜査及び公訴提起・追行における検察官の立証活動については、以下に述べるとおり、より根本的で重大な問題があり、この点が関係者の供述の信用性についての当裁判所の判断に大きな影響を与えた。
2 捜査の端緒
預金保険機構特別業務部指導課作成に係る平成9年12月25日付け「調査報告書」(甲第5号証添付資料6)によれば、同機構がこのころa1社に対する調査で把握していた事実関係は以下のとおりである。
すなわち、まず、「1 調査に至る経緯」において、「(1)表記債務者(a1社)は、176億(元本)の残債務を有する大口債務者である。(2)平成7年6月、海外物件を保有する海外子会社4社を、妻子らが株主となっているシンガポール所在の法人へ譲渡するなど、資産隠しの疑いがある。(3)平成9年2月、住管機構特別整理部担当のA37弁護士のもとに、「国内資産を処分し、シンガポールへ逃亡する」旨の情報が寄せられた。(4)回収に対し資料提供等非協力的であり、回収に困難をきたしている。以上のことから、平成9年2月25日付及び同年5月12日付の住管機構からの調査依頼を受け、(有)a1社に対する調査を開始した。」と述べられている。次いで、「2 調査の経過」において、a1社の取引銀行の取引内容について照会を実施したところ、a1社名義の口座からa2社名義の口座及びa4社名義の口座への百万円単位の入金が確認されたほか、第一勧業銀行のa2社口座(公訴事実第1の口座)に家賃と思料される合計約4億5800万円の振込入金が、同行のa4社口座(公訴事実第2の口座)に家賃と思料される合計約2億5900万円の振込入金が、都民銀行のa4社口座(平成5年12月20日に開設のもの)に家賃と思料される合計約4900万円の振込入金が、それぞれ確認された上、a2社及びa4社の商業登記簿謄本をみると、代表者がいずれもA1社長の息子のA2になっており、これらがa1社の関連会社であることが判明した。さらに、三和ビジネスに対し調査したところ、平成5年10月下旬、a1社に対し賃料差押えを行おうとしたが、賃貸人が第3者に変更されており、差押えができなかった事実が判明した。そして、「3 調査結果」で、「以上の調査経過から、債権者からの賃料債権の差押等の強制執行を免れることを目的とし、a4社・a2社を設立乃至商号変更したうえ、新規口座を開設し、a1社が所有する物件の各賃借人に対し、賃料をこれらの口座に振込むよう指示し、a1社に帰属すべき賃料を隠匿した、強制執行妨害容疑事案が判明した。」と結論付け、「4 措置」として、「住管機構特対室と連携を保ちながら、補充調査等を実施し、捜査当局(警視庁刑事部捜査第2課)への告発に努めたい。」と結んでいる。
さらに、上記報告書添付の資料をみると、資料6-12の資金系統図において、上記のa2社口座、a4社口座等の口座から、平成8年1月16日に開設されたa4社名義の「055の秘密口座」に預金が振り込まれた経過がフローチャートで記されており、さらには、平成9年1月8日、同口座が解約され、2億1037万円が出金されている事実も把握されていた。
3 2億1037万円の使途の捜査機関の着目
以上の調査結果によれば、預金保険機構がa1社の経営者に対し、a2社及びa4社を利用した強制執行妨害の嫌疑を持ったのは頷けるところである。しかるに、上記報告書の本文中には直接明記されていないが、強制執行を免れた後の現金の流れをフローチャートで追い、その結果、現金出金で2億1037万円の使途不明金があった事実を解明していたこと、「経営者の海外逃亡」、「個人的な資産隠し」の疑いが調査の端緒にあったこと、上記報告書に「回収に困難をきたしている」との記載のあるとおり、同調査は住管機構の債権回収を究極の目的としていたことなどからすれば、預金保険機構としては、いわば入口的な犯行である強制執行妨害罪の成否のみならず、最終的な、いわば出口としての現金出金2億1037万円の行方に重大な関心を有していたはずである。すなわち、強制執行妨害罪の解明を進めることにより、現金の流れ、特に経営者らの個人的な現金の隠匿(着服)を疑い、その事実の有無を解明しようとしていたことは自明であるといってよい。実際にも、上記調査の約10か月後である平成10年10月19日、A1社長らは逮捕されるに至ったが、A1社長は逮捕直後の取調べで、捜査官から開口一番、「2億円の現金をどこにやったか。」と聞かれており、捜査側は、最終的な現金出金の使途がA1社長の個人的な使途に充てられたと推測し、そこから遡及的に、いわば入口である本件強制執行妨害の実態解明をしようとしていた形跡が認められる。
以上からすると、強制執行免脱と最終的な現金の行方の問題は、密接に結びついているとみるのが自然である。
4 A5らの横領の発覚とその後の方針転換
しかし、A1社長らの逮捕翌日である平成10年10月20日、捜査機関に全く予期していなかったことが起こった。同日のA5に対する事情聴取から、上記2億1037万円の使途不明金は、A5、A4、A7、A6の合計4名がA1社長の了解を得ずに退職金として分配して着服横領していたことが判明したのである。そのときの捜査官とのやりとりについて、A5は当審の第6回公判(平成11年5月25日)において、「(それで、警察の方では、あなた方の社長の了解も得ないで、また知らない状態の中で、あなたを入れて4000万円、自分たちで保管していたキャッシュを受け取ってしまったということについては、何か言ってなかったですか。)それはいいことではないって、それは言いました。(犯罪になるよというふうには言わなかったですか。)ええ、ときと場合によっては。(横領ですよと言われなかったですか。)はい、それらしきことを言われました。ですから、覚悟で行きました、私は。」(6回A5・32丁)、と述べている。
捜査機関は、A5らの上記行為を知った後に、入口と出口を分ける構成、つまり、最終的な現金は従業員らが得たものの、これらは強制執行免脱行為とは切り離して行われたものとして事件を構成し、A1社長らに対する責任追及を続け、ひいては被告人の逮捕・起訴に踏み切った。そして、その一方で、A5らの退職金領得行為を一切不問に付したのである。検察官は論告において、「A5らの上記退職金積立行為が、本件とは無関係になされたことは明白である。」、「上記使途不明金の問題は、本件において、a2社口座及びa4社口座を受皿として収受した賃料が混入したa1社の資金全体の「使途先」の問題に過ぎず、本件とは無関係に生じた問題にすぎない。」(論告76丁、77丁)旨主張している。
5 検察官の対応のアンフェア性
確かに、賃料の入口と出口の問題、すなわち強制執行免脱を指示した行為と現金着服行為を別個無関係のものとして構成し立件するのが相当な場合がないではないだろう。しかし、上記のとおりの強制執行免脱とその後の現金の行方の問題との密接な関連性にかんがみると、そのような主張をするのであれば、強制執行免脱はA1社長らが行ったが、その後の現金の行方はA1社長らは無関係であることを明確にしたうえでそのようにすべきである。
ところが、関係証拠をみると、検察官において、上記4人に対し、彼らが退職金名目の隠匿金を取得した経緯を詳しく追及した形跡はない上に、公判においても、2億1037万円が使途不明であることを示す証拠(甲第5号証)を提出するだけで、A5らがこれを取得したことを示す証拠は何も提出していない。このような証拠関係では、上記現金は強制執行免脱行為をしたとされるA1社長らが個人的に横領したものとの疑いを抱かせる。上記従業員4名による横領の事実は、A5に対する弁護人の反対尋問の追及でようやく法廷に顕出された。このような検察官の態度はアンフェアとの評価を免れない。
また、A4の平成10年11月21日付け検察官調書は、同月1日付け検察官調書を加工修正して作成されたものであることが記載上から明らかであり、前述(第6の2(3)(イ)、本判決76頁)の同人の3日付け検察官調書と22日付け検察官調書との間の関係と同様な関係が存在するところ、1日付け検察官調書には、退職の際に2700万円の退職金を受領した旨の記載があるのに(実際には4900万円の退職金名目の分配金を受け取っており、このことは捜査機関がA5からの同年10月20日の事情聴取で把握していた。)、21日付け検察官調書には、退職金に関する記載がない。そして、21日付け検察官調書は第1回公判から証拠請求されているが、1日付け調書は当初から請求されておらず、弁護人の証拠開示の要求を受けて初めてその内容が明らかになった。
以上の点は、本件指示を肯定しているA4の捜査段階供述及び証言全体についての信用性にも大きく影響してくるものと解さざるを得ない。A4は、本件で逮捕されながらも不起訴処分となり、退職金の横領については前後を通じて捜査機関の追及を何ら受けていないところ、このようなA4が、一種の司法取引のような形で、全面的に捜査機関に迎合する供述を行ったとみられてもやむを得ないものというべきである(※18)。
※18 平成11年9月22日付けの保釈許可決定に対して検察官から抗告の申立てがあった際、当審(木村烈裁判長、久保豊裁判官、柴田雅司裁判官)が意見書において、「A5の証人尋問において、同女と数名のa1社関係者が、社長であるA1に無断で、退職金の積み立てと称して2億1000万円余りの金を隠匿し、これを同女らで分配していたのみならず、右A5は水道・光熱費等種々の名目で、多額の現金を出金して帳簿上から消していたという内容の証言がなされているところ、このうち、退職金名目の2億1000万余の領得については、捜査機関側で把握しておりながら、右A5ら数名の刑事事件として立件処理していないばかりか、捜査を遂行している形跡もない。被告人の不正義を立証すべき検察官側の重要証人が、右のように重大な不正義を犯していながら放置されていることに照らすと、被告人の身柄を拘束したまま審理を継続することには強い疑問の念を禁じ得ない。」と記載しているのは、このことの問題性を強く浮き彫りにしている。
第10  むすび
本件の強制捜査が始まったのは平成10年10月である。犯行の謀議が行われたとされる平成5年2月から5年8か月、実行行為の中核的部分が行われたとされる平成5年3月から5年7か月が既に経過していた。テナントに対して隠匿口座に賃料を振込入金するように一般的に指示する行為のほか、この指示に基づいてテナントが毎月の賃料を個別に振込入金する行為も、「財産の隠匿」という強制執行免脱罪の実行行為に当たると解すべきである以上、3年の公訴時効の期間が未だ経過していないとされるのはやむを得ないところである。しかし、民事事件絡みの、しかも、犯罪の存否自体が争われる、公訴時効が3年の事件について、犯行の謀議や実行行為の中核的部分が行われたとされる日から強制捜査の着手の日まで、5年半余りの年月が経過しているという事実の持つ意味は大きい。この間、関係者の記憶は薄れるとともに、種々の力が働いた結果、本件の捜査段階及び公判段階において、検察官調書なり、公判証言なり、証拠として具体的な形をなしたときには、その内容には真実からかなり遠ざかっているものが少なくなかった。本件で有罪立証の柱となるべき各証人の供述は、既にみてきたとおり、到底、信用するに足りないものである。このような状況の中で、再建ノート、業務日誌、秘密録音に係るテープ、預金印鑑票などの客観的証拠資料が真実の解明に果たす役割は大きい。
当裁判所は、再建ノートや業務日誌は、その詳細さと個人的な備忘録というその性格とにかんがみ、そこに犯行の謀議についての記載がないこと自体が謀議の不存在をうかがわせる1つの間接事実であると考えた。また、秘密録音に係るテープは、謀議成立後、実行行為着手前とされる時点における債権者と債務者との間の交渉の状況について、時間を超えて、その微妙なニュアンスまでも伝えるものとして、極めて重要な証拠であるというべきところ、再建ノートや業務日誌の記載とも照らし合わせて検討するときは、検察官主張の犯行動機の不存在をうかがわせるところの、催告書の送達が出来レースであるという決定的な事実の存在を示すものであると考えた。そもそも、この録音テープは、後順位抵当権者に債権買取を要請する際の道具立てとしての催告書が独り歩きしかねないことを懸念した被告人が、A3にアドバイスした結果、録音されたものであった。催告書の送達は、被告人の予想を遙かに超えて、刑事事件にまで発展するという、まさに思いも寄らぬ独り歩きをした。そして、この録音テープは、a1社の本社事務所内にひっそりと眠っていたが、長い眠りから覚めるや、被告人を窮地から救うという、これまた思わぬ働きをすることになったわけである。不思議な巡り合わせというべきであろう。さらに、預金印鑑票については、その記載事項を丹念に検討するときは、本件の賃料債権の隠匿が実は従業員らによる退職金名下の会社資金の横領に関係する可能性があることを示すものと考えた。
よって、本件各公訴事実は犯罪の証明がないことに帰するから、被告人に対しては、刑訴法336条により、無罪の言い渡しをする。
(求刑 懲役2年)
(裁判長裁判官 川口政明 裁判官 早川幸男 裁判官 内田曉)

 

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